音楽大学では何を学ぶのか
この論文の公開に際しての弁解
この論文は完成したままの状態でかなり長い年月を放置されてきました。その理由はこの論文が、あたかも、音楽大学の存在を否定し日本の音楽教育を否定するように誤解され、曲解されて捉えられやすい事にありました。そのために音楽大学の存在の意味をより具体的に述べる文章が必要であったのです。しかし、音楽大学の存在の意義を具体的に擁護する文章を書く時間が見出せないままに、徒に時が流れてしまいました。という事で、長期に亘って保留にされてきた論文ですが、今回、どうしても、という必要に迫られて、公開のやむなきに至りました。多大の後悔の念と共に,公開する事になりましたので、悪しからず・・・・。
[質問に答えて]
「自分の子供を音楽家にしたい。」と考えている父兄の人達にとっては、普通には「音楽大学に進学させる事」だけしか方法は、ないと考えます。しかし、実際に音楽大学の学生と話をしてみたり、音楽大学に見学に行ったり、実際にプロとして活躍している人達に話を聞いたりすると、逆に音楽大学に対しての評価はあまり芳しくない事に気が付きます。私も父兄や生徒から、「音楽大学の演奏会や公開試験等を実際に見学してみたり、音大生の友人達を作って、実際に音楽大学で行われているlessonの事等を話合ってみたりすると、なにかしら実際の音楽社会とはあまりに違いすぎると感じてしまう」と言う、
そういった意味合いの相談や疑問を受ける事が、間々あります。
ちょうどそういった一例で、某国立音楽大学の卒業生達による演奏会を楽しみにしていて、聴きに言った私達の教室のご父兄から「あれで、入場料をとるなんて!帰して欲しい!」と感想を言われた事もありました。でも、そういった批判はよくあるのですよ。困った事に・・・!
今回、ちょうど、教室に入会して来た生徒が、一般大学の卒論に「日本の音楽教育」についての課題を研究テーマにする事によって、そういった機会を通じて、自分が幼い時から音楽を学んで来た経緯を振り返ってみる事にして、あらためて、音楽大学の友人達や一般大学の生徒友人達とそういったテーマで話合ってみたり、色々な教室のレッスンを見学してまわったりして、彼女が子供の頃憧れていた音楽大学や一般の音楽教育を研究、勉強する事になりました。しかし、音楽大学の友人達と話をするにつけ、一般の音楽教室を訪れて、聴講するにつけて、逆に音楽の教育の現状に対して、すっかり疑問を感じる事となってしまいました。
そこで私に「音楽教育の現状、一般社会の音楽教育に対しての常識に関して、いろいろな疑問」を尋ねてきましたので、参考までに、その往復のメールを掲載する事にしました。勿論、登場する人物名、企業名、大学名は全て仮名になっています。
[音楽大学を受ける人は なにを目標にして]
質問:
音楽大学を目指して、受験をしようという人達は、何を目指して(何になりたくて、どういった職業に就きたくって)音大に行くのですか?
[プロになる言う事]
質問:
プロになると言う事が、演奏家を意味するのだとすると、音楽大学を卒業した人の、いったいどれくらいの%の人がプロの演奏家になれるのでしょうか?演奏家になれなかった、後の人達は何の仕事をするのですか?
この二つの質問は、彼女が全く別々の時期に、別々の質問の中の一つとして私に尋ねて来た質問です。
しかし質問の内容は、殆んど根本的には同じ事に対するご質問だと思われるので、この二つの質問をまとめて解答することにしました。
お返事:
[専門職に関しての、音楽大学の把握と、一般の専門職の考え方の違い]
当然、医者になりたい人は、医学学校に進学して、そこで国家試験を受けて、医者になります。つまり、医学の大学を卒業する事で、ほぼ100%の人達が医者になるわけです。つまり、医学部を卒業すると、医者として職業を確立出来るわけです。
しかし、残念ながら音楽の世界では、音楽大学を卒業したからと言って、誰しも職業音楽家になることが確約されたわけではないのです。
私が大学院に通いながら、演奏活動をしている若い音楽家に質問した事があります。
「あなたは卒業したら、どういう職業で生活をするのですか?」
「えっ?音楽で生活するのですか?」
「でも、音楽学校って、職業学校ではないのですか?」
「音楽って、職業なんですか?そういう風に一度も考えた事はなかったので・・??」
「じゃぁ、大学を卒業したらどうするのですか?」
「一度も考えた事はありません。」
「・・・・・???」
卒業した後の事を、考えなくっても良いなんて、幸せだなぁ~!!
[何を目指して音楽大学に行くの?]
「何を目指して、音楽大学を受験するのか?或いは、音楽大学で勉強をしているのか?」という質問を、そのままお答えするとしたら、殆んどの学生の人達が「ソロの演奏家」を目指しているということです。
しかし、100歩譲って、ソロの演奏家になれたとしても、それで食って行ける分けはないのだがねぇ~??
注:【以下の濃い青緑色の文字は読者に対してのご説明です。】
Nさんが、疑問に思ったのは、私の指摘通りの「現実の日本社会の中で、まずソロの演奏家という職業がそんなにあるのだろうか?
