色々なpitchに対応するためにCembaloのpitchを、頻繁に調律によって変える事は、Cembaloのpitchが不安定になるだけではなく、Cembalo本体の構造にも負担を与えてしまう結果になります。
ですから、楽器への負担を省くために、鍵盤をスライドさせて、半音下の弦を弾くようにして半音低い音が出るようにします。
つまり、鍵盤を移動する事で、AでなくってGis(As)の弦を弾くのです。
現代のキーボードのトランスポーズという機能でCをBに設定する(移調する)のと同じ事になります。
ですから、Aの音はbaroquepitchよりも遥かに低いGisの音、つまり415Hzになります。
ちなみに、私達の教室で使用しているCembaloのスライド鍵盤は、教室の基準のAのpitchが443サイクルなので、スライドさせたAの音は418サイクルになります。
当たり前の話ですがね。
しかし、その415サイクルのpitchではbaroqueviolinのガット弦にとっては、 ちょっと低すぎてしまって、violinの音があまり鳴らなくなってしまいます。
やはり、ガット弦も435から438ぐらいの方がきれいな音がします。
recorderに至っては、同じbaroqueのrecorderであっても、415サイクルのrecorderはめったに製作されてなく、415サイクルのrecorderを買い求める事は非常に難しい事かもしれません。
幾らbaroque時代であったとしても、当時415サイクルまでpitchを下げる事はそんなになかったからです。
ですが、モダンの440のpitchと、普段切り替えなければならない可哀そうなCembaloの場合には、スライド鍵盤のpitchは楽器の保護のためには仕方がない必要悪でしょうかね。
でも、その必要のないいつもbaroque音楽だけを演奏している団体が、どういうわけか、Cembaloのpitchを415(417)サイクルで堅持しているのは、ちょっとlacherlich(お笑い)です。
Baroquepitchが便宜上のbaroquepitchである415(417)サイクルと勘違いした事によるものです。
(意味を知る事も無く、慣習に従っている結果です。)
私達の教室の場合、教室にある2台のスピネットの内の1台をbaroque専用にすれば、435〜438ぐらいのpitchで調律できるので、baroqueviolinやrecorder等の楽器的には良いのですが、今現在は2台のスピネットとも教室で普段に子供達が使用しているのでそれが出来なくって困っています。
「じゃぁ、もう一台、baroque専用に買えばよいのでは・・・?」
アハッ!!そんな、バブリィーな!!
ちなみに、今日では、スピネット・タイプのCembaloでも、スライド鍵盤を持っているものが売られています。
90万前後で買えるのかな?
それこそ、よもやま話になってしまいますが、後は、ソロpitchと呼ばれるものがあります。
実際に、solopitchというtuning法があるわけではありません。
ですから、このお話はpitchの話とは直接的には関係がありませんが、orchestraの中で、ソロの楽器の音が浮き上がって聞こえるようにソリストがorchestraよりも、ほんの少しpitchを上げ気味にして演奏する事を言います。
「上げ気味に演奏する」と言っても、1ヘルツも上がるわけではありません。0.1とか0.05Hzとかの素人目には分からない程度にpitchを高めに取るのです。
このお話はプロの演奏家の場合のお話ですが、その先は応用編です。
[教室のtuningの隠し味]
教室では伴奏のピアノとヴァイオリンをほんの少し変えてチューニングします。
ピアノが演奏会高度で443ヘルツならば、ヴァイオリンは443.3Hzぐらいまで上げるのです。
そうすると、伴奏に対してしっかりと浮き上がって聞こえてくるのです。
しかし、この違いは一般の人達が聞き分けられるほどの差では困ります。
本当にお客様達に悟られない範囲で、ごくわづかの差を付けるのです。
一般の発表会の場合には、先生達はピアノと子供達のヴァイオリンを全く同じpitchにするので、ピアノの音量に負けてしまって、ヴァイオリンの音が聞こえなくなったりします。
しかし、私がやっているtuningのお話は、これは裏技なので、一般にばれてしまう程、大きくpitchの差を付けてしまうと、逆にみっともなくなってしまいます。
[演奏会の会場でのpitchの変化]
演奏会場では、人の体温で客席の温度が急激に変化するために、楽器は最初に調律したときから、演奏の終わりまでにかなりpitchが上がってしまいます。
極端な場合には、C Durの曲がCis Durぐらいまで上がる事も珍しくはありません。
管楽器は温まると、pitchが上がっていくからです。
管楽器のpitchが上がっていく中で、orchestraが常に正しいpitchに調整しなおしながら演奏すると、かなり興ざめなしらけた感じになるので、弦楽器も管楽器も自然な温度の変化に合わせてpitchを徐々に上げていくのです。
そこで、やっとご質問のお話になります。
先程のピアノ・コンチェルトの場合の「ピアノのpitchが低く聞こえる」というお話ですが、一応は、ピアノも会場の温度が高くなるにつれて、pitchが上がる事は上がります。
しかし、弦長が短い弦楽器や、人の息で楽器が温まってしまう管楽器の温度差には、ピアノという楽器はとてもかなわないのです。
よく、冬場の演奏会の前に、管の人達が必死になって「ひゅうひゅうと」管楽器に息を吹き込んでいる光景を目にしますが、それは急激なpitchの変化を防ぐために、予め管楽器を自分の息で暖めているのです。
会場に人が入ってきて、会場の温度が急激に上がると、とんでもなく管楽器の温度が急激に上がってしまい、pitchが演奏中に急激に異常に高くなるのを防ぐために、あらかじめ、演奏する前に楽器をある程度暖めているのです。
