Pachelbel chaconne

windows7では文字が重なって見える現象が起こっています。
windows10では、正常に見えているので、理由が理解出来ません。
どうしたら良いのか、判断に苦しむ所です。
一つ一つをgroup化したのですが、それでも重なりは治らなくって、
やむなく、一つ一つのlayerを別のlayerに移動させる・・という超、
難しく作業をしました。多分これで正常に見えるのではないのかな??
・・と期待しています。後は・・、後はよう分からん??
またまた、文章の途中からスマホのsizeになってしまったり、(全く
設定していないのに・・・)理解不能なlayerと入力する度に戦っています。
困ったものだ!!⇒解決済み


[上記のメディアプレイヤーのスタートボタンを押すと、芦塚陽二によって改訂されたPachelbelのchaconneの最新version(2013年10月20日版)を聞くと事が、出来ます。
但し、パソコンの音源なので、音と演奏は参考程度の状態です。]⇒・・・と思ったのですが、実際には・・・・(・・;)、ウエブビデオスタジオでPachelbelの勤めていた教会や、organ等の映像を掲載しようと思ったのですが、何とメディアプレイヤーの容量に対して、演奏時間が長すぎるので、パソコンが重たくなって、音声がふらついて早くなったり、遅くなったりのbugを起こしてしまいました。
・・・という事で、折角、準備した映像ですが、メディアプレイヤーでPageに動画を直接upする事は諦めて、削除する事にしました。
映像を全て消して、ブラックアウトの状態で、upしてみたのですが、やはり、音のふらつきは治りませんでした。
という事で、メディアプレイヤーを諦めて、AVIの画像で送ったら、今度は音声はふらつかなくなったのですが、オートスタートを解除しても、音楽がPageを開く度に再生されます。

Pageを開いて、⇒ボタンを2回押せば、音声は切れるようですが、私のパソコンのホームページビルダー上では、正常に機能しているようなので、(オートスタートはしていないので、)設定自体は間違えてはいないと思われるので、dataを公開する時の操作か、プロバイダーの保存でbugが発生しているようなのですが、今の所原因が分かりません。
音声がふらついて、聞くに耐えられないのは困りますので、取り敢えず、この状態のAVIでupしておきます。
音楽がうるさかったら、すみませんがボタンを2回クリックして音楽を停止させてください。
この曲はまだ公開演奏の機会がないので、演奏会の生音の音源はありません。⇒既にこの曲の演奏を複数回公開したので、パソコンの音源やmediaplayerによる音源は削除しました。
↑・・芦塚先生のPachelbelのChaconneの第2稿のarrangeがやっと終わって、未だ練習を始めたばかりで、練習不足は否めない事実なのですが、しかも、楽しいo(^o^)oクリスマス会という事で、甚だ場違いなのですが、13年12月22日(日)の千葉市花園教室のクリスマス会で、この新しいversionのchaconneを、練習の中間発表としてお披露目(強行)しました。

あくまで教室のうちわのクリスマス会の演奏という事で、公開演奏と言えるのか否かは定かではありませんが、参考としてPachelbelのchaconneの演奏風景をlinkさせておきます。
Pachelbel chaconne Ashizukaversion

2013年12月22日千葉市花見川区花園自治会館、芦塚音楽教室のクリスマス会にて,芦塚先生の最新versionのchaconneです。

という事もあって、参考までに下のPageに13年の12月の練習風景をYou Tubeにupしておきます。
但し、linkしたYou Tubeのサイトは、練習風景なので、一般には非公開です。
このPageからのみアクセスが出来ます。
↑八千代とChristmas会の演奏をYou Tubeにuploadしましたので、上記の練習風景へのリンクは削除しました。
上記の全てのlinkは削除されました。活きているlinkは以下の本文からのlinkを参照してください。
(2020年6月更新)





index

本文

擬古典というジャンル(genre)について
擬古典の音楽というと、不思議な事に、殆どの曲がバロックの音楽をarrangeしたものです。
しかし、バロックの音楽をarrangeしたからといっても、それらの曲全てが擬古典の音楽になる分けではありません。
擬古典には、擬古典と呼ばれるだけの、条件があるのです。
また、何故、バロックの音楽なのか?・・というと、古典派やロマン派の音楽は、arrangeしても、様式が変わらないから・・という、これも歴然とした理由があります。
という事で、ここでは擬古典や古典等々の言葉の定義のお話をします。

originalのorgel曲からstringsorchestraへのtransposeについての問題点
Pachelbelのchaconne f mollは、パイプオルガンの曲です。パイプオルガンの名曲として大変有名な曲です。
その曲をstringsorchestraにtransposeした時に、arrangeをしたMueller-Hartmannは、幾つかの変更をしました。
その変更の問題点を提起します。

Variation形式について

ありそうでないのが、このVariation形式です。
ないはずのVariation形式ですが、Vivaldi時代からBachやBeethoven、近現代の作曲家達に至る迄、大きなVariationを作曲する時には、このVariation形式を忠実に守ることによって、作曲をしています。
Variation形式とは音楽大学等で学ぶ楽典や音楽通論上は存在しない形式なので、演奏家ですら、そのVariation形式をしならにままに演奏している人達が多いのですが、歴代の作曲家の間では、bogen formと同様に、常識として断固と存在している音楽形式なのです。

パッヘルベル=芦塚版による練習風景と諸注意
2012年11月の23日の八千代の秋のコンサートに向けての練習風景のYou Tubeへのlinkは、13年の12月15日をもって、削除しました。
その代わりに芦塚陽二の改訂による新versionのPachelbelのchaconneの練習風景をYou Tubeにupしました。
upは削除した日と同じ13年12月15日です。


蛇足Ⅱです:
Pachelbelのよもやま話について、幾つかを掲載しておきます。
PachelbelとBachの関係や、色々な作曲家達とのつながり等のお話です。



下のページは2013年の10月に新たに追記されたページです。
Pachelbelのchaconneの改訂に付いてのお話
13年の10月20日前後に新たに追記したページです。

10月の20日というと、千葉教室の秋のコンサート(発表会)の当日でのお話ですが、その2日、3日前から、一年前の12年の11月の23日の八千代の秋のコンサートで演奏をした、Mueller-Hartmann版を底本にして補筆訂正をしてarrangeをしたPachelbelのchaconneを、どうしてもMüller-Hartmann版の底本ではなく、originalのPachelbelのOrganの作品からarrangeをしたいという欲望に取りつかれてしまって、発表会当日の10月の20日の午前中まで掛かって、前回に補筆改訂をしたAshizuka-versionのChaconneの殆どのページを新たに改訂してしまいました。

その改訂に至ったkritikと、改訂内容についてのブログと説明のページになります。


余談のお話「パイプオルガンについて」
パイプオルガンというと、大きな教会のオルガンや、大コンサートホールの大オルガンを連想してしまいますが、実際には大きく(乱暴に)分けて、三つのタイプのオルガンがあります。

勿論、その一つは先程の大オルガンですが、その他に、だいぷ小型ですが、据え置き式のポジティーフ・オルガン(Positiv organ)とポルタティーフ・オルガン(Portativ organ)と呼ばれるオルガンがあります。

昔は、コンサート・ホールでパイプオルガンがあるホールはなかったので、音楽大学のホールや一般の演奏会場などでBachやHandelのミサ曲等を演奏する時には、大学の普段のレッスンや練習に使用するPositivorganを運搬していました。
ポジティーフ・オルガンは足鍵盤を持っていない場合が多いのですが、勿論、音楽大学のオルガン科の生徒のためのレッスン用、学生の練習用として設置されていたので、当然、運搬可として作られていたとしても、一番小型のタイプではあるのですが、2octave半の足鍵盤(16feet)と2段鍵盤で、木管系と金管系(8、8、4、2feet)の音色を持っているために、500キロを越す重量があります。

ポルタティーフ・オルガンは、とても可愛らしい携帯用のオルガンなのですが、通常はmelodieだけの一声部を演奏するだけなのなので、肺が小さいので、和音を演奏する事が出来ません。
という事なので、用途がとても限られて来る、特殊なオルガンなので、その楽器を一般に見られることは殆どありません。
しかし、バロック時代の絵画の中にはよく登場します。


2019年版のPachelbelのChaconneの校訂版への解説とお話
第三改訂版へのお話です。


Facebookより抜粋
2014年の9月の4日からFacebookを始めました。
音楽での思いついた事などを徒然に書いています。
その中でPachelbelのChaconneについて語っている所だけを掲載しました。
勿論、全てではありませんが・・





以下、本文へ

     


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         「本文」

Pachelbelのchaconneの原曲はorgelの曲で、原調はf mollである。


左側の譜面は、原曲の冒頭部分の4小節です。
曲はパイプオルガンの為に書かれています。
Variationの配列はoriginalとMueller-Hartmannのarrangeでは、微妙に違います。
また、左の譜例でもお分かりのように、themaは3声の声部で作曲されています。
これをMueller-Hartmannはorchestraにtransposeする時に、弦5部を、無理矢理に3声にするために、2ndviolinとviolaを重ねて、中声部のpartを演奏させています。
後、調をf mollから、e mollにtransposeしていますが、そこにも問題が発生しています。(後述)

擬古典というgenre(ジャンル・分野??)について

Pachelbelのorgelのために書かれた原曲を、何のarrangeもしないままに、弦楽オーケストラにただtransposeした、だけなのですが、その時点でもう既に、PachelbelのChaconneが『baroqueの音楽である』・・・というgenre的な特性は失われてしまい、「音楽上の分類」・・・としては、baroqueの音楽ではなく、「擬古典」というgenreに属するに事になります。
その理由は、オーケストラにtransposeした段階で、現代の作曲技法が入ってくるからであり、バロックの時代に作曲された曲とは言えなくなるからである。

そこまでは良いとしても、それから話が混み入って来るのは、一般の人達が「バロック音楽」と呼んでいるばジャンル(genre)では、・・・・バロックの音楽を現代の大オーケストラ等で現代のヴァイオリンの演奏技法で演奏したりする場合や、バロック時代に作曲されたviolinのsoloの曲をPiano伴奏で演奏する場合にも、その時点で、もう、本当は既にバロック音楽としての要素は失われてしまい、本当のバロック音楽とは言えないのだよ。
日本の雅楽のように天平の時代からそのままの形で、音楽が伝承されてくるなんていう事は、歴史的に見ても奇跡であるとしか言い様がない。
今日、我々がバロック音楽と呼んでいるのは、現代的にarrangeされたバロック風の音楽の事に過ぎない。
本来の楽譜に少々arrangeの加えられた、Kurt RedelのPachelbelのcanonの事を引き合いに出さなくても、結構、originalの楽譜に忠実なKarajanのBachのAraですら、本来のバロック音楽とは、かけ離れているのだ。
それは私達が現代社会に住んでいて、通常耳にする音楽が現代の楽器と、現代の演奏styleによるものであるからで、現代の慣習的なものであるので、致し方ない。
私達が耳にするバロック音楽とは、現代の楽器で現代の解釈で、現代の演奏styleで演奏されたものを、バロック音楽と信じて疑わないのだから、仕方がない。
それが、現代人にとっては、バロック音楽であって、普通の音楽(常識)なので、致し方がない。
この話は、今我々の社会に流れているバロック音楽についての説明で、その善し悪しを云々するものではない。
私が今themaにして話をしているのは、擬古典というgenreの分類の定義のお話なのだから。