そして、あわよくばソロの演奏家になれたとして、それで生活が立っていくのだろうか?」という素朴な質問でした。
つまり、先ほど例に出した、医者という職業はかなり具体的に職業が見えているし、経済的にもそこそこの収入があるということは周知の事実なのです。
しかし、プロの演奏家という職種に関しては、はっきり言って誰にもその具体性がない事が問題です。
多分、「音楽家は医者とは違って、芸術家だから、生活が不安定なのは仕方がない。」と言う答えが返ってくると思いますが、それでも、陶芸家や画家などの職業は数は少ないとしても、生活を立てている人はいます。
しかしソロのピアニストとして、或いはソロヴァイオリニストとして、それだけで生活を立てている人は見た事がありません。
皆、大学に勤めたり、家でホームレッスンをしたりして、別に金を稼いで、生活を立てているとしか思えないのですがね。
「それならそれで、ピアノの勉強だけでは無く、生活のために、もっと大局的な視点から音楽の勉強にとり組むべきではないかしら??」 と、そう言った事を、友人達と話合ったそうです。
一般の大学では、2年生の頃から就職活動が当たり前で、3年生、4年生になると、100社ぐらいの会社訪問は当たり前です。
しかし、音大生は、4年生の12月になっても、就職活動をしていないのです。
(私が合えてここで、補足するとしたら、音大生は卒業年次の3月、4月になっても、まだ就職活動をしません。仕事が向うから,自分の方にやって来るとひたすら信じているのです。)
就職と言う事すら、頭に無くって、唯ひたすら、ピアノの練習に励んでいる・・・そこで、ふと、「じゃぁ、この人達はなんで音楽大学に通っているのだろう?」と疑問を感じたそうです。
【ソロの演奏家とは】
また、話を最初に戻して、*さんのご質問の「何を目指して・・・・・」ということの前提は、多分、音楽大学目指して勉強している音大受験生の皆さんが「プロの演奏家になる事を目指して、音楽大学で勉強している」と言う事で、疑問は、そういった職業が「誰でも簡単になれるのか?」と言う事だと思います。
まずは、そのこと自体が問題です。
どのlevelでプロというのかは、人によって違いますが、それにしても、有名音楽大学だけでも、何校あるのですかね?
5校、6校はあるでしょう?
その一つ一つの学校から、たくさんの卒業生が出るのですよ。1年で卒業する、音楽大学の学生の数は何人ぐらいか知っていますか?全国では、ウン万人になるのですよ!(参考に音楽の友社の出版している、音楽大学受験生の入学案内を買ってみてください。音楽大学と名前のある大学が何校あるのか分かりますよ。Best5かbest7の音楽大学の卒業生だけだとしても、何百人いるのかな?
その人達のトップの(best1か、best2かの)一人になったとしても、決して!!!プロになれるわけではないのですよ。
一握りと言うと語弊があるので、砂浜で落とした一粒のダイヤモンドを探すぐらいの確立とでも言いましょうか?或いは、もう少し分かり易く、ラクダが針の穴を通り抜けるぐらいの確率とでも言いましょうか、プロと言うのがソロの演奏家を指すのでしたら、5年に一人か、10年に一人でも・・・・??
・・・・いやそれはちょっと、幾らなんでも多いかな?
現実的に、今、クラシックの世界で活躍している人数を数えれば一目瞭然でしょう?
それはあんまりだ!というのなら、もう少しレベルを下げたとして、生活が立とうと、立たなかろうと、とりあえずは演奏活動を続けている人という意味では、ほんの数人はいたかもね・・・。
それでも、10年か20年に一人でも多いぐらいの確率ですよ!
だから毎年、全国の音楽大学から何万人と卒業している音楽大学の卒業生達がどんなに努力をしても、プロの演奏家になれるのは先ほどの「一粒のダイヤモンド」のお話になってしまうのです。
はっきり言って、ソロの演奏家という職業は存在しないのですよ。
世界的に言っても、演奏活動だけで生活を立てている人は殆んどいません。(尤も、世界的な演奏家の場合は話は別で、演奏活動やCDなどの売り上げだけで、充分に生活出来るので、それ(演奏活動)以外の仕事は、お金を稼ぐために、しているわけではありませんがね。)
しかし、音楽大学やそれに携わる先生方にとっては、音楽を勉強している女の子達の将来設計の具体性のなさが、経営の基盤を支えているわけですから、それは有難い事です。
音楽大学を受験する受験生たちに、現在の日本の音楽社会の現実が目に見えたら、誰も音楽大学なんか受験しないでしょうから、それは音楽の指導者や音楽大学等にとっては大変な問題になりますよね。
音楽大学の先生だって、「私の言う事を聞いていれば、必ずプロの演奏家になれるわよ。」と、言ってさえいれば、過去20年指導してきた生徒が一人もプロになれなかったにしても、音大の先生という地位だけで、どんどん生徒が集まって来るのですから、もしまかり間違えて仮に生徒達に(その先生の門下からはプロに育った生徒は一人もいない、といったような)現実の世界が見えたとしたら、それを他の人に話す事は、その先生に対しての営業妨害なってしまいますよね!
