芦塚バロック・古典音楽研究室

index

まえがき

演奏活動

2017年11月23日八千代市生涯学習プラザ主催 「オータム クラシックコンサート」
Vivaldi d moll doppel Op.3Nr.11

Vivaldi 夏

Vivaldi a moll Op.3Nr.6 Knabenkammerorchestra

Matthias Georg Monn cello‐concerto g moll Ⅰ楽章

Sweelinck Mein junges Leben hat ein End 弦5部


2017年3月12日 千葉市花見川区花園自治会館「しんけみ広場」実行委員会主催 「春待ちコンサート」
Vivaldi Op.3Nr.8 a moll doppel‐concerto

Veracini Sonate academiche Op.2Nr.12 d moll passacaglia



練習・lesson風景

2018年4月8日 自治会館総合練習Ⅱ
Vivaldi cello‐concerto a moll Ⅰ楽章

Vivaldi violin‐concerto Op.ⅧNr.11  D Dur Ⅰ楽章 

2018年4月1日千葉市花見川区検見川教室
Hoffmeister Viola‐concerto D Dur Ⅰ楽章







論文とFacebook・homepage等

2015年10月11日千葉市音楽教室秋の発表会
Hennry purcell triosonate g moll chaconne (period instrumentsによる)


以下 Facebookより抜粋











まえがき
「芦塚baroque・古典派音楽研究室」と御大層な名称が付けられていたとしても、事実上はそんな立派な研究室がある分けでは無い。
自宅である江古田のハイツで、パソコンでfinaleに入力しながら、一人研究活動を続けているに過ぎない。
その研究の成果を、教室の先生達にlifeworkとして、指導し、勉強させているのだ。
教室の先生達は、かなり早い時期から対外出演として演奏活動をしているのだが、baroqueのperiod奏法を用いての演奏活動は、1990年から演奏活動を始めている。
勿論、研究としてのbaroqueや古典の演奏は、それ以前から、教室の先生達は、periodの奏法の演奏活動はしているのだが、対外出演としての、演奏活動が可能になったのが、1990年なので、それでも、世界的に見ても、とても早い時期からのperiodの演奏活動である。

私がbaroque音楽に興味を持って、orchestraで演奏を開始したのは、1964年(昭和39年)の音楽大学時代からで、自分のprivate-orchestraを結成して、学内コンサート等で、Bachのcoffee-cantataやHändelのConcerto Grossoや、その他、多くのbaroqueの作曲家達の曲を自主コンサートとして演奏した。


period instrumentsの数々は、教室として購入する事は法務局の関係で出来ない。baroqueの研究は営利を伴わないからである。(教室は有限会社であって、学校法人では無いからである。)
と言う事で、この2段の大型Cembaloから、baroqueviolin、viola da gambaに至る迄、私の個人の楽器であり、先生達に貸与しているに過ぎない。
毎週の日曜日のオケ室内楽の練習も、個人的volunteer的で、とても仕事とは成り得ない。仕事とは原則として利潤を伴うものであり、利潤を伴わない研究や教育は、所詮趣味に過ぎない。

と言う事で、baroqueと古典音楽の研究も、所詮は趣味の延長にしか過ぎないのであるよ。









演奏活動
演奏活動とは、教室の発表会等を除いた対外出演の活動を指します。
発表会の演奏は対象にはなりませんので、芦塚音楽研究所のhomepageの教室の活動のPageからapproachしてください。



17年11月23日八千代Vivaldi d moll doppel-violin-concerto Op.3Nr.11.
2017年11月23日(木)八千代市生涯学習プラザ主催 秋を纏う弦の調 「オータム クラシックコンサート」の演奏です。

曲はVivaldiの二台のviolinのためのコンチェルト、violin soli 荒谷愛(小6) 古川紗來(小5) viola solo千野瑞希(小5)continuo-cello森真雅(小5) continuo-Cembalo七星ひかり(中2)での演奏です。

