ほとんどの音楽学校でもチェンバロのレッスンというのはバッハやせいぜいロココの作曲家たちの作品を譜面に忠実に演奏させるというレッスンがほとんどであろう。しかしバロックのほとんどの作品はオーナメントや即興演奏を必要とする。またバロック時代のアンサンブルやオーケストラと合奏するには、通奏低音の技術を必要とする。
これらの技術を習得して使いこなせるようになって、後に、初めてチェンバリストという名前で呼ぶことができる。
またチェンバロの楽譜には、よくハ音記号が使用される。
有名なバッハのインベンションや平均律などでは、ソプラノ譜表が使用される。
またモーツァルトのピアノ作品でもハ音記号は多用されている。
バロック音楽を研究するにはどうしても原譜を扱うことが多い。
そのためにハ音記号を読めないことは致命的なこととなる。
オーナメントや即興演奏、あるいは通奏低音などの勉強のためには、基礎知識として和声の完全な習得が必要である。和声の完全な理解の上に即興演奏や通奏低音などを正しく演奏することができる。
またチェンバロには、チェンバロ独自の奏法がある。レガートシモ奏法(オルガン奏法とも呼ばれる)やフィンガー・レガートなどのさまざまな奏法にも熟達しなければならない。
音楽家の卵達がチェンバロという楽器に興味を持ったとして、実際にチェンバロに触れる機会を持てるということはかなり難しいことになるだろう。それからチェンバロの曲を勉強しようと思ったとしたら、チェンバロのレッスンをしている教室は(都心は兎も角として)ほとんど見つけ出せないだろう。
せっかくチェンバロという楽器に興味を持ったとしても、実際に何を勉強してよいのか分からない、又何処に相談してよいのかも分からないということで模索しているうちに、いつの間にかチェンバロやバロック音楽に対して、縁遠くなってしまうのが現実のようだ。
幸運にも、チェンバロ科を持っている音楽大学に入学できてしかもチェンバロ科(或いはチェンバロ部)にめでたく入ることが出来たとしても、受けるチェンバロのレッスンとは、バッハやせいぜいロココの作曲家たちの作品を譜面に忠実に演奏するというのがほとんどであろう。
「えっ?!それでは駄目なの?」
残念ながらチェンバロは、ピアノなどと違ってそれでは正しい演奏にはならないのだ。
バロック音楽の殆どの作品は音楽大まかな(ラフ・レイアウトのようなもので、)あらすじを書いているに過ぎない。一人一人の演奏家は自分の趣味に従って、そのあらすじから自分の演奏をした。そういったオーナメント(装飾)や即興演奏の技術を学ばねば正しいバロックの演奏は有り得ない。テレマンのチェンバロの為の「ファンタジー」は楽譜では2声で書かれている楽譜を内声充填して厚みを持たせて演奏するための教科書として書かれている。私がドイツに留学していた時「フリーデマン」というトーキーになったばかりの頃の(言わずもがな白黒の)古い映画を見に行った。Bachの息子の物語である。その中の一シーンであるが、誰もが弾くかの有名なBachのメヌエット ト長調を、貴族の令嬢がフリーデマンからレッスンを受けるシーンがあった。
令嬢は楽譜通りに可愛らしく弾き出すと、フリーデマンが「いや、そうじゃありません。」といって内声を加えて重厚に弾き始めた。
ただの音楽映画であったとしても、バロック時代の即興を伴う演奏のスタイルが正しく描かれていることに、やはりドイツの伝統の重みのようなものを感じた。
映画自体のストーリーは放蕩息子の物語で、映画を見に来ていた老人夫婦が画面に引き込まれるようにして、おろろんおろろん、泣いていたのがとても強烈な印象だった。
またバロック時代のヴァイオリンやフルートなどのソナタや小品などは殆どがチェロかガンバなどのパートとして、2声で書かれていた。それは伴奏をする楽器が必ずしもチェンバロとは限らず、リュートなどの楽器で伴奏されることも多かったからであって、それが(そういう風に書かれると言う事が)一つの慣習となっていたからである。
チェンバロやリュートのパートをガンバ譜(チェロ譜)で書き、その音符の上に数字で和音を書き表した譜面を「通奏低音」と呼ぶ。
