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TK17の1拍目では、altoのドの音が、ちゃんとラの音へ移動出来ているか?・・・・基本をちゃんと習っている生徒達にとっては、馬鹿げた 自分のi dentityを否定されるような、失礼な注意であるのだが、実際には、実に曖昧に弾いて来るのだよ。

polyphonyの音に慣れていない生徒の場合はsopranoの4分音符を切ったり、altoのドの音を不要に伸ばしたり、理解に苦しむ、分けの分からない事をしてしまうのだ。

sopranoの3拍目のラの音は次の16分休符迄、ちゃんと伸ばせているのか?・・次の4拍目のaltoの4分音符は、次の小節の2拍目の16分休符迄ちゃんと伸ばせているか?・・等々のcheckが必要なのだ。

inventionやSinfoniaは、自分が弾いている音を、しっかりと聞き取る・・という、「耳を育てる」という課題なのだよ。

だから、inventionや、symphonienで、ちゃんと耳の訓練をして来た生徒達にとっては、この注意は、、指導の必要のない自明のpassageである。

キーボード等の保続の出来る楽器で、ちゃんと保続された音を聞き取る事が出来るようになると、Cembaloやピアノのような、音が減数してしまう楽器ででも、ちゃんと保続する音が聞き取れるようになるから、人間の感性は素晴らしいのだよ。

Bachや、所謂、baroqueの音楽を勉強する時の、基本中の基本なのだが、そういった注意を一度も受けた事はないそうだ。

そんないい加減な勉強をしていて、それで、某国立音楽大学のピアノ科に合格出来るのかね??
不思議だ???

しかし、私が日本に帰国したばかりの頃、音楽に進もうとする子供達の水準が知りたくって、学生コンクールを聴きに通って、カセットテープで隠し撮りをした事があります。

EtudeのCzerny等は、上手な子供も数名はいたのだが、Bachに至っては超驚いたね!!
legatissimoの奏法が出来なくって、pedalを少し踏み込んで、(所謂、間違いの(誤魔化しの)halfpedalなのだが)お茶を濁している生徒達が、全員合格したのだよ。
最初から間違いを教えるのかね??

そういったkindereiなlessonをするのは、Pianoの教授だけの話かと、思っていたのだが、私の生徒の一人が、某国立音楽大学の弦楽器の講習会に行って、主任教授の公開lessonを見学して、まあ、それまでにも色々あるのだが、その中でも衝撃的だったのは、
「・3度は、指で弦をしっかりとおさえてしまうと、はもらないので、ぼかして弾くことが大切だ」と言っていたのを聴いて、少なからず、衝撃を受けて帰って来た。
勿論、生徒が衝撃を受けたのはこの一言だけではない。

(全文を載せるのは、具体的な名前も出てくるので、すこぶる問題だ・・とは思ったのだが、この文章を、私が書いたように思われるのも本意ではないので、脚注として掲載しておく事にする。)

生徒は、
「私は某国立音楽大学に合格すると、この教授に教わる事になるの?」と、べそをかいていた。
しかし、それが最高学府の先生の水準なのだよね。

生徒の芸大先生の公開レッスンの感想文を他の生徒の保護者の人が読んで・・・・
「いやあ〜この子はすごい辛口コメントやねえ〜。こんなすごい先生にこの辛口コメントはすごいわねえ。」(爆笑しながら)「この子は日本の音大に行かない方がいいのではないですか?」
えらい先生に対しての感想が、かなり批判的で、辛辣だったことに受けまくっていました。


教室の生徒の話は兎も角として、先程の某国立音楽大学の先生に学んでいる女の子のお話に戻って、・・・話を進めよう。
日本の教育界は、情けないことに、彼女が特殊なダメな先生の元で指導を受けている、・・という例外的な話ではないのだよ。
例外的ではない・・・と言う事は、inventionやsymphonienを、そういう風にいい加減なlessonを受けて、必死に勉強をして来た生徒達が殆どなのだよ。

私が子供達にBachを指導するにあたって、Keyboardを買わせるようになったその理由も、ピアノだけを習って育って来た生徒達は、鍵盤をtouchした後、どのタイミングで鍵盤をreleaseするか?が、出来ている生徒が殆どいなかった・・・という、驚くべき現実が、あったからなのですよ。
日本で音楽の勉強をしている子供達一般の話ではなく、日本で音楽を勉強している子供達のトップの水準であるはずの学生コンクールの出場者達を含めて・・・日本では、音大生を含めても、inventionや平均律等の曲をちゃんと弾ける生徒が一人もいない・・・、という驚くべき話なのだよ。

このお話自体は、もう40年も前の話であり、40年前の感想なのだが、しかし、くどいようだが、日本に帰国してから既に40年間過ぎようとしているのにも関わらず、未だに、一人の生徒もBachをちゃんと演奏出来る生徒に、会った事がないのだから、驚くべき事だよ!

