Touchについて

ピアノを指導する上で、まず最低限守ってもらいたい事は、以下の基本姿勢の3原則である。

それらの説明は、別のページにあるので、このページではtouchについての説明をする。

 

基本姿勢の三原則

まだ芦塚メトードに未熟である指導者が生徒のピアノのlessonをする場合には、初歩の段階から、必ずこの3原則だけは、守って指導しなければならない。

①    姿勢

②    椅子の高さ

別のサイトへリンク:(ピアノの椅子の高さのお話)ホームページ掲載済み

(①と②は一文章の中に入っています。)

③打鍵の位置

別のサイトへリンク:(打鍵の位置についての解説ページへ)ホームページは未だ未掲載

 

 

基本奏法(touch)の原則

Touchには基本的には押すtouchと弾く(はじく)touchがある。

一般的に日本の音楽教育や日本の音楽大学で学ぶtouchは基本的には押すtouchのみである。

芦塚メトードは、従来の日本の押すtouchの弾き方ではなく、chopinなどのleggieroのtouchを基本として指導する。

 

ピアノは鍵盤を押すと音が出る。一般には誰が弾いても、どう弾いても同じ音がするといわれている。私が学生のときにも、学者先生がオシログラフなどを持ち出して、その波形を説明しながら、「ピアノの音は、誰がどう弾いても同じ音にしかならないのですよ!」としたり顔をして説明していた。同じ、上野の文化会館の大ホールのスタインウエイのピアノを、コルトーという名ピアニストが弾いたときに、「これはなんと美しい音だろうか?」と絶句してしまったのは決して私だけではなかったであろう。そういった感性も無しに、オシログラフの波形だけでピアノの音を云々されては、たまったものではない。オシログラフといえば、シンセサイザーでは、ピアノの音や管楽器の音は、もうかなり近い音が(ああ、これはオーボエの音だなと言うぐらいには再現、再生)出来ている。しかし、ヴァイオリンなどの弦楽器に至っては、誰でも分かるヴァイオリンの音と、チェロやビオラなどの音の違いはオシログラフ的には再現できないのだ。不思議な事に同じ波形にしかならないのである。

だからピアノを学ぶものが「どういうtouchをしても同じ音にしかならない。」と思っているのだったら、ピアノの指導をする事は、諦めた方がいいと思いますがね。

ピアノの勉強で求めて行かなければならない、美しい、しかも透徹力(業界用語では、遠音のきくという言い方をするが)のある音とは何か?所謂、音楽で使用する楽音という音の話の説明をする。

楽音とは、楽音でない音、つまり、聞こえないほど弱い音、かすれた音、か細い音と、反対に、強すぎて、割れた音、歪んだ音の間にある。

音が出るには、物理的な原則があって、重量(力)×速度が楽音というlevelの中に納まっていなければならない。

だから、重量(力)を大にすれば、速度は少にしなければならないし、leggieroのtouchのように、軽やかさが主であれば、指の力は極力抜かなければならない。(この原則は全ての管楽器や弦楽器でも同様である。)

指の速度が速ければ、透徹力のある、遠音のきく音になるし、遅くて力のある指が出す音は、重厚な音になるのだが、遠音はきかない、という性質を持つ。

先ほども書いたように、日本では基本的に力強いtouchを遠音のきく音と勘違いしている傾向が見受けられるので、力強いtouchに関しては問題は無いのであるが、反対の力の抜けた、指の速度だけで弾くtouchに関しては、全く勉強されていない。それは、指先を早くtouchすると言う事が、学習させる事が出来ないからである。「もっと早くtouchして!」って言ったって、早く弾けるものではないからである。

 

果たして指の速度は如何したら、つけることは出来るのであろうか?それは、全ての武道とも共通で、打つということよりも、戻すということに神経を使う事が、コツである。つまり、2度打ちstaccatoとか、3度打ちstaccatoを練習して、その3度打ちの最初の1回目でtouchを鍵盤上で止めれば良いのである。言葉で書くと、何を言っているのか良く分からんが、鍵盤上で説明するとなんでもない。そうして手首や指先の力を完全に抜き去って、速度だけで弾いたtouchがleggieroのtouchになる。

