職業に対する考え方

[日本の大学]

日本の大学は多分教養の一環と言うことなのだろうか、ネコも杓子も受験をする。

高校でも、義務教育ではないのに、ましてや大学に受験して入学するという事にどういった意味があるのだろうか?

私がまだ若い頃から、「女子大生亡国論」とか、「でも・・・しか・・・大学」とか言われて、大学の権威の無さが、世間の口に上る事が多かったのだが、何一つ改善される事のないままに、現在に至っている。

しかし、そういった「でも・・しか・・、大学」的な大学のあり様は、日本独自のものであり、決して世界の感覚ではない。
所謂、globalstandardではないのだ。

大学と言うものは、言うまでもなく本来は、専門教育が行われるべき学府であり、研究者や大学教授になって後進の指導をする者だけが行くべきエリートの集まる所と言うのが世界の通念である。

日本の大学は大学自体が企業化していて、「学生を育てる」と言うことよりも、「如何に儲けるか」と言う営業にだけ始終している。
だから今の日本では大学を卒業した所で、勉学のエリートでも、専門家でもないのである。

教育本来の事を考えるのなら、私立の大学や短期大学などは即刻廃止すべきなのである。

ただの父兄の自己満足と、会社に就職するためや結婚の肩書きのためだけに受験勉強をして、青春を犠牲にする事は、世界の感覚から言えば理解できないlacherlichな事であって、当然正気の沙汰とは思えない。

 

[ヨーロッパの教育のあり方]

ヨーロッパの教育は根本的に違う。

大学に進学する人は、あくまで研究者であって、一生を研究のためにささげる人である。ヨーロッパの子供達は、小学校の4年生から自分の進路(将来どういった職業に就くか)」を決定しなければならない。

子供達は、小学校の4年生になると自分が大人になって従事する職業を決める。そこで、ギムナジウムに進学するか、ハンデルシューレ(職業学校)に進むかを決める。一旦、決めてしまって学校に行くと、後戻りは出来ない。

全く勉強する内容が違うからだ。

だからヨーロッパの職人は、靴屋であろうと理髪師であろうと、プライドが全く違う。
自称靴屋の国の日本と、ちゃんと国家資格を取って、正式に靴屋と認められた靴屋のプライドの違いである。

国家資格と専門的な勉強を続けて、それから更に、親方の元で修行を重ねて来たからだ。

これは、音楽のピアニストでも同じである。ドイツでは、ピアニストは国家資格に合格しないと、自分でpianistと呼ぶ事は許されないのだよ。自称pianistの国の日本とは、そこが先ず違う。

 

[マイスター]

ワーグナーの「ニュールンベルグのマイスター・ゼンガー」等で知られる「マイスター」を英語で言うと、マスターなのだが、まるでスナックのカウンターにいる親父みたいで、なんともはや安っぽい。
それが、アメリカとヨーロッパのマイスターに対する意識の差であるといえよう。

所謂、ヨーロッパで言うところのマイスターとは、(本格的に調べるのなら、ヨーロッパのギルドの歴史から勉強してください。)若い学生が、ヨーロッパ中の親方(マイスター)の所に弟子入りをして、(その親方から合格のライセンスを貰ったら、次の親方の元に言って弟子入りをして、そして又合格のライセンスを貰って・・、とヨーロッパ中の親方を訪ね歩いて、認めてもらって、そしてその沢山の親方が認めることで、初めてマイスターの称号を貰えると言うとても大変な厳しい職人のシステムなのだ。)

でも、称号なら、どうしてそんなに皆頑張って、大変な思いをして、努力をしてマイスターをとったのでしょうね?

それは、マイスターの資格がないと、独立して店を構える事が出来なかったからなのですよ。
マイスターの資格がないと、誰かのお店で働くだけになってしまいます。

だから皆、独立するために、必死に修業の旅をしたのです。

 

と言うわけで、シューベルトの「水車小屋の娘」と言うのは、粉屋になるために、粉屋のマイスター(親方)の所に弟子入りした若者が、親方の娘に故意をすると言う話だし、ワーグナーのニューベルングのマイスタージンガーは歌のマイスターの話だし、ゲーテのウィルヘルム・マイスターの修行時代とか(ミニヨンの話が出てきます。所謂、「君知るや、南の国」は有名だよね。)

今誰でも知っている「チョウチョ、チョウチョ・・」の歌は、本来は「Hanschen klein・・・」(小さなハンスちゃんは一人で世界に旅立って生きました。お母さんは激しく泣いています。だって、たった一人のハンスちゃんだから!と言う歌詞なのですよ。つまり、「マイスターの資格を取るために、まだ幼いハンスちゃんが一人で親方の下に旅立って行った。」と言う、ドイツ版「おしん」の、親心を歌ったとても寂しくって悲しい歌なのですよ。)

