日本人の持つ3拍子への音の感性

                      HohmannとBeyer教則本の例で・・   


「日本の音楽家の演奏は、rhythmが重たい」とよく言われる。確かに、leggieroな軽やかな音楽は、日本人には不向きなようで、「軽やかに」と言うと、tempoを早くする事で、逃げようとする。つまり、「軽やかな演奏」というものが分かっていないという事なのだ。
日本人にとって、それよりも苦手とする演奏が、舞曲の演奏だ。2拍子系の舞曲ならば、まだいざ知らずとしても、3拍子のMazurkaやMenuett、それにValseともなるとどうしようもなく、重たくて、舞曲と呼べた演奏ではない。
でも、それには、理由がある。
日本人の社会生活の中の、音楽の歴史(民族音楽の歴史)の中には3拍子というものは、存在した事がないからなのだ。

日本に存在する2拍子系以外の曲は、(日本の音楽と言えるかどうかは分からないのだが、)お隣の国から伝承された雅楽には、唯一例外的に、3拍子か、それとも5拍子かという曖昧で不完全な拍子が存在する。
また、よく知られていて、縁日等で、手拍子で景気づけに拍手される、3,3,7拍子というのは、紛らわしいのだが、実際には(3拍子+3拍子+7拍子ではなく、)単純な4拍子のrhythmである。


子供の教則本であるBeyer教則本や、violinの初心者のためのHohmannの教則本では、殆ど最初から3拍子が出てくる。
(Beyer教則本では、本編のNo.1、の片手の連弾の段階で、もう登場するし、violinの場合には、弓の問題もあるのだが、それでも、38番には、3拍子の練習が登場する。)但し、この38番という曲の数なのだが、実際にはHohmann教則本では、予備練習も曲数に入っているので、本来のduoの練習曲としての数ならば、11曲目には、もう3拍子の曲が登場することになる。
つまり、ヨーロッパの初歩の教材では、早い段階で3拍子の曲が登場するのは当たり前の事なのだ。

長い民族の音楽の歴史の中に3拍子が全く見つける事が出来ない日本と違って、ヨーロッパの人達の場合には、寧ろ3拍子が基本であると言って良いであろう。

キリスト教を引き合いに出さなくても、ヨーロッパの子供達は、3拍子のdanceの中で育っていく。
BayernのTirol地方のlandlerの母体でもあるWellerを引き合いに出さなくても、舞曲はMenuettにしても、Mazurkaにしても、全て3拍子で出来ている。

音楽の4拍子を表すCも完全な3拍子が円であるのに対して、不完全な欠けた円という意味でCという記号を使っている。
これは、文字のCではないのだよ。2分の2拍子がalla breveであるように、(brevis)は、短いという意味です。反対語がlonga(長い)です。キリスト教の完全なるものは、三位一体なので、円は3を表します。その不完全なものが、2であるのです。
(ちなみに音楽には、1拍子というものはありません。それはbeatであり、拍には成り得ないからです。ですから、音楽で使用する拍子は、2拍子の倍数と3拍子の倍数の拍子、若しくはその混合の拍子で出来ています。)

ただ、難しい事ではあるのだが、3拍子が、通常の3拍子のrhythmである場合と、danceのstepを踏んだ3拍子のrhythmの場合には、その3拍目の音の音価が変わってくる。

これが、日本人にとっての大問題である。
日本人の名の売れた演奏家でも、その3拍子を正しく演奏出来る演奏家はまれである。
日本人は3拍子をacademicに理解しようとする。
しかし、何度もお話しているように、日本人はdanceのstepを見ようとはしません。
勿論、哀れなpianistに「danceのstepを覚えて、踊れるようにしなさい。」とは、日が西から昇るような事があったとしても、いいません。それは所詮、無理難題だからです。
でも、baroqueballetを見るだけで充分なのですよ。
本来は、日本人の持つ音に対しての感性と同じ、国民性のrhythm感の問題だからである。

弦楽器の教則本であるHohmannは、比較的教則本の早い段階で、ワルツのtempoを持って来ている。
51番のTitleに日本語のサブタイトルでは「初めてのワルツ」なっているが、実際には、48番も同様にワルツのrhythmである。
譜例:51番 初めてのワルツ
   


