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弁明
音の間違いを指摘するのは、Hoffmeisterに対しての、尊敬の念の欠如や、粗探しではない。

baroque時代から古典派の時代にかけての音楽家に対しての認識を正しくする事が大切であり、当時の作曲家達は職人であり、決して芸術家ではないのだ・・という事を把握しておかなければならない。

曰く、芸術家とは、芸術至上主義の立場をとる人達の事を指すのだろうが、それは手前味噌の芸術家であり、本当の芸術家ではない。
あくまでも、自分が「芸術家である!」と思い込んで、極々狭いコミ二ティの世界で自惚れている自己満足の人達の集団を指すのだからである。

それに対して、baroque時代や古典派の時代の人達は、職業として教会や宮廷に就職し、その課されたnormaを果たさなければならなかったのだよ。

baroque時代からの作曲家達の生活を研究した本がある。

BachやHaydnに至る迄の作曲家達は、今日の人気漫画家に劣らない、大変なhardscheduleのノルマの大変厳しい生活をしていた。

Bachも教会や宮廷のイベントのために、毎週1曲(1曲と言うのは一つの楽曲を意味するのではない。
cantataならcantata全曲、symphonyなら、symphony全曲を1週間、Pianoのsonateならsonate全曲を1週間で作曲するということであるのだよ。

その他に、Hoffmeister等のKapellmeister(宮廷楽長)は、演奏するための楽譜(part譜)や(当時はパソコンも、finaleも無かったので、)それこそ家族総出で、・・・それでも間に合わない時には、弟子達も一緒にpart譜の作成や、楽器のメンテナンス等の仕事をこなして行かなければならなかったのだよ。
その他にも、orchestraのmember達のtrainingに付き合ったり、eventのためのprogramの作成等の根回しの仕事にも追われなければならなかった。

当然、Bachのような神様でも、手塚治虫さんや藤子不二雄さん達のように、原稿を落とす事(原稿が締切に間に合わない事)が、極めて稀だけど、それはそれであったのだよ。

だから、Bachのcantataをよく調べて行くと、Bachの作品には、昔、書いた作品を歌詞を替えて使用したり、他人の作品でお茶を濁している曲も結構、あったのだよ。
Bachだけではなく、Haydnもよく人の作品を自分の作品として発表して、歳をとった時に、どれが自分の作品か分からなくなって、他人の作品を自分の作品目録に書いたりしている。

一つ一つの作品を魂を込めて・・・と言うのは、もっと時代が下ってから、作曲家が自分の書きたい曲を書くようになってからの話なのだよ。
私なんか、自分の作曲と日本人の考えている音楽がかまなくなってしまっているから、人のために曲を作るのは、やめたもんね。
日本に帰って来て、音楽会に行った時に、余りにも、若くって、美しくって、華やかな女性達が演奏会に行くのを見て、ここは私の居場所ではない!と確信したもんね。
私が心血を注いで、曲を作っても、演奏する人達や、聴衆があれではね。
stoicな人生を歩む意味はないよ。

まあ、愚痴は兎も角として、だから、Hoffmeisterと言えど、「octaveparallelが、いたる所に・・・!!」なんて事を文句言ったら、「それがどうした!??」と逆襲されかねないよね!!

その反面、私達が譜面を手直しする事については、そんなにstoicではない。
「あれ??間違いがあったの??じゃあ、手直ししといて!」で済んじゃうのだよ。
そこは、今の漫画の神様達も同じ・・・!

神様も神様の視点で見ると結構間違いはあるのだよ。

chopin然り、Bach然り、それが作曲家の尊厳を傷つけるものでは全くないのだな!!


参考までに

2013年10月20日の芦塚音楽研究所、千葉教室の発表会での演奏です。
Hoffmeister violaconcerto D T楽章
本田梨紗(高校1年生) violasolo
orchestraは芦塚音楽教室の中・小学生の生徒達、指揮は芦塚陽二です。

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