ですから、純朴な音楽大学のお嬢さんたちはただひたすら信じています。
自分の通っている音楽大学をトップの成績で卒業したら・・・
或いは、自分の師事している先生の言う事に逆らわないで、唯ひたすら言う通りに勉強したら・・・・、
絶対に、100%、プロになれる
という、不思議な夢(妄想)を信じて疑わないのです。
[プロになるには]
どのような仕事とであっても、プロの仕事というのは、どれだけの顧客層があるかで決まります。
演奏家を続けるには、まとまったリピーターが必要なのです。
それにはプロになるためのカリキュラムが必要なのです。
ただ、先生の言う通りに漫然とピアノを練習して、演奏会を何回か開けば、何とか演奏家になれるといったような簡単なものではありません。
そういった純朴な生徒さんでも、他の先生(自分が師事している先生以外の先生)についているお友達に関しては、結構冷静に(批判的に)考えられるのですが、そのことが、自分のことや自分が師事している先生になると、全く現実が見えなくなってしまうのです。
・・・・でも、まぁ、それを妄想と言うのですがね。
[それでもなお演奏家として生きて行きたいと考えるのならば]
後は、まづクラシック音楽に限って、・・・・演奏活動を続けて生きたい・・・と言う事だったら、給料はそんなによくはありませんが、一応月給がでると言う事で、プロのオーケストラに入団するほかないよね。
しかし、プロオケと名の付くオーケストラは日本では後にも先にも、6つぐらいしかないのです。そこで募集する各パートの人数は、・・・例えで言えば、ヴァイオリンの場合として、5年に一度ぐらいの割合かな?2人とか、3人とか、(つまり、団員が辞めるか、死ぬかしない限り、空きのポストは無いのですよ。)で、そのたった二つや三つのポスト(席)に、日本人だけでなく、外国人も含めて世界中から経験豊富な人達が集まって来るのです。
ニューヨークフィルやスイスロマンドでトップを弾いていた人達が集まってきます。日本人にしても、海外で10年、20年演奏活動をしていた人達が入団テストを受けに来るのです。
某国立音楽大学を首席で卒業したからとか言っても、或いは国際コンクールで一位をとったからといって、それは何のキャリアにもなりません。
他の人達は当然それぐらいのキャリアを何十年も積み重ねているからです。
だから音楽大学をトップで卒業した位では、おいそれとは就職は出来ないのですよ。
後は音楽大学を卒業して安定した給料が出ると言う事では、中学、高校の音楽の先生だけど、これは演奏家とは言えないから、最初のなりたくない職業と言う事になって、最初の質問とは内容がちょっと違うかな?
ということでソリストは無理、オーケストラに就職することも無理、となると、どういうふうに演奏家になるという夢を実現させるのかな?
勿論、この(演奏してお金を稼ぐと言う事が難しいという)話はクラシックに限った話です。ポピュラーの世界では、条件さえ整えば、演奏活動する事や、演奏のしのぎで、20代で家を立てる事も、難しいことではありません。
しかし気をつけなければいけない事は、一度ポピュラーの世界に足を踏み入れた人が、クラシック音楽を演奏する事は不可能なのです。
お水の世界から、普通の人に戻れる人がごく稀にいたとしても、ポピュラーの演奏家がクラシックの演奏家に戻れる事はありません。逆はよくありますがね。
昔、女子大生チェーンのクラブが始めて出来た時に、そこのマネージャーが「一ヵ月この世界に足を踏み入れた人は、必ずこの世界に戻ってくるのですよ。」と教えてくれました。最初の理由は、「海外旅行の資金を貯めたらさっさと辞めるわ。」とか、「かばんを買うお金を貯めたら・・・」とか皆言っているのだけれど、3ヵ月後とか、半年後とかには、一度お水の世界をやめても、また必ず戻ってきて、1年後には大学すらやめてしまって、しっかりお水の人間になっているそうです。
[音楽の指導者は演奏家になれなかった人達がなる職業だ!]
もしも音楽大学の学生が、音楽大学を卒業した後、音楽を職業として生活をすると言う事を現実的に考えるのならば、子供やアマチュアの大人の人達を指導するピアノの先生になることが、実際の可能性としてはいちばん高いはずです。
ほとんどの音楽大学では、(就職をしない卒業生を除いて)90%以上のその大学の卒業生たちが、どこかの音楽教室に努めるか、さもなければ自宅で子供達やアマチュアの大人の人達を指導しています。
そういった現状があるにもかかわらず、音大生は社会に巣立った先輩達が子供達を指導することは、「演奏家になれなかった(努力がたりなかった)から、仕方なく(それしかやることがなく)子供達の指導をしている」と考えています。
確かに、そういった考えは、今日の教育音楽社会の現状を見ていると、あながち間違えているとは言い難い気もします。
そういった音楽大学生が抱いている音楽教育に対する偏見は、音楽大学で生徒を指導している大学の先生に起因します。
「私は大学の先生だからえらいんだ。だから、チーチー・パッパの教育何て馬鹿馬鹿しくって出来るか!」
そういう風に、自分の生徒が将来就くであろう音楽教室の先生という仕事を頭から馬鹿にします。
そして自分の教え子の事を「あの子は、私の言う通りに練習しなかったから、音楽教室の先生になったのよ。」と、今の生徒に吐き捨てるように言います。
生徒は「先生の言う通りに練習しなかったら、罰として音楽教室の先生に転落してしまうのだ。」、と恐怖に駆られます。
「怖~い・・・!!」
「いやぁ~、純朴・・・!!」
追記:
こういう話をすると、いつも言われるのが、何処の音楽大学にも付属の音楽教室があって、実際に大学に子供が習いに来ていて、その子供達を対象にして、講師の先生が若い音楽家の人達にピアノの教育法等の指導をしているという話です。
その中でも桐朋は、子供の教育に熱心で、「子供のための音楽教室」として音楽教室を全国展開をしています。
当然そういったお話は周知の事実ですし、私がそういった事実を失念しているわけではありません。
こういった教室はあくまで、例外の教室であり、勉強の目的も対象になる生徒、父兄も特別な人達なのです。
(このお話も以前ホームページなどの論文で公開した事はありましたが、)こういった音楽大学の付属の音楽教室にかよっている生徒さん達は、経済的にも音楽を勉強する上での環境的にもとても恵まれた人達です。通っているその音楽大学に将来は進学したいという夢と目的をしっかりと持っている人も数多く見受けられます。
現にこのホームページにクレームを付けてくる人達の大半はこういった恵まれた環境で育ってきた人達が殆んどのようです。
しかし、誰でもお分かりとは思いますが、現実的には音楽大学の付属の音楽教室に通ったからと言って、音楽大学に合格する事が確約されたわけではないのです。
むしろ、厳しいレッスンに耐えられなくなって、挫折していく子供達の数は一般の音楽教室よりも多いのかもしれません。
そういった経済的にも環境的にも恵まれて、しかも厳しいレッスンに耐えて、生き残ってきた、超エリート達が、一般で音楽を学んでいる子供達を見た時に、自分との音楽や生活態度の違いにいらだち、厳しい態度をついついとってしまうのは致し方ない?