今回の八千代のコンサートでは、Vivaldiの演奏では基本的にperiod奏法を使用して演奏しています。
日本の古楽器の演奏では、baroque楽器を使用して、pitchを415cycleに下げて演奏する事で「baroqueの演奏」と呼んでしますが、それはpitchが半音下がっただけの「baroque楽器による、modern」の演奏なのです。

教室では、子供達に古楽器を購入させる分けにはいかないので、modern-楽器に拠る、modern-pitch(A=443cycle)のbaroque奏法、所謂、period奏法です。 
音の膨らましはmessa di voce奏法によるので、日本で演奏されている「押さえ込み」、所謂、演歌の小節の弾き方(ベルリン・フィルのコンマスであったSchwalbé先生の曰くのエイズ奏法)とは、根本的に意味が違います。
(mezza voce=音量を半分にする・・とは、spellが違うので間違えないように)







17年11月23日八千代コンサートVivaldiの夏(11~12jahrige alto)
八千代市生涯学習プラザ主催 オータムクラシックコンサートでの演奏風景です。

曲はVivaldiのLe quattro stagioni(四季)より「夏」、1楽章soloは古川紗來(小5)、2楽章soloは千野瑞希(小5)、3楽章soloは荒谷愛(小6)、continuo-celloは森真雅(小5)continuo-Cembaloは七星ひかり(中2)です。  

という事で、前回の八千代の時の演奏者の平均年齢と今回の演奏者の年齢差は大変な差があります。  
また、前回の演奏では、比較的orthodoxなtraditionalな基本的に楽譜に忠実な演奏をしましたが、今回の演奏は、年齢が小学生を中心としている事もあって、大きな変更のpointとして、先ずperiodの奏法(interpretation)を使用している事、音楽の解釈を、Sonettoの詩による絵画的な表現として、自由にapproachをしている事、Ⅰ楽章のsoloの部分は、即興風に、自由なtempoによるapproach・・等々、多くの変更をしましたが、先ずはⅠ楽章の最初の冒頭の休みは、最初の音であるにも関わらず、収めの音として長く休んで、演奏して、2拍目、3拍目は早いtempoで演奏しています。 

Ⅰ楽章はtempoの問題もさることながら、純性の和音の演奏が難しく、参考にproのperiodの演奏団体の演奏も聴いて見たのですが、大した出来ではなかったので、参考にはなりませんでした。 

また、Ⅱ楽章のsoloの後の、tuttiの部分ですが、殆どのscoreにはforte、もしくはfortissimoになっていて、殆どの演奏団体はそのように演奏しているのですが、ここではSonettoに従って、遠くの方で鳴っている雷の音が段々、近づいて来て、また遠のいて行く・・というimageで表現しています。
最初はPiano、次にforte、3回目はfortissimoで、最後にはpianissimoで演奏しています。 
Sonettoには忠実な描写だと思うのですが、そういう風に演奏している団体はありませんでした。 

Ⅲ楽章で本当に厳しい嵐の風景になるので、その前の風景としての描写です。
小学生に取っては練習がかなり難しかったようなので、messa di voce奏法や、膨らましの奏法等、小学生には少し難しい課題だったので、演奏は上手く行っていないのですが、次回のrevengeを待つ事にします。
ちなみに、八千代で演奏しているmemberは、賛助出演のfluteの人を除いては、先生、生徒一同、全員芦塚先生の門下生です。







17年11月23日八千代コンサート Vivaldi a moll Op.3Nr.6 Knabenkammer
2017年11月23日(木)八千代市生涯学習プラザ主催 オータム クラシックコンサートの演奏です。

Vivaldi a moll Op.3Nr.6、1楽章は萩元美音(小3)2楽章は古川紗來(小5)3楽章は千野瑞希(小5)です。
basso continuo-celloは森真雅(小5)continuo-Cembaloは七星ひかり(中2)です。  

演奏は本来の必要最低人数の9名ではなく、Ⅱ楽章を、Cembaloの七星ひかりちゃんが第三violinに持ち帰る事によって、更に、一名少ない八名の編成になっています。 
これはVivaldiの作曲の当時の意図にも叶っているbaroqueの編成です。 

