You TubeにuploadしているこのHennry purcellのtriosonate g mollの曲は、勉強している弟子達のために、一切、情緒的感情的な装飾やepisode等々を入れないで、演奏表現が必用な所にそのornamentの記号だけを付け加えて、arrangeしたものなのです。
のっぺら坊の裸の旋律が古式豊かなbaroqueの演奏に聴こえて来るので、不思議なものです。
つまり、それだけの知識を持つだけで充分なのですよ。

それはそうと、改めて、1年半ぶりに、You TubeにupしてあるHennry purcellの動画を見たのだが、パソコンの画面上の動画を、パソコンの操作だけで画面をつなぎ合わせて動画の編集ソフトで作ったのだが、編集ソフトが余りにもヘボくて、画面上の楽譜のPageが切り替わる毎に、動画の画面がブチッ!と切れて、間に緑のnoise画面が入って来て、非常に目障りで公開するには、余りにも良くない。

パソコンに入っているソフトを使用して、画面上だけで編集をしようとしたのが、良くなくて、結局、パソコンのソフト間のendlessの作業の「どつぼ」にはまってしまった‼

それだけなら、まだ良いとしても、finaleでtempoを設定する時に、何を焦り捲っていたのか、ゆっくりしたtempoの設定は良いのだが、早い部分のtempoの設定が焦りまくっていて、苛ついた情緒が丸出しだ❗
やはり、uploadされた動画を削除して、新たに同じ動画を作り直さなければならないのかも知れないが、simple is Best‼で、変なパソコンのソフトを使用しないで、単純にパソコンで再生しているfinaleの画面をそのままvideocameraで録画すれば、何も起こらなかったのだよ??

(気を取り直して、次の日の早朝、22日の朝早くにfinaleのtempoの設定の変更をしました。これで、パソコンの苛ついた演奏はなくなると思います。でも、この演奏を動画に反映させるには、元のURLが死んでしまうのよね。動画の差し替えは、基本的に出来ないのよネ。)

 You Tubeにuploadされている、このパソコンによる動画の映像は15年の5月27日と31日に二つuploadしました。但し、5月の27日の分の動画はYou Tubeの方は削除したので、Facebookでだけ、見る事が出来ます。その他に実は10月の発表会でも、このHennry purcellのchaconneを「baroqueの室内楽の部」として演奏しています、がその方が生の音なのですが、その演奏はuploadしていません。
 
この時の発表会でのこの曲の課題は、生徒達の「period奏法への初めての試み」であり、私のperiod奏法の生徒達への指導、lectureである。 

勿論、斉藤先生、牧野先生の先生達は、これまで何度もperiod instrumentsでの公開演奏をしているので、演奏上の点では、何の問題も無いのだが、生徒達にとっては、period奏法でbaroqueの楽器で演奏するのは、始めての経験なので、やはり相当難しい事なので、発表会での演奏に関しては、period奏法の技術が未だに未熟なので、公開するだけのNiveauに達していない‥・という事で、動画のuploadはしなかったのだが、改めて聴いて見ると、音が汚いのは寧ろ、反省会用の圧縮された音源のせいだと思われるので、正しい録音をこれから聴いて見て、音的に問題がなければ、パソコンの音源よりも、マシなので、動画を差し替えようかな?と思っている所です。(ここのコメントは16年の10月の22日のお話です。)

 日本の自称Cembalo奏者の人達には、そのornamentを付けたり、episodeを加えたりするための技術を持っている人はいません。つまり、音楽大学では、そういった高度な技術指導して貰ったり、学んだりする事は無いからです。音楽大学の先生達がその技術を持ち合わせていないからです。(美紀先生は、教室の演奏活動をしている時に、必然的にその技術を、私からうるさくlectureされているので、「ここの所は32分音符のepisodeを入れて・・!」とか言うだけで、そのように即興で演奏出来ますがね。)

