オーケストラ・室内楽参加者保護者への説明会のお話

 

はじめに

オケ・室内楽参加希望者の顔合わせを、花園教室で行いました。

同じ日にオケ・室内楽参加者の保護者の方々にもお集まりいただいて、芦塚先生から芦塚音楽教室設立に至った本来の目的とオケ・室内楽の趣旨説明を直接お話しいただきました。

芦塚音楽教室は一般の音楽教室と著しく異なることが多いため、また、オケ・室内楽など世界に類のない教室独自のカリキュラムということもあり、目的と意義を理解できないまま参加されている方が多いという状況がここ数年ありました。そこでもう一度、保護者の皆様にオケ・室内楽の意義やその価値を理解された上で、子供達の勉強にご協力いただけるように、との願いで今回の説明会を開催いたしました。

ですが、芦塚先生のお話の説明とその内容は一聞では理解しがたいこともあり、また、ご都合が悪く参加できなかった保護者の方々もいらっしゃいましたので、このような冊子のかたちにしてお配りすることにしました。内容はお集まりいただいたときに芦塚先生がお話しした内容のままですが、数人の先生達にまとめていただき、芦塚先生からも補足説明をいただきましたので、皆様のご理解の手助けになればと思っております。

 

●芦塚音楽教室の設立と目的

 

芦塚音楽研究所が設立してすでに30数年が経過しています。

ちょうどその当時は、戦後の復興からバブル景気に至って、日本の競争教育が顕著になり始めて、塾ブームなどの教育の過熱化が起こり始めた頃のお話です。当時の日本は経済大国を目指して、「お金」がすべての、夢のない社会になって行きました。

その結果、親が求める子供への夢は、一流大学に入るための勉強であり、人に勝つ(友人に勝つ)ことが全てになってしまいました。その結果として、子供達はSNBP(負の転換点)に至ってしまい、校内暴力や、家庭内暴力が少しずつ新聞紙上を賑わす様になってきた頃で、有識者達をして、教育の崩壊を憂慮させる萌芽を見せている頃でもありました。(しかし、まだ当時は引き篭もりやニートという言葉はありませんでしたよ。)

ちょうどその頃、芦塚先生が [家庭や学校での教育の崩壊とそれに対する正しい本来の教育のあり方]という内容を大学の研究論文として提出していたのですが、その論文を読んだ当時文部省関係の仕事をしていた芦塚先生の旧友から電話があり(その当時はメールも携帯もありませんでしたしね)、「是非会ってほしい。」 ということで、芦塚先生とその友人が渋谷の喫茶店で会って、その教育に関するお話をしました。

当時、文部省は今日に見られるような教育の崩壊を内部ではすでに予見していたのですが、その適正な解決策を見出せないで悩んでいた所に、芦塚先生の論文があったわけです。

その友人が言うには[芦塚先生の論文はすばらしいが、日本の教育関係の有識者が読んだ時には、ただの机上の空論として捉えられてしまう]。さらには「そのメトードを、どこかで実践して欲しい!」 という達ての希望でした。それが花園教室解説の由来なのです。当時の芦塚先生は、教育に対してそれほど興味はなかったのですが・・・・・。

 

つまり、花園教室はただ単なる音楽教室として開設されたものではなく、芦塚先生の教育理論の実践の場所として開設されたものなのです。それはまた同時に、子供達の夢を再び取り戻すためのユートピアとして、あるいは正しい教育を学ぼうとする教育者のための勉強の場所として誕生した、と言うこともできましょう。

 

そしてその教育の一環の中にオケ・室内楽のメトードがあるのです。

 

●芦塚メトードとオケ・室内楽

芦塚先生は音大に在学していた頃からずっと、日本の音楽教育のあり方に既に疑問を抱いていました。

日常の全てを犠牲にして、兎に角先生の言う通りにひたすら練習をする。上手くならないのは先生を上手にコピー出来ないということか、さもなくば、練習量が足りないせい。全ての音大生はそれを疑わないで、ひたむきに練習をする。その練習の先にプロフェッショナルの世界が見えてくる、と信じて・・・!