いやぁ、それはやっぱり許せません。
教室の先生を募集するために、若い音大の卒業生を面接した時に、私は「子供達に音楽の素晴らしさ、楽しさを教えて欲しい。」と、お願いしたのですが、若い先生の卵の方からは「音楽は楽しいものではありません。厳しく、辛いものです。」と、一蹴されてしまいました。
(これはホームページの別サイトに載せていますが、彼女達にとって「楽しい音楽」とはすなわち「レベルの低い音楽」を意味するのです。
ですから彼女は私から「子供に迎合した指導をしろ。」と言われたと勘違いをして、プライドが傷ついたのです。
彼女達にとっては、音楽とは、音大受験のための勉強であって、絶対に楽しいものではないからです。
楽しいものは趣味と解釈します。
そういった考え方で、(音大以外の)音楽教室に勤められると、生徒達はすぐにやめていって、小さな教室なんか一瞬で潰れてしまいます。
後から後から補充されて来る、超大手の有名な企業の教室だったら、上司に叱られるだけで、経営的には、さして問題はないのでしょうが、一般の個人の教室などではそれでは生きるか死ぬかの死活問題になってしまいます。
仮にそういった厳しさを売りにしている先生で、そういった指導に耐えられる、ほんの数名の生徒を指導したとしても、それでは生活は立ちませんからね。
(あっ、生活のための稼ぎは旦那がしてくれるから、必要はないのか・・・・!!)
私が求めている先生とは、音楽の楽しさや素晴らしさと身を持って教えてくれて、一人の落ちこぼれも出さない先生なのですよ。
[音楽大学での先生の立場から]
昔々、私が音大に入学してまもない頃、あまりにも大学の授業がつまらないので、先生に相談に行った事があります。(その時に、その先生に教えて貰った事が、後日、私が大学に勤める時の教育の指針となりました。)
その先生が私に教えてくれたのは、大学の授業と言うものは、(仮に生徒が100人いたとして・・・)上級の10人に合わせて授業をすると、下の90人は落ちこぼれてしまう。
しかし、落ちこぼれの下の10人に合わせて授業をやると、上の90人が退屈して勉強する気を無くしてしまいます。
と言う事で、結論としては真ん中の80人に合わせて授業をするのだそうです。
上の10人は放っておいても、自分で勉強します。
下の10人は幾ら先生が頑張って指導しても、所詮遊んで、最後には卒業できるかどうか・・になります。
ならば、真ん中の80名にターゲットを絞り込んだ方が、一番効率が良いと言う事なのです。
そういった意味で上の10名でも、真ん中の80名でも必ず、音楽の指導に携わるわけなのですから、大学が本来やるべき責務を果たして、卒業生の最も多い就職先である音楽教室に就職するためのノウハウの教育や初期指導に関するテクニックを、大学としてまじめに研究し取り組むのなら、音大生の子供達への教育に対しての偏見は無くなるはずです。
音楽大学として、学生の将来の就職の事を考えるのならば、現行のエリート達の教育ではなくって、「子供の指導に関するカリキュラム」や「初歩の教材に対する研究」といったものを、真摯に研究し、指導しなければならないはずです。
何処の音楽大学でも、少子化のせいだけではなくて、音楽大学を受験しようという生徒は極端に減っているのが現状であると思います。
それはクラシックを愛する人たちが持つ摩訶不思議な特権階級意識とでもいうか排他的な意識であります。クラシック音楽は上流階級の特権階級にだけ認められたステータスであるか、さもなくば、非常に厳しい職人の世界のように考えて、本来のクラシック音楽の良さを認めようとしないという特殊な世界がバックボーンに存在しているからです。
それに対して、巷で大手の企業や個人の教室で音楽を学んだ多くの人達は「私はクラシックは嫌いだ。」とか「音楽は嫌いだ。」とか言い始めます。
このようなクラシックの人口をどんどん減らしていくような教育をしていては、どこかの超有名音楽大学のように、入学試験で定員割れを起こしたり、先生達が生徒の取り合いをしたりして先細りになって行くのは当たり前のことでしょう。
音楽大学で勉強している人達のほとんどは、学校に残る事はなく、外の音楽教室で小さな子供達を対象に指導をします。
そのカリキュラムは大手の楽器店で作られたカリキュラムなのです。
しかし、そのカリキュラムはあくまで一般大衆に対して向けられた教材なので、本来はクラシックの教材ではないのです。
音楽大学でもリサイクル社会のように、ちゃんとリピーターを作らないと、そのうちには、大学に戻ってくる受験生はいなくなってしまいます。つまり音楽大学を卒業した生徒の弟子がまた音楽大学を受験するようなサイクルを作らないと、音楽大学自体が成り立たなくなってしまいます。しかし、大切な事は音楽大学を受験するのは音楽を学んでいる子供達のピラミッドの頂点の子供達なのです。音楽大学に進学するには天文学的な授業料を払えなければなりません。そういった生徒はほんの一部の特殊な生徒に過ぎません。[1]
ですから、音楽大学自体が音楽の裾野(Liebhaberやdilettante:音楽愛好家達)を作らないと、クラシックの世界はその内滅びてしまうだろう、と思うのは私だけではないでしょうね。
