日本のアンサンブル教育について

 

[日本の音楽の歴史とヴァイオリン教育]
私が、日本の音楽の歴史を、お話する時に、一般の方達がよくびっくりされる事があります。

それは、一般的に思われているヴァイオリン(弦楽器)の歴史です。

一般的には、ヴァイオリンは、二次大戦後の昭和24年以降に、松本市と鈴木真一先生の努力で日本に初めてヴァイオリンの教育が日本に入ってきた、という思い込みです。

戦前にはPianoは日本に明治時代から入ってきたのだが、ヴァイオリンは日本には導入されなかった、という一般的な感覚です。

勿論、鈴木先生と従兄弟の鈴木ヴァイオリンが世界に先駆けて分数のヴァイオリンを安価に手軽に手に入れられるようにして、戦後の貧しい日本の教育界にヴァイオリン教育で大きな功績をもたらした事は、事実であり、それ自体は大変素晴らしい事でその功績を否定する気はありません。

しかし、その戦後の鈴木先生のお話はさておいて、此処で私が述べるのは、明治時代からの日本のヴァイオリンの歴史のお話です。

初めて日本に西洋の音楽が導入されたのは、明治時代の「音楽事始」からですが、現在では、その時にピアノの音楽が主流として導入されているように思われていますが、それは当時の時代の把握がちょっと違います。

当時は、まだピアノは歴史が浅く、発展の途上であり、量産されていなくて、手作りでヨーロッパでもピアノは非常に高価な楽器であったのです。

「音楽事始」は政府が指導する教育改革なので、まづは学校に西洋の楽器を取り入れて西洋の物まねで教育を始めました。

とは言っても、当時は長い鎖国から目覚めた貧しい国、日本が世界に追いつけという時代であって、富国強兵が政府の基本方針だったのです。当然、政府のお金の大半は軍備に向けられて、教育にかけるお金はほんのお義理程度のたいした金額ではありませんでした。

当然、ピアノを学校に買う予算はまったくないので、非常に単純な構造を持つ粗末な足踏み式のブカブカ・オルガン(それも45鍵もあればよいほうかな?) が学校の標準の備品でした。

私の小学生の時代、戦後の昭和20年代や30年代の夕日ヶ丘の時代でも、まだ、(私が暮らした人口4万の田舎町でも、) ピアノは町 (それでもちゃんとした市でしたけれどね。) に2台しかなく、小学校の講堂に1台と中学校の講堂に1台というほど、珍しかったのです。

というわけで、明治、大正、昭和の初期を通じて、日本では(ピアノが当時は非常に高価であったという理由から)一般の家庭に、ピアノがある事は極々稀な事で、一般の家庭では教育用の楽器としては、ヴァイオリンが主流として、ヨーロッパから輸入されてきたのです。

そういった風景は、明治、大正の文豪達の作品にも、よく描かれていて、文芸作品のいたる所に、「夕方の巷の家々からヴァイオリンの音が聞こえてくる」 という描写を見受ける事が出来ます。

しかも、そういったブームに後押しされて、又、当時は著作権の問題もなく、今ですら出版されていないPianoの本ではなく、ヴァイオリンの名曲集や教則本等が、戦前、多くの出版社から出版されていたのです。

東京の芦塚音楽研究所の事務所や、私の自宅には、今では目にする事の出来ない、(今ではその出版社さえありませんので、)そういった珍しい戦前、戦後に出版された貴重な(所謂、海賊版の)楽譜がたくさんあります。

(但し、それ等の楽譜の価値は、今ではその同じ楽譜が外国の出版社から手軽に手に入れることが出来ますので、あくまで参考資料としての価値しかありませんがね。)

 

 [日本に弦楽器が定着しなかったその理由]

明治、大正、昭和の初期に、一度はそれだけ各家庭に浸透したはずのヴァイオリンなのですが、どういうわけで人々から忘れ去られてしまったのか、それは私が初めて、大正時代に出版された楽譜を神田の古本屋で見つけた、まだ音楽大学に在籍していた頃からの疑問でした。

その疑問は、私が留学をして、ドイツの一般家庭の音楽との関わりに触れる事によって解決しました。

それは日本の音楽教育界が音楽を導入した経緯にもその理由が見出されるのです。

日本人の教育に立ち向かう姿勢は、今も昔も本質的に変わりません。

学校教育や塾などでも、親や子供自身が、常に1番(トップ)を求めるという姿勢は、今の学校教育を見ても、いつまで経っても去ろうとしない塾ブームにしても良く分かります。

つまり、日本人の教育にとっては、1番はあっても2番はもうないのです。

 

そういった日本人気質から、当然、一人でお山の大将を決め込むピアノは日本人の気質に合っているといえます。

と言うわけで、ヴァイオリンはアンサンブルの楽器としてではなく、soloのための楽器としてのみ日本に入って来たのです。当時は伴奏付でヴァイオリンが演奏出来るという事は、例外的にですら、あまりその機会は無かったのです。

しかし、伴奏のないヴァイオリンなんて、飲み屋の酒場の流しのヴァイオリンとあまり変わりません。(・・って言っても、大道芸人なんて分からないか・・・?)

今現在でも、一般的には、弦楽器や管楽器の伴奏合わせは、本番の時と、発表会の当日の午前中にやる本番直前の1回きりのリハーサルだけです。

運よく練習の予定が取れたとしても、本番の1週間ぐらい前に、一回のみ合わせをするけれども、音楽教室の場合には、伴奏者の都合で、練習時間は一人当たり3、4分がいいところでしょう。

と言う事は、通し練習で、1回通せるか、2回通せるか、だけでしょうかね?

しかし、それではアンサンブルを学んだとはいえません。

(音楽大学の受験でも伴奏なしで受験する方が多いのですから・・・!)

そういった日本独自の音楽に対する考え方や、当時の日本を取り巻く諸事情もあって、当然、日本では、室内楽の曲は一度も出版されませんでした。

(だって、当時はヴィオラもチェロもいなかったわけですからね。極まれに、もし、ヴィオラやチェロを勉強している人がいたとしても高度な室内楽の曲は弾けるレベルではありませんでしたからね!)

当然な結果として、だんだん天上天下唯我独尊のピアノに押されて尻すぼみになって、最後の軍国主義の時代になって、それこそ音楽を勉強している人は軟弱な非国民だとして目の敵にされるようになって、自然消滅していったのです。

ドイツではヒトラーがワーグナーの墓参りをするとか、音楽を前面に出して、ワルキューレのテーマで軍国主義を鼓舞していきました。

つまり、ヨーロッパでオーケストラや室内楽の歴史が途切れる事は無かったのです。

現代ではプラトーンのヘリコプターのシーンとか・・・!

まっ!それはいいでしょう!

 

 [マイスターとしての考え方]

ドイツはマイスターの国です。

ですから、自分の技術を非常に誇りにしている国でもあるのです。

ですから、肉屋になるにも、靴屋になるにも、小学校の4年生の時に、子供達は自分の人生を決めなければならないのです。

そして、大学に進む人(学者になる人)だけが、ギムナジウム(中・高一貫校)に進学します。職人になる子供達はハンデルシューレ(職業の専門学校)に進みます。

それは後戻りの出来ない、厳しい選択です。

一度、ハンデルシューレに行った生徒がギムナジウムに編入する事は殆ど不可能だからです。

私も留学中に何度も質問しました。

「小学校の4年生で一生を決められるのですか?」

「それとも、親が決めるのですか?」

ドイツ人のお父さんは、自信に満ちた態度で、「ドイツの子供達は小学校の4年生になると、ちゃんと自分自身で将来の事を決められるのだよ!」と答えていました。

私が何度か「ドイツ人のカプラン(副司祭)につれられて、遊びに行ったユーゲント・クラブ(町の子供会のような自治会です。大人抜きの・・ね。) で でも、確かに、子供達だけで見事に自治会を運営していましたがね。

それとは別に、子供達だけの内輪のパーティにも呼ばれていった事があります。

子供5、6人ぐらいのホーム・パーティです。

そこでも、15歳ぐらいのリーダーが「今日は、君が主人(ホスト)で、君はハウス・フラウ(ホステス=接待役)だよ!」 と てきぱきと指示していました。

ホスト役の12歳ぐらいの少年が一生懸命私の接待をして、それにリーダーの少年がサポートを上手に入れる。

ホステス役の女の子が台所から、サンドイッチや紅茶と運んだりしてかいがいしく世話を焼く。

「こうやって、大人への勉強をしていくのだ!」と驚いて感心してしまいました。

それにつけても、日本人の子供達の幼い事!!

