ヨーロッパから帰国したばかりの頃、仕事の関係で約一月の間、毎日帝国ホテルの食堂でランチを食べることがありました。
パンにサラダに目玉焼きとハムがのっている、当時としては極々典型的な昼食だったのだが、必ずボーイさんが目玉焼きの焼き具合を尋ねてきました。
そこで私はいつも「レヤーでお願いします。」と答えたのだが、これが本当にレヤーなのだな!
ハムはちゃんと火が通っているのだが、玉子は薄く底の方が白くなりかけているだけで、後は完全に透明で、本当に生だ。
これがまた美味いのだな。
しかし、どうやってレヤーの玉子をフライパンからお皿に盛るのだろう??
自分でレヤーの卵焼きを作ろうと試みたのだが、お皿に盛る段階で、何度やっても崩れてしまう。
上手く行きかけても、どこかに裂け目が入ってしまうのだ。
帝国ホテルで出されるように美しくお皿に鎮座してくれない。
うそか本当かは兎も角として、某国立のテレビでちょうどそのお話を料理長にインタビューしていた。
修行中の見習いコックは毎日700個の目玉焼きを作らされるそうで、そういった修行が、まるまる1年程、続くそうだ。
その反故になった(ちょっとでも崩れてしまった)玉子は商品にはならないので、そのままボツにするのだそうな!というか、ちゃんとコンスタントに失敗しないで作れるようになるまでは、例え上手く出来たとしても、お客様へは出してもらえないのだそうな!
そりゃぁ、プロとしては当然なのだろうが、料理人でない私としては「え〜っ!勿体ない!」・・と思ったね。
今では資源保護とかエコライフとか叫ばれているし、不況という事もあいまって食材の無駄がよく問題になっている。
しかし、皮むきの練習などに、代替品で練習をさせるところもあるようだが、あくまでもそれは代替品に過ぎない。
プロを養成すると言う意味では、その微妙な火加減やタイミングが分からないと思うのだが、それはどうなのかな?
今でもそうなのかな?
機会があれば、是非、訊ねてみたいものだ。
木亭の私専用のオリジナルの玉子サンド!
ドイツから帰国して、1年ほど郷里で休養した後、大学で教鞭をとるために、東京に出てきたのだが、あいも変わらず、ピアノの持込がネックになって、住居が見つからなく、学生時代にすんでいた江古田の町に住まいを探す事になってしまった。
江古田に居を構えて、しばらくして、行きつけの喫茶店が出来た。
いつも着物と丸髷姿の和風のおかみさんの趣味で木造の落ち着いた感じの、しかし狭いカウンター席が中心で、使用されている陶器もおかみさんの趣味らしく、落ち着いた重厚なものが多かった。
という事で、そういった落ち着いた雰囲気や芸術を好む若者やインテリの青年達のたまりになっていた。
まだ30歳になったばかりの頃ではあったのだが、私はそのグループの中でも歳のいった方に属していたので、結構わがままを聞いてもらうことが多かった。
珈琲椀は自分専用の珈琲椀を家から持ってきて置かせてもらうとか、なのだが、その我儘の中の最たる物の一つが、私専用のレヤーなホクホクの玉子サンドである。
卵焼きを出し巻きのようにホクホクに半熟にして、焦げ目のついたパリパリのパンに挟んでカットした、私だけへのオリジナル・メニューでとてもおいしかった。
おかみさんが、郷里で大きな喫茶店を開く事になって、その店は居抜きで別のオーナーに代わったので、次の代ぐらいまではその店に通ったのだが、その人もお店をやめてしまって、その次の代になってしまうと、もうお店の雰囲気も、面影もなくなってしまって、私は行かなくなってしまった。
その内に常連の誰もその店には行かなくなった。
益子焼の目玉焼き用の陶器
