音楽大学受験と勉強の両立
[第二稿に当たっての前書き]
もともとこの文章自体は、一般大学の受験をさせるご父兄からの「音楽と勉強の両立は可能か?」というご質問に対してお答えをするために書き始められたものです。
ですから、文章の最初の方は、あくまで勉強がメインで音楽は趣味の生徒さんのご父兄を対象にかかれたものです。
ですから「音楽大学を受験する事に当たって」というお話は、内容の違いによって、二つの文章に分けるべきであったのかもしれないと思います。
またそういったアドバイスを教室の先生方からいただいたこともあります。
しかし、私のmethodeによる音楽教育は、音楽大学を受験しようと、例え一般大学のほうに進学しようと、指導自体何等変わるのもではないと言う事で、内容的には一つの事として理解していただかなければなりません。
また、一般の音楽教育の現場ではありえない事ですが、私達の教室に限っては、音楽大学に進学を希望すると言う事を言い出すケースが、高校生ぐらいの年齢である場合(そういったご希望にその年齢でもお応え出来るケースが多いので)もありますし、一般高校から一般大学に進学する生徒さんでも、結構専門的に音楽を勉強する方も多いので、あえてこの二つの文章をそのまま掲載する事にしました。
教室では如何にlevelの高い生徒であったとしても、音楽の勉強が学校の勉強の邪魔になるような教育はしていないつもりです。
むしろ、教室の経験では私のアドバイスをちゃんと有効に生かした生徒は高校を卒業するまでは、音楽の勉強も、学校の勉強も学校で一番を通したと言う生徒が沢山います。
むしろ、それが出来なくて音楽と勉強の板ばさみになるのは、日本の現行の教育のやり方から、ご父兄の方が離れられない、従来型の教育のイメージが先行してしまっているからなのです。
[初稿の前書き]
私がまだ若く大学の講師をしていた頃は、夏休みや他の休みの間を利用して、地方の音楽教室から頼まれてそこの教室の指導者やご父兄、或いは直接生徒を指導し、ご質問に色々お答えすること仕事もやっていました。
地方の教室でも、東京と同じように「音楽(お稽古事)と勉強の両立は可能か?」と言う質問や、「音楽大学受験と勉強の両立」は可能か?というご質問を受ける機会が多くあったのですが、その場合、私としても、答えに窮する事がよくありました。
それは、私が普段皆様にアドバイスしている、(この論文に描かれている)話が私たちの教室でのみ可能な事であるからなのです。
つまりこういった話は決して一般論ではないのです。
たとえ受験がメインで、音楽は趣味に過ぎなかったとしても、私たちの教室の生徒さんやご父兄にとっては、音楽の勉強の比重はとても大きなものがあるからです。
一般の教室では、受験がメインの生徒で、音楽はただのお稽古ごとにしかすぎないとすれば、受験勉強が忙しくなってくると、音楽の勉強はやめてしまいます。
だから一般的には、そういった相談すら、起こり得ないのです。
そういった相談を教室の先生達が受けること自体が、例外中の例外になります。
ましてや、趣味で音楽を学んでいた生徒が、高校生くらいになって突然「音楽大学を受験したい。」と言いだす事はないからです。
それはどういう理由かというと、音楽を楽しく学ぶ生徒は、当然レベルが低く、厳しく指導された生徒は、たとえピアノがうまくとも音楽が嫌いだからです。
ですから、以下の文章はあくまで私たちの教室に限ったお話なのです。
そういったことをあらかじめお含みの上、以下の文章をお読みください。
[この論文の趣旨について]
学校や塾の勉強と習い事の両立は、子供を持つ親にとっての大きな問題でもあります。私達もそういったことについてご父兄から相談を受ける事がよくあります。
そう言ったご相談をされた父兄の方への私達のアドバイスは、必ずしも同じアドバイスではありません。[1]
それは、それぞれの家庭で、習い事(私達の場合には音楽なのですが)に対しての考え方(把握の仕方)が違うからです。
[一例として、将来の教養としての音楽の勉強]
