リコーダーのお話し

教室で、recorder(リコーダー)という楽器を子供達に指導するにあたって、とても困ってしまう事があります。

それは正しいrecorderの運指を指導しようと思っても、日本の小学校では未だに、ドイツ式という、世界中では、最早どこの国でも使用していない、それこそドイツでも、誰も知らない・・不可思議なリコーダーを日本の小学校の殆どの学校が採用している・・という事だからです。



小、中学校の音楽の授業でも馴染み深いリコーダーですが、リコーダーには大きく分けて、ドイツ式リコーダーとバロック式リコーダーがあることは、ご存じの方も多いと思います。

ドイツ式リコーダーは、ドイツで使われているリコーダーだと思われがちですが、実際には現在、ドイツでドイツ式リコーダーが使われることはありませんし、そんなリコーダーがある事すらドイツ人は知らないと思いますよ。

また、ドイツ式リコーダーを使用している国は、世界中の国のどこをさがしても、おそらく日本だけではないでしょうか。

ドイツでは使われないドイツ式リコーダーとは一体どういうことなのか?

又、どうしてリコーダーは3つに分解できるように作られているのか、リコーダーとは一体いつ頃からある楽器で、どんな曲があるのか、etc.・・・・・・・・・…リコーダーに関して以外と知られていないことは結構あるのです。

今回は、教科書には載っていないリコーダーのおもしろいお話しをいくつかご紹介したいと思います。

1.
ドイツ式recorderについてのお話


近代にリコーダーを復活させたのは、世界的に有名な古楽器製作者であるアーノルド・ドルメッチ(Arnold Dolmetsch 1858年2月24日ル・マン生~1940年2月28日へ一ズルメア没)です。
彼は古楽器奏者でもあり、古楽の分野を切り開いた大恩人とも言うべき人物です。

そのドルメッチが47才のとき、リコーダーのストラディバリウスともいえる古いイギリスの名器「ブレッサン」というバロック式リコーダーを手に入れました。

ある日旅行中に泥棒に合い、大切にしていたブレッサンを盗まれてしまい、一生命捜しましたがついに見つけることができませんでした。

しかし、ドルメッチはこのバロック式リコーダーの運指法についてかねがね、疑問を感じていました。

バロック式リコーダーでは、クロスフィンガー(不思議な指使い)を使います。
これは、順番に指を押さえていくのではなく、ある音だけ複雑な指使いをしなければならないものです。

ドルメッチは、リコーダーの研究にあたってバロック式リコーダーの運指表を作るとき、きっとバロック時代にはまだ笛を作る技術が発達していなかったか、指使いに対しての意識がうすかった為に、変な指使いをしていたのだろうと考えていました。

その頃、ドイツではヒットラー(Hitler)が撞頭してきて、ナチスからヒットラーユーゲント(Hitlerjugend 少年少女親衛隊)の教育の為に、簡単に吹ける新しい楽器を作ってほしいという依頼がドルメッチのところにまいこんできました。

そこでドルメッチは、バロック式のクロスフィンガーを使わず、かねてから考えていた指を順番に押さえていく単純な指使いによるリコーダーの製作にかかったのです。

そうして作り上げられたリコーダーが、現在ドイツ式(ジャーマン式)と呼ばれているリコーダーです。

そしてそのリコーダーは第2次大戦中にドイツの同盟国である日本にも伝わってきて、日本の子供達もドイツ式を使うようになりました。

ところが、その後ドルメッチは自分の作ったドイツ式リコーダーには問題点があることに気づいたのです。

それは、いくつかの高い音が、どうしても出ないということ、また、正しい音程が出せない音があるということでした。

どうしたものかと悩んでいた頃、町を歩いていたドルメッチがふと骨董品店のショーウィンドウに目をやると、旅行中に盗まれたあの古い名器「ブレッサン」が売られているではないですか。
ドルメッチは大喜びでそれを買い戻しました。

そしてそれを吹いてみると、ドイツ式リコーダーでは出せない高い音がブレッサンのリコーダーでは楽々と出せるのです。

また、疑問に思っていたクロスフィンガーを使えば、ドイツ式で問題のあった音程の不正確さも解決できるということが分かったのです。

つまり、baroque時代の運指法は、意味もなく難しい運指を使っていたのではなく、楽器的特性から必然的にそうしなければならなかった、ということが分かったわけです。

ナチスから逃れてイギリスに戻ったドルメッチは、自分が作ったドイツ式のリコーダーを捨て去り、バロック式のリコーダーの製作と普及に努めました。

ですから、ドイツ式もバロック(イギリス)式も、製作者は同じ「アーノルド・ドルメッチ(Arnold Dolmetsch)」という人なのです。(ドルメッチがイギリスに帰ってから作ったので、ドイツ式に対してイギリス式ともいいます。)欠陥が見つかり、製作者本人が見限ったドイツ式リコーダーは、ナチスの衰退と共にすっかり世界中から滅び去って、忘れ去られてしまいました。

ところがところがどうしたことなのか、我が日本では戦後50年以上※)経った現在でも、ナチスの教育の為に作られたリコーダーが90%以上の小学校でいまだに使われているのです。

又、ドイツ式リコーダーを使っているのは世界中でおそらく日本だけかもしれません。
※)戦後75年を過ぎましたが、やはり未だに、小学校ではドイツ式recorderが使われているのですよ。
超、困った事です。

更に困ったことには、小学校ではドイツ式リコーダーを習うのに、中学校からはバロック式リコーダーを習います。
その理由は、中学校からは音楽を指導する先生は専科の先生になるから、音楽大学を卒業している先生達だから、正しい運指法の演奏を指導するからなのです。

その為に、小学校で習ったドイツ式リコーダーの運指をバロック式の運指に覚え直さなければならない、という変なことが起こってしまいます。


専科の先生は大概音楽大学を卒業して先生になりますが、音大では正当な音楽を勉強する為に、ドイツ式リコーダーを学ぶことは殆んどありません。

ですから、やはり中、高校の音楽専科の先生はバロック式を教えるというわけです。

また日本ではドイツ式のソプラノとアルトリコーダーは小学校で使う為、市販されていますが、テナーやバスリコーダーのように中学生以上にしか吹けない楽器については、ドイツ式のものは製作すられていないのです。

(近頃アウルスというメーカーでドイツ式のテナー・リコーダーが発売されたそうです。)それでも尚ナチスのドイツ式リコーダーを使い続ける日本の小学校教育は一体なんなのでしょうか。
不思議な話ですが、日本という国の特性なのでしょうね??
どんなに、誤った事だと分かっていても、それを是正する事が日本の社会では出来ないのですよ。
・・・こういった教育の現場に対して、疑問を抱かずにはいられません。



2.
recorderがblockに分解される理由

.リコーダーがどうして3つに分解できるようになっているか考えたことはありますか?


上のつなぎ部分がピッチの調節の為にあるのだということは、殆どの方がご存じだとは思いますが、下のつなぎ部分に関してはなんの為にあるのかは殆ど知られていません。
おそらく大抵の人は「持ち運びに便利だからだろう」と思って何も疑問を感じることはないだろうと思います。

しかし、下の接続部分にもちゃんと役割があるのです。
専門家なら誰でも知っているけれど、参考文献には書かれていないことが殆んどですし、もちろんそんなことは学校でも習いませんね。

実は、3つの部分に分かれているのはコンパクトに収納する為ではないのです。
リコーダーのことをドイツ語でブロックフレーテと言います。
「ブロック」と、「フルート」の2つの単語からできた名前です。
3つのブロックからできているフルートというわけです。
そして、3つのブロックをつなぐ2か所のジョイント部分には、それぞれに役割があります。
上の接続部分はピッチの調節のためにあります。
長くすればピッチは低くなり、短くすればピッチが高くなるわけです。
・・・と、ここまでは一般的によく知られていることですね。

日本の横笛は切れ目の無い一本の管でできていて、ピッチの調節はできません。
それに対し、ヨーロッパの笛はクエアーフルーテ(フルートの前身)にしてもどんな横笛にしても必ず歌口の部分と本体とは分離でき、ピッチの調節ができるようになっています。

ヨーロッパの笛はアンサンブルの為につくられている為、ピッチ調節は必然となるのに対し、日本の横笛は他の楽器と合わせることは非常に稀で、単独にソロ楽器として使われるのことが多い為、ピッチ調節の為のジョイント部分が無く単管になっています。

ヨーロッパの笛と日本の笛が根本的に違うのは、アンサンブルを前提としているかいないかというところなのです。
それでは、下のジョイント部分は何の為にあるのか?
何の意味もないのなら、最初からつながっていた方が便利ではないのか・・・・・…?
確かに楽器によっては下の接続部分が一体になって分かれないように出来ているものもありますが、ちゃんとしたリコーダーなら普通は3つのブロックに分けられるようになっています。
この下の接続部分は、音と音の間隔の微妙な調節をするためにジョイントできるようになっているのです。

