[何を持ってプロと呼ぶのか]

教室の父兄や音大生達と、「音楽と職業」に関してのお話をする事がよくあります。

その話の時に何時感じる事は、それぞれの立場の人達の「プロ」に対しての把握の違いです。

一般の父兄達が「音楽のプロ」と言うときには、音楽大学生を含めて、音楽大学の卒業生と言う事になります。音大生が「プロ」と言っている時には、演奏活動をしている人達で、音楽教室などで働いている先輩達はプロには入っていないのです。

彼女等の把握では音楽教室の先生は、音楽への夢(この場合、演奏家への夢と言った方が良いのかな?)を挫折して断念して仕方なくやっている仕事か、さもなくば勉強の片手間のバイトであって、本当の仕事とは思っていないのです。

そういった誤った偏見はさておいて、それに対して私達がプロと呼ぶ人達は、音楽で生計を立てている人達だけなのです。

どんな有名な音楽大学を卒業しようと、どんなホールで何度演奏会を開こうと、持ち出しで(赤字で)演奏会を続けている人達の事はプロとは呼ばないのです。

そこの所では、これから将来演奏家を目指している音大生や、音楽を学ばせて音楽大学に入れる事を夢見ている父兄と、現実的に音楽で生活をしている私達とは、少しギャップがあるようです。

 

音楽は芸術です。

ですから、音楽家も芸術家と思っていられる方達が多いようです。

私も一般の方から「作曲家なら食べられなくても仕方がないですよね。」とか同情された事があります。しかし、作曲家と言えども、食えなければしょうがないですよね。

安定して食べて行くためには、やはり就職が必要です。自分で経営するのでなければね。

 

バロック時代や古典派、ロマン派の時代は、それぞれ支配者の変遷を意味しています。バロック時代は支配者は王様か教会の司教達でした。

ですからBachやクープラン達は教会か王様の所に就職したのです。

カペルマイスターと言う意味は、教会専属の作曲家と言う意味です。

(当時のカペルマイスターの仕事は、毎週のGottesdinstのオルガンを演奏しなければなりません。でも仕事は日曜日だけではなく、ミサ等を演奏するコーラスやorchestraの指導や行事の企画進行などのプロモーターも兼ねていました。それに家庭に帰ってからも作曲やパート譜書き、弟子達の育成等など、或いは出演してくれた合唱隊やオーケストラのメンバーの給料の計算などもしなければなりませんでした。それは、それは、凄まじい忙しさであったと思われます。)

そう言った仕事は華やかな王宮で王様に仕えていたHaydn達であっても変らなかったのです。

Haydnはエステルハージ公に定年まで仕えて、それから以降はロンドンで貴族の間に暖かく迎えられて、裕福な晩年を送りました。

同じ時代、晩年とは言ってもとても早く夭折したMozartは、少年時代を過ごした教会の司教と大喧嘩をして、教会の町であったザルツブルグを飛び出したのはまだ良いとしても、ウイーンに出てからも自分を庇護してくれる貴族達を小馬鹿にして、「後宮からの逃走」とか「フィガロの結婚」や「魔笛」のような貴族階級を揶揄したオペラばかり書いていたので、Mozartが幾ら優れた作曲家であったとしても、揶揄されていた側の貴族自身がだんだんMozartのためにお金を出すのが嫌になって、晩年はお金に苦労をしています。

当たり前の事ですが、Mozartにお金を出している貴族達は、Mozartのせいで、自分達が一般大衆から笑いものにされるのは我慢出来ない事でしょうから。

そこは、唯単に―Mozartの世渡りの下手さ―と言うよりも、厳格でトラディショナルな父親に対しての無意識下の反抗の気持ちが、彼の人生を反社会的にしたような気がします。

時代が下って、貴族の権威もだんだん失われていくようになった、ロマン派の支配者は、ブルジョワ達のサロンに変わり、お金を出すのも、サロンを企画しているブルジョワジーの奥さんである女性達に代わります。

Chopinやメンデルスゾーンがサロン芸術家と言われる所以です。そういった時代を経て、やがて音楽が一般の人達のものになったのです。

そこで、私は分かり易いように、音楽家の事を芸術家と職人に分けて考えます。

ある時Haydnの元を訪れた人がHaydnに尋ねました。「先生はなんで**を書かなかったのですか?」Haydnは答えて曰く「誰もそれを注文しなかったから。」  これこそ職人の言葉ですね。

 

つまり、対象を考えて作曲する人が職人で、対象を考えないで自由に作曲する人のことを芸術家と呼びます。

注文で作曲をする場合には曲が出来たら、報奨が支払われます。しかし、芸術家の場合にはスポンサーからの注文自体がないのですからね。

いずれにしても、人間は食べなければ生きていけません。現代では生まれるのにも死ぬのにもお金が掛かります。ホームレスであっても、本人がお金を出さないだけで、誰かがお金を払っているのです。その多くは私達の税金であるわけです。

 

そこで、もっと要領よく、別の仕事でお金を稼いで、生活をして、自分の好きなヴァイオリンを演奏すると言う人がいました。その人の名前はアングルと言います。アングルは「泉」と言う有名な絵画を書いたプロの絵書きのアングルさんです。アングルはヴァイオリンが非常に上手くって、毎週ヴァイオリンの演奏会を自宅で催し、それを聞きにヨーロッパ中から人々が集まっていたので、「アングルのヴァイオリン」と言う言葉が出来ました。(ちゃんと辞書にも載っています。)

「趣味がプロ的に上手い。」と言う意味です。

でも、「プロ的に上手い。」と言う事は、プロでは無いと言う意味も含まれるのです。

今ではアングルは音楽上では、その評価はなされていません。「アングルのヴァイオリン」という言葉が残っただけなのです。

それはどうしてでしょうか?

 

[漫画家集団のプロとアマの違い]

そこで、分かり易いように、漫画家達に例えて、押しも押されぬプロ達と、自称プロの間をランク分けしてみると以下のようになります。

 

例えば漫画家の場合、Aランクの漫画家は、ビッグコミックなどの超メジャーな雑誌に掲載している、所謂、スター漫画家集団でしょう。

Bランクの漫画家は、私たちがあまり読むことがないちょっとマイナーな二流、三流の雑誌に連載を持っている漫画家集団になるのでしょうか?メジャーではないが、タツキの糧としては、掲載をする雑誌を持っている人達になりますよね。

このlevelの漫画家までが、何とかマンガで一家を支えて生活して行く事が出来る人達です。

と言うわけで、ここまでは、プロと呼んでも異論は無いと思います。

 

しかし、もっと下のランクになると、掲載する雑誌さえ持っていない、単発の(一発屋の)無数の漫画家たちがいるのです。この集団をCランクと呼ぶことにします。

 

勿論その下にはさらに漫画家になることを夢見て、雑誌に投稿し続けるているアマチュア集団がいるのです。これをDランクとするか、それともただのアマチュアとして省いてしまうかは、考え方の問題なので、ここでは考えない(触れない)事にします。

一般社会と同じように、漫画家の世界もこういったピラミッドの構造をとっているのです。

 

ここでお話したいのは、生活が成り立っているAランクやBランクの人達の事ではなく、ピラミッドのその下の位置に属するCランクの人達の話なのです。

Cランクの人たちは、単発であっても、その機会さえあれば、文庫本ぐらいは書く力量は持っています。しかし、残念ながら、その機会が仮にあったとして、出版社編集の人達と知り合うチャンスを得たとしても、その人がBランクに到達することは、殆んどの場合ありません。

こういったCランクの人たちのことを、私はセミプロ(アマプロ)と呼んでいます。

 

[アマプロのお話]

このアマプロに属する人たちがプロになれない原因は、決して技術力が不足しているからと言う分けではないのです。

ことマンガを書く技術に関してだけは、Bランクの人たちはおろか、Aランクの人と比べても遜色は無い人達が多いのです。

また、漫画家がおろそかにしてはいけない時代背景やストーリーの構成の下調べ(勉強)に関しても、一流の漫画家と比べても遜色がないように勉強をします。

それなのに、どうしてプロになれないのでしょうか?

