Georg Philipp Telemann Zwolf Fantasias fur Violine ohne Bas より No.1、No.3、No.6、No.9

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まえがきに変えて

本文 

1.fantasie 一楽章largo

二楽章Allegroのfugaの入りの考察

三楽章Graveについて

ありもしない四楽章(?)への考察

お薦めの演奏は今の所ありませんが・・・

楽章全体の構成

fantasie V

fantasie Y


fantasie \






まえがきに変えて

半世紀も以前の話を引っ張り出す事になってしまうのだが、私が未だ高校生だった頃に、昼食を抜いて買い揃えたGrumiauxや SzeryngのBachの無伴奏のviolinの曲集のレコードは、私の最も大切な財産であり、私の心の支えでもあった。

音楽大学に入学した時に、作曲科の生徒は私一人だったので、弦楽器の生徒達と同じclassで勉強をする事になったのだが、当時の同級生達から、無伴奏の演奏についてよく質問を受けた。
作曲の学生に対しての質問なのだから、楽典や作曲法的な質問と思われるかもしれないが、そういった質問は受けた事はない。
あくまで、演奏の技術的な質問であり、どうすれば弾けるようになるのか?という、violinの技術に対しての質問だったのだが、(当時でも、今でも音大生が作曲技法やAgogikについて質問する事は有り得ないし、また、音大生の学力は、とても、とてもそのような質問が出来るlevelではない。)より楽で、簡単なfingeringや、弓の効率的な使い方を、学友達に指導するにつけて、
「いきなりこんな難曲ではなく、もう少し、簡単な曲でcurriculumを作って、慣れてから、この曲に挑戦する事が出来るのなら、Bachの無伴奏に対する意識は、もう少しより良いものに、変わるだろうに?!」という疑問を持っていた。
いきなり、Bachの無伴奏に入るのではなく、もう少し、簡単な無伴奏の曲をこなしてから、Bachに挑戦すれば楽なのに・・・という「考え」である。

しかし、昔は・・Bachの無伴奏のviolinの「solosonateとpartita」や、無伴奏celloのsuiteは、こんにち、20世紀になって、Pablo Casalsがcelloの無伴奏組曲を、2度、3度と公開演奏と研究をして、世に認めさせるまでは、無伴奏というgenreは、作曲家の作曲理論上の演奏されるための音楽ではなく、あくまで、作曲理論によるpaper上の音楽理論の世界の書かれた音楽に過ぎない。とされていたのです。

そのお話は、Pablo Casalsの時代迄のお話ではなく、私が未だ音楽大学の学生であった、昭和70年ぐらいの時代も、未だ無伴奏という曲のgenreはなく、極めて、例外的に、先程のBachの無伴奏の組曲、(sonate等)は、認められて来たのではありますが、それでも、演奏のための音楽ではなく、勉強のための音楽であって、violinの曲、celloの曲ではない・・と、されて、あくまで、「机上の音楽」「音楽理論のための、ペーパー上の音楽」として、扱われて来たのですよ。

だから、
「演奏のための音楽ではないのだから、難しくって当たり前、弾けなくって当たり前」・・という認識が、一般的な音楽家達のBachの無伴奏に対してのimageであり、評価であり、認識そのものでした。


それが当時の、一般の音楽界の無伴奏への知識と常識なので、Bach以外の作曲家の作品として、
「他に無伴奏の曲がある」と言う事は、当時は、誰一人知る由もなかったのですよ。

(極めて例外的には、Bachが無伴奏を作曲する時に参考にした・・という、biberのpassacagliaぐらいが、文献の中では、知られていて、しかし、そのbiberの楽譜を手に入れる事は、まだ困難な時代だったのですよ。(15分から You Tubeへlink)


そういったbaroqueの音楽がperiod奏法として、復刻楽器によって再び日の目を浴びるようになったのは、1990年以降、早くても1085年以降の話になるのだからね。)それに、biberはBachの無伴奏ぐらいに難しいしね。無伴奏の勉強の、お助けにはならないよね。