つまり、ornamentを付けたり、即興をする事は、一般で言われているように、天与の才能は、必用ありません。ornamentの意味を知り、楽譜上で、その必用なornamentの種類や場所を理解出来れば良いだけなので、教室の中学生でも、その程度は出来るようになります。(勿論、ちゃんと、Cembaloのlessonを受ければ‥・という事が、最低の条件ではありますが・・。)
 
  ※)「以下の文章は10月29日に差し込みをした新しい文章です。」
 《・・・・「全く出版されていない!」・と思ったのは、私の勘違いでした。
10月20日のFacebookにuploadした後で、
「Vitaliのoriginal‐versionが出版されていない・・というのは絶対におかしい!」と思い直して、私が探している検索条件を変更して、探し直す事にして見ました。
つまり、以前、私が書いたように、「Vitaliのchaconneの手書き譜」は直筆とは思えないという私の仮定を正しいとした前提で考え直して見ると、もし、図書館にあるVitaliの原譜が、「写本」だったら、UrtextというTitleは使用出来ないし、originalというTitleも使用する事が出来ません。
 
それなら、
「出版社はどのように、楽譜を出版するのか?」・・という事に留意して、どのように探したら、periodの譜面を探す事が出来るのか??という事を考えました。 

 「伴奏のpart」を「伴奏」として書いてあるのは、間違いなくDavid版なので最初から省いて、Piano伴奏と書いてあるのも、勿論、David版です。

それならば、「violin e basso continuo」とか、「Realisation・・云々」と書いてある楽譜に限定して探して見ると良い‥・という事で、改めて探し直したら、あったのよね!!これが・・・!!
 それがRicordi版と、Bärenreiterのarchive版です。

 早速、その楽譜を取り寄せて、昨日(28日に)手に入った所です。
 ・・今日中には、checkを開始します。
 その版を、先に手に入れる事が出来たら、「Ashizuka‐version」は、作る必用がなかったのでは??・・と、先生に言われてしまったのですが、実は、そうでもないのよね??
 
 未だ、昨日の深夜に、ホンの一、二分だけ、楽譜をチョイ見せして貰ったばかりの段階なのですが、それでも、既に、Ricordi版もBärenreiter版も、帯襷なのよね!!

結構、間違いを修正出来ていないし、伴奏譜やviolinのmelodieも含めて、まだ水準(Niveau)には達してはいないのですよ。
そこに、Ashizuka-versionを作った意味があります。

二分の三拍子!
初めて見ました!
10月20日 6:37


キリスト教の世界観では、三位一体の三の数字が完全な調和を表す数なので、完全を表す円は、3拍子を意味します。
ですから、ヨーロッパの人達にとっては、3拍子の方が身近な拍子になります。二拍子は、「不完全な・・」とか、「欠けた」拍子である・と言って、円を欠かしてCのカタチにして4分の4拍子を表しました。更に、欠けたCに更に縦線を入れて、2分の2拍子を表したのですよ。 
Beethovenの英雄Symphonieとか、Mozartの魔笛の最初では、Es Dur(♭が3つ付く調性で、Cの音からから数えて3番目の音であるEsの和音)を、しかも3回鳴らして、天上世界や神の世界を表現します。

ですから、baroqueや古典の作曲家達に取っては(というよりもヨーロッパの民族に取っては)、基本の拍子は3拍子なのですよ。

日本の民族音楽の歴史の中では、3拍子は一つも登場しません。
日本民族が3拍子を感じるのが弱い所の由縁です。芦塚メトードで子供達を指導する時には、拍子感を身に付けるために、基本のdanceのstepを教えます。
(danceのstepであって、danceを教える分けでは無いのですよ。私はdanceは出来ないのでね?)

基本的に、2拍子のdanceは、マーチのように、直線運動で、所謂、3拍子の舞曲は回旋運動になります。

それはstepから来る原則なのです。1で軸足を取って、2,3と回転するのですよ。だから、ウィンナー・ワルツのように、stepが端折って聞こえるのです。PolonaiseやMazurkaのような、舞曲のrhythmを覚えると、とても楽しいですよ!!Pianoを演奏しているのに、自分が踊っているような気分になれますからね??  