譜例:48番 牧場

     





それに対して、Pianoの初歩の教材であるBeyer教則本では、3拍子の導入は、初期の段階の1番のVariationで既に、3拍子のrhythmを使用しているのに、ワルツのrhythmを持ってくるのは、80番、81番、82番で非常に遅い段階である。

また、蛇足ではあるのだが、この段階がBeyer教則本のネックであり、この練習曲辺りで、Pianoの練習に挫折して、Pianoをやめる子供達が多いのも、周知の事実である。
Etudeは、技術の積み上げが大切である。
読譜力や、手の型、体のformationがちゃんと出来ていないと、行き詰ってしまう。音楽は努力の積み上げなのですよ。

Hohmann教則本の場合には、早い段階で、この3拍子のワルツ風の曲が出てくるのだが、これを演奏するbowtechnicは超難しい。
強拍の長い2分音符に対して、弱拍で短い4分音符を演奏しなければならない。初心者は、1,2拍目の2分音符に比べて3拍目の弱拍が弓の速度の関係で強くなってしまう。3拍目の弱拍を演奏するために、弓を浮かせてしまうと、音がかすれてしまう。ゆっくりとした強拍の弓と早い弱拍の弓の使い方の練習は難しい。
最初は、ワルツの3拍目という事は忘れて、detacheで、2分音符と4分音符が、先ずは同じ強さになるように練習する。
それが出来るようになってから、3拍目を心持ち弱くなるように、練習をする。3拍目のswingは、そういった長い音符と短い音符の強弱を自由にcontrol出来るようになってから、ワルツの3拍目のswingを演奏すると良い。

更に、難しい課題は、83番 (小さなワルツ、or赤ちゃんのワルツ)である。

    
この曲の2ndpartであるが、殆どの人が2,3拍目の2分音符を、syncopationと勘違いして1拍目に対して、次の2分音符を強く(弱、強ー、弱、強ーと)弾いてしまう・・という事だ。これではワルツには、ならない。譜面だけで判断してしまって、ワルツの特性を理解していない典型的なacademismの間違いである。
ワルツでは、この手のrhythmは、結構頻繁に出てくる定石的なrhythmである。
4分音符は、ワルツのrhythmのbasetoneとして、強く演奏し、2分音符は、抜きで軽ろやかに演奏する。つまり強、弱ー、強、弱ーと、2、3拍目を浮かすような感じで演奏する。
rhythmの感じ方もacademicに、1、2、3と感じるのではなく、1、2−、1、2−と、2拍子のように感じると良い。
3拍目が少し詰まるような感じになるので、ルンルンとした軽やかさがそのrhythmで表現される。


話は突然、Beyer教則本の例になるのだが、日本人の子供達が、80番から82番までのワルツを演奏する時に、3拍目を押さえ込んで長く弾く事が多いのに、驚かされる。


このrhythmは、ヨーロッパのサーカス等でよく聞かれるrhythmであり、大道芸や手回しオルガン等で聞く事が多い、3拍目が長く強めに演奏される独特の演奏styleなのだが、KreislerのWieneralteweizenの愛の悲しみ等でも、使われて居る。
勿論、日本人の小さな子供が、その事を知っている分けではないので、弱い指で、2和音を必死に抑えようとする事から引き起こされる誤った演奏法である。
私達はこの3拍子の弾き方を、サーカスの「ジンタ」の弾き方と呼んでいる。
(ジンタとは、サーカスで3拍子の曲をジン、タッ、ター、ジン、タッ、ター、と弾く擬音から来ている。)
この3拍子の伴奏型は、NHKのEテレのthema曲として特徴的に使われている。

3拍子は早い段階で登場したのだが、8分の6拍子はBeyer教則本では、52番でやっと出て来る。
Hohmannに至っては、141番なのだ。
8分の3拍子と8分の6拍子の違いを奏き分けるのは難しい。
同様な例は、HaydnのC DurのsonateのT楽章はalla breve(2分の2拍子)なのだが、一度も2分の2拍子で演奏されたのを聞いた事はない。(勿論、proの演奏は除いて・・だけど)皆4分の4拍子で弾く。