大学生になっても、まだバーブーなのだから・・・!!

ドイツの教育に於ける根幹はそうした専門の教育、マイスター(所謂、専門家)を育てるための教育だと言う事が出来ます。

 

当然、音楽大学でも同じことなのです。

ピアノのソリストはソリストとしての教育を受けます。

ピアノの伴奏者は伴奏科に進みます。

ドイツでは、ピアニストが伴奏する事はないし、伴奏者がsoloをする事もありません。

餅は餅屋」という考え方なのです。

名ピアニストで名伴奏者の呼び声の高いイエルク・デムスがいます。

しかし、ピアノが主導権をとっている Schumannの「詩人の恋」などでは、まだ良いのですが、歌に主導権がある Schubertの作品では、ピアノがとても重過ぎるのです。

ですから、やはり、伴奏の専門家であるジェラルド・ムーア氏の軽やかなピアノ演奏の方がSchubert等のリートでは、快く響きます。

「うるさくはありませんか?」 というタイトルで、色々な歌い手との共演のお話を書いたエッセイの名著もあります。

ビルギット・ニルソンもワーグナー・ゼンガリン(ワグナー歌手)として歴史に名を成す世紀のドラマティコ・ソプラノの歌手ですが、リリコの歌(リート)を歌わせたら、おそらく世界最高のリリコ歌手だと思います。

しかし、絶対に歌わないのよね!これが!

私はドイツ留学中に、ラジオの放送で、女性歌手が、4時間ぐらいの(6時間?)おしゃべりの番組で色々とお話をしながら、リートやMozartの歌曲などを歌っているのを聞いて、それこそ、腰を抜かすほど驚いてしまいました。

その当時、私が知っている限りで、そんなに上手なソプラノのリート歌手がいる、という事は知らなかったからです。

当時、世界最高と呼ばれていたリリコの歌手達よりも、遥かに上手だったからなのです!

ドイツのアナウンサー(インタビュアー)が、質問をして、「あなたは、リートが好きなようですが、リートのレコードは出さないのですか? リートの演奏会はしないのですか?」 と質問をしていました。それに対して、ニルソンは「リートは私の趣味ですから・・。」 と、軽く往なしていました。そこはプロのプライドなのです。

 

そういったわけで、ドイツのヴァイオリニストがヴィオラを弾く事はないし、ドイツのヴィオラ奏者はヴァイオリンを弾く技術が足りなかったから、ヴィオラに転向したわけでもないのです。

あくまで、ヴィオラの音に魅せられて、ヴィオラ奏者をやっているのです。

そこが日本のヴィオラ奏者と違う所かな!?

しかし、日本の音楽社会でも、一旦、音楽大学を卒業して、音楽界で仕事をしようとすると、ヴァイオリンの技術が足りないから、ヴィオラに転向したような技術では働く事は出来ないのですよ。だから、当然、ヴァイオリン科の卒業生で、しかもヴィオラも弾ける音楽家に仕事が回っていくようになります。

 

もっと言うと、ヴァイオリンにもbaroqueviolinの奏者がいて、これまた、baroqueviolinの専門家がいるのですよ。

日本人の好きなメルクスのような何方不付(どっちつかづ)のbaroqueviolinの奏者ではなく、もっとちゃんとした本格的な専門家がね。

そして、或いは普通のヴァイオリン奏者にすら、室内楽の専門家がいて、オーケストラ専門のコンサートマスターもいます。

又それがそれぞれ専門の分野なんだな!これが・・・!!

室内楽をやる人が、soloの演奏会をやる事は殆どないのだよ。

それは、音の違いや勉強の違いから来るのです。

もっと言えば、音程(pitch)の違いや、音色の違い、表現の違いにもなってくるのです。

(そこまで行くか?・・・行くンだな! これが・・・!!)

 

[虐げられた楽器ヴィオラについてのお話]

本来は楽器の音にはviolinにはviolinの音があり、violaにはviolaの音がある。

決して、低い音を出すヴァイオリンではないのです。

楽器の生い立ちから言えば、ヴァイオリン族はヴァイオリンだけで、ヴィオラはガンバ族とも言われているし、ヴィオラ・ダ・ブラッチョのブラッチョ族とも言われています。

チェロはビオロン・チェロと言われるビオロン族ですし、コントラバスも基本的にはビオロン族になります。

ですから、起源の楽器は皆違うのですよ。

歴代の作曲家達の多くは、自分がヴァイオリンを演奏する事よりも、violaを演奏する事を好みました。室内楽を作曲して試演する時に、曲全体を見渡すという意味に於いて、violaのpartの方がすこぶる都合が良かったからです。

ちなみに、私の師匠であるGenzmer先生の師匠であるHindemith教授は歴史上有名な作曲家であると同時に、世界第一のクラリネット奏者であり、師匠のHindemithのクラリネットconcertoの初演をしている。又20代で飯が食えなかったときには、オペラ座でセカンドヴァイオリンの奏者をしていた。先生の華やかな人生の転機はHindemithの歌曲「マリアの生涯」の伴奏者が演奏会の前日に熱を出して寝込んだときに、Genzmer先生の所に電話が突然あって、「伴奏が出来るか?」という問い合わせがあった。演奏時間は2時間ほど掛かる大曲だったので、「30分程待ってください。」 と言って完全に覚えているか、目を瞑って曲のcheckをして、大丈夫だったので、OKを出した。その演奏会で評価されて、大学の作曲科に教授として就職することが出来たそうです。

その話は長くなりますので、又いつかお話しましょう。

 

人間、歳をとると、ヴァイオリンのような華やかな音よりも、落ち着いたいぶし銀のような渋い音を好むようになる。

私も日本の音楽大学に在学中は、他の日本人の音楽家と同様に、ヴィオラはヴァイオリンの低い音を出す楽器だとしか把握していなかった。

Muchenの国際コンクールのヴィオラ部門で、世界中のヴィオラ奏者のBartokのviolaconcertoの演奏を聞いて以来、(ヴァイオリンの低い音ではない) 本当の重厚なviolaの音に感動して、それ以来、子供達とのオケ練習では、violinではなくviolaをよく弾きます。

ヴァイオリンの音と違って、歳ととった私にとっても耳に優しいし、オケの中心にいるから、全体をよく聞く事が出来るからです。

 

先ほどの話に戻るのですが、音楽大学の受験ではヴァイオリンで受験をしようとする生徒が、Violinで私立か、violaで国立かという選択を強いられる事がよくあります。

合否のボーダーラインがヴァイオリンとヴィオラでは違うからである。

それもviolaが軽く見られる原因の一つになってしまっている。

しかし、社会に出ると話は逆転する。

音楽大学ではヴィオラ科の生徒は、そういったヴァイオリンでは合格が出来ないレベルの低い生徒を集めてしまうから、実社会では音楽の演奏活動が出来る様な技術を持った優秀なviola奏者がいなくなってしまうのである。

当然、ヴァイオリンでは、演奏活動の仕事がなかなか見つからないのだが、逆にヴィオラは現場では、演奏者が見つからない、と言う皮肉が起こる。

一般ではヴィオラは単にヴァイオリンが大きくなっただけの楽器と思われがちで、ヴァイオリンを弾ければviolaは簡単に弾ける、と思われているのだが、実際にはヴァイオリンの奏者はヴィオラを演奏出来ないのである。

そのネックになっているのは、ヴィオラ譜が読めないという事である。(勿論、それだけの理由ではなく、楽器が大きくヴィオラを持つことが難しいからでもある。)