芦塚先生も当初はそういった考え方に疑問をはさまないで、ひたすら練習をしていました。しかし、そういった努力を続けても、音楽界に生き残っていけるのは10年に1人ぐらいだという話を聞いて、その夢や希望はすっかり冷めてしまいました。「こんな無駄な努力を続けるのなら、直接、留学をして、自分の信じる先生に師事した方が良い。」 と、まだ大学の2年生の時でしたが、大学を中退して留学することを考えたそうです。 しかし、「留学のための準備をしよう」とお金を貯めて、ドイツ語を勉強していたら、大学を卒業する年次になってしまったそうです。

芦塚先生が音楽家になろうと思ったのは子供の頃からなのですが、当時の社会情勢から本当に音楽の勉強を始めることができたのは高校の2年生の時からです。早期教育の必要な音楽では、はっきり言って不可能な年齢です。そういった意味では、子供の頃から音楽だけをやってきた生徒達と違って、音楽の教育界の矛盾というものを早めに感じとることができたと思います。そこから日本の音楽教育、或いは世界の常識とされている音楽教育に対して疑問を感じることができたのです。

また、芦塚先生の勉強は、「遅く音楽を始めたことのリスク(所謂、立ち遅れ)をどう改善していけば解消する事ができるか?」という戦いでもあったのです。それが、システム化されたメトードを作り上げる要素になったのです。

音楽家として成功したいと考えるのなら、絶対に、音楽を愛する気持ちを失ってはいけません。

日本の音楽界はコンクールに通ること、優れた技術を身に着けること、それがプロになる全てのように勘違いをしています。しかし、音楽はオリンピックではないのです。技術が幾らあっても、音楽を嫌いな人が演奏する音楽を素晴らしいと思って聞く人は一人も居ないのです。

音楽学校に行って生徒達に質問してごらんなさい?

「あなたは音楽が好きですか?」と。

私達がその質問をして、「音楽が好きです。」と答えた学生は一人もいないのです。

「では、どうして音楽学校で音楽を勉強しているの?」

「親がやれ!って言ったから!」・・・・・・だそうです。

じゃぁ、プロになるのは無理だと思いません??

 

音楽は子供の夢であり、希望でなければなりません。つまり、子供達の生きがいでなければならないのです。子供たちにそういった生きがいや思いやりを育てることで、より高い技術を身に付けさせる。こうした、芦塚先生の理想とする教育方法を型にしたのが「芦塚メトード」です。

本当は芦塚メトードは音楽である必要もなかったのです。学習塾でも何でも良かったのですが、芦塚先生が音楽家だったようなので、芦塚先生のメトードを研究して実践してくれる生徒が音楽家であったわけです。ですから音楽教室になったのです。

芦塚メトードの実践のために実験的に始めた教室でしたが、牧野先生、斉藤先生たちの「教室に残ってインストラクターになりたい」という要望から、現在の会社になりました。

塾などで子供達を育てる時には、友達同士で競争をさせる(集団教育=競争)という考え方ですが、競争で得たものは役には立たないし身にもつきません。しかも、勝ち負けで勝ったとしても、必ず次には負けてしまい、それを永遠に繰り返し、最後には諦めが残ります。

競争教育は、人を信じられなくなり、友人もなくし、技術すら身につかないのです。

芦塚メトードの集団教育は、競争することではなく、協調することを教えます。

みんなで一緒に音楽をつくりあげることで、思いやりや責任感を育て、どんどん上達する、そういう理想の教育をしたくて始めたのがオーケストラと室内楽なのです。

室内楽は兎も角としても、小学生でも参加できるオーケストラはこの教室だけではないでしょうか?確かに、小学生から参加できるオーケストラは、結構地方にもあるようですが、それはオーディションをしてメンバーを集めたオーケストラであることがほとんどです。また、先生達が下見をして、「弾けるようにしてから、集まって演奏する」というプロオケと同じシステムであったりするので、協調しあって一緒に音楽を作り上げていく喜びや、思いやりを育てるためのカリキュラムがあるわけではないのです。