そういう通常我々が耳にするバロックの音楽は、一般人にとっての普通のバロック音楽という理解であって、それを、擬古典とは呼ばないからである。

通常、一般的には、そういった現代の楽器による現代的な解釈に伴った、現代的なstyleによる演奏をも含めても、バロック音楽というgenreで統括、統一する。

寧ろ、baroque音楽を、baroque楽器でbaroqueの様式でbaroqueの演奏技法を用いて演奏する場合を、寧ろ、例外的に、「originalbaroque楽器による演奏」と呼んだり、「baroque楽器によるbaroqueの演奏」と呼んだりする。

baroque音楽を、baroqueの様式で演奏する事の方が、日本では(まだ、日本だけではなく、ヨーロッパやアメリカなどの場合に於いても・・・)特殊な演奏のstyleなのだからである。
ちなみに、J S BachがVivaldiの調和の霊感の中の作品を、オルガンにtranspose(編曲ではなく、あくまでtransposeなのだが・・・)しているのだが、全くVivaldiの作曲したままの曲なのだが、そういったgenreの分類が全く無いので、Bachの作品目録に加えられている。BachやHaydn等も、作曲が間に合わない時に、他の作曲家の作品を自分の作品として演奏していた事があるのだが、それが現代には作曲家の作品目録でよく問題になってしまう。
いづれにしても、同時代の作曲家のtransposeの作品なので、arrange(編曲)にもならないし、ましてや擬古典にはならない。作曲上のこういったgenreの分類はないのだよ。
困った!困った!   (+o+)


余談  「古典という言葉に対してのこだわり」

これは単なる言葉尻のお話であって、「擬古典」という言葉についての、余談なのだが、「baroque音楽を現代の作曲法でarrangeする場合には、genreとしては、普通は擬古典と呼ぶのだが、本当は古典派の音楽ではないので、擬バロックとでもいうべきなのだろうが、一般的には、擬古典という。
つまり、ここで話題にしている言葉尻は「古典」という単語のお話である。

このお話は、以前、論文の中で、余談として、冗談で触れたのだが、読んだ人が冗談の話・・と解釈してくれなかったので、もう一度敢えて、触れ直しておく。

「擬古典」という言葉は、本来は、音楽の世界の用語ではなく、文学の用語になる。
現代に比較的に近い作家が、古典の作家の様式を真似て書いた文学を指す。
日本で言うところの所謂、現代の作家が文語体で文章を書く場合に相当する。


という事で、本文に戻って

そういう事になると、Corelli=Geminianiのla foliaのGeminiani版というのがあるとすれば、その曲は擬古典には当たらない事になる。
Geminiani自身がbaroqueの作曲家であるからである
つまり、ただのarrangeや編曲、transcriptionになるからである。

ところが、困った事に、一般的にGeminiani版として流布している楽譜は、実際にはGeminianiがcorelliのviolinとCembaloとbasso continuoの楽譜をConcerto Grossoにarrangeしたのは本当だが、今日我々が耳にしているcorelliのla foliaは、Geminianiがorchestra用にarrangeしたla foliaの楽譜を、Virgilio Mortariという人が、更に現代風の作曲法によって、arrangeをした版なのだ。
その版が、Corelli=Geminianiのla foliaとして定番になっているのだ。
通常は、擬古典の作品では、arrangeをした人の名前は、言われる事はない。Corelli=Geminianiのla foliaでGeminianiの名前が上がってしるのは、それがbaroque時代の作曲家であるからに過ぎないのだ。つまり、くどいようだが、今我々が聞いているCorelli=Geminianiのla foliaは、近現代にarrangeし直されたものであるのだよ。
そうなると、Geminianiのarrangeとは言えないのだから、マジに擬古典というgenreになる。

つまり、Tartini等の同時代の作曲家が幾ら、arrangeをしても、それは擬古典とは呼ばないのだよ。




バロック音楽の有名な曲の大半は、近現代の校訂者の手によって、かなりarrangeされていると言って良いだろう。
我々が通常、耳にしたり、演奏をしたりしているTommaso VitaliのchaconneはviolinとPianoの伴奏の譜面であったとしても、かなり擬古典の要素が強い。
Vitaliのchaconneをorchestraにarrangeした版が出版されているのだが、その様式は、baroqueの様式を取りながら、かなり近代的である。
Tommaso Vitaliのoriginalの楽譜は残念ながら出版されてはいない。
corelliのla foliaの原典版は色々な出版社から出版されているので、そこは大分違う。
Tommaso Vitaliのchaconneの出典は、俗説ではFedinand Davidという人がドレスデンの国立図書館にある筆写譜から、arrangeをした、という説が一番有力であります。
しかし、Davidの全くの偽作である、・・所謂、偽古典である・・・という説も結構流布しています。
左(上記)の譜面はドレスデンの国立図書館にあるTommaso Vitaliのchaconneのoriginalの譜面であります。
それを底本にした、Fedinand Davidの版から多くの演奏家や作曲家達が改訂版を作っています。
orchestraversionは、Guido Guerriniという人が、Davidの作品を元にして、新たにVitali=Guerrini版というべき版を作り上げています。
色々な人達の手によって、今日我々が耳にしているorchestra版のVitaliのchaconneが出来上がっているのです。
それこそ、これぞ擬古典の典型的なスタイル・・・と呼ぶことが出来るでしょう。


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余談  「古典という言葉に対してのこだわり」2

次に、「古典とは何か?」という定義の問題であるが、古典という言葉には狭義の意味と広義の意味がある。


音楽のgenreでは古典音楽とは狭義に古典派の音楽の事を指すのだが、文学や絵画の世界では、古典と古典派は区別して使用されている。
つまり、ルネッサンスの音楽や絵画彫刻のみならず、ギリシャ芸術、所謂、彫刻やTragödie(ギリシャ悲劇を指す)までも含んだ芸術を古典という。

その定義上の擬古典という意味になる。

音楽の専門家の人が、「私は古典音楽を勉強している」と言った場合には、私達は即、「古典派の音楽を・・」と解釈するのだが、一般人の場合には「古典音楽が好きです。」と言った場合には、popularやjazzに対向したclassicという意味であろう。

冗談ついでに、私はよくメールをする時などに、冗談で擬古典を僞古典と書く事がある。

愚にもつかない与太話ではあるが、私の擬古典の定義では、バロック時代のoriginalの作品があって、それを近現代風にarrangeしたものを擬古典と呼び、全く近現代の作曲家が自作をバロックのstyleで作曲した場合、近現代の作曲家のoriginalの作品である場合には、僞古典とわざと呼んでいたのだよ。

勿論、学術的な分類では、そんな分類はないので、あくまでも私の勝手な分類なのだから、悪しからず・・・。

そういう私の勝手な分類では、クライスラー等は典型的な「僞古典!」の典型的な作曲家である。
クライスラーの迷惑なブラック・ユーモアは、自分の偽古典の作品に、全く聞いた事のないような本当に実在した(無名の)バロックの作曲家の名前を、何処からか探し出して来て、「その作曲家の作品である・・・」と、騙ったりする事がよくあるのだ・・・。

「何故、クライスラーは、そんな悪戯をしたのか?」って??
確かに、クライスラーの悪ふざけに過ぎないのだろうが、クライスラーのしっぺ返し的な意味もあるのだな。

クライスラーは、自分のヴァイオリンの演奏や作曲をした作品に対して、権威を振りかざして、いちゃもんをつけて来る批評家達に、若い時から、世界的に有名になった後でも、いつも苦しめられていた。

という事で、クライスラーは、ワザと自分でバロック風の作品を作曲して、あたかも、何処かの図書館で見つかったバロックの作品を、自分で改訂したものとして、演奏していたのだよ。

クライスラーのその曲の演奏を、コンサートの会場で聞いた、当時の有名な権威のある批評家が「私は若い頃、この楽譜を見たのだが・・」とクライスラーの演奏を酷評したのだが、クライスラーは、それを聞きながら、ほくそ笑んでいたのですよ。

しかし、クライスラーは、自分が死んだ後にも、それ曲々が自分の作品であるという事を明かす事はしなかったのよね。

クライスラーがネタバラシをしなかったので、クライスラーの自作か否かで、またまた、物議を醸したりしてね。
作曲技法を見れば、作曲年代なんてすぐに分かるのにね。
批評家は作曲家ではないからね。分からんのかね???

人をけむに巻いて喜んでいる、それが、クライスラーの「大人のお洒落」なのだよね。
批評家を前にして、「この作品は私のoriginalだ!」とかバラしてしまうと、つまんないよね。
洒落が、洒落でなくなって、単なるブラックユーモアになってしまうからね。

それはそうと、私はある時に、Corelli=Geminianiの解説を書く時に、ついついうっかりと僞古典と書いてしまい、弟子に怒られてしまいました。
「先生、漢字、違いますよ!!」ってね・・・。
「先生のブラック・ユーモアですか??!!」ってね。
違うよ!単なるケアレスミスだよ。
つい、うっかりのミスだよ!!メンゴ、メンゴ!!
だから、前のホームページも中の論文にある「擬古典や偽古典の話」は、ただの笑話というか、私流のブラック・ジョークに過ぎないので悪しからず。

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まだ古典派にこだわって、古典派の時代区分について

また、蛇足ついでに、音楽の古典派というカッコククリも、同じ時代の作曲家でありながら、それを分類するククリが幾つかに分かれることがある。
その顕著なものはウィーン古典派と呼ばれるくくりである。

古典派の巨匠であるBeethoven(1770~1827)と、全く同じ時代に生きて、音楽活動をしたロマン派のはしり、所謂、前期ロマン派の作曲家がいる。
その代表的な一人は、Mozartの従弟でもあるCarl Maria von Weber(1786~1826)と、Beethovenの熱心なシンパでもあり、前期ロマン派の巨匠と目されるFranz Schubert(1797~1828)であり、彼らも、BeethovenやMozartと殆ど同じ時代に生活していた作曲家なのだよ。

つまり、全く同じ時代に古典派の大作曲家達と、ロマン派の大作曲家達が、同時に活躍していたのだよ。

古典派の時代とロマン派の時代が重なってしまった・・・という事では時代区分的にすこぶる都合が悪いので、そういった同世代の作曲家達を便宜上、一括してくくったのが、「ウィーン古典派」という分類でになる。

しかし、その分類を使用しては、作曲家の作品に対する作曲技法の様式的なアプローチが全くなされていない・・・という事で、音楽史的には、今ではその分類で分類れることは殆どない。
バロック時代から古典派への端境期には、ロココの作曲家達と前期古典派の作曲家達が同時期に活躍していたし、古典派から、ロマン派の移行期には、上記のような作曲家達が同じ時代に活躍をしていた。
それは近現代でも同じである。
ロマン派後期の作曲家達と近現代の作曲家達は殆んどが同じ時代に活躍しているのだよ。


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original
orgel曲からstringorchestraへのtransposeについての問題点

まあ、それはこのchaconneの話からは蛇足に過ぎないので、本題の擬古典の話に戻って、話を進めると、当然このPachelbelのchaconne e(!) も音楽のgenreとしては、擬古典の部類に入る事になる。

このPachelbelのChaconneは演奏をする毎に、、新しく書き直して演奏をすると言う珍しい形態を取ってしまった。
解説では、2012年11月23日のversionと、2013年12月22日のChristmas会での演奏の第二校のversionと2019年の10月13日のversionが三つあるようになっているのだが、実際には、八千代のコンサートの前の教室の発表会での演奏があるはずなのだけど、幻の演奏になっているのが、第一改訂版になるのだが・・・??

