代表芦塚陽二から講師志望の方へ
芦塚音楽研究所とメトードについて

 私と教室

私は現在は作曲家と言う肩書きよりも、芦塚音楽研究所の代表取締役という立場で知られている事が多いような気がします。しかしながら私が音楽教室を作ったのは、36、7歳を過ぎてからなのです。結構、年を取ってから、と言う気もします。ですから、それまでは子供と接する事はめったにありませんでした。

私が音楽教室を作った為によく私が子供好きで、教育にとても熱心だ (ライフワークにしているなど)という風に誤解される事があります。しかし実は、私は生まれつき子供を扱うのは結構苦手で、人に何かを教えるより、「自分でやったほうが楽だ。」と言うタイプなのです。

ですから、私の生徒が音楽大学の講習などで教授に「君は誰先生についていたのかね?」とか聞かれて「芦塚先生です。」とか答えると昔の私を知っている人は「え〜っ!彼は生徒を教えているの?」とか驚かれて「よくあんな厳しい先生につけたねぇ・・!」とか言われて、逆に生徒のほうが「え〜っ!芦塚先生ってそんなに厳しかったの?」と言って、びっくりする事がよくあります。

実際にドイツ留学から帰国するまでは、自分にも他人にも厳しかったようです。「〜ようです。」と言うのは自分自身では、自分のことはなかなかわからないことですから。

 

教室と経営

(という事で話を元に戻して)、意外に周囲の人には理解されていない事なのですが、この教室、いわゆる芦塚音楽研究所は、私が自分自身の人生の目的のためや、ましてや生活のために作った仕事場ではないのです。

経営サイドの考え方で考えてみると、基本的には音楽教室の経営は儲かりません。いや、教室の経営は自分自身の生計を立てるどころか、私の私財の大半をつぎ込んで成り立っています。つまり、(音楽教室を作る前に蓄えていた私自身の私財を投資して、教室の運営に当たっているということで、私にとっては、教室は金食い虫でしかありません。)経営的に考えると、音楽教室でのレッスンよりも、同じ音楽の世界ででも、もっと見入りの良い職業は幾つもあります。

 

音楽教室の経営に当たっては、ずいぶん以前、私がまだ音楽大学在学中の話ですが、今は亡き従弟が「従兄弟同士、皆で金を出し合って音楽教室をやろうよ。(経営しようよ。)」といってきた事があります。それで私が兄弟や、従兄弟達に「音楽教室は儲かんないよ。」とピアノやヴァイオリンの先生達に払う給料や設備費、のほかにかかる付帯設備費、グランドピアノや楽譜などの教材費等々、実例を挙げて詳しく計算をしてあげたことがあります。で、そのときに聞かれた事は「じゃあ何で楽器店なんかは、あんなにいっぱい音楽教室を作るのかい?楽器店がそんなに儲からない事をするはずがないじゃないのかい?」と聞き返されたので、「楽器店などの場合には、楽器店が教室を作ると、先生や生徒は必ずその店でピアノや楽譜などを買うじゃない?固定の顧客を増やす上で音楽教室自体は儲からなくっても楽器店にとっては、そのメリットは大きいのだよ。」と説明すると、「ふ〜ン。」と納得して、音楽教室の話はそれで立ち消えとなりました。その代わり「養鶏場をやろうかな?」とか、従兄弟同士で愚にもつかない与太話ばかりで盛り上がっていましたが・・・。

という事で音楽教室の経営という事については、私自身は大学時代から消極的で、友人に教育上の問題で、音楽教室を立ち上げるように進められるまでは、音楽教室経営のみならず、子供の指導に対しても、無関心でした。(勿論、無関心な原因は経済的な理由ばかりではなくって、音楽を学ぶ人達の音楽に対しての意識について、私がはなはだ批判的だったからですが。)

 

個人の教室として

しかし、「音楽教室は儲からない」というお話は、あくまで会社の経営として音楽教室をとらえた場合であって、逆に個人で音楽教室をやる場合などは、(特に主婦の家庭で出来るバイトとしては)この上ない高収入を期待する事ができる良い仕事ではあります。

主婦が自宅で音楽教室を立ち上げる場合には、教室立ち上げ上でネックとなる設備費の色々、例えば、グランドピアノも自分の持っているグランドピアノで済ますことが出来るし、楽譜も自分が勉強してきた楽譜をそのまま使えばよいし、オーディオも家庭にあるのをそのまま使う事ができるし、発表会の撮影に使うDVCカメラなども家庭用のと、兼用すればよいのですから。教室経営にとって一番大きな経済的負担はレッスン室ですが、それですら自宅でお金はかかりません。教室開設でネックになる設備費が全くかからないのです。それに加えて自分自身が子供を集めて指導する分には、指導者に払う人件費すらかからないわけです。

しかし、同じことを会社として人を雇ってやろうとすると、音大生が長年かけてそろえてきたものを、会社として一度に集めなければならないので、それ相応の設備投資が必要になります。

 

音楽教室と税務署

また、音楽教室は単位時間当たりの人件費と場所代、その他に掛かる経費が、音楽教室以外の一般の教室に比べて異常に高く、私達の教室でも、一人当たりの人数に対してですが、教室のスペースが結構広いので税務署の人から脱税しているのではないかと疑われて、一週間以上も調査をされた事があります。調査に来た若い税務署員の人は教室の“部屋別”の時間割や発表会のプログラムを見ただけで「ああ、分かりました。自分も音楽の趣味があるので状況はわかります。」と納得されたのですが、上司の人が音楽教室の実態をなかなか理解し納得してくれなくって、「僕としてはやる事は何も無いのですが・・」とぼやきながら経理の書類を一つ一つ照らし合わせながら10日間も江古田と千葉を往復しながらチェックしていき、そのときに自動車税の所が9万5千円がとならなければいけない処で小数点のうち間違いで95万円になっていた帳簿上のミスを一週間後に見つけ出して「やっと帰れる。」と喜んでいました。

ではどうして税務署がそういう風に私達の教室が、脱税をしていると言う風に勘違いをしたのかと言うと、通常、教室と名がつくと、広い一部屋に、一時間当たり30人ぐらいの生徒がいるのが普通だからです。ですから、月謝は、単位時間(一時間あたりの)収入は仮に、一人当り、1時間三千円だとしても30人だと1時間9万円の収入にもなるのです。英会話でも、塾でも、経営収入は、一人の教室(部屋)×先生(人件費)×生徒数×単価(レッスン代)なのですから。

というわけで、音楽教室が仮に(単位時間)一時間当りに、一人の生徒、一人の先生で、仮にレッスン代が1時間当りの収入が1万円であろうと、一般の(一人当たり3000円程度の月謝の教室と比較しても、)教室から考えると全く割が合いません。

楽器店の副業とか、主婦の自宅での仕事としてでは無くって、本業でそんな大名経営はありえないのです。

そうした大名経営という事を改善するために大手の音楽教室は、リトミック教室や電子楽器による集団指導のクラスを作っています。それは若い先生達にとっての収入源としてもとても大切です。

個人レッスンだけでは生活に必要な充分な収入は得られませんし、教室としても新しい生徒の確保に必要な事であります。音楽教室もそこの部分だけは(税務署的には)健全経営といえます。