 

●ソリストの決め方

思いやり教育の一環ということでもありますが、私達のオーケストラでは、一番初心者がオケソロをします。ベテランの生徒は、バックに回ってサポートする形を取ります。そうすることで、ベテランの子は音楽の基礎を何度もフィードバックして確実なものにしながら、指導するためのhow toや思いやりの心を学ぶことができます。

「教える」ためには基礎的なことがしっかりと理解出来てなければいけません。ですから指導する側の技術習得のためにもこうしたシステムは非常に勉強になるのです。

それとは別に、専科の上級生や先生がソロをして、模範演奏としてのオケソロもあります。

しかし、その意義と目的は、あくまで小さい生徒達の将来の目標と憧れのためであって、決して、「私達の教室にはこんなに上手い生徒がいるんだよ!」と自慢し、ひけらかすためではないのです。

芦塚メトードは競争教育を否定することにあるのですからね。

「人と比較しないで、上達することができるの?」

これ程馬鹿げた質問はありません。音楽を追求するわけであって、音楽に完璧さを求めれば、人と比較する必要は全くないのです。教育者はそこのところが分かっていない。 

「では上手な生徒がいる場合には、永遠にオケのソロはできないということなのですか?」

それも馬鹿げた質問です。オーケストラのカリキュラムは音楽指導のカリキュラムの一部を担っているのに過ぎません。ですからカリキュラムの中のコンチェルトの曲数はそれほど数がありませんので、全てのカリキュラムを修了した生徒はオケバックに回って、また次の子がソロをしていくというシステムです。

 

もちろん、「この子は今回はよく頑張ったからご褒美として」とか、「是非この子にもソロを経験させてあげたい」といった気持ちはどうしても先生や保護者の方にも出てくるとは思います。ですが、そのような感情を優先させてルールを破ってしまうと、それから先は歯止めが利かなくなってしまって、曲数が膨大になり、練習のための時間や発表会の時間も膨大なものになっていくだけでなく、オケバックをする子供たちの曲数のキャパシティーも超えてしまいます。

ですから、そういった感情はなしにして、上記のようなコンセプトに従ってソロを弾かせる子を決めています。一般のオーケストラのように、「上手な子だけがオケソロをして、下手な子はオーケストラの末席の方へ、」という従来の方法は、競争教育のシステムなので、私達のオーケストラではそのような決め方はしていません。

 

●専科の意味

以前は「専科」と「上級」という区別がありました。

上級生のlevelが向上してきて、音楽に向かう姿勢と意識の教育が課題となってくるようになりました。ということで、以前の「専科」を復活させて、今回から「上級」と「専科」の2本立てで指導するようにしました。

久しぶりの専科のカムバックなので、専科とは何であろうかと疑問を持たれる方も多いと思います。そこで、専科の説明をしたいと思います。

専科と上級は指導上は何ら変わりはありません。

以前はオケの人数も多かったので、上級のオケ・室内楽と専科のオケ・室内楽のプログラムを別々に組んで指導していました。そのために専科生は日数も多く、もちろんそれに伴って、オケ・室内楽の参加会費も異なっていました。しかし、現在はオケ・室内楽の参加の人数が少ないので、上級組と専科組が一緒に勉強することになります。そのため、専科・上級ともに、オケ・室内楽の会費は今までと全く同様に設定しています。

ということで、専科というのは、子供達の意識と了解していただきます。また、保護者の皆様にも、そのようにご協力をお願いします。

 

なぜこのような「専科」を設けるのかというと、子供達が音楽の道に進む場合には、彼ら・彼女らが音楽界、つまりプロフェッショナルな社会で生活し生きていく上での考え方を、比較的に早い時期に身に付けておかねばならないからなのです。(ここで言う音楽の社会とは日本の音楽教育社会の話ではありません。あくまで、プロフェッショナルとしての芸術家、職人の考え方という意味での話です。)