プロのリコーダー奏者は、ピッチの調節だけではなく、下の接続部分の長さも変えることによって、微妙に音と音の幅を調節しているのです。


3.
recorderの種類

.リコーダーには異なった声域に対応して様々なサイズがあります。
今日主として使われているのが、ソプラノ、アルト、テノール、バスですが、その他にソプラニーノ(ソプラノよりも高い音域です)とグレートバス(バスよりも低い音域です)があります。

私の個人的コレクションとしては、ソプラニーノよりも更に小さくて音域の高いリコーダー(7センチくらいの長さ)もありますが、これはあまりにも小さすぎて演奏不可能です。

もちろん、ちゃんと音がでるように作られていますから、もし2歳児くらいの天才リコーダー奏者がいたとすれば演奏も可能でしょうけれど・・・…。

あくまでも、趣味の楽器なのですが、本当に音が出る(pitchの音が)ので、驚きです。

つまり、吹ける人がいれば、演奏も出来るという事です。
驚きだよな??




左側の写真は左側からBasーrecorderが2本と、tenorーrecorderが2本、それにaltoーrecorderが・・えっ??1本しかないぞ??
altoーrecorderが一番多いハズなのだけど、どうしたのかな??
その次は、sopranoーrecorderが2本で、次はSopraninoと、更に小さなkleineーSopraninoと更に小さな・・・・、後は何と言うのか知らんヨ??

これは芦塚先生の個人所有の木製のrecorderに限った物なのですが、樹脂製のrecorderは数限りなくあるので、全部は掲載出来ませんが、ハイツの自宅にある分だけを、掲載します。

Baßrecorderよりも低い楽器としては、great-Baßや、更に低いKontragreatbass-recorder等もあります。

但し、楽器は低い音になればなる程、肺活量が必要になるので、小学生の子供達には、無理なので、買い揃えてはいません。
baroqueには基本出て来ないので。





ハイツの自宅にある樹脂製のrecorderです。
①と②はAulosのrecorderでSopraninoと更に小さなkleineSopraninoです。
③は全音のsopranoのrecorderです。
④と⑤はDolmetschのsopranoとaltoのrecorderです。
⑥は全音のPierre Jaillard Bressan modelのalto-recorderです。
⑦はヤマハのbaroque-modelです。

勿論、ハイツに置いてある樹脂製のrecorderはこれだけではありません。
チョッとendlessなので、写真に収まる分だけを出して見ました。
樹脂製のBaß-recorderや大バスrecorderもヤマハやAulosから発売されているようですが、利用頻度が無いので、購入していません。
小学生には無理なので・・・ね??


また、Basーrecorderよりも大きな大Bas(若しくはKontrabass)recorderもあるのですが、学校用教材としては兎も角も、baroque音楽には登場はしないので、芦塚先生は購入していはいません。
それに子供達には肺活量の点で演奏不能だからです。
こういった楽器類は、芦塚先生のcollectionではなく、子供達に貸出して発表会等で実際に使用している楽器なのでね。


勿論、Basーrecorderからsopranorecorderまで色々とある・・という事は、音域の話なのです。 
    


鍵盤で示すと、

                  

面倒くさいのでnetから拝借しました。
この絵の右側に「バスリコーダー F」と書かれているのは、『F管である』という意味で、recorderも移調楽器になります。
移調楽器というのは、指使いが同じでも出る音が違うという意味で、小学校で学んだsopranoはC管なので、下から順に、C⇒D⇒Eと音階が上がって行きますが、同じ指使いで、altoーrecorderの場合には、F⇒G⇒B♭と5度下の音がします。

弦楽器と同じ5度のintervalなので、C管ならば、一つ飛ばしのtenorーrecorder、次はsopranoーrecorder、更にkleineーSopraninoか、大バスもC管になります。
F管は、Basーrecorderと、altoーrecorder、Sopraninoーrecorderになります。

音域は管の長さによるので、移調楽器はやむを得ない事です。




芸術楽器としてのリコーダーの起源はおそらく14世紀中頃の北イタリアであると考えられており、16世紀初め頃までにはかなり成熟した楽器に発達しました。

バロック時代の音楽ではリコーダーは主流の楽器で、リコーダーの為の曲が沢山書かれています。

当教室の「音人(おとな)の会」のテーマ曲になっているテレマンの「ターフェル・ムジーク(食卓音楽)」はとても有名で、リコーダー3本とガンバなどの通奏低音で演奏されます。

又、私たちが良く演奏するルイエ作曲(ルイエ・ド・ガン)のトリオソナタも、元来はリコーダー2本と通奏低音(ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ)の為のトリオソナタです。