ですから、音楽教室を、単なる会社経営としてしか捉えない税務署にとっては、私達の教室のように、広いオケ室内楽教室に一時間、一人の先生(インストラクター見習いの弟子もあわせると2,3人の先生)に一人の生徒というのは、経営的に絶対にありえない事で、普通、常識的に考えると、何らかの形での脱税以外の理由は考えられないのです。

しかしそれは税務署の考え方がおかしいわけではないのです。

「会社とは儲ける所でなければならない。」という事は、教室を設立するときにも、法務局の人に散々注意され、文句を言われましたので・・。

会社にとっての社会貢献とは、あくまで会社が儲かって、その利潤を社会に還元するためにコンサートホールを作ったり、演奏会を企画したり等々、或いは儲からないボランティア活動をする・・それなら許されるのだそうです。儲けようとしない会社は、会社にはなり得ない、或いは会社とは呼ばないのだそうです。

 

 

何故音楽教室を作るに至ったか

(音楽教室設立のきっかけ)

しかしながら、教室創設当時の芦塚音楽研究所(正式な当時の名称は慎ましやかに、芦塚音楽研究室ですが)は、もちろん会社ではありませんでしたし、教室の本来の目的は、私が大学に努めていた頃、書いた論文を特定の有識者たちに証明するために作られたもので、私個人の私設の研究室に過ぎなかったのでした。

それに私としては、別に教室が「音楽専門の教室」である必要すらなく、ただの一般教科の塾でもよかったのです。それが音楽教室になったのには、偶然な理由があります。

私が留学を終えて、日本に帰ってからは、東京で大学の先生をやりながら、作曲を続けるつもりでしたので(地方では作曲を続けるだけの音楽的な環境は期待できないので)大学は何処でも良かったのです。大学は何処でもよいというと、ちょっとえらそうに聞こえますが、実は大学の講師の収入で生活をすることは出来ません。しかし、専任の講師になるためには、週に3,4日をその学校で指導しなければなりません。大学の講師職だけで生活を立てるためには、後1,2校を非常勤として教えなければ、家賃すら払う事は出来ません。勿論、受験生を数人取って指導すれば、それでも生活は出来ますが、大学から帰って受験生の面倒まで見るとなると、作曲したり勉強したりする時間が全く取れなくなります。また、ちょうどその頃は私の母校は学長の死に伴っての権力争いのど真ん中で、全ての先生達がその渦の中に巻き込まれていました。と言う事で、母校に戻るよりもちょっと腰掛でもよいから、どこか別に雇ってくれる大学を探していました。また、そのほかに2,3人の受験生や、留学志望の院生などを教えると、とても気楽に生活をすることができました。

放送関係やマスコミ関係でも仕事を探してみたのですが、これは全くクラシックとは別の世界でお話になりません。クラシックの作曲の注文なんて、1年に1曲も無いのですよ。マスコミに籍を置いていたとしても。

ちょうどある音楽大学と田舎の大学が講師を求めていました。両方とも留学中の年数を指導暦に入れてくれて、ベテラン扱いにしてもらいました。教育の大学の方は教授のCランクの授業の指導料を払ってくれました。音楽大学の方も大学生の他に、子供科の生徒の中で問題児達の指導を「主任待遇」と言う事で頼まれて指導する事になりました。数名の家庭環境の問題児を除けば、殆どの生徒は基礎力が身に付いていないままに小学校の上級や中学生になってしまった子供達ということが分かりました。そこの大学の付属音楽教室は400名以上のピアノの生徒が居ますが、4月を除いては殆どの月で何らかの試験があって(スケールの試験、エチュードの試験、バッハの試験、曲の試験、それに古典派のソナタだの、何だのかんだの)とても落ち着いて基礎を学ぶ環境や時間はありませんでした。と言うわけで4月から教え始めた私は、まず、レッスン時間を大幅に変更して、技術順に生徒がレッスンに来るようにしました。一人の生徒の持ち時間は30分です。ですから自分より下手な子と一緒に10分連弾をする。20分基礎のレッスンをする。自分より上手な子供と連弾をする。こうすると一人のレッスン時間は40分になりますが、実際には前後に5分ずつ連弾に時間を割いているのに過ぎません。連弾は2人で弾く曲なので、力関係になります。上手な子供が下手な子供を引っ張る形になるわけです。と言うわけで、8月頃まではまったく試験を無視してカリキュラムを立てて指導していました。毎月の試験の後で行われる反省の会議では、私のレッスンのやり方が常に槍玉に上がって「芦塚先生の指導はなっていない。」「指導力が無い。」など毎回毎回こき下ろされる日々でした。尤も私は意図してそれをやっていたので「ケロッ!」としていたのでこきおろしがいが無かったとは思いますが。8月頃になって生徒が「先生、後3日で試験だよ!?」「ああ、そうだったね。好きなのを弾いておいで!」と言うと、子供達はそれぞれ自分の好きな曲を弾いてきました。ところがその子供達が各学年で、1位2位を独占してしまったのです。反省会のときに先生方は言いました。「芦塚先生だけ、特別に優秀な生徒を貰ったんだよね。」

その生徒達が、昔、自分達が指導して、すっかりだめにした生徒であることや、今の今まで会議のたびに散々パラ、私の指導をこき下ろしていた、その生徒であることを、その先生方は理解しようとはしませんでしたがね。

しかし、12月頃になると、私が指導している生徒達と他の先生の生徒達のレベル差は父兄の間でも知られる事になってしまいました。と言う事で学長に呼び出されて、「芦塚先生、他の先生と同じように教えてもらえませんか?」と暗に生徒のレベルを下げることを要求するように申し出られたので、「私の役割は終わったようなので、3月いっぱいで辞めさせて下さい。」「それはありがたい。」と円満に退職する事になりました。

でも、このことと同じことは私の弟子にも起こりました。まだ私達が教室を作る前の事でしたが、教室を作る場所を探すためにある地方の音楽教室に私の弟子が教えに行きました。そこの教室には年はまだ若いけれど結構なベテランの先生がいて羽振りを利かしていました。1,2年で指導している生徒達があっという間にベテラン先生の生徒を追い抜いてしまったのです。その時も、私の弟子はオーナーに呼び出されて「他の先生と同じように指導してほしい。」と言われました。最も逆も困るけれどね。「ほかの先生の生徒は上手なのにその先生の生徒だけ下手」というのもね。

 

教育大学の方は、もっと悲惨な生徒が来るので(ドレミのドの位置が分からないとかピアノに生まれて初めて触ったとか、或いは教頭先生で単位が足りないので30年ぶりに学生をやっている先生とか)、結構面白かったし、ずぶの素人をベテランの教師にするのはなかなか迫力のある仕事でした。数千名の学生を指導したと思います。個人で見ている生徒ですら、毎年100名位にはなるし、集団授業となると後ろの方は見えないからね。それなのに、「街で見かけて、挨拶したのに、名前も覚えていなかった。」なんて怒られたりして。君は先生の名前を5,6名覚えればいいのだろうけれど、私は500名、1000名の顔や名前なんか覚えられないよ!その頃の活動は結構新聞にも載ったりNHKなどの教育テレビなどにも取り上げられたりしました。その頃、大学を卒業した生徒の就職先周り(小中学校や幼稚園など)や勤めている教え子に頼まれて、指導のアドバイスに回ったりしている合間に書いた論文が高校時代の同級生の目に留まって、タイミングよくちょうどその頃すべての学校を辞めて、著作活動に専念するつもりだったのですが、彼の教育に対しての熱意にほだされて、「あなたの教育の理論を実践で証明して欲しい。」と言う依頼を受ける事になります。

と言う事で、まず、芦塚メトードと言う私の理論を勉強してくれる人を探さなければなりませんでした。

 

教室の立ち上げ

それは、芦塚メトードが「メトード」であるためには、私個人が子供を指導して成功を収めても、全く意味を成さないからです。メトードとは個人の力ではなく、その理論や技術をマスターすれば誰でも同じように指導できるということを証明しなければならなかったのです。そのために私の理論を勉強し、マスターしてくれる人を探す事、それが次の問題でした。

私が日本に帰ってきて、再び東京の江古田に住み始めたときに、偶然、私が音楽大学在学中に音楽大学の受験の指導をしていた昔の生徒に出逢いました。既に彼女は音楽大学を卒業して、演奏活動の傍ら、数名の子供のヴァイオリンを指導していました。そこで当面は彼女の生徒を使って彼女にヴァイオリン演奏の技術と理論を指導し始めました。最初は私の理論を批判的に見ていて、信じる事のできなかった彼女でしたが、私に従って教える生徒が信じられないぐらいの伸びを見せ始め、自分が出来なかったテクニックなども軽々と弾きこなすようになって、改めてメトードのすばらしさを認めてくれて、花園教室の立ち上げに協力してくれました。

彼女がヴァイオリン専攻だったので、ヴァイオリン教室からはじめたわけです。

それが、芦塚音楽研究所が音楽教室になった理由です。

また芦塚メトードの中で最も重要な部分である集団教育の部分では、弦楽器はその特性上教育に優れた効果をもたらします。つまり、オーケストラや室内楽など共通のテーマを集団で取り組んでお互いが成長しあうという所です。勉学は本来個人のものなのでそれを集団で学習するとなると、どうしても力関係が出てしまい、特定の子供のみが成長してしまうという事が起こりやすくなります。それを防ぎたい、という意味から音楽(特に弦楽器)は他の芸術や学習などよりも優れた分野ではありました。

 

但し、時を同じくと言うよりも幾分先行して、小学校でも芦塚メトードの実験は行われていました。私が勤めていた大学の卒業生達が実践に協力してくれていたからです。芦塚メトードで出てくる、精薄児の例やその他の問題児の指導はそのときの実例になります。漢字テストの例や、情緒を現す表現力の例、指導を初めてわずか半年で中国にまで行った問題児の書いた絵画の例など、数限りなく成果を見せてくれました。が、いかんせん小学校内部ではそういった教育は認められるべくも無く、全くの異端に過ぎないのです。文部省の指導要録や周りの先生達との整合性にも色々と問題があります。学校ではある先生が特別に優れている事は許されません。学校の全てのクラスの公平性においての問題でもあるのですから。

 

芦塚メトード実践の場から教室経営へ

最初の教室の目的は、あくまで芦塚メトードを実践して、その理論が普遍的で正しい事を証明すればそれでよかっただけなのです。それにはわずか2,3年しかかかりませんでした。という事で最初の4,5年は某国営放送局のトップの方や、各有名大学の学長さん一家や、大阪の**委員会の関係者などなど、はたまた教育関係のみならず、色々な方面の経営者の方々がレッスンの見学や発表会の見学に見えられました。しかし、実際にソフトを企業に売ったり、或いは私達の教室が各種学校などになったりして、教室のメトードに企業や文部省などの考え方が入って来ると、私達の教室が教育の理想として求めているものと、全く違った姿のものになってしまうという事に気付かされ、ソフトを売るという事、等はあきらめざるを得ないという事になりました。(最も、私としてはさっさと、ソフトを売りはらって、後は悠々自適で南の島あたりでのんびりと暮らしていてもよかったのですが・・。)

 

また、同時期に私のメトードで育ってきた生徒達が高校生や中学生になって、このまま教室に残りたい(就職したい)と言い出してから、状況が少し変わってきたのです。それまでは私の教育理論の実験教室に過ぎなかったものが、職場、所謂、芦塚メトードで育った弟子達が教育活動や演奏活動を続けていく上での、足場として、或いは勉強と職業としての生活の場所にもなってきたのです。という事で芦塚音楽研究所も、私一人の個人教室から、より公のものである「有限会社芦塚音楽研究所」として法人化しました。しかし、それは逆に私にとっては、現在も私の資材を投じ続けなければならない、金食い虫であり続ける事になりました。

 

音楽大学の卒業生

いつまでも私財に頼ると言う事は経営的にははなはだよろしくない事は当然です。そんなことをしなくとも(私財を投じなくとも、)経営と理念の両立という事は簡単に出来ます。可能なのです。その打開案で、先生を増やして教室を増やしていく事は、ただ単に教室を大きくしていくという事のほかに、経済的にも楽になるというメリットもあって、長年の夢でもあり、そのために教室の生徒だけではなく、即戦力となるように、たくさんの音楽大学の生徒や、卒業生の面接をしてきました。

が、国立の音楽大学の卒業生や有名私立音楽大学出身の学生が、いくら熱心にヴァイオリンやピアノを練習して来たとしても、実際に演奏会の現場で即戦力として、使える訳ではありません。勉強のための音楽は勉強に過ぎないのです。そのことを、音楽学生の方達にいくら説明しても、夢を見続けるだけで、理解しようとはしません。努力をすれば必ず報われると言う迷信を信じ込んでいるのです。否、洗脳なのかもしれませんね。

 

「音楽大学に行きたいので」と言って相談に見えられるご父兄の方でも、音楽大学に行くのにピアノだけ上手ければ入学できると思っている方が意外に多いことには驚かされます。それでもまあ、ご父兄の方は音楽に関しては素人なのですから、仕方ないことだと納得もできます。しかし、音楽大学を出られた方が、それと同等の勘違いをしていることにはどうしても納得がいかず、首を傾げるしかないという状況です。と言うのは、「プロの演奏家は楽器が上手に弾けるだけだ」と思い込んでいる方、また「音大を卒業すればすぐに先生として就職できる」と信じ込んでいる方、が、あまりにも多いと言うことです。あなたがもしピアニストをめざしている音大生なのでしたら、例えばショパンのバラードについての解説を一時間以上しゃべる事が出来ますか?プロをめざすのなら最低それぐらいの知識は欲しいものです。又、教育に関してもしかりです。音楽大学生は音楽教室の先生達、指導者に対しても、音楽家になれなかった音大卒業生の成れの果てとでも思っている所があります。音楽の勉強や演奏活動を親の財産に頼らずに自立してやっていくためには、音楽の指導はたつきの糧として必要欠くべからざるものだと言う事は理解していますか? 現場で5年10年と指導されている、先生は、大学卒業の後で必死に勉強して、生存競争に勝ち残ってきた人達であることを理解していますか?子供の指導なんて何も勉強しなくても出来ると思い込んでいませんか?