ということで、音楽を何よりも優先にしたいと考える生徒を「専科生」としました。

つまり、上手、下手にかかわらず、しかも年齢にもかかわらず、幼稚園児でも「この子は将来プロにしたい。なんでも言う通りにするからお願いします。」という場合も専科になるということです。

専科はプロになることを想定として指導をするので、要求する内容はハードなものになります。

しかし、専科というと何かプロになるための特別なことを習う、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、全ての芸術は、基礎は趣味であろうとプロであろうと全く同じなのです。

専科は同じ事を習ってもその内容の緻密さが違うだけなのです。

もし将来的に、伸び方(成長)が違ってくるとすれば、それは指導内容が違うわけではなく、生徒自身の意識の違いによるものです。

 

Q: 質問「どの程度が趣味の範囲で、どこからが専科なのでしょうか?その境目ってどういうところなのでしょうか?」

A: 専科というのは、本人の意識の問題であって、うまいかへたかではないんです。子供のことで言うとしたら、「お友達と遊ぶより、学校の運動会より、旅行に行くより、ピアノを練習していたい。オケ練習に行きたい。」と言うようになったら、それは専科としての意識が育ったといえるでしょうね。

 

Q:「この子には他の可能性があるのでは?」

「もし音楽がだめだったときのために勉強もさせておいた方が良いのでは?」

A: 確かに「他の可能性は?」という親心はあると思いますが、実際にそのようにして広く浅く勉強させた子は、全てをかじっただけで、ジレッタントとして終わっています。

二兎追うものは一兎も得ず。という諺は、真理です。

しかし、世の中にはプロよりうまい趣味の人がいますね。ヨーロッパのアングルという画家をご存知ですか?美術史に名を残す優れた画家なのですが・・・・この人はバイオリンがめちゃくちゃうまい。ヨーロッパ中から毎週開かれる演奏会に集まってきて、毎回超満員だったとか。そこから「アングルのヴァイオリン」という言葉ができたくらいです。つまり、趣味なのにプロ的な技術を持っている人のことを言います。

しかし、どんなにうまくてもアマチュアはアマチュアだし、どんなに下手でもプロはプロなのです。

では、なぜアングルはプロのヴァイオリニストよりも世の中に認められていたのでしょうか?それは、彼が画家として歴史に残る大家であったからです。つまり、一つを極める事ができれば、他の事も同じ水準で出来るということなのです。

 

●伴奏の意味

日本には、このような風潮があります。

「ピアノが下手だから伴奏をする。」 「ヴァイオリンが下手だからヴィオラを弾く。」

これらは大きな間違いであります。実際に、芸大に入ろうとした場合など、ヴァイオリン科では受験に合格できないからヴィオラ科で受験をする、などということがあります。ピアノの場合には、「伴奏科」というものが日本の音楽学校にはないので、音大を受験する生徒は一応ピアノ科で受験するのですが、卒業後、「ソロで演奏活動するには実力が少し足りないので、伴奏で演奏活動しようかな」などと安直に考える人がいます。

ところがヨーロッパの音楽学校では伴奏についても、伴奏専門の伴奏科というものがあって、伴奏に関してはソロピアニストよりもはるかに上手なのです。ジェラルド・ムーア教授のように、「この人の伴奏でないと・・・・」とフィッシャー・ディースカウやヘルマンプライのような歴史的名歌手たちから評価され信頼されている伴奏のプロがいます。日本の伴奏者は、「ソリストとしてはやっていけないから・・」 という人が伴奏者になるわけだから、当然、伴奏もめちゃくちゃ下手。ですから、上手な伴奏者は基本的にはいません。ということで、コンクールなどで全国大会までになると、コンクール出演者の伴奏をする人は、2人ぐらいしかいなくなります。それ以外の人が伴奏した場合にはコンクールに合格しないのです。コンクールに合格しようと思うからその人達に伴奏をお願いするのか、その人達が伴奏するから、コンクールに合格できるのかはどうでも良いことです。いずれにしても伴奏者がコンクールの合否を決めていることに違いはないからです。そういった稼ぎまくっているプロの人達を差し置いても、うちの教室の生徒達は子供のときから伴奏法を勉強しているから伴奏はうまい。けれども、日本には伴奏を軽んじる風潮があるから、伴奏者として活動している人達は一般的にはピアノ伴奏が下手なのです。そのために芦塚先生の同級生の某音楽大学の教授は、自分の演奏会に伴奏者をわざわざドイツから呼び寄せています。日本で活躍するプロの歌い手にとって、優れた伴奏者がいないということは演奏会を開く上では致命的でもあるのです。そのために、わざわざ日本人の伴奏者でなく、ドイツから伴奏者を呼び寄せたりすることは珍しいことではないのです。