 

[留学をすると言うこと]

この話はここでする話ではないのかもしれないが、一応マイスターとして、技術を習得すると言う意味に限ってのお話として、ここで話をすることにする。

別に音楽に限った話ではないのだが、技術を要する職業というものは、学校で学べるのもでは無い。
医学であろうと、大工であろうと、小学校の先生であろうと、それこそピアノの先生であろうと、社会から信用されるだけの技術を身につけるには、学校で学んだだけでは、卵にもなっていないのだ。

自分の身につまされなければ、親方日の丸でも十分なのだが、(自分が癌で死ぬンでなければ、有名大学の先生に見てもらえれば、それで責務は果たした事になる。)

しかし、それが自分の事となると、どうだろうかね?

先生に「あと余命が、一年だ!」とか言われて、有名大学の先生が言うことだから仕方がないと諦めてしまうのかな?

(ボクなんか、毎回診察で、大学病院に行くたびに、同じ事を言われているよ。「あなたは余命あと*年だ!」とね。)

本当に、必要になったら、大学ではなく、その先生でしょう?

ボクの寿命を延命してくれるのは、高野台の大学ではなく、個人の先生だと思うよ。

それでも大学の先生がいいと言うのは、切実ではなく、他人事だからなのだよ。

聞いてごらん?「その大学で誰に見てもらえばいいの?」ってね。

 

一般的には音大生なども、海外に留学するとき、どこの国に留学をするかところで選択をする。
しかし、大学や国が音楽家を育成するのでは無い。

だから、本当に音楽家になりたいのなら、留学するのではなく、「だれだれ先生に師事したい。」と言うはずなのだよ。

大切なことは、あくまで「どの先生に師事をしたいか?」ということでなければならない。

学校で学んだだけで、プロなれると思っている人がいるとすれば、それはとんでもない間違いである。

学校は単に教養を教えてくれるに過ぎない。幾ら、知識を持ったとしても、それは教養であって、プロとは呼ばない。

 

[ドイツの学校教育]

ドイツの小学校では基本の教科は全部午前中に終わります。

一見早いように思えますが、宿題が沢山出ていてそれを自宅で全部こなさなければなりませんので、私のお世話になっていたReichweinさんの所の男の子も、学校から帰ると、食堂で夕方近くまで毎日必死に宿題をしていました。

(勿論、私が居た町には塾なんかはありませんしね。)パパがいるときや、ママが暇な時には、弟の宿題を手伝っていたものです。

さすがに小学校5,6年にもなると、お父さんやお母さんにとっても、宿題は結構難しいので、苦労していましたが。

放課後は、子供達は自分の好きな事が学べます。

テニスや民族楽器(ドイツでは、チターやバスバーを持ったギターなどがあります。ヨーデル教室もあります。勿論、ピアノやヴァイオリンなども小学校で学べるのです。)

そういった、スポーツや絵画、音楽の先生は、巡回教師といってその資格を持った専門の先生が各町の小学校を回ってきます。

子供達は自分の好きな教科を選んで、その先生が回って来る日の、約束の時間に学校に行けば専門的に教えてもらえるのです。

折角、専門の音楽大学を卒業した学生が小学校の先生になれないという日本の小学校の教育とは大違いですよね。

それで本当に音楽に興味が出て、プロの道に進みたければ、そのときにもっと専門的に、プロについて習えば良いのです。

しかし、ドイツではプロの演奏家は音楽大学では指導することが出来ません。

それは二つの職にまたがる事になるからである。

日本でも、本当の本当には国立の大学の先生は、自宅で生徒をとって指導することは出来ないし、ましてや受験生や子供等を自宅でホームレッスンをすることは出来ないのです。

「私は芸大の先生に習っています。」という人がいたら、それは間違いか、その先生が法律を犯している事になります。

当たり前の話で、国家公務員法に違反するからであって、罪は重たいのです。
国に対しての犯罪なので結構重罪でもあります。

例えば、日本では音大を出ただけで、(自称)ピアニストと言っている人も多いが、ドイツではピアニストを名乗るには国家試験に合格しなければならない。

大変難しい試験で、まだ日本人の留学生で合格した人はいない。

今現在、日本の音楽学の一番の権威と謳われている、その道では有名な人が私に語ってくれた事だが、昔、ドイツで20年近く、ミュンヒェンのユニバスティー(国立大学)に在籍して、音楽学の資格を得るために、頑張ったのだが、とうとう最後まで試験に合格する事は出来なかった。と言う話である。