今回演奏して、You Tubeにupしている(2012年11月23日八千代の冬のコンサート)の私達の演奏の底本となる版は、Robert Müller-Hartmannの比較的、原曲に忠実なtranscript版である。

しかし、幾ら原曲に忠実にarrangeされているとは言っても、幾つか問題点はある。
その、よく問題となる最大の変更点は、調が元調のf mollから、e mollへ移調されている点である。

Müller-Harptmannは、その移調の理由を明らかにしていないが、arrangerという立場で、彼の代わりに代弁するとして、その理由は、推測して二つ考えられる。

その一つ目は、弦楽器はフラット系の調はあまり得意ではない(響きがよくないから)という演奏上の理由と、baroque音楽を演奏する時に、現代の演奏会では、低いbaroquepitchに対応させるために、慣習的に(利便的に)半音下げて演奏する事がよくあるから、(baroquepitchにtuningし直すよりも、半音低いキーで演奏する方が簡単だから・・というそれだけのeasyな理由なのだが・・・)という二つの理由である。

通常はbaroquepitchは、A=435ぐらいが多いのだが、オーケストラの場合には、全ての楽器の演奏家がbaroque楽器を持っているわけではないし、楽器をスライドさせて、tuningしたとしても、Aのpitchを、演奏会pitchの443から、baroquepitchの430辺りまで低くtuningする事が難しいので、baroquetuningの簡易versionという意味で、Aの音をAsにtransposeする事で、baroquepitchとする事がよくあります。
これは、あくまで便宜上の、単なる利便性の意味で、学術的には何の根拠もないのだ。


日本のあるbaroqueの演奏団体が、baroque演奏を専門としているのにも関わらず、Cembaloをbaroquepitchにtuningするのではなく、スライド鍵盤によって、半音低く415で演奏していたのは、全くlacherlich(馬鹿馬鹿しい)である。
その話は日本の演奏団体がbaroque専門の団体であるからで、イージーなスライド鍵盤によるbaroquepitchではなく、本来のbaroquepitchで演奏しても不都合は起こり得ない。だから、スライド鍵盤によるA=415のbaroquepitchは有り得ない、proとしてはあるまじき事である。


しかし、通常の現代の音楽を演奏している一般のorchestraでは、半音の半分ぐらい低くなる、baroquepitchで演奏するのは、楽器の特性上無理である。また、orchestraの全ての団員がbaroque楽器を買い揃える事も無理な話であろう。(弦楽器のみの場合なら、それでも可能性はあるかも知れないが、管楽器を含めた全ての楽器をbaroqueで揃えるのは、かなり無理難題である。日本にはそういったorchestraは一団体もないと思うのだがね。)
だから、orchestraの場合には、この利便性のみのAをAsに移調して演奏するのはヤムを得ない。
それで、Müller-HartmannのPachelbelのchaconneを原曲のf mollからe mollに、transposeしたという推測である。
・・・・それとも考え過ぎかな???? 

しかし、Müller-Harptmannがこのchaconneをe調に移調したことでは、致命的な問題が生じる。

左の譜例のように、冒頭の和音で、2nd violinは最低音の解放弦のGの音を弾かなければならないが、basso continuoのcelloやKontrabassのEの音からは、純正の響きが取れない。

弦楽器では、開放弦のkonsonanz上に基音を作る。
だから、violinはEの音が基音で動かせない音になる。
つまり、KontrabassやcelloのEの音も、violinのEの開放弦上に作られるのである。
それに対して、2nd violinやviolaがGの音で開始するのであるが、violinの場合には、Gの音は最低音なので、その音を微妙に調整する事は出来ない。
その為に楽器本来のEとGの音で演奏しなければならなくなるのだが、Themaの音が繰り返されるたびに、純正ではない不協和な響きが聞こえて来るから、困ったものである。


ならば、tuningのAを変えればと思われるかもしれないが、それは現実的ではない。
Aのtuning音を変えると、自動的にGも変わるからである。
「Gだけを狂わせれば・・?」そうするとG線上の全ての音が狂って来る事になって、話はそんな簡単なことではない。つまり、tuningで純正の音を出す事は不可能なのだ。
いずれにしても、これはまずい!!


曰く、弦楽器にとっては、e mollに移調された事は、純正の美しい響きを作る上では、すこぶる都合が悪い。


クルト・レーデルがミュンヒェナー・プロアルテと一緒に演奏しているPachelbelのオーケストラversionは、多分このMüller-Harptmannの編曲版を底本にして、Kurt Redelが、自由な発展、発想をさせていると思われるが、それでも、Mueller-Hartmannとは違って、調性は原調のf mollに戻されている。
それは当然の事だと考える。
f mollならば、第三音はAsになるから、violinも三度の音を自由に調整出来るからである。

ちなみに、クルト・レーデル(Kurt Redel)は、Pachelbelのcanonの世界初演をやった事で、有名なのだが、そのarrangeは、classic音楽とはかけ離れていて、寧ろイージー・リスニングの世界に近いかも知れない。
私達の教室のcanonは、Pachelbelのoriginalversionで、Cembaloのornamentも古式豊かで、traditionalなままの演奏である。

このchaconneのもう一つの大きな問題点は、originalのorgelの曲とは、Variationの順番が入れ変わっているという事である。

Kurt Redelは、arrange自体は、かなり自由で近現代風な技法をふんだんに取り入れて、イージー・リスニングの世界に片足をドップリと突っ込んでいるのだが、Variationの順番は、Mueller-Hartmannの版に従っているので、不思議ではある。

Kurt RedelがMueller-Hartmann版を底本にした事自体は、間違いないと思われるのだが、かなりpizzicatoを多用して、現代風のイージー・リスニングのarrangeになっている。
それに対して、Mueller-Hartmannは、Pachelbelのchaconneの原曲は、余り弄ってはいなくて、originalのorgelの譜面を、比較的にそのまま、素直に弦合奏に置き換えただけなので、これをarrangeと言うかどうかは、また一つの疑問ともなる。
まあ、それでも、arrangeである事には変わりはないのだが・・・。

と言う事で、私の場合も、Pachelbelのorgelのpartはそのまま生かしながら、それに付加するような形で、arrangeをしていったので、曲の配列の他には、Mueller-Hartmannの版に従ったのか否かと言われれば、Mueller-Hartmann版もKurt Redel版も、ただ参考にしたに過ぎない。

Kurt Redel版と書いてしまったので、老婆心ながら、ついでに確認しておくが、CacciniやTelemannの時同様に、Kurt Redelは自分のorchestraのためにarrangeをしたのだから、一般に楽譜が出版されている(市販されている)分けではないし、と言う事で、楽譜を取り寄せる事も出来ないのだよ。
Kurt Redelの批判や参考は、You Tube上の音楽の話であるので、教室としては、楽譜はないし、楽譜起こしをする気もないので、Kurt Redelに付いての楽譜の問い合わせに返答する事は出来ないので悪しからず・・・。

これもどうでも良い事なのだが、上記の譜面のように、Mueller-Hartmann版では、2ndviolinとviolaが中声部のpartで重ねられている。melodieを担当する1stviolinが1声なのに、中声部だけ分厚くなるのは、何ともいただけない。この小節をviolaだけに担当させれば、先程の純正の3度の問題も解消するのだが、その場合には、themaが2ndviolinを欠いた3声部でarrangeしなければならないか、新しく2ndviolinにpartを作曲するかの選択肢になる。
それは、結構難しい技術なのだよ。
という事で、私の改訂のversionでは2ndviolinのpartに新たにmelodieを付け加えている。





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パッヘルベルの練習風景と諸注意

111日の大幅なmemberの変更のために、本番まで30分ずつの練習を3回で仕上げなければならなくなったので、曲のcheckpointの確認のためにホームページ上にも、練習のcheckpoint箇所を掲載しておきます。

練習風景(training scene)12年11月4日オケ教室

この動画は非公開です。このリンクからのみ視聴出来ます。

Pachelbelの諸注意は、説明し始めると「限」がないので、まずは重要な伝達pointだけを、ピックアップして最初に説明しておきます。


楽譜上の1stのfis-fisのoctaveは、一弦を跨ぐので、legatoをする事が極めて難しいし、また上のfisが際立って(飛び出して)しまうので、それを平坦に滑らかに演奏するのは、非常に難しい。
また、2ndviolinやviolaの付点4分音符の後の8分音符が、1stの8分音符と正確に8beatのrhythmを刻まなければならないのだが、1stが結構粘り気味に演奏するので、そこでbeatを待つのは至難の業である。

① 1番は Basspartを除いては、1拍目はお終いの音なので、Pのままで、mfは2拍目からになる。
Bassのpartだけは、頭の音であるから、しっかりと意識をして入るように注意をする。
1の2小節目の1stのpartの付点16分音符は止まるように(feintをして)弾く。

譜例:themaからvariationⅠへの繋ぎ

② 2番はBassのmelodieが小節をまたぐ時に切れないように。

Violaの3小節目の3拍目のトリルは強拍を意味する。

2ndの4小節目のsyncopationのaccentは強調して。7,8小節目も同様に


③ 3番の1stだけが、頭は最後の音になる。(納め)1拍目の裏からmelodieが始まる。5小節目も同様に、tempoがかなりupしなければならない。

 譜例:articulation続き

④ 4番であるが、1st、2ndの1拍目の頭は前のmelodieの最後の音で、次のmelodieは1拍目の裏から始まる。

2ndが、追っかけっこになっている事を強調して演奏する事。

⑤ 5番 1st、2ndの拍頭の捨て弓(全弓)が弱い。ヴィオラがしっかりと拍を刻まないといけない。




⑥ 6番 は練習上の難しい箇所でもある。
2ndの1拍目は楽譜のようにfで始めるのではなく、前の小節の収めとして演奏した方がよい。という事で、melodieは2拍目から始める。6番の2小節目はsyncopationになっているのだが、3小節目でも、初見で演奏すると、うっかりと間違えてsyncopationで演奏しがちであるので留意が必要となる。また、1stにとっても、音程を正確に合わせるのは難しい。理由は2小節目3拍目から3小節目1拍目にかけての音と、2段目2拍目のシドレミが1回目はシードレーミとナチュラルで演奏されるのだが、5小節目(2段目)の2拍目からは、シド#レ#と#になっている。また同様に2段目2小節目のラシドのドは#であるのに対して、(3小節目)のドレはまたナチュラルになっていて、きわめて紛らわしい。そのために、音程が不正確になってしまって、単なるoctaveのユニゾンであるのにかかわらず、音が揃わなくなってしまう。





⑦ 8番の1st、2ndは、2,4小節目、6,8小節目の弓で、2拍目の裏の弓が早くなって、音が飛び出してしまう。前が付点4分音符なので、8分音符になった時に、最初の1個目の音だけが弓が早くなってしまう。

⑧ 9番拍頭の捨て弓(全弓で一気に)3拍目のskipは鋭く、32分音符のように弾く。間に休符を入れて、 8小節目の2ndとviolaのrit.がTieの為に指揮に対して不安定になる。

⑨ 10の1st2ndのtenutoが音が荒れているし、音程も定かではない。2ndも酷い。5小節目の2ndの3拍目は3弦なので、そこだけdownが良いという事で(梨衣の意見)、2ndとviolaの5小節目の3拍目だけdownにする事になった。

11番の2小節目のKb.(だけ)もdown、downというのが伝達出来ていなかった。

 

Pachelbelその2        

① 12番は、tuttiで終わって、solo組で始めるがsoloの音は駒傍で、絞る込む、弓を切る音が必要、前半p後半ppは変わらない。

② 13は焦らないように4小節はtempoをしっかりキープする。後半4小節で14のpiu mossoまでtempoを上げる。3小節目からcrescendoだが、4小節目のfから更に15番までcrescendoを続ける

③ 2小節目の3拍目で2ndと1st、violaの弓使いがずれるので、弓を合わせる。2ndの8分音符をUp upにするとか・・・2小節目3拍目、3小節目の2拍目5小節目の・・・etc.