私が大学生の時代、つまり1965年時代には、1ドル、360円というレートの時代であって、日本という国も未だまだ貧しい国で、外版という楽譜は、銀座のヤマハですら、一般的なよく知られた曲の外版しか置いてなかった時代なのだよ。
勿論、音楽大学の付属の音楽図書館にさえも、そんなmaniacな曲は置いてはいなかったしね。
Cembaloですら、日本には未だ2台しかなかった時代なのだよ。
1950年代は、I Musiciが、Felix Ayoの下で、Vivaldiの四季を引っさげて、世界中を回って啓蒙していた時代なのです。

生まれた時から、パソコンやスマホがある今の若者には、分からん世界だろうな??
パソコン(ワープロではなく、パソコンの話だよ!!)が、一般の人達の手に入って、家庭にパソコンが入って来たのは、未だ20年前の話で、私にとっては50歳を過ぎてからの話なのだからね。
私の小学生の時代には、テレビは未だ無かったのだよ。・・・って言っても今の若者は誰も信じないのだからね。


だから、私の世代は、パソコンやスマホは、別の次元の話の友人達は多いのだよ。(もっとも、私が未だにガラケーを使用しているのは、時代の波に乗れない性ではなく、単に経済的な理由なのだがね。誰が、1万円も8000円も、たかが携帯に払えるのかよ!!・・・てね!!)

その私の夢を叶えるのは、勿論、Munchen時代の楽譜屋に入り浸っていた頃の話で、Munchenの楽譜屋で、この曲を見つけた時には、私の長年の懸案が一つ解決した思いがした。

勿論、その後は、この曲を手始めに、色々な文献を調べながら、色々な無伴奏の曲を、集める事が出来た。
一つの曲が見つかると、後は、芋ずる式に結構楽譜が手に入るようになるものなのだよ。
ヨーロッパでは、そんなmaniacな楽譜でも、簡単に手に入れる事が出来たのだよ。

そして、私が音楽大学時代に、長年、主張して来た、
「無伴奏というgenreがbaroque時代に、歴然と存在した」という事も、実証、証明出来たのだった。
まあ、日本では、その後、100年研究していても、無伴奏の奏法に辿り着くのは無理だっただろうけれどね。
baroque奏法、所謂、period奏法で対外出演を始めたのは、1990年(平成2年)からです。
period奏法というのは、超、maniacな奏法なので、私以外で、baroqueのperiod奏法をしている人達の演奏を見に行きました。流石に、maniacで、無味乾燥で、面白くもなく、自己陶酔の音楽であり、広いコンサートホールや、教会の演奏で、会場は申し分ないのですが、問題は聴衆の人数で、お客様の人数よりも、出演者の人数の方が多いという悲惨なものでした。
「確かにperiod奏法ではお客様は集まらないよな?」と、言う事と、「コンサートホールを借り切って、チケットを売っても、人数が入らなければ、結局は、自分の持ち出しになってしまう。」という事で、私のpolicyで、演奏会は、Classicしかやらない。どんな大きな会場であったとしても、持ち出しはしない。逆の言い方をすると、好きなClassicを演奏させて貰えるのなら、会場や場所は問わない・・という私のpolicyで、江古田の住まいの近くの行きつけの珈琲店が、そういった企画をやっていたので、話をして見ると「是非に、・・」という事だったので、お客様を無視したmaniacなperiod奏法のコンサートを年に何回か、企画して演奏しました。無料出演なのですが、持ち出しも0なので、教室の先生達の勉強会にはこの上ない場所です。喫茶店の客席数は30名程で、period奏法のコンサートには、ちょうど良いのかな?という事で、早速演奏会を始めました。
曲は一般的には、演奏された事のない本当のbaroque音楽で、超maniacだったのですが、なんと、そこで演奏をやっている間、全会、満席というか、お店の店主に、「演奏出来る日にちが決まったよ!」と伝えた、その日の内に、・・・先生達がポスターやチラシを作る前に、・・私の席まで、無くなってしまいました。千葉の父兄から、「聴きに行きたいので、何とかしてください。」と、クレームが付く程でした。
まあ、私が企画した演奏会は全てrepeatが掛かるのですが、流石に、period奏法に関しては自信が無かったので、嬉しい驚きでした。