ですから、まずはご父兄の「子供の勉強と音楽の関わり方」についての考え方(価値観)を知る事が、私達がご父兄に対しての適正なアドバイスするための重要なポイントになるのです。
またご相談の中には、子供を「音楽の方面に進ませたいから」という分けではなく、「一般大学に進学させる事自体は決まっているのだが、音楽を学ばせることと学業をどういうふうに親としては価値づけたらよいのだろうか?」という質問を受けることもあります。
このご相談の多くは、(勿論、子供のキャパシティにもよりますが、)基本的には地域の有名中学校や名門と呼ばれる進学高校に子供を通わせているご父兄の方達に多い例です。
そういった有名校の生徒たちは、一様に音楽に対しての見識も深く、ピアノやバイオリンなどの技術も音楽学校に進学する生徒たちに劣らない技術を持っています。
それは子供の教育のNiveau(水準)による所であり、学力でトップクラスの水準を保つlevelの子供たちは、当然教養に対する造詣の深さでも、その水準を保っているからなのです。
このお話は、後述の文章と同じ内容になってしまうので、ここでは軽く触れておくにとどめますが、このタイプの生徒も教室には数多くいます。
江古田や千葉に教室を開設したばかりの頃から、小学校に入学する前からずっと、それこそ教室に10年以上在籍しているのにも関わらず、不思議なことに1回も発表会に出ないし、しかしそれなのに学校の試験があろうと、それどころか高校、大学の入学試験があろうと、全くいつも通りにlessonに通って来るという名門進学高校の生徒たちがいました。
彼らにとっての音楽の勉強は、上手くなるためのものではなく、あくまで自分の精神的なバランスをとるためのアイテムに過ぎないのです。
潤滑剤であり、受験勉強というプレッシャーからよりよい精神のバランスを取るための重要な武器になっているのです。
そういった生徒たちの場合には、「勉強と音楽の両立」ということで、相談を受けたことは、(当然のことですが)一度もありません。
彼らの所属している社会そのものが、疑問の余地もなく「勉強と音楽の両立」が至極当然のように成り立っている社会であるからです。
[勉強と音楽の両立について]
ほとんどのケースの場合には、子供達が物心が付くようになって、音楽の勉強を始めます。
小学校に行くようになって、ピアノやヴァイオリンがだんだん上手になってきて、小学生の高学年頃になって、学校とか勉強とか、塾とか、子供が望むか望まないのかにかかわらず、音楽と勉強の両立と言う問題が起こってきます。
勿論、親や子供の進路が勉強の方にしっかり決まっている場合には、取り立てて問題はありません。
[一般大学に進学した男子高校生が話してくれた話(平常心)]
中学、高校の成績が非常に優れている名門校の生徒には、音楽(教室)との関わり方に共通の考え方があります。そういった生徒たちは、不思議な事に、共通して(受験がメインで音楽は趣味に過ぎないのに)、たとえ学校の試験があろうと、果ては大学の入学試験があろうと、全くレッスンを休む事なく普通に教室に通ってきます。
教室に10年以上いるのに、一度も発表会に出ることもないので、教室の同世代の男の子達ですら、誰も彼らの事を知りませんで。発表会に参加することがなければ、実際に会って話をする機会はないからです。
東大受験の真っ最中に、関係なく普段通りに、普通にlessonに来ている生徒に聞いてみました。「大学受験なのに、どうして休まないの?」
彼は答えて言いました。「一番怖いのは、ペースを乱すことです。入学試験だから徹夜したり、勉強時間を増やせば、その時はなんとかなったとしても、必ず次が上手く行きません。平常で出来るようにしてしまえば、どのようなときにでも絶対に失敗する事はありません。」
友人にその話をして、「高校生が言う言葉かね?ほんとは、大人に聞かせたい言葉だよね。」と言うと、友人は「そのlevelの子供だから言える言葉なんだよ。」と言っていました。
全くその通りですよね。
でも、親もその子供のローテーションを認めてあげていると言う事は、やっぱり、その家の教育に対しての考え方自体が、一般の家庭とはちょっと違うよね!