④ 17は全員拍頭で終止する。Violaの2拍目からスタートする。(強強/弱、2拍目が強拍になる。)チェロも3拍目が強で2拍目が弱、3拍目が強でという風に拍節法が変わるので、意識させる事

⑤ 18番 violaの2小節目と1stの3小節目、2ndの4小節目と4分音符2分音符が強、弱と変わるので、注意を喚起する事

上行5度のSequenzを意識して段階的に盛り上げるように、

⑥ 20番4小節目からの急激なcrescendoからsubitoP 8小節目でもう一回急激なcrescendoをして、21番に行く。

⑦ 急激なcrescendo、subitoからもう一度crescendoをして、4小節目で急激なdiminuendo、しかし、7小節目まではrit.はしない。8小節目で急激なrit.とdiminuendoでthemaに戻るがmfなのを注意する、5小節目の2回目はPからfade-out(フェードアウト)最後の2小節はたっぷりと

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蛇足です:
私のホームページを読んだ、生徒から「芦塚先生はbaroqueをカタカナでなく横文字で書いているのに、何故、古典は日本語なのですか?」と、質問されました。
「それは、とても良い事に気付いたね!」と、褒めたのですが、その理由は、私達作曲家はついつい、楽譜を記譜する上で音楽用語のイタリア語とドイツ語、酷い時にはフランス語や英語まで、ごちゃ混ぜに、一緒に用いたりするからなのです。
基本的には、言語は一種類の言語に統一した方がよいのですが、訳語がない場合も多く、多くの歴史的な作曲家ですら、その混同をしています。
しかし、基本的な表記の決りは、一つの言語であるという事には変わりありません。
という事で、私達も生徒達には、そういう風に指導しているからです。


だから、当然、「baroque」に対しては「classique」という表現をしなければならないのですが、実は、私が「classique」という原語表記でなく、「古典」という日本語にしているのには「古典」をそのまま訳すと、英語ではclassic、フランス語ではclassique、ドイツ語ではKlassikという表記になりますよね。
勿論、バロックもドイツ語で表記すると、「barock」と書きます。 
原語はポルトガル語のバローコ(barroco)の歪んだ真珠という意味だそうです。

古典についての前述のお話のように、私が敢えて、クラシックを古典と日本語表記にした訳は、日本語の場合には「クラシック」というと、「ポピュラーや民謡、ジャズに対してのクラシック(所謂、近現代から派生した音楽に対立しての、伝統の音楽)」という意味になるからです。
つまり、本来の「Klassik」の意味は、「古典」の時代を表すための、baroqueやRomanに対する時代区分上の「Klassik」であって、一般的に使用されている、jazzやpopularに対する伝統の文化という意味での「Klassik」とは、全くその意味が違ってしまうからなのです。


しかし、その混同されたKlassikという単語の用法は、その言葉がヨーロッパの言葉から日本語に訳されて来たから、・・・という事ではなく、元々のお膝元であるヨーロッパでも、よく人々が、混同して使用しています。

話を進めて行く上で、そういった「classic」という単語の誤用を避けるために、私の場合には、敢えて英語やドイツ語表記の「classic,Klassik、というクラシック」と、「古典」という日本語で表した単語を分けて定義付けをして、使用しています。 

12年9月9日の練習の諸注意の芦塚先生からの纏めです。

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蛇足です:
Johann PachelbelとBach家とは、とても深い関わりがあるのですが、、そのお話をするのを忘れていました。
ということで、以下、雑談です。

Bachは、9歳の時に母のマリア・エリーザベトを亡くします。翌年、父のヨハン・アンブロジウスも亡くしてしまいます。その時にオールドルフ(オール村)の聖ミヒャエル教会のオルガニストとして就職したばかりの長兄のヨハン・クリストフがセバスチャンとヤーコプの二人の弟を引き取って育てるのです。ヨハン・クリストフは当時結婚したてで、妻も身重でしたが、弟達の面倒をよく見て、弟達も楽才だけでなく、飛び級をする程の優秀な成績を修めます。
PachelbelはBachの父のアンブロジウスの故郷であるアイゼナハに宮廷オルガニストとして訪れて、Bachの父と親しくなります。その後、アイゼナハを後にしたPachelbelはエアフルトの教会のオルガニストとして雇われここでもBach家と親しく交友し、Bachの姉妹ヨハンナ・ユーディタの名付け親になり、また長兄ヨハン・クリストフの家庭教師となって、しかも、ヨハン:クリスティアンの家に住んでいた。ヨハン・クリスティアンの死後、Pachelbelは未亡人から、その家を買い取った。(家を買い取ったのは、Bachが誕生する1年前の話である。だから、長兄の指導をしていたのは、その後の話になる。)
ちなみに、Bachの家系では、ヨハン・クリストフという名前の人は5人、6人以上いて、混乱の極みである。ヨハン・シトラウスどころではない!多分、Pachelbelが家を買ったヨハン・クリストフというのは、Bachのお祖父さんの事ではなかったのだろうか??


蛇足です。
もう一つ言い忘れていましたが、Pachelbelは、VivaldiやGeminianiの先生でもあるcorelliと同じ年に生まれました。
Händellもcorelliの元を訪れています。これで大体バロック時代の流れが分かると思います。


蛇足です。
ここまで来ると、ただの雑談で、無駄話になります。
芦塚先生の日本での先生はPringsheimという先生で、双子の妹の旦那さんは「魔の山」や「ベニスに死す」で有名な作家のトーマス・マンで、名指揮者のブルーノ・ワルターとは、兄弟弟子になります。グスタフ・マーラーの直弟子です。Pringsheim先生の自宅は、戦前はワーグナー等が訪れるような名家でしたが、ユダヤ人ということで、戦争でナチに没収され、ナチの総本部になっていました。ということで、先生は日本に亡命(??)したのです。何で日本に・・??  先生の自宅は、戦後は芦塚先生が学んだミュンヒェン国立音楽大学の学校になっていました。家そのものがです。  凄い!
ミュンヒェン国立音楽大学を創設したのは、フランツ・リストです。だから、昔は、リスト音楽院と呼ばれた時期もありました。
Liszt
は、Bachの最初の校訂をした人であり、Bach werk verzeichnes(バッハ作品目録=所謂、BWV)を作った研究家でもありました。Bachの作品をピアノ用に編曲したことでも知られています。
芦塚先生が留学中に、ミュンヒェンで師事した先生は、ドイツの誇るべき名作曲家の、Genzmer先生ですが、先生はHindemithの高弟で、ドイツ新古典主義をHindemith先生から受け継いでいます。
ということで、ルーツを言うなら、芦塚先生はマーラーとヒンデミットの孫弟子になります。
ということで、教室でオケや室内楽を勉強している生徒達は、マーラーとヒンデミットの曾孫弟子になるのですよ。
勿論、マーラーはワグナーの直系なので、ワーグナーはリストの娘の婿さんで、リストは・・・。etc etc, と、BeethovenHaydn迄、延々と続きます。.




余談  「古典という言葉に対してのこだわり」・・・終わり
・・・・ご清聴様でした。




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Variation形式について
これから、Pachelbelのchaconne e のオケ練習に入る前に、Variation形式について、説明しておく。

一般には(楽典、通論的には) Variationには、形式というのは存在しないという事になっている。

だから、私が「Variation形式で、・・・」 というと、音楽に造詣(ぞうけい)が深い人の方が、逆に、「えっ?!Variationに形式なんかあったの??」と驚ろいて、しまうのかもしれない。

Variationについての、通論的、楽典的な基礎知識としては、Variationの種類は二つある。
その一つは、厳格にthemaのmelodieが、そのままに、装飾、変奏されていく=装飾Variationと呼ばれるVariationと、Variationのthemaを、曲の(Motiv)として、自由に展開発展させていく、「性格(的)Variation」と呼ばれる種類のVariationと、大きく分けてその2種類のVariationがある。

しかし、楽典や通論に書いてあるのは、そこまでであって、それ以上のVariationの形式について、述べられた書物はない。

殆ど多くのVariationは、装飾Variationであり、性格Variationと違って、音楽が静的で変化に乏しい、この種のVariationを演奏するのは、困難である。

私の若い頃には、corelliのviolinのためのviolinsonate、「la folia」とか、Beethovenの32のVariation等や、ドイツ留学中に手に入れた楽譜であるVivaldiのtriosonateの「la folia」等々の長大な曲を、どう演奏すれば、audienceを飽きさせないで演奏して行く事が出来るのか?・・という事は、私の若い頃からの懸案事項で、長年の課題であった。

試みに1986年に一度、Vivaldiのtriosonateの「la folia」を、子供達に演奏させて見たのだが、結果はやはり、曲が冗長である、というブーイングを受けてしまった。

その後、10年以上も、このVivaldiのtriosonateであるla foliaを、中心として、baroque楽器を使用したbaroque奏法の研究と一緒に、このVariation形式で作曲された楽曲の演奏法の研究を推し進めていった。

Variationの演奏の方法は、Beethovenの手紙を読んでいた時に、ヒントを得た。
勿論、その手紙は、既に高校生の頃から、何度も目を通してはいたのだが、それがVariation形式を演奏する上でのヒントになるなんて、とても、思いつかなかったのだよ。

そのヒントにたどり着いてから、改めて、Variationを、構成し、tempoの設定や、装飾等の工夫を試みて、10年後に演奏をさせたVivaldiのla foliaのtriosonateは、結構、好評であった。

と言う事で、Variation形式という一つの形式は、私の最も得意とする演奏のstyleになっている。

1990年代に入ると、そういったVariation形式による長大な曲の演奏というのも、一般的になって来て、baroque音楽の奏者にとっては、常識的な演奏styleになってきた。

Corelli=Geminianiのla foliaや、Vivaldiのla foliaは、私の場合には、Variationの順番を原曲のままの順で演奏しているが、多くの人達は自分の解釈で、Variationの配列を変えて、大きな曲の流れを作ることが一般的になってきた。

私の場合でも、biberやcorelli等の曲で、曲の配列を変更して、演奏している曲は結構多い。

また、長大なVariationは、ケースバイケースでそのVariationを幾つか、割愛して演奏することも多い。

Tartiniのcorelliの主題による50のVariationどころではない、70のVariationまであったりするので(完全な練習曲の意味である。)教室では、勿論、順番を変えたり、同じEtude的な曲を省いたりして、演奏させている。

これはプロversionのbaroqueensembleでも、同様の変更をすることは決して珍しい事ではない。

PachelbelVariation形式

通常の他のVariationと同様に、themaから、徐々にtempo upして行って、一つの盛り上がりの頂点を作る。
それから、ゆっくりしたVariationに戻って、またtempo upを少しして、ゆっくりとした曲に再び収まる。
その型を、2回程繰り返す(都合、3回になる)のだが、1回目と最後の回は結構長めにsetするのだが、中間部は少し短めにする。
これが・・と言うか、これに近い形を私はVariation形式と名付ける事にした。
勿論、音楽通論(楽典)の書物には、そういった形式の記載がある分けではないのだが、それでも大作曲家達のVariationはその形式を踏襲するのだよ。。
でも、そういった形式は結構ある。
その典型的な例はbogen formである。これも、Bachの時代から多くの作曲家の手によって使用されていた形式なのですが、音楽の楽典的な本には掲載されていない。