しかし、不思議な事に現実にはそういうカリキュラムを持っている音楽大学はありません。音大生が「子供の指導教育」というテーマに触れる事が全くなければ、子供の音楽教育に価値観を見い出す事はありえないし、そういった見識が無ければ、子供達の音楽の指導が全く出来なくても無理はありません。
一般人から言ったら考えられない事ですが、音楽大学の非常識は、現実を認識しない、夢だけを追い求めている、それだけだと言う事が出来ます。
そういった歪んだ大学の姿勢が大学を卒業した音大生に実社会と隔離された現実離れした生徒を作り出してしまうのです。
そして、ありもしない職業、演奏家という職業に憧れて、「私は、一生懸命に先生の言うとおりに勉強して来たから、絶対に演奏家としてやっていけるはずだわ。」と、思い込んでいます。(世界中に、演奏家としてだけで生活を立てている演奏家は何人いると思いますか?勿論、ポピュラーの演奏家は除きますが・・・!)
ですから、音楽大学の生徒さんで、「子供達にピアノの指導をしたい。」などと考える人はいません。
(おかしな事に、先輩たち、卒業生のほとんどがそういったピアノの指導者になっているにもかかわらず、音大生や音大生を指導されている先生達にとっても、「子供にピアノを教えるということが、努力が足りなかった結果の挫折である」と考える風潮があるからです。)
つまり音楽を指導する事は、プロになれなかった人たちが、仕方なしにやっている事だと考えるのです。
ま~、なんとか、音大生にとってのプライドが許せる範囲内の職業は、中学校や高校の先生ですが(一応公務員ですからね)、しかしそこでも若い女性が楽しげに教えられるような環境はどこにもありません。ですから、なんとか1年、2年と学校に通ってみて、とても無理だということに気がついて、結婚を理由に職場を辞めてしまいます。
面白い事には学校を寿退社した若い音楽の先生の半数以上が、退社後も結婚はしていないのです。つまり寿退社はただの退社するための口実にすぎないのです。
「現場でとても教えられなかったから」、とはとても言えないのでね!
結論的にいうと、演奏家以外の職業は無いと、そういう風に思い込んでいるピアノの学生が、「ソリストになるのはとても無理だ」と気がついた時には、(というよりも、そういった職業は最初から、全く無いのですが。) それでも何とか、自分のプライドの許す範囲である学校の先生になっても、結局の所、難しい時期の年頃の子供達にからかわれて、小馬鹿にされて、それまで何とか持ち続けて来たお嬢様としてのプライドが、子供達にズタズタにされて、学校を逃げ出してしまいます。
音楽教室で子供を指導するのは嫌で、また中学校や高校の音楽の先生にはなれないし、それでもなお音楽を職業とするとしたら、音大生の行く末はない事になりますよね?
それを分かりながら通うとしたら・・・・音大生は何を目的に、音楽大学で勉強をしているのだろうか?と言う事で、上記の質問が出たわけです。
この質問に対する答えはありません。
当たり前のことですが、「演奏活動だけを職業として、生活が成り立つ。」等と言う事があり得ない事は、音大生は、意識的にしても無意識にしても、(潜在意識的には、)現状をよく認識しているのです。ですから、それでも音大に通っている人に対しては、私たちは言うべきアドバイスはありません。
それでも老婆心から何らかのアドバイスをするとすれば、たった一ついえることは、正しい目で現実を認識するということです。20世紀の初頭には、不沈艦と呼ばれる巨大な船が沢山製造されました。戦艦ヤマトやタイタニックのような船です。そういった船は構造的にも絶対に沈まないと信じられてきました。「親方日の丸」が絶対に安定につながると信じられた昭和の世代と同じことです。しかし音楽大学を出た人で、プロになった人はオケマンやポピュラーの世界のスタジオミュージシャンや、大学に残って教育活動を続けている先生達のようなごく限られた人を除いては、音楽活動だけで生活をしている人と言うのは、ほとんどいないという現実を知るべきなのです。それでも音楽活動を続けたければ、自分の憧れる音楽家から、好きな所だけでなく、そうでない所もよく見て学ぶことが大切です。現実を直視し認識すれば、現状の日本の音楽社会のように、無知から起こる間違いをはっきりと見極めることが出来るようになります。
別のホームページの論文のテーマになりますので、ここで述べるのは差し控えますが、私がよく質問されるのは「音楽大学を卒業して、(或いは音楽を学んでいて)演奏家、教員以外にどう言った音楽の職業があるのですか?」と言う事です。
ここでさらさらと答えられる音楽大学の先生は殆んどいないと思います。大学を卒業して直ぐに留学して、日本に帰ってきてそのまま音楽大学に勤める、・・つまり外の世界を一回も見た事がない人達が音楽大学で先生をしているのですから。そういった先生が子供を指導したとしても、音大を目指す経済的にも環境的にも恵まれた特別な生徒だけです。一般の子供とのギャップは分からないのです。そこでその子供の父兄に「こういう練習を100回もさせれば良いのだ!」と言われてもねぇ!?