教室で、子供達に早い時期に伴奏をさせるのは、ピアノの生徒が陥りやすい独りよがりの勝手な演奏を、伴奏によって修正する意味もあります。私達の教室でピアノを専門に勉強する生徒に、副科としてコントラバスを勉強させるのも、同様の理由なのです。伴奏をしたり、コントラバスを学んだりすることで、ピアノという楽器の勉強では学び取ることが非常に難しい、色々な高度な演奏技術を、楽に身につけていくことができます。

 

●ヴィオラを習う意味

上記の伴奏者の例と同様に、日本やアメリカは、スター性というのを重視するので、ヴィオラや伴奏を軽視する傾向があります。つまり、ヴァイオリン科で音楽大学を受験しようと思ったのだが、ヴァイオリン科で受験するには、技術不足なので、仕方なくヴィオラで音大を受験する、ということが日本では一般的なのです。当然音楽学校などでは、ヴィオラの生徒はヴァイオリンの生徒よりも演奏技術がはるかに下手です。しかし、残念ながら、ヴィオラはヴァイオリンが弾けない生徒がヴィオラという楽器を演奏するという風潮があるので、逆にヴァイオリンの生徒は全くヴィオラが弾けません。ヴィオラ譜が読めないのです。もちろん、微妙にヴァイオリンとヴィオラでは演奏のスタイルも違うのです。私達の教室では、小学校低学年のうちからヴィオラの勉強をしているので、ヴァイオリンで音楽大学に入った生徒でも、室内楽の演奏会のためにヴィオラのオーディション受けると、ヴィオラ科の院生そっちのけで合格してしまう、なんていうことになります。音楽社会ではオーケストラでも、室内楽でも、上手なヴィオラ奏者を求めています。なぜなら、先程の伴奏者の例と同じで、ヴィオラ奏者のほとんどが、ヴァイオリンが弾けないからヴィオラの奏者になったからです。つまり、ヴィオラも所詮は下手なのです。一方で、ヴァイオリン科の生徒達は、ヴィオラはヴァイオリンが弾けないからやるのだとヴィオラのことを馬鹿にして、ヴィオラを学ぼうとしないから、ヴィオラが弾けません。けれども、ヴァイオリンが弾けてヴィオラも弾けると、音楽界ではとても重宝されます。当然演奏活動でも引っ張りだこなのです。

歴史に名を残す作曲家達は室内楽では好んでヴィオラを演奏しました。それはヴィオラという楽器が室内楽の中心を担うものであって、全体を把握するのに好位置にいたからです。

 

●曲数をこなせるということは

こんなご質問がありました。

「最初の頃は、曲数が少なかったので、毎日だいたい全部の曲の練習が出来たのですが、曲は長く難しくなってくるし、曲数も増えてくるし・・・・一日ではとても全部の曲は練習できないのですが、そんな状態でオケ練習に行っていいのでしょうか?」

私達の教室の発表会では、曲数の多い子では合計すると2時間近く舞台に乗っている生徒もいます。

プロの演奏家のワン・プログラムはショート・プログラムでも1時間45分掛かりますが、教室ではそれぐらいのステージを小学生のまだ子供のうちからやっているので、いつの間にか演奏時間に対してのキャパシティーが付いてしまい、2時間のロングプログラムでも必然的にこなせるようになります。