トリオ・ソナタなどのアンサンブルや(前述のヴァイオリンやフルートなどソロの伴奏を含めて)オーケストラのチェンバロパートなどには、数字譜を即興で弾くための、通奏低音の技術を必要とする。これらの技術を習得して後、初めてチェンバリストという名前で呼ぶことができる。(補足)ペーター版や殆どの日本で出版されている版のヴァイオリン譜などは、伴奏譜はピアノのために書かれている。又コレルリのラ・フォリアやビタリのシャコンヌなどのように原本から全く別の曲として編曲されて、そちらの方が有名になっているものも多い。ペーターなどのヨーロッパの出版社では、原典版としてバッソ・コンティニュオによる(チェンバロ譜)としての版も並行して出版している。演奏のスタイルによって何れもが選択できるようになっている。
またチェンバロの楽譜には、よくハ音記号が使用される。有名なバッハのインベンションや平均律などでは、チェンバロの右手にト音記号ではなくソプラノ譜表が使用される。時代が下ってモーツァルトのピアノ作品でもオリジナルではハ音記号が多用されている。バロック音楽を研究するにはどうしても原譜を扱うことが多い。そのためにハ音記号を読めないことは致命的なこととなる。
オーナメントや即興演奏、あるいは通奏低音などの勉強のためには、基礎知識として和声の完全な習得が必要である。和声の完全な理解の上に即興演奏や通奏低音などを正しく演奏することができる。
またチェンバロには、チェンバロ独自の奏法がある。レガートシモ奏法(オルガン奏法とも呼ばれる)やフィンガー・レガート(或いはフィンガー・ペダル)などのさまざまな奏法にも熟達しなければならない。
Bachのinventionでは、thema(Motiv)のarticulationを学ばなければならない。
三声のSinfoniaでは、声部の交差等の複音楽的な演奏法を学ばなければならないのだが、某国立音楽大学の教授や講師の生徒達でも、その奏き分けが出来ている生徒をこれまでに見た事がないのが、現実なのだよ。
教室では生徒に安いKeyboardを買わせて、声部の交差等の聴き分けをさせている。
この解説は詳しくはinventionや平均律のPageに楽曲分析と共に詳しく書いてある。
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/bc-ivt-to-symp-note.html#指使い
と思ったのだが、このPageの論文は殆ど全部失われてしまったのだよ。
今の所、この論文の元となる原稿は見つかっていない。という事でいつ復活出来るかは分からない。
(この文章には譜例が入ると分かりやすくてよいのだが、個人で見ている分や演奏している分に関しては問題無いのだが、ホーム・ページや演奏会のような公開性のあるものでは、著作権の問題が絡んでくる。「2,3百年も前の作曲家の作品に何で?」と思われるかもしれないが、作曲家に対してではなく出版社に対しての著作権で、資料を持っていることや、製作した楽譜に係る権利、出版権の権利は年数では失効しない。)
バロック音楽の殆どの作品は譜面として書かれている音符は大まかな(ラフ・レイアウトのようなもので、)あらすじを書いているに過ぎない。当時の演奏家は自分の趣味に従って、そのあらすじから自分自身の演奏をした。
そういったオーナメント(装飾)や即興演奏の技術を学ばねば正しいバロックの演奏は有り得ない。テレマンのチェンバロの為の「ファンタジー」は楽譜では2声で書かれている楽譜を内声充填して厚みを持たせて演奏するための教科書として書かれている。私がドイツに留学していた時「フリーデマン」というトーキーになったばかりの頃の(言わずもがな白黒の)古い映画を見に行った。Bachの息子の物語である。その中の一シーンであるが、誰もが弾くかの有名なBachのメヌエット ト長調を、貴族の令嬢がフリーデマンからレッスンを受けるシーンがあった。令嬢は楽譜通りに可愛らしく弾き出すと、フリーデマンが「いや、そうじゃありません。」といって内声を加えて重厚に弾き始めた。ただの音楽映画であったとしても、バロック時代の即興を伴う演奏のスタイルが正しく描かれていることに、やはりドイツの伝統の重みのようなものを感じた。映画自体のストーリーは放蕩息子の物語で、映画を見に来ていた老人夫婦が画面に引き込まれるようにして、おろろんおろろん、泣いていたのがとても強烈な印象だった。
