ほんぶんにかえて
Mozartのトルコ行進曲の前打音について
MozartのPiano Sonate K.332の1楽章の解説のPageからの抜粋の文章です。
Mozartの装飾音の演奏法について
冒頭のauftaktの前打音について
書かれた装飾音であるschleiferの弾き方
Turkish MarchのTitleのsnare-drumを表した装飾音
Wienとオスマン帝国
老婆心ついでに
しかし、それが全く見当たらなかったのですよ❢
唯一、見つかった文章が下の文章です。
以下の文章はMozartのPiano Sonate K.332のⅠ楽章の解説のPageから、参考文献としての「トルコ行進曲」の部分をcopyしたものです。
[Mozartの特別な装飾音について (Alla turca)]
いよいよ、ここからが本題であるが、41小節目と42小節目の装飾音は低声部から上声部までの段を跨いだslurが付いている。そこに気づいているか否かの話である。
この場合の装飾音は通常の拍頭に合わせる装飾音とは違う。
この装飾音は例外的に拍の前に出して、次のように弾かれる。
譜例:41小節目から42小節目までの装飾音の正しい弾き方
何故、この曲は古典派の定石を破って、装飾音を前に出して、しかも段を跨いで弾かなければならないのか?
その疑問は同じ時期に作曲された次の曲を見ればよく分かる。
参考:
(同じ時期=1778年)この曲が作曲された年(1778年)は、Mozartが母親と二人っきりで職探しのために異国であるパリに滞在していた時の作品であり、母親を異国の地で亡くしてしまうという、悲劇的な有名な手紙を父親宛に送ったときでもある。
悲しみを爆発させたようなK.310 イ短調等の一連のPianosonateの名作が数多く生み出された年でもある。
この装飾音も、F DurのPianosonateの41小節目の装飾音と同じように前に出して演奏する。
譜例:Mozart Pianosonate K.331 第Ⅲ楽章[Alla turca]トルコ風
つまり、この装飾音の音はトルコの軍楽隊の行進の時に演奏されるスネヤードラムの真似なのである。
装飾音のパラパラというarpeggioの音が小太鼓に装着されたスネヤーの音を表している。
昔々は、実際にPianoのpedalにスネヤードラムの太鼓の音を出す機能を持ったピアノも、大量に作られた。その現物の一台は武蔵野音楽大学の楽器博物館で見ることが出来る。
また、実際にそのPianoを使用して、Mozartのトルコ行進曲を演奏しているCDも、各メーカーから色々発売されている。(残念ながら、私は持っていないが・・。というか、本物の音は大学で何度か試演させていただいたので、興味が無い、という事だ。)
この文章ではforte-pianoの歴史やその奏法については、書かない事にします。
他のPageではありますが、forte-pianoについての文章は、同じ文章の繰り返しになってしまいますので・・・。
period奏法はより高度なlectureになるので、別の解説のPageを参考にしてください。
出版譜 1Page目
Mozartのoriginal譜(appoggiaturaの記譜)をfinaleで入力した楽譜
上記の手書きの譜面でも分かるように、Mozartの時代には非和声音を前打音で書き表す慣習がありました。
これはbaroque時代のbasso continuo(通奏低音)の譜面を書いた時の名残です。
その演奏譜
この前打音は、appoggiatura(長前打音)と言って、本来は、装飾音ではなく、 bezifferten Bas(所謂、通奏低音)で非和声音を表す時に、和声の中の音と間違わないように、倚音である事を表すために書かれた装飾音です。と言う事なので、当分割されます。
8分音符は、非和声音のappoggiaturaで分割されて16分音符のbeatになります。
と言う事で、正しい弾き方は次のようになります。
間違えた弾き方
高校生の時に、憧れのPianoの神様が演奏するMozartの演奏のRecordを買う事が出来たのですが、なんとその神様、Wilhelm Kempffの演奏では、MozartのTurkish
Marchを次のように演奏していたのですよ。
超、Shockだったのですよ??
「そりゃあ、ないよ??」
この時代は、未だperiodへの考え方が一般的ではなかったので、(長前打音)appoggiaturaという考え方が未だ一般的ではなかったのです。だからWilhelm
Kempff先生は、(短前打音)acciaccaturaで弾いてしまったのですよ。
間違いの例の次いでに、現代風に前打音を前に出して演奏する、とんでもない人達もいます。その人達の演奏を書くと上の楽譜のようになります。言語道断です。
論外ですよ。
下の2小節目の和音を、下の譜例のように演奏する人達がいます。
Mozartの時代では、未だ多声部書法が残っているので、上の楽譜の演奏が正しい演奏になります。
5小節目からの装飾音は、schleiferと言います。
schleiferには次のような例があります。
Cembaloの奏法では、legatissimoの意味になります。
歌ではportatoのように、音を繋げるという意味があります。
下の演奏例では、一番上の演奏をする場合が一番多く見受けられると思いますが、それは現代奏法であって、Mozartの時代にはなかった奏法になります。
②と③は、どちらも正しい奏法なのですが、真ん中の②番目の奏法の方がより一般的ではないでしょうかね??