では、餅は餅屋で、ヴィオラはヴィオラ奏者が弾けばよさそうであるが、先程お話したように、ヴァイオリン選科では、大学にいけない生徒がヴィオラ科に入るので、ヴィオラ選科のヴィオラ奏者はヴィオラの演奏が下手で、オケや室内楽のlevelを下げてしまう。

また、ヴィオラの高音域はヴァイオリンの音域と殆ど同じで奏法もあまり変わらないが、低音域の演奏法はヴァイオリンとヴィオラはまったく違う。(これは奏法のお話なので、ヴァイオリンと同じ音域の音だとしても、胴体の体積が違うので、音の深みが全く違うので、同じA線、D線、G線の音でもヴァイオリンとヴィオラでは全く違った音がする。

しかし、ヴァイオリン奏者はヴィオラのA線の音のimageしかないので、ヴィオラのA線を弾くときにでも、ヴァイオリンのA線のimageで演奏してしまう。)そのためにヴァイオリンの奏者が演奏したヴィオラは、ヴァイオリンの音しかしない。

ヴィオラ独特の深みのある低音の響きがしないのである。

勿論、そんなlevel(ヴィオラはヴィオラの音というlevelだよ。) でヴィオラを追求する音楽大学は日本にはないのだがね。

そんな事を言うと、「ヴィオラの音と言っても、ヴァイオリンの音と何が違うのよ?!」 と音大の先生に、怒られそうだね。

くわばら!くわばら!

 

[ヴィオラの話 続き C子の話]

幼い内から、教室でヴァイオリンを習い始め、音楽大学に入学した生徒がいます。

オムツも取れていない頃から、教室の生徒であったC子は、小学校の4年生、5年生までは、ピアノ伴奏のsoloの曲だけではなく、オケや室内楽も積極的に参加して、一生懸命練習して、小学生の1、2年の時の早い時期には、既にviolaのlessonも受ける等、とても音楽の勉強に熱心な優秀な生徒でした。

しかしその後、家庭の教育方針が変わったことによって、塾を中心にして、進学に専念する事になりました。

当然、その後は、オケや室内楽に参加する事はなく、家での練習も程々に、レッスンに来るだけの、完全な趣味組として教室に在籍していました。

しかし、他の生徒同様にご多分に洩れず、やはり高校2年生の夏になったときに、「どうしても音楽大学に進学したいから。」と私に泣きついてきました。

 

まあいずれにしても、高校2年生の時にC子がそう言ってきたときに、私は「どうしても、音楽大学に行きたければ、音楽大学には入学させてあげるけれど、その後、授業について行けるかどうかは、私は関知しないよ。」

「君は中学、高校とオケや室内楽には参加していないし、私の特別lessonを受けたわけでもないし、ましてや、教室でも、音楽を趣味として個人レッスンだけを続けてきただけで、専門的に勉強してきたわけではないからね。」といいました。

それでもC子は 「もし、音大に入学させてもらえれば・・、後はなにも言いません。」と言って、懇願されたので、仕方なく、高校生活の残りの1年半で、何とか音楽大学に入学させました。

ですから、当然音大に進むのならば、最初から身に付けておかなければならない、基礎的な技術を教室で勉強してきた分けではない彼女なのですが、泣きつかれると、如何せん弱いものです。

でも、音楽大学やコンクールの受験基準はプロになるための基準とは違って、技術の減点法です。

重箱の隅を突っつくように、欠点を潰して(克服して)いけばよいのです。

という事で、無事に憧れの音楽大学に入学する事ができました。

 

ところが、音楽大学に入学して1,2年後のお話になりますが、C子が再び 「どうしてもAオケに入りたいから、何とかして!」と言って、またぞろ私の所に泣きついてきました。

 

音楽大学には、音楽大学を背負うorchestraがあります。

通常私達はAオケと呼んでいます。

音楽大学のなかのベストメンバーを集めたorchestraで正規の授業の中で、教授達から指導を受けて、音楽大学の公開の演奏活動をします。

勿論、AオーケストラがあるからにはB orchestraもあります。

教育科の第二楽器(教職を選択した学生は主科の楽器の他に、第二楽器を選択しなければなりません。教育科のピアノ専攻の生徒が第二楽器を選択するので、その楽器で演奏するオーケストラです。)のオケをBオケと呼んでいる学校とAオケに入れなかったメンバーを集めたものをBオケと呼んでいる学校もあります。

いずれにしても、AオケとBオケでは比較には、なりません。

C子の行っている音楽大学では入学試験の実技の成績が、ベスト・ワンとベスト・ツーで入学した生徒は一年生の時から特待生扱いで、外人教授に師事する事が出来ます。それと同様にA orchestraにも、2年次になったときから参加できるのです。

弦楽器の生徒達が二年生になった時には、その次の成績(この場合には入学試験の成績ではなく、1年次の実技の成績が、最初の2人を除いた成績が1番と2番の生徒)の2人が、今度は外人教授に師事する事が出来て、3年次になると同様にAオケに入る事ができます。

以下同様に、3年生になるとその次の2人、つまり合計6番目の生徒まで外人教授に師事する事が出来て、最後のグループは1年間だけですが、それでもA orchestraに参加することが出来るのです。

しかし、彼女の成績は真ん中からちょっと上の7番目で、それでは大学在学中の4年間の間ではAオケに参加する事は出来ないままに卒業しなければなりません。

・・と言う事で彼女は、私の所に、「どうしてもオケに入りたい。」 と、泣きついて来たのです。

 

私が「本当は、先生としての私の立場上は、ある方法をあなたに勧める分けには行かないけれど、あなたがお友達に恨まれてもいいから、どうしてもAオケに参加したいと言うのなら・・・、方法がなくもないけれどね。」 と、いうと、C子は「何が何でもAオケに入りたいので、入れる方法を教えてください。 お願いします。」 と言うので、彼女にorchestraのオーディションを専科のviolinではなく、violaで受けさせました。

 

つまり、通常はヴァイオリン専科の音大生で、violaを弾ける学生は殆んどいないのです。

つまり、ヴァイオリンの学生にとっては、ヴィオラが弾けるという事は、その生徒が小学校、や中学校の時のヴァイオリンのlevelが相当に低いという事の証になってしまうのです。

つまり、ヴァイオリンの技術が一番上手い生徒は第一ヴァイオリン、その次に上手い連中はセカンド・ヴァイオリン、「ヴァイオリンでオケに参加するのは無理だけれど、ヴィオラを弾くのならオケに入れてあげてもいいわよ。」ということで、オケでヴィオラを弾いている生徒達は、中学生や高校生の時、学校のオケでヴァイオリンで参加出来なかった技術が足りない生徒だったのです。

また、音楽大学を受験する生徒も、先程述べたように、ヴァイオリンで受験をすると合格出来ないので、ランクを下げて、violaで受験するのです。

という事で、ヴァイオリンの生徒が「ヴィオラが弾ける」という事は、その生徒がヴァイオリンが上手くなかったという事を認めているのと同じ事になってしまうのです。

 

音楽大学では、それほど虐げられたヴィオラ科ですが、ヴァイオリン専科の生徒は、残念ながら、ヴィオラの譜面を読めないので、そこに幾らヴィオラが下手でも、ヴィオラ科の生徒のヴィオラ科という所以(I dentity)があるのです。

そこへヴァイオリン専科のC子が、専門のヴァイオリンではなく、ヴィオラでオーディションを受けると言う事は、軽量級のボクサーの試合の所にヘビー級のボクサーが殴りこんで来るようなものです。ヴァイオリン専科のC子と、ヴィオラ専科の学生は、所詮楽器の演奏技術のlevel(ランク)が違うのですから。しかも、私達の教室の生徒なので、当然、ヴィオラ譜も普通に何の苦労も無く読めます。

と言う事は、ヴィオラの学生だけではなく、当然ヴァイオリン専科の学生にも、白い目で見られるのは当たり前です。

喉元を過ぎた彼女が 「近頃、周りの人達の視線が、とても冷たいのだけれど、私、何か悪い事をしたのかしら?」 と、言っていたので、「そう!皆に、とっても悪い事をしたのだよ!」と、話しておきました。

まあ、その後のお話ですが、彼女は周囲の冷たい視線を物ともせず、大学の代表になって、室内楽の公開演奏会で大学の看板を背負って演奏旅行をしました。本来的には、ヴィオラ科の院生がするべき演奏旅行だったのですがね。

後、後、教授会で(ヴァイオリン科の生徒をヴィオラのオーディションから外すかどうかという)大変な問題になったそうですが・・・。

(当たり前でしょう?ヴィオラの教授の顔を潰してしまったのですから・・・!)