 

音楽大学と子供の教育

ましてや、音楽大学では子供の指導を学ぶわけでもないし、仮にもし音楽大学の講師や教授の先生が子供の音楽指導に興味をもたれたとしても、(音楽大学の先生に直接指導を受ける小学生の子供などは、普通の一般的な子供ではないので(どんなスパルタ教育でも平気で付いて行く(少なくとも私達の教室の周りには絶対にいないタイプの)すばらしいお子さん達です)、と言うわけで、音楽大学の先生方のカリキュラムが仮にあったとしても、巷の教室の先生の指導に立つわけではありません。)また、音楽大学の先生自身が子供に接した事がないので、生徒を指導できるわけでもありません。

 

つまり音楽大学のカリキュラムの中では、音楽大学生はバイエル教則本や、ツェルニー30番、40番の教則本等々の指導法を学んだり、子供の心理を習ったりする事はないのです。

(確かに、教職を選択した生徒達は、学校のカリキュラムの上で教育心理や児童心理を教科の一つとして選択しなければなりません。しかし、それらの勉強は実際に子供を前にしたときに何らかの助けになるわけではありません。ただの勉強であり、実践ではないことは、あなた方が自分自身で受けてきた大学の授業を思い出してみられるとよくお分かりの事と思います。)

と言うわけで音楽大学卒業のどんな優秀な人材を雇ったとしても、結局のところ、私が音楽大学卒の先生方を0から指導しなければならない、という現実は何一つ変るところはないのです。周りの人が言うように、音大生を雇ったからといって、なんら私自身に時間が出来て、仕事が楽になるわけではないのです。

それよりももっと大きな問題点は、音大生が持つプライドです。

殆どの音大生は音楽大学を卒業した時点で、社会的にプロとしてのお墨付きを得たような妄想、錯覚にとらわれています。そして今まで自分が学んだ事だけで、何の勉強もしなくても子供のピアノやヴァイオリンの指導や教育などが出来、教えられるものだと思い込んでいます。そして、子供達がどんどん止めていくという非常事態になったとしても、それを自分の実力のなさとは思わず、あくまで相手のせいにして、「本人が練習しないから。」とか「親が協力的でないから。」という風に周りを攻めるだけで、自分自身に原因があるという事は、ほんのわずかでも考えようとはしないのです。その考えは、ある程度音楽教室を続けてきて、自分の教室を経営するようになった、似非ベテランの先生でも同じで、自分の生徒がいつまでも伸びなかったり、育たなかったりしても、音楽大学を卒業したての学生と異口同様に「ここは地域が良くないから・・。」とか自分の指導力のなさは棚に上げて、地域社会のせいにしてしまいます。

また、ピアノやヴァイオリンの演奏に自信がない学生は「初心者だったら大丈夫です。」と平気で言います。優秀な生徒を指導するよりも、初心者の方が大変なのだ。本当に音楽を分かっていないと、指導できないのだということを理解しようとはしません。ましてや音楽大学の学生さん達は子供が自分の手によって挫折しても、それを自分のせいだとは思わないのです。

「子供達なんてそんな簡単に教えられるよ!!」

音楽大学生の音楽教育に対する意識(あるいは教育そのものに対しての意識は)あまりにも酷すぎるといえます。

音楽家達はオケマンであろうとソリストであろうと、よっぽどのお金持ちでない限り、子供や学生達に音楽を指導すると言う事から逃れることが出来る人はとても少ないのです。

それなのにもかかわらず、一般に音楽を職業とする人達は「教えるという事」については、仕事としての自覚を持ちません。片手間にできる、気楽なバイト的仕事、と理解しているようです。

ましてや音大を卒業したての音楽家の卵達にとっては「自分達はプロなのだから子供を指導するに当たって学ぶべき物はもう無い。」と思い込んでいる人がほとんどなのです。

面接に来た学生達に「あなた達が学んできたものが如何に、現実的に役に立たないか。」とか、「あなた方は何も習っていないんだよ。」ということをかんで含んで、説明しても、私達のその苦い言葉は右の耳から左の耳へと、(さわやかに)通り過ぎて行きます。

実際に子供たちを指導させてみても、バイエル程度の曲ですら、あてずっぽうにしか指使いも付けきらないのに・・・・・。

そして2年3、年と片手間的に教えていて、片っぱしから生徒が止めていくことにやっと気付いても、「私はやっぱり演奏家で、教える方にはむいていないのだわ。」と幸せ気に考えます。

そういった人は「一度本当に(指導するということで、)挫折を味わった方がよいのです。」と言いたくなってしまいます。

もちろん、ピアノを勉強させている親の中には、コンクールなどを子供の当面の到達目標にして、日常的に家庭でも厳しい練習をさせている親もいます。

そういった生徒などの場合には、音楽大学型の厳しいレッスンや怖い先生に、子供が耐えうることも極稀にあります。

しかし、そういう生徒の90%以上が、結果的には子供が音楽を嫌いになり、ピアノそのものをやめてしまいます。

そうして、そういった勉強に耐えて生き残ってきたわずか10%にも満たないエリートの生徒が、音楽大学などに入学して、またピアノの先生になって「私はその厳しいレッスンにたえてここまでこれたのだから!」といって、もっと厳しいレッスンをするのでしょうが、それでは「音楽は楽しくって、きっとすてきなんだ。」と考えて教室に習いにきた子供の期待を裏切るだけではなく、落ちこぼれの生徒達ばかりをつくってしまいます。そういった先生に学ぶことによって生徒は一生音楽が嫌いになってしまうかもしれないし、少なくともその先生について習った楽器(ピアノやヴァイオリン等)は二度と弾こうとは思わないでしょう。

コンクールの是非を云々しているわけではなくあくまでレッスンの仕方についてですが、私たちの教室でも希望する生徒にはコンクールにだすこともありますが、その前に本人が音楽が大好きになって、あくまで音楽の勉強の一貫として、対外出演などと同等の経験の場として受けさせています。

 

なぜか若い先生達は、“子供がうまくならないのか、練習してこないのか、等々”を自分自身未熟さゆえはなく、ひとえに相手(子供の才能の無さか、親の非協力の)せいであるとします。

教室というものは当然ながら、生徒を実験台にされること極端います。まだどの程度指導できるか分からない先生に対して、20名30名の生徒を回してその大半の生徒が止めてしまったら、その教室自体の存亡にかかわってきます。ですから安全策を講じる教室では、新米の先生には2,3名しか回さなかったりします。或いは若い先生に対して、生徒の指導方法を理論だけ説明して、子供に実際に指導させずに、ベテラン先生の見学をさせるだけ、指導上の問題点などの判断求めたします。

本当指導上の難しさ理解するのは実際に生徒を指導始めて程経った後であります。それどんな職業でも同様あります実体験学んでその難しさ理解できてのちに、初めて正しい自己批判できるようになるのです。

しかしながら、これは病院と一緒で、若者の(初心者の)経験の為に手術に失敗されていては殺される方は堪ったものではありません。

全くの蛇足ですが、同窓会の飲み会の時に医者仲間の連中が「やっぱり3人、4人殺さないと、医者としては一人前にはならないよ。」と言っていましたが・・・。

しかし、これが音楽の世界ではまかり通っているのです。音大を卒業したての若い女の子が何の経験も無いまま子供達を指導して、沢山の子供達が音楽を嫌いになっていくのを見るたびに、何とかならないものかなとがっかりします。