一般の人達からすれば、
「そんな事は、有り得へんわな??」と思われるかもしれないのだが、それは、「Pianoの勉強はPianoでしか、してはいけない」という日本人特有の了見にあるのかもしれないのだがね。。・・というよりも、「PianoはPianoでしか勉強をしてはいけない」という、偏見に囚われているからかな??

inventionに限らず、複音楽的なpassageでは、Pianoの音は瞬時に減数してしまうので、音の伸びを聞き取る事は難しい。
Pianoのtouchのreleaseを正確に指導出来れば良いのだが、耳で聞き取れないものを、touchのみでカバーしようとする事は、所詮無理がある。
ならば、音の伸びを聴く練習として、安いKeyboardでも買って、練習すれば良いだけだ・・・と思うのだが、Pianoの先生で、生徒にOrgan(Keyboard)で演奏させてみる・・という、分かり切った事ですら、
「Pianoとはtouchが違うから・・」と言う事で認めようとしない先生達が殆どなのだよ。


でも、この事は意外と重要な意味を持っていて、Organを弾いた事のない人が、BachをCembaloやOrganで演奏すると、音がスカスカになってしまうのだよ。


私が生徒に模範演奏という事で、CembaloやOrganを弾くと、同じ譜面の同じ音符を弾いているのにも関わらず、音量が倍になるのだそうな??
orchestraのbasso continuoのpartでも、生徒がCembaloを弾くと、orchestraの大きな音量に負けて、Cembaloの音が全く聞こえて来ないのに、私が弾くと、どういう分けか、はっきりと聞こえるのだそうな??

よく、
「どうして??」って、聞かれるけれど、意識してそうしているのなら、とっくに、生徒に教えているよ!!
私は、自分の演奏の技術を人に知られないように、ひた隠しにするような、了見の狭い演奏家ではないのでね。


Bachのinventionやsinfoniaの話からは離れてしまうのだが、このPianoの鍵盤のreleaseに関しての日本人のいい加減さは、何もinventionに限った話ではない。
そもそも、Beyer教則本の78番や80番、81番等々のジン、タッターの伴奏にも見られるように、初歩の教材では必ず見受けられる癖である。
Mozartのsonate等でも、kadenzの最後の和音の音が、3回、4回繰り返されるとすると、必ず最後の音を無意識に伸ばして弾くのが日本人の癖だ。
それが、同じ4分音符だったとしても・・だよ!!

次の曲はもっとも有名なMozartのsonate、k.545 CDurの1楽章なのだが、楽譜によると、最後の71小節目、72小節目の頭の音にはstaccatoは書かれていない。
それは、前の16分音符のpassageの締め括りの音なので、終わりの音として、丁寧に弾きたいから、staccatoではなく、sostenuto気味に弾くのだよ。

しかも、最後の72小節目の2,3拍目の音にはstaccatoが付いている。
この2,3拍目の4分音符は、同じ長さで弾かれなければならない。
よく耳にするCaseでは、1拍目、2拍目を鋭く短く弾いて、最後の3拍目の音だけを、長く伸ばして弾く人が非常に多くて困るのだよ。
また、最後の2和音をsforzandoで弾く人達も多くて困ってしまう。
どこにもforteなんて、書いていないのにね。


72小節目の2,3拍目の音は、同じ4分音符でも拍頭のsostenutoの音と区別するために、staccatoが書いてあるのだよ。
だから、最後の音(72小節目の3拍目の音を、長く伸ばしては絶対にいけない!!)
しかし、こんな、簡単な単純な、超、有名な曲でも、中々、ちゃんと弾いてくれる人は少ない。・・というか、指導出来る人はいない。嘆かわしい事だよ!!



教室では、最後の音の繰り返しの時に、同じ音の長さであった場合には、同じ長さで終わるように、常に注意されるので、逆に、先日のStamitzのorchestraの曲では、最後の繰り返された4分音符の和音の音が、最後の音だけ付点4分音符になっていたのを、生徒達が勘違いをして、最後の音符迄、4分音符の長さで演奏してしまったので、私から、
「楽譜をちゃんと見なさい!!」と、叱られたばかりである。


作曲家は最後の最後まで、実に正確に音符を書く。

書かれている事は、ちゃんと守らないとね!!

ピアノの学生達は、自分が弾いた音の最初の衝撃の音は聞くのだが、その後で伸びている音を聞こうとはしない。
良い優れた指導者は、aftertouchと言って、鍵盤をreleaseするtimingを正確に守らせる。

しかし、悪い指導者は、音が4分音符なのか、2分音符なのか、さえ守らせようとはしない。
もっと、酷くなると、右手と左手のreleaseのtimingが違っていても、注意 もしないし、気にも留めない。
それが、pedalでの音の濁りの原因ともなっている。
自分の出した音が聞こえないという事は、色々な弊害の原因ともなっているのだよ。
自分の弾いた音の伸びている音(aftersound)を聞くことも、このinventionでの課題として学べる事なのだよ。ちゃんとした指導さえあればね・・・???
アハッ!



slurについて
Bachのinventionenにしろ、symphonienにしろ、Bachがslurを書いている実例はない。
唯一の例外は、inventioのVである。

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