運よく、それで音楽大学に進学出来たとしても、すっかり音楽嫌いになってしまっていて、「音楽の練習は厳しく辛いものです。」と言われてもねぇ!
[教養としての音楽教育]
しかし、音楽大学で勉強する人達にとっては、就職活動については、何の心配もいりません。
つまり、「自分は将来、何の仕事に付かなければならないのか?」と言う前に、音楽大学に進学するお嬢様達は、大学を卒業しても、無理をしてまで働かなくて良いのです。良家のお嬢さん達ですから、結婚するまで自宅でのんびり余生でも送れば良いのです。
ですから、音楽大学生には、最初から自分で働いて、自分の力で生計を立てると言う発想はありません。
あくまで働くのは、結婚した相手の男性で、自分は家でのんびりとお手伝いさんでも雇って、ピアノでも弾いていればそれで良いのです。
と言う事で、私がこれまでせっせとホームページに書いてきた教育論文なんてものは、殆んどは無意味なものです。幾ら、音大生を啓蒙しようと思っても、大体において、ピアノやヴァイオリンなどの楽器を学ぶ人達は、最初からパソコンなんかやりませんし、ましてやホームページを開いて見る人も殆んどいませんからね。
[どうして音楽大学を出てから、留学をするの?]
質問:
ずっと疑問なのですが、音大生でプロになる人って、(みんなプロの演奏者を目指しているのでしょうけれど)結局みんな日本の音大を出た後、海外の音大で勉強し直していますよね?
ならば、日本の音大に行く意味あるのでしょうか?
なんか時間もお金も無駄な気が.....。
まずは日本で勉強して、実力をつけてから、ってことなんでしょうけれど. ...。
お返事:
その質問は「ご尤も」です。
と言うか、事態はそれよりももっと深刻です。
それは日本の音楽大学を主席で出て、日本のコンクールに一位で入ったとしても、音大生は留学をして、再び0からやり直しをしているのですから。
しかも、そうやって勉強してきた人のほとんどが、演奏家になれるわけではないのです。殆どの人達の人生はそこまでです。
後は、結婚して子育てで終わりと言う事。
運よく、演奏家になれた日本の演奏家のホープである、若手のヴァイオリニストの**さんや、中堅と言うよりも日本を代表する**さんですら、世界のコンクールで入賞を果たしたのに、(コンクールの後で)留学して、全く0から勉強し直しています。
日本の誇るピアニストのNさんも、ピアノを演奏する時に全くひどい手の型で弾くし、音もキンキンとして金属的で汚いので、あまり好きなピアニストではありませんでした。
某国立放送局でピアノのお稽古の指導をされている時には、テレビを見もしないで、「あんな弾き方で子供達が伸びるわけがない。」と考えていました。
機会があって彼女のピアノの指導をテレビで見た時に、彼女が指導している基礎的な内容があまりに正しいのに驚いてしまいました。
彼女は他のテレビのインタビューで留学と日本の音楽教育について、「私は16歳、20歳まで、日本でこれが正しいと思って、習ってきたのです。
コンクールにもそれで入賞しました。留学をして師事した先生や世界で活躍されている演奏家の人達に指摘されて、私が学んできたピアノの技術が間違いだと気がついたときから、何年も何年も、ずっと間違いを直すために努力をしてきたのですが、一旦身に付いた癖はとうとうどうしても取れなかったのです。
ですから私の模範演奏の型は良くないけれど、私の生徒達には、言葉(理論)では正しく教えています。」と言う話をされていました。
私も、自分の生徒達には、同様な事を考えて、(というよりも、音楽大学で日本流の、おかしな癖をつけられると、一生苦労する事になりますから)最初から、(高校を卒業した段階で)直接ヨーロッパに留学させています。
それでも(例え、ヨーロッパに留学したとしても)、本当に良い先生にめぐり合えて将来プロになれるのは運しだいですね。
と言う事で、今は少しでも、リスクを解消するために、生徒が本当にプロになることを望むのなら、私が指導出来る事は全て学び取ってから、留学するように進めています。
しかし、一般の人達は、水準というのをなかなか理解しようとはしない。
高校から直接ヨーロッパの音楽大学に進学するのは、飛び級になるのだと言う事も、他の国の留学生達はそれまでに、いくつもの音楽大学を卒業してから、ヨーロッパの憧れの音楽大学で憧れの先生に師事するのだということを、なかなか分かってもらえません。
良い先生にめぐり合える機会は、砂浜に落ちた一粒のダイヤモンドを探すのにも似ている。(ヨージーの法則1)
良い弟子にめぐり合える機会は、・・・・・。(ヨージーの法則2)
アッ、ハッ、ハッ、ハッ!
[音楽大学の学生は就職する意志はないのですか?]
質問:
音大って、いまだによくわかりません。
トップの人ですら、あれぐらいのテクニックなのでしょうか?
「演奏家になりたい!」と言いながら、レパートリーすら持っていないのに、どうして演奏家になれると思っているのですか?