 

 

本当は音楽大学を卒業してからが、・・・・社会に出てからの勉強が、本当の勉強になります。

大学の教授達が音楽大学にいる間に、(あたかも自分達が教えることをまじめに勉強すれば、)社会では、それだけでどんなところでも通用する、といった妄想を与え、学生は「私は先生の言うことをきちんと守って勉強してきたのだから。」と言って、天狗になったままで卒業し社会に巣立って行きます。

しかし、音楽大学の教授や講師の先生方の大半は、まずは一般の音楽教室などで指導した経験はないでしょうし、音楽大学に習いにくる子供達は結構特殊な生徒です。そういった生徒を何人教えたとしても、巷の一般の音楽教室の生徒の指導に役に立つわけではありません。私達の教室では面接にきた超有名音楽大学や某国立音楽大学の卒業生達数十名に、ト音記号の書き方やヘ音記号、全音符や2分音符などの書き方を出題したことがありますが、いまだに正解した人は一人もいません。

正しいト音記号の書き方ですよ!

それでショパンやリストが弾けてどうなりますかね?

音楽大学って何を教えるところなのでしょうかね?

子供達にこそ、正しい基礎を教えてほしいのですが。

 

 

音楽大学生は「ピアノの指導なんかは、今出来なくても、先輩にでもちょっとコツを教えてもらえば、すぐに出来るから事だから研修でも、報酬をもらうのが当たり前だ。」と考えます。

しかし、繰り返してお話していますように、社会での報酬の定義は、「その人が出来た事について支払われる」のが、報酬なのです。

一日、二日でマスターすることのできる(スーパーのレジのような)バイト的な技術ではなくて、専門職としての技術を学ぶ時には、その勉強代は(基本的には)自分で払わなければなりません。

確かに大手の楽器店などでは指導のグレードをとれば比較的に容易に就職できるところがあります。でも、比較的に容易にということは、就職した若い先生がすぐに退職すると言う事でもあります。普通で1年、もって2,3年なのです。

結婚までの腰掛として子供の教育に携わるということなら、教えられる子供達がかわいそうです。

私の教室に見えられる、生徒父兄の方は、それまでの教室で一年毎に先生が代わってしまって、それで教室を代わって来たという生徒も多いのです。

私が教えることになったある女の子は、小学校の1年生でピアノを習い始めて3年生までに先生が4人も代わったそうで、そのために練習にちっとも身が入らなかったそうです。子供はすっかりピアノが嫌いになっていたのですが、お母さんが「次の先生は男の先生だから、ひと月だけ習って見てからピアノをやめたら?」と言って子供を私のレッスンに連れてきました。結局それからずっと続いたのですが、社会に出てからも自分の趣味を生かして音楽関係(放送関係)の職業に就いたようです。

 

 

          バイトという意識

バイトという言葉は、本来はドイツ語のarbeit(労働)という単語から来ています。

ドイツ語には、アルバイトといっても現在、日本で使用されているような“学生の片手間の労働”という意味はありません。仕事という意味です。

以前私が、音楽教室の先生志望の音楽大学学生が、私達の教室で指導していた時に、自分が指導している父兄の前で「バイト・・」と言う言葉を口にした時、すごく怒って、生徒が帰った後で、懇々とその先生を説教したことがありました。

バイトという言葉には本人がそういった意識を持っている、或いは持っていないに関係なく、本業の片手間の仕事と言う意味で捉えられることがあります。その音大生の場合も、あくまで大学の勉強が本業であって、その片手間に教えているという気持ちが、うっかり口に出てしまったのです。学生同士の会話でも、日常的にバイトという言葉が連発されています。そういった日常的に使われている若者同士のバイトという言葉を芦塚先生は若者の仕事や社会への無責任さの表れとして捉えています。

しかし、金を払う側は決してバイトに対して金を払っているわけではないのです。

音楽教室の場合においても、子供を預けている父兄は、別に音楽大学の学生に教えてもらいたいわけではないのです。

確かに、一部の音楽教室では月謝を安くするために学生を雇って指導させているところもあります。特に英会話のスクールなどは留学生をバイトで安く使用する事で人件費を抑えているところも多いようです。しかし、そういった所にはそれだけの価値観しか持たない人が集まってくるだけです。人がやっているからとか、一応の教養としてとかです。

しかし、高い月謝を払ってピアノやヴァイオリン等を習わせている父兄は、子供の教育に熱心であり、それ相応のものを教育に求めています。そういったクライアント達の前で、勉強もすることもなく、ただ今まで学校で習ってきた知識だけで子供が育てられると思ったら、大変な間違いです。先生がちゃらちゃらとピアノを弾いて子供に聞かせて、「来週までにそう弾けるように練習しといてね。」と言って、それだけで教えた気になっている、そんな無責任なレッスンでは子供達みんな音楽が嫌いになってしまうでしょう。いったん父兄の間にそんな無責任先生のうわさが広まってしまうと、ひいてはそんな先生を雇っている教室自体の存続も危うくなってしまいます。

 

最近の日本人の若者は仕事に対しても責任を持ちたくないし、ただ安易に「きつい、汚い、給料が安い」の3Kを避けたバイト感覚で職種を選ぶ傾向にあります。近頃、初めて若者のネットカフェ難民という言葉を聞きました。野球の星野監督は「あまえてんだよ!」と怒っていましたが、実は不思議な事ですが、雇用側も人材不足で困っているのです。若い人が、ちょっとえり好みをしないか、辛いことに耐えるかすれば、ネットカフェ難民はなくなるのではないのかな、と思っています。

バイトは、責任を持たなくて良いし、好きな時に好きなだけ働けばよいでしょう。旅行の費用が出来れば終わり。自分の技術を習得するのではなく、出来る事だけで、仕事をするのです。

バイトという仕事は、その人個人やその個人が持っている技術を必要とされるのではなく、簡単な研修ですぐできることをやる、つまりその人の持っている時間を売るということなのです。

つまり誰でもよいということなのです!!

 

          バイトと仕事の違い

自分を売るということは、自分個人でなければならない(出来ない)事を売る事なのです。

仕事の評価は、その人がその仕事を好きかどうかは関係ありません。どんなに苦労したとしても、努力したとしても、学校と違うのは「出来なければ評価されない。」という事なのです。

ちゃんと「仕事として出来たか」どうかが評価の対象となるのです。

そして、仕事として出来たことの対価として支払われるのが報酬でありますが、多くの音楽大学生はそうは思わないようです。

「子供を教える事なんて、ちょっと「こつ」を教えてもらえれば、誰にでも出来る事ではないのかな。」そう思っているような気がします。

自分がピアノを学んでいた時には、教授達にはone lesson代として高いレッスン代を払っていた事は忘れたのかな・・・?