2度打ちstaccato

3度打ちstaccato

歌や、合唱の息継ぎの指導をする時にも同様のことが言える。子供達が、ブレスがなかなか出来ないときに、先生が「もっと息を吸って!」と怒鳴って入って、子供達が真っ赤な顔をして、一生懸命息を吸おうとするのだが、息を吸おうとすればするほど、逆に吸えなくなって、もっと先生が真っ赤になって怒り出す、という悪循環を繰り返す。私が、先生に「息をたくさん吸いたければ、その前に思いっきり息をはけば良いのですよ。」とアドバイスをしたら、1回で治ってしまった。先生は、少なからずショックを受けて「私の今までの努力は何だったのだろう?」と言っていた。

指の速度の話は、(子供達への話の中にも書いていることではあるが)良く空手の話に例えて、子供達に説明をします。子供達にとってより具体的な非常に重いものとして、アップライトのピアノの重さが250キロなので、250キロの氷の板を、空手の名人が手で砕いたとします。(それは本当の話です。)

その手は、250キロの氷の板を割ったのだから、反対にその手を机の上に置いといて250キロのハンマーで思いっきり打ちおろしたら、どうなると思いますか?」と子供に質問します。そうすると、子供達は、口々に「手がぐしゃぐしゃになるよ!」と答えます。「じゃあ、同じ手でどうして250キロの板の氷を粉々に砕くことができたのかな?」というと、子供達は不思議そうな顔をします。

ここから先は理科の実験の話になりますので、蛇足です。

「五つ、六つの鉄球が糸でぶら下がっていて、片一方の球を・・・」という実験は、誰でも知っていますよね。

柔らかな水でも、速度が上がると、硬い木や鉄さえも切ることが出来るという話は、今の子供達は良く知っています。

子供達の知っているそういう話を利用して、速度と力の関係を説明します。速度の説明は、ピアノのふたの上で、指先でスコーン、スコーンという音を立ててみたり・・(指の速度が遅いと音は出ません。)、子供との信頼関係が成り立っている場合には(セクハラの話ではありません。子供は信頼関係がないと、同性でも体を触られるのを、嫌がります。)子供の手をとって、子供の手の甲の上で力の抜けた速度だけのtouchと反対に少し力を加えたタッチの差を先生がやって見せて、その違いを体感させます。それはとても子供達にとっては良くわかるようで、100の説明よりも「ああそうか!」と驚きの声をあげます。

 

反対に、重量だけでそうっと鍵盤を押さえるように弾いたtouchの事を、私は「音殺し」と呼んでいます。霧がかかったようにもやもやとして、輪郭がはっきりしないので、主に伴奏のパートなどに使用します。或いは、Debussyの霧のかかったようなunsichtbar(目に見えない、不可視の)な情景の表現に用います。

いずれにしても、touchの基本は、指の打鍵の速度と重量のバランスです。

 

勿論、演奏上ではleggieroのtouchが一番難しく演奏が困難です。

ですから、日本人は「Mozartは難しい!」と言うのでしょう。

本当にMozartやHaydnなどの古典派の作曲家が好きで、専門に研究したいと思っている人は、所謂、Mozartフリューゲル(フォルテ・ピアノ)を買って、シングル・アクションの研究をすると良いでしょう。いろいろなメーカーでたくさん作っていますので、自分にあった好きなメーカーを捜すと良いでしょう。(値段は天文学的なものから、庶民的なものまでいろいろあります。庶民的・・?とは言ってもグランドピアノと同じぐらいはしますが・・。)実際に楽器を弾いてみるとleggiero touchのよさが分かります。

Chopinの愛用の楽器であるプレイエル社製のピアノは、当時既に珍しくなりかけていた、シングル・アクションの楽器ですから、お弟子さん達に「ピアノのtouchの基本はleggieroのtouchです。」と言っていたのです。Chopinの最愛の作曲家はMozartですからね。

 

立ち上がりと持続音

共鳴音(konsonant)

ピアノの場合には、音の立ち上がりには弦楽器や管楽器と違って、立ち上がりの速度が早いが遅いかだけの違いしかない。しかしこれがホールなどでは会場に届く音の透徹力となって、大きな違いとなって現れる。

ピアノの持つ音質は、ピアノの音そのものの強さではなく、そのピアノ(楽器、弦)がどれだけの共鳴を得る事が出来たかで、決定される。

またピアニストが鍵盤をtouchをした瞬間に、どれほどの共鳴をもたらすことが出来るのかが、ピアノを本当にコントロールし、ピアノの性能をフルに生かすことの出来る、ピアニストとしての力量の差でもある。