[「レベルが高い」ということを専門的と捉える風潮]
一般という言葉が出ましたが、一般の人たちは「もしも音楽を趣味として捉えるのならば、音楽のlevelはほどほどでよい。」と捉えることが多いようです。
しかし現実的には、県の有名進学高校に通っている受験生たちは、音楽の技術の水準もかなり高レベルのものがあります。
もしもこの生徒たちが音楽の受験のための別の教科(ソルフェージュや楽典、或いは副科ピアノなど)を勉強と同じ水準で習得するとすれば、音楽大学に受験する生徒たちと遜色を取ることはありません。
それほどの高レベルの水準で教養の音楽を習得しています。
そこが、多分一般の子供達との違いであると言えると思います。
というわけで、子供達が進学で失敗をするのは、親が(少しでも勉強のために子供達の負担を取り除こうという)間違えた配慮の結果であることが往々にしてあります。
音楽を学んでいる子供達で、音楽技術のレベルが非常に高いからといって、皆が皆、音楽大学へ進学する訳ではありません。
ほとんどの子供は、音楽を趣味として一般大学の方へ進学します。
そういうわけなので、教室も父兄から相談を受けない限り、原則として子供達が一般大学に進学するものとして捉えています。
[私達の教室へのイメージ]
教室を取り巻く世間一般の人達が持つ教室に対するイメージは、本当の実際の私達の教室の姿とは、ちょっとずれている事が多くて、私達としても説明に困る事があります。
それは私達の教室が『クラシックオンリーの教室である』と言うことを看板にしている事で、専門的に音楽を勉強する方や、音楽大学に進学しようとしている方達だけを指導している特別な教室のように勘違いされる事があると言う事です。
「え〜っ!あそこの教室に通っているの?!厳しいでしょう!練習やlessonは厳しくって大変じゃないの?」とかいった風に・・です。
で、父兄の方が「えっ!そんな事はないよ!優しく教えてくれるし、練習して行かなくっても、別に怒られる事もないし・・・。」と言っても、「ふ〜ん??嘘でしょう?」と、なかなか信じてもらえません。
一般の大手の教室は、子供達の好きなディズニー・メロディーやテレビのアニメ・ソングなどの編曲ものを弾かせます。或いは、アメリカの現代作曲家の子供用に書かれた小品などを発表会などで演奏します。
前提となるのは、「クラシックの音楽は難しくて、つまらない。」と言う考え方です。
私達は、それは、指導する側が正しいクラシックの音楽を子供達に指導しないことに原因があると思います。
私達の教室では、「クラシックがつまらない。」と考える子供は一人もいない、と言う事なのです。
ですから、子供に迎合したような音楽を子供に弾かせる必要は全くないのです。
以前、教室に入会しようと見学にいらした方から、「アニメソングやポピュラー音楽を発表会で弾きたいのですが。」と言われたことがありました。
私達は、この教室を音楽の教育の場として考えているので、「もし、そういった曲を先生に習ったり、発表会で弾きたいのならば・・・、」と、近所の大手企業の音楽教室を紹介しました。
本当にクラシックの好きな方や音楽教育に対して所懐をお持ちのご父兄方の教室でありたいからです。
日本の音楽教室はテレビなどのアニメ・ソングやディズニー・メロディを教えてくれる教室の方が一般的だからです。
むしろ私達の教室のように最初からクラシック・オンリィーで指導している教室のほうが、日本では珍しいと思います。
[私達の教室での勉強と音楽の両立の捉え方]
ではどうしてそういった(クラシック・オンリィーの教室は音大に進学するような専門の生徒のみを指導するといったような)勘違いが起こるのかと言うと、一般の音楽教室から音楽の方に進学する生徒たちがいた例はほとんどいないと言う一般社会の現実です。
また一般の音楽教室の場合には、特別に優秀な生徒たちで、音楽大学を進学することを希望する生徒たちは、早期に目的の大学の講師か教授の先生にレッスンを受けるからです。