Pachelbelのchaconneも、他の作曲家と全く同じ、Variation形式で作曲されている。
先ず、themaの提示(若しくは掲示という人もいる)部で通常のchaconne同様に、bassの定旋律が2回繰り返されて、chaconneのthemaの8小節を構成する。
この8小節をthemaとする。
それから前半部は、Variation1から、11まで、一つのククリとして演奏される。前半部はthemaを含めて12の部分からなる。
次のVariationは12Variationから16Variationまで、5つのVariationで、次も、17Variationから、21Variationまでの5つのVariationしかない。この二つの部分を合わせても、10のVariationしかない。後はthemaが繰り返されて、終わる。
A部「thema+11Variation」+(B部「5Variation」+C部「5Variation」+thema)というbalanceで成り立っている。
3部構成とすると、unbalanceなのだが、A+(B+C)という、大きな2部構成の構造式という事で演奏するとバランスは取れている。



よく、la foliaやchaconne等のthemaをmelodieと勘違いしている人がいるのだが、baroqueの変奏曲は、低音のbassが定旋律となって、繰り返されて、そのbassmelodieの和音上に色々なfiguration(これは日本語に訳すのは難しい)が展開されて行く。

Pachelbelのthemaも4小節のbassの定旋律上に8小節目のmelodieが奏される。





basso continuoで書かれたTommaso Vitaliのoriginalの譜面であるが、bassの定旋律上にmelodieが展開されえいる状況が良く分かる。

Pachelbelの場合も、非常にゆっくりとした鬱々のmelodieである「themaの4小節」が2回繰り返される。
第一部は、Variation1からVariation毎に少しづつtempoを上げながら、Variation11まで、一気に盛り上げて(高揚させて)行く。Variation11の7小節目で急激なrit.をして、第二部の始まりで、Variation12は、切々と歌い込むゆっくりとしたVariationとなる。Variation13からはVariation毎の急激なtempoのupと15、16で力強いパワフルなvariationまで、僅か4つのVariationで盛り上げて行く。
17で、再び、浪々とした悠大な対位法的なVariationが17,18と続く。しかし、19から、突然激しい荒れ狂ったpassageに戻って、20ではsubitoのPから一気に21のfortissimoのpassageに走り込む。またVariation21の4小節目で(殆ど、subitoと思われるぐらいの)急激なdiminuendoで、Pになって、僅か4小節でthemaのrepriseになる。

3回目のVariation(最後のVariation)は、これから最後のthemaに戻って音楽の頂点を作る所まで、・・・所謂、ラスト・スパートまで、一気に盛り上げていくのだが、原曲通りでは、小節数が少なすぎてthemaの鬱々な感じには、戻れない。どうしても残気を消す事が出来づに、中途半端にthemaに入ってしまうのが、欠点である。Variation21の6小節目に既に、rit.を開始させて、8小節目のthemaの前で本当の大きなrit.にするように演奏しているのだが、それでも、不完全なままに終わってしまう。

その原因は、原曲がオーケストラの曲ではなく、orgelの曲であるからである。
baroqueorgelの場合には、弦楽器のような激情的な表現は出来ないし、そのように演奏されることはない。
Bachのように、後期baroqueのorgel作曲の巨匠であっても、感情的に逸脱することはないのだ。
しかし、比較的に、忠実に原曲のVariationを再現している、Corelli=Geminianiのla foliaは、最後のpassageの盛り上げはかなりのものである。
だから、orgelで演奏されるchaconneとorchestraで演奏されるchaconneは別のconceptの曲であると思った方がよい。

今回の私のarrangeでは、この突然にrepriseするpassageは、4小節程小節を追加して、そういったZirkusの演奏をしなくても良いように、自然にrepriseに入れるように改訂している。







譜例:Pachelbel chaconne original(オルガンの原曲)

曲はoriginalのorgelとorchestraでは、全くといっていいほど、imageが違います。orgelの場合は寧ろ、非常に淡々とした均整の取れた如何にもバロック風の曲ですが、orchestraとなると、情感の溢れた扇情的と言っていいほどの情緒にあふれた曲になります。
また、それが擬古典の素晴らしさでもあります。






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Pachelbel
chaconneの改訂に付いてのお話
20131020日の追記=更新のPageです。)
光陰矢の如しというか、月日が経つのは早いもので、Pachelbelchaconne
12年の11月の23日に八千代で公開演奏をして、もうすぐ一年にもなります。

(道草)
私の箴言集の「ヨージーの法則」には、「時間は加齢と共に加速する」という法則がありますが、子供達に与えられた無限の時間と、もうそこに、出口の見えている私達、世代の時間では、時間の感覚が、籠とリニア・新幹線ぐらいの差があるようです。

最初にPachelbelchaconneを八千代用に選曲して、練習を始めた頃は、オケの子供達からは、「こんなかったるい曲は嫌だ!」と子供達からのブーイングの嵐で、指導する私もかなり気分を害したものです。
先生達が「子供にはこのadultな鬱々の感じは分からないのよ!」と言われて、「そりゃ、そうだ!」と、納得して、諦めて指導していましたがね。

しかし、曲の完成度が上がって来るに従って、子供達の曲に対する意識や評価も変わって来て、八千代の演奏会でも、沢山の方達から、「こんな名曲があるのですね。感動した!!」と、高評価と、沢山の賛辞を頂きました。

まあ、そういう事もあって、八千代の演奏会が終わって、「またPachelbelchaconneをやりたい!」と、言う子供達の言葉を聞くようになりました。

しかしながら、私的には、冷静に、ワイン片手に、深夜、鬱々と、八千代の演奏会の風景をYou Tubeで見るにつけても・・・、或いは、Kurt Redelの指揮するミュンヒナー・プロアルテの演奏を聞くにつけても、・・・・・
う~~ん、チョッと、somethingが・・・・!!という事で、よせば好いのに、またぞろchaconneの譜面を、ワイン片手に弄り始めてしまいました。

Caccini
Ave Mariaのように、本番の直前になって、・・・つまり、13年の10月の20日の発表会の前日に、chaconneの改訂版を作り上げてしまったのです。

しかしながら、今回の発表会では、Pachelbelchaconneがprogramに乗る曲ではなかったので、子供達への直接の被害はありませんでしたが、(私の性分で、発表会であろうと、演奏会であろうと、それが心臓の手術の前日であろうと、全く無関係に、気に入らなくなったら、周りのローテーションとは無関係に、仕事をしてしまうのですよね。
困った性格ですよ。
否、本当に・・・!!!!)

Mueller-Hartmann
arrangeは、良しにつけ悪しきにつけても、あくまでPachelbelorgelの原曲に忠実に編曲してあります。
originalorgelpassageは、3声で書かれていますから、Mueller-Hartmannorchestraの冒頭のpassageも、3声で書かれています。

しかし、下のorchestraの楽譜を見ると、分かるように、viola2nd violinは、同じ旋律を受け持っています。

また、Mueller-Hartmannは、pipeorgelpartを、orchestraの旋律をなぞるだけの譜面にしています。

まあ、そういった、配慮の無さか、easyなarrangeの仕方か、それともMueller-Hartmann自身のarrange技術の不足のなせる技なのか、その不足が、到る所に見え隠れするので、前回の八千代の時にも、私としては「即、改訂をしたい!」と、随分悩んだのですが、どんどん訂正を始めると、子供達の練習に支障を来たすので、致し方なく、先生達のダメ出しもあって、敢えて、加筆訂正、補正はしないままに、演奏会に臨みました。

という事で、オルガン担当の美帆ちゃんが、arrange上では、orchestraとしてのorgeという位置ではなく、originalのオルガンsoloのままのように、書かれているので、演奏上は一番被害が甚大で、演奏していても、かなり不本意のようでした。
と、思っていますが、それとも、何も考えていなかったりして・・・・!
いずれにしても、若い女の子の考えは、私には、全く分からんからね!!
アハッ!!

私がVivaldiやその他のバロックの作曲家の曲を指揮する時には、全員に楽譜を配った後でも、加筆訂正をどんどんしてしまうので、先生達や、生徒達からのブーイングが酷くて、ビクビクしながら、納得の行かない譜面の訂正をして行ったのですが、今回の6月の八千代からは、生徒の技術の水準も上がったし、生徒達も、そろそろ、「proの世界には、完成というものは、存在しない。proというものを知りたければ、訂正の過程を知る事も、大切な勉強である。」という私のconceptを勉強しても、良い頃なので、本番までは、より良い楽譜を勉強するという事を、教室のオケ練習の標準のstyleにする!という事を宣言しました。
ですから、CacciniやTelemannのように、本番直前に曲を書いて、練習3回のみで本番も有り・・・という事にしました。

何事も経験・・・ではなく、proなら、演奏会の当日でも、変更があるのは当たり前という事を、八千代での学習の課題の一つに加えたのです。


余談はさて置き、Pachelbelchaconneの話にもどって、・・・。

新しい私のarrangeでは、orgelpartconcertoのように、orchestraと対立して、独立したpassageで書かれています。

また、Mueller-Hartmannの冒頭の3声のpartから、4声体の独立した弦楽器の動きに保筆訂正されています。

中でも、顕著な事は、私のarrangeの場合には、Marin Maraisla foliaのように、小節数が後半で、少し増えている事です。
前述のように、曲が終わって、最初のthemaに回帰する前のpassageが、orgelの場合とは違って、orchestraversionでは、余りにも短かすぎて、唐突な感じになってしまっているようなので、その間の小節を何小節か膨らましてあります。
充分にrit.がかけられるように、小節を少しだけ増やしたのです。
基本的には、Mueller-Hartmannarrangeをベースとして活かすように、心掛けましたが、不自然な箇所は、芦塚版(芦塚version)として、自由にarrangeをしました。





3年間に及んだ、八千代のコンサートのおかげで、音楽を専科とする生徒以外の趣味の生徒達も、violinの技術levelが非常に高いlevelになって来て、バロックや古典派の演奏に、とても良い水準で演奏が出来るようになってきました。

という事で、私の新しいversionchaconneは、Mueller-Hartmannのarrangeよりも、かなり難しい技術水準になってしまいましたが、今の子供達の水準ならば、この曲を演奏する事も、練習の回数さえ取れれば、無理なく演奏出来ると思いますので、早速、次回の千葉の発表会にでも、programに組んで、子供達に演奏させたいのですが、少子化でオケのmemberの不足に加えて、主力memberが高校の受験年次で、音楽の練習のscheduleがままならないので、私としては二の足を踏んでいます。

しかし、member不足については、このまま、何時になったら、演奏が可能か?という事は、早急には分からない分けなので、応急に、この私のパソコンの音源をYou Tubeにそのままupするという事もありかな??とも思っているのですが、何せ、私はパソコンの専門家ではないので、パソコンの音源となると、かなり情けのない悲しいものになってしまいます。

応急は応急なので、割り切って・・という事も考慮して、思案中なので、次回のオケで演奏するか、パソコンの音源でYou Tubeにupするか??等々の決断はもうしばらくお待ちください。
何せ、優柔不断な私ですから、決断に時間が掛かってしまいますので・・・・!!
ハッ、ハッ、ハッ!