ピアノの余韻(持続音)がどれ位長く続くかは、音の大きさによってではなく、共鳴音の大きさによって決まる。力量のある優れたピアニストは、か弱いppの音でも、共鳴音をたっぷりと響かせることによって、ホールの隅々まで、ピアノの音をたっぷりと響かせることが出来る。つまり、強い音が必ずしも、大きな共鳴を生み出すものでは無いということなのである。

 

Releaseに関して

音楽家がもっとも忘れがちなのは、touchに関してtouchする瞬間の事に関しては、結構気を使うものだが反対に、放す瞬間に関しては無神経な人が多いということである。ピアノという楽器は一度音が出てしまうと、如何する事も出来ない。音を伸ばさなければならないときにも、鍵盤を放して、ペダルで音を伸ばしている人もよく見受けられるが、それはよくない。作曲家は伸ばす音に関しては、神経質である。2分音符でなく、付点4分音符だけ伸ばすというように・・。

次の曲は有名なMozartのアイネ・クライネ・ナハトムジーク(小夜曲)の1節です。

この楽譜の5小節目の3拍目ですがファースト・ヴァイオリンとセカンドヴァイオリンが八分音符なのに対して、チェロとビオラのパートは4分音符になっています。勿論これはMozartの間違いではありません。弦楽器の演奏上の、理由がちゃんとあります。セカンドヴァイオリンの1小節目では八分音符の最後の音は四分音符で終わっています。それはmezzo staccatoの八分音符に対して、終わりの納めの音を表しているのです。(余韻の音)

それに対して、5小節目では、ファースト・セカンドのヴァイオリンは納めの音ではありません。演奏上疑問のまま、?のままで終わるのですから・・。それに対して、ビオラとチェロは、しっかり終わっています。ですから演奏の技術的な表現方法が違うのです。こういった多声部特有の書き方は、Haydnなど前期古典派の作曲家にとっても、既に一般的な手法でした。

Releaseに関しての追記(お掃除奏法)

子供にtouchを指導するときに、releaseした後で、拳骨を作るように指を納めさせることがある(そういった奏法がある)。教室では「ニャンコの手」とか、「ゴロニャン!」とか言って丸い手の型を表現する。Mozartの粒のととなったleggieroな音を出させるために、releaseした後の手の型を安定させるのである。

それとよく勘違いされ、間違えられるのが、「お掃除奏法」である。こちらは指を伸ばした状態から、打鍵する前から鍵盤の上を指を滑らせるようにして手前に引き込むように回転させながら、手の内側に指を持って行く方法である。あたかも鍵盤の上にあるゴミを落っことすような感じなので、私はその演奏法の事を「お掃除奏法」と言っている。敢えてこの弾き方を「奏法」と呼んでいるのは、極、稀にそういった弾き方をさせる先生がいるからである。

しかし、当然鍵盤に対して、垂直にtouchするのではなく、円運動になるので、当然打鍵の位置もreleaseのpointも不正確になるし、力の無駄も多くなるので、その奏法を取る人達はmistouchが非常に多いし、音もふにゃふにゃと抜けて安定性や確実性に欠ける。あくまでも、Spielbar(演奏感覚)の話で、自己満足の世界の奏法である。

 

 

Legato touch

音の立ち上がりの事を、弦楽器ではクリップと言い表したりする。音を際立たせるために、音をleggieroのtouchで奏くと、ピアノでも、一つ一つの音がはっきりとして、マルカート(marcato)な感じになる。

というわけで、基本的にはlegatoのtouchには、staccatotouchは使用しない。特殊な奏法の場合だけである。

ピアニスト達を困らせるLegatoとnon legato、mezzo staccatoとかmarcato sostenuto等々の奏き分けは、全て立ち上がりの話ではなく、releaseのtimingの問題になる。Bachなどbaroqueの作曲家に多く見受けられる、通奏低音のバスの弾き方などはnon legatoかsostenuto staccatoか、言葉で表すのは難しい。なぜなら、チェロやガンバの「えぐりボウ」は弦楽器特有の奏法であるからである。(古典派の時代までのピアノの表現は、弦楽器特有の奏法の表現に拠るものがほとんどであった。今日のピアニストが古典音楽を演奏する上で、弦楽器を演奏出来ない事は、どうしても一つのネックになってくる。

BeethovenやMozartが多用したsfzであるが、メロディの入りをはっきりとさせるための、弦楽器のクリップを表している事が、非常に多い。ピアノの指導者は楽譜通りにそれをsfzで弾かせてしまうので、珍妙なエキセントリックな感じになっている事がよくある。古典派の音楽は洗練されていて、優雅なのだけどね。

「Beethovenだからいいのよ!」・・・・先生!それは無いよ!