リコーダーはマイナーであまりいい曲がないなんて思っている方がいたらそれは大間違いです。

リコーダーの為のコンチェルト(協奏曲)だってあるんです。
テレマンのリコーダーコンチェルトなどは大変美しい名曲でありますが難曲でもあります。

古楽器のコンサートではよく演奏されていますが、演奏がとても難しいので教室の発表会のプログラムには載ったことはありません。

バッハも自分の作品でリコーダーを活躍させています。
カンタータやブランデンブルグコンチェルトなどにはとても効果的にリコーダーが使われています。
このように、リコーダーの為に書かれた曲は、是非とも聴いていただきたい、また、是非とも演奏してみたいという素敵な曲が沢山あります。

学校では文部省唱歌のような曲しか習えませんが、リコーダーの本当のすぱらしさが分かるには、バロック音楽を抜きにしてはありえないと言っても過言ではありません。

学校で習う簡易的なリコーダーのイメージを捨て、たまにはプロのリコーダー奏者のきらびやかなバロック音楽の世界に酔いしれてみるのもなかなか乙なもんですよ。

優れた演奏家を推薦するsiteを作って、recorder演奏の名人を紹介していたのですが、幾ら探しても、見つからなかったのだけど、芦塚音楽研究所のsiteだったのよね??
こちらからも見れるようにlinkを張っておきます。

一般的にはFrans Brüggenの方がよく知られていて、 Hans-Martin Lindeはあまり有名ではないようなのですが、私にはLindeの方がとても正統的で好きです。

ただ、Lindeの方が学者肌で、あまり演奏活動をしていないので、その分知名度に関しては、Frans Brüggenよりも劣っていると思われます。

マルチン・リンデの名盤です。

長年待っていたレコードがついに再販されました。
ハンス・マルティン・リンデという人のリコーダーの演奏です。
何枚か一緒に出たらしいのですが、まずお勧めは「ブロックフレーテの魅力:涙のパヴァーヌ」というCDです。
アマゾンで何気なくマルティン・リンデで検索したら出てきました。
レヴィユーにどなたかが「25年待った。」とメッセージを書いてありましたが、私がこのレコードを最初に聞かせてもらったのは、ドイツ留学中の事で、それ以来このレコードを探していたので、もう34~5年も前のことになります。

私個人的にはブリュッヒェンやペトリなどの有名なリコーダー奏者よりも全ての面でリンデの方を高く評価していますが、残念ながら日本ではあまり知られていません。

むしろリコーダー教本の著者としての方が有名かもしれません。
しかし、リコーダーのテクニックはもとより即興演奏の技術、音の透明さは目を見張るものがあります。
特筆すべきはヘンデルのリコーダー・ソナタのイ短調の曲ですが、通奏低音のガンバとチェンバロを伴奏に演奏しているのは高雅な感じで素晴らしいものがありますが、同じ曲をリュートの伴奏で演奏しているCDは即興も演奏自体も少し悪乗りしているのかな?というぐらいの演奏ですが、逆にバロック時代の素朴さを感じることが出来て素晴らしいと思います。

同じ演奏家が同じ曲をこれほど違えて演奏出来るということを知ることは我々バロック音楽を専門に演奏する者にとっても、とても良い即興演奏の模範となります。





Hans-Martin Linde先生のrecorderの教則本です。













4.

2021年の8月の19日の追記です。

2012年11月の八千代市生涯学習プラザ主催のコンサートでの演奏です。

小学校では手軽に購入出来る楽器としてrecorderが導入されているようなのですが、これはHitlerjugendのための、謀略で、recorder程難しい楽器は無いと思っています。

勿論、小学校や中学校で学ぶ唱歌程度の曲を演奏するには、recorderの演奏技術の問題はありませんが、本当にbaroqueの技巧的な曲を演奏しようとすると、recorderという楽器は、とてつもなく難しい楽器になってしまいます。

教室でも、素晴らしいrecorderの音色に子供達を慣れ親しませるために、soloの簡単な曲、例えばJulius Klengelの小品や、Menuet程度の曲、purcellのrondo dぐらいまでの曲は、発表会や対外出演のprogramに載せて、演奏した事はあるのだけど、TelemannやVivaldiのrecorderのための、sonateや、Concerto等はとても子供達には技術的に、無理だと思っていたので、これまで、教室のrepertoryに乗せる事はありませんでした。





recorderーensembleの曲です。

本来はsoprano、alto、tenor、Baßなのですが、小学生ではaltoも指が届かない場合が多いので、このensembleでは2本のsoprano-recorderとtenorとBaßなのかな??

ensembleの場合には、tenorやBaß-recorderもmelodieを演奏するので、肺活量の問題が起こってしまいます。という事なので、Baß-recorderの代わりにcelloやKontrabassで代用をする事があります。