日本の最高学府の最高の教授ですら、その国家試験に合格することが出来なかった・・・というか、入学する事すら出来なかったのである。(それは本人の勉強不足のせいでは無いと、断言できる。あくまで教育制度による、基礎力の不足なのだ。)

ドイツでは、靴屋になるのも、肉屋になるのも全部国家試験である。

(日本でも、テレビなどで超有名な美容師が、無資格で美容師をやっていたと言うことがばれて、大変にマスコミを賑あわせていたことがあった。)

 

バロック時代、まだBachが生きていた時代は、音楽家の地位は非常に低く見られていて、王宮で働く執事達やウエイトレス達と同じ扱いを受けていた。

BeethovenやMozartはそういった貴族階級の横暴と戦ってきた。

それが音楽の中に強く表現されている。
Mozartのフィガロや魔笛もそういった貴族に対しての批判に溢れている。

当時もハイドンはその非常に優れた人格から、貴族の間からも尊敬されて、とても大切にされた。(オーストリアに進行したナポレオンがハイドンに恭順の意思を伝えるために、ハイドンの屋敷をフランス軍に警護させたのは有名な話である。もっとも、ハイドンは、それに対して、「ありがた迷惑」と言う態度を露骨に示していたが。)

そういった先人達の努力によって、ロマン派の時代ぐらいになると音楽家の地位はヨーロッパ社会では、とても高く評価されるようになって、気位の高いリストなどは皇女と恋をしてヨーロッパやバチカンを震撼させるし、Beethovenなども市長が送り迎えをするほど地位的に尊敬されるようになった。

今でも、ドイツでは音楽家は町の村長さんやお医者さん、神父さんと同等に尊敬されているのである。

日本では私が音楽に進むといった時に、祖母は「お前は川原乞食になりたいのか。」と怒っていた。

私が「どうしても、音楽の方に進みたい。」といった時に、真っ先にそれを許してくれたのも、祖母であるが、私が川原乞食になるという事を、私が学者になると思い換えて、感情の整合を取ったようである。

だから、私が日本に帰ってきて、大学に就職したときには、ことのほか喜んでくれた。
「どうにか、川原乞食にはならなかった。」と言うことでね。

 

嫌な事や嫌いな事をして、リッチな人生を送る事と(この場合のリッチと言うのは「豊かな」と言う意味では無い。「豊か」と言う言葉の意味の内には、「精神的な」、或いは「社会的な」、と言う意味も含まれるからだ。つまり、私が言った「リッチ」という言葉は、あくまで「金銭的な意味に於いて・・」、と言う意味なのだよ。)

本当に貧しい生活をしながらでも、本当にしたい事をして人生を送るのと、金のために、嫌々ながら仕事をするのは、どちらが幸せなのだろうかね。

しかも、その仕事を選択したから・・と言って貧しくなると言う事は、単なる思い込みにしか過ぎない。

本当はそれで、貧しくなるなんて事は、ありえない事なのだよ。

何故なら、手に職は、常にその人に生業(なりわい)をもたらすからなのだ。

 

現実的に一般の人達から安定的な職業と思われている、大手の会社や国家公務員が既に安定的な職業でなくなっていると言う事は、既に明らかになってから久しい。

年金の話にしても然りである。

しかし、テレビなどのニュースで、大手の企業が人員の削減、解雇を毎日のように繰り返しても、或いは企業自体が潰れていっても、安定志向の人にはそれがどこか自分達とは無関係のよその国の話になってしまっている。

「寄らば大樹・・」に変わる他の安定的なものが見出せないから、しがみついているだけだからだ。沈没船にしがみ付いているネズミのようなものだろうか。

本当に自分の足もとに水が押し寄せてくるまで、それを認めようとはしない。(もっとひどい人は水の中で溺れながらでも、その事実を認めようとはしない。

自分が死ぬ事よりも、不安定な方が怖いのだ。)

安定志向の方がよっぽど不安定なのだと言う事を、人々は認めたくないのである。

それよりも自分の考え方や体質を変える事の方が、よっぽど不安なのだ。

それは情緒的なものであり、情緒的なものは理屈で説伏する事は出来ない。

と言う事で、幾ら経っても日本人の体質は変わらない。

極々一部の頭の柔らかい人達だけが変わるだけである。

2008年11月1日   

江古田ハイツにて   

一 静 庵 寂 欝 拝