 

Staccato touch

staccatoを指導する先生は、立ち上がりを一生懸命指導するのであるが、なかなか歯切れが良くならなくって苦労するようである。前述のように、staccatoには、立ち上がりの部分と、(人が忘れそうなところは)releaseのpointがある。子供に一番最初にstaccatoを教えるときに、私がよく言う話がある。

「ここに真っ赤に焼けたフライパンがあるんだよ。やけどしないように触るにはどうしたらいい?」そして鍵盤上に指を置いておいて、一瞬で指をreleaseさせる。子供がreleaseの仕方を覚えると、立ち上がりは楽である。2度打ち、3度打ちのstaccatoと同じだからである。ちゃんと抜く事が出来ると入りは自動的に出来るからである。(入りを早くしようと思ったら、抜きを早くする事である。という武道の原理である。)

 

staccatoには大別して3種類のstaccatoがある。

Leggiero touch

所謂、finger staccato、(leggiero touchの一種)

Mozart奏法とかチェルニー奏法とか、いろいろな呼び方で呼び表された。古典の音楽の基本のtouchである。

Fortepianoの時代は、鍵盤のtouchが直接的に弦に伝わってしまう、シングル・アクションというシステムでピアノが製作されていた。そのために、不要な力を完全に抜き去って、軽やかに指先だけの速度で音を出すといった、leggiero touchが主流であった。(説明:フォルテピアノ、モーツアルト・フリューゲル、等)

 

leggierotouchの練習法

leggieroの奏法の基本は、あたかもピアノをlegatoで演奏しているように、(完全に力を抜き切った状態で)軽やかにstaccatoする事が基本である。staccatoをするために、小刻みに手首が動くのは指先に力が入っている証拠であり、正しいleggierotouchとは呼べない。手の甲の2の指と3の指の間ぐらいにコインを乗せて、落ちないように練習すると良い。(手首に不自然な力が入らないように注意して練習する事)

 

手首のstaccato

手首のstaccatoには、上方から手首で打ち下ろすような奏法(Beyer67番、この場合はlegatoで演奏しても、手首の動きで、事実上はnon legatoになってしまいます。78番は軽やかなmezzostaccatoで弾きます。)と、反対に鍵盤からはじき出されたように跳ね上げられる奏法

Beyer80番

この2小節目のstaccatoを上から打ち下ろすように、乱暴に弾かせる先生がいます。しかし、1小節目のレとソの音は、前打音が前についているので、手首で打ち下ろす事はできません。ですから、鍵盤上から抜き上げる様なstaccatoになります。と言う事で、音の整合性から2小節目も同様に弾かなければなりません。

98番の4の指のstaccatoは、通常は手首の抜きのスタッカートと言う言葉を使います。

staccatoの記号が楔形で表されているので、鋭いstaccatoであると思い込んでいる人が多いのですが、奏法の違いを表しているだけで、staccatoの鋭さの違いを表しているわけではありません。この場合左手の通常のstaccatoはleggieroのstaccato(もしくはmezzostaccatoでも良い)になります。右手は抜きのstaccatoになるわけです。

Beyer教則本の場合には、(時代的な背景もあるのでしょうが)staccatoは通常のstaccatoではなくってmezzo staccatoを表して、楔形のstaccatoは手首の抜きのstaccato(もしくは、staccato)を表わしています。ですから、現代のstaccatoは当時の人にとっては、staccatissimoに聞こえるでしょうね。それはこの時代のピアノ(フォルテピアノ)の性能のせいです。

 

際立たせのstaccato

この2小節目の右手のstaccatoは、勿論leggieroのstaccatoであるが、際立たせのstaccatoとも言う。フィギュレーションの中で、melodieを浮き立たせるための、staccatoであり、staccatoと言うよりも、むしろ弱い(軽い)mezzo sfで、演奏してもよい。 

Fingerstaccatoが手首の回転(抜き)と同時に使用されると、portando(mezzo staccato)奏法と呼ばれるのだが、

よくportamento奏法と混同される事がある。


理由は、いずれにしても、ペダルを踏みっぱなしで、leggieroのstaccatoをするので、portando (mezzo staccato)の独特な感じが失われて、全く別のimageになってしまうからである。