ですから、私達の教室のように、巷の音楽教室のなかで(各音楽大学の教授などに師事する事なしに)直接音楽大学を受験したり、留学、或いはコンクールなどを受ける生徒たちが数多くいるということは、日本の一般音楽教育の社会の中ではありえないからです。
音楽大学に子供達を進学させることの出来る能力がある、ということは、あくまで指導者個人のレベルによるものであって、教室という複合的な単位ではそういったものは現状ではありえないからです。
つまり、日本の音楽教育の考え方をまとめると、
@ 音楽の上手な人は皆音楽大学進学する。
A 音楽大学に進学するためには、大学の先生につかなければならない。
B プロになるためには、音楽大学を卒業して、コンクールに入賞して、海外留学をしなければならない。
日本の音楽教育にとって、いとも都合の良いご都合主義の考え方が定着していて、あたかもそれ以外の道は存在しないかのように思われています。
この話は、音楽と勉強の両立という観点からは少しズレてしまって、むしろ私の論文「プロになるためには」に、より詳しく書かれていますから、そちらの論文を参考にしていただきたいと思います。
私達の教室では、最初はごく普通の音楽教室のように、ごく普通に音楽を勉強したいと言って入会してこられる方がほとんどです。
しかし、教室の教育方針で子供に音楽の興味や価値観を抱かせるのを指導のポイントにしておりますので、将来的に音楽に興味を持って、音楽の方に進みたいと言って来る生徒さんの数が非常に多いことは事実です。
その結果として教室に入会している生徒のパーセンテージ的に、音楽方面に進む人の数が非常に多いので、一般にはとても厳しい教室で、音楽に対しての目的意識が「音楽に進むことだけを考えている人達だけが入会できる教室」のように受け取られているのです。
そういった根も葉もない噂は、教室開設以来、20年越し、30年越しなので、正直な所困ってしまいます。
実は私達にとっては、子供が勉強と音楽を両立するか、学業を中心にして音楽を二の次、三の次にして、おろそかにするかは、私達の音楽の指導上にとって何か問題になる事は無いのです。
前に述べた優秀な成績の子供の話でも、述べたように、教室のカリキュラムは、趣味で音楽を勉強している生徒から、専門的に音楽を勉強したいと言う生徒まで、無数のカリキュラムがあるからなのです。
だから生徒の音楽と勉強のかかわりと言うのは、それぞれの家庭の問題で、私達にとっては、別に何でもない事なのです。
つまり音楽を子供の生活の中心にして子供を教育すると言う事は、親が子供を音楽大学に進ませたいのか、子供の夢が将来音楽家になりたい、という話でない限り、教室の関与することではなく、音楽の予習復習と勉強を如何に両立させて行くかということは、子供や家庭の問題であるからであります。
と言う事で、教室の方から、勉強と音楽の両立や兼ね合いと言う問題は、本来的には父兄にお話する事は無いのですが、よく音楽教育も勉強の一環として捉えている父兄から「勉強と音楽の両立のさせ方」を尋ねられる事があるので、そういった立場上から、敢えてここにこの話をする事にしました。
教室の方針ではなく、あくまでそういった後父兄を対象にして、参考に・・・と言う事であるので、誤解のないように・・。
以下は音楽大学受験を対象とした人へのお話です
[一般では、音楽に進むには、厳しいlessonに耐え忍んで・・・]
通常の世間通念では、音楽に進学しようという人達は、音楽大学の先生のとても厳しいlessonに耐え忍んで、そこで、耐えられた人達だけが、音楽大学に進学する事を許されるとされます。
という事で、Rちゃんはお父さんお母さんが努力を重ねて、色々な人づてに手を回して、やっと芸大の先生の所でlessonを見てもらえることになりました。
えっ???芸大の先生・・??? ・・・それは、ちょっと、困るかな?
芸大で指導している先生が自宅で生徒を取る事は、本来は公務員法に抵触するのです。
本当は、芸大の先生が、生徒をお金を取って、指導する事は出来ないはずなのですがね。
だから、「私の子供は芸大の先生についています。」と言う事はありえないのですよ。
そのためにちょっと利口な先生は、表向きは奥さんやお弟子さんが、その先生の家で生徒や子供達を教える事になっています。
しかし、本当に大義名分ではなくって、大概の場合、奥さんやお弟子さんが生徒を指導して(先生が顔を出すのは、せいぜい二ヶ月に一回ぐらい、それもほんの一瞬、お義理程度に顔を出すだけの、極、極、稀な事なのだが・・・)、それでも、神社仏閣のご本尊と同じで、ありがたや、ありがたやで、あります。
楽な話ですよね。
コンクールなどの子供達を入れている音楽教室では、趣味で音楽の勉強をしている生徒を断っているか、入れたとしても、大変な厳しいlessonをしているかが普通で、反対に趣味で楽しく指導している音楽教室の生徒のlevelは低いとされています。
そういった意味で、私達の音楽教室が音楽を楽しく勉強させながら、「音大やコンクールにも合格しています。
果ては、留学や、プロなんかも育てています。」何て話をすると、一般の父兄に限らず、音楽を専門に勉強している生徒や指導している先生達にとっても、「そんな事はありえない。」「それは眉唾の話だ!」と言う事になって、誰からも信じてもらえなくなってしまいます。
日本人にとっては、levelが高いと言う事と、楽しく学ぶと言う事は共存しえない水と油の世界のように受け取られていて、何度そこのところを説明しても、分かってもらえない、(理論では分かるのだが、現実的にはあり得ない事として、)捉えられてしまいます。
[子供が音楽に進みたくなる年齢は]
私達の教室では、子供の頃から、親も子供も、ただ受験勉強がメインで、音楽はただの趣味でしかなかった子供達が、突然、「音楽のほうに進みたい!」と言ってくるケースがよくあります。
しかし、そういった相談を受ける時に、いつも困るのは、御父兄や子供自身が、そういった音楽大学への進学の話をして来るのは、子供の学年が、どんなに早くとも、高校2年生(極稀に1年生の夏)頃からなのです。
一般社会では、音楽大学に進学するために勉強を始める時期は、小学生の時期です。
勿論、その頃は、具体的に子供自身が将来の夢を抱ける事はごく稀にしか過ぎませんので、そこを決めるのは、父親か母親の夢による事が殆んどのようです。
子供が自分の大人になったことを想像できる年齢、(それがとりもなおさず、自分を社会の一員として捕らえる事が出来るようになる年齢)が高校1年生の夏か、2年生の夏ごろと言う事です。「夏」と言うのは勿論学校が「夏休み」で、学校の勉強やお友達に振り回される事がなく、自分に向かい合える時期だからなのです。
[中学校、或いは高校から音楽大学に進学するための勉強をしても間に合うの?]
しかしながら、現実的には、一般的な音楽教室では、高校生になって音楽大学に進む為の勉強を始めるのは不可能なのです。
当たり前の事ですが、それまでにある程度の水準に達していなければ、幾らそれから頑張っても、受験のlevelに到達する事は出来ないからです。
一般教科の場合は一生懸命努力すれば、それまでの積み上げがなくとも、勉強をして、受験までに間に合わせる事は可能かもしれません。
しかし、音楽の場合には、子供の内からの体を作っておくことが必要だからです。
そういった意味では、クラシック・バレーやフィギュアースケートのような教科に似ているのかもしれません。
私の教室にも、その水準が足りないために、色々な教室を回っても、指導する事を断られて、尋ねあぐねて私の所を訪れる高校生の方が今までも何人もいました。
つまり、それまで、音大受験の勉強をしていなくて、いきなり高校生で「音楽大学に進学したい。」と言っても、まともで良心的な音楽教室なら断る方が当たり前なのです。
受験ぎりぎりまでlesson代をふんだくって、いざ受験したら落っこちた!じゃぁ、音楽教室の信用を全くなくしてしまいますからね。
ましてや、一般の音楽教室では、受験生を指導出来る教室はそんなに多くはありません。
もしもそれでも、「音楽大学に合格させてやる。」という先生がいたとしたら、それはとても、不誠実な先生です。
それか、若しくは自分の実力を知らずに、「自分だったら音楽大学に生徒を合格させる事が出来る・・・・・かも知れない。」と考えている、一度も音楽大学に生徒を入れた事のない先生です。