Ⅱ楽章のornamentは、高校生からは自分で作る事になっていますが、今回は小学5年生がsoloを演奏するので、ornamentの演奏は、芦塚先生が作っています。

Ⅰ楽章のsoloとcontinuoの伴奏に付けられた、violinとviolaのunisonの伴奏は、4分音符と4分休符が繰り返されるので、通常は弾き止めを使用して、4分音符を弓を半分だけ使用して、4分休符は弓の動きを止めて演奏しますが、今回の演奏では、休符のpassageも、弓を弦からホンの少し持ち上げる事で、音を出さないように空滑りをさせる、所謂、空中bowを使用して、恰も、全弓で演奏しているかの様に演奏しています。  

この奏法はbaroqueの色々な奏法の基本になるので、この奏法が出来るようになると、色々なperiodの奏法が出来るようになりますが、殆どの演奏家達は出来ないようです。 

八千代のホールはコンサート・ホールではなく、多目的ホールなので、残響が殆どありません。
そのような残響の無いホールでも、コンサート-ホールのように音が余韻を持って響いているのは、この特殊な奏法によって、演奏で作り出された残響なのです。

つまり、余韻のホールの残響の音を、楽器で作りだして、演奏しているのです。 

という事で、この奏法は、とても大切なbow-Technikなのですが、日本では未だ知られていないperiod独特の奏法になります。
また、日本では体を揺らして演奏する事はtabooとされていますが、このような超狭い舞台だとしても、耳で音を合わせると100分の1秒ぐらいのズレが生じて、これくらいの速度の曲でも、後引きやpart間のズレが起こってしまいます。

日本のClassicの演奏者特有の乗りの悪さ、popularの奏者達がClassicの演奏家に対して何時も言っている、「rhythmの後引き」は、耳で音合わせをする事によるrhythmの遅れに原因があります。

芦塚音楽研究所の演奏が独特の乗りとrhythm感がある・・というのは、rhythmを耳であわせるのでは遅れてしまうので、体感として合わせるから、rhythmの遅れが無いからなのです。

特に、Ⅰ楽章のripienoのviolaとcelloの交唱は、絡み合わせになっているので、violaの生徒が目でeinsatzを送って、そのtempoの遅れを矯正しています。
目での合図では、耳と違って、「tempoの遅れ」は出ないので・・。

と言う事で体の揺らしは、情緒的感情的なperformanceではなく、音楽技術的なtimingによって、正確に振り付けられた体の揺らしなのです。

蛇足ではあるけれど、今回のsettingでは、子供達の演奏なので、Kontrabassも舞台に乗れたのだよな??
そうしたら、全員舞台で演奏出来たのに、「8人では乗れない」・・という思い込みが、優先してしまったのだよ。
俺は、何度も言ったのにね??誰も信じ無かったのだよ。
でも、実際に舞台に乗る時に、臨機応変に注意してくれれば良いのに、その機転がないのだよな??




17年11月23日八千代 Monn cello-concerto g mollⅠ楽章Maya Mori
2017年11月23日(木)八千代市生涯学習プラザ主催 オーターム クラシックコンサート「秋を纏う弦の調」
Matthias Georg Monnのcello-concerto g moll Ⅰ楽章、
演奏は森真雅(小5)、continuo-cello山本珠加(高2)continuo-Cembalo七星ひかり(中2)指揮は芦塚陽二先生です。

この曲は、急遽、最初は演奏予定ではなかったのですが、「もし、生徒達が演奏出来るならば」、という事で、急遽、programに載せた曲です。
本番の2、3週間前に、オケとsoloの合わせのtestで、これから練習を開始しても、充分に本番までには、演奏可能な水準迄level-up出来る・・と思ったので、前回の演奏から、全面的にperiodのstyleに、曲のimageを変更して、演奏しました。

真面目にちゃんと、練習を積み上げたように、聴こえるから、大したものです。(勿論、以前、この曲を演奏した時には、modernのstyleで演奏しているので、全くinterpretationが異なります。)。






17年11月23日八千代コンサートSweelinck Mein junges Leben hat ein End
2017年11月23日(木)八千代市生涯学習プラザ主催 オータムクラシックコンサートの演奏風景です。