所が、なんと、今回、小学6年生の楓ちゃんがVivaldiのConcertoに挑戦する事になり、オケ練習に入りました。
発表会までの目標tempoを目指して、練習に励んでいます。

但し、楓ちゃんとは無関係なのですが、Vivaldi先生のorchestration的に色々と問題点が見受けられたので、急遽、scoreの修正の作業に入りました。

色々とorchestraがチョッと、弱い部分が見受けられるので、part譜を作る次いでに、大幅に、scoreの間違いを訂正して、また弱い部分の訂正補筆をしました。
「チョッと弱い部分・・」という意味は、音量が弱いという意味ではなく、曲的にそこが貧弱だ・・という意味なのです。

一介の巷の音楽の先生が、偉大なVivaldi先生の作品を批判するようで、烏滸がましいような気がしますが、実は、こういった楽譜はVivaldi自身が書いた楽譜が残っている事自体が稀なので、失われたpart譜を、後世の出版者の校訂者が補足、補填して作成するのですが、それが作曲家ではない音楽学者のような素人の人達が校訂する場合が多いので、技術的に弱い(貧弱な)場合がよく見受けられるのですよ。

皆さん達がCD等で聴いている演奏の殆どは、その演奏団体の指揮者やCembalistの手に寄って、補筆訂正されているのです。
つまり、同じ曲でも、別の演奏団体が演奏すれば、楽譜は微妙に変わっているのです。

という事でVivaldiのBlockflote Concerto Op.10 Nr.5 F DurのⅠ楽章を次回の発表会で楓ちゃんが演奏します。
勿論、芦塚versionです。

