事前の対処

市販の薬の場合、飲むタイミングというものがある。風邪をひいたかなと思って薬をのむのでは、もう既に遅い。このままだと風邪をひくだろうという段階で風邪薬を飲むと風邪をひかないですむ、悪くしたとしても軽くてすむ。確かに風邪をひいたかな?というタイミングで飲んだとしたら、ある程度風邪の症状を軽く済ませることはできるかもしれない。しかしながらいったん熱が出てしまって風邪薬を飲むのなら、もう市販の薬はやめたほうがよい。気休めにしか過ぎないからだ。ちゃんと病院に行って薬を処方してもらうべきである。薬の強さや効き具合がぜんぜん違う。(勿論、医者の相性みたいなものはある。例えば同じ香港A型の風邪が流行っていたとしても医者それぞれで薬の処方は違うからだ。)

 

対処療法と治療の違い

しかし、医者の側から見たら、現実はそんなに甘い話ではない。例えば患者は、「頭が痛いから頭痛の薬をくれ。」という。しかし、よく検査したら原因は虫歯だったとする。「頭痛の原因は虫歯だから。」といっても、たいていの患者は聞きもせず頭痛の薬を求めてくる。仕方なしに、痛み止めを与えると「もう治った。」と云って、幾らきちんと虫歯を治療するように諭しても、聞きはしない。治そうとしない。「歯は痛くはないのだから。」とけんもほろろである。

 

これは頭痛の話で、一体何のことか?と思われるかもしれないが、言いたいことは音楽のレッスンがうまくいかないのも会社がつぶれるのも、この「対処と治療の違い」が分かっていないことに原因がある。つぶれそうな会社は、「設備投資にお金をかけることができない。」といって、当面の間の経営をきりぬけることだけに必死になる。無名の作家が本を出版しようと出版社に売り込みにいけば「有名になりなさい。そうしたらたくさん本を出版してあげましょう。」といわれる。「出版してくれれば有名になれるのに・・・・!」と作家は思う。それを、堂々巡り、という。

いろいろな分野の先生から相談を受けることがあるが(音楽の先生や学校の先生、会社の経営者などなど)、殆どの場合「今どうやって切り抜ければよいか」ということばかりを聞きたがる。しかし教育とはその場をただ乗り切っていけばいいというものではなく、しっかりと頭痛の原因である虫歯を治療しなければならないのである。きちんとした治療をするにはそれなりの勉強や教材研究などの「投資」が必要であるし、薬を処方するにも病気になってからでは遅く、生徒がなんらかのヘルプサインを示したそのときに対処しなければ薬は利かないのである。わたしの場合はレッスンでこれから起こるであろう生徒の問題は、担当の先生から話を聞くだけで予想がつき、今どのように治療すればよいかも的確にアドバイスできる(している)が、問題は、その先生が、実際に生徒が「教室を止めたい」と言いだすまで、問題としてとらえずに、(或いは、気づきもしないで)治療どころか何の対処もしないということである。問題が起こってからでは風邪薬は効かないのですよ!!

 

生徒が教室を止めた理由の把握

先生にとって一番ショックなのは生徒が教室をやめるという事であろう。理由はそれぞれ色々あるかもしれない。しかし、生徒が教室を止めた本当の理由を先生が知ることは殆んど無い。

「そんなことは無い。私なりにちゃんと話を本人や親から聞いているよ。」と言われる先生はかなり熱心な先生といえるだろう。しかし、社会の大人としてはどうかな?社会人としての大人の付き合いの中では、本当の理由を相手に伝える事はまず無いからだ。親がもし子供を止めさせた(或いは、子供が教室を止めた)本当の理由を先生に直接言った場合には、大喧嘩になってしまうからだ。引越しなどの止むを得ない理由であることは本当は少ない。女の人が会社を辞める理由の一番は寿退社だそうだが、本当に寿でやめる人は少ないのも事実だ。(特に学校の先生の場合は。)会社などでは本当の理由を知ることが体質の改善に結びつく。間違えた情報では正しい改善は出来ない。

