黎明期のヴァイオリン

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夏目漱石などの明治の文豪達の小説を読むと東京の下町や山の手のいたる所の家並みからヴァイオリンの音が聞こえて来たということが描写されています。当時驚くほど高価でとても庶民の手に届くような楽器でなかったピアノに比べStudentと呼ばれる練習用のヴァイオリンは手軽に購入出来ました。一時流行となったヴァイオリンは昭和初期までに沢山の楽譜が出版されるに至りました。
しかし,いつのまにか急激にヴァイオリン人口は減りはじめ、出版の数も急激にへっていき、その流行はただ単なる根無し草にすぎなかったということが分かったのであります。
思いみるにヨーロッパの音楽文化の裏面には、家族ぐるみ、友人ぐるみの音楽的生活がありました。そういう一般大衆の底辺の中から華やかな名演奏家達が生み出されていったのです。
ティボーにしろカザルスにしろ、日本では当然音楽生活など考えられないような貧しい生活の中に、音楽生活を始めていったのです。その生活体験が私たちに説得力を持つ音楽となって語りかけてくるのだ、と思います。ところが我が日本では音楽は経済的ゆとりのある人達のみのエリート達の娯楽として輸入されてきました。
当然そういう事情から一番華やかで見ばえのする技巧的な小品やコンチェルト、ソナタなどが商品として輸入されてきて、地道な室内楽などは、今日に至るまで我国では出版されたことはなく、輸入楽譜もその中で演奏効果のある少数の曲のみが繰り返し売られてきたにすぎませんでした。しかしながら技巧的なソロの曲を何人の人が弾けるというのでしょう。或いはBeethoven等の難解なカルテットなどが何人の人々に演奏できるのでしょうか。はたして弦楽合奏というものは苦しみの果てに与えられる至福のようなものでしょうか。その苦しい長い年月を幾人の人々が耐え得るのでしょうか。その結果少数の限られたエリート達の音楽は大衆に見離されて、流行が去っていくと共に廃れていってしまいました。
勿論それ以上に,作音楽器と呼ばれるこの種の楽器は、ただ端にキイを押しただけで確実な音が出るピアノやオルガンなどに比して,大衆性を持ち得ない決定的な欠点を持っています。がしかし、その欠点の時期さえカバーされれば、それがより大きな長所に変化するのです。不安定な音は華麗なビブラートになり、ボーイングの困難さはやがて抑揚を与えて、その苦労に報いてくれるのです。しかしながら、与えられるものが大であるからといって過酷な機械的練習や無意味なエチュードばかり与えられるのではたまりません。
よくしたもので、ヨーロッパの出版界にはこの時代にも簡単に弾ける曲集が大量に出まわっています。テレマン、モーツァルトやべ一トーベン、ヒンデミット、バルトークなど、大家の手によるオリジナル作品からおおぜいの教育作曲家の手による教育用、家庭音楽会用まで。しかし今日の日本ではそれ等のほんのわずかな作品のみが知られているだけで、モーツァルトなどの大半のそれらの作品も埋もれたままなのです。現在一時は完全に減びるかにみえたヴァイオリンも、戦後徐々ではあるが、(現在では小中学校等でも教材に取り入れたりして)復興の萌しをみせているように見えますが、しかしながら根本的にはまだ何らその問題点は解決していないのです。

2.

現在の殆どの小中学校で行われている合奏形体は、恐らく合唱とブラスバンドと教育楽器による合奏でありましょう。
しかしながら、ブラスバンドは成長期の子供達の呼吸器官にはかなり無理な負担を与えると言われていますし、変声期頃の子供達に合唱を無理強いして声帯を傷めさせるのも考えものです。ましてや簡易楽器というものは子供達の音に対しての感受性を甚だ傷つけるものであり、ただ安価で手に入る外に音楽的にはなんの利点も見い出せないのです。
著者が大学で教鞭をとっていたころ実際に行った研究によると、オーケストラ用の高価な打楽器等は確かに高価であるが、安心感を与える音と可能性の多様さにおいて簡易楽器と比較対照することすらナンセンスな話です。そこで考えられるのが経済的なハンディーや肉体的ハンディーをおわない弦楽合奏ですが、一般的には弦楽器というものは、非常に難しく半年やそこいらでは合奏はおろか,曲を弾くということは、とても不可能だとされています。
しかしながら著者は、この問題についての解決を導くのは全くもって作曲家の責任であると同時に、それを怠った作曲家自身の怠慢であったと考えています。弦楽合奏というものは友人親子感の対話にも勝る精神的な交流を与えます。そして真の意味でのmusizieren(音楽をする)という喜びを与えます。
ところが、我が国ではピアノや合唱を除いてはかってそれに該当する曲が出版されたことはなく、合奏の喜びというものは音楽学校へ進学する様な特殊な人達ですら与えられることは稀です。ましてや初心者向きの、(弦楽器でいえば)ファーストポジションだけで作られているカルテットの曲集は、ヨーロッパにおいても殆ど出版されていません。敢えてそれを試みることは、世界でもまれな試みなのです。
それから音楽教育上の問題もあります。音楽を専門的に職業にする為の条件としは、実際の音楽の現場では非常な初見能力を要求されますが、大学等ではで初見の訓練をすることは少ないようです。(なぜなら、カリキュラム的に学校の授業に組み込むことは難しいからです。)ヴァイオリンやクラリネットにおいては優れた技量を持ちながら、ただ初見力がないというばっかりに、オーケトラの職業に着けない多数の人達をみるたびに、いつもこういう種類の曲集の必要性を感じていました。初見というものは全くの慣れであり、初心者用の簡単な曲を数多く初見す事により、遊びながらその技術を身につけることが出来るのです。

               あとがき

著者がヨーロッパに留学をしていたとき、屋根裏部屋や地下室に住んでいた学友達との楽しい語らいは、コーヒーをのみながら、お互いの楽器を持ち寄っての合奏に始まり、そして合奏に終わりました。下手は下手なりに上手は上手なりに・・・…。我が国でもクリスマスやあるいは誕生日など皆が集まった時に、お互いが一年くらい学び合っただけで楽しく演奏できる(合奏し合える)名曲の数々があれば、日本の音楽はもっと違った方向に進んでいけたのではないかと思います。合奏は息を合わせることで、いわく魂を和することです。父母がチェロやビオラを受け持ち、その子がヴァイオリンやピアノに向かって合奏する姿には、親子の断絶などというものは存在し得ない。それでこそが音楽の正しい姿なのです。


        1974年12月某日練馬区栄町の寓居にて
                    芦 塚 陽 二