③は3連音がゆっくり過ぎて、装飾音という感じが弱くなってしまうかもしれませんよね??
いよいよTurkish Marchのsnare-drumのpassageです。
細かい装飾音はsnareのrollを意味します。
通常は、下の譜例のように、装飾音を前に出して、拍頭を出す弾き方をしますが、その場合には、当然、装飾音が前の小節に送り出されてしまいます。その場合によく起きる初心者の間違いが、次の例になります。
①上の段の例は、装飾音を前に出した場合の例です。modernな奏法になります。
通常の場合には、この弾き方をしているのでは・・と思います。
②段目の例は、装飾音を次の拍の頭に合わせた例になります。古典派のperiodの奏法になります。
この奏法で難しいのは、1拍目の裏拍のrhythmがbeatに正確に打つ・・という事なのです。(1拍目の裏のrhythmが遅れ気味になってしまいます。)
いずれも、正しい例です。次は間違えた演奏の譜例になります。
楽譜で書くと、何が何だか分からない楽譜になりますが、ようは、装飾音が前の拍に噛み込まれないので、装飾音の分だけが遅れて演奏してしまうという初心者が犯しやすい間違いの例です。
次の例は正しい弾き方なのですが、難しい所は、装飾音の頭の音が拍頭なので、次の2拍目がずれないように、弾く事です。
これは以外と難しいのですよ。
右手が分散音になると、左手の3連音は、16分音符に噛まないと、tempoが遅れてしまいます。
次の譜例も初心者が犯しやすい、間違いを音符に直したものです。
②番目の例は、正しい弾き方をもっと簡略化して演奏した例です。初心者の場合には、最初はこの弾き方で良いと思います。
華やかなCodaの部分を、実際の弾き方の譜例にしたものです。
楽譜に書くと、こんなにも難しくなってしまいます。
Turkish Marchとは決して簡単な曲ではないのですよ。
殆どの人達は勢いで弾いているだけなのではないのかな??
試しに、ゆっくりと弾いて見て、弾けるのか、試して見ると良いと思いますよ??アハッ!??
以上はMozartがこのTurkish Marchで使用した装飾音の弾き方を解説したPageの復元になります。
ヨーロッパの社会とオスマン帝国の関わりは、とても長い中世時代の十字軍からの因縁があって、とても複雑です。
MozartがこのTurkish Marchを書いた経緯は、オスマン帝国との長年の戦争が終わって、空前のトルコ・ブームが起きていた時代でもあります。
そもそも、Wienとトルコ、所謂、オスマン帝国は、中世の十字軍の時代からの、長い敵対関係にあって、逆にオスマン帝国がWienに攻撃をして、Wienの町が、トルコ軍によって包囲されるという歴史が度々起こった事が、Wienのトルコとの関係なのです。
トルコとWienの戦争への経緯を説明する事は、長い歴史の中で、複雑怪奇に絡み合って、Wienだけではなく、十字軍に参加した色々な国と、オスマン帝国の歴史が絡んでいて、理解する事は一筋縄では行かない困難を伴います。
それを筋道を立てて、説明するだけでも、一大論文になってしまう程なので、私はそれを説明する気はないし、また、勿論、私は歴史学者でもないし、ここでWienとオスマン帝国の歴史を解説する気もないので、Wikipediaより、大まかなあらすじだけを説明しておきます。
オスマン帝国によるWienの町を取り囲むような大攻撃は、二回行われた。
それぞれを、第一次Wien包囲網、第二次Wien包囲網と呼ばれていて、第一次Wien包囲網( Erste Wiener Türkenbelagerung)は、1529年、スレイマン1世率いるオスマン帝国軍が、2ヶ月近くにわたって神聖ローマ帝国の皇帝であり、ハプスブルク家の当主、オーストリア大公カール5世の本拠地であるWienを包囲して戦った戦争で、その時には、オーストリア軍の頑強な抵抗により、なんとかWienの陥落だけは免れる事が出来た。
次の第二次Wien包囲網は、1683年のオスマン帝国の大規模なヨーロッパ進撃作戦になる。
オスマン軍はWienを大軍をもって攻撃したが、結果は、包囲戦の長期化で、反オスマン帝国を持って結集した中央ヨーロッパ諸国連合軍によって包囲を打ち破られた。
この包囲戦を契機にオーストリア、ポーランド、ヴェネツィア、ロシアらからなる神聖同盟とオスマン帝国は16年間にわたる長い大トルコ戦争に突入した。(以上Wikipediaより抜粋)
オスマン帝国との戦いでは、同時に色々なトルコの文化がWienに入って来た。
その一番のものとは、多分、コ-ヒーではないでしょうかね??