曲はSweelinckのOrgan曲集から芦塚陽二先生が弦5部にarrangeをしたものです。

SweelinckはRenaissanceから初期baroqueに掛けての作曲家で、Biberよりも更に古い殆どRenaissanceの作曲家です。
という事で、独特の和声法と純性のharmony、Variationも非常に静的な変化の少ないように作曲されています。

それを今日の人達向けに演奏するのは至難の技なのですが、非常に静的な曲を演奏するという難しい課題に挑戦します。
歌の部分はa cappellaでsoloで歌うのが常套なのですが、自治会館コンサートではviolinのsoloで演奏してみたのですが、歌詞がないので、場が保てませんでした。
と言う事で、急遽、cello、とKontrabassを除いた伴奏をつけました。
但し、Renaissance風の古い和声法を古式豊かに使用しています。
調性の無い、教会和声的なharmonyをsenza・vibratoで演奏しています。





17年3月12日春待ちコンサートVivaldi Op.3Nr.8 a moll doppelviolin‐concerto
2017年3月12日千葉市花見川区花園自治会館、「しんけみ広場」実行委員会主催 の春待ちコンサートによる芦塚音楽研究所千葉教室の演奏風景です。


曲はVivaldiの調和の霊感( l'estro armonico)Op.3Nr.8 a moll 二台のviolinのためのconcertoです。
violin‐solo荒谷愛(小5)古川紗來(小4)violasolo千野瑞希(小4)cello‐solo森真雅(小4)Cembalo七星ひかり(中1)です。

2楽章は、violin‐soli太田千夏(高1)本田梨紗(大1)、viola‐solo斉藤純子先生です。

指揮は芦塚陽二先生です。

前回、初めてvideoの編集softで編集を試みたのですが、編集の時の凡ミスが見つかったので、その部分だけを、差し替えようと思ったのですが、音声も1カメから2カメに変わる時に、2カメの音声に変わってしまうので、聞き辛い・・との生徒からの指摘があったので、全ての音声を1カメの音声にしました。
という事で全面改訂する事になりました。
発表会のように、1カメと2カメと3カメの音声を同時に録音すると、サラウンド効果が出て、音に深みが出る場合もあるのですが、今回の場合には、音にエコーが掛かってしまうので、メインの音声だけにしました。
そういう事なので、差し替えよりも、新しく作り直しました。
と言う事で、これまでのYou Tubeへのアクセス数も、100以上に達していたのですが、アクセス回数はカウントが0に戻ってしまうのは残念なのですが、仕方ありませんよね??

ちなみに2楽章のornamentは1stは大田千夏、2ndのornamentは本田梨紗のImprovisationです。










練習・lesson風景
練習風景・lesson風景でも、baroqueや古典派の演奏でperiod奏法に関する曲のorchestraのlessonだけをuploadします。
通常の古典派以降の曲のlectureは、uploadしませんので、ご了解ください。。



2018年4月1日のorchestra練習風景です。


写真は4月8日の自治会館の総合練習です。

Vivaldi cello-concerto a moll Ⅰ楽章
period奏法への、一番初歩の導入のためのlecture-lessonです。
一般的なbowingとは異なったbaroque特有のbow-slurを使用しているので、非常に難しいlevelの演奏になります。

一般的には、1:3のbowingの時には、1のbowが乱暴に早い弓で演奏される事が多いのですが、恰も、legatoでone‐bowで演奏しているように、弾かなければなりません。




Vivaldi violin‐concert Op.8Nr.11D 18年4月1日lecture‐lesson 萩元美音9歳
写真は4月8日の自治会館の総合練習です。