嫌、そうではありませんね。自分が習っていた事は、高度な事だから、高いone lesson代を払うのは当たり前で、しかし、子供の指導は、別にそんな高度なことではないのだから、勉強しなくとも大丈夫、と思って馬鹿にしているから、報酬の事ばかりを気にするのです。

音楽大学を卒業したとしても現場の仕事が出来るようになった分けではないのに、音楽大学を卒業したことで社会的にプロとして認められるようになったと勘違いしている人が殆どです。

社会でピアノを指導しておられる先生のレベルは自分よりはるかに低いと勘違いをしているのです。つまり「演奏家として立っていかなかったから、音楽教室の先生をしているのだ。」といった風な若者の愚蔑的な声が聞こえてきそうな気がします。

でも現場で教えている先生達も昔は音楽大学生で、しかも教育の現場に生き残ってきたプロであるという事を忘れていませんか?音楽大学を卒業して、音楽教室に就職したほとんどの人達は2,3年で退職するのですよ。それは小、中学校の女性の先生もそうですが、退職の理由の大半は寿退社です。しかし、リクルート会社の調査によると、寿退社の半数以上は実際には寿はしていないそうです。

つまり現実、退職する理由を「指導をするだけの実力がなかったので・・・・。」とは言えませんからねえ・・・。

 

 

社員教育

社員教育は音楽の世界に限らず一般社会でも同じ様で、大阪で超評判の回転寿司屋があるそうですが、そこは徹底した店員教育でも知られているのですが、もう一つのコンセプトは厨房にすし職人を雇わないで、素人を徹底的に仕込む事だそうです。なぜプロを雇はないのかというと、すし職人は自分が学んできた流儀があるので新しいメトードを教えようと思ってもプライドが邪魔をして覚えてくれないのだそうです。そのためにオーナーの求めている味が変ってしまうのだそうです。だからプロに店の味を覚えてもらうよりも、素人を教えたほうが、より早く的確に実戦に使えるのだそうです。

一般的には「プロを雇うと金がかかるから安く済ませるために。」と考えがちですが、それは店の味がないところの話なのです。

素人をプロに養成するには、養成できる技術を持ったプロが、素人を育てるための経費が掛かるのです。その間素人は実収を上げているわけではないので無給で雇わなければならず、経費的には二重、三重の赤字になってしまうのです。(つまりそう言った、養成する、という経費を抑えるために派遣社員という制度が出来上がったわけです。会社にとって、無駄な人件費を抑え、即戦力となるようにその技術を持った人を必要なときだけ雇うという。)

 

先生を育てるということは

まあ、そういった社会的な事情もあって、私達の教室にも、そう言った駄目、駄目先生達から音楽を教わって、被害を受けたたくさんの子供や父兄達が(私達の教室を、苦労して探しだして)訪れてきました。そのときにはよく父兄から「先生、この教室を見つけるのに、2年も3年もかかったのですよ。」と苦情を言われたものです。

そうです。実は昔は教室については何の宣伝もしていなかったのです。

その理由のひとつには生徒を増やしたくなかったし、音楽大学出身の新しい先生を雇う気もなかったので。(今現在でも、江古田教室や検見川教室などは看板一つ出ていません。音楽教室がそこにあることを知っている人は近所の人ですら少ないのです。というわけで、「あっ!こんなところに音楽教室がある!」って言って飛び込んできた生徒はいまだに一人も居ません。)どういうわけか、「今現在ですら、」であります。

 

花園教室は音楽教室として立ち上げましたが、その実際は私のメトードの実験室の意味合いが強かったので、私の教育の理念の意味合いを理解して協力してくれる先生と、生徒父兄、或いはその知り合いの人達だけが知っていればよかったのです。

 

という事で一切宣伝活動はせず、生徒さんの知り合いの方に口コミで次の生徒さんを紹介してもらう、というスタイルをとってまいりました。それが私達の教室の特殊性と教育の目的と意図を説明する上で、父兄の説明で、あらかじめ、ある程度教室の特殊性と方向性が理解できていれば、私達教室側の説明も簡単にすみ、面接をする前から、教育に対しての取り組み方などが私達のそれと著しく違う人を、あらかじめ選別する事ができたからなのです。

 

宣伝を全くしないということで、人のうわさで本当に子供のために、大変な思いをして探していただいた私達の教室は、残念ながら箱物にお金の掛かったきれいな教室ではありませんが、教室の一番の自慢はどんな事にも対応の出来るオールマイティな先生なのです。

 

では、そのオールマイティとはどういうことでしょうか?まず先生達はいろいろな楽器が弾けます。弾けますと言うのは、指導できますと言う意味ではありません。演奏会でも楽器の持ち替えが出来ると言う事です。ヴァイオリンの先生がヴィオラを持ち替えるとは言いません。それは当たり前だからです。チェンバロを弾いていた先生が次の曲ではコントラバスを持ち替えて弾いたり、ヴァイオリンの先生がチェロに持ち替えたりします。牧野先生は普段はピアノの先生ですが、チェロのコンクールでは最優秀指導者賞を貰った事もあります。チェロのコンクールで複数の生徒を全国大会で入賞させた先生に対しての賞です。教室ではパソコンを駆使して楽譜も製作します。出版されていない曲なども教室の制作で生徒に渡しています。父兄の教育の相談も担当の先生が基本的には相談に乗っています。女の子の思春期の問題や、将来の夢の抱き方など、多種に亘る相談も、先生個人の考えではなく、あくまで芦塚メトードとしての教室のカリキュラムとしての回答があります。そういったことで先生が父兄も若くって人生経験に乏しくっても、安心して相談をすることが出来ます。その先生の個人的見解ではないのですから。生徒を育てると言う事は、その家庭の将来子供にどうなって欲しいとか言った目的で指導方針や教育のカリキュラムを変更していかなければなりません。将来プロとして育てるのと、音楽大学に進学させるのと、コンクールに進めるのでは、音楽教育も全く違うし、ましてや一般の大学に進学を希望している子供には、生涯教育としての音楽とのかかわりの仕方を指導しなければなりません。先生はありとあらゆる面に対してプロでなければならないのです。

でもそのオールマイティな、たった一人の先生を育てるために、教室がかけてきた何年にもわたる努力はどんなものであったか想像がつきますか?実際に子供達を育てた経験をお持ちの方はご理解いただけると思いますが、育てられる子供よりも、育てる側の先生の方が子供達より数倍も努力と勉強が必要なのです。

 

実のところ、教室を作って既に25年ほど経ちますが、いまだに芦塚メトードを本当の意味で理解している人は殆どいないと言っても過言ではありません。

それは芦塚メトードがあまりにその守備範囲が広い事に根ざしています。

と言うわけで音楽教室の先生としては素晴しい先生が何人も育ってまいりましたが、残念ながらその人達が学んでいることは芦塚メトードのごく一部にしか過ぎません。本当は特殊の教育や、プロの教育、会社の経営法や、その他いろいろな分野にまたがるもの、それを含んで芦塚メトードと呼んでいるのです。

勿論、そういった膨大なカリキュラムを数年でマスターする事は不可能です。ですから芦塚メトードを学びたいといった生徒の一人一人の特性を生かし、その専門分野の中で指導するようにしております。例えば、子供が好きで、ソロの音楽活動よりも、むしろ教育に向いている生徒でも初級指導を専門に指導するか、中級、あるいは上級指導を専門にするかは、その弟子の性格などをもって判断します。人と接するよりは、パソコンや原稿に向かったりするほうが好きな生徒にはパソコンの操作から始まって、論文の書き方などのレクチャーを中心にします。

膨大な芦塚メトードをいきなり把握する事は不可能ですし、音楽教室に限って言ったとしても、20年も前からいろいろな先生方が発表会などを見に来たり、或いはレッスンを見学されたりして、教材をそっくりに真似したり、発表会の企画的を私達の教室と同じようにして、自分の発表会に取り入れたりされたりする先生方も良くいらっしゃいますが、(そういった表面上の事をまねる事は、勿論、誰でもすぐに出来ることではありますが、)残念ながら、芦塚メトードとは、教材や指導の曲順、発表会の企画、オケ室内楽のカリキュラム等のことを言っているのではないのです。

 

芦塚メトードとは?