[そういった生徒の一例として]
私も通常は、他の先生と全く同じ立場を取らざるを得ませんが、それでも面接に来たその内の一人、二人の生徒は、ある程度の条件をつければ音楽大学に進学させるという可能性はあるかも、と言う生徒もいました。
しかし、やはり大半は、私といえども、如何せん、どうにもならないのです。
そういった一例として、
やはり、あちこちの受験生を指導出来る先生を尋ね回って、全ての先生に断られて、教室にきた高校2年生の女の子がいました。
ピアノの技術や理論なども、全て遅れていて、ぎりぎりというよりも、やはり水準には少し足りないのですが、それでも断らないで教えてみようかなと思いました。
その理由は、その子のお母様が音大出身であったことです。
つまり、ある程度は「音大受験の厳しさや特殊性、難しさを理解しているかな?」と思ったからです。
彼女と母親に、lessonを見てあげる条件は、音楽大学を受験出来るだけの基礎が育つまでは、学業(学校の勉強は犠牲にして、音楽の勉強に専念する事)と言う事でした。
千葉の有名女子校に通っているその女の子は、その子なりに頑張ってくれて、lessonは順調に一ヶ月、二ヶ月と経過していきました。
「このまま努力を続ければ、何とか1年半後には他の受験生と同じlevelにまでには持っていけるかな?」と私が思うところまで、その子は頑張って勉強してきました。
ところが、いやぁ〜、7月の期末試験になった時の話です。
母親が私に電話をよこしてきて、「次の週は、期末試験だからレッスンを休みたい。」と申し出てきました。母親に確認すると、母親は「うちの子供だけが、悪い成績を取ると、かわいそうだから。」といいました。
私が「面接のときに、学校の成績が落ちても、音楽の勉強を優先する事を、あなた達と約束したはずですよね。」というと、母親は「でも、幾らなんでも、同じクラスの友達の前で、成績がびりになったら、とてもかわいそうだから!」
「じゃぁ、浪人させて、来年頑張りますか?」と聞くと、「浪人は、絶対にさせません。」と勝手な事を言い始めました。
ピアノが少し上手くなってきて、安心したのか、それともやっぱり子供に対しての甘さが出たのか、面接の時にした話とは、えらい違いで、もうすっかり約束の内容が変わってきてしまったのです。
私はその電話で即、「そういうことなら、私は大学に入れてあげると言うお約束の責任が取れませんから、来週からlessonはお断りします。」と教室をやめてもらいました。
たかが、期末試験の一週間を休むだけで、lessonをお断りすると言う事は、傍目から見ると厳しいように思われるかもしれませんが、もしここでそのわがままをそのまま許してしまうと、後日要求がエスカレートしてきて、私自身が確約した「音大に進学させてあげる。」と言う約束が守れなくなってしまうからです。
しかも、そういったタイプの人は、それで入学試験に落ちてしまうと、その原因を自分の甘さのせいではなく、必ず人のせい、指導者の実力不足のせいにするからなのです。
私の子供達を指導してきた50年近い人生の中で、私の方から教室を止めてもらった、僅か二人か、三人かの生徒の例です。
一般の人がこの話を聞いたとき、親としての立場では、「あと1年も2年もあるから、その場になったら何とかなるのでは・・・」ということも考えるのでしょうが、私にとっては、学ぶにも段階(step)と言う物があるので、今現在の彼女のlevelからその努力で受験までの期間でどれくらい上達できるのか、それがその大学の合格ラインに到達出来るかどうかは、一年前、2年前でも、いや本当は、10年前からでも、(私の長年の)経験的に分かるのですよ。
本当は、期末試験の一週間を休んでも、それでも音楽大学に進学できるだけの音楽の技術力(ゆとり)がその子にあったらよかったのにね。
もし、それだけの実力がその生徒にあったのなら、私も期末試験で一週間休んだとしても、問題にする事はなかったと思いますよ。
(但し、私が「期末試験で、lessonを一週間休んでも良い。」と許可するのは、「もし、その生徒が音楽大学に進学するのならば、」という条件が付きます。
もし、夢が「将来、音楽家になりたい。」と言う事ならば、期末試験でも休む事は許されません。
音楽を勉強すると言う事が、日常の全てよりも優先するということが、平常にならなければならないからです。
音楽家は日常、音楽してなければならないからです。ハッ、ハッ、ハッ!)