純正の和音の訓練と、Vivaldiの独特のRecitative・・、tempoの無い自由な演奏の練習です。

Hoffmeister viola‐concerto DⅠ練習風景viola‐solo 千野瑞希11歳
古典派の独特のperiodの演奏を学習中です。





論文とFacebook・homepage等

15年10月11日H. purcell triosonate Nr.7g moll chaconne period instruments

Hennry Purcellのtriosonate g moll chaconneです。
15年10月11日芦塚音楽研究所千葉教室秋の発表会、第4部1番baroque楽器による演奏(period instrumentsと奏法)です。
interpretationとornament指導は芦塚陽二先生です。baroqueviolinⅠ斉藤純子先生、baroqueviolinⅡ本田梨紗、Cembalo岡村智子、basso continuoのviola da gamba牧野由起子先生です。



2015年5月27日



5月の10日に、子供達への曲の楽譜の渡しを終えて、今回は40年振りに・・というか、教室を開設して以来初めて・・というか、年長のorchestraの曲が、一曲もない、という異常事態なので、それでメゲて欝になっていても仕方がないので、その苦境を逆手に取って、急遽、前回発表会の時間の関係で演奏出来なかったbaroqueを復活させる事になりました。

しかし、13日のcommentにも書いているように、このHennry purcellのChaconyは、兄貴の辛口messageだけでなく、先生達や梨紗ちゃんも、結構良い演奏と思った演奏を聴かせたのにも関わらず、「かったるい!」「眠くなる!」「つまらない」との感想だったので、12日の火曜日は椎名町の事務所には、誰もいない日なので、わざわざ椎名町迄、プリドルのご機嫌伺いに行く事もないので、江古田に隠ってpurcellのChaconyの「装飾音入れ(ornament aussetzung)」に没頭しました。

baroque音楽には、当然、装飾音(ornament)即興を入れて演奏しなければなりません。
それはpurcellのtriosonateのような特別な曲の話ではなく、baroqueの音楽には、一般的な話しなのですが、ずっと以前から、ornamentや即興を子供達に指導するために、そういったbaroqueの演奏の方法論を調べようとして、様々な書物や文献等を読みましたが、「ornamentや即興の技術は、神から与えられた才能の成せる技で、勉強したからといっても、どうなるものでもない。」と書かれているのが普通でした。

確かに、文献を買い込んで来て、幾ら読んでも、実際の曲には、なんの参考にもならないので、結局は、「Jordi Savall先生達のような、名人クラスの人達の演奏を聴いて、真似していくしかないのかな??」というのが一般論です。

・・・しかし、そこにも、私は、ornamentやimprovisationが必要である・・という本来の意味から、即興の方法論を導きだしました。

演奏やornament奏法の前哨戦として、Pianoの初級の段階のBachのinventionの辺りから、Cembalo奏法の基本である、早いaccentを表す、trillやmordent、或いは弱拍を表すtrill、glissandoやslurを表すschleifer、或いは弦楽器のvibratoを表す、triller等、曲のarticulationやAgogik等のinterpretationをJ.S.Bachも彼のinventionやsinfonia等で、samplingしています。
ですから、逆に、その課題の曲に必要な表現に対してのornamentや即興を、当て嵌めて行けば、生徒の誰がornamentを付けても、即興を書いても、その曲に必要な表現法に変わりはないので、数学のように、誰が解答をしても、100点万点で、全く同じornamentやimprovisationの回答を付ける事が出来ます。
つまり、その事を逆の言い方で言うと、「ornamentや即興には、才能や、能力は要らない」のです。

そこで、ornamentの基礎、基本を身に付けると、やがては、闊達にornamentやimprovisationを使い込なす事が出来るようになります。
しかし、そういったornamentのmethodeも、その存在理由が分かって、しかも、曲のAnalyseが出来てから・・という条件は入ります。
こういった技術や方法論を極秘のmethodeとして、秘密にしておく必要は私の場合には余り、感じないので、一人でも多くの人達に指導して行きたいと願っていたのですが、権威とbrandの無い私には、そういった事が必要な人達は集まっては来ないようです。

それ以上に時代が少子化になって、私自身も齢を重ねてしまって、invention等の指導をする生徒も現実的には、一人もいなくなってしまったので、「このtrillは強拍を表すtrillだよ。」とか、「このtrillは弱拍でしかも、decrescendoを表すので、こういう風に演奏するんだよ!」とかを昔のように小学生や、中学生に指導する事もなくなってしまいました。

体力の問題ではないので、すこぶる残念です。
Facebookを始める時に書いたように、老兵はただ去るのみ・・・なんでやんすかね~ぇ??  