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余談のお話「パイプオルガンについて」

左側の写真のパイプオルガンlは、私の30数項目のアイディアによる世界初の携帯用pipeorgelです。
パイプのpartsや本体が、幾つかのパーツにバラバラに分解されて、バン・タイプの車なら、一台で教室の先生達と生徒達で演奏会場まで、運ぶ事が出来るように私が考案したものです。

近現代の大orchestraではなく、baroque時代の12名ぐらいから、30名ぐらいの室内(Kammerorchestraに対応した音量の楽器です。

pipe
は、日本の殆どの大ホールのパイプオルガンのパイプである、ドイツのクライス社製のpipeで、制作は黒田オルガンのスタッフの皆様が、半分面白がって、作ってくれました。

材料費は私持ちで、制作は黒田オルガンのメンバーの人達がしてくれました。材料費だけでも、百万単位のお金が必要です。
閉管のオーダーはクライス社が受けてくれました。

私の30数項目のアイディアは、制作費の替わりに黒田オルガンが使用する事になっています。

制作した時期はかなり昔々で、勿論、音楽教室を作る以前、cantataを引っさげて、私の弟子達と教会回りをしていた頃の時代に発注した楽器です。

その頃はまだ、教会といえどもパイプオルガンを持っていた所は少なかったので、珍しさもあって、なかなかの評判でした。

但し、本体の鍵盤と肺の部分はセパレートにすると、空気の漏れも心配なので、一体になっています。

重さ的には、多分60㌔ぐらいだと思いますので、さして重くはないのですが、持ち手がないので、実際の重さよりも重く感じてしまうので、Pianoの運送業者の人達が持っている背負子のベルトを買って見たのですが、先生達にベルトの使い方を教えていなかったので、まだ使用していません。
持ち手を付けなかった事だけは、私のオーダーミスなのですが、黒田Organの人は、一人で本体を担いでしまいます。
流石は、餅は餅屋です。

多分、ベルトを使い慣れると、「女性二人でも簡単に持ち運ぶ事が出来るのでは??」と思っています。

音色は、pipeの材質は鉛なので、本来は金管なのですが、baroqueのcontinuo-Organとして、木管系の音に設定しています。
pitchは、baroque-pitchにするか?演奏会用のpitchにするか??・・随分悩んだのですが、対外出演の可能性で、440の標準pitchにしています。
西日本での演奏会の可能性も考慮して、空気圧を弁で調整する事で、どちらのcycleにも対応出来るようにしています。


「Cembaloに付いて」
私の二段鍵盤のコンサート・チェンバロは、とてつもなく重たいので、演奏会場に運ぶのには、専門の業者を雇わなければなりません。
それでは、殆どボランティアの演奏活動は出来ませんので、演奏会用に一段鍵盤のルーカスモデルのCembaloを古典楽器センターの佐藤さんに作ってもらいました。

女性の先生達が二人、三人だけで、車に積み降ろしをするのが、何とか可能な重さなのです。
楽器を持つ、運ぶという事は、重さよりも、寧ろ経験の慣れが大きいのです。

私のパイプ・オルガンは、ルーカス・モデルの一段2列のCembaloの本体の重さよりも、軽いと思うのですがね。
持ち手がない事が、致命的なアイディア不足でした。
今更、改造は出来ないので、先生達にベルトの使い方をlectureして、ベルトを上手に使えるようになって貰いたいと思っています。

いずれにしても、baroque音楽では、作曲者の意図で、最初からオルガンを想定して作曲している曲の場合と、Cembaloを想定している曲に、分かれてしまいます。
ただし、オルガンが身近にあるケースは殆どないので、教室でも今までは全てCembaloで代用しています。
しかし、CDの録音では、baroqueの専門の演奏団体は、通奏低音の楽器は厳密に弾き分けて演奏しています。



当初は13年の八千代の秋のコンサートには、「Vivaldiやその他のbaroque時代の作曲家達の、オルガンを通奏低音楽器として、作曲された曲だけを集めて、教室のパイプオルガンを運んで演奏しようかな?」と思っていたのですが、少子化やmemberの不足で八千代のコンサート自体を一時期休止せざるを得なくなってしまって、私のアイディアの詰まった自慢のパイプ・オルガンを、もう一度、皆様の前にご披露するという私の願望は、立ち消えになってしまいました。残念!!

C
embaloとパイプ・オルガンの二台を運ぶ事は、とても無理なので、どちらかを選ばざるを得ないのですが、曲的には、圧倒的にCembaloを通奏低音の楽器としている曲の方が多いので、これまではCembaloで代用するか、キーボードでオルガンの音色で演奏するかのどちらかを選ばざるを得ませんでした。
なかなか難しい選択です。

「曲決め」の時から、その想定で選曲をしていかなければならないので、難しいのです。




パイプオルガンというと、一般では、教会やコンサートホールに据え付けられている、巨大なコンサートオルガンの事を考えてしまいます。

勿論、ヨーロッパに行くと、流石に、カトリックの国なので、どんな小さな村の小さな教会にも、立派な大型のパイプオルガンが備え付けられています。

何百年もの間、村人達の心を支えて来たパイプオルガンなので、当たり前かもしれませんね。

私達が大晦日に聞く除夜の鐘のように、人々の心に密接に寄り添っているのですからね。

もっとも、大晦日の除夜の鐘は、一年に一度聞いて、有り難味を実感しているのですが、ヨーロッパの人達はとても信心深いのでね。









そういった大型の教会やコンサートホールに据え付けられているパイプオルガンとは、また別に、バロックの通奏低音楽器として使用する小型のパイプオルガンの事を、通常はPositivオルガンと呼んでしました。

しかし、小型のパイプ・オルガンとは言っても、それでも、二段鍵盤で、4feet、8フィート、8フィート(16フィート)と足鍵盤の16(若しくは32フィイート)がセットになるので、小さな教会等での据え置き式の代用にか、演奏会にも何とか運べるような持ち運びを想定したものがありましたが、それでも、軽いものでも500㌔ぐらいはあり、手軽に、運べるものではありませんでした。

上野の大ホールのようなコンサートホールでも、パイプオルガンがないホールの演奏会の場合には、音楽大学では学校のPositivオルガンをトラックで運んで演奏していました。(・・・います。???)

私達は「よくこんな巨大なものが運べるな??」と驚いていたものですが、餅は餅屋で、たった3、4名で運べちゃうんだな!??これが・・・・・???
すっ・・・!すっ・・!凄い!!


それに対して、Portativオルガンと呼ばれる、持ち運びをする事を前提にしたオルガンが中世の時代からありましたが、主に12世紀から15世紀に掛けて、首に吊るすか、膝に乗せて左手でふいごを動かして右手で鍵盤で演奏する、基本的にはmelodieを単音でしか演奏出来ない単旋律楽器でした。





それでも、cantataのコラールのmelodieを演奏したり(単旋律ですが・・・)、室内楽のmelodiepartを担当したり、・・と、ルネッサンスの音楽にはなくてはならない楽器ではありました。

しかし、両手でCembaloのように、和音を普通に演奏する事が出来ないので、バロックの通奏低音楽器としては、使用する事は出来づ、Cembaloやギターの前進とも言われているLauteにそのpositionを奪われる事になりました。(・・・というか、所詮はensemble楽器ではないので、奪われるも何も、最初から、なかったのよ!!)




という事で、私の考案したパイプオルガンは、標準の8feet、一列だけしかないのですが、20名程度の少人数のバロック・オーケストラのbasso continuo用のオルガンとしては、8feet一列で充分なのです。

私のパイプ・オルガンの設計では、音量的には500名の小ホールを対象とした充分な音量を持っていますし、パイプ自体は金管なのですが、ワザと、金管特有の輝かしい音ではなく、弦楽器に溶け込むように、柔らかいrecorder(リコーダー)系の木管の音にしています。

但し、オーケストラや室内楽を想定してあるので、soloのviolinには強すぎるかもしれません。
pitchはオーケストラの演奏会を対象としてあるので、baroquepitchではなく、通常の演奏会のpitchである441サイクルです。(441サイクルという教育用の国際標準高度や、演奏会高度の442サイクルから443サイクルまで、曖昧なpitchにする事で、対応出来るようにしてあります。)

オーケストラが435サイクル以下の、baroquepitchで演奏する事は、よっぽどの例外的な公演を除いては、あまり現実的ではないので、実用性を重視して、敢えてbaroquepitchは採用していません。

ふいごは、勿論、古式豊かな手回しではありません。
結構、強力なモーターを回す事で、かなりの分厚い和音でも、音がぶれないようにしてあります。
強力なモーターで風を送り、弁で風量を調整し、pitchのコントロールをしますが、困った事に、東日本と西日本では、電圧が違います。
そこも弁で、風圧の調整をさせる事で441サイクルをキープ出来るように、しましたので、西日本にもこの楽器を持って行く事が可能なのです。

かなり、強力なモーターを黒田オルガンの人達に無理を言ってお願いしたのは、イタリアやドイツ、それからフランスの教会にも、オルガニスティンの竹前光子さんのお供で、レギスターの操作をするというお手伝いで演奏旅行のお供をしたのですが、イタリアの教会音楽学校や、古い歴史的な教会での演奏では、Max Regerのオルガン曲やOlivier Messiaenのような近現代の、大オルガンを想定した曲では、肺が足りずに音がフニャフニャとして、音楽にならなかった事がよくあったからです。

どんなバロックの名器と言われるオルガンでも、バロック時代の音楽を対象として、作られているオルガンでは現代曲の演奏は出来ないのです。

だからと言っても、無意味にモーターを大きくしたら、当然肺も大きくなって、重量も増して来て、それこそポーターブル(Portativ)なオルガンを作るという本来の意味がなくなってしまいます。そこの兼ね合いは難しい!!

それにしても、パイプオルガンの1000年の歴史の中でも、パイプをパーツにして、ばらすという発想を誰もしなかったのだよね。

技術的には可能だと思ったけれど、それこそ、コロンブスの卵なのだよね。
不思議だ!!


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Facebookより抜粋

5月16日 ·
今日は五月の15日でした。
なにを狂ったのか、この二日間、Pachelbelのchaconneを、f mollにtransposeする作業と、それから更に改訂renewalする事に熱中してしまいました。今回の発表会で演奏するか否かは決まっていないのに、お疲れさんの事ですね~ぇ??
唯のtransposeというよりも、冒頭のthemaのmelodyに対するcontrapunkt(=対旋律)も大幅の変更をしました。それぞれのpartを大変更です。
変更に関しての作曲学的な問題は全くないのですが、後はspielbar※)の課題が残っているので、part譜をprintoutして、実際に楽器を使用してspielbarのcheckをします。
※)spielbarに対しての日本語訳はないので、いつも困ってしまうのですが、ヨーロッパの作曲家達は楽器の「弾き心地」をとても大切にします。この楽器への「弾き心地」が所謂、spielbarと言う言葉で言い表されます。

それはそうと、私は、この20年来は曲をarrangeする時も、作曲をする時も、全く五線紙に音符を書く事は無くなってしまいました。というか、作曲をする時に、Pianoを弾く事も無くなったので、ハイツでは、Pianoの音が聴こえて来る事はありません。
音楽と言えば、テレビやパソコンで音楽を聴いている時に、音が流れて来る事だけが唯一なのです。
とても、音楽家とは言えないよね??
PachelbelのChaconneのarrangeも、いきなりパソコンに入力をして終わりなので、下書きすら無いのです。
自分の曲を作曲する時も、直接、パソコンに入力していますので、買い置きの五線紙がこの20年、全くそのままになっています。買えば結構な値段なので、捨てるにも捨てられないからね??(但し、B5判やA5判のような楽典や和声用の五線紙は、lessonで今でも使用していますが・・・)

そういえば、昔から文字を書く事が苦手なので、memo書きをする事が苦手で、手紙や長い文章を書く事が非常に苦手だったのですが、文字の汚さもさる事ながら、楽譜でも文章でも、推敲をするtypeだったので、推敲する時に、同じ文章や音符を何度でも書かなければならない・・と言う事が、苦痛で、それが理由で文章や作曲をする事が億劫になってしまっていました。
それがパソコンの普及に伴って、one-clickで推敲が出来るようになって、私本来の、楽譜や文章を何度でも推敲に推敲を重ねて行くという事が出来るようになりました。
推敲をする事自体は全く嫌では無いので、推敲をしない・・元の文章を書かなければならない・・という無駄な作業が嫌いだったのだ・・という事が良く分かりました。
まあ、世の中は、何かと便利になった事・・・!!
写真のKeyboardは37鍵のパソコンのfinale専用の入力用の鍵盤式のKeyboardです。左手前の白いポッチを押すと、octaveづつ鍵盤のpitchが代わります。上に3octave、下に3octave変化します。



ところで、無知でアレなんですけど(どれでしょうか)
Chaconneと書いてカノンと読むんですか?どうもシャコンヌと読んでしまうのはシロウトだからでしょうか?