第2次トルコ戦争で、Wienから撤退したオスマン帝国軍が日ごろ飲んでいた珈琲豆の袋が多数残されていたのを、ためしに飲んでみたWien市民は、やがて珈琲が好きになって、現在ではWienの街中いたるところにカフェがあります。
J.S.Bachは、1683年の第二次Wien包囲の2年後にドイツ中部で生まれて、Bachが30歳を越えた時期には、ドイツの音楽界にもトルコ軍楽の影響が濃くなってきました。Bachは35歳ごろ多数の「世俗器楽曲」を作曲しましたが、それらの中に
《G線上のアリア》 で有名な 《組曲第3番》 があります。この作品は、当時のトルコ軍楽ブームを反映してティンパニやトランペットを含む構成になっており、Bachはそれら新しい楽器を生かしてダイナミックな音楽を創造するのに成功しました。
私が指揮をしているKaffee-cantataの練習風景です。
また、BachはLeipzigにいた1732年ごろ Kaffee-cantata という世俗cantataを作曲しました。
これは、当時トルコから伝えられて大流行した珈琲のことばかり考えている若い娘をテーマとした10曲からなる音楽物語です。
当時Leipzigでは珈琲店が大人気になっていましたが、このcantataはそれら珈琲店の中の舞台や庭で盛んに演奏されたということです。
Mozartも、第二次Wien包囲網の73年後の1756年にオーストリア西部のSalzburgで生まれました。
この時代にはヨーロッパ諸国のトルコ音楽ブームはBachの時代よりさらに高くなっており、Mozartの作曲活動にも大きな影響をあたえました。
Mozartは、1775年、19歳のときヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219を作曲しましたが、その曲の第3楽章にはトルコ風の行進曲が挿入されていることから、「トルコ風」
という名で呼ばれています。
また、1783年ごろには、Mozartはピアノ・ソナタ11番イ長調K331を作曲しましたが、この作品の第3楽章はトルコ行進曲風のロンドになっているため、この曲は通常
《トルコ行進曲付き》と呼ばれています。
1783年が第二次Wien包囲網から100年目にあたるので、Mozartはそれを記念して「トルコ行進曲」を作ったという説があるそうです。
また、この時代には、トルコ音楽ブームに乗って 「鳴り物付きのPiano」 が数多く生産されたそうです。
専用の鳴り物のpedalを踏むとその楽器の音が鳴って、シンバル付きのPianoでは、トルコの軍楽隊の行進曲の響きを再現する事が出来たそうです。
また、Mozartは、オペラの分野でも、トルコの後宮を舞台としたOperaを作曲しました。
有名な後宮からの誘拐です。
このOperaは、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世の依頼により作曲されたもので、Wienのブルク劇場で初演され大成功を収めました。
トルコの音楽ブームはMozartのみならず、Beethovenも幾つかのTurkish Marchを作曲しています。
Beethovenは、第二次Wien包囲の87年後に当る1770年に現ドイツ南部のボンで生まれました。
ヨーロッパのトルコ音楽ブームはこの時代もまだ続いており、Beethovenもトルコ音楽の影響を受けた作品を何曲か残しています。
その一つは、1809年に作曲した 《6つの変奏曲Op76》 というピアノ曲の中にトルコ音楽風の行進曲を挿入しました。
その曲は、1812年に作曲した劇付随音楽 《アテネの廃墟》 にオーケストラ作品 《トルコ行進曲》 として転用されました。
また、Beethovenの中期の交響曲、第3番にも、トルコ音楽の影響が見受けられます。
この交響曲の第4楽章は自作のバレエ舞曲 《プロメテウスの創造物》 からの主題と10の変奏曲で構成されていますが、その中に付点のリズムを持つ力強い行進曲があります。
そのexoticな曲風は、当時流行のトルコ軍楽を取り入れたものとされます。
Beethoven後期の傑作 《第九交響曲》 終楽章には、トルコ風の音楽が挿入されています。「歓喜に寄す」 の独唱・合唱が第3節まで進んでから休止した後、ファゴットとコントラファゴットに先導されて
「第九のTurkish March」 と呼ばれる行進曲が始まります。フルートとピッコロがメロディを奏で、テノールのソロがそれに加わります。
やがて、ティンパニ、シンバル、トライアングルが加わって行進曲を盛りたてて行きます。
交響曲の父といわれる作曲家Franz Joseph Haydnは、第二次Wien包囲の49年後の1732年にハンガリーとの国境に近いオーストリア東部で生まれました。
Haydnが晩年の1794年に作曲した交響曲第100番 《軍隊》 の中には、トルコ軍楽風にティンパニ、シンバルなどの打楽器やトランペットを使った行進曲が挿入されています。
これらの作曲家達のトルコ・ブームからの影響とTurkish Marchを列挙する事は、余りにも曲数が多いので無駄な事に思えます。
大作曲家の3人だけをあげて説明をしましたが、これで当時のMarcia alla turcaの説明は、充分なのではないのかな?
音楽史や作曲家の影響、時代の歴史を述べる事は、教科書を丸写しするようなものなので、非常に不本意なのですよ??
何も私が、説明する事もない・・歴史的な事実なのでね??