以前、智子ちゃんにPolonaiseのrhythmを教えるのに、自治会館で、バレーダンサーがPolonaiseを踊る時にする「ジャンプをして空中で足を3,4回交差させる」のをやって見せたら、「え~ッ、踊れるんだ??」と、ビックリしていました。
でも、1回のstepだけで、もう青息吐息なのですがね??
balletで見ているので、stepだけは覚えているので、再現は出来ます。
1回だけならばね??
10月28日 21:09


楽器はモダンになってしまいますがオリジナル版弾いてみたいです。
10月20日 9:06


今私が作業しているCembalo譜のRealisationは、美紀さんがCembaloの即興で演奏が出来るので、私の「譜面お越し」は、一番単純な形の面白くも可笑しくも、何もない数学的で単純なRealisation譜で、和音が聞き取り易いようにorgelのpartで書いています。※)
baroque音楽では、皆と合わせる過程で、
「ああでもない!こうでもない!!」と、面白可笑しく作り上げて行くのですが、そのaboutさがなんとも、楽しいのですよ!!
そこの所はjazzのセッションと似ているかな?? 
同じ演奏は二度と出来ない!!
そんな感じの譜面で良かったら、出来上がったら譜面を差し上げますのでよ、是非、どこかで演奏してください。
You Tubeには皆無なので、面白いですよ!!
勿論、楽器はmodernでも、CembaloではなくPianoでも良いと思いますよ。
10月21日 15:45

※)・・・と思っていたのですが、ついついornamentやfigurationのepisode迄もかいてしまいました。
ついついの悪い癖ですよね。



『Ricordi版やBärenreiter版のperiodの譜面についてのお話』

折角、Tommaso VitaliのchaconneのAshizuka-versionを作り終わった後の事なのですが、Vitaliのchaconneの出版カタログの楽譜を片っ端から調べて見たら、violin&basso continuoの譜面がRicordi版とBärenreiter のarchiveの部門で出版されているのが分かったので、早速手に入れました。
この楽譜が出版されているのなら、私がkritik‐Ausgabeを作る事も無かったのに、・・と思ったのだけど、やっぱり、色々と解釈の違いや、Realisationの違い等々、色々と微妙で、やはり、面倒くさかったけれど、結果としては、自分で校訂していて良かったと思いました。
 
でも、一般的には、通常のchaconneのbaroque‐versionとして、演奏する時には、二つの校訂を見比べて,良いとこ取りをすれば、それで充分なのではないか??・・と思いました。
この2冊を探し出せなかった理由は、2冊とも、「original‐Ausgabe」とか、「Urtext‐Ausgabe」という文言が入っていません。

つまり、originalの底本にされている楽譜が、Vitaliの直筆である・・というよりも、写本の可能性の方が高いので、Urtextという肩書が入らなかったので、私が探せなかったのですよ。  

でも、絶対に、Realisationされた楽譜があるはずだと思って、楽譜のTitleに「violin&basso continuo」という言葉が入っているのならば、所謂、数字付き低音のRealisation譜なので、原典に近い版である・・と推論して、改めて、楽譜を探してみたら、この2冊をピックアップする事が出来ました。 

私のversionは、kritikだけで、basso continuoの数字のRealisationの譜面はなるべく単純に、数学的に書いていますが、他の2冊は、売るための演奏譜として、音の動きを留意して書かれているので、2冊を比べて見ると、passageによって、どちらの方が良いのかは、それぞれで、判断に苦しむ所です。 
それに伴奏がCembaloでなく、orgelの場合でしたら、私のsimple is bestのversionの方がより良いかも知れませんが、反対にCembaloで伴奏する場合には、勿論、物足りないと思いますよ。※)

10月29日 1:31
※)さや堂のbaroque‐concertでの演奏を想定して書いているので、「simple is the best」のorgel-versionは諦めて(却下して)、Cembalo-versionにrenewalしてしまいました。


今日は10月30日(日曜日)の早朝の3時半です。昨夜の土曜日の夜は、すっかり、気分が悪くなって、食事もしないで、ハイツに帰って来て、総てそのままにして、布団に潜り込んで、今起き出して、荷物の整理を始めた所です。

ついでに、手に入れたTommaso VitaliのchaconneのRealisationの譜面を見ている所なのですが、これがまた、超、酷い!