私はこういったアマプロの漫画家の集団と一緒に仕事をし、身近に接する機会を得ました。

そしてなぜ彼らがプロ集団に属せないのか、その欠点を知るに至ったのです。

 

アマプロの漫画家、彼らの持っている致命的な欠点、・・・・それは、期限を守れない事にあったのです。

「期限を守れないために、プロになれない。」と言う、この話も漫画家の話だけではなく、我々音楽家にとっても、否、一般の社会人に取っても、重要な事になります。

プロと言うのは社会にアピールしなければプロとは言えないのです。自分だけで満足するのであれば、それは自己満足の世界であり、所詮アマチュアに過ぎません。社会にアピールするためには、多くの人達との共同作業が必要なのです。それが次のタイム・リミットのお話になります。

 

[タイム・リミットの価値観]

私達が(私の場合はマンガではありません。当然、楽譜ですが。)初めて、出版の仕事をするようになる時、出版社から注意される事のまず第一点は、印刷所に原稿を持って行く日にちのことです。

一日遅れると(輪転機を止めると、)約五百万円の赤字になる。

(これはスタジオ・ミュージシャンのスタジオ録音も同じで、もし演奏家の演奏が上手くいかなくて、録音の取り直しのために、スタジオを10分間延長すると百万円の延長料金になるところも、ざらにあるのです。スタジオは高いところと安いところの格差がとても大きいのです。

とても良いorchestraスタジオなのに、プロのオーケストラでさえ、レンタル料が高くてなかなか借りれないスタジオも東京に幾つもあります。)

プロの条件とは、約束の期日(締め切りを守れる)までに書き上げる能力であると言って過言ではありません。(勿論水準をキープしたままで、・・でありますが。)

私は、約束の2日、3日前には必ず清書をして、編集者に渡す事にしています。なぜなら、駄目出しが出たときに、訂正するための1日、2日のゆとりが欲しいからです。しかし、仕事を持ち込まれる中には、当日の朝に注文を受けて、その日の夕方までに原稿を取りに来ると言う仕事を受けた事も良くあります。

そういった書く速度もプロとしての信頼の証になります。

ちなみに、私が(今現在も)江古田に居を置いているのも、出版社の人が夜討ち朝駆けで、「原稿を取りに来易いから」、と言う理由で「江古田の事務所を転居しないように」と言われているからです。

 

プロになれない漫画家の集団が何故プロになれないのか?

彼らの側に立って言うと、「作品の密度をキープしたいので、それだけの時間を必要とした。」と言いたいのであろうが、しかしプロの漫画家として仕事をしたいのなら、締め切りを守れなければ、プロにはなれないのです。

彼等の仕事ぶりを見ていると、ただ単に仕事が遅いからと言うわけでは無いような気がしてきます。やはり意識の差も大きな理由になるのかもしれません。

仕事が遅れる時に、彼等はよく「~だから・・。」と言う弁解をするからです。

「旅行に行く日が決まっていたから」 「以前からの約束があったから」

彼等にとってはそれなりの理由なのでしょうが、それでは人と共同して仕事をする事は出来ません。

「守るべき期日」が守れない、というアマプロの漫画家の集団の人達と一緒に仕事をしていて、その人達の中で、もっとも遅く原稿が完成したのは、何と締め切りから、1年後の入稿でした。よく出版社が待ったものだが、(多分印刷所が外注なのだろう。)通常は、仕事でそんな事はありえません。雑誌などでは入稿、印刷、販売の日にちが厳しく決められているからであります。

 

そういった意味においては、音楽家であろうと漫画家であろうと締め切りを守ると言う事は変わりはありません。

 

[でも、音楽家には締め切りなんてないんじゃないの?]

締め切りを守らなくとも良い職業(?)と言うのは、多分芸術家の事を言っているのでしょうね。

芸術家と言うのは職業では無いのです。その人の芸術が芸術であるか否かは、その人が決めるものではなく、歴史が決めるものなのですから。職業にはなり得ないのです。

芸術家が芸術家である所以は自分を庇護してくれるスポンサーを見つけ出す事です。

スポンサーを見つける事無しに、芸術家を気取る事は出来ないのです。

ある意味では宗教家に似ているのかもね?

信じている人にとっては価値があると言う意味では・・・!

 

[アマチュアのお話]

アマプロよりももっと下のランク(所謂、Dランク)に属するアマチュアにも、絵の上手な人は多いのです。

しかし、彼らがCランクのアマプロにすらなれない原因は、かれらが「ストリーテイラーでは無い。」と言う所にあります。

漫画家である事を自称するには、完結したストリーを書き上げる実力がいるのです。

またそれも、自分勝手なストーリーだけではなく(勿論、得意分野はあったとしても)注文に応じてストーリーを構成できる能力を持っている必要があるのです。

漫画は仮に一こま漫画であったとしても、キャラクターに動きがなければなりません。漫画にストーリーがなかったとしてもイラストにはなりません。イラストと漫画では絵のtouchが基本的に違うからであります。

漫画チックなイラストレーターもいるし、イラストレーターのような絵を書く漫画家もいます。しかしそこには歴然とした違いがあるのです。

外国ではひとこま漫画と呼ばれるものが多い。しかし、例えひとこまマンガでも、それはマンガであって、決してイラストでは無いのです。

漫画は漫画なのです。漫画には動きとストーリー性があるのです。

アマプロにもなれない、所謂、Dランクのアマチュアの人達は、そういった構成力やキャパシティーを持っていない、それどころか、漫画とイラストの区別さえついていない人達が多いようです。

絵が上手いだけでは漫画家にもイラストレーターにもなれないということが分からないのです。

出版社にはよく持ち込みがある。その時に編集者が漫画家の卵達に必ず言う事は、「せめてストーリーだけでも完成させて持ってきてください。」と言う事です。最初の2,3ページだけを清書して書いてきて、「これを見てください。」と言われてもね。

中には長大な、一生かかっても出来そうもないストーリーを箇条書きにして、「このようなストーリーで書きます。」と言ってくる漫画家もいるそうな。

で、編集者が「ラフでも良いから、原稿を最後まで完成させて持ってきてください。」とお願いすると、もう二度と現れないそうな。

漫画にはこま割があります。

出版社からの注文では、あらかじめページ数が定められています。それを超える事も、それより少なくなる事も許されません。そのために、幾つのストーリーが入るかを決めなければなりません。それがこま割りです。

ページ数には、解説などのページ数も含まれます。だから、漫画を描いていくときには、定められたページ数の中で、1ページに何こまの絵を入れるか?と言う計算をします。「ここはクライマックスだから、こまの数を少なくして・・」とラフの段階でストーリーの配分とこま割りを始めなければなりません。そうすると、170ページぐらいのページ数では、二つ、三つの逸話ぐらいしか描けないのですよね。

それ以上、色々な逸話を描こうとすると、もうストーリーの面白さがなくなってしまって、ただの説明のマンガになってしまうからね。子供向けの伝記マンガは殆んどそうでしょう?

