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当然、period奏法では、上記の譜面のように、Bachの書いたslurのままに演奏します。
そうすると、自然なarticulationが浮かび上がって、強弱が出来ないCembaloから、その拍節法が聞こえて来ます。
勿論、弦楽器の場合も全く同じ理由から、このような一見eccentricと思われるslurを使用しているのです。

それを私は(・・・音楽上の用語ではなくって、あくまでも、私個人の言い方なのですが、)点描法と呼んでいます。
つまり、melodieになる旋律とは別に、独立して、ベースを構成する音が、ベース同士で、点と点で結ばれているからなのです。
Telemannの無伴奏のviolinのためのfantasienから、1曲参考までに私が分析をして、2声部の書法に書き分けた楽譜を掲載しておきます。

参考までに:

下記掲載の楽譜はTelemannの12のfantasienのfantasia No.1の一楽章ですが、実際には、このmelodieは、2声のmelodieです。
  
この無伴奏のviolinのmelodieを、Basのpartをcelloのpartにして、分けて2声のpartに書き直すと、次の譜面のようになります。
   
驚く程、極、普通の2声部のduoの曲が出来あがります。
つまり、無伴奏とは、一人二役、三役で演奏しなければならない奏法なのだ・・という事を、理解しておかなければなりません。

それが、一見するとeccentricに見えるbowslurの本来の意味なのです。
Henle-editionともあろう出版社が、そういったbaroqueの常識も持ち合わせていない人に校正を頼むとはね〜〜ぇ??
世も末だな!??
蛇足ついでに、もし、BeethovenやCzernyが、同じarticulationを書くとしたら、次のように書き表したでしょうね。
staccatoなのですが、slurに隠れて見難くなるので、赤のpunkt(点)で、書き表しました。
これは、そのstaccatoの書かれた音符を鋭く短く切って演奏するという意味ではなく、その音を優しく浮かび上がらせるように演奏する、「際立たせのstaccato」と言います。
つまり、一見するとeccentricに見えたBachのbowslurですら、古典派の時代にも、脈々とその奏法は形を変えながら受け継がれて来たのですよ。


譜例:蛇足
   

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