まあ、音楽の勉強を始めて、Bachを学び始めた最初からornamentの効能をよく理解して勉強していれば、baroqueなんて怖くないのですがね。アハッ!

という事で、世の中を批判し、嘆いている暇があったら、やる事は山のようにあるので、嘆いている程時間がないので、早速、12日に、一日掛りで、purcellのChaconyに、ornamentを付けて、芦塚versionのinterpretationを作り上げました。
だから、私のornament奏法には、考える事や、ひらめきが降りて来るのを待つ必要はないのですよ。

しかし、まあ、「作り上げた」とは言っても、violinのシテ・ワキ分だけで、basso continuoのcelloのpartや、Cembaloのpartは、余りにもヘボかったので、数字から訂正しなければならないので、熟考が必要なので、未だに保留になっているので、音声にdown loadしていないのです。
それに、・・・・・(ここで、また、話はrepeatして、)前回は、finaleで作り上げた楽譜から、音声fileを作ったのですが、私のパソコンには、CDのためのリッピングのソフトが、入っていないので、CDやDVDに焼いて、梨紗や先生達に聴かせる事が出来ません。
softと言っても、たかだか5000円ぐらいなので、買えば良いだけなのだけどね。
なきゃあ、ないで、何とかしているので、freesoftを使おうと思ったのですが、「買え!買え!!」と、後々、messageが入って来て、うるさいのですよ!!
freesoftは、結構、困ったちゃんなのだよね。

mediaplayerでCDを焼いても、DVDで再生出来ないのですよ。
昔のDellのdesktopは、ちゃんとCDのsoftが入っていたので、そういう事はなかったのだけどね。
という事で、Cembaloの右手は全体の半分ぐらいは元の楽譜のままです。
・・つまり、未だ未完成なのです。
という事で、その間に、Greensleeves to a ground in Dorischをこの3日で作り上げたので、またぞろ、purcellのChaconyに戻って作業をするつもりです。
まあ~、年甲斐もなく、よく働くよね~??
いい加減休めば良いのにね~~??

蛇足ですが、椎名町のspinetはbaroqueviolinのために、426cycleに調律しました。
415cycleは、標準Aを440に調律した時のAsのpitchで、教室は、標準Aが443cycleなので、Asの音は418になります。
これをbaroquepitchと思い込んでいる人が多いようですが、これは20世紀に入ってからの便宜上のbaroquepitchなので、本当の本物ではありません。
間違わないように・・!

ヨーロッパのrecorderは基本435cycleでtuningしてあるのが、普通です。
baroque音楽を勉強しようというviolinの人が、半音低く読み替えて演奏するのは、邪道で絶対に良くありません。
反省しましょうね。
だから、便宜上のpitchではなく、435cycleや426cycleになったら、読み替えは出来ませんよね。
violaを5度下げて奏くという弾き方も、日本の音大生の間違えた弾き方です。
そういうあんちょこな勉強をしたら、将来的に確実に行き詰まってしまいますよ。
人生さえもね。
まあ、そんなどうでも良い事はさておいて、baroque音楽の重要な大曲の形式でもある、foliaやchaconneやpassacaglia等の変奏曲形式の奏法なのであるが、困った事に、その形式についての論文は洋の東西を問わず見当たらない。

baroqueから古典派、近現代に至る迄の作曲家達が、歴然とした形式を踏まえているのにも関わらず・・である。
Bach時代から作曲家の間には当然の如く周知の事実なのに、一般の音楽家達、楽典の本や研究論文には、全く触れられていない話が多いのは非常に面白い。

・・・という事で、暗黙の了解で、Hennry purcellのtriosonate g Chaconyに関しては、変奏曲形式で作曲しているのだが、Greensleeves to a ground in Dorischに関しては、変奏曲形式は使用していない。




