日本ではscaleを勉強しないと基礎が育たないように言われています。
Pianoや弦楽器の場合には、色々と状況が変わると思うのですが、いずれにしても、一派一絡げで『scaleを勉強しないと・・・』と言われて困ってしまいます。

scaleの勉強を指導していない教室は、趣味の教室のように、言われて、先生も大した先生ではないように言われてしまいます。
逆の言い方をすると、scaleやエチュードをきちんと勉強させる先生は、音大型の基礎教育に熱心な偉い先生のように一般的に言われます。
だから、二言目には「scaleをちゃんと練習しなさい!」とか「エチュードをもっとしっかり!」とか言う先生が多いんだよね。

そういう批判をしている先生達やアマチュアの音楽家達の殆どが、塾教育と同じように、エチュードを練習してscaleを真面目に練習すれば、プロとして通用するようになると思い込んでいます。

公文式で幾ら計算が早くなったとしても、それで数学者に成れる分けではないのはどんな、幼い子供(idiot)にでも分かりきった事です。

大体、大学の入試で計算が合っている必要はないし、電卓持ち込み可だし、辞書だって持ち込んでいい。回答の手順が合っていればそれでいいのだよ。
幾らエチュードを勉強しても音楽の演奏が上手になる分けではないし、scaleを練習したからと言って、音程が良くなる分けではないのですよ。
そんな事を言う先生がいるとしたら、よほど音楽の事を知らない先生で、真面目に練習さえすればプロに成れるという妄想を抱いている先生ですね。

ふん、ふん、「莫妄想」ですな!

日本では、scaleに対しての信仰と同じように、同じくらいにEtudeに対しての信仰もあるのですが、scaleとEtudeに対しての、考え方や効能は少し違うので、lessonでは同じ括りになっていたとしても、同じにように、論じる事は出来ません。
ですから、ここでは、scaleについてのみでお話する事にします。

という事で、scaleのお話ですが、日本では上手になるには、しっかりとscaleを勉強すればよいと考えるようですが、Scaleを幾ら練習したところで、プロに成れる分けはないのですよ。
寧ろ、ヨーロッパの大学で入学試験にscaleのある所は珍しい。

私のホームページの「プロを目指すには」の論文に、「プロになりたいのなら、プロの考え方と生活をすればよいだけだ。」という一節があります。

同様に、私の箴言集「ヨージーの法則」でも、「人と同じ事をするのなら、人と同じにしかなれない。」という一節を書いています。
実際に音楽大学を目指し、コンクールに入賞して、海外に留学して帰ってきて、それでプロになれた人は、殆ど皆無です。

それは当たり前でしょう??

それは自分の技術を上げるための勉強であり、その目指す目標の先に、心の表現はありません。
心の表現がなければ、その先に、音楽を愛するクライアントはいないのですから・・・。
音楽を勉強する人の技術がいくら優れていても、幾ら上手でも、クライアントを感動させる事が出来なければ、その人をプロと呼ぶ事は出来ません。
何故なら、プロかアマかを決めるのは、音楽教育界の人達ではなく、一般のオーディエンスだからなのですよ。
そんな簡単な当たり前の事も分からないで、「私は努力した、頑張った!」と言われてもね〜ぇ??
それを、「よくやった!頑張った!」と言ってくれるのは、肉親か、一緒に勉強しているお友達か、あなたを指導した先生しかいないのですよ。

音楽大学の学生達に、超、当たり前の質問をするとします。「あなたは音楽(・・・勉強しているクラシックのお話ですよ。)が好きですか?」答えは、信じられないことかもしれませんが、殆どの人達が「いや、私は音楽は嫌いです。」という答えが返って来るのですよ。
いや〜、不思議だ!!