Ricordi版の方は、有名な指揮者であり、昨年亡くなったClaudio Abbadoのお父さんであり、高名なviolinistでもあるMichelangelo Abbadoの校訂した版なのですが、これがやはり、一昔前の、Realisationで、和声法の原理を良く知っていないズブの素人のarrangeなのだよね??

BachやHändelなら絶対にしない和音進行を平気でしているのよね?
こりゃ~、問題外だよな・・・?? 

Bärenreiter版は、Archivだけあって、妙な演奏効果を求めないで、和声進行は未だマシなのだが、 bezifferten Baßを、勝手に書き換えているのよね?? ・・・それは無いだろうよ???

ホンと帯襷なのよね??
困ったものだ!!
Ricordi版が間違いだらけなのは昔から、誰もが周知の事実だが、Bärenreiter版 ですら、勝手な解釈をするのは、幾ら底本が写本であったとして、その数字が信用が於けないとしても、許せない。
10月30日 4:06


今日は10月21日(20日の夜という事)の深夜3時半です。間違いだらけのVitaliのchaconneの楽譜の訂正と bezifferten BaßのRealisationが終わって、kritik‐Ausgabeの出来上がりですぞよ!!
さて、今から、orgelの音源で聴きながらwineでも飲んで「独り祝杯」でも上げるか???
蛇足ですが、勿論この動画はYou Tubeには公開していません。
このFacebookだけで閲覧出来る閲覧限定です。
10月21日 15:00

Tomaso Antonio Vitaliのchaconneは、こんにちではFerdinand Davidの作品である事を疑う人はいません。
[Davidは、かの有名なviolinistで、作曲家でもあるシュポア‐とハウプトマンに師事して、頭角を表した演奏家であり、Leipzigに在住し、Leipzigの音楽院で教鞭を取っていて、Mendelssohnのviolinconcerto e mollの初演をした人でもあり、e mollのconcertoの作曲に関しても、Mendelssohnへ多くの助言をした人でもありました。

・・と、言うことでLeipzigの図書館で、Vitaliのoriginalの楽譜を発見して、Pianoの伴奏を付けて、この曲を世に広めた人です。
・・ですから、今回のfacsimile版はDavidが曲を作る時に、底本にした楽譜であると思われます。]  

しかし、このfacsimileの楽譜が、Tommaso Vitaliの直筆のoriginalの楽譜であると言う事は、にわかには信じ難いものがあります。 その主な理由は、曲の和音を示している bezifferten Baßの数字が、余りにも間違いだらけであるだけではなく、melodieのpartも、、間違えて書かれている場所が多過ぎるからです。
つまり、作曲家自身が書いた譜面ならば、そんな間違いは絶対にしないのよね!!  

書き間違いの意味ですが、別にチョッとしたmelodieの書き損じ・・と言う意味ではなく、明らかに素人の書いたような、音符の読めない人が一生懸命に書いたような、有り得ない必然性のない音符の間違い・・それは、調性のなかではmelodieの体を成さないと言った明らかな間違いの箇所・・が数多く見受けられるからです。 

それはそうとしても、音符はとても書き慣れている人の手によるようです。
あたかも、Bachの筆跡よりも、更に美しく繊細な筆跡であり、Bachと寸分違わない筆跡の、Bachの奥さんであるAnna Magdalenaの写本を思い起こさせます。 

当時は、コピー機も写真も無かったし、印刷するにも、作曲家自身の手で、銅板を削って音符を書き込んだ大変な作業だったからです。
一般的には、殆どの楽譜が広がって行く場合には、曲はその曲を欲しい人自らが、手で書き写して広がって行ったのです。
だから、当時に書かれた楽譜であったとしても、作曲家自らの手で書かれたものである、可能性は低いのです。