以下、Facebookからの抜粋です。


6月6日

『今回の発表会への選曲について』
教室での「曲決め(所謂、選曲)」は、一人一人の子供達の音楽の成長に合わせて課題となる曲を決めている。
次のstepへの課題となる技術のthemaが含まれている曲を選曲する分けなのだ。
だから、一般の発表会のように、「有名な曲だから」とか、「子供が好きだから」という理由で「曲決め」をする事はない。
但し、年2回の「夏のおさらい会」と、冬のChristmas会のお楽しみ会」は、生徒が自主的に弾きたい曲を弾くような企画でやっている。
勿論、教室の方針でpopularの曲は無理だが、実際には、生徒達が弾きたい曲で「popularの曲を弾きたい」と言った生徒は今まではいない。
また、会場もKoncert・Hallではなくて、自治会館等の多目的Hallになる。
当然、衣装も発表会衣装ではなくて、普段のお出かけ衣装になる。
発表会やおさらい会等の形態の異なる演奏会をするのは、そういった演奏会場でのTPOやmannersを学ぶ意味もある。
また、一般的には発表会は多くても、1年に1回か、1年半に1回ぐらいであろうか?
2,3年に一度という教室もザラである。
それは発表会を開催するための雑事がとても大変だからなのだ。
その煩わしさを回避するために、楽器店に発表会を委託している教室も多い。
私達の教室が外部委託をしないのは、発表会やおさらい会、Christmas会等に明確な教育的な配慮をしているからなので、それを外部の楽器店のstaffに理解させるのは無理だからなのだ。
初めに戻って、・・・発表会を目標として、明確な技術習得を目的として「曲決め」をするのだが、「曲決め」は、その生徒に最も必要なtechnikや音楽表現の技術を学ばせるための選曲である。
子供は成長の過程で、指を回す訓練をした方が良い時期と、音楽的な表現を学ぶべき時期があり、それはその生徒の心の成長に寄って、その時期とcurriculumが決まるのだよ。
一般的には小さな子供でも「技術的に優れているから、」とか、「よく練習をするから・・」と、いって、無理に大人びた曲を弾かせている動画等をYou Tube等でよく見受けるのだが、それは傍目には無理な背伸びをしているだけの、やはり、笑いものに過ぎない。
早期教育の意味の全くの勘違いである。
そんなに焦って早期に難しい曲を無理をして弾かせなくても、歳を取ると(或程度、年齢が行くと)、どんなに難しい曲でも普通に弾き熟すようになるのだ。
それが5歳で弾けたから・・と言っても、それでその生徒が音楽のproに成れると確約出来た分けではない。
余りに、早期に難しい課題をひきこなしてしまうと、逆にその過程で学ばなければならない事を、飛ばして学んでしまうので、逆にproの道に進む事が難しくなってしまう。
下手に指が回るようになると、細かい音や細部の注意をするのが難しくなってしまうし、初歩に戻って学び直す事がprideに障るからだ。
小学生で学ぶ事、中学生で学ばなければならない事、高校生でしか学べない事等々が、それぞれの年齢で、数多くある。その時期を逃しては学ぶ事が出来ないからだ。
また、これは論外中の論外のお話ではあるのだが、「中学生では受験に専念して、高校生になったら音楽に掛ける・・と言う生徒もいるのだが、そんなに都合の良い事が出来る程、proの道は甘くはないのは自明の理である。
勿論、生涯をamateurに徹するのならば、その時期で、人生の目標を変えたとしても、やぶさかではないのだが・・ね??
しかし、覆水盆に返らずで、proがamateurになれる事はあっても、その逆は有り得ない。
一度道を外したら、元の道に戻って来れる事は無い。
自分自身に与えられた、それぞれの時期を精一杯に、努力を続けた人達だけが、proの道を歩む事が出来る・・と言いたいのだが、実は、音楽はそれ程簡単で、甘くは無い。
それはあくまでも、優れた指導者に巡り会えた場合・・という前提の元で・・なのだよ。
一般的には権威と地位のある人間が優れた指導者とされているのだが、それはとんでもない間違いである。
有名なだけで、指導力の無い間違えた指導者に付いた場合には、どんなに努力を続いけたとしても、道に至る事は無いのだが、一般の人達にはそれだけは分からないらしいのだ。
brand嗜好の人達に取っては、音楽の価値とは、一般の人達が評価する価値であり、とどのつまりは権威と名声に尽きる。
一般的には、権威のある人達や、有名な人達に自分もそうなりたいという人達が、名声や権威を求めて、集まって来るので、より名声のある家元の所には、より名声を求める人達が集まって来る。
brandとは、それだけの事なのである。
本当の意味で音楽を追究する人達は、権威や名声には興味を持たない。ひたすら、音楽を追究するだけである。
そういった無欲の人達が本当に優れた人であり、優れた指導者となり得る。
しかし、今の日本の音楽の社会で、そういった事を理解出来ている人は極めて少ない????というか、皆無であろう。
哀号!哀号!!
また、日本でのもう一つの誤解は、「音楽のproになるには、技術的に優れていれば良い」・・という誤った風潮があって、未だに、多くの音楽を志す人達が、その誤った考え方から抜け出す事が出来ないのだよ。日本人は音楽を演奏する時に、音楽に合わせて笑ったり、体で乗ったりして演奏する事を忌み嫌う。
Europaの演奏家達とは真逆のstyleである。
教室のオケ練習や室内楽の練習でも、「自分は充分にその技術に達したから・・」と思い込んで・・というか自惚れて、練習に来なくなる生徒がよく居る。
でも、それは周りの生徒が下手なだけなのだから、その生徒が抜きん出て上手になった分けでは無い。
OB、OGの連中が毎回のオケ練習に参加すれば、慌てて練習に来るのだろうが、それはあなた任せで本意では無い。
なぜならば、私のlessonの内容は変わらないからなのだ。
全体のlevelが下がったとしても、指導するlevelを落とす事はないから、そこで学ぼうという姿勢があれば学べるハズなのだが、それが無い・・という事は、proの世界では所詮は通用しない。