例えば、ヘンデルのチェンバロ曲でも、装飾を入れて演奏すれば、以下のようになる。
(ヘンデル組曲第七番ト短調サラバンド 生徒作品)
このようなオーナメント(装飾)や即興演奏の技術を学ばねば正しいバロックの演奏は有り得ない。
またバロック時代のヴァイオリンやフルートなどのソナタや小品などは殆どがチェロかガンバなどのパートとして、2声で書かれていた。それは伴奏をする楽器が必ずしもチェンバロとは限らず、リュートなどの楽器で伴奏されることも多かったからであって、それが(そういう風に書かれると言う事が)一つの慣習となっていたからである。
チェンバロやリュートのパートをガンバ譜(チェロ譜)で書き、その音符の上に数字で和音を書き表した譜面を「通奏低音」と呼ぶ。
トリオ・ソナタなどのアンサンブルや(前述のヴァイオリンやフルートなどソロの伴奏を含めて)オーケストラのチェンバロパートなどには、数字譜を即興で弾くための、通奏低音の技術を必要とする。これらの技術を習得して後、初めてチェンバリストという名前で呼ぶことができる。(補足)ペーター版や殆どの日本で出版されている版のヴァイオリン譜などは、伴奏譜はピアノのために書かれている。又コレルリのラ・フォリアやビタリのシャコンヌなどのように原本から全く別の曲として編曲されて、そちらの方が有名になっているものも多い。ペーターなどのヨーロッパの出版社では、原典版としてバッソ・コンティニュオによる(チェンバロ譜)としての版も並行して出版している。演奏のスタイルによって何れもが選択できるようになっている。
またチェンバロの楽譜には、よくハ音記号が使用される。有名なバッハのインベンションや平均律などでは、チェンバロの右手にト音記号ではなくソプラノ譜表が使用される。時代が下ってモーツァルトのピアノ作品でもオリジナルではハ音記号が多用されている。バロック音楽を研究するにはどうしても原譜を扱うことが多い。そのためにハ音記号を読めないことは致命的なこととなる。
オーナメントや即興演奏、あるいは通奏低音などの勉強のためには、基礎知識として和声の完全な習得が必要である。和声の完全な理解の上に即興演奏や通奏低音などを正しく演奏することができる。
またチェンバロには、チェンバロ独自の奏法がある。レガートシモ奏法(オルガン奏法とも呼ばれる)やフィンガー・レガート(或いはフィンガー・ペダル)などのさまざまな奏法にも熟達しなければならない。
又、BachのFugaなどの対位法を駆使した、ポリフォニーの作品を演奏するためには、楽曲分析から導き出されたアゴーギグによる弾き分けが大切である。
(この文章には譜例が入ると分かりやすくてよいのだが、個人で見ている分や演奏している分に関しては問題無いのだが、ホーム・ページや演奏会のような公開性のあるものでは、著作権の問題が絡んでくる。「2,3百年も前の作曲家の作品に何で?」と思われるかもしれないが、作曲家に対してではなく出版社に対しての著作権で、資料を持っていることや、製作した楽譜に係る権利、出版権の権利は年数では失効しない。)
もう一つ例を見てみよう。
バッハ 前奏曲とフーガ より前奏曲
実際のJ.S.BachのCembaloのpreludeとfugaの譜面です。
preludeはこのように、和音で書かれているのですが、実際にはimprovisationとして演奏しなければなりません。
その実例をHändelは彼のsuiteの組曲第1番のpreludeで、improvisationの実例として、書いています。
次の楽譜は、私が音楽大学に入学した頃に、improvisationした楽譜です。
当時は、残念ながら日本には、未だCembaloが2台しかなく、その内の1台が音楽大学にあって、私自身がCembalo科を作って、その生徒の第一号になりました。
だって、試験問題を作るのも私だったので、当然私は100点満点だったので・・ね❢❢
アハッ!
fantasiaとfuga Bach Improvisieren bei Yoji Ashizuka(1965年8月) - YouTube
私が大学1年生の時に演奏用に作ったornamentです。