参考までに: 一度、You Tubeにuploadした演奏なのですが、芦塚先生は、何が不満だったのか、忘れてしまいましたが、削除されていました。昔のbaroqueensembleの演奏の動画が少ないので、今回、この動画を、再度uploadする事にしました。

但し、period奏法ではありません。
modernviolinの奏法です。当時は、未だ、曲の出来具合によって、そのままmodernで演奏したり、baroqueのperiod奏法で演奏したり、していました。勉強途中だったので・・・。

動画の最初の芦塚先生のbaroque楽器についての、説明がやたらと長ったらしいので、飛ばして聴いてください。

2004年1月31日Hennry purcellのtriosonate a moll 珈琲店「ぶな」にて


You Tube 演奏は平成13年(2001年)2月18日珈琲店「独歩」にて、演奏:斉藤純子です。

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本文

Telemannのfantasienについては、幾つかの、楽譜上の問題点もある。しかし、残念ながら、この曲をkritikするための、facsimile版は私は持っていない。
しかし、私が使用しているこの版自体も、Barenreiter Urtextであり、Telemann Urtext AusgabeというUrtext版なので、これで良しとする事にしよう。

このfantasienという曲集は、当時の曲集の慣習である緩急緩急のそれぞれの楽章から構成されている。
Bach等の作曲家達は、一つの曲集に対しては、同一の楽章の構成をさせるという、習慣があるのだが、Telemannに関してはそういったstoicな構成はしていない。

曲それぞれで、緩急の構成や、四楽章であるか否かすら、定かではない。
それについてのお話は、後述の「楽章全体の構成」のPageに譲るとしよう。



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fantasie T

T楽章 largo 
この「1番のfantasiaは、緩⇒急⇒緩⇒急の楽章から成る。」・・・としたいところであるが、事実上は四楽章はなく、二楽章をrepeatさせた、に過ぎない。
本来ならば、三楽章の構成であるのを、無理矢理に、型に嵌めて、四楽章の構成にしている・・と、言わざるを得ない。
そう言った全体のTelemannの作曲技法や、構成の話ではなく、それ以前に、所謂、無伴奏というgenreの音楽を、殊更難しくしているのは、無伴奏だから故の、一人二役という演奏形態である。
その一人二役の演奏形態の導入としても、このfantasienは非常に優れた教材であると、思う。

では、Telemannのoriginalの楽譜を見てみよう。
(以下、譜例:一楽章冒頭から20小節までの楽譜)
  

このpassageは、themaの導入の部分である。
一段譜上で、「Basと、旋律を奏き分けろ!」と、言われても、ある程度無伴奏というgenreの曲に慣れている場合には、然程、難しい事ではないのだが、この曲を練習する生徒達が、無伴奏というgenreの曲を初めて演奏する・・と、仮定すれば、一段譜上の譜面を、2声部に奏き分けるという事は、生易しい事ではない。
私達の教室の生徒達の場合には、幼い子供の内から、「声部の奏き分け」は、初歩の曲のpassageの中でも結構、出てくるので、その都度、lectureを受けて、慣れ親しんでいるので、そんなに難しい事ではない。

という事で、生まれて初めて、violinで、多声部の曲を演奏しなければならなくなった、哀れな生徒達を想定して、老婆心とも、思える楽譜をupする事にした。

無伴奏は基本的に、一人二役のpartを演奏しなければならないので、このviolinsoloのpartを、celloとviolinに分けて、楽譜に起こすと、次のような楽譜になる。
一人のナレーターが、二役をこなすsceneを連想すると良い。落語でも良いけれど・・。

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