私の知り合いが、真っ黒い常滑の目玉焼きの器を持っていて、何度かその器で卵焼きをご馳走になった事がある。
なかなかの美味であったので、私も同じ常滑の目玉焼きの器を買ったのだが、これが上手く行かない。
どうしても底が焦げてしまうのだ。
そこで、色々な窯元の目玉焼きを買い求めて、最終的に益子焼の同じ形の目玉焼きの器を買った。
写真:
勿論、昔々からの目玉焼きの器であるので、卵焼きの作り方が書いてあるわけではない。
私なりに試行錯誤で一番失敗の少ないおいしく焼ける方法を捜し求めた。
私の方法はこうである。
まず、第一に器の中にバターを薄く塗る。
そこへ、薬味となる玉ねぎの微塵切りを少々と、ハムを微塵に切ったものをごく少量入れて、塩コショウをして、蓋をしてコンロにかける。
ころあいを見計らって、蓋を開けてみて、ハムや玉ねぎがおいしそうな色になっていたら、そこへ玉子を割って入れて蓋をして火を止めて、テーブルに出す。
後は、唯、待つだけである。
レヤーが良いか、玉子の上に白くかぶさっているぐらいが良いのかは待ち時間で調整する。
しかし、あまり頻繁に蓋を開けてしまうと、もう蒸らさなくなってしまうので、頃合いを見て蓋を開けるタイミングを覚える事が要である。
1回ぐらいなら何とかなるかな・・・?
レヤーすぎるからと言って、暖め直すと、玉子が硬くなってフワッといかなくなってしまう。
それもまた、面白い。
弟子が早めに開けてしまって、レヤーになったのを、ぐずっていたので、私の方を少しミディアムぐらいまで調理して、私の目玉焼きと代えてあげた。
私はレヤーでも良いのでね・・・・。
その内に、洗う時に目玉焼きの器の持ち手を弟子が折ってしまった。
弟子と言っても、数人はいるのでね。どの子だったか???
それで仕方なく、前から持っていた益子焼ではない、或いは常滑でもない、全く同じ形の器で作って見た。
しかし、これも常滑同様に火を止めて蒸すと、すぐに冷えてしまって全然蒸せないし、直火で焼くと今度は玉子の底の方に焦げ目が出来てしまう。
陶器の肉の厚みが薄いせいなのだ。
同じような形の目玉焼きの器は探して見ると意外に多く、信楽や万古焼きなどいろいろな窯で売ってはいる。
しかし、買い求めて作って見ると、「帯、襷」でなかなか上手く行かない。
たぶん、正式な目玉焼きの作り方が、本当は私とは違うのだろうか。
先程も言ったように、直火にすると、陶器の肉が薄いので、常滑も、益子もどきも、卵が焦げてしまう。
遠火の弱火では全くお呼びではないので、唯一の可能性は遠火の強火という事かな?
まあ、それにしても、ふっくらとは行かない。
益子の器ほど肉厚でないので、遠赤や保温、或いはダンプ(加圧)されたようにはならないのだ。
「益子で陶器市をやっている」と言う宣伝をテレビで目にして、遊びがてらに弟子達を引きつれて益子の里までドライブに行った。
そこで、陶器の目玉焼きを作っている人を尋ねて見た。
益子でも、新しいきれいなお店では、目玉焼きの器の情報はなかなか手に入らなかった。
数件を訪ね歩いた後に、古ぼけたとある一軒のお店で、その目玉焼きを作っている陶工の人の情報をやっと知ることが出来たのだが、そのお店の人の話では、その陶工の人ももう歳で、私の捜し求めている目玉焼きはもう作っていないそうで、そこのお店と工房に売れ残っていた目玉焼きの器が最後だそうで、100個ほど残っていた中から10個ほど買い求めてきた。
それでも結構いい出費なのだよ。
しかし、もうそれが売切れてしまうと、二度と手には入らないらしい。
僕としては、100個全てを買い求めたかったのだけど、弟子達から駄目出しが出たのでね。