Pachelbelは、弦楽orchestraのCanon(カノン)が超有名ですが、Chaconne(シャコンヌ)は、原曲はPipeorganの曲なのですが、とても美しく、悲劇的でpowerfulな曲です。Canonがニ長調という明るい美しい曲であるのに対して、Chaconneはヘ短調という暗い陰鬱なimageの曲です。
私はMünchen時代に、Mueller-HartmannがChaconneを弦楽orchestraに編曲した楽譜を購入・所持していたので、その楽譜で八千代の演奏会で演奏しようと思ったのですが、実際に練習を開始してみると、譜面上では問題は無かったのですが、実際の演奏では、色々と問題が出て来て、私が練習の指導をしながら、改定しなければならなくなってしまいました。
八千代での演奏の時には、Mueller-Hartmannの編曲の楽譜を、私が暫定的に、校訂訂正した曲で演奏をしたのですが、取り敢えずの・・暫定的なarrangeに納得行かなくって、1年後のChristmas会の3週間前に、突然、一晩掛かって、wineを飲みながら、PachelbelのOrganの原曲から、新たに編曲をして、3週間後のChristmas会で子供達に演奏して貰いました。
本番までに、練習が3回しか無く、そのまま本番だったのだけど、受験や学校行事等で、全員が揃って演奏出来たのは、唯一、Christmas会本番だけだったので、演奏はpowerfulで、それなりに良かったのですが、初見同様だったので、単純な譜読みの間違いがあったりして、模範演奏としては、不本意なままに終わっているので、何時かはrevengeをしたい・・と思っていました。
今回、Marin Maraisのla foliaがポシャったので、orchestraの曲として、Chaconneのrevengeでも良いのかな?・・と、先生達に言っているのですが、返事はまだ貰っていません。

またまた、Facebookでの文章の入力が出来ません!
Facebookがすっかりと変になったままで、文章が入力出来ません!
・・・という事で、一度、uploadしてから、編集をし直したら、入力出来るようになりました。毎度、一度uploadしなければ、正常に入力出来ないので、超、面倒くさい!!

Facebookの5月12日のPageにlinkを貼っている自治会館のChristmas会でのPachelbelのChaconneのお話です。

作曲家の名前や曲名に関しての、原語表記とカタカナ表記についてのお話は、Facebookやhomepageにもそのconceptを度々書いていますが、基本的には室内楽やorchestraの曲の場合には、日本版の楽譜は出版されていない場合が殆どで、楽器店でも楽譜を探したり、You Tube等で演奏を探したりする場合には、カタカナ表記で探す事は困難で、見つからない場合が多いのです。
また、カタカナ表記では書き表せない人名や曲名が多くて、子供達にも、なるべく早く、原語表記に慣れて貰う事が大切だと思っています。教育上や利便性を考えて、私の場合には基本的に原語表記にしています。

今日(5月18日)にPachelbelのChaconneのf moll-versionのscoreをlayoutとcopyと、製本を梨紗にして貰った次いでに、「前回の自治会館のChristmas会の時の演奏(13年の12月)は梨紗は何年生の時だったのか??を聞いたら、なんと「中3の時!」だってさ!!
今年・・というか、来年は、桐朋をもう卒業するのだよな??
なんと時間の経つのは速いのだろうか??
そう、じゃあ~ね~っ??(Janet's law)




5月14日 ·
13日の月曜日の続き・・と言うか、深夜なのですが、風呂に入ってベッドで横になっていても、眠れなくて苛つくだけなので、だいぶ頑張ったのですが、ついに諦めて、wineを飲む事にしました。
この所、体調不良で、wineも飲めない(alcoholににも、逃げる事の出来ない・・・)日々が続いていたので、久々に、鬱々のBGMをパソコンで流しながらの、鬱々timeで、朝まで呑んだくれていました。ひとビン空にしてしまいましたよな⁉
昨日の食事は炭水化物食だったのだけど、overworkだったので、全く体重が増えていません。
適度なoverworkの運動だったのがdietには良かったのかね??

PachelbelのChaconneを次回の発表会で演奏するか否かは別として、八千代での演奏と8小節程増えた自治会館のChristmas会での演奏timeを出したのだけど、小節数が増えたにも関わらず、timeが変わっていないのはどういう事だ??
Christmas会の演奏の方が八千代の演奏よりも、30秒程、縮めている・・という事だよな??
corelliのla foliaは八千代と今回の発表会では、演奏時間を比較すると、八千代の時が約14分で、今回の発表会では16分弱の演奏時間だ。
今回の演奏時間は八千代に比べて、1分半以上も遅いtempoになっているのだよな。
要するに、今回のla foliaは全体的に遅いのだよな??
それって、単に、しっとりとじっくりと、というinterpretationのせい??
それとも、歳を取って、powerが無くなったからのせい??
・・てな事を考えながら、悩みながら、呑んだくれていたのだよ・・!!アハッ!


・・・てな感じで、とうとう一晩中、呑んだくれてしまって、酔っ払って、なんとか寝込んでしまったのだけど、朝を迎えて、起き出して、そのまま、finaleで、PachelbelのChaconneの曲を見ている。
それにしても、「PachelbelのChaconneを、今回の発表会でRevengeするにしても、しないにしても、梨紗の言うfmollの versionを作っておこう!」と、朝、起き出してから八千代と自治会館のChristmas会で演奏をしたe mollのversionのChaconneを、finaleで、fの調にtransposeをしたので、細部のpassageを変更をしなければならなくなったので、そのための改定作業をしていたら、な、な、な、なんと!・・・お昼過ぎになってしまった。
そろそろ、お腹も空いて来たので、お弁当を取りに行くために、バイクで椎名町に出かけたのだけど、ボツボツと小雨が降って来たので、慌てて戻ろうとしたら、超、珍しい事に、ドルちゃんが玄関まで、見送りに来て「エッツ??もう帰っちゃうの??」という風に見つめられてしまった。 きゃわいい・・!!
写真??
お弁当を取りに来ただけなので、写真はないよ!!





5月12日 ·
今日は5月の12日日曜日上弦の月である。
子供達にとっては、待ち兼ねた「室内楽とorchestraの曲決め」と「楽譜渡し」と「初見大会」の日である。※)
 orchestra・室内楽の「曲決め」は、先ず生徒達の室内楽とorchestraへの参加申し込みが出てから、その参加者を見てからorchestraや室内楽のgroupを作ってから、曲決めをする。
それから楽譜を準備するので、楽譜を渡す前日の土曜日は、copy作業で一日中大変な作業をしなければならない。
今回の土曜日には梨紗さんがお手伝いに駆けつけてくれたので、何とか深夜までに、copy作業を終わらせる事が出来た。
※)初見大会という聞き慣れない言葉なのだが、貰った楽譜を子供達に、CD等で聴かせるのではなく、ensembleの先輩達が、初見の演奏で後輩の子供達に聴かせる・・というeventである。
演奏をしない先輩は、子供に楽譜を見せながら、指で音符を追って、曲のimageを作らせる・・・という事をする。
CD等の缶詰めの音楽と違って、先輩達が生で聴かせてくれるのだから、子供達にとってのインパクトは頗る良い‼

梨紗と夜の食事をしている時に、「作曲のlessonは何をどう教えるのか?」と聞かれて、答えに窮してしまった。
「私が作曲の生徒をどう教えたか?」・・どころではなく、Pringsheim先生やGenzmer先生から作曲を「授業として、何をどう学んだのか?」・・が、全く思い出せなかったからである。

作曲のlessonとは言っても、先生の出した課題(=楽器編成と時間)に沿って曲を作るだけで、後は、作曲上の問題点を先生を交えてDiskussion(討論)するだけなのだから、とても、lessonと呼べたものではない。
私は、PianoやViolin、Celloの生徒達や和声学の生徒達を多数指導して来たのだが、作曲の生徒を指導した事は一度もない。
唯一の例外は、日本に帰国したばかりの頃に、popularの作曲家のorchestrationや曲の構成等の指導をした事はあるのだが、彼はスイスの音楽大学の作曲科の卒業生で、多くの作品を書いて世界に名を売っているproの作曲家なので、弟子とはとても呼べないしね・・・??
まあ、その話しは、桐朋の作曲科のclass-maitか、作曲の先生にでも聞いとくれよ⁉

また、梨紗と食事をしているその時に、私のarrangeをした「PachelbelのChaconne」の話が出て、梨紗が「何故、原曲のf mollではなく、e mollにしたのか?」という質問をされたのだが、勿論、それに対しての答えは、「baroque-pitchで演奏すると、f mollの曲はe mollのpitchになるからである」と言う事なのだが、困った事に、弦楽器の場合には、f mollで書かれた譜面とe mollで書かれた譜面では、konsonanzが違うので、spielbar(弾き心地)が全く違う。
また、同じpitchであったっとしても、f mollでbaroque-pitchで演奏されたChaconneと、e mollでmodern-pitchで演奏されたChaconneでは、曲の雰囲気(image)がガラリと変わってしまうのだよ。
pitchの混在は、orchestraは当然の事ながら、originalの楽譜を演奏するPipeorganでの演奏でも、この2つのpitchが混在している事は驚きである。(つまり、教会によってはbaroque-pitchのPipeorganとmodern-pitchのPipeorganの教会があるからなのだよ。)
勿論、Pachelbelの教会のpipeorganは、当然ながら、baroque-pitchなので、ほぼe mollになるのだよ。

梨紗としては「e mollの華やいだ雰囲気よりも、f mollの暗く悲劇的な鬱々な雰囲気が欲しい」という事なのだが、それは私としても、鬱鬱の方が好きなので、同じf mollの方が良いので、梨紗の好みも、良く理解出来るのだが、それにしても、同じpitchで演奏しているのに、e mollの調で演奏しているのと、f mollの調で演奏しているのでは、imageが全く変わってしまうのは、不思議な話なのだよな??
(尤も、PachelbelのChaconneの楽譜をe mollからf mollにtransposeする事は、編曲をfinaleのパソコンsoft上でarrangeをしているので、曲のtranspose自体は、パソコン上で、one clickで済む簡単な事なのだがね??)