5月28日 4:12
Hennry purcellのtriosonate g Chaconyの大元の楽譜はedition Petersですが、個の楽譜は、兎に角、continuoが酷い!確かにこの曲は対位法的な複雑な動きをする曲であって、Vivaldiや、corelli等のように、明瞭な和音進行の曲ではないので、和音を書き加えて行くのは超難しい難解な曲ではある。
こういった難解な曲を簡単に数字付き低音に和音を付け加える一番安直な方法は、上二声のpartをそのまま、コピペする事である。
この楽譜のarrangeも殆どそうなってしまっていて、ドイツの有名な教授かもしれないが、マジ「ズブの素人か??」と疑うばかりである。
上二声のコピペがなぜ悪いのか??
そりゃあ、演奏する時に、音痩せしてしまうからであり、それなら、basso continuoのCembalo(Organ)partは必要ないからである。

今回uploadしたChaconyは、上二声のpartには、articulationやAgogikに合わせて、合理的にornamentやimprovisationを施したのだが、未だ製作途中という事で、肝心かなめのCembaloのpartは未だ作成途中で、半分迄しか進行していないのだが、明日の木曜日から、日曜日迄は、one lessonや、orchestraの指導、室内楽の指導があるので、ハイツに戻って来るのは、深夜を回っているので、仕事が出来ないので、この先、楽譜の手直しは、月曜日迄、保留になってしまいます。

金曜日には、梨紗と斉藤先生がbaroqueviolinで合わせをやるので、その時迄には、メドを付けておきたいよね!
あ~ぁ!時間がない!!
ジャネーさんの法則かいな??
それジャネー!!

下の楽譜は、purcellのこの曲のthema(cantus firmus in Bass)です。
5小節しかありません。(通常なら、このthemaのcaseなら、4小節ですかね??)


さて、温故知新の話の続きですが、歴史認識にしても、原発の問題にしても、昔を知らない事に依る無知が、色々な誤解や過ちを引き起こします。
歴史の中には、オーパーツのように、時代を超越した偉人が時々出てきます。
私が一番驚いているのは、ギリシャの文人や数学者のおエライさん達もそうですが、Renaissance期に発明された時計は、その機構を現代と何一つ変わっていないのです。
1500年代の後半には、ガスパーロ・ダ・サロやアマティがviolinを作り上げたのですが、これはStradivari同様の最高傑作で、こんにちの楽器製作者の目標でもあります。
弓もトルテの弓が現代でも最高と言われています。
つまり、温故知新どころではなく、その当時の域にも達する事は出来ないのですよ。
その後、violinは色々な改良を加えられて来たと、言いますが、一つを得るという事は、一つを失う事でもあるのですよ。

つまり、大きな音量と引き換えに、美しい音を失ってしまったのですよ。
トルテ以前のbaroquebowなのですが、ヨーロッパで、自称世界的なbaroque演奏の団体が数多くあって、ガンバ...棒よりも更に、頑丈でぶっといrundbow(円形のアーチ状の弓)を使って、ガンガンビシビシと大きな乱暴な音で演奏するのがbaroque演奏の一般的になっています。Spitzeであろうと、froschであろうとsforzandoやaccentを付けて平気で演奏しています。
でも、そんな弾き方をすると、細くてしなやかなbaroqueの弓は、一瞬で折れてしまいますよ。
だいたい、弓の歴史書のなかに、そんな巨大な弓はなかったし、あったとしても、当時の遺伝子操作されていない自然な羊さんからのガット弦では一瞬で切れて使い物にはならなかったでしょうにね???
そんなモンスター棒でもこんにちのガット弦が切れないのは、ガットもどきのナイロンの弦だからです。
でもbaroque時代には、そんなものはなかったのですよ。