 

[ヴィオラの話を本題に戻して]

先ほども同じ話をしましたが、皮肉な事に、音楽大学ではこれほど虐げられているヴィオラですが、社会に出ると話は(いつもの通り)逆転するのです。

フル・オーケストラではホルンの上手なオーケストラは良いオーケストラであるという通説があります。

同様に上手なヴィオラ奏者が集まっているオーケストラは弦楽器がとてもよく響きます。

室内楽でも上手なヴィオラ奏者のいる室内楽はグンバツにうまいのです。

という事で、オーケストラも弦楽アンサンブルも常に上手なヴィオラ奏者を求めています。クラシックだけではなく、マスコミ系のpopularのオケも同様です。

ですから、ヴァイオリンの奏者とヴィオラの奏者が同じ技術を持つと仮定すれば、ヴァイオリンの就職は難しくとも、ヴィオラの就職は差ほど難しくはありません。

しかし、現実的にはヴィオラの学生はヴィオラが下手なので、就職が難しいのは当たり前の話です。もし、ヴァイオリンの学生が在学中から、ヴィオラ譜を読んだり、ヴィオラを弾きこなす練習をしているのなら、就職には困らないはずなのですがね。

ここでも、ヴァイオリン一辺倒の(ヴァイオリン以外は楽器ではないというような偏った)音楽大学の先生達の音楽教育が、如何に音楽の現場を知らなさ過ぎていて、学生の就職先にも影響を与えているのか、音楽大学の中だけの常識(アカデミズム)にこだわっているか、呆れてしまいます。

 

[ピアノのアンサンブルについて]

ヴァイオリンとヴィオラについてお話を勧めてきましたから、此処からはピアノのお話を中心に進めて生きたいと思います。

 

私も若かりし頃は、まだ体力もあったので、全国の色々な音楽教室を回って、子供達や先生方に主にピアノを指導してきました。何で、私がそこまで知名度があったのかって?それは内緒です。

実際に、色々な音楽教室を訪ねてみて、公開レッスンをして、その時にいつも感じていた指導上の問題点は「ピアノという楽器がsoloの楽器であり、一人よがりの楽器であるために、ピアノを学んでいる生徒達だけではなく、指導者である当の先生達も、特にtempoやrhythm感が苦手である。」ということでした。

 

そういったピアノの欠点を克服するためには、tempoやrhythmが人との比較で、簡単にcheck出来て、矯正出来るということです。

ですから、カリキュラムの中にデュオや連弾等のアンサンブルを取り入れれば楽しく学ぶ事ができます。

しかし、私が日本に帰ったばかりでピアノを教え始めた頃は、まだ日本版の連弾曲集は非常に珍しかったのです。

そこで私は、大量に外国で出版されている連弾の曲を片っ端から注文して、子供のレッスン時間の前の生徒、後の生徒と組み合わせる事で、連弾のカリキュラムを始めました。

私が週に2日通っていた音楽学校の音楽教室の生徒達のレッスン時間を、その生徒のlevelで組み替えて前にその生徒よりも下手な生徒、後ろにその生徒よりも上手な生徒と、上手な生徒と下手な生徒をそれぞれに配置して、それぞれの生徒から5分ずつ時間を連弾にもらって(前の生徒から5分、自分の時間5分で10分、後の生徒から5分貰って、自分の時間を5分で10分) 都合、20分の連弾時間を捻出する事に成功しました。

父兄や本人にとってはレッスン時間が10分増えるわけなのでホクホクです。

問題が出る事はありませんでした。
だって、お金がかからずに時間が延びるのですからね!

どうして、前後に連弾を入れたのか?

これはただ単に連弾の経験や時間を多くする為の理由だけではありません。それにはちゃんとした教育上の理由があるのです。

分類上はデュオや連弾はアンサンブルの領域に入りますが、私は、基本的にはデュオや連弾はアンサンブルとは思っていません。

つまり、ヴァイオリンやチェロの生徒がピアノの伴奏で演奏したとしても、それはアンサンブルとは呼ばないのです。

あくまで、伴奏であってアンサンブルではないのです。

という事で、基本的には連弾にしてもヴァイオリンのデュオにしても力関係で上手い人に下手な生徒が引っ張られるだけなので、それを持ってアンサンブルとは呼べないのです。

私も個人的には、真のアンサンブルの勉強はトリオから始まると思っています。

という事で、連弾をアンサンブルの教育にするためには、その力関係をバランスよく勉強するために後輩を引っ張る勉強と上手な生徒に引っ張られるという勉強をしなければならないのです。

 

[今までも何度も試みられたアンサンブルの教育]

ヴァイオリンの鈴木メトードの鈴木真一先生も最初はホーマン教則本を取り入れて指導を開始しました。

しかし、その後、ホーマン教則本は鈴木先生のめがねにはかないませんでした。

確かに、譜読みのためにハ長調から始まるというBeyerと同じような欠点を持っていました。

しかし、それ以上にホーマンの教則本の第二ヴァイオリンのpartは同じlevelの生徒でも弾けるように書かれています。

そこを先生が弾いてしまって、子供を強引に引っ張っていくとアンサンブルの心や技術は育ちません。

鈴木先生は「ホーマン教則本は駄作である。」 と言って、それからそれ以外のデュオの曲(プレイエルやハイドン等) も含めて、二度とデュオの曲集は鈴木メトードには取り入れませんでした。

(勿論、鈴木の教則本の所々に入っている1曲、2曲のデュオの話の事は論外としてですよ。)

鈴木メトードは基本的には、これまでの日本の音楽教育と同じsolo重視の教育なのです。

 

まあ、ヴァイオリンならば楽器の特性上、上手くなればいつかはアンサンブルやオケを勉強する機会に恵まれます。

しかし、ピアノはヴァイオリンとは比較にならないほど、ソロの楽器です。

ソロで始まってソロで終わる。

積極的に努力して、カリキュラムの中に、アンサンブルを取り込まないと、アンサンブルをするチャンスはありません。

むしろ、アンサンブルを勉強出来ると言う事の方が例外的なのです。

連弾の場合には高音域を担当する生徒が常にsoloを担当します。

ですから、必ず高音域、低音域を入れ替えて練習しなければなりません。

伴奏は異種楽器です。

ですから、ピアノ同士の連弾よりももっと学ぶ事が多くなります。

しかし、残念ながら、ピアノ教室でヴァイオリンや他の楽器と合わせられるチャンスのある教室は殆どありません。

 

[伴奏について]

*教室で伴奏と一緒にレッスンをすることについて

一般の音楽教室のヴァイオリン等の発表会等では、子供のヴァイオリンやチェロの伴奏は、ピアノの伴奏専科の先生を雇う事が一般的です。

大人の先生が伴奏をするということについて、疑問に感じられる方はいないと思います。

伴奏ピアニストの商売では、ヴァイオリン教室の2,30名の生徒を一手に引き受けて、練習1回、リハーサル本番での収入は、結構な収入になります。

発表会での見た目は結構かっこいいのでしょうが、(私達の教室では子供同士の方が格好いい、という父兄や先生達が多いので・・) しかし、生徒にとっては、伴奏の先生との合わせによって得れるメリットは少ないのです。

なぜならば、ヴァイオリンの曲は伴奏のpartと一緒で一つの音楽になります。

ですから、子供自身が伴奏のpartを覚えて、ヴァイオリンとピアノの絡め合わせ等を理解して、初めてその曲を理解したといえるからなのです。

伴奏合わせを1,2回やった所で、子供達が伴奏のpartを覚えて理解できる事はないでしょうしね。

子供のヴァイオリンのレッスンの時に、ある程度曲がちゃんと弾けるようになったら、ヴァイオリンの先生がピアノを弾いてあげて、伴奏をしてあげるのが理想的です。

しかし、子供の曲の簡単な伴奏と言っても、伴奏が出来るヴァイオリンの先生はめったにいません。

ヴァイオリン教室では、Pianoの置いていない教室すらざらにあるのです。

私達の教室では、ヴァイオリン専科の先生であったとしても、初歩から中級ぐらいまでのヴァイオリンの伴奏は演奏出来るようにしなければなりません。

私達の教室のヴァイオリンの先生であるための必須条件になります。

 