子供の時から、親に強制されて、辛い辛い練習に耐えて、やっと音楽大学に入学して来たのですから、音楽界をよく知っている私達にとっては、当たりまえ過ぎる程、当たり前の答えなのですがね。

そういった人達は、音楽を芸術や心としては理解していません。
音楽に対してのsymbthyがないのです。
音楽は自分の苦行に対しての責め具にしか、過ぎないのです。
一般の人達が「音楽は楽しい!」何ていう事を言うと、「それは音楽を極めようとしたことがないから・・」
「所詮、音楽を趣味として捉えているのだから・・」という感想しか返って来ません。

そういった考え方の上でのscaleの勉強なのですよ。

音楽大学の先生達もよく演奏会をします。
しかし、聞きに来る聴衆は自分の生徒とその友人達の集団です。(所謂、音大生という人種かな??)そういった人達が、自分の先生の事を悪く言う分けはないでしょう??
音楽大学の先生がもし、プロと自分の事を呼ぶのなら、一般のオーディエンスのリピートを掛けないとね。それに異論がある人はいないと思いますがね。ハッ、ハッ、ハッ!

所で、私が弦楽器を勉強する生徒に対して、あまりscaleの勉強を要求しないのは、そういった漠然とした理由ではなく、scaleの弊害という確固とした理由があるからです。

まずは、自分でpitchを作らなければならない楽器である弦楽器の中の、ヴァイオリンのお話をしましょう。
***さんがチャイコフスキーコンクールに入賞して、憧れのヴァイオリニストの前で演奏することが出来た時に、そのヴァイオリニストから、「あなたは音程が悪い!」と注意されてしまいます。
その時に、そのヴァイオリニストの***さんが言っていた言葉に「私は子供の時からあれだけ必死になってscaleを勉強して来たのに、あこがれのヴァイオリニストの**さんに『あなたは音程がなっていない!』と怒られてしまった。」・・・という事で、***さんは、ジュリアードで基礎から勉強をやり直しをする事にしました。
自分の憧れの人に、批判されたのに、そこでめげずに、基礎をやり直すというのは、やはり***さんは、とても凄い人だと思います。
チャイコのコンクール迄、登り詰めたら、プライドが邪魔をして、中々基礎に戻るのは難しい。

今のお話は弦楽器の人の例ですが、勿論、作音楽器であるピアノという楽器を演奏する、ピアニストにも同様のお話は幾らでもあります。
日本の音楽界を席巻するピアニストの**さんも、日本の間違えた悪いtouchに悩まされて、ジュリアードで基礎から勉強し直すのですが、子供の時から身に付いた癖は(と、いうか、そういう風に習って身に付けた演奏スタイルですが)、とうとう、その癖を取る事が出来ずに、NHKのピアノのお稽古でも、「私の弾き方はマネしないでね!」と断りながら、子供達や生徒達に指導していました。
日本の常識は世界の非常識という言葉がありますが、日本の音楽の教育界というのは、本当に面白い。

音楽大学を目指すヴァイオリンやチェロの生徒達は毎日、涙を流しながら辛い辛いscaleの練習をする。
Pianoの音に合わせながら、丁寧に正確無比に・・・である。

真面目に一生懸命にscaleを勉強してきた超一級の***さんクラスの人ですら、何故、「音程がなっていない!」と注意されてしまって、基本からやり直さなければならなかったのか、という事は日本の音楽教育の抱える根本的な間違いがあるからです。

 

ここで、手前味噌な「芦塚メトード」を引き合いに出さなくても、音楽の教育関係者ではなく、いやしくも音楽の演奏家としてのプロと名乗る者はscale偏重の間違いを誰でも知っているし、指摘することが出来ます。

それは実に簡単な理由で、芦塚音楽研究所では小学生の低学年でも知っている基本的な基礎知識です。

つまり、ト長調のファ#の音とニ長調のファ#の音、或いはホ長調のファ#の音は全く違ったpitchになるという事なのだよ。
しかも、学校関係のホールでは、Aのpitchは440サイクルなのに、ホールの演奏会高度は442から443サイクルが標準なのだよ。それによって、当然、F#の高さも変化する。