ここまでの文章は、殆ど同じ内容が「揺らし」のお話Uに書かれているので、参考にしてください。



HohmannのLebenslauf
HohmannとBeyerはHohmannが1811年産まれで、Beyerは1803年産まれ、ついでにBurgmullerも1806年産まれと、殆ど同時代の人達です。
それは、HaydnやMozartの貴族の時代から、一般大衆に音楽の文化が移って行く(所謂、家庭音楽の)ビーダーマイヤー時代に差し掛かったからで、そういった一般大衆のニーズから生まれて来た・・という理由があります。

Hohmannの教則本は、日本には、明治時代の音楽事始めの時代に、violinと一緒に入って来ましたが、戦後、松本に鈴木先生が才能教育を立ち上げた時に、Hohmannの教則本を使用したのですが、鈴木先生は「この無味乾燥な教則本は、誰の興味も示さなかった。」という事で、批判的な立場をとっていらっしゃいました。私が鈴木先生とお会いした時にも、(個人的にお会いしたのではなく、先生の公開講座を見学に行った時に、一緒にパーティーに参加するように勧められて・・ですが)「何人かの生徒で試したのだが、上手く行かなかった。」とおっしゃっていました。
その後、私も子供を指導する機会があって、私の基本的な概念であるensemble教育という事で、Hohmannを積極的に使用して見たのですが、子供達は、この教材をとても気に入って、喜んで勉強してくれました。
Hohmannが上手く指導に活かせるか否かは、寧ろ、指導する側のensembleに対しての、気持ちだと思うのですがね。

Hohmannの欠点を取沙汰される時の、一番の理由は、曲がハ長調から始まるので、指の型が広広となるからです。
violinの型の導入は、狭、広の方が自然で良い。だからviolin教則本の開始の曲は、G Durで始まるべきである。・・という考え方が現代では主流なのだからです。

その考え方は指導者としては、全く正しいと思います。
しかし、歴史的に見ると、この考え方は現代の考え方であって、HaydnやMozartの時代には、楽典との整合性、譜読みの利便性から、C Durで始めるのが、一般的であり、当時の1stpositionは、現在のU型(第二position)の事で、昔の子供達は広広のU型から、violinのlessonを始めたのです。当時は、現代の1st positionは、当時はhalf positionと呼ばれたのです。

MozartやHaydnの曲では、C Durの曲が多いので、highCがよく出てきますが、現代の1st positionでは、指が足りなくなって、大変難しくなってしまうのですが、U型をhomepositionとすると、とても簡単に演奏出来ます。
こんにちでは、1st positionと3rd positionは、普通に勉強しますが、2nd positionは、あまり使う事がないので、HaydnやMozartの演奏が非常に難しくなってしまいます。

Hohmann教則本は初歩の教材なので、初心者がこの教則本をたどたどしく演奏するのは致し方がないのですが、その模範となる演奏についても、あまりにも幼稚っぽいのは頂けません。
模範演奏ならば、ちゃんと、音楽として演奏して欲しいものです。それが初心者に出来たとしても、出来なかったとしてもです。
初心者がこのHohmannのduoをdetacheで演奏する事には、異論はありません。
しかし、先生がdetacheで伴奏をするのは、曲を勉強する上では、あまりよろしくない・・という事なのです。
やはり、melodieを演奏する初心者が下手な演奏をしたとしても、伴奏は伴奏らしく、それらしい音で演奏して貰いたいものです。



参考までに:

これは蛇足であり、3拍子のthemaとは関係ありませんが、参考までに、最初のauftaktの課題が登場するのは、65番です。
ピアノの教則本であるBeyer教則本でも、81番で始めて出てきます。しかし、Beyer教則本の場合には、その予備の課題として、landlerとおぼしき課題が57番で出てきます。(その予備練習の方がlandlerとして、演奏しなければならないので、難しいかな?)
この課題も、auftaktによる拍節法の移動を、ちゃんと演奏しようとすると難しい。

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