昔、私が乗っていた車も、冬場は車を走らせる前に暖気運転と言って、エンジンをかけるとしばらくの間、アイドリングをさせてエンジンを温めておかなければなりませんでした。
しかもエンジンが冷えている間は、手でチョークという混合気を作るノブを引いて音と排ガスの色を見ながら少しずつ微調整したものです。
ご質問の「ヴァイオリンのCDを聞いた後に、ピアノの演奏を聞くと低く聞こえる。」と言うお話ですが、まずは実際にpitchが違う場合のお話だけをしてきましたが、もし、お母様が聞いているCDについての質問ですが、どのCDもそう言う風に聞こえてしまうとしたら、原因は実際のpitchのお話でなく、次の二つのお話がその理由になります。
そのまず一つ目は、私のホームページにも、掲載していますので、軽く触れるに留めておきますが、オケ練習などで、湿度が高かったり、生徒の元気がなかったりで、どんよりとした雰囲気で練習が上手く行かないときがあります。そういったときには非常手段として、「今日は、乗りが悪いから444で行こう。」とかいって、生徒達の楽器のpitchを上げて、練習をしなおすことがあります。
そうすると、見違えるように、活き活きと音楽が蘇ってきます。
でも、普段の子供達が元気なときには、444のpitchは高すぎて、逆に子供達にストレスを与えてしまうのですよ。
不思議な話ですが、これは私しか、やっていないような子供達のコントロールの仕方のようです。
(・・・と思っていたら、ベルリン・フィルやウィーン・フィルでも、指揮者によっては時々やる指揮者がいるそうで、小澤征爾さんの書いた本にその話が書かれていたそうです。)
二つ目は、よくプロの音楽家でもだまされてしまう音の特性に、音の遠音のお話があります。
(遠音についても私のホームページにもその幾つかの例を掲載しています。)
楽器の音色や音の質で、その音のpitchが高く聞こえたり、或いは音自体が(本当は強い音なのに)弱く聞こえたりする事があるのです。
私がこの音の遠音のお話の説明をする時に、いつも引き合いに出すのはハープです。
ハープの音はとても柔らかい優しい音なので、ハープ奏者が優しく弱く弾いているように思われますが、実はハープは大変音量のある楽器なのです。
ですから一見すると、柔らかい弱い音で弾いているように思われますが、実は大フルオーケストラをたった1本のハープの優しい音で支えてしまう事が出来るのです。
「支える」と言う言葉はまたまた、業界用語ですから、説明しますと、つまり、オーケストラがfortissimoで演奏をしていたとしても、優しいハープの音がちゃんとオケの大音量の中から浮かび上がって聞こえてくると言う意味です。
1本のハープのarpeggioの伴奏で大オーケストラがmelodieを弾いていくというpassageすらよくあるのです。
そう言ったような音のマジックは、ハープ以外の楽器にも色々見受けられます。
私は不思議な事に音大在学中も、留学中もよくlessonのピアノの下見を頼まれる事がよくありました。
私がOKを出すと、不思議に教授もその曲を合格させるからです。
という事で、私がまだMuchenの音楽大学に在学していた頃、MozartのPianoconcertoをオーケストラ・バックで演奏会で弾くピアノの生徒の練習の下見をしていたことがあります。
そのMozartのPianoconcertoなのですが、ある箇所でオーボエ2本がoctaveのユニゾンでmelodieを演奏する箇所がありました。
ピアノで(この場合pは「弱く」と言う意味の「ピアノ」ですがね。)Melodieを2本のオーボエでoctaveのunisonで演奏しているときに、ピアノのsolopartの指定も当然pで弱く演奏しなければならないという箇所がありました。
そこの箇所を、私は「ここはオーボエは楽器的な特性上pで演奏する事は無理なので、Pianoのpartも同じようにforteで演奏しなければならないのですよ。」と説明しました。
その後で、その生徒が担当のHindemith教授(大作曲家のPaul Hindemith教授の従妹かな?)のlessonを受けた時に、そのpassageの演奏をHindemith教授は烈火のごとく怒って、「そこはMozartが楽譜にpと書いているでしょう?」と、言って「もっとPianoで!」「もっと、もっと、pianissimoで!」とエスカレートしてしまいました。
その後、彼女が私のlessonを受けると、私が「そこはもっとforteで弾かないと、オーボエに音量が負けてしまって、ピアノの音が聞こえなくなるよ!」と言うので、可哀そうに、そのピアニストはパニックになっていました。
ホールでのオケリハの当日、orchestraがそこの箇所に差し掛かると、案の定、2本のオーボエは一生懸命にpで演奏してはいるのですが、音域的にpで弾く事は無理なので、当然、オーボエの音が強すぎて、ピアノの音がかき消されてしまい全く聞こえなくなってしまいました。
それを客席で聞いていたHindemith教授は、顔を真っ赤にしながら、「もっとforteで!」「もっと、もっとforteで!」と叫んでいました。
アッ、ハッ、ハッ、ハッ!
ところがそのpassageをCDに録音してしまうと、そのオーボエのpartがpで演奏しているように聞こえるのだから不思議なものです。
勿論、作曲家はそういった楽器的な特性も考えてオーケストレーションをしているのですがね。
ちょっと話が細かくなってしまいましたし、音色のお話はpitchの話とは直接には関係がないように思われるかもしれませんが、纏めてみると、実は「鋭い音は高めに聞こえ、それに対して柔らかな音は、例え音量が強い音でも、弱く低めに聞こえる」と言う特性があるのです。
Pianoの場合、音色は楽器が決めるように思われがちですが、実はそうではありません。
やはり、touchの良し悪しