昔々の思い出話になるのだが、・・・・というか、結構あっちこっちのホームページに書いている事なのだが、私が産まれた頃は、戦後のどさくさで、毎日の一番の大切な事が、その日の食事にありつけるか、という時代だった。
幼い子供を持った若い母親が、たった1升の米と引き換えに、田舎の百姓に体を許すというような事も、その当時は、けして珍しくはない、寧ろ日常の事だったのだよ。
戦争で、全ての男の子供を全てなくした祖母も、孫達に食べさせるために、自分の田んぼで採れた米を分けて貰うのに、祖先から引き継いできた大切な自分の着物を、(小作の人の所に)持って行って、米に変えて貰う・・という事がしょっちゅうで、何時の間にか、タンスの中は空になっていったものである。
自分の土地で育った米や野菜なのにね。
その当時は、食べる物があれば幸せであり、子供の栄養のバランス等というようなゆとりは全くなかったのだよ。
そこで、祖母は少しでも孫達に栄養のあるものを食べさせるために、鶏を飼って、メスは卵を産ませて、オスは肉屋で肉と交換した。
自分で育てた鶏を自分で潰すのは忍びなかったからだ。
そして、近所の百姓の人から山羊を買った。
勿論、栄養不足の子供達にヤギの乳を飲ませるためにである。
という事で、私や私の兄貴の乳母は山羊である。
その山羊は、お乳を私達に飲ませてくれるだけではなく、兄貴が小学校に行く時や、帰って来る時には、20分、30分の道を送り迎えしていたものである。
私には全く、懐かなかったけれどね。
ご飯のおかずが全くない時には、温かい白い米に冷たい山羊の乳をかけて牛乳ご飯にして食べたものだ。
(これは私のオリジナルだけどね。)この間、何気なくテレビを見ていたら、ドイツのミルヒライスの話が出ていて、「ご飯に牛乳をかけて食べるのは気持ち悪い!」と、テレビでお笑いの若者達が叫んでいた。
超、ムカついたね??
食べてもみない癖に・・・!!
安部夜郎さんの深夜食堂という漫画がある。
その3巻の34話は「バター・ライス」の話だ。
牛乳ライスは醤油は入れないが、味的には、バターライスをもっとさっぱりとした味になるのだろうよ。
まあ、それぐらい、田舎だった、という事だよ。
その山羊は10年以上、私達の乳母でいたのだが、叔母が祖母の事を心配して、雇った少し頭の弱いお手伝いのお婆さんが、正月を迎えた時に「山羊さんもお正月をお祝いすんべ〜!」と、餅を食べさせて、喉に詰まらせて死んでしまったそうな。
その時は、私は居なかったので、後で、祖母から聞いた話だが、兄貴の怒りは大変だったそうな。
「ここまでのお話の中で、何で、母親の話が出てこないのか?」って??
母親は、私が生まれてまもなく、(半年か?一年か?で)現金収入を得るために、1時間以上掛かって、長崎の町まで、働きに出たからだよ。
そして、私が小学校1年生になる時には、本家を出て、長崎で間借りを始めたからね。
朝は7時には家を出て、夜は9時過ぎに帰って来るという毎日だったのだよ。
それでも、女性に仕事がある・・というのは稀な事なのだよ!
ABCCという進駐軍の原爆の調査の仕事だから、仕事があったのだよ!!
日本の企業ならば、考えられない事さ!!
大変な時代さ!
「子供に食事を食べさせる」・・という事が、全ての時代だったのだよ。
私は当時としては珍しく、幼稚園を出ている。
檀家のお寺の付属の幼稚園で其処の1回生である。
60年振りぐらいに、昨年そのお寺を訪ねたら、幼稚園のあった筈の所は、もう更地だったよ。
そんな田舎迄、少子化は進んでいるんだよね。
昭和21年からは終戦後のベビーブームになるのだけどね。
その頃、幼稚園で給食に出たのは、どんなに頑張っても噛み切れないクジラの肉のステーキ風と、飲むと吐いてしまう程、不味い脱脂粉乳のミルク!
この脱脂粉乳のミルクは小学生になっても、私を苦しめ続ける。
実は、私が音楽大学を卒業する昭和40年の前半頃迄は、まだ無添加、成分無調整の牛乳はなくって、全ての牛乳は瓶に入っていて紙の蓋で閉まっている、加工乳で、私は絶対に、牛乳を飲めなかったのだよ。
ドイツに留学する前に、色々海外の旅行の経験した人から、「ドイツやフランスなど、ヨーロッパでは、牛乳は加工していないから、下痢をするから気をつけるように!」と注意されていた。
ドイツの朝食は、ゼンメルと紅茶だけとすこぶる質素である。
しかし、昼食はちゃんとした食事が出た。その時に一番驚いたのは、テ−ブルに2リッターぐらいのピッチャーが幾つも乗っている事だ。
ドイツでは、牛乳は、一人1リッターぐらいは飲むのだよ。
で、恐る恐る飲んでみた。
これが、何と美味しいのだ!!
ホテルに牧場から直接配達されてくるのだ。
勿論、無添加だよ。
朝、絞ったばかりの超新鮮な牛乳だ!
しかも安い!!
ドイツは基本、酪農の国なのだよ。
こんな美味しい牛乳で下痢をする日本人が分からない!
理解できない!
牛乳用のピッチャー 牧場から輸送用の缶
ドイツに行って、牛乳が飲めない・・・、牛乳嫌いがすっかり治ってしまった!
私がドイツで熱を出していたら、ドイツ・ママが「子供達が風邪をひくと、作るのよ!」と言って、Milchreis(ミルヒライス直訳すると牛乳ご飯)を作ってくれた。
見た目はオート・ミールのようだが、もっと雪のように白いし、繊維がないので、オート・ミールよりも、食べやすいし、胃にも優しい。
手作りのジャムをたっぷり入れて、まるでお菓子のようで、しかも、お粥のようにお腹に優しい。
将に子供の病気の時に良い。
家庭料理なので、ドイツ・レストランでは、食べれないので、先日、懐かしくなって、発作的に作ってみた。
牛乳が入ると、焦げやすくなるので、焦げないようにお粥のように、炊くのが意外と難しかった。
テレビでは、ご飯の半分をミルクと一緒にフードプロフェッサーにかけて、とろとろにしてから、残りの半分の米を加えてオートミールのように、食感として残すようにしていた。
簡単で、なかなか頭の良い方法だ。
ジャムはその都度、イチゴやマーマレード等、好きなのに変えて、食べるとよい。
香付けにシナモンを入れる人もいるようだが、家庭料理なので、自分の好みで、取り立てて定番はない。
それぞれの家庭の味である。
約4年間ドイツにいて、昭和47年の12月頃に日本に帰って来たのだが、そのときに、驚いたのはテレビがカラーになっていた事と、(私がドイツに留学した時には、ドイツではテレビは既にカラーであった。)成分無調整の牛乳パックが売り出されていた事だ。
不味い昔の加工乳でなくって、成分無調整の牛乳が飲めるようになって、日本でもお乳が飲めるようになったのだよ!
ハッピー!ハッピー!!