前ページ


よく見慣れた、極々、普通のmelodieのslurである。
しかし、この楽譜を見ると、色々と問題点がある。

その問題点の一例を敢えてあげるとするならば、最初の右手のthemaをslurにするのなら、当然、そのthemaが模倣される左手も、slurが付かなければならないのだが、右手の対旋律(kontrapunkt)にslurが付いていて、左手のthemaにslurが付いていないのは、非常におかしい。
つまり、この曲は、右手と左手が対話をするような曲である。
その一点だけを留意して、このphrasierungを正しく訂正すると、次のような譜面になるはずである。
参考までに:




勿論、音楽の初心者で、Pianoで歌う練習をしている生徒達で、右手しか聞けない生徒を指導する場合には仕方がないのだが、音楽の専門家であるべきCembalistが、時代考証もなしに、Piano譜そのままで、Cembaloを演奏するのは、幾ら日本の音楽大学であったとしても、頂けない。それよりも何よりも、このBischoff版自体が、右手にしかphrasierungをしていないのは、全く頂けない。

しかし、、私が敢えて、この老骨に無知を打ってまで、(アハッ!鞭・・ね!!) inventionやsymphonienの楽譜を校訂しなくても、教室としての立場で、既存の出版されている楽譜の中から、もっとも私の意図に近い優れた、意中のinventionの楽譜を、推薦しよう、と思ったら、何と、私の手持ちの10冊を越える、世界中の色々な出版社の楽譜の中でも、Bachの意図に近いと思われる(Bach本来のbowslurで書いてある(校訂してある)slurの)楽譜は、残念ながら、一冊も出版されてなかった。
これには、流石の私も驚いたねぇ〜??


しかし、これまでにも、私は、もう既に40年以上に渡って、生徒達にinventionのlectureをしていて、lessonをしているのだが、私の場合には、slurや指使いの、何も書いていない原典版を使用していて、私自身が、直接生徒に、lessonのその場で、slurの付け方の原理や、そのAgogik等の演奏上の問題点等を生徒達が理解出来るように、lectureしていたので、これまで、そういったphrasierungを暗示した楽譜が、出版されていなかったとしても、何等の不便も、不都合さも感じなかったのだが、病気で手術、退院以後は、体調の関係から、毎週、生徒への指導が困難になってしまって、生徒へのlessonが、日常的に困難になってしまって、極少数の生徒達に対して、月一回ぐらいのlessonしか、出来なくなってしまったので、Bachの奏法の特殊性を、直接、説明し、指導する事が困難になってしまったので、Bachのinventionenとsymphonienのarticulationや、Agogikを楽譜として、残す必要性を感じるようになってしまった。

仕方なしに、生徒達のために、(え〜んや、こぉ〜ら〜ァ!!)老骨に鞭打って、inventionenから、順次articulationを、折に触れて、書き残す事にした。
inventionenは、既に全曲校訂は済んでいるので、今現在は、折に触れて、sinfoniaのそれぞれの曲を校訂中である。
(2014年の5月の時点では、もう、校訂作業は、終わった!!)
という事で、先程の曲のphrasierungを、Ashizukaversionで記載すると、次の楽譜のようになる。
Ashizukaversionによるphrasierung

このthemaに架けられた細かいbowslurは、Cembaloや、Clavichord等のperiod楽器が、Agogik等の強弱を出せない事により、そのAgogikをslurで表現するからである。
だから、私も、上の譜例のように、Pianoを対象にしたslurと、Cembaloを対象にしたslurは、生徒達には、例え、小、中学生であろうと、当然、奏き分けさせている。


但し、ホームページ上にその楽譜を全部掲載する事は、Page数的に、不可能であるので、inventionenやsymphonienの掲載は今掲載している分だけにします。


参考までに:
上記で説明した、period奏法による、CembaloへのAgogikのslurの例を、2,3曲あげておく。

Ashizukaversionのinventio[からのarticulation(bow-slur)の例の抜粋である。

次ページ