唯単に出来事を羅列するだけのマンガになってしまっている。

それはマンガではなく、単に絵で説明した伝記に過ぎないのですよ。

 

[プロとしての演奏活動とは]

この漫画家の話はそのまま、音楽家の話でもあるのですよ。

つまり道を目指すのならば、何の道でも当てはまるのです。

もし、音楽を勉強する人が、「プロになる」と言う事が目的で、音楽大学に入学したり、コンクールを受けたり、留学したりする、とすれば、それは如何に無駄な事であるかと言う事です。

もし、それでプロになれるのだとすれば、私達の周りはプロだらけになってしまうだろう。

私の周りには今も現実に、コンクールを受けて、上位に入賞して、有名音楽大学を卒業して、海外の一流音楽大学でCDをたくさん出している有名な演奏家に4年、5年と師事して、勉強が終わって、留学から帰ってきた人達がたくさんいます。

しかし彼らの嘆きは、「留学から帰ってから4年5年経つのに、一度も演奏会を開けない。」と言う事でした。

「私達の教室では、「演奏をして欲しい。」と言う注文がよくあるので、「もし『演奏する機会が欲しい』いうことなのであれば、私達と一緒にコラボレートしませんか?」とお誘いを何度もしたのですが、誰からも快い返事は貰えませんでした。

確かに、演奏に対しての納得のいくお礼は出来ませんが、好きな曲を弾けるし、持ち出しをする事も、切符を売ることもしなくてよいのですがね。

それは全て私達に仕事を注文してくれた人達がやってくれます。

私達の考え方は、例え顎足が出なくとも、自分達の持ち出しがなければ、例え、報酬がなくとも、そこに行って弾けば良いだけだし、私達の宣伝にもなりますので、喜んで出演したいと思うのですが・・・・。

 

私達には分からない、音大生の独特のプライドがあるようですね。

多分、喫茶店や公民館で演奏すると言う事が、許せないのでしょう。

「例えお客様が一人もいなくても、ホ-ルで演奏したい。」と言う事なのでしょうかね? 

ホールで演奏すると言う事だけなら、私達はそう言う機会はしょっちゅうありますよ。

子供達がコンクール等に出る前に、リハーサルと言う事で、ホ-ルを借り切って、練習したり、lessonしたりしています。

それに音楽教室としても、1年に4回も子供の発表会でホールを借り切っているのでね。先生達も毎回何か弾かなければなりませんしね。

今更、ホ-ルで演奏する事、なんて言う事は、そんなに珍しい特別な事では無いのですがね。

 

私達の考え方は、50名のお客様の前で10回演奏出来れば、500席の小ホールで弾いた事と同じになる―という考え方なのですが、30名の熱心なマニアックなお客様がいる喫茶店でオリジナルbaroqueの演奏をする事は、ホールのような表舞台を夢見ている音楽家の卵にはプライドが傷つくようです。

もっと素晴らしい会場とチケットを売ったり・・・・等々考えているようですね。私達の場合は何度もそういった喫茶店や公民館等での演奏会を続けていて、30席から500席までの演奏会を続けています。

しかし、私達がよく演奏会をする喫茶店の30席は、演奏する日にちが決まって、その日を報告に行ったその日の夜までには、完全に売り切れてしまっていて、たくさんの方をお断りしているのです。あまり大きなホールではチェンバロやbaroqueviolinの音が届かないので、やっぱり100席ぐらいから、150席ぐらいの素敵なホールを探そうかと考えているところなのですがね。

リピーターさえ作れば、100席が満席になれば、その次は当然500席でしょう?

だから、私達の場合には、演奏会でお客様が集まらなくって演奏活動出来ないと言う事は考えられないのですがね。

 

本当はこういった地道な活動を続けて欲しいのは、若い演奏家の卵達の方達なのですが、実際には、そういった活動を積極的にしているのは、むしろ日本では超有名なベテラン演奏家達の方なのです。例えば、私の世代では一番有名な・・と言うと、中村弘子さんや清水和音さん達です。私の弟子が、演奏の場所を探して、地方や巷の本当に小さな会場(ホールとはとても言えないような、アップライトしかないような)で、演奏会をして、土地の人達とお話をしていると、必ず「先月は中村弘子先生が演奏してくれたのですよ。」とか、「3ヶ月前には清水和音さんが演奏してくれました。」と話が出ます。こんな辺鄙な所は絶対に・・と思うような所でも、やっぱりその二人は演奏活動をしているのです。

私の弟子は言いました。「芦塚先生が、本当の演奏家はお客が2人いると、何処にでも出かけて演奏活動をする。と言っていたのは本当なんですねぇ。」と改めて驚いていました。

私が彼を説得する時には、クララ シューマンやブラームスの話を引き合いに出して、Brahmsやクララがアップライトしかない会場で、演奏会をやっていた時の逸話をいくつもお話してあげていましたが、彼らにとっての共通するプライドは、やっぱりお呼びが掛かれば、どんな田舎にでも出かけていくというプロ根性なのです。

それはブラームスにはあっても、お金持ちのお嬢様には無いものなのですよね。

勿論、中村先生や清水先生が金持ちではなかったとは、思ってはいませんがね。やっぱり、プロになれる人は、普通の人とはどこかが違うのですよ。

 

では如何すればプロになれるのか?

答えは簡単です。

プロとしての条件を備えればよいだけなのです。

貴方にとってプロの条件とはどう考えますか?

完璧な演奏をすれば、プロになれるとでも思っているのではないのかな・・・?

それなら、歴史的な偉大な名演奏家やビルティオーゾ達と競争するということなのかな?

コルトーと言う名ピアニストがいました。

彼の名を冠したコンクールが開かれて、彼が名誉審査員で呼ばれていった時に、彼は言いました。「私がこのコンクールを受けていたら、予選も合格できないでしょうね。」  

世界の名ピアニストよりも、テクニック的には上手な音楽大学生などは、日本の音楽大学でも、ざらにいるのです。

でも、どうしてそれなのにプロになれないのでしょうか?

音楽大学生はそういったことを、考えた事はあるのだろうか?

 

私達はボランティアで老人ホームや癌センターのようなところに演奏に行く事があります。

ある時、神奈川県でとても有名な老人ホームに演奏に行く機会がありました。そのホームでは、NHKで音楽番組を担当していた人や、ガンバの奏者や、世界的に有名なヴァイオリニストを育てたお母様などが入居されているホームでした。

 

ホームに着いたら、受付でホ-ムの人に「住人の邪魔にならないように、こっちから入ってくれ。」と言われて、ゴミ収集場の出入り口から、子供達やチェンバロなどの搬入をすることになりました。先生達も子供達も「え~!」と言う感じだったのですが、その態度の悪い事、悪い事!