めったに使用されないが、爆発的な力を出す、腕のstaccatoの3種類である。

Listのピアノ協奏曲の4オクターブのメロディなどである。

legatissimo touch

まず、誤解が無いように注意しておきますが、これは、legato(レガート)のtouchの事ではなくって、legatissimo(レガーティッシモ)のtouchのことなのです。

legatissimoのtouchの事は、通常オルガン奏法とか、チェンバロ奏法とか、クラマー奏法とか呼ばれています。

Bachはインベンションにlegatissimo奏法の事を、cantabile奏法と書き表しています。

歌や管楽器、弦楽器では、音同士が繋がらないと言う事は、原則としてありません。

それは全く、鍵盤楽器特有の性質で、隣り合った音同士が、ブチブチ切れてしまう(そういった演奏をする人が多い)事に、いつの時代でも作曲家達は悩まされていました。

Chopinがいつも『オペラを聴きなさい。』と弟子達に言っていたのも、ただ単に「歌い込みや、間の取り方」だけを学ぶのではなく、歌の持つ、音同士の繋がり(legatissimoの奏法)をよく学ぶようにという事だったのです。

弦楽器を指導するときにも、いつも音のつながりをlectureするのですが、音のつながりはそのままtempoの揺らしともかみ合ってくるので、理論では分かっても、それを演奏に表すのは、なかなか難しいようです。

テキスト ボックス: 譜例Legatissimo奏法は、クラマーのEtüdeで勉強しますが、練習法は1ト、2トと数えたときに、トの時に前の音をreleaseするようにします。

音符に書くと、何かややこしそうですが、実際にやってみると、練習は簡単です。後はそう言ったベタベタした音に慣れる事です。(というのは、チェンバロのような細い音で濁りを表現するのはとても綺麗で良いのですが、現代のグランドピアノの音では、音が分厚すぎて、ベタベタと言う表現がぴったりになるからです。)

パイプ・オルガンは意識しなくとも、教会の残響自体がかなり多いので、無理をしてlegatissimo奏法をする必要は無いのです。そういった教会の残響の溢れた音を、演奏で技術的に作るのが、legatissimo奏法なのですから。

2008年7月26日脱稿

江古田、一静庵にて
芦塚陽二拝

追記

「touchについて」は、leggiero奏法を中心に述べてしまいました。

しかし、Pianoを学ぶものは大きく、ベース・トーンをつかさどる「お尻のtouch」と情景を醸し出す「音殺しのtouch」を弾きこなせて、初めてChopin等の演奏が出来るのです。「音殺しのtouch」は伴奏のpartで音が出て欲しくない所だけではなく、その応用としては、auftaktの入りの音が強くならないように、わざと最初の音をハーフ・タッチで弾き始めることが良くある。

以下、その例をあげる。

Mozart Pianoconcerto d moll Ⅰ楽章

この曲の難しさは、透徹した輝かしいforteのleggierotouchのpassageから、瞬間的に柔らかではあるけれど、豊かなPのpassageにチェンジされなければならない。しかし、その一瞬の変化を指先の力だけでチェンジさせることは、技術的にも精神的にも困難である。特に、矢印のPの音から豊かな膨らましの音を作ることは、その一瞬では難しい。しかし、このauftaktの最初のAの音を、touchをハーフ・タッチにすることによって(鍵盤を事前に1,2㎜押さえ込んでおいて、そこから打鍵する事を演奏上のハーフ・タッチという。調律上のハーフ・タッチは逆である。)音がコントロールを失して、飛び出したり、硬い音になるのを避けて、自然なcrescendo(膨らまし)が入るようにする事が簡単に出来る。ハーフ・タッチで音が出ないわけなので、最初から安心してお尻のtouchで豊かな音で弾くことが出来るので、膨らましも自然で楽に演奏する事が出来る。

芦塚メトードでは、通常の自然体による基礎となるtouchの他に、3種類のfundamentale(基礎的)なtouchを学ぶ。それがleggieroのtouchとお尻のtouch、音殺しのtouchの3種類のtouchである。それが芦塚メトードのtouchの基礎となる。そのtouchをマスター出来れば、曲ごとに出てくる、各種色々なtouchは比較的楽に弾き分ける事が出来る。

(これはtouchの話であって、奏法の話ではない。ちなみにportamento奏法は奏法であってtouchではない。)

お尻のtouchと音殺しのtouchの話は、またの機会にする。