とう言う前提の元で、Leipzigの図書館に書き添えられている「Attributed to・・」の文字が意味を持って来るのです。 
originalではないにしても、Vitaliの家族が書いたのか、弟子を含めた親しい人が書いたのか?それともフアンの人が、一生懸命に書いた写本であるのかも知れない・・という、可能性の方が大きい・・と私は、思っています。 尤も、こんな事を言ってしまうと、学者先生達に怒られてしまいそうですがね。

・・・でもこれは、作曲家としての、冷静な立場での見解です。
10月23日 1:50

枕草子なども、広く写本されたようですものね。
手書きで楽譜・・・す、すごいですね!!!
10月21日 22:01


先程のHennry purcellのtriosonateのg mollの装飾音の有る無しの違いを、動画にしました。
finaleでは、装飾音は、その速度まではcontrol出来ません。
ですから、装飾音は演奏譜として、実音で書き込まなければなりません。
今回はそこまでの作業はしていません。
あくまで、装飾音の有る場合と無い場合の違いだけです。
10月22日 18:36

上記に書いたbaroqueの音楽に、装飾を入れる方法論のlectureを実際の演奏にしたものです。
つまり、課題はbaroqueの装飾法の勉強です。

trill一つでも、accentを表す早いtrill、弱拍や抜きを表す遅いtrill、音を持続させるための長いtrillや、vibratoを表すtrill、crescendoを表す速度の変化するtrillや、decrescendoを表すtrillの速度を遅くしていくtrill等、数えれば限がありません。そう言った基本の装飾記号の勉強でもあります。 

下のURLは、2015年10月の11日の千葉の秋の発表会でのbaroqueの演奏の光景で、梨紗さん、智子さんがperiod奏法に初挑戦している所です。
何が難しいか?と言うと、絶対音感を持っている二人に取っての、418cycleのbaroque‐pitchでしょうかね??
だって、書かれている音符よりも半音低い音が出て来るのですからね。
昔、I Musiciの演奏を聞いた私の弟子が、Vivaldiの春が半音低いと言って、顔を歪めていました。
慣れる迄には、それ相応に大変らしいですよ。 

それに古典調律のmeantoneの調律では、A♭の音がWolf-ton になるので、その音を純正調でハモらせるためには、微妙に音のpitchをずらしながら取らなければなりません。

violinにフレットが付いていないのはそれが理由なのです。
正しい純正のpitchを和音毎に取って行くのは、とても難しい技術なのですよ。 

 https://www.youtube.com/watch?v=ki0_xW2WRjU


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2016年11月8日 13:30 ·

 「Tommaso Vitaliのbaroque‐versionのornamentとRealisationの作成が終わった。」
 
今日は16年11月8日の火曜日です。
この所、一週間程の間、VitaliのchaconneのRealisationを書いていました。

 しかし、11:47秒で兎に角、曲が長くて、書けども、書けども・・終わらない・・という感じで、endlessの作業でありました。
 私的には、折角、Barenreiter版とRicordi版の楽譜を手に入れたので、その両方の楽譜の「良いとこ取り」をして、剽窃でもして、当座は、でっち上げようかと思ったのですが、楽譜をマジマジと見て驚いたネ??
うちの教室の生徒達の方が、数字譜はもう少しマシに書くよ!!

 
 剽窃と言うと穏やかではありませんが、それは冗談です。
何故ならば、演奏をする場合には、通常は市販の楽譜を使って演奏するので、「演奏のために・・」という事で、市販の楽譜を使用することは、剽窃には当たらないのですよ。
但し、市販の楽譜を、自分の楽譜として出版するとすれば、その剽窃の部分がホンの一部であったとしても、立派な剽窃になりますよね。※)

 楽譜は、当然、演奏するために売ってあるので、市販の楽譜を演奏に使用するのは問題はありません。
しかし、Ashizuka-versionとして、演奏する場合には、ホンの一部でも、市販の楽譜と同じpassageがあると問題です。
勿論、chaconneのthemaは、変更は出来ません。それを変更すると、もう、Vitaliのchaconneではなくなるからです。

