Beethoven sonatine G Ⅱ楽章 Romanze
初めに
プロを目指して音楽を学ぶ者の多くは初歩の教材を小馬鹿にする傾向がある。
それが不遜にも大作曲家、Beethovenの作品であろうとである。
Beethovenが作曲した数多くのsonateと違って、同じBeethovenの作品であっても、このsonatineに関しては、教育教材として、全く別扱いに扱われてしまい、作品としてきちんと研究された事はない。
私はプロの音楽家を目指す人達に「初歩の教材研究ほど大切なものはない。」と常日頃から、主張しているのではあるが、相変わらず、演奏家を目指す人や指導者を目指し勉強しているにもかかわらず、DiabelliやBurgmüller等の初歩の教材に関して、単に知識不足であるだけではなく、「初歩の教材は簡単だから勉強しなくとも、指導が出来る。」と思い込んで、真摯に、且つ、誠実に音楽に取り組もうとしている人は数少ない。
経験不足な若い教育者に見られるそういった傾向は、あながち指導者達自身の性ばかり言えるわけではなく、むしろ初歩の教材を軽く見る音楽大学自体の姿勢にもその根本の原因を見ることが出来る。
というよりも音楽大学で若い音楽家達を養成している教授達自身が、音楽教育を口伝によって学んできたために、教材研究の方法論を知らず、教材研究の方法論を生徒達に伝授する事すら出来ない、と言う事が本当の理由であろう。
という事で、その手始めとして、まずBeethovenが作曲した「初歩の指導用の教材」であるsonatineのGのⅡ楽章のRomanzeという簡単な曲で、音楽の分析に必要最低限な知識と、方法論を解説していこう。
校訂について
全音版のソナチネアルバムの2巻、と音楽の友社の安川加寿子版の比較検討
この2冊を比較検討の対象にしたのには、さしたる意味はない。
音楽教室で、比較的に使用される事が多い版だと思われるから、という理由のみである。
見比べていただくと分かるように、最初の2段だけを取り上げたとしても、その違いはあまりにも多く、曲の解釈も全く異なっている事が、分かる。
そういった版による曲の解釈の違いを指導者の側が理解して、子供達の指導に臨んでいるかを判断する事は「押して知るべし」である。
子供のコンクールなどでは、子供のlevel差は子供の資質差ではない。コンクールで見受けられる子供のlevel差は、むしろ、指導者の教材研究力の差と、指導力の差による。
全音楽譜出版社ソナチネアルバムⅡ巻より
音楽の友社出版社安川加寿子版
何故、色々な版があるのか?
私は生徒に指導するときには、演奏上の勉強としては可能な限りの同じ曲のCDを買い揃えるように言うが、それと同様に、可能な限りの版を買い揃えるように指導する。
ちなみに私の持っているインベンションは、Henle版のような原典版や定本の異なるfacsimile版、所謂、フリーデマン バッハの練習帳のfacsimile版を定本としているビショップ版や、CzernyやLiszt等の影響を受けている(今日のBachのPiano奏法の基本となっている)ブゾーニ校訂の版に至るまでの10冊以上の版がある。ちなみに、私の場合にはピアノを専門的に学ぶ子供達には、原典版や、ブゾーニ版でインベンションを終了した生徒にビショップ版で更に学習させている。ビショップ版に書かれている装飾音を正確に演奏する事は極めて難しい。
平均律やBeethovenのソナタに関しても同様である。
色々な版を買い揃えて、その版による校訂の違いを調べる事は、音楽を勉強しようとする人にとっての研究者としての第一歩である。
版による指使いの違いは勿論の事であるが、それ以上に校訂者(出版社)の考え方の違いによって、起こってくるarticulationの違いは演奏そのもの、音楽の表現の違いとなって表れる。
私が通常使用している楽譜は、印刷がきれいで音符が大きめだからという理由で春秋社版を使用している。どっちみち、全面的に訂正していくわけなので、何版でも関係ないからである。少しでも、私の弱くなってしまった目のために・・という、音楽とは全く別の理由である。
これは不思議、同じ校訂で出版社が違う版
しかしながら、よくよく注意しなければならないのは、必ずしも版が違うからと言って校訂者が違うわけではない。
ちなみに、全音版の標準版とpeters版は同じ版である。
それは同じ定本を使用しているからである。
日本版、外版に限らずChopinやその他の多くの作曲家の作品も、殆どの出版社がpeters版を定本に使用している。
しかも、殆どのChopinの作品はPeters版から出版されていて、その本が世界の定本になっている。しかし、残念な事に、当時は作曲家のオリジナリティーは、さほど大切にされる事はなかった。著作者の権利、なんていうものは全くなかった、そういった時代であったのだ。
Chopin等の作品も初版が出版されるまでに、編集者、校訂者の手により、articulationのみならず、和音や音そのものまで変更がなされている。
かの有名なg mollのバラードですら、多くの和音が不自然に補強充填されていて、今日もそのまま出版され続けている。音楽大学の学内コンサートや、試験ですら、その編集者の改訂版が使用され、演奏されているのが現状である。
近年、ポーランド政府は正しいChopinの楽譜を世界にアピールするために、非常に廉価でChopinのfacsimile版を出版した。その数冊を私は所有している。Chopinの楽譜の是正を政府を挙げてやっているのは、さすがはポーランドである。
(ちなみに、歴史的名ピアニストであり、最も権威のある(但し、我々の時代では・・・!)Chopinの校訂版であるパデレフスキー版の編集者でもある、パデレフスキーは、第二次ポーランド共和国の第3代首相でもある。)
原典版(Urtext)について
作曲家が書いたままの、楽譜をそのまま出版する事を、Urtext Ausgabe(原典版)という。
では、どうして、色々な原典版(Urtext)があるのであろうか?それは、同じ譜面を見ても、校訂者によって色々な違いが出るからである。Bachの時代では、短調の場合などは臨時記号は書いたり、書かなかったり、実に曖昧であった。指導者と生徒が同じ手書きの譜面を使用するので、作曲家が直接生徒に 「そこは#で・・!」といえばよかったのである。
さて、蛇足ついでに、このBeethovenのsonatineであるが、作曲者の手書きの譜面は、殆ど残っていない。初版でもあればそれでも良い方で、F Lisztの校訂したかなり後の譜面しか残っていない作品も多い。所謂、Anhang(付け足し)という作品番号の一群である。
ちなみに、このBeethovenのsonatine Gは 作品番号はKinsky-Halm,Anhang5 Nr.1 という番号になります。(kinskyさんとHalmさんの付け足しの5番のNr.1という事です。)
作曲者の手による直筆楽譜は無いようです。
Articulationの参考までに、全音楽譜出版社から出版されているCegledy版の最初の8小節間を掲載しておきます。
譜例:Cegledy版
譜例:Mozartのsonate B Ⅰ楽章 reprise