「こんなところには二度と来るか!」と言う感じだったのですが、それが、実際にホームのお客様が集まりだして、演奏が始まると、小さい子供達の室内楽や先生達と生徒のオーケストラなどを、おじいちゃんおばあちゃん達が涙を流しながら、真剣に聞いてくれていました。

おばぁちゃまやおじいちゃま達が、自腹で花束や自分の手作りのプレゼントを子供達の為に、その場で準備してくれました。

演奏が終わって、来た時の様にゴミ捨て場の方から帰ろうとすると、ホームのマネージャーの人が跳んできて、「先生、こちらから帰ってください。」と玄関の方へ案内してくれました。そして帰る前に、特別室に案内されて、お茶とケーキなどをご馳走になりました。

それで、「毎月2,3回でも良いから演奏してくれないか?」と言うお誘いでしたが、「あくまでも音楽教室で子供達を育てることが、メインなのだから、どんなに多くても、1年に1,2回が限度です。」と丁重にお断りしました。

その時に別のNHKの音楽番組を担当していた方が、「ボランティアと言う事で、近所の幼稚園の子供達や某国立オーケストラの有志の演奏家達などがしょっちゅう演奏に来たりして、皆さんが辟易しているのですよ。」と言う話でした。

幾らおじいさん、おばあさん達でも、世界中を旅して本当の本物を見たり聞いたりしてきた人達には、幾ら可愛くとも、可愛いだけでは、そういったパホーマンス自体、つまらないものですからね。ましてや、演奏に来た方達が、「自分達はプロの演奏家だ」といくら自負していたとしても、そういった人達を育てたり、仕事として使ってきた人達にとっては、その自負は結構迷惑なものです。

そういった方達にとっては、ボランティア活動自体が、結構ありがた迷惑なのですが、それが一般の人達には分からないのです。

その後も、2度,3度とそのホームから呼ばれて演奏をした事がありますが、本当に下にも置かないもてなしで、大変恐縮しています。

その後、そのホームでは住人の人達を巻き込んでの、経営上の何らかのトラブルがあったそうで、私達の面倒を見てくれた人も、そのホームの仕事をやめたそうで、その後そのホームからは連絡はありません。

ここでお話したかった事は、プロの演奏が、必ずしも一般の聴衆の心を和ませるわけでは無いのだと言う事なのです。

技術は表現するものがあって始めて、意味があるのです。砂漠で幾ら金や宝石を身に纏っていても、喉が渇いた人にとっては、水一滴の価値もないのです。お金も同じです。億を稼いでいる人が、どぶにお金を捨てているように、お金を使ってしまって、破産して犯罪を犯した、と言うニュースを今テレビでやっています。

本当に表現したいものが自分の中にあるのなら、技術なんか必要はありません。私の下手な(ヴァイオリンを始めたばかりの、3歳の子供の方がよっぽど私よりは上手なのですが)ヴァイオリンで「こう表現するのだよ!」と言っても、生徒達にはその意図がちゃんと通じるのですからね。いやぁ、不思議、不思議!?

 

[プロは演奏で生計を立てる]

音大生に「プロとはどういうことをする人なのですか?」と質問すると、「コンサ-トホールで1年に1回か2回、演奏会をやる人・・・」と言う答えが帰ってきます。

大体その考え方が間違えているのですよ。

それでどうやって生活していくのですか?

音楽家は霞でも食って生きていくのかな?最低でも、月に4、5回のペースで演奏会をしなければ、演奏家とはいえないでしょう?

それもちゃんと黒字で、利潤を上げてね。

演奏で食べていくにはそれぐらいの演奏活動はしなければね。

でも、私は良くこんな言葉を音楽家の卵達から聞く事があります。
「私はお金にならない演奏はしないの!」
私は彼女に言いました。「ところで、君の演奏はお金になるの??」

彼女の言うプロ活動とはエージェントを通しての、ブライダルやパーティの演奏でしょうが、それでは、向上する事はありません。(勿論、クラシックではないという事を除外視して考えても)それは、単に「音楽の切り売り」と言うのですよ。


 

[レパートリーを作るには]

演奏活動をするためには、レパートリーが必要です。毎回同じ曲を演奏するわけにもいかないのでね。

でも、音楽家の卵の人達からいつも言われることは、「一回のコンサートをやるための曲を作るのに最低でも半年、1年かかる・・!?」と言う事らしいのです。 

で、次のコンサートをするのにもう半年かかるとして、それで、演奏活動は、年に1回か2回が限度なのだそうです。

 

あっ、そうですか?

じゃぁ、演奏で生活していくのは無理ですね。

それじゃぁ、なんでプロになるための勉強をしているの??

 

[演奏会はお金を稼ぐ場所]

お金を出して演奏会をする・・・そんなのはプロとは呼べないでしょう!

確かに一回か、二回ならば自腹を切って演奏会をする事もできるでしょう。しかし、3回、4回となると、そうはいきますか?

 

[プロになるためのカリキュラム]

ヨージーの法則

―人と同じ事をしていては 人と同じにしかなれない―

 

ここからは、音楽大学などに行って、留学をして、演奏家になろうと頑張っている「あなた」に対してのお話です。

あなたは、ひょっとして、音大に行って、コンクールを受けて、留学をして、それで100%確実にプロになれると思っているのですか?

それならあなたの周りの人も皆あなたと同じようにプロになれたはずですよね。

でも、あなたの周りでプロになった人はいない。

それをあなた自身は認めようとしない。

認めると、あなた自身のこれまでの努力を自分自身で否定することになるからです。

それは、あなただけのことではありません。あなた以外の人も同じように思っているのですよ。

 

と言う事で、参考までに私の昔のお弟子さんのK君のお話をします。

私は留学から帰国してまもなく、とある音楽大学にピアノの先生として就職しました。その時に学長さんから「主任と同じ給料を出すから、子供科の生徒も見てくれないか?」と言う相談を受けました。条件は、その学校の音楽教室の中で「問題のある生徒を預かって欲しい。」と言う事でした。「問題がある」と言っても、練習を全くしないとか、ピアノの弾き方が変で、どうしてもその癖がとれないとか、或いは家庭的にちょっと問題があると言う落ちこぼれの生徒達でした。預かった小学生から大学生までの生徒の中で、唯一の男の子が(当時はまだ小学5年生だった)K君だったのです。

私はそこの学校は直ぐにやめてしまいましたが、彼はその後、憧れの音楽大学に入学していました。(私の指導した生徒の約半数が、後年、音楽大学に進みました。)

K君はプロの演奏家になるつもりで音楽大学で勉強に励んだわけですが、音楽大学の一年生の時に、室内楽のクラスで、チェロの徳永さんにプロを目指している事をお話したら、徳永さんから「プロになりたかったら、プロにするカリキュラムを持っている先生に付かなければ駄目だよ。」と言うアドバイスを受けて、それからプロを育てるカリキュラムを持っている先生を探したのです。

彼は日本中の有名な先生を片っ端から尋ねて回りました。

しかし、音大では、そういった先生は、とうとう見つからなかったので、音楽大学の先生からの「大学に残ったら?」と言うお誘いを蹴って、音楽をやめようと思って楽譜や資料類の整理を始めました。

楽譜類をまとめている時に、彼がまだ小学生であった頃、付属音楽教室で私が彼を1、2年間だけ指導した頃の、lesson tapeや室内楽などの練習のtape、その頃の楽譜等が出てきました。