そこで話は振り出しに戻ります。
[教室と音大受験]
この話はもう既に、一度お話したお話です。
「ただ受験がメインで、音楽は趣味でしかなかった子供達が、突然音楽のほうに進みたいと言ってくるのは、どんなに早くとも、高校2年生(極稀に1年生の夏)です。(つまり、小学生や中学生で、音楽に進みたいと考えるのは、まだ夢や憧れの世界に近いもので、決して音楽を現実のものとして捉えているのではないという意味なのです。)
一般的に音楽を教えている教室では、それまで趣味でやって来た生徒が、高校生になって突然、音楽大学にすすむための(進まないとしても、ピアノの先生などになるとしても)勉強をそれから始めるのは不可能なのです。
趣味で音楽をやっている人達だとしても、もし努力しないで上手くなれるとしたら、誰でも上手くなりたいですよね。
音楽は素敵ですよね。
音楽の本来のよさが分かってくると、それを職業として、日常生活を音楽の中にどっぷり浸かっていたいものですよね。
教室でも、それまで一般大学を受験させるために、塾に子供を通わせていた親が、生徒が高校になった1,2年経った頃、教室に子供を連れて来て「塾の成績(学力)が4年制の大学に受験するには足りないので、どうしても4年制の大学に進ませたいので、音楽大学を受験させてもいいですか?他に4年制では、行くところがないので・・・。」という、とんでもない、デモ、シカ受験を頼んでくるケースが時々ありました。
困ったお話です。
それでも、兎に角、勉強の方がメインでその息抜きでのただの趣味として音楽を続けて来たとしても、子供の頃から教室で勉強してきた生徒達ならまだしも、中には、中学生の頃になって、教室に入会した本来の目的が、「子供が、音楽が嫌になったから、せめてピアノを止めないようにして欲しい。」という希望だったケースもあるのですから。
例え、デモ、シカでずっと習っていたとしても、私達の教室の生徒達の技術、ピアノやヴァイオリンや楽典等の基礎力は、一般の音楽教室の生徒達の基礎力とは比べ物になりませんので、それまでに、オケや室内楽の練習に参加してさえいれば、或いは楽典のlessonを受けていれば、高校生ぐらいになっても、何とか音大に進学させる事ができます。
オケや室内楽に参加していなかったとしても、日常的に教室に来てさえいれば、つまり教室をやめないで音楽の勉強を続けてくれてさえいれば、そんなに苦労することなく音大受験のための勉強をすることで音大に進学する(ピアノの先生になる)事が出来ます。
そういった話は、もし他の場所で同じ話をしても、きっと誰も信じる人はいないと思います。
「そんな夢のような話はあるはずがないわ!」と言われるのが関の山でしょうね。
普通の教室では、小さな小学生の低学年から音楽大学受験を決めて、(と言っても、そんな子供が音楽大学受験なんて決めるわけは無いでしょう。
それはあくまで親の願望です。)楽典やsolfegeなどの勉強をして、やっと音楽大学の受験が出来るのです。
それが、一般社会の常識なのですよ。
趣味で音楽を勉強している子供が、高校生にもなって、突然音楽大学を受験したいと言い出して、それから音大受験をして、音楽大学に入学できると言う夢のような話があるわけは無いでしょう?
でも、いつも言うように、本当に自分の将来が見える年齢は何と、高校の1年生か2年生ぐらいなのです。
教室でも、そういった申し出を言ってこられる生徒父兄は、教室を続けていると、結構ありました。それで、普通に趣味的にでも、教室の中で音楽の勉強をしていれば、それでも何とか音楽の方に進む事は出来ないのかな? と言う大変な難しいテーマを抱える事になりました。
つまり、音楽に進むと言う事は、ピアノやヴァイオリンなどの専門教科(音楽用語では主科と呼びます。)以外でも、せめて楽典やsolfegeだけは、いつなんどきでも生徒が「音楽の方に進みたい。」と言い出しても、大丈夫なように、技術や実力だけは付けてやっておく事が、教室の子供達に対する責任だと思います。
[音楽を楽しく指導する教室は]
音楽を楽しく指導しているだけなら、そういった教室はいくつもあります。
それらの教室は、ただ単に子どもの好きそうなテレビのアニメの音楽や、流行の曲のアレンジものを弾かせたり、ソナチネを1曲仕上げるのに1年以上もかかったりで、音楽大学に進学したいと言い出した高校2年生のその生徒のレベルは、まだソナチネを2、3曲しか勉強していない状態で、ただ単に音楽が好きだから「音楽大学に進みたい。」と相談に来られたりします。