PachelbelのChaconneは、最初は、出版されている楽譜のMueller-Hartmann版の楽譜で演奏する予定だったのだが、練習に入って、Mueller-Hartmannの版は、originalのPipeorganの3声の楽譜をそのまま、弦楽器に置き換えたものに過ぎないし、Mueller-Hartmannのarrangeした楽譜のOrganのpartもoriginalのOrganのpartをそのままに演奏しているだけで、とても、聴くに耐え得る・・ものではない・・と言う事が分かった。

そもそもPipeorganと言う楽器は、それぞれのpipeが重厚で音の厚みもあり、3声部の書法でも、充分に聞くに耐え得る重量感を持つ。Pipeorganには、Bachの得意とする「triosonate」という両手と足が、それぞれ1声部づつの独立した声部を弾くという演奏形式すらあるのだから・・。
しかし、それを、そのまま弦3部に置き換えると、例え弦3部のorchestraで演奏したとしても、薄っぺらな軽い音楽になってしまうのだよ。

ということで、Pachelbelのchaconneのmueller-hartmannのversionなのだが、オケ練習の過程で、聞くに堪え難くなってしまって、練習をしながら、少しづつ改編改良をして来たのだが、八千代の演奏会が終わってから、ついに、その暫定的な改編に堪えきれなくなって、Baßと上2声部に対して、もう一声部を加えて、上3声部とBaßという結構、分厚い編成に作り直した。
また、盛り上げた頂点から最初のthemaのmelodieに戻るのが、Pipeorganでは、然程でもないのだが、弦楽orchestraでは唐突に終止のthemaに、なってしまうので、繋ぎのpassageを、更に2回程繰り返す事により、時間を稼いで、自然にthemaのmelodieに戻れるようにした。

八千代からは、1年を経たずしての改編改定になったのだが、それから次の発表会に向けて、練習を積み上げて、発表会の舞台で演奏をするには、曲のimageが、子供達主役の発表会という舞台には相応しくないという事で、発表会での演奏をする事を却下されて、なまの音を聴く可能性がなかったので、arrangeが終わって3週間後のChristmas会で12名の先生生徒達と一緒に、Probeとしてvortragをした。
12名とは言っても、Organ(Keyboard)1名とKontrabass1名と、Cello2名、Viola2名、1st、2ndそれぞれ3名ずつの編成の超conpactな、室内orchestraなのだけどね??流石に迫力はあるよね⁉
おおよそ、鬱鬱で、楽しいChristmas会らしからぬ雰囲気の曲なのだけど、お客さんの事は無視、無視・・・
私は、自分のarrangeした音が聴ければ良いのだから・・・・



相変わらず、Facebookが変な動きをしていて、一文字打つ毎に、下の余白が際限なく増えて行く・・!!余白を削除しながらの入力なのだよ!!

参考までに、八千代でのChaconneの演奏です。mueller-hartmann版によらないoriginalの楽譜からの大幅改編をする前の演奏で、まだMueller-Hartmannのarrangeに近い演奏だけど、演奏している人達が次のChristmas会での演奏よりも、昔の弟子達が多いので、年齢層が高くパワフルなのですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=7H0J7wq7evI



これですね、シャコンヌって曲いっぱいあるんですね!

Chaconneというと、VitaliのChaconneが有名でViolinを勉強する子供達の憧れの曲になりますが、proのviolinistの憧れの曲はBachの無伴奏のChaconneです。
Chaconneの曲のthemaは、その曲のmelodieではなく、Baß(低弦)のmelodieがthemaになります。cantus firmus in Baßと言うのですが・・??
la foliaや、Purcell等のイギリスの作曲家達のGroundも同様にBaßのmelodieがthemaになります。丁度、canonのように、繰り返されるBaßのmelodieの上に、変奏を繰り返して行きます。



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2019年版のPachelbelのChaconne 第三校訂版への解説と練習風景

Chaconne in f Pachelbel=Ashizuka third-version 芦塚陽二 2019年10月13日
芦塚音楽研究所千葉音楽教室の『2019年10月13日秋の発表会』での演奏風景です。
曲はJohann PachelbelのChaconne in fを芦塚陽二が編曲しました。

この曲は数回公開演奏をしている曲なのですが、初回は、私がMünchenで購入して日本に持ち帰ったMueller-Hartmann版で八千代のコンサートに臨むつもりだったのですが、練習の過程で余りにも酷いarrangeで、音のmissも多く、練習しながら手直しをしていたのですが、余りにも手直し箇所が多過ぎたので、Müller-Hartmann版を底本にして訂正補筆する事は諦めて、原曲から訂正をしました。

全く同じde ja vuのお話が、F.M.VeraciniのpassacagliaのLupi版です。
改訂する過程が全く同じなので、時折混同しそうになってしまいます。Münchenの楽譜屋で購入して温めていた楽譜なのですが、イザ練習に入ると間違いだらけで、訂正に次ぐ訂正を重ねて、結果、『新しいversionを新たに作った方が早い』と言う結論まで同じなのですよ。

その演奏が八千代市主催のコンサート2012年1月23日のコンサートです。

曲のarrangementのconceptには2種類のpatternがあります。
原曲に忠実に、楽器の編成をtransposeするだけの、慎ましやかなarrangementと、原曲のimageを全く変えてしまうarrangementです。

このPachelbelのChaconneは、triosonateの書法による、結構慎ましやかなimageの曲です。
私はこの曲を弦楽orchestraで演奏するにあたっては、弦楽orchestraの表現力を最大に活かした劇的な曲としてのarrangeと演奏を試みました。
しかし、第一更訂では、私自身が曲をarrangeして行く過程ででも、Müller-Hartmann版の原曲を忠実にcopyするというimageが残っていたので、自分のarrangeに納得が行かなくって、1年後の花園の自治会館でのChristmas会のコンサートでは、Müller-Hartmann版を全く捨てて、originalのOrganの楽譜から全く新たに、編曲・改定をした2nd-versionを作りました。

しかし、originalのorgelの楽譜では3声部で作曲されているので、忠実にOrganのpartをorchestraとして再現すると、orchestraの厚みが、どうしても薄くなってしまうので、新たに1声部、2声部を加えて、前の2nd-versionよりも、更に対位法的にかなり複雑な動きをさせて、複音楽的な要素を強く出すようにして、音楽の厚みを出すようにしました。

と言う事で、冒頭のthemaも他のarrangeの作品とは違って、かなり分厚い音で、演奏技術的にも、かなり高度な技術を要するようになっています。
特に、冒頭のthemaの部分を4声体で作曲する事は、弦の低い音域で音が重なって来るので、一般的にはそうったarrangeはtabooでする事はないのですが、この曲のimageという事で敢えて、その低い音を重ねる事も厭わないでarrangeをしています。

編成は大学生のお姉さん達を入れても、4+3+2+3+3+org.1で、polyphonyの音楽としては、Violaが一人足りないのですが、持ち駒(生徒数)が無いので少ない人数でも一人一人が頑張って貰うより、致し方ありませんでした。

いつもの・・というか、これが教室の通常のbaroque-ensembleの編成になってしまっているのですが、あくまでもbestselectの演奏ではなく、申し込んでくれた生徒達の人数なので、編成は全員参加の偶然の編成・・です。
ちなみに、初回の1st-versionでの八千代の演奏では、4名+3+2+3+2+Org.1の編成で、2回目の自治会館のChristmas会での2nd-versionの演奏では、3名+3+2+2+1+Org.1の編成になっているので、殆ど毎回同じ人数での演奏です。

ちなみ次でに・・ですが、演奏時間は八千代の1回目が9:49秒で一番長く、2回目の自治会館でのChristmas会Concertoの演奏は、ほぼ同じ9:41秒なのですが、今回のこの第3稿は最も短く、9:01秒での演奏です。
結構tempoは速かったのよね??
arrangeに当たっては、各partのspielbarを考慮しています。

肝心要の事を書く事を忘れていました。
violaの梨紗さんからの要望で、これまでの、1st-versionと2nd-versionのbaroque-pitchのA=417(e moll)から、organistの調であるA=443のf mollに戻しています。
♭系での作曲では、弦楽器は音が伸びが悪いし、演奏も♯系の調よりも難しくなってしまいます。
でも梨紗さんは「f mollの鬱々とした気分が堪らない!」と言っていたので、f mollにarrangeを戻す事にしました。
また、調性の関係で、鬱っぽいimageがより強くなってしまっています。
「重た過ぎるのではないか?」と言ったのだけど、「この方が好き!」・・と言ったので、f mollで演奏しました。
アハッ!


  



Chaconne in f Pachelbel=Ashizuka rehearsal 2019年10月13日指揮芦塚陽二
2019年10月13日の芦塚音楽研究所千葉音楽教室の秋の発表会でのrehearsal です。 通常は、発表会当日は、演奏時間の関係でrehearsal(ゲネ・プロ)が出来ないので、発表会の演奏は、いつもは当日のぶっつけ本番なのですが、今回は極めて稀な事に、午前中の1時間をオケのrehearsal に使う事が出来ました。 ・・という事で、私にとっては非常に珍しい練習ではなく、rehearsal (generalprobe)の風景です


Chaconne Pachelbel8月18日芦塚音楽教室夏休み明けの12回目のオケ練習


Chaconne in f Pachelbel=Ashizuka 第8回目のオケ練習
芦塚音楽研究所千葉音楽教室の10月13日の秋の発表会への練習風景です。本来はupする予定は無かったのだけど、今回はお姉さん達が練習に参加してくれたので、例外的にupします。

Chaconne f Pachelbel=Ashizuka 6月2日第三回目の練習風景
八千代、自治会館のChristmas会とその都度、renewalして演奏してきたのですが、今回は10月の秋の発表会で演奏する事にしました。


Facebookより抜粋

2019年10月16日水曜日です。
今日は、丸々一日、パソコンへのvideoの取り込み直しと、前回bugってしまって、パソコンのdataの取り込みからやり直す原因になってしまった、4部のorchestraの曲を、やっぱり、真面目に1曲づつ、編集をし直しする事にしました。
手抜きをしようとすると、何処かで必ずbugってしまうので・・、面倒くさいのだけど、正攻法で勝負する事にします。powerdirecterの許容範囲の無さが問題なのだけどね?
・・と言う事で、今日一日は、超問題の演奏(大きな演奏のミスが何箇所かあった)であったPachelbel=AshizukaのChaconneの編集の作業に取り掛りました。
この曲は、演奏上の問題が多かったので、編集の作業は、私の根性の勝負ですよね~ぇ??
今は、もう夜の8時です。
マジに今日一日パソコンとvideoと格闘していたのだよな~ぁ??
疲れた・・❢❢


原曲のimageが分からないと何をどの様に編曲をしたのか??・・は分かりませんよね??
・・という事で、originalのbaroque楽器での演奏を探して見ました。
曲の演奏で、Variationの間で曲が一々止まって、演奏の間が開いてしまうのは、音色を変えるためのregisterの操作が、現代のOrganのように、演奏しながらは出来ないからです。
古いbaroqueの楽器の悲しさなので、そこは問題にしないように・・歌舞伎の黒子のように思ってください。

この演奏は非常に秀逸な古典の知識と理解のある良い演奏です。

現代のmodern-Organでの、現代的な演奏とは一線を画していますが、こちらの演奏の方が正統なのです。

https://www.youtube.com/watch?v=WsqUlyn0qzI

この演奏は、盲目のオルガニストであり、Organの神様と言われているWalchaの演奏です。
流石に素晴らしい。でもmodern‐Organの演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=APPMsTpHhaY





   








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