右の楽譜は、私の指導の元に音楽大学に進学希望の女子生徒が、私のfacsimile版を元に、加筆校訂し直した楽譜である。
参考までに:
次の動画は、lecturelessonの風景です。
J.S.Bach cellosuite Ohne Begleitung Nr.4 allemande violaversion
こういった楽譜を校訂する上での、注意点は、演奏指示に関する記譜である。
この当時の楽譜は、演奏するために書かれた楽譜なので、一様にそれなりにはとても見やすく美しく清書されているのだが、それでも、作曲家の癖で、同じbowslur等々をよく落としてしまう事がある。
それは、同じslurの繰り返しであり、自明の理なので、作曲家が面倒くさくなって、書かなくなってしまったり、書き落としてしまう・・というcaseである。
その部分は校訂をする人が意識をして、補足しなければならない。
何故、「面倒くさいから書かない」・・という事がまかり通るのか??と言うと、baroque時代では、soloの楽譜やorchestraの楽譜を問わず、殆どの楽譜は総て手書き譜であり、また作曲家が演奏者に、直接、楽譜を説明してコピーを作らせていたので、そこまで丁寧に楽譜を書く必要はなかったからである。
この時代では、まだ、楽譜は、作曲家の周りの人間だけが見る事が出来た楽譜であり、広く社会に配布される・・という事は、殆どなかった。
Bachも、じぶんの作品を世に知らしめるために、夜は銅板の原板を削るという細かい作業を生涯に渡ってしていた。
Bachが失明に至った原因は、その原板を削って楽譜を作る・・という作業が、Bachの目を痛めてしまったと言われている。
殆どの作曲家は、たった1曲の曲であろうとも、非常に多くの労力と時間と費用を要する、原板を作成するという作業は、しなかった。
銅板印刷と言っても、現代の人達はそれがどういうものであるかは、現物を見た事がないから分からないと思いますので、参考までに、私の所有するJ.Matthesonのpieces
de Clavecinの楽譜のfacsimile版を掲載しておきます。
大変大きな版でA4のscannerには、入り切れなかったので、端はcutされてしまっていますが、悪しからず。
J.Mattheson pieces de Clavecin