 普段ならば、曲が出来上がってから練習に入るのですが、今回のように練習のlimitが近づいている場合には、曲が出来るのを待っていては、練習が間に合いません。
そのために、最初は、既成の楽譜をtemplateにして、練習を開始して、曲が出来る度に、差し替えて行くと、自然に、元の既成の楽譜の部分は消えて行きます。

 しかし、今回の購入した楽譜は、「練習のためのtemplate」にもならない・・というぐらい「ヘボい楽譜」だったので、既成の楽譜から、取り敢えずは、良いとこ取りをする・・・というのは諦めて、真面目にコツコツと、しかし、大急ぎで、Realisationをしなければならなくなりました。

 scoreで26Page、violinのpart譜で8Pageという、非常に長い曲です。
 concertの日にちが決まっているので、締め切りに追い立てられる売れっ子漫画家の心境で、兎に角、一日も早く・・という感じで、体調を無視しての、大急ぎの作業だったのです。
 一日遅れると一日練習時間が減ってしまうからね。

 だって、もう本番まで、後二週間を切ったのだからね。
 「Vitaliのchaconne」と言えば、David版の印象が一般的なので、その印象が強すぎて、曲を「baroque仕様」にするのは、結構大変な作業だったのです。
 細部までよく知り抜いた曲を、全く知らない曲として、Realisationする事は、結構、難しいのですよ。
 それに、作る側ではなく、Vitaliのchaconneを聴く人達も、Vitaliのchaconneと言えば、David版のimageで聴いてしまいます。
 だから、全く別の曲として、作らないと、少しでも、元のDavid版のimageが残っていては、誰も聴いてくれなくなるのですよ。
 
 Realisationの作成にあたって、period‐versionにする上で一番最初に留意した事は、chaconneの独特のrhythmを用いてarrange(Realisation)をする事でした。
 David版では、擬古典風にromanticに演奏するために、chaconneのdanceのrhythmは、全く使用されていないので、単純なmelodieで、変えようのないpassageでも、Cembaloの伴奏にchaconneのrhythmが入って来るだけでも、斬新に聴こえるのかな・・???
 少し、熱が上がって来て、咳も酷くなって来たので、どこからともなく、「Facebookなんか、書いていないで、はよ、寝んしゃい??」てな声が聴こえて来るような気がします。ウツツで朦朧としていると、彼岸からの声が聴こえて来るのかな??
意識がtripして、比岸と繋がってしまっているのかな??
(写真は、Vitaliのchaconneの冒頭の1Pageと、Greensleeves to a ground in C Dorischの検見川教室でのlessonの風景です。どちらの曲も今回のbaroque‐concertのprogramです。)
※)楽譜には、演奏するための演奏料が含まれている場合と、演奏の度に払う場合と、楽譜が出版されていなくて、演奏目的でレンタルされる場合があります。オペラの場合等は、scoreは売られていなくて、演奏会が決まったらscoreをレンタルして貰って、演奏する場合があるのですが、その場合には、その都度レンタル料と演奏料のコミコミの金額を払います。
教室で演奏している曲も、一般の発表会用の曲とは違ってprofessionalな曲が多いので、発表会の度に著作権料が請求されます。発表会の度に、その都度、jasracに著作権料を支払っているのですよ。これはproのpianist、violinistでも同じです。勿論、一般の発表会用の曲は、楽譜料に込になっているので、著作権料は派生しません。
多くの演奏家達が誤解しているのは、著作権は作曲者の死後50年で消滅すると言われていますが、それは著作権料であって、scoreや楽譜は、その出版社の著作物なので、楽譜の使用料は、作曲者とは無関係に請求されます。だからbaroqueの曲を演奏していたとしても、その楽譜を使用する限り、楽譜の使用料は発生します。ですから、baroque音楽を演奏していたとしても、その楽譜が出版社に帰属する限り著作権料は払わなければなりません。