proは、周りの水準がどんなに落ちようとも、自分の水準を落とす事は無いからである。
という事なので、私が常に子供達に注意をしている事は、どのgroupに対しても、どのNiveauの子供達に対しても、いつも同じ事を説明して、同じ事を指導している。
オケ練習の時に私が投げ掛ける質問に全て答える事が出来るようになったとしたら、練習を免除してあげる事もあるだろうが、実際には未だそういった生徒にお目に掛かった事は無い。
私が私のmottoは「一度言われた事を二度は言われない」と繰り返し言っているのだけど、100回言った事も、記憶の片隅にも無いのだよ。
音楽への正しい理解がなければ、そこはどんなに技術力が付いたとしても、学生の域を出る分けでは無いからだ。
しかし、このお話は教室の生徒達に対してのお話ではないのだ。
それは今の若者達の一般的な考え方であって、「自分は一流の演奏家である」と信じて疑わない、You Tube等で、何十万回とaccessをされている若い女の子の演奏でも然り(同じ)なのだよ。
彼女に対しての、厳しい批判やcommentも時折見受けるが、彼女がそれを聴く事は無いだろうし、今の彼女の音楽の方向性を変える事はないだろう??
多分、今のままで、30の壁は越せないだろうな??
その時に彼女が言う言葉も分かっている。
「音楽でやるべき事はやり尽くしたから、次は愛に生き、恋に生きるのだ!」とね??
やり尽くしたと言っても、技術的には取り敢えず演奏が出来ているのに過ぎないので、兎も角も、音は出ていないし、音楽もブチ切れで、melodieの説得力も無いのだよな。
だから、アニメ・ソングを弾く時は上手いのかもね??私はアニメ・ソングはよく知らないのでね??
自己満足的な自己appealだけの音楽は、その女の子の若さや精気が失われた時に、彼女のフアンも逃げて行くだけなのだよ。
その若さで勝負の人達と実力派の人達が入れ替わる歳を私は30の壁と呼んでいるのだが、29歳から34、5歳までの間に音楽家は入れ替わるのだよ。
音楽大学を卒業しても、コツコツと音楽の研鑽を続けて来た人達が30歳を過ぎた頃に日本に帰って来る。その時期には若くて美人の人達も、「花の色は移りにけりないたずらに・・」であるぞなもし。
幾ら技術的に上手いからと言っても、未だ精神的に幼くて、精神的に演奏表現が出来ないという生徒の場合の選曲や、音楽を遅く始めたので音楽は分かっているのだが、その音楽の表現力が足りなくて、演奏技術が表現力に伴っていない生徒達の場合もよく見受けるのだが、そういったunbalanceな伸び方をしていて、行き詰まっている生徒を時折見受けるのだが、それも教室でならば、選曲の妙技でどうにでも解決をさせて、本道へ戻す事は簡単なのだ。
要は指導者のrepertoryの広さと曲への分析力に掛かっているのだよ。
そういったcurriculumに合わないunbalanceな技術levelしか持ち合わせていない生徒でも、選曲一つで上手にその段階を乗り越える事が出来るのだ。
子供の技術的な成長と指導者の指導のconceptが噛み合わないと、教育が上手く行く事はない。
碎啄とは、お互い同士が呼応し合わないと、そこからは何も産み出されないのだ。
生徒がどのように技術的に優れていたとしても、その生徒の音楽に対してのmotivationが低ければ、その生徒が自分自身の能力を活かせる事はないのだ。
勿論、その逆で、とても高いmotivationを持っていたとしても、その生徒の技術levelがその曲のNiveauに達していない場合も、同様である。
つまり、技術の水準を上げる事の出来る指導者は世界でも、ほんの一握りに過ぎないからだよ。
baroque音楽の場合には、そのritornelloの形式に含まれるsoloの部分のfigurationも、concertoという楽曲の性質上、Etudeのような無味乾燥なものではなく、情緒豊かな音楽性を持ったpassageに満ちているのだよ。
音楽の世界には、「Koncert-Etude」と呼ばれている、Etude本来の目的である音楽技術の習得を目的とする分けではない・・genreの音楽がある。
ChopinやRakhmaninov等の作曲家達は、figurationで作曲された曲を、或る意味、謙遜を込めてEtudeと呼んだ。
しかし、それらの曲と、本来、技術習得を目的とするEtudeでは、演奏する場所が根本的に違うのだよな。
後者のEtudeの場合には、演奏をしたとしても、観客を想定しないのだよ。
初心者のconcours等では、課題曲にCzernyやcramer等の練習曲(Etude)が課題になる場合があるのだが、Koncert・Hallで演奏されて、そこに観客がいたとしても、その観客は音楽を聴くのが目的ではなく、演奏者同士の、演奏技術を比較するのが目的となるので、Koncert会場での演奏とは全くgenreが違う。
Etudeは技術を磨くのが目的なのだから、だから、私が「Etudeは必要はない」と言っているのは、本来のEtudeには音楽的な表現が希薄である・・という事、それが理由なのだからね。
そもそもbaroque時代にはEtudeというgenreの曲は無かった。ritornelloのsoloの部分がfigurationで、完全なEtude様式で作曲されていたからなのだよ。
私としては少子化やコロナの所為にはしたくはないのだけど、教室の生徒不足のために、後期の発表会の「曲決め」では、本来ならばcurriculum通りの曲に進むべきなのだが、orchestraのmember不足や、技術不足のために、curriculum通りの選曲が出来なくなってしまった。
という事なので、今回も、私としては、一人一人の生徒の学習目的に合った曲として決めた曲が、orchestraのmember不足や、技術不足によって、演奏する事が出来なくて、結局、timelimitになってしまって、先生達に一任する事になってしまった。