常に半年間のペースでこれらを繰り返しているわけですから、そりゃ、キャパシティーが育つわけですよ。

私達の教室以外で、音楽に進もうとする生徒の場合には、1曲か2曲を半年以上、長い場合には1年や1年半も掛かって仕上げます。だから、音楽大学に入学して卒業するまでも含めたとしても、音楽を始めた子供の頃から合計しても20曲ぐらいの曲しか、勉強していません。子供の勉強した曲数が数百曲に及ぶ私達の教室の生徒達とは全くキャパシティが違うのです。

何故、子供達がそんな曲数をこなす事ができるのでしょう?

それは(日本とは言わず世界においても、)音楽の勉強の仕方が、芦塚メトードにおける勉強の仕方と、根本的に異なるからです。

一般の音楽教育では、先生が「此処はこう弾くのよ!」と言って弾いたものを生徒が真似をして弾きます。所謂、生徒に先生の演奏をコピーさせたり、或いは、演奏家のCDを聞かせてそのまま真似するようにさせます。

そういう教育には何も教える技術やhow toは必要はありません。生徒はただ忠実に先生が弾いた演奏をコピーし、弾けない場所でも、ただ単に練習量を増やすことでこなしているに過ぎません。

芦塚メトードでは、基礎をしっかり出来るようにするところにとても時間と手間をかけますが、一度それが身についてしまえば、後は練習を仮にやっていなくても弾けてしまうわけです。つまりセオリーをしっかり教えれば、キャパシティーが育つのです。10曲もらうようになったら、今までの10倍練習しなければいけない、というのが一般の考え方ですが、芦塚メトードでは実力とともに曲数のキャパシティーが大きくなります。

何故キャパシティが広がっていくのか?それは芦塚メトードが曲を指導するときに、先生の演奏をコピーさせるのではなく、様式として指導しているからです。

此処で、誤解の無いように確認をしておく必要があります。それは基礎についての考え方です。

基礎には椅子の座り方から始まって、姿勢やタッチに至るまでの基礎(基本)と、エチュード的な指の体操的な基礎、演奏上のformation(手の型からタッチの種類に至る)などがあります。多分、そこまでの基礎であれば、優秀な先生達は私達と同じ事を指導しておられる先生も数多くいらっしゃると思います。

しかし、そういった事を勉強した上で、学ばなければならない大切な基礎があります。

それは音楽の構成や時代様式を学ぶ事です。

つまり、ハイドンのピアノソナタを様式として1曲完全にマスターしたら、その時代の作曲家達の曲は全て演奏できるということなのです。それが古典派の時代の様式なのです。

しかし、日本の音大ではロマン派の作曲家のピアノのタッチと古典派のフォルテピアノのタッチの奏き分けをさせる事はありません。つまりモーツアルトのソナタやハイドンのソナタで要求されている、或いはツェルニー等がエチュードで学ばせようとしているピアノのタッチの基本であるレジェロのタッチですら、ちゃんと指導している先生は日本にはいないのです。

(もし、レジェロのタッチがちゃんと弾けるようになったら、世界初のモーツアルト奏者になれるのですがね。今現在、フォルテピアノを正しくフォルテピアノのタッチで弾ける奏者は世界中にはまだいないそうです。)

 

さて、キャパシティの話に戻って、キャパシティが育てば、全ての曲を練習する必要はなくなります。ちなみに家でオケの曲を練習してるというお子さんをお持ちの親御さんはこの中にいらっしゃいますか?(笑)

最後には弾いたこともない曲も覚えて弾けるようになってしまいますよ。先生たちはてっきり弾いたことがあると思って楽譜を渡さなかったら、ちゃんと暗譜で弾いてるんですよね。よくよく本人に聞いてみると、「いや、弾いた事はないです。楽譜ももらってません。」なんてこともしょっちゅうです。本人ですらレッスンしたのかやってないのかすら分からなくなってくるぐらいです。

 