そこで彼が気づいた事は、彼が人から評価を受けていたピアノ演奏上の技術の全てが、私について習っていた時に養われたものであったと言う事でした。

それで私に最後の望みを託して、電話をしてきたのです。

 

彼としては、大学からのお誘いも、興味がなくて、あくまで演奏家として立っていきたいという相談でした。

そこで私が、「プロになるためには、プロになるためのカリキュラムで勉強しないとね。」と言うと、全く同じ事を4年も前に徳永さんに言われて、そういった先生を探すために、片っ端から先生を尋ねて行ったと言う事を話してくれました。

でも、色々な先生の元を訪れても、プロになるためのカリキュラムを持っている先生は一人もいなかったのです。

と言う事で、彼は再び私の元で音楽の勉強をやり直す事になりました。

 

[その当時のK君の問題点]

大学生の時に、彼は教授に推薦されて、何度かコンクールを挑戦しようとしたのですが、その都度腱鞘炎になってコンクール出演を断念せざるを得なかったそうです。

また、彼のPianoには音に色がなく、miss touchの癖さえもありました。

彼は、そういった自分の欠点を克服するために、大変な努力と練習をしたのですが、なかなか思うようには上手くいかなかったようです。

しかし、本当はそういったことの一つ一つにはそれなりの理由があり、簡単に解決する事が出来るのです。

 

[腱鞘炎]

例えば、腱鞘炎とは不自然な筋肉や筋の力で惹き起こされる。

正しい姿勢や手の型、(正しいと言うのは自然な、と言う意味である。)で練習をすれば、腱鞘炎などにはならないはずである。

腱鞘炎は練習をたくさんしたと言う勲章だと勘違いをしている学生がいる。一流の演奏家で、腱鞘炎などになる人はいないのだよ。それはどこかが不自然だと言う証なのだから。

日本の音楽大学の先生ですら、腱鞘炎は恥だと心得ている。だから、有名な腱鞘炎の専門の先生のところには、内緒で押しかけている音楽大学の先生やプロの演奏家達が鉢合わせしたりする。

 

[不条理な指導①]

よく音楽の先生で、「指先はしっかりと力を入れて、手首は柔らかに!」とか、言う先生がいる。

でも、生理学的にはそれは不可能な事なのです。

私は、手に力が入っている子供に対して、「手の力を抜きなさい。」と指導することは、ありません。なぜならば、例えば両手を組み合わせて、人指し指だけを突き出して、5ミリぐらい放させます。そして「頑張って指がくっつかないようにしなさい」と言うと不思議な事に指はくっついてしまいます。心理学用語で逆暗示と言う催眠術の初歩的な手法です。ですから、「力を抜いて!」と言えば言うほど力が入って来る事になります。

そこで柔らかい手首の使い方を先に指導するのです。手首の力を抜いた状態では、指や手に力を入れる事は出来ません。それも基本的な生理学の知識なのです。手首の柔らかい演奏方を指導すれば、手の力は自然に抜けます。

フォルテッシモの弾き方やピアニッシモの弾き方なども同じです。無理やりハノン等で指を炒めるような練習をしなくとも、体の姿勢を指導すれば、自動的にフォルテ、ピアノの奏き分けが出来るようになります。

指先に幾ら力を入れても、その力は僅か7kgぐらいの力にしか過ぎません。それ以上の力を加えると指は折れてしまいます。しかし、腕の重みや、体全体の重みを指先に持ってくると、その力は20kgを越すような力になります。本当は指の骨が簡単に折れるぐらいの力が入るのです。

勿論、当然、ピアノのハンマーも折れてしまう。

その力を使用するかどうかはともかくとしても、女性でも、子供でも、それぐらいの力のキャパシティーが持てるのです。

 

[不条理な指導②]

千葉教室の父兄から、プロの演奏家を呼んで、自宅に近所の人達を集めて演奏会を開いている音楽愛好家の話を聞きました。その人が後ろ盾になっている小学生の5、6年生の男の子が、3度のポジション移動の時にどうしてもノイズが入ってしまって、もう半年も先生に叱られていて、色々な先生に見てもらっているのだが直らなくって、親も子供も泣きながら練習しているので、一度見て欲しいと言う頼みでした。

プロの演奏家の演奏会に招待してもらって(その前の月は徳永さんだったらしいのですが、その月の人は誰か知らなかったのですっかり忘れてしまいましたが)、演奏が終わって、当然のごとく演奏家を囲んでの飲み会となり、やっと皆が帰り始めた頃、その男の子がお母さんと一緒にやってきました。ヴァイオリンを一回聞いただけで原因は直ぐ分かったのよね。要するに、その先生は江藤先生と同じで、肩当を使わせない先生だったのだよ。彼はそのためにヴァイオリンのネックを手の平で支えていたのだよ。だから3度の打ち直しが出来なかったのだ。肩に楽器が嵌っていない事を説明して、楽器の先の渦巻きの部分を持ってあげて、問題の箇所を弾かせたら、一発で弾けたのですよ。「半年間、無駄な練習をしてきましたね。」って言ってあげたら、次の月には肩当を使わせる有名な先生の所に弟子入りし直していたよ。

その男の子は、今はすっかりおじさんになって、どっかのプロオケのコンサートマスターをやっているよ。(誰・・って? 名前を出すとまずいじゃない?!)

 

[misstouch]

一般的な勘違いの話ではmisstouchは、精神的な弱さや集中力の持続力の不足のように言われていますが、確かにピアノの初歩の段階では、そういった理由でmisstouchをする生徒は多いようですが、ピアノも中級や上級の生徒になると、理由を精神的なものだけに求めるのは問題があります。

実際に中級や上級者の演奏を注意して見てみると、技術的に原因がある場合が殆んどです。

misstouchに苦しんでいた先程のK君の場合には、①正しい手の型(フォーメーション)②打鍵の位置、③指使い、にmisstouchの原因がありました。

 

正しい手の型や打鍵の位置は、単にmisstouchを防ぐだけでなく、音色を作る上でも重要なpointになります。ピアノ演奏上の重要な基礎となるのです。

彼が音色を作れない原因もそこに見出す事が出来ます。まず、完全に安定した手の型と打鍵の位置が作れれば、音色を作る事は難しい事ではなくなります。後は色々なtouchを覚えて手首の使い方等をマスターすれば良いだけだからです。

 

指使いを勉強する上では、基本の指使いを勉強しなおすことは当然でありますが、それだけではなくmisstouchをするpassageに、替え指を5種類ぐらい作らせて、何時どの様なコンディションであったとしてもベストな替え指で弾けるようにさせました。

そういった努力の甲斐があって、1年も経たないうちに、2時間の演奏会をこなしても、全く(一箇所も)misstouchをしないで弾けるようになりました。当たり前の事ですが、正しい指使いと打鍵の位置を覚えれば、misstouchをする事はありません。それは安定性に繋がるからです。

 

[touchについて]

touchの勉強はピアノの音色を作る上でも非常に重要です。

しかし、どんなピアノも(ベーゼンドルファーのピアノやスタインウエイピアノでも、コルトーが弾こうと三歳の子供が弾こうが)オシログラフ的には、ピアノの音には変わりは無いと言う事で、以前、九州工大の教授がストラディバリウスのヴァイオリンの情報をコンピューターに入力して、全く同じヴァイオリンを作って、どっちがストラディバリか?と言う事を実験していました。