『recorder-concertoについて』
・・という事で、本来、私ならば選ばなかった・・という曲も多いのだが、今回の「曲決め」の中でも特に驚いたのは、Vivaldiのrecorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのⅠ楽章であろうか??

recorder-concertoを発表会で演奏するのは、教室が始まって50年間の歴史の中で、『初めて』の選曲となる。
recorderの名曲はSonateや室内楽、concerto等、数多いのだけど、その演奏上の難しさから、教室のrepertoryとして上がった事はかって一度も無い。

recorderという楽器は、日本の教育界では、簡易楽器の延長として導入されて来たので、Europaのtraditionalなrecorderの曲とは、全くの別楽器として、隔絶したものがある。

日本のrecorderを指導している教育者達が、若しも、Europaのtraditionalなrecorderの名曲、例えばHandelのrecorder-Sonateや、TelemannやVivaldiのrecorder-concertoを聴いたら、なんと思うのだろうか??
多分、「これはrecorderでは無い。recorderという名の別の楽器だ!!」と言うかも知れないよね??

Vivaldiのrecorder-concertoで、私が「一押し」をするのならば、同じOp.10の曲集の中から、超、有名な、Nr.3 の「五色ひわ」を選曲しただろう??
しかし、超、難しいので、今回の選曲からは、外れたようだ。

但し、いずれの作品も、文部省が簡易楽器として導入した縦笛としてのrecorderではなく、ちゃんとしたEuropaのtraditionalな楽器としてのrecorderなので、その演奏のtechnikはとてつもなく難しい。

それはそうと、牧野先生に頼まれて、recorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのCembaloのpartを作る過程で、問題箇所をscoreに入力しながら、「これは非常に不完全なscoreである」という事に気がついてしまった。

Vivaldi時代(around1700年代)の作品では、完全にscoreやpart譜が残っている事は稀であって、教会に残っている反故の資料の中から、復元したものが大半なのだ。
Pageの紛失は当然の事、汚れて読めなくなっている箇所も数多く見受けられるのだ。
特にbaroque時代のviolaは、未だorchestraの中の楽器としては認められていない時代なので、violaのpart譜が完全な形で残っている事は少ない。(violaの奏者が少なかったので、violaのpartが作られていない場合も多かったからなのだ。)

HoffmeisterやStamitzのような優れたviolaのconcertoを作曲した人達でさえ、orchestraのviolaのpartは、取って付けたようにしか作曲しないのが普通なのだよ。
但し、Vivaldiの場合には、彼の愛弟子が名viola奏者であったと伝えられている。(これは伝聞です。)
だから、この曲もbasso continuoのpartが五色ひわと同様に、violaがcontinuoを演奏するようになっている。
音域のbalance的にもcontinuoがCelloよりもviolaの方が良かったのだとVivaldiが考えたのだと、思う。

教会や宮廷の中で、奇跡的に現代まで残って来た少ないpart譜やscore等の資料の中から欠落した部分を「多分、ここはこう書いてあったのだろう」と推定して作られたscoreが多いので、当然、絶対にVivaldiならばするはずの無い、実に素人っぽい間違いも多く見受けられる。
Vivaldi本人ならば、絶対に書かなかっただろうというpassageが随所に見受けられるのだが、ひょっとしたら、score作成時には、Vivaldiの愛弟子に作曲の手解きをしたのかも知れない。
Vivaldiの作品番号は、その時代のVivaldiの生徒達の力量を配慮して書かれたものが、多いからなのだよ。

まあ、余りにも素人っぽい部分は、訂正を加えておいたがね??
それを含めて、一般的には『校訂』と呼ぶのだよ。
scoreのTitleの下に、小さく書いてある奴だよ。
但し、その校訂者達も、100年以上も前の人達なので、periodに対しての考え方が現代とは違っていて、感情的に「多分baroque時代はこうだったのだろう?」と言ったような、baroqueに対しての感情的な、感覚的な、現実性の無い、役に立たない校訂の場合も多いのだよ??

こんにちでは、楽器が復刻され、当時の奏法等も分かって来て、かなり正確に当時の音楽を再現出来るのだが、それは、この10年2010年以降になってからの話なのだよ。
つまり、昔(2000年以前)のbaroque音楽の研究は、非常に感覚的なものなので、現代の時代考証にはあっていないのだよ。
だから、こういったbaroqueの曲は自分で責任を持って校訂する他は無いのだよ。

一頃は、「baroque音楽とはこういうものだ!」との思い込みから、eccentricな、速い乱暴なだけの音楽が1990年代から2000年代まで、baroque音楽として流行してしまった。
しかし、2010年以降は、流石に、そういったeccentricな演奏は形を潜めて来て、本来のbaroqueの姿を取り戻しつつあるのだよ。
まあ、そういったinterpretationが出来るようになって、初めて、一流の演奏家と呼ぶ事が出来るのだけどね??

Europaではそれは普通なのだけど、日本ではそれが出来る人はいるのかね??アハッ!
所詮は外国の音楽なのだからね??
まあ、致し方は無いのかな??アハッ!