つまり、Pianoの平均律のファ#の音に合わせてpitchを練習をするという事など、絶対にあり得ないのだよ。

あるとすれば、よっぽど、音感がない先生か、もっとそれ以前の音楽というものを全く知らない先生という事になる。
正しいファ#は、その調の第何音かで、そのpitchが決まります。でも、そのpitchというのは、絶対的なpitchを指しているのではないのだよ!!
だって、その日の演奏会の演奏高度によって、Aの高さが決まるので、pitchは一定ではないからですよ。教育会館のように文部省の管轄下にある所は、原則としてAは440サイクルです。でも、一般的な演奏会高度はA=442から444サイクルまでが一般的です。ちなみに、芦塚音楽研究所のPianoと生徒さん達のPianoは443サイクルで調律されています。ですから、教室の生徒達の絶対音感のpitchは443サイクルです。
教室で演奏しているFiori musicali baroque ensembleの標準ピッチは勿論、バロックピッチですから、435サイクルから417サイクルまでの幾つかです。(ホームページbaroquepitchについて参照)
基準が変われば、ファ#の音も当然変わります。で、正確なpitchがないという事は分かって貰えたかな??
つまり、大切な事は、如何に正確にpitchを狂わせるかという技術が音程を正しく取る、という技術なのですよ。
それはピアノの調律も同じです。デジタル的に正確に数字で平均律を調律しても、それは優秀な調律師のpitchとは全く違うのですからね。だから、今でも調律師という職業がまかり通るし、調律師の人で(Aのpitchを除いたら)、チューナーで調律している人はいないと思いますよ。

一般的には、平均律で演奏していると思われているオーケストラは、勿論、色々なpitchを持つ楽器の集合体である。

当然、tuningのA(ラ)の音ですら、B管のクラリネットのAの音とF管のホルン、A管の**と全部微妙に異なる。

しかし、それでも、だからと言っても、Pianoの平均律のAの音にはならないのだよ。

つまり、演奏するオーケストラの曲の調性の音階のpitchに支配され、微妙に調整されて演奏されるからなのだよ。

しかもオーケストラ伴奏でsoloをする楽器にはsolopitchと呼ばれるpitchの取り方がある。

また、その平均律の権化であるピアノという楽器ですら、下のoctaveは狭く、上のoctaveは広く音程を微調整しなければならないという原則がある。だから調律師が2台のPianoを調律する時には、2台をそれぞれ調律するわけではなく、1台のPianoを調律したら、そのpitchを2台目に移していくという作業をする。つまり、同じようには調律は出来ないのだよ。
当然、二人の調律師がいたら、そのF#の音は全く違ってくるのだよ。それが音楽の常識なのだよ。だから、一流の演奏家は、「私は**さんの調律でないと・・」という話が出てくる。
調律師で、器械でpitchを合わせる調律師は私はお目にかかった事はないのだがね。(勿論、Aの基本のpitchは器械で合わせたり、音叉を使ったりするのは当然だとしてもね。

先程の、octaveを合わせる話の続きだが、言い忘れていたので、追記しておくと、
ピアノのoctaveは高くなるにつれて、実際のoctaveよりも広くなると言ったが、それに対して物理的な倍音は逆になる。つまり、上のoctaveになればなるほど逆に狭くなっていくのだ。

しかし、人間の耳はそれではどうしようもなく低く感じてしまう。

それを補正して演奏するのがプロの技なのである。

そういった事を知った上で、scaleを指導している先生がいるのであろうか?

あハッ、ハッ、ハッ!

 

Scaleを学ぶという事は、ピアノの場合には、scaleは基本の指使いを勉強する上で、とても有益である。

しかし、弦楽器の場合には、デメリットは幾らでも挙げられるが、scaleを勉強する事によって得れるメリットは大してない。

勿論、早くpassageを弾くという意味ではメリットはあるのかもしれないが、scaleから音程や音階を学ぶ事は(上記の理由から)不可能である。幾ら早くpassageが弾けたからと言って間違えた音程では意味がない。
日本人の弦楽器演奏者が世界の音楽家から、音程が悪いと言われる所以である。

 

ps:私も、音楽大学進学を希望する生徒に対しては、scaleやエチュードを普通に指導しています。
それは音楽大学ではscaleやエチュードの勉強が不可欠とされているからです。
音楽大学を目指す生徒には、こういったお話は敢えてしません。
必要がないのに練習しなければならないという事は耐えられない事だろうからね。

 

最初におことわりしたように、この文章はscaleについてだけのお話です。
しかも、pitchについてのみの記述になっていますので、scaleで学んでいるtouchの誤りについては、未だ書いていません。

エチュードについては、ホームページの別の論文に書いていますので、そちらを参考にしてください。