父兄の方も、音楽大学を受験するのにはピアノ(ヴァイオリン)の技術さえあれば、後は学校の勉強さえちゃんとやっていれば、受験できると勘違いしている人も多いようです。
しかし、音楽大学受験には専門教科の実技の他に(主科をピアノ以外の楽器で受験する場合は)副科のピアノと、それ以外にも音楽の沢山の教科があります。どういった教科があるのかは、ここでは述べませんので、次のページを参考にしてください。
http://music.geocities.jp/ashizuka_ongakukenkyujo_a42ka/ondaishingaku.htm
(芦塚音楽研究所の音大受験のページです。)
一般の音楽教室で、音楽を楽しく指導して、子供を音楽を嫌いにさせないで、高校まで続けさせることが出来たとすれば、それはそれで、とてもすばらしいことです。
しかし、だからと言って音楽大学に進学できるわけではありません。
それと音楽大学の受験は全く別物なのです。
受験には曲それ自体のlevelや、私達が言うところの専門教科と、色々な音楽を勉強するのに必要な教科(副科等)のNiveau(水準)が必要なのです。
「もし音楽大学に進学させたい。」「外国に留学させたい。」「プロの演奏家にさせたい。」などの希望が本人やご父兄の方にある場合には、専門の楽器(ピアノやヴァイオリン、チェロ)等の外に、色々な専門的教科を勉強しなければならないのです。
その教室の先生や生徒に「音大進学のピアノのレベルは、こうですよ。」「音楽大学の受験に必要な教科はこれだけありますよ。」といって説明しても、そんなレベルの曲や、教科を見た事も聞いたこともないので、父兄と子供がお互いに顔を見合ったままで、呆然としてしまいます。
何も知らなければ、何を話して良いか分からないモンね。
総合的なまとめ
[ピアノ(ヴァイオリン)の先生に対しての苦言]
あるときに、そういった話を他の音楽教室の若いピアノの先生としていた時に、その先生が「でも私が教えている生徒には、そんな優秀な生徒はいないから大丈夫だわ。」と言っていました。
そこで、私はその先生に言いました。
「あなたが教えている生徒は、全員趣味の生徒と言う事だけれど、その生徒が音楽が好きになって、或いは子供を指導することが好きになって、その生徒の将来の夢が『幼稚園の先生になりたい。』とか、『小学校の先生になりたい。』とか、或いは『音楽大学に進学したい。』と言い出したときにはどうするのですか?」
「勿論、生徒がそうしたら、音楽進学の専門の先生に回します。」
「じゃぁ、その時に進学専門の先生から、『その技術じゃぁ、音大は無理よ!』と言われたら、あなたはその生徒にどう弁解しますか?」
その先生は、憮然とした顔をして、返事に窮していました。
実際にはそういった話はとても多いのです。
音楽を楽しく指導すると言う事を、子供の好きな曲だけを弾かせるとか、子供の自由に弾かせて、基礎的なことを何も指導しないとかです。
そこで子供が音楽を好きになったとしても、そこからの将来が無ければそれはやはり間違えた教育なのです。
繰り返し私が述べているように、「しっかりとした基礎教育を施す」と言う事と、「厳しく怖く指導する」と言う事は全く別の次元のお話で、指導上の関連性はありません。楽しく指導しても、きちんとした基礎教育をする事は幾らでも可能なのです。
しっかりとした基礎を身に付ける事は、音楽大学などに進学するから必要である、と言う意味ではありません。一般の音楽を趣味とする生徒にだって大切なことなのです。音楽の勉強の仕方そのものが、他の勉強の仕方の模範になります。音楽の表現を身に付ける事は、大切な少年時代に青春の悩みや苦しみを味わう事の少ない無味乾燥な進学のためだけの潤いのない勉強から子供達を救い出す、重要なアイテムにすらなるのです。そういった意味では、今日、むしろ、受験勉強に悩んでいる少年達にこそ、音楽の教育は必要なものであります。
そして、いろいろな作曲家の魂や、色々な時代の考え方、様式などを音楽を通じて学んで、しっかりとした教養を身に付けられるように、願ってやみません。
第一稿
1997年8月吉日
江古田一静庵にて
一 静 庵 庵 主 拝
第二稿改訂
2009年2月20日
江古田一静庵にて
一 静 庵 庵 主 拝
[1] この話は誤解しやすいので、敢えて確認をしておきます。将来の目的によって変わるのは、あくまで「音楽と、どう向き合っていくか」というアドバイスであって、指導内容を代えると言う意味ではありません。「音楽を専門にしないから、レッスンの内容を下げる」と言う意味では決してないのです。