音大生についても音大についても、見るたびに、聞くたびに、あまりにレベルが低くて、それで逆にカルチャーショックを受けます。
職業に対する考え方や社会に対する考え方が、一般大学の学生とは全く違うのと、現実社会を冷静に見ていないと、言うことは音楽大学の学生を見ていて、よくわかりました。
お返事:[日本の音楽大学とヨーローッパの音楽大学の違いについてⅠ]
全くその通りです。
テクニックの問題は、音大の学生が極めて閉鎖的な日本の音楽社会と言う土壌の中で勉強しているわけなので、なんともはや致し方がないので、さておいたとしても、レパートリーの問題や音楽家として働く事の意識のなさは、全くその通りだと思います。
ヨーロッパの大学は、音楽大学に限らず、職業学校のイメージが強いのです。
そう言った意味では、日本の「デモシカ音大」からヨーロッパの音楽大学に留学すると、カルチャーショックに陥ることになります。
おしなべて、ヨーロッパの音楽大学では、proとして、演奏活動するためのレパートリー作りが、教育の基本になります。
例えば、ウィーンの音楽大学は、入学時に100曲の曲が渡されます。
100曲といっても、chopinのEtüde op.25ならば、12曲全曲を弾いて一曲と数えます。
Beethovenのソナタでもソナタ全楽章が一曲ではなく、op.2のⅠ、Ⅱ、Ⅲで一曲です。
それを全曲マスターして、演奏会をやるか、試験で弾くかしないと卒業できません。
今の日本の音大生なら驚くかもしれませんが、私の若い頃の時代、・・・昔々の芸大の試験なども、chopinのEtüde op.25から、当日指定で4曲ぐらいを弾くという試験だったのですよ。
勿論そのほかにEtüdeの試験、Bachの試験、それに大曲を1,2曲ほど、弾かなければ(準備しなければ)なりませんでした。
この日本で、ですよ。
時代がだんだん現代に近くなってきて、若い受験生の意識が変わるにつれて、(音楽は職業と言う考え方から、お嬢様のステータスと言う考え方に)、だんだん曲数が減ってきて、chopinのEtüde op.25から6曲の中から、当日指定で2曲弾けばよいとかに、なったのですがね。
何故、そういったヨーロッパと日本の違いが生み出されたのでしょうか?
その結論は簡単です。
音楽大学を含めた日本の女子大(大学)は、就職するための(或いは勉強や研究するための)学問の場ではなくって、あくまで女性の結婚のためのステータスであって、あくまで経歴(結婚するときの履歴)のためです。
昔々の話ですが、私が大学を卒業するときに、謝恩会が帝国ホテルの広間で華やかにありました。
教授たちは満面の笑みを浮かべて、華やかに振り袖で着飾った女の子たちに「いやぁ、おめでとう!本当によかったね!」と話かけながら、テーブルをまわっていました。
会場の1番隅のテーブルには、男性の卒業生たちがどんよりとした場違いな暗い雰囲気を醸し出しながら、皆一様に青い顔をして「お前、就職決まったの?」「俺はまだなんだ!お前は?」とか深刻に話していました。
そこへ教授がやってきて、まじめな顔をして「落ち込むんじゃないよ!多分、良いこともあるかもしれないからさ…!」
私はむしろその教授達の豹変ぶりに驚いてしまいました。
毎年のことだから、もう慣れっこになっているんだよね!
私の場合には、養父から勘当されて音楽大学に入学したわけですから、大学1年生の時から受験生を指導したり、音楽のマネージメントをしたりして、当時、東大卒の初任給が1万5千円の時代に、毎月コンスタントに7万円は稼いでいました。
大学を卒業したら、すぐに留学をするつもりで、ドイツ人の神父さんにドイツ語会話を習ったりしていました。
ですから、同級生の友人たちと違って、卒業後の就職の悩みもなかったのです。
この思い出話をあえてしたのは、音楽大学を卒業する男性と女性の温度差です。
私たちの時代のほとんどの男性たちは、卒業と同時に仕送りを切られたからです。
このお話は、もう40年ほど前の古い古い昔話になります。
私は音楽教室経営という職業柄、音楽大学を卒業したばかりの若い男性たちの面接をすることがよくあります。
非常に不思議に感じる、或いはジェネレーションギャップを感じるのは、今の世代の若い男性たちが就職ということや自立するということに対して価値観を持たないということです。
それどころか、若い女性同様に職業をステータスとして、選り好みしているということなのです。
[日本の音楽大学とヨーロッパの音楽大学の違いⅡ]
ヨーロッパの音楽大学の場合には、ピアニストになるためには国家試験があります。国家試験に合格しないと、ピアニストにはなれないのです。
確か、日本人の留学生で、ドイツのピアニストの国家試験に合格した人はこの100年誰もいない(まだ一人もいない)と思いましたがね。
ドイツでは小学校の4年生の時に、職業に従事する人達と、大学に進学しようとする人は学校が別れます。
職業に従事する人はハンデル・シューレという職業学校へ進学します。
靴屋は靴屋の学校、肉屋は肉屋の学校に進学します。
靴屋も肉屋も全て国家試験に合格しなければなりません。
ですからギムナジウムという中高の一貫校に進学する人達は、大学に受験する人達だけなのです。
学校教育そのものが、すべての職種に渡ってプロとして勉強をする、という体勢が出来上がっているのです。
ですから当然、音楽大学でピアノを学んでいる人達は、男性でも女性でもプロのピアニストを目指す人だけなのです。