少なくとも、戦前の日本にもナイロンはないろン!!
そんなのは常識的に考えれば分かるのに、それをperiod奏法と呼んでいるブルースウィリスのそっくりさん(Stefano Montanari さん)の、baroqueviolinの奏者がいるので困ったものです。
period奏法と思わなくて、baroqueもどきの音楽として捉えると、なかなか面白くて、結構好きな演奏なのですがね。

https://www.youtube.com/watch?v=XIleRg3xTew la folia Corelli=Geminianiです。
大きな音量の現代の大orchestraは色彩豊かで表現力にも富んでいます。
基本の調の違う色々な楽器を組み合わせる事は、豊かな音を出す事が出来る反面、たった一つのドの音を揃える事すら難しくなってしまったのですよ。
baroqueの演奏で、vibratoをしないのは、美しい純正の和音の響きを活かす為であって、決してvibratoを出来なかった分けではないのですよ。
私が専科の生徒達にbaroqueを教えるのは、baroqueが専門だからではなく、baroqueの奏法を知れば、前任者から教えてもらった事が必ずしも、正しい事ではない、という事を自ずから知る事が出来るからです。

それに、私は作曲家だから現代曲が専門なのですがね。
これも温故知新なのですよ。
昔を知れば、何が正しいかが分かる。
前の総理がどう言ったかではなく、日本人として歴史を学んで欲しいものですよね。
現代の人が昔の人達よりも優れている事は何もないのですよ。
だったら、歴史や科学に徹底的に学べば、良いのです。


椎名町に夜の食事は、先生達と一緒にします。
その前にシーズーのドルとプリの散歩に行って食事して帰ると、どうしてもシンデレラタイムの深夜、1時半にはなるようです。
という事で、一昨日の話迄戻るのですが、一日中、耳の後ろのリンパが痛くて喉も少し腫れ気味で、少し微熱もあるようなのですが、痰が出て咳も出るので、風邪が治りきっていないのか、それともまたぞろ引き直したのか、それとも歯周病で、細菌感染でも起こしたのか?色々悩みながら、病院に行くべきか、行かざるべきか、それが問題だ!!・・と思っていたのですが、やはり昨日は一日微熱気味で、体調不良で起きていると意識混濁になるし、眠るとイライラするし、と、毎度お馴染みの欝状態でした。

しかし、そういった体調不良の状態も、余りにも、日常的なので、教室で生徒達に「徹夜だ!」と言っても、先生達に「欝が酷いから・・」と言っても、「いつもの事でしょう??」と、構ってくれません。

・・ってチョッと前にも、同じ愚痴を書いたよね?!
同じ事を書くようになると、アルツハイマーの初期段階かな??

・・・で、何を言いたいのかというと、「それは兎も角...、どうせ、寝れないのなら」と、これもいつもの通りなのですが、体調不良と微熱気味なのを押して、このpurcellのChaconyのbasso continuoのpartを、何とか頑張って書き上げてしまいした。

この曲はbaroqueの室内楽の形式である、triosonateというgenreの中でも、Chaconyという形式なので、当然、複音楽の荘重なsonateであるkirchensonateという形式に属します。

という事は、basso continuoを司る楽器としては、寧ろ、Cembaloよりも、pipeorganでcontinuoを書いた方が自然なので、Cembalo譜としてではなく、Organ譜として、continuoのpartを書き上げました。
但し、この曲の私のarrangeは、完成された演奏会のために作り上げた演奏を想定した最終稿ではなく、その一つ前の、生徒達にbaroqueの音楽の作り方を指導する上でのtemplateとして作っているので、ornamentは基本的なarticulationやAgogikを表すもの、slurやglissando(legatissimo)を表すschleifer等に限定して、教科書的に、オタマジャクシにornamentを付けています。

という事で、演奏者の感性やinspirationを必要とするより自由な才気溢れたornamentやImprovisationは、今回のarrangeでは、全く使用していません。
あくまで、お勉強を目的とした、step oneの教材として書いています。
ですから、今回の動画はornamentの楽譜付きの動画になります。
scoreの真ん中の2段はoriginalの楽譜のままで、最上段の2段が装飾譜となります。
勿論、通奏低音のOrganのpartのRealisationは私の書き上げたものです。アハッ!
 
動画が立ち上がってから26秒程お待ちください。
時々緑飛びしますが、chapterは付けていないので、webvideostudioの不具合だと思われますが、対応の方法が分からないので、悪しからず、ご了承ください。












Facebookにuploadされた論文