*伴奏を子供にさせることについてのメンタル的な意味

伴奏は同じ年頃の子供で、技術さえあれば、誰にでもさせるという事ではありません。伴奏をさせる生徒は、伴奏のために必要な技術は当然なのですが、それ以上に伴奏をする人に対しての責任感がなければならないのです。

子供が年下のヴァイオリンの子供の伴奏をするという事は、伴奏する年上の生徒に責任感がちゃんと育っていなければなりません。

年下の生徒は上級生に信頼して頼りにします。

だから、伴奏をする生徒が真面目に練習してくれないと、年下のヴァイオリンの子供のお兄さん、お姉さんに対する信頼がなくなってしまって、伴奏合わせが嫌いになってしまうからです。

そうなると、その生徒の音楽教育そのものに重大な問題が生じてしまうのです。

ですから、教室の生徒に伴奏をさせるという事は、先生がその生徒を如何に信頼しているのかという証にもなるのです。

(しかし、その信頼も間々、(子供自身ではなく親の(学校や塾等の)都合で) 裏切られてしまう事が有ります。

その場合には教室は躊躇なく、その生徒を伴奏者から降ろして、先生や上級生がヴァイオリンの生徒のサポートする事になります。)

教室の発表会やレッスンを見学に来られる方が、勘違いをする事があります。

それは、私が作り出したsystemの形を真似すれば、子供達が出来るようになると思い込む事です。

つまり、「子供達はアンサンブルが好きだから、子供同士でアンサンブルをさせれば音楽が好きになる。」と言うような乱暴な考え方です。基本的には子供同士は協調性はありません。心理学的には子供は協調性は無いのです。そこに、社会の法則として(教室のルールとして)協調性を育てるカリキュラムで指導するのです。

幾ら、「年下の子供の伴奏をするから」と言っても、或いは、「年上の子供に伴奏をさせたから」 と言っても、本当は、思いやりの気持ちや責任感が育つわけではないのです。

そこに、なんのカリキュラムもなければ、或いはそういった教育に対してのconceptが無ければ、むしろ逆に、「伴奏をしてあげているのだから・・」 と言った風なうぬぼれのような気持ちが、生徒や父兄にも生まれてしまう事の方が多いのです。

ですから、発表会の誘導係や、「年下の生徒をエスコートをして舞台に登る」と言った何気ない行動の中で、教室のカリキュラムとして思いやりの気持ちを育てているのだと言う事に気づく人は少ないようです。

思いやりの気持ちが育てば、責任感は先生に言われなくとも、自動的に育ちます。責任感が育てば、生徒は上手くなるのです。

歳の近いピアノの生徒に伴奏をさせるという事は、一人ッ子の子供に、(或いはお兄さんお姉さんがいたとしても、喧嘩ばかりしていて、仲の悪い兄弟だとしても、) 優しいお兄さん、お姉さんを作ってあげるという事にもなります。

お互いがわがままをストレートに言える兄弟よりも、ちょっと距離のあるお兄さんお姉さんと付き合うことによって、自然に家庭でもお兄さんやお姉さん達と上手に付き合えるようになってきます。(但し、本人達が それを望むならと言う事ですが、)

ましてや、曲の練習が仕上がっていない状態で、曲の練習の途中から、「ここからここまでを次の練習で練習しよう。」といった風な、一緒に練習をして曲を仕上げていく、という発想は、私独自の発想、発案なのです。

通常は、完全に曲が仕上がらない限り、曲を合わせることはありません。

勿論、何処にも、練習の途中で、出来た所までを合わせて行く、という考え方はないでしょうね!

それは、「子供同士で音楽を一緒に作り上げる」という事を具体的に自覚させるという意味でもあります。

ですから、本当に上手な上級生では、1回目の伴奏合わせから、完璧に伴奏が出来てしまうので、子供同士で音楽を作り上げるという醍醐味が味あえなくなるのです。

これは先生が伴奏する場合も同じなのです。先生が伴奏するのなら、伴奏で失敗する事は有り得ません。そういった意味では、親は子供の演奏を安心して聞けるかもしれません。しかし、それは先生に依存して演奏したに過ぎないのです。本当の子供の実力ではありません。

親は、「発表会で曲の出来がよければ、それでよい。」と言う考え方になりがちです。それは単なるセレモニーに過ぎません。

それでは、本当の意味で、子供達の教育にはならないのです。

 

*伴奏を子供にさせることの難しさ

これだけ、メリットが多いピアノの伴奏ですが、何故他所の教室以外では、子供が伴奏をすると言う事はないのでしょうか?

それは、簡単な理由です。

小さな教室の場合には、ヴァイオリンの教室にはピアノの生徒はいませんし、ピアノの教室にはヴァイオリンの生徒はいないのですよ。

また大きな音楽教室でピアノのほかにヴァイオリンやフリュートなどの教室を併設している音楽教室であったとしても、先生同士の横のつながりが無いために(日本の音楽界では異種楽器の先生は仲が悪いという特性があります。)伴奏が出来ない、或いはアンサンブル教育の(この場合は室内楽教育の)方法を御存じないために、他の先生方とのコラボレートが出来ないのが原因で、それをアンサンブルの教育のカリキュラムとして生かせないのが現状です。

 

ですから私は、小さな音楽教室に勤めていたり、自分で個人の教室を作っていたりする先生に、「発表会等では、他所の音楽教室とコラボして、一緒にアンサンブルしなさい。」 とアドバイスをするのですが、異種楽器同士の先生は仲が悪いのですよ。だって、先生達皆「自分の楽器が一番だ!」 と思っているからね。

まず、自分の生徒の練習時間の奪い合いで喧嘩になったり、弾けなければ弾けないで、相手のせいにしてね。嫉み合ったり、いがみ合ったりしてね。

あほらし!!

 

[社会通念について]

しかし、早い時期から、子供が伴奏や室内楽等を学ぶ事は、技術の面だけでも非常に多くの事を学ぶ事が出来ます。

伴奏法を通じて学べる事の範囲は、音楽技術の習得のみならず、協調性や他者への思いやりなどのメンタルな面、或いは楽曲を総合的に見るスコアーリーディングの力(分析力の力)(日本では何処の大学でもそういった音楽の総合的な教育は行われていませんが)などが養われて行きます。

 

良い事ばかりのアンサンブル教育なのですが、私がそういった理念を持って教室を開設したばかりの時代には、私のそういった音楽教育上、或いは指導上のコンセプトが御父兄の方々になかなかご理解していただけず、「伴奏は生徒よりも、先生の方がいい。先生の方が上手に決まっているから。」とか、或いは伴奏する生徒のご父兄の方も「・・ちゃんを、伴奏して上げているのだから。」とか言われて「・・・してあげている。」という意識をお持ちの御父兄も多く見受けられました。

また、そういった教室の問題の他にも、社会通念上、「伴奏ピアニストとは、ソリストになれなかったピアニストがなるものだ」 とか「アンサンブルは遊びだから、伴奏などの練習をする暇があったら、その分一人で必死に練習すれば、もっと能率を上げる事が出来るのに」 とか、そういった古代社会からの日本の誤った通念が罷り通って、伴奏等を軽視する風潮がありました。

 

室内楽やオーケストラは子供達に多くの事を教え育ててくれます。音楽技術の事のみならず、子供の人格形成においても、多大の教育的な効果があるのです。

ですから、ご父兄の方が自分のお子様のオケ室内楽の参加の条件が「オーケストラはソロではなくちゃ」 とか「室内楽もヴィオラじゃ嫌だ」とかご希望の場合には、私達の本来の教育の目的を理解されていないという事なので、オケ室内楽の参加をお断りする事もあります。