私たちのレッスンを見学にいらした先生志望の方々から、よくこんなことを言われます。

「レッスンを見ていても特殊なことはなにもやっていないように見えるのですが、なにをもって芦塚メトードと言うのですか?」

「メトードがあると聞いていたのですが、なにか特別な教材とか教本とかがあるのですか?」

私は、「ヨージーの法則」と言う箴言集を作っています。

その箴言集の「教育に関しての法則」の中に、こういう一節があります。

 

「本当にすごい事は、そのすごさを感じさせないことだ。」

 

すぐれた教育とは、生徒が教育されたことを感じないことではないでしょうか?

 

芦塚メトードでは、出版されていない、初めて楽器を習う幼児向けの導入教材や、子供のためのチェロの導入教本、大人のためのチェロの導入教本などは、独自で作った教本を使用しています。

音符カードや導入の段階が済んだ以降の指導では、一般の市販されている教本をつかいます。よく、市販の教材を使っているからといって「オリジナリティーに欠ける」ということを言う人もいますが、それは我々としては非常に心外なことであります。

と言うのは、私どものメトードは、「何を使うか」ではなく、「どう使うか」が重要だからです。発表会のシステムも同じです。芦塚メトードでは、「子供スタッフを作って子供達に自主性を身につけさせる」ということを発表会の度に行っていますが、子供スタッフという「形」を真似することは比較的簡単に出来ますが、では、「どうやって指導し、どうやって自主性を引き出すか」ということを理解できている先生は、ほんのひとにぎりしかいません。メトードやシステムとは、ただ決められた教材を決められた順に指導すればよいという単純なものではないのです。

芦塚メトードの先生は、子供との接し方、一人ひとりの生徒にあった指導カリキュラムの立て方、父兄への子育てのアドバイス、記憶の方法、姿勢(イスの座り方、弓の持ち方等)、やる気を促す言葉遣い、練習のさせ方、集中力のつけ方、・・・・・・・などなどのことを総合的に勉強しなければなりません。又、それらの指導技術を身につけた上で、成長過程に合わせた指導ができなければなりません。例えば、勤勉性を身につけるにはどの年齢が最適か、思春期にはどう指導すればよいか、反抗期にはどう対処したらよいか、・・・・などなどです。良い指導法だからといって、どの年齢のどの生徒にも指導がうまくいくというわけだはないのです。そういったいくつもの要素を総合して行うことで、初めて生徒が「楽しくそして尚且つ上達する」という夢のような教育が成り立ちます。

 

音楽教室に努めてみようかと思っていらっしゃる方の大半はこの論文を読んできっとこう思われるでしょう。

「教育ってそんなに大変なの?かったるいなあ」

「そんなに深刻に考えなくっても、もうちょっと気軽にお金を稼げるのでは?」

「私はいつまでも教える気は無くって、結婚するまでの何年かの時間つぶしに教えたいだけなのに」

「私は教えるよりも自分が習いたいのだから、勉強の負担にならない程度でよければ、教えてもいいわよ。」

 

ここの文章は私達の創作ではなく、“今年の”面接の方達が実際に言われた言葉です。

この文章を読んで、同じような感想をお持ちならば、基本的には、音楽教室への就職は諦められて、もっと別の、責任を負わなくっても出来る、そして時間も自由になる、スーパーのレジやコンビニのバイトの方が良いと思います。勉強する事も殆どないし、ちゃんとやってさえいれば、怒られることはないと思いますし、即、収入を得ることができます。

また、結婚までの腰掛として考えている方なら、へたに音楽教室なんかに勤めるよりも、料理教室に通ったり、家で家事の見習いをしたりしたほうが、よっぽど実際的で将来につながっていくので、ましといえるでしょう。お見合いをした音楽大学生の大半が、相手の男性から、「私が欲しいのは、音楽家ではなくって、ただの飯炊き女です。」と言われてめげて帰ってきていました。今どきと言っても、地方じゃ当たり前でしょう?「私は貴女のピアノが好きです。」なんて、いけしゃぁしゃあと口説き文句を言う人もよくいますが、結婚してからも果たしてそう言い続けるでしょうか?

奥さんがよっぽど有名なピアニストでしたら可能性はあるのでしょうけれど、結婚してからも演奏活動を支援してくれる旦那さんなんて、いまのところ見たことがありません。

 

 

先生たちの実例

Aさんは結婚するまでは、音楽大学を卒業し1,2年も経たないうちに、大手の音楽教室でもう60名70名の生徒を教えている売れっ子の先生でした。Aさんは彼女がまだ音楽大学在学中に生徒の伴奏をお願いしたときからの付き合いで、私達のレッスンを何度も見学して話に共鳴、共感して、バイエルやブルグミュラーなどの指導法をレッスンで学んだこともあります。そう言った意味で芦塚メトードのすごさと言う事を実感しています。

だからAさんの子供が産まれた時、自分の子供の先生は、芸大や桐朋の先生ではなく、どうしても芦塚メトードの先生に教えてほしい、と、切望しています。

逆に教室の先生であるBさんは、子供の頃から先生になるまで人生のほとんどを教室の中で育ちました。だから私達の教室の教育と一般の音楽教育の違いがよく分かりません。だから本当の意味では芦塚メトードのどこが凄い所なのかは分からないのです。一般にとってはありえない不可能な事でも、Bさんにとっては当たり前の事になってしまいます。当たり前のこととして一般の先生ができないことができてしまうということは、すばらしいことですが、当の本人はその価値が分からないわけです。そこをAさんによく厳しく指摘される事があります。「貴女は本当には芦塚メトードの凄さは分かっていないのよ!」

 

しかし、そういう私自身もたくさんの先生を育てるためには、ついついきれいごとを言わなければならず、「2,3年で芦塚メトードを学んで教室の先生になって・・・」 等と言ってしまいます。そうしなければ誰も教室の先生になってくれないからです。しかし、本当のところは、芦塚メトードできちんと教育ができる一人の先生を作るのには、最低でも10年はかかります。Bさんだって中学1年(12歳)のときから厳しく子供の扱いや父兄との接し方、奏法のテクニックや教材研究などなど、教え方を実践的に学んだからできることなのであり、決して本人の生まれつきの才能や本人一人だけの努力によって身につけた能力ではないのです。

 

な、な、何と、メトードで教えないこともメトードのうち

でも、普通だったら、いくら難しいメトードであったとしても教室を開設して25年も経っているわけだから、先生のなり手の数も通算すると相当な人数になるはずですよね。と思いますよね。

 