あほらしいのでこれ以上書きませんが、そう言う事を言う人は常にいます。

私はTouchの勉強ではleggieroのtouchやportatoの音の出し方、音殺しのtouchなどの色々なピアノの音色の奏法を指導します。

音楽は基本的には3つのパートに分かれます。(Bachなどの複音楽を除いてですが。)

一番上のパートは殆んどの場合、melodieをつかさどります。聴衆に語り掛けたいmelodieのラインは基本的にはleggieroのtouchで非常に早いstaccatoで弾きます。staccatoと違うのは、弾いた後で鍵盤から指を放さないという事です。これが速度の速い遠音の聞いた音になります。

一番下の音は楽典的にはBassFuhrungと言って、bassmelodieになります。全体を支えるために重量感のある腕の重さを乗せた、重たい音で演奏します。唯、Bassの旋律は点描されるので、Bass同士の音がちゃんと繋がって聞こえるように気を付けて演奏しなければなりません。

内声部は背景です。Bassのmelodieやソプラノのmelodieを邪魔しないように、ちゃんと背景のように、unsichtbar(不可視)に弾かなければなりません。そこで音殺しの奏法が登場します。霧に掛かった様に演奏するためにです。

まず最初に、この3種類の奏法をマスターしなければなりません。そういった演奏法をマスターする事によって、「音楽の立体性」が出て、音楽に奥行きが出るようになってきます。(深みとでも言うのでしょうかね?)

基本の音色の奏き分けが出来るようになったら、色々な曲で必要な音色の出し方のlectureをします。

音色の他にも、音楽のdynamicについても、dynamic表現を30人ぐらいのサロンコンサートの表現法から、500名ぐらいの小ホールの表現、2000名を越す大ホールの表現と、ホールによる音楽表現の違いを指導します。 音楽大学でそれを学ぶ事は絶対にないとは思いますが、その表現方法の違いはコンサート・ピアニストならば誰でも知っている周知の事実なのです。別に音楽家でなくとも演劇の人や舞踊の人達もね。

 

[伴奏者からソリストへ]

K君は「音楽大学の卒業生である。」と言う事で、通常のPianoのlessonのカリキュラムではなく、プロを育てるための特別なカリキュラムを彼の為に組みました。

まず彼に勉強する事を義務付けたのは、教室での子供達の伴奏でした。

最初の間は、「伴奏をやらされている。しなければならない。」と言う意識が強くあって、嫌々ながらの義務的でもあり、子供達もそれを直感して「怖い、怖い!」と、彼から伴奏されるのを嫌がっていました。しかし、子供の伴奏を始めて、2年目ぐらいになると、彼の方から「子供の伴奏はとても面白い。大人の伴奏だと、音楽が崩れ始めた時に、ナァナァ、ヤァヤァで、なんとなく合ってしまうものだが、子供の場合には、絶対に決められた通りにしか弾かないので、自分が崩れた時に、どうにかしようとしても、子供は助けてくれないので、自分の良く分かっていない場所や弱い所が良く分かる。」と言うようになってきました。

K君がそう言う風に、子供の伴奏の難しさや面白さが分かるようになった頃から、急に伴奏の仕事の依頼が増えてきて、一週間に二つ、三つのステージをこなすようになって、日本全国を伴奏で演奏旅行に飛び回るようになったのです。

でもK君は伴奏ばかりやっていたわけでは無いのです。

それはソロを演奏する人達で二時間のステージをこなせる人は少ないので、残りの1時間の演奏を頼まれる事が多くなったからです。

音大を卒業した人達が、一生懸命に何とか頑張って、一時間のプログラムを作っても、演奏が2回、3回ともなると、それ以上のレパートリーを増やすのは無理なので、演奏会が開けなくって困っているのです。K君は既に、Aプロ、Bプロとレパートリーを持っていて、いつでも頼まれれば次の日にでも、演奏する事が出来るので、相手の人にとっては渡りに船の伴奏者であったわけです。

と言う事で、残りの一時間をソロを弾かせて貰うことが間々ありました。

演奏会の費用は勿論、宿泊や豪華な食事も相手持ちで、何がしかのお礼も貰って帰って来ました。

こう言うのを棚ボタと言うのかな?

否、実力があっての事だから、棚ボタとは言わないか??

 

[プログラムの作り方]

何度も同じ事を言うので、耳たこかもしれないが、売るものを持っているからこそ、プロと言うのですよ。

注文が来てから、売るものを作るのでは、プロとは言わない。受注生産とは違うのだよ。受注生産とは出来る事を受けるから受注なのだよ。出来ない事を受けてそれを受注とは呼ばないのですよ。

 

これから先は既にホームページに掲載している事と殆んど同じですが、参考までに書いておきます。

 

[K君の話とプログラムの作成マニュアル]

演奏会にはロング・プログラムとショート・プログラムがあります。

アンコールを入れて、ショート・プログラムは1時間45分から2時間、ロング・プログラムでは2時間15分から2時間半です。

最初に作るショート・プログラムは2時間を四つのパートに分ける。

25分から30分が一つのクールになります。

最初に勉強を始めるのは、名前のある有名な曲を集めたアンコール・プログラムです。

アンコール・プログラムは何かと演奏の機会が多いので、先にアンコール・プログラムを作るのです。

有名なアンコール曲をいつもプログラムに持っていれば、常に演奏の機会に恵まれるのです。

例えばchopinのEtüdeで名前のあるのは、何と言っても「別れの曲」と「革命」であろう。Listでは「愛の夢」と「ため息」いう風に、まず名前のある曲を優先してレパートリー(いつでも、何処でも演奏出来るように準備しておく。)にするのです。

兎に角、(それでも、クライアントからの注文が多いのはセミクラシックとか、アニメソングなどの演奏なのですが、私達はそれは全て断る事にしています。)  

演奏会だから何でもと言うのではなく、私は純粋にクラシックと限定して、演奏の機会があれば絶対に逃さないで演奏するように勤めます。

誰かの伴奏をしたついでとかでも、頼まれれば必ず弾く事が大切です。

リピートを受けるコツは、曲目の選択は素人受けのする曲を準備しておいて、しかも素人受けのする浪花節的な演奏をする。(決して、ポピュラーな曲と言う意味では無いのですよ。純然たるクラシックの中の選曲で、と言う事です。)

ビジュアル的な事も、積極的に取り入れる。

「ため息」の「溜め」の必要な場所は、首を三回振る事によってtempo的なフェイントを掛けて、同時にビジュアル的なキザさを出します。

体の振りとか、手首を上げた時の高さは何処までか、頭の上か、肩の位置かと言う事を正確に厳密に計算して演奏するのです。手を上げる速度は音の速度と同じでなければなりません。

演奏効果を狙うものではありますが、ビジュアル的なかっこ良さだけではなく、ちゃんと音楽技術的にも、計算されつくしたビジュアル的な効果でなければなりません。

曰く、計算された上での「受け狙い」なのです。

 

[計算された受け狙いの実例]

音楽の演奏技術や表現がまだ拙い中学1年生の女の子がいました。

と言うよりも、まだそのlevelでは無いのですが、本人と親が「どうしてもコンクールを受けたい」と言いだして私の所に来たので、技術の無さの無理を承知で、コンクールのための勉強を始めました。

しかし、やはりどうしても技術的に未熟なので、感情表現が稚拙で、どうしても表現が硬くぎこちなくなってしまう。

と言う事で、非常手段として、音楽の情緒的表現(感情表現)の体の揺らしをすべて計算上で演出し演奏させた。(此処の16分音符の所は、お尻を軽く両方に振る、とか・・・、このpassageは見線を右上方に持っていく、とかである。)

コンクールの審査員の評価は「音楽性はあるのだが、感情過多で、もうちょっと理知的に弾くように」であった。笑えるよね!審査員を騙すのは簡単!