 

[「伴奏について」のパンフレットに寄せて の前書き]

私は、「伴奏について、ご父兄の方達や先生達と親しくお話する機会が有るたびに、今までも、この誤った日本流の考え方と室内楽や伴奏の重要性と、それ等のアンサンブルの勉強がもたらしてくれるさまざまな教育上のメリットの数々を、機会があるたびに、説明しお話してまいりました。

そういった私の活動も、もう既に17年になります。

・・・と言う事で、この際そういった主張を纏めて、このパンフレットを作って見ました。

 

(実際には、この文章を書いてからは30年以上も経ちますので、30年以上前のパンフレットになります。) 

 

[職業としての音楽]

私自身は、物書きですから、子供の教育に対しては、最も程遠い人間です。

それにもまして、私が育った時代は教育や芸術を勉強する時代ではなく、生きていく事が全ての時代でした。

子供の成長期に食べるものがなかったという時代です。

ですから、私が高校生になったときに、よく高校の先生達が私達を前にして、「お前達は戦後の食料がもっとも乏しい時代に成長期を過ごしてきたから、一番頭が悪いんだ!」 と怒鳴っていました。

確かに、米のご飯がなくって、ご飯茶碗に4分の1のかぼちゃがその日のご飯だった事もあります。

それでも、祖母や母達は子供にひもじい思いをさせないように努力をしていました。

そういった時代に育った私達が、全てが満たされている今の幸せな時代に生きている子供達に教える事はありませんよね。

本当にそうなのかな?

今の子供の方が、競争、競争で親や周りからも点数でしか認めてもらえない、友達と遊ぶ事もないという事は、これ以上不幸せな事はないのでは・・・・?

 

教育に一番程遠い所にいた私が、音楽教室を作って子供達を指導するに至ったのは、勿論、日本の学校教育界で失われてしまった思いやりの教育の事もありますが、それ以上に日本の音楽教育がそういったトップの生徒を育てるだけの誤った教育になっていることに対するアンチテーゼでもあるのです。

人を押しのけて、学校でトップになって、コンクールを受けて一番になって・・・、留学して世界のコンクールを受けて又一番になって・・・、それで日本に帰ってきて、演奏会一つ開けない・・・、それだけ努力を重ねてきても、一番を続けてきても、音楽のプロとしては (クラシックの音楽を演奏する限りでは) 飯を食っていけないのです。

そこで、「音楽では飯が食えない」 という風説が流布することになります。

自分達が間違えた努力をしてきた結果である事を認めようとしない、頑迷さです。 

あほらし!

音楽はオリンピックではないのですがね。

一番!一番!・・・!

幾ら技術があって、ヴァイオリンでトリプル・アクセルを披露しようと、それは音楽とは言わないし、ましてや芸術でもありません。

そういったものが芸術というのなら、音楽を好きな人はそのうち一人もいなくなってしまうでしょう。

音楽は人を感動させる技術です。

人はその感動に、お金を払うのです。

音楽技術の上手下手に対して、ではありませんよ。

感動のない音楽にお金を払う人はいないのです。

勿論、オリンピックで優れた最高の技術を見る事は、ある意味、感動かもしれません。

でも、それは芸術に感動して・・ではないと思いますよ。

(ですから、オリンピックには芸術点と技術点が別にあるのです。 アハッ!)

 

この日本の音楽教育が如何に間違えた教育であるかは、音楽大学を卒業した学生達を見れば分かります。

つまり、音楽大学を卒業したからと言って、即、音楽の社会に就職出来る分けではないからです。

一番、安定した就職は親方日の丸である中学、高校に就職することと思われていますが、そこでも、現在は結構ハードルの高い職場になっています。

音楽大学で中学、高校の教員免状を取ったとしても、それから、地方の教員採用の試験があり、それに合格したとしても、自宅待機で、実際に就職先の学校の席が空くのを何年もまたなければなりません。

またやっと、就職出来たとしても、(これは直接音楽とは関係ありませんが、)若い女性にとっては、中学・高校は決して良い職場ではありません。年頃の男の子にとっては、若い女の先生は虐めの格好のターゲットであるからです。

ですから、それだけ努力をしてやっと中学・高校の先生になれたのに(就職できたのに)、わずか1年そこそこで寿退職していく先生の殆どが(寿というのは建前であり、実際には) 結婚するわけではありません。

殆どの音楽大学の学生は卒業後には、そういったたぶん子供達が可愛い盛りの小学校に就職したいと思っているようですが、実は音楽大学を卒業しても、小学校の先生にはなれないのです。

小学校の先生の単位をとるためには教育大学か教員養成の各種大学、教育短大に進学しなければなりません。音楽学校は専科なので、中学・高校の単位だけです。幼稚園や小学校の単位は取れないのです。 音楽大学に進学する学生が、或いは音楽大学学生自身がその事を全く知らない(知ろうともしない)のは不思議な事なのですが、それは音大生にとって、就職と言う事が如何に遠い世界の出来事で、自分達とは無関係の出来事であるか、という事の表れでもあります。

 

留学か、就職かと悩んでいる音楽大学生や院生からよく相談を受けます。その時には私が逆に学生に訊ねます。

 

「普通、大学に進学するのは就職をするためではないの?」 

「卒業しても、就職が出来ないという事は音楽大学では何を勉強しているの?留学をして何を勉強するの?それが帰ってきてから、何の役にたつの?」

「医学部に進学すれば、医者にはなれるでしょう?薬学部に行けば薬屋に就職することが出来るんだよ!それが普通は専門学校というのでしょう?音楽大学も専門学校だよね?じゃぁ、音楽大学を卒業して何処に就職できるの?」

「君達は何を勉強しているの??」

しかし、私がそういう事を質問しても、それでも音大生は、大学の先生の言う通りにしていれば、音楽界で就職出来て働けると、音大の先生を信じきって、頑張って勉強を続けているんですよね!?

音楽大学の先生は生徒からそれだけ信頼されていいなぁ!?

不思議だよね!?

ちなみに、プロのオーケストラの団員の半数は一般大学の出身者です。

こういうと不思議に思われるかもしれませんが、実はこれはちっとも不思議な事ではありません。オーケストラにはオケに必要な技術が必要ですが、音楽大学の勉強は基本的には個人の技術のレッスンであって、オーケストラに必要な技術の勉強にはならないのです。

ですから一般大学の学生オケの方がむしろオケの現場に近いのですよ。

オーケストラには数百曲に登る常設曲というものがあります。

常設曲というものは練習しないでも、演奏会で演奏出来る曲の事です。

ですから新しい団員が就職してきたとしても、その常設曲をその団員のために練習すると言う事は絶対にありません。

なぜなら、プロの条件は最初からちゃんと演奏出来るという条件で雇うからです。

出来る事にお金を払うのが仕事といいます。

その現場で学ぶのは仕事とは言わないのです。

どうしても、そこの所が音大生には理解できない。

「自分がその場にいることで、お金を貰える。」という勘違いがあります。

ましてや、オーケストラの場合には毎年団員を募集する事はありません。

例えば偶然、オーケストラで弦楽器の団員を募集する事があるとします。

それはオケの団員が死んだか、病気か、定年退職かで、団員の空きが奇跡的に出たからなのです。

そういった事がない限り10年経っても20年経っても団員が辞めない限り募集はないのです。あるときに新日本フィルハーモニーのヴィオラ奏者の席が偶然2人分空きました。

その時に集まってきた就職希望者です。

ニュ-ヨーク・フィルのヴィオラ奏者(日本人のプルト・マスターですが) スイス・ロマンド・オーケストラの奏者(これは外人でしたね。) 後の人達も、大半が外国で活躍している演奏家か、日本のオーケストラで既に働いているオーケストラの奏者でした。

皆、10年以上のオーケストラの経験者でしたよ。

平均年齢は40代弱という事で、男女10数人の申し込みがありました。

で、実際には音楽大学を卒業したばかりの学生の就職申し込みは一人もなかったのですよ。

オーケストラに就職することが如何に難しいかという話で、何年かに一人という話なのですよ。

ましてやピアノや歌は、オーケストラにはないしね。

それでもオーケストラは働く現場があるけれど、ピアノや歌科の卒業生では、そういった現場はないのでは??