その為に本当の理由を知るために周りの人に聞いたりするのだが、これも同じ理由で直接的には言わない。逆に外の教室の生徒が私達の教室に逃げてきたような場合には、それこそ堰を切ったように相手の教室での色々な理由(トラブル・悪口)が飛び出してくる。そういったとき親は(生徒も)本音を話しているのだから、「人の振り見て私が振り直せ」の諺通りに、自分達が同じ間違いを犯していないかをよくよく見なければならない。

親や生徒がレッスンについてどう思っているのか、うまくいってるのか、或いは、レッスンを負担に感じているのかを、自分で予兆を発見できないようなら、レッスンの報告を密にするとかレッスンのビデオを撮って自分で観察したり、先輩のアドバイスをもらって勉強すべきである。そうすれば本当にどういうところに気をつければ子供のレッスンをはずさないで上手くやっていけるかが自然に分かるようになる。

私達の教室では他の先生から常にアドバイスをもらえるし(勿論本人が望めばだが)、他の先生のレッスンを見学する事も出来るし、本人や家族が希望するならインストラクターとしての教育を中学生、高校生から学ぶ事が出来る。しかし一般の教室では何人かの先生がいても、親の先生にたいする希望などを自分に伝えることは、裁量権の事で、しない方がエチケットとなるのだ。

 

陰口について

教室の父兄に関しては、親同士の陰口を先生に報告できるくらいの信頼関係を築くことが大切。しかしこれは両刃の件となる。意識して気をつけなければいけないことは、必ず反対の側からの意見も聞こうとする姿勢が大切である。偏った意見は物事の本質を見失しなわせる原因ともなる。両サイドからバランスよく意見を聞く姿勢が大切であるのは言うまでも無い。また、意見は意見にしか過ぎないのだから、周りの意見によって教室本来の理念や目的を見失わない事が肝心である。

普通、親は、陰口を先生に報告しないのが礼儀だと思ってしまうことが多い。それは一般の社会常識であるからいかんともしがたいことである。

 

子供からの内緒の話

しかし、同様に生徒から「他の先生に内緒よ。」といわれて相談を受けた先生が、くそ真面目に本当にその子の担当の先生に内緒にしていて、その結果その生徒が不始末を起こしてしまい、父兄から担当の先生に対して厳しい批判があって、初めてその先生に生徒が相談をしていたことが分かって、その相談を受けた先生が厳しく説諭されたことがある。(最悪の場合には首にもなる事案である。)

これは企業などで一番大切にされている裁量権にも払拭する話であるからだ。

相談されたと言う事は生徒から信頼があったのかもしれないし、相談しやすかったのかもしれない。(ヨージーの忠告の法則参照)   だからといってうぬぼれてしまい、自分の忠告が全てであるような(担当の先生はその生徒の問題だけでなく家庭の事情やその子の長期間の発育などを加味して判断をしている。)錯覚をおこしてしまった結果、半年後、一年後の長いスタンスで「事」が起こってくるのである。その時に何故相談の内容を担当の先生や上司に話さなかったのかと問い詰められた先生は「でも、私に相談されたのだから!子供の信頼にはこたえないと・・!」といった。しかし、子供を教室に任せているのは親である事を忘れてしまっているのだ。担当の先生や教室に対してお金を払っているのだ。つまりあなたがどんなに話しやすいタイプであったかとしても、金を貰っていない以上、相談に責任を持つ立場には無いのだ。「友達として・・。」

生徒が友達になりえるのかな?

生徒が20歳過ぎの大人ならば、担当の先生に話さなかったことに対して少しは同情する余地はある。「友達として・・・」の弁解もある程度は認められるかもしれない。しかし、ことが子供となると先生に対しての、同情の余地は無い。未成年の場合は、子供が引き起こす事件の責任の所在は全て親や担当の先生にあるからだ。