だから、次の年には、全国大会で入賞していたけれどね。

文章の前の方にも書きましたが、音楽で表現したい心があれば、それを表現するための技術は自然と身についていくものなのです。表現する情緒を持たないままに、技術だけを習得しようとするから、ただいたずらに堂々巡りを繰り返してしまうのです。

それを無駄な努力と言います。

 

[レパートリーの作り方]

話を元に戻して、レパートリーの作り方ですが、それらの名前のある有名な小品と平行して、大曲を一曲、学習します。一曲でもワン・クール(25分から30分)になる曲です。

その曲を月、2,3回のペースで演奏会に乗せます。

1,2回、演奏会で弾くと、曲は確実に荒れてきます。

荒れたところを、更に丁寧にlessonで、磨きこんでいきます。

K君の場合、その課題曲はブゾーニ=バッハのシャコンヌでした。

約3年間に渡って50回以上は、演奏したことになるかな?lessonは月2回で、1つの曲を徹底的に磨き上げると、その曲に対しての、学習するNiveauが確実に上がる事になります。

それと平行して、いろいろな曲を弾き込んでいく事で、ブゾーニ=バッハのlessonが取り敢えず終了した3年目には、同時にAプログラムも完成しました。

 

次にAプログラムを作るまでの、stepをお話ししましょう。

まずstep1はchopinのEtüdeの名前のあるアンコールの曲を30分作ります。

Chopinだったら、「革命」とか「黒鍵」とか、「エオリアンハープ」などです。

それとブゾーニ=バッハの「シャコンヌ」と合わせると1時間のプログラムになります。

Step1の続きなのですが、次にListの有名なEtüdeで30分のレパートリーを作ります。

まず、有名な「愛の夢」とか、「ため息」である。それからパガニーニのEtüdeでも良い、例えば「ラ・カンパネラ」とか、「コンソレーション」とかです。

それに有名な「ハンガリー・ラプソディー」を2曲、組み合わせると、ラプソディだけで30分掛かるから、Etüdeプログラムと合わせると、Listプログラムだけで、もう1時間のレパートリーになる。

ChopinのEtüdeとListのEtüdeをベースにして、ラフマニノフのEtüdeを入れてプログラムを作成すると、Etüdeコンサートのプログラムが出来るし、chopinのEtüdeをベースにして、2曲で30分のバラードやファンタジーを組み合わせると、それだけでchopinプログラムが出来る。

後は、色々な組み合わせを考えて、一つのクールで幾つのプログラムが出来るかである。

ファンタジーだけを集めて、Bach、Mozart、Schubert、chopinなどの幻想曲だけで「幻想曲の夕べ」なんていうのもおしゃれでよいし、ブゾーニ=バッハの「シャコンヌ」をベースに偽(ぎ)古典の夕べと言うのも良い。

ベースになる曲をワン・クール作ると、後はいくらでも考えられるのです。

と言う事で、いったんAプログラムが出来上がると、Bプログラムをつくるには1年しかかからなかったし、Cプログラムは半年で作れるようになったのです。

 

「ちょっと・・・! ちょっと待って!!  K君がAプログラムを作るのを、3年掛かったわけだから、BプログラムとCプログラムを作るのには、全部で9年は掛かるんじゃないですか?」

 

それはもっともな質問と思われるかもしれませんが、それはNiveauと言う事が分かっていないからなのです。AのstepからBのstepに上がるには、大変な努力がいるとします。半年間の死に物狂いの努力の結果、そこでやっとBのstepに入れたとします。しかし、次にBのstepでの半年は半分の努力で、前回と同じlevelに達する事が出来るのです。勿論、次のCのstepに登るためには又同じ努力が必要ですがね。でもそれはまた別の次元の話なのです。

 

たった1曲のlevelをプロversionの水準まで持っていければ、何の曲を練習したとしても、プロの水準まで持っていく事が出来るようになるからなのです。

だから次のBプログラムは最初の半分の時間で出来るし、CプログラムはBプログラムの半分の期間で作れるのです。

勿論、当たり前の話ですがA,B,C,のプログラムでは、同じ曲のダブりはありません。これはサンプルプログラムだからです。

要はその人の演奏技術のNiveauが確立出来れば、一つの演奏会用のプログラムを作るのはそんなに難しくないのです。

教室の先生達も、数え切れないぐらいのたくさんのプログラムを持っています。私は先生達のレパートリーを聞いた事はありません。 注文があったときに「この曲とこの曲を弾いて!」というだけです。

もし弾けない曲があったとしたら、それはその人の日頃の勉強不足であるからで、私のせいではないのですよ。

ハッ、ハッ、ハッ!

 

この話をもしも厳しいと思われる人がいるといけないので、そこの所をもう少し、説明しておきます。

要するに、一般のクライアントから「何時、何処で、演奏をお願いします。」と言う演奏の注文が来る場合、演奏会までの日取りは、注文を受けてから一週間後ぐらいが一番多いのです。

一番ゆとりがある場合でも、せいぜい3,4週間前の注文です。

一度注文を断ると、注文は二度と来ないのです。それぐらいのインターバルでもステージをこなせなければ、プロの演奏家としての活動は出来ません。演奏家は諦めた方が良いと思います。

だからいつ何時、どんな注文にも応えられるように、普段から曲を作っておく必要があるのですよ。

 

そういったいつでも弾けるレパートリーの事を、教室ではメニューと呼んでいます。子供達がいつでも、何処でも、直ぐに、暗譜で弾ける曲が二重丸、一日、二日練習すれば暗譜で弾ける曲を○、練習に一週間ぐらいかかる曲は三角、まだやっていない曲は印が付いていない!!(当たり前の事でしょう・・・・。×とでも思った?)

それをメニューと言う紙に書き込んでいます。

 

[売りの曲のお話]

音楽を学ぶ人達には普通レパートリーと言う考え方がないようです。

だから、曲の伴奏を頼んだりすると「何時何処でやる演奏会用の曲ですか?]と聞いてきます。

日にちが決まっていないと、練習さえしてくれない。

常設曲という考え方がないからなのです。

だからとっさの注文には応える事が出来ないのです。

折角の演奏の機会を自ら逃してしまっているのですね。

魚屋だって、注文があってから、魚を釣りに行っていたとしたら・・・、そんな商売は無いでしょう?

 

 

[安定性のお話]

安定性ということは、普通は水準の事として考えられていますが、本当はそれだけの話ではありません。プロは何時でも、何処でも常に同じ水準を保つ必要があります。

プロであるための条件は100%の出来でなくてもよいから、常に95%の出来はキープしなければなりません。

今日はとても美味しかったけれど、次の日に言ったらとてもまずかった、何てお店は誰も二度と行かないでしょう?  

あっ!そう言えば、マルタ アルゲリッチがいたか・・・・?!