学校以外には、就職口はないのではないかな??

 

オケに入ったら、そこでオケマンとしての、仕事をするための勉強をさせてもらえるのでは・・と考えるのは音大生特有の甘さなのです。

同じように音楽教室に就職すれば子供や大人を指導出来ると思うのも音大生の勘違いです。現場で指導されている先生達は何年というキャリアを積んで生き残ってきている生え抜きだからなのです。

 

[総括]

日本の教育をだめにした根本の教育は競争教育です。

競争教育はそれに打ち勝った本の1人、2人には多くの報奨が与えられますが、それ以外の多くの人達には失意と絶望以外の何も与えません。

でも、殆ど大半の人が落ちこぼれるのです。

落ちこぼしを前提に教育されるのです。

しかし、日本人には不思議な、私が「あかんたれ願望」と名付けている考え方があります。

NHKドラマの「おしん」のように、絶望と困難に対峙して、それを打ち砕いて得たものだけが真の価値があると考え方です。

私もよく、「うんと厳しく育ててください。それに耐えて発表会でちゃんと弾けた時に、初めて音楽を学ばせている価値があるのだから。」と言われます。

しかも、「それに打ち勝って、耐えて勝ち抜け!」という不可能な要求をしてきます。

しかし、ちょっと待ってください。

それは、江戸時代の、或いは明治時代の、いやいや、せいぜい戦後のどさくさの日本人が非常に貧しかった時代の考え方なのです。

今の日本では そういった考え方を親や教師が幾ら言っても、本当の意味では(心の中から)付いて来る子供はいません。

それは今の親の時代の考え方ではなく、寧ろ、段階の世代である私の時代までの考え方だったからなのです。

つまり、生き抜くと言う事が人生の目的だった貧しい時代の考え方なのです。

参照:「ニートについて」

 

だから、そういった根性主義の考え方は、私の時代、所謂、「三丁目の夕日Always」の世界へのノスタルジーに過ぎません。今の子供達にはおとぎ話の世界にしか過ぎないのです。

 

私は、人生の目的は「幸せになること」 だと思っています。

人に勝ち抜き、富を得ることで幸せを得れるとは思えないのです。

幸せとは、自分が人から必要とされる事であり、親や家族以外の人達に愛される事だと思います。

Beethovenの第9の歌詞にあるように、

「ひとりの友の友となるという大きな成功を勝ち取った者

心優しき妻を得た者は彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ」

 

人生の究極の目的とは「自分が社会に必要とされる人間になる」 ということなのです。

 

私が日本に帰国してきて、働き場所を探すために最初はマスコミ関係で作曲の仕事を仕様かな、と考えました。放送関係に従事している人達とお話をする度にここは私の居場所ではないな!?と、実感するようになって来ました。

次に、音楽大学や教育大学に勤めて見ました。

そこで驚いた事は、私が朝早く大学に行くと教授室で有名な教授達が碁を楽しんでいました。私が授業を終えて、夕方帰ろうとするときに教授室を除いて見ると、全く同じ情景がそこにあったのです。「えっ?!ひょっとして、此処は姨捨山だったのかな!?」 

すぐさま、頭が錆び付かないように、本を出版する事を始めました。

学校の改革もしました。 

でも、結論的にその時に決めた事は、「大学には5年以上はいないこと!」だったのです。

 

と言う事で、35歳の時に大学を辞して、次に私は仕事は何をすればよいのかを、悩み始めました。

しかし、その私が考えた仕事の悩みの中に、音楽教室を作って子供を指導するという考えはありませんでした。

子供を教えようと思ったきっかけは、文部省関係の仕事をしていた人が私を訪ねて来た事から始まります。

彼の考え方は、「子供の教育こそは本当に実力を持った人だけがするべきだ。」ということ考え方でした。

特に小学校は、短大の卒業ではなく、教育大学のように4年生の授業で勉強してきたものや、本当に社会で活躍している人、或いは活躍してきた人達が小学校の授業を担当すべきである、という主張でした。

後日、小学校にもそういったsystemが若干、取り入れられてきましたが、あくまで体験授業や課外授業と言う形にしか過ぎません。

 

 

私の大学に勤めていた時に、発表した論文を読んだ彼は、私にその論文に書かれている教育方が机上の空論ではない、という証明をするために、教室を作るように要求しました。

それから私のメトードが、私以外の人でも勉強すれば習得可能なのか?と言う事を証明する為に、指導者を育成するように要求しました。

そのときには、私としては、学習塾でも何でも良かったのですが、私がまだ音楽大学の学生時代に生活のために、受験勉強を指導していた生徒の一人が、既に社会人として働いていて、「私に協力してもよい。」 という確約を貰ったので、千葉の花園にその実験のための音楽教室を作ったのです。

どうして、千葉の花園かというと、千葉の花園に教室の場所を決めたのは、その頃は花園には大変な数の音楽教室が乱立していたからです。

ちょうど、江古田のラーメン屋の乱立のように、そこの場所での生き残れるか否かが、私達の音楽教室が将来も、社会から認められて存続していけるかどうかの試金石となるのです。

勿論、私達の趣旨説明を聞いた上で、私の教育理念に賛同をしていただいて、「そういった芦塚メトードの実験と言う条件でもよい。」というご父兄の方達が集まって、3,4年後には、大変大きな教室にまで成長しました。

 

勿論、通常の音楽教室との違いはカリキュラムだけではなく、私自身の日本の音楽教育に対してのアンチテーゼでもあるアンサンブル教育を、先生達に(殆どボランティアで)参加して指導する事を条件にしました。

 

当然、通常の音楽社会ではオーケストラのソロや室内楽の第一ヴァイオリンはトップの演奏家がします。

私はそういった考え方に真っ向から反対でしたので、次のルールを作りました。

 

オーケストラの独奏をする生徒はそのlevelのその曲に初めて挑戦する子供でなければならない。

オケソロをした生徒は次にはその曲のオケバックをしなければならない。

ソロの生徒が間違えた時には、自分がどのpartを弾いていようと、すかさず、ホローが出来なければならない。

という事です。

 

曲はまず、オケソロをして、次にオケバックをして、初めてその曲全体の構造を正しく理解できます。

音楽はソロだけで、作られているのではないからなのです。

室内楽にも同様のルールがあります。

その曲の第一ヴァイオリンを演奏した生徒は次の室内楽では第二ヴァイオリン、その次にはヴィオラを演奏しなければならない、というルールです。

 

でも、私がそれをルール化しただけで、それは本当はルールではなく、その曲を勉強するための正しい方法論なのです。

その生徒が将来、第一ヴァイオリンを演奏するようになるのか、或いは第二ヴァイオリンなのか、それともヴィオラ奏者になるのかは、その生徒の性格によるのです。

決して日本の慣習のように上手下手で決まるわけではないのです。

第一ヴァイオリンの奏者やソロの奏者は、目立ちたがりやの格好付けの性格です。

幾らヴァイオリンが上手でも、協調性が命で、人の前に立つことを嫌う性格であれば、室内楽ででも第一ヴァイオリンは向かないのです。

私を含めて、大概の作曲家は、性格で言うとヴィオラの性格です。

(注、・・・オケの場合には、オケソロと置き換えてください。オケの場合には第一ヴァイオリンも第二ヴァイオリンも同じなので。)

 

私のVivaldiメトードと言うか、オーケストラ・カリキュラムでは、ある程度まで上手になったら、超上級までは曲がありません。

Vivaldiメトードでも、ちょうど、スチューデント・コンチェルト辺りのlevelの曲がないのです。

そしていきなり「四季」やオケversionの「ラ・フォリア」や「シャコンヌ」に飛んでしまいます。

これらの曲を弾きこなす事は超上級のlevelになります。

この場合には、例外的に教室を代表する上手な生徒が、あくまで「模範演奏」 という意味で、ソロを演奏します。

 