世界中からヨーロッパに集まってくる留学生もそれは同じです。
ですから学校の試験であっても、ピアノの試験の課題は、とりもなおさずプロのピアニストになって演奏会を開くためのレパートリー作りでもあるのです。
音楽大学を卒業して国家試験に合格すると(ドイツでは演奏家は国家試験に合格しなければなりません。)、ピアニストとして社会に認めれてちゃんと生活をしていくことが出来ます。
日本の大学は、大学という名前の一つの企業に過ぎません。
ですから営業利益の追求が中心なのです。
ヨーロッパ諸国のように、プロになりたい人だけを受験させ選抜すると言うような事をしてしまうと、受験生が一人も来なくなり、大学自体が潰れてしまうからです。
それは、国家の教育制度自体が違うからなのですよ。
[音楽大学と一般大学の違い]
それでも一般の大学は、少しは現実的です。
どこそこの大学は何処の企業とつながっているなどという、企業との引き合い(癒着)の問題があります。
研究室の運営費なども、国からの援助の他に、企業の献金で成り立っていますし、その成果はその企業に生かされるので、企業もより良い研究をさせるために必死です。
受験生だけで無く、企業サイドからも優れた人材を大学に送り込んできます。
ですから、一般大学を受験する高校生は、「何処そこの企業に勤めたいから、何処そこの大学に入学する」とか、「自分は就職ではなく研究室に残りたいから、何処の大学の方が良い」とか、将来を見据えた生徒もいたりして、すこぶる現実的です。
こういった意味では癒着という悪い言葉を使いましたが、学生がより実践的な勉強が出来るという意味において、非常に有益でもあります。
学生達にとっては、就職活動は、4年制の大学であっても、2年生になったあたりからは、就職活動を開始します。
3年生の始め頃には、会社訪問も、40社、50社は当たり前です。
それに対して、同じ学生であっても、音大生は卒業する4年生の12月になっても、就職活動する人はいません。
「私ぐらい優秀だったら、企業が頭を下げて、自分を迎えに来てくれる。」と信じて疑わないからです。
と言うか、働くと言う事自体がわかっていないからです。
それでいて何処の会社も迎えには来てくれないから、「音楽大学の卒業生は就職するところがない」、「音楽では生活が出来ない。」と大騒ぎをします。「生徒を指導するだけでは、たつきの糧を得る事は出来ませんよね。」と、子供達を指導して、生活をしている私達に聞いて来る先生がいたりします。アハッ、ハッ、ハッ!
じゃぁ、音楽大学を卒業して、音楽を生かして、就職できる所(分野)が具体的に幾つあるのか知っているのかな?
ピアノではなく、弦楽器や管楽器の人達で、初見が利いて技術もそこそこある学生さんは、音楽大学の学生時代には結構バイトがあるので、「音楽大学を卒業しても、そのまま現場で働ける。」と勘違いしている人が多いようです。まだ、日本に帰ってきてまもない頃の話なのだが、自分の音楽の研究の助手が欲しくて、近くの音楽大学の作曲科と楽理科の学生を呼んで、レポートを書かせたことがある。一応は予定の期日までに一応レポートを書いて持ってきたのだが、それを叩き台にして、推敲をしようとしたら「もう一度やるのですか? ! 」と驚いて作曲科の学生も楽理科の学生も二度とそれから来なくなった。
学校教育では、レポートは1回提出するとそれで終わりになってしまう。
少しでも、指導が真面目で熱心な先生だとしても、せいぜいよくても、添削されて帰ってくるのがオチである。
しかし、プロの現場では原稿の作成作業が学校のそれとは全く違う。
1回目に提出されたレポートは単なる叩き台に過ぎず、それからキャッチボール作業が始まるのです。長い場合には、その作業は数10回に及び、半年、 1年に及ぶ事さえままあります。
ピアノやバイオリンなどの楽器の場合には、先生が合格を出すまで何度も同じ曲のレッスンを受けることはどんな生徒でもやぶさかでは無いでしょう。しかし同じ生徒が、いちど合格した曲を、 2度目、 3度目とレッスンを受けるという感覚は通常はありません。合格した曲は二度と見てもらう必要は無いからです。
私達のメトードでは、小学生の時に習った曲を中学生でもう一回、高校生でさらにもう一回、大学生になって、社会人になって、繰り返し際限なくレッスンを受けます。その都度、レッスンの求める内容のNiveau がより高度になっていくのです。そして、ある水準に達すると、プロバージョンとしてレッスンを受けることになります。
しかもその人が演奏会でその曲を弾く度に、 「メンテナンスをしよう。 」ということで、演奏会で演奏することで荒れてしまったその曲をもう一度完全にメンテナンスします。
時間の許す限り、可能な限りレッスンを繰り返すこと、それがプロバージョンのレッスンなのです。 1回こっきりで書き上げた原稿等というものは、プロとしてはとても使えたものではありません。それが原稿として公開できるようにするためには、数限りない推敲と、そのためのキャッチボールが必要になるのです。プロになるための条件は、満足をすることなく、限りなくキャッチボールと推敲を繰り返せるという意識を持つということです。
浅田真央ちゃんがオリンピックや数々の国際舞台で金メダルを取った時のインタビューで、 「まだまだいろいろと課題が残っているので、努力を続けます。 」という答えこそ、プロのあるべき姿であり、プロとしての意識の現れた回答だということができます。