 

私の住んでいる街の江古田駅の前に、昔、とても蕎麦の美味しいお店が出来た。何時行っても、とても美味しいし、安い。(高くは無い、という意味)店もまあまあきれいだ。  蕎麦マニアの私としては 毎日でも通い詰めたいような感じの店であったが、でも、よく休むんだよね。 何時行ってもお休みで、さすがの私も頭に来たね。多分ギャンブルに狂ったのだと思うのだが・・。  なんとなく、行きそびれて、しばらくぶりに、また行ったら、もう潰れていたよ。

幾ら美味くても、休んでばかりいたら、お客はやっぱり逃げるよね。

これを音楽のlessonに例えると、機嫌が良いときには、分かりやすく丁寧な、素晴らしいレッスンをしてくれる先生が、機嫌が悪い時には、取り付くしまもないようなlessonをしていては、幾ら機嫌が良い時が素晴らしい先生でも、やっぱり生徒は逃げるわさ!

そういった感情的な先生の話は、いろいろな音楽教室の父兄からしょっちゅう聞くのだよ。

私達の教室に入会してくる親や子供達の「***いう理由で、逃げてきました。」という、教室を逃げてきた理由のベスト(ワースト)3には入るわさ!

 

[仕事の責任感]

これもテレビの討論番組で恐縮なのですが、(一日中テレビにしがみついているように見えるかな?実は、夜は寂しいので、テレビを付けっぱなしにして、仕事しているんだよ。・・・これは冗談です!) 

 

女性の社会進出と言うthemaでNHKの深夜の討論会で、男性と女性が、「女性は社会で仕事上で責任のある立場に立てるか?」という話をいろいろな世代の人達を交えて討論していました。

中、高年の男性達は、「女性でも、男性の社員と同様に、土曜日や日曜日の、或いは会社の時間外の(所謂Off・タイムであっても、)トラブルが起こった時には、直ぐに対応してもらえるのか?」と言う事を女性陣のキャリア組みの人達に聞いているのにもかかわらず、それに反論しているキャリアの女性は、「女性でも男性に対しても遜色のない優れた仕事が出来る。」と言う事だけを主張して、平行線で話が全く噛み合わなくなっているのが非常に印象的でした。

自分の仕事を責任を持ってやりさえすれば、相手の事はどうでも良いという、身勝手な主張では、誰も納得しないだろうに!

しかし現実的には女性の抱えている社会進出の本当の問題点は、日本ではまだ理解されているとは言いがたいのですがね。

 

アメリカのテレビドラマなどを見ていると、キャリアの女性がハプニングで深夜にとか、突然呼び出されるシーンがよくあります。そのときには、子供の面倒や家事などを共働きしている夫が、なんだかんだと文句を言いながらでも、結局の所サポートするのです。

ヨーロッパやアメリカでは、それが当たり前の社会なのである。

でも男尊女卑の日本社会ではそれは絶対にありえないことですよね。

内田春菊さんが、夫の10倍もお金を稼いでいながら、それでも夫は、「子育てや家事などは女の仕事だ」として、春菊さんが、ほとんど徹夜のように子供の世話に追われていても、仕事の締め切りが迫っていても、それで追い詰められてノイローゼになっても、それでも夫は全く手伝ってくれなかった、と言うことで、3回も離婚をしています。

キャリアの女性が、本当に仕事に取り組もうとすると、日本ではそんなものなのです。

 

[辛い音楽]

私が教室の先生の募集で、音楽大学生を面接している時、私は「音楽は楽しいものだ。と言う事を子供達に教えて欲しいのですよ。」と言ったら、相手の女の子が「ピアノの勉強は、楽しいものではありません。厳しく辛いものです。」と言って怒り出した。

そんなつもりで音楽教室に生徒の指導に来られると、教室なんて一瞬で生徒がいなくなってしまって、潰れてしまうものだけれどね。

「厳しくて辛い!」と言う事には、その前に「好きで、好きで、しょうがない!」と言うものがなければならないのだが、そこの所は幾ら説明しても、分かってもらえなかったようですがね。

厳しいだけなら、生涯、音楽を自分の座右に置いて続けていく事などは、出来ないだろうにね?!

この文章はホームページにかなり詳しく書かれていますので、そちらの方を参考にしてください。

 

[プロは一番初歩の段階を最も大切にする]

あんまり文章が長くなってきたので、ここいらで終わりにしようと思いましたが、一つだけどうしても言っておきたいことがあります。

 

それは、ありとあらゆるところで言い続けている事だが、プロになりたいと思って勉強をしている人達が、あまりにも初歩の勉強をおろそかにするという事です。

教室に面接に来られる音大の卒業生の皆さんが、いつも言われる言葉「私は、まだ大学の先生について勉強を続けています。」それはとても立派です。

で、私が「教室に習いに来る子供さんの大半はBeyerやBurgmüllerのlevelですから、ソナチネアルバム程度までは全部、暗譜で弾けるようにしておいて下さい。」「そうしないと、子供が正しい指使いで課題曲を弾いたのか、間違えた指使いで弾いたのか分からないでしょう?指使いだけでなく音を間違えて弾いたのに分からない、先生も居るのですよ。」と言うと、「えっ!」 っと言って絶句してしまう人が多いのです。

でも「えっ!」 っと言って絶句すると言う意味は、決して「そんな簡単な事も勉強しないで先生になりたい人がいるの?」と言う意味ではないのですよ!

音大生が絶句したのは「たとえ、すごく簡単な曲であったとしても、Beyerは106曲あるし、ブルグミュラーの25の練習曲は25曲あるし、Czerny30番やソナチネなどまで覚えなければならないとなると・・・・。」と言う事で、絶句してしまったのですよ。

 

そこで私は言います。

 「Beyerが例え106曲あったとしても、その音符の数はchopinのバラードの一曲の音符の数よりも少ないでしょう? chopinのバラードを2,3曲暗譜出来る力があれば、BeyerとBurgmüller全曲覚えるのは、音符の数から言えば、たいした事では無いでしょう?」 と言うと、皆煙に巻かれたような顔をして引き下がっていきます。

勿論、私からそう言われたからと言って、ちゃんと覚えてくる人は今の所いません。

それどころか中には 「私は自分の曲の勉強で忙しいので、BeyerやBurgmüllerまで勉強する時間はありません。」 ときっぱりと断る人もいます。 

ちゃんと教材を下調べもしないで、子供を指導するという事を、何と考えているのかねぇ?!

それ以上に社会人として、大人として、仕事を何と考えているのかね? 

こちらが絶句するところですが・・・・。

 

まぁ、音楽大学と言う所はお嬢様達の集まる所で、その人達が生活に追われる事はありませんしね。お嬢様達にとっては、生活感がなくっても、当たり前の世界ですからね。職業意識と言っても理解できないのは当たり前なのです。まぁ、どっちみち、そういう人の集まりですから、所詮、音楽教室に勤めたとしても、2年、3年と長続きすることはありません。直ぐに、恋人を作って教室とはバイバイです。現代の若者らしく、そこはさっぱりしたものです。

 

でも私達の教室としては、今の若者達が何を考えていようと知ったことではありません。

私達は、ちゃんと真摯に子供の心身の成長の事を考えてくれる、教育熱心な長続きのするたった一人の先生を捜しだせば良いだけなのですから・・・・。

 

 

2008年8月29日脱稿

東京、江古田の一静庵にて

芦 塚 陽 二 拝