ところが、私達の教室で子供達が演奏している同じ曲数を、もし音大や他の音楽教室などでやろうとしたらおそらく子供たちはオーバーフローになって発狂するでしょうね。

但し、私達の教室でも様式としてだけ教育指導しているわけではありません。そういった音楽理論としての音楽の勉強と、子供達同士のオケや室内楽を一緒にプレイするという、遊びの延長線上にある音楽の勉強・・・・つまり音楽を勉強でなく、遊びにするということで、楽しく無理なく音楽の基礎をマスターできるのです。しかし、音楽や勉強等を遊びにするためには、教える側に相当高度な技術が必要です。

その技術が芦塚メトードの本質なのです。

芦塚メトードでは、勉強をする事は楽しい事、勉強は遊びである、と捉えています。

勉強や練習がつまらないものであるのは、その勉強や練習にコンセプトと、マニュアル、或いはカリキュラムがないからなのです。

私は学校の勉強は子供達が将来の夢を探すためにあるのだと考えています。

もし子供の将来のことを考えたら、何をやらせたら子供にとって幸せなのだろうか。今の時代はたとえ東大を卒業したとしても仕事がないというご時世です。

ですから、例え趣味であったとしても、音楽をする楽しみや、夢がもてれば、例え仕事や人生に行き詰ったとしても、自分自身をヒィーリグさせる事が出来ます。それで、さらに、趣味の仲間が出来れば、引き篭もる事もなくなるのです。

 

●趣味として勉強と両立させるには

東大受験するならピアノなんか習っている暇はないと思いますよね?ところが、ところが、東大や一流大学の教授たちを集めるとひとつのオケができるくらい、音楽をたしなむ大学教授が多いんです。うちの教室でも開成や鹿児島ラサールや都立西、麻布など、優秀な学校に通っている子供たちもいます。結構ピアノやヴァイオリンがうまいけど発表会にはでないから誰も知りません。こういう連中は受験シーズンでもレッスンを休まないんです。もともと日頃から日常の勉強や音楽の練習のローテーションがしっかりしてるから、逆に受験だからといって日常のローテーションが狂ってしまうと実力が発揮できなくなります。

以前、結構勉強のできるチェロの男の子が、受験シーズンに父親に「受験に専念しなさい。」と言われてチェロをやめましたが、結局どこにも受からず、浪人が決定になりました。次の年には「チェロをやめてローテーションが狂ったから落ちたんだ!」と言って、父親に内緒でチェロのレッスンを続けた結果、見事第一志望の大学に合格しましたよ。受験のために音楽をやめさせられて、良い結果をだした例を今まで見た試しがないですね。結局レッスンをやめてやることを減らしたところで、家でごろごろダラりん子でしょ。

受験であろうとなんだろうと平常心で臨むということが大切なのです。

 

私達の教室のピアノの生徒で、全然勉強をしないけど、成績はいつもクラスでいつも2番の子がいました。母親が、「どっか塾に行かせたほうがよいのでしょうか?」と学校の先生に相談したところ、「勉強しないで2番なら、塾に行く必要ないんじゃないですか?今のままでいいに決まってる!」と言われたそうです。これはもっとものことですね。ピアノに集中できる能力があるから、何もしなくても勉強が2番でいられるわけですからね。ピアノと塾を平行させてしまうと、一時的には両方とも良い成績を取れるのですが、半年もすると「二兎を追う者」の理論で、勉強の成績もピアノの技術もレベルが下がってしまうのです。

 

私達のオケ・室内楽のカリキュラムは、芦塚先生の理想とする教育の具現化だけではなく、子供達の夢の達成のためのメトードでもあるのです。芦塚先生の元で勉強を続けていた多くの生徒達は現在も音楽の世界に限らず、様々な分野で活躍しています。

これからも、一人でも多くの子供達が自分の幸せを見出すことができるように願いながら、この一文を起草しました。

保護者の方々にも、芦塚メトードの趣旨をご理解の上、よろしくご協力をお願いします。

某年5月

芦塚音楽研究所

芦塚陽二