しかし、残念ながらそうではありません。

教室で学んでいる生徒がいくら優秀だからといって、私や他の先生方が、すべての生徒を必ずしも芦塚メトードで教えているわけではないのです。と言うよりも、純粋の芦塚メトードで育った子供は殆んどいないのです。もし全員の生徒を100%芦塚メトードを駆使して教育できるのであれば、今頃は100人以上のプロの演奏家と100人以上のプロの先生が育っていることでしょうね。しかし現実はそうではありません。

実際の音楽教室の教育の現場では、父兄の要望や家庭の教育方針などに合わせた教育をしなければいけません。

「子供を音大に入れたい」という夢を持っているのなら、音大に入れるようなカリキュラム(芦塚メトードとは正反対の教育)をおこない、「趣味として細く長く続けて欲しい」という考えならば、どんなに素質のある子供でも決して趣味の範囲を超えないように上達をセーブしなければなりません。

又、他の教室から私たちの教室にかわってきた生徒の場合は、いきなり芦塚メトードのやり方で教えても、全くついてこられないということもあります。その場合は、最初は今までその生徒が習ってきたメトードのやり方をそのままとって教えます。そしてその生徒が受け入れることの出来る部分から少しずつ徐々に徐々に芦塚メトードに切り替えていくという方法をとります。

ですから、当教室の先生は、芦塚メトードだけではなく、他のメトードではどのように教えるのかを知っておかなければなりません。芦塚メトードでない教え方も出来るということもまた芦塚メトードの特徴なのです。

 

 

父兄の要望にこたえようとすると

音楽大学を受験する事がその生徒の目的だったら、ピアノもそのように音楽大学受験を目的に教えなければなりません。指導内容も芦塚メトードからがらりと変わります。音楽大学型の重箱の隅を突っつくというようなレッスンをします。それも芸大の受験生と桐朋や武蔵野のような私立を受ける場合は、学校別に指導をしますし、タイプによって受験する大学を代えさせることもあります。

以前、親が芸大を受験させたがっている中3のヴァイオリンの女の子に「芸大がよければヴィオラで受験すればよいし、どうしてもヴァイオリンで受験したければ私立を受けなさい。」とアドバイスをしたことがあります。親は私が芸大に合格させる事が出来ないものだと考えて、「私のところに来ればヴァイオリンで芸大に入れてあげるわよ。」と、無責任にいう先生のところに移ってしまいました。結果は勿論、ヴァイオリンで合格することはなくビオラで芸大に入学していました。

「でも、一応は大学に入学できたからいいんじゃないの?」

いいえ、そうではありません。問題はそれで彼女がすっかり音楽に対しての自信をなくしてしまったことです。今は、アマチュアオケに熱中しています。教室に残っていればヴァイオリンでもヴィオラでも、(アマチュアではなく)ギャラをもらえるプロとしての演奏活動も出来たでしょうし、本人が希望すれば、教室の先生にもなれる能力を身につけることもできたはずの人でした。
コンクールで賞をとることが本人の目的でしたら、もっと芦塚メトードから遠くなって本人の個性を育てるといった教育から遠ざかった教育をしなければなりません。個性が強ければどんなに優れた個性であったとしても、コンクールの審査員からは評価される事はありません。没個性的で欠点の無い特徴も無い演奏、端にもボウにもかからない演奏、それがコンクールや受験に必要な条件であります。

 

というわけで、趣味ではなくプロとして音楽や教育を勉強したくて、しかも音大受験が目的でも無く、コンクールを目指すわけでもなく、留学をしたいという夢を持っているわけでもない・・・・それでも音楽をやりたい。・・・・そんな生徒は、ごく稀にしか存在しないのですから、芦塚メトードを十分に習得できた先生を養成することがどんなに難しいかお分かりいただけるのではないでしょうか?

音楽大学に行かなくてもいい、コンクールにも出なくてもいい、中学生からレッスンの聴講や指導、コンピューター作業、心理学などなど、の勉強をして、教室を継いでくれると言ってくれる生徒は10年に一人ぐらいの、極めてまれにしか教室には入って来ないのです。

芦塚メトードに共感し、「是非勉強したい」と言ってくれる人であれば、いつでもうけいれる体制はありますし、「すばらしいメトードだから誰にも教えたくない」とった閉鎖的な考えは一切ありません。技術を盗みたければ是非是非盗んでいただきたい。問題は、それだけの意識をもって教室に来てくれるインストラクター志望の方に、めぐり逢えないと言うことなのですから・・・。

 

素人にはなかなかわからない

教室開設から最初の5年ぐらいは、教室の目的は芦塚メトードの理論の立証でしたが、徐々に目的が変わってきて、若い先生達の働く場所であり、地域の音楽教室として親達の希望をかなえる場所と言う風になってきました。

子供がうまくなってくると、その子供の周りの外野がうるさくなってきます。「音楽が好きなのなら音楽大学の先生につけなさいよ。」とか、「音楽に進ませるのだったら、芸大の先生じゃないと駄目よ。」とか、「音楽に進むンなら音楽大学に行かなければね。その音楽大学の先生につかなきゃだめよ!」などなど・・・・私の言う事が、全く耳に入らない親も、世間のそんな声はよく耳に入ります。「町の音楽教室でこれだけうまくなったのだから、音楽大学の先生の弟子になったらもっとうまくなるに違いない。」教育も音楽も素人で、しかも芦塚先生に対する信頼のないご父兄は、そういったネームバリューに頼るしかないのでしょう。日本人は有名人や、地位のある人しか、後は赤提灯での飲み話の中の話でしか、信じるもの、頼るものを見出せないという特徴が非常に強いのです。「みんながそうしているんだからうちの子もそうしていれば間違いない。」・・・・・・果たしてそうなのでしょうか?そういう考え方の親に芦塚メトードの話や私達の教育方針や指導法について説明しても、なかなか理解できないということは致し方ないことなのかもしれません。「すごい教育メトードだな」とびっくりするのはいつも専門家だけです。何年も、教室に子供を預けていても、耳にたこが出来るほど教育問題について聞かされていても、最終的に結局は世間の常識を信じてしまうというのが、一般的な親の特徴です。

親達は子供がまだ幼い頃には、芦塚先生の「日本の常識は、世界の非常識」とか言う言葉にうなずいていても、「芦塚先生はそうおっしゃいますが、親としては安全の上に安全をと思いまして、塾に通わして、音楽大学を受験して、そのときもし無理なら、一般大学にでも入れて・・・。」といったとんでもないことを言い出します。しかし、そんな都合の良い話は世の中にはありません。

 

芦塚メトードは生徒にとってはとても習得しやすく楽しい音楽教育であると同時に、その分奥の深い、世間一般の親御さんや、音大卒業生の方々に、なかなか理解できない、理解しにくい、ものでもあるということが少しでも理解していただければ、まずは芦塚メトードを習得する入り口には来ることができたと言えます。本当は芦塚メトードには音楽の教育法だけではなく、会社の経営法、バロック奏法、プロになる方法(分野に限らず)、分類法、いじめなどの教育問題、心理学・・・・・・・などなどがあり、芦塚メトードといっても幅が広く、全てを習得することは極めて困難と言えます。ですが、私どもはそれらのうちのどこか一部だけでも習得して、後世に伝えてくれる人材を心から望んでいます。

 

江古田の一靜庵にて

芦 塚 陽 二

                            07年5月18日脱稿