同様に発表会では、セッティングの間の時間のラグに、お客様を退屈させないために、幕間演奏と称して、発表会のプログラムとしてcurriculumに乗りにくい小品を幕間に演奏するというのも、どの生徒でも良いわけではありません。セッティングの無駄なラグタイムを防ぐ意味だけなら、模範演奏として、生徒でなく先生が演奏しても良いわけなのだから。

 

発表会の1週間前に幕間のラグの時間が出たので、教室で雇った先生に「幕間で演奏しますか?」と聞いたら、「演奏するのなら、事前に言ってくれないと出来ません。」と烈火の如く怒られてしまいました。セッティングの都合でラグが出来るので、それが分かるのは全てが整った時で、1週間前はとても早い方です。

教室では生徒達にも、2日前とか、前日に「何分時間が開いたから、弾く?」と聞きます。

それで弾ける曲が無ければその生徒の幕間演奏はありません。

先生達の外での演奏活動の仕事もそんなものです。

「*日に来ていただけますか?」という事で、その日が、「明日・・」という事もざらなのですよ。

それでも、弾ける曲を持っていなければ、プロとは呼べないのですよ。

 

以前は、教室を立ち上げて、4,5年経った頃には、オケに参加する生徒も40名以上のヴァイオリンの生徒達がいました。

もし、オケに参加しているヴァイオリンの生徒が、親が望むように、全員ソロを希望したら、生徒達は40曲のオケ・バックをしなければなりませんね。

それは現実的に、練習の時間的にも、発表会の時間も経費も、生徒達のキャパシティー的にも無理な話です。

今現在は少子化で、極端に教室の生徒の数が減ってしまっているので、曲数的にも何とか可能なので、オケを申し込んだ生徒達が何とか全員オケソロをする事が出来ますが、それは教室のconceptではありませんし、私の教育理念にもあってはいません。オケソロを生徒への褒美とも栄誉とも思っていないからです。音楽は勉強です。セレモニーではないのです。伴奏には伴奏の難しさがあります。それも勉強です。オケソロは自分の技術が自己完結すればよいのです。オケ練習には参加する必要も無いのですよ。

オケ練習では、色々なヴァイオリンの演奏技法を勉強します。それこそ、lessonでは何年かかっても修得出来ない色々なヴァイオリンの奏法を学ぶ事が出来ます。勿論、Cembaloやチェロ、等もですがね。これは一人ひとりではなく集団で勉強するから、時間をかけて、その技術をマスターする事が出来るのです。

私が子供達を技術指導をする時に、one lessonで一人一人を指導するよりも、グループでレッスンをした方が、効率が良いという意味でもあります。

しかし、それ以上の集団教育のメリットは、私のlessonが子供達の逃げ場をなくしてしまう隙のないlessonをよくする事がある、その場合にも、集団でlessonを受けると、プレッシャーがより少なくなって、子供達も私の厳しいlessonにも耐えてついて来れる事が出来ます。

 

某国立の放送局がback・upをしていた、若い女性のヴァイオリニスティンが「*の部屋」のインタビューで、自分の子供にヴァイオリンをさせるかという質問に、「私の子供には、私と同じような辛い思いはさせたくない。」と答えていた。

もし私に最愛の子供がいるのなら、私はこれだけ素晴らしい音楽を知らないで人生を送るのは、重大な損失であると思うのだが。それに私は演奏家が辛いと思う音楽を聞きたくは無い。演奏家自身が素晴らしいと感動してこその音楽であるはずなのだから。

音楽の練習が辛く苦しいのは、二つの理由がある。その一つは音楽を人との比較で捉えるから。もう一つは自分が表現したいと思う感情が無いままに、音楽を機械的に練習するからである。音楽の練習は決して辛いものではない。音楽は素晴らしいものであり人の心を豊かにするものであるからである。彼女は日本流の儒教的な辛く厳しい学び方で音楽を習ったに過ぎないのである。彼女が教室のmethodeで音楽を学んだとしたら、彼女が音楽は辛く苦しい・・・等と口にすることはなかったはずである。当然、自分の娘にも是非音楽を教えたいと思ったはずである。これが悲劇でなくてなんであろうか?

 

私が日本に帰って来たばかりの若い頃には、マスコミを中心にして、作曲家として働こうか?それとも大学に勤めて音楽大学の先生としてやっていこうか?と悩んだことがあります。

しかし、マスコミが中心となって作っている日本の音楽の世界は、決して私が住みたい世界ではありませんでした。

また、永久就職的な音楽大学に勤めて、幾ら熱心な生徒を指導したとしても、たった4年間では、10年間以上、間違えた教育で学んできた生徒達に、正しい演奏法を指導するのは不可能だからです。大学で生徒を指導していても、生徒の顔も名前も殆ど覚えていません。勿論、生徒の側も同じでしょう。生徒は先生は誰でも良いのですからね。ヨーロッパの大学のように、生徒と先生の双方が望んで師弟関係を結ぶわけではないからです。

本当に責任を持って指導するのなら、最初から(初歩の初歩から)指導した方が良いに決まっていますからね。それが、私が音楽教室を開設する切っ掛けになりました。

 

音楽教室を開設するに当たっては、明治時代に輸入された音楽は、一度完全に滅びた事がある、という現実に目を向けました。それはまだ未開の明治時代の日本人が、西洋の文化に追いつき、追い越すための軍事的な作戦だったのだよ。だから、西洋の音楽を家元制度や儒教の考え方で、武装したのだよ。

ヨーロッパでは音楽は宗教であり、文化なのだ。つまり、人間そのものなのだよ。

日本の音楽は、人間ではない。文化でもない。アカデミズムをバックボーンにした、儒教的な家元制そのものなのだ。だから、日本が戦争に負けたときに、音楽も崩壊したのだよ。

しかし、歴史は繰り返す。また、元のアカデミズムと塾を中心とした競争教育が日本を蝕んでいる。

本当の日本人は、魂をとても大切にした思いやりに満ちた素晴らしい国民である。

私が本当の音楽を子供達に教えたいと思った時に、文化は愛情であるという事を確信する。

日本の音楽家達は自分が上手いという事を、愚鈍な大衆に見せ付けるために演奏する。

私は「どんな小さな子供の演奏であろうとも、真摯に音楽に立ち向かう姿は、万人をも感動させる事が出来る。」 と信じている。また、実際に、色々なところで、「子供の演奏を聞いて涙が出た。」という感動的な評価もいただいている。

それが、私達が、音楽の勉強を続けていく、努力し続ける原動力になっているのだ。

人に勝とう等という気持ちは微塵も無い。

 

音楽教室を作る前と後では、非常に面白い、笑える事がありました。

音楽教室を作るまでは、色々な有名音楽大学から学生達が私の元に逃げて来ていました。私の元で育って演奏家としてヨーロッパに旅立っていきました。

それが、音楽教室を作った途端に、教室で育てた生徒が、中、高生になると、音楽大学の先生の元に逃げていった、という事です。(因果応報??ハッ、ハッ、ハッ!)

つまり、私が音楽教室を作った途端に、世間では、私は「巷の音楽教室の先生になった」という意味でしょう。

大企業の役員クラスの人が、人事の争いに敗れて、退職しました。毎日、その人に会うために大勢の人達が日参していて、付け届けも凄い量だったのに、退職した次の日から、訪れる人もなく、一人寂しく公園で日がな一日、ぼんやりしているのが印象的でした。

会社一筋の人でしたから、奥さんとも、子供達とも、コミュニケーションがなかったからです。

それまでに、沢山の人達を手助けして、沢山の会社や地域の人々の役に立ってきたはずなのですがね。

役職のなくなった途端に、彼にはもう誰も見向きもしなくなったのです。

人は、人でなく、会社やその人の地位、役職でその人の価値を見出すのでしょうね。

悲しい事に、それも含めて、淘汰です。

日本の本来の茶道では、一期一会で、どんなお偉いさんが来ようと、オコモ(お菰)さんが来ようと、全く同じ様にお接待をするはずなのですがね。

今の日本には、日本人のそういった心は失われてしまったのでしょうかね。

 

嗚呼! 哀号! 合掌!

2011年8月19日 第15版 改訂版脱稿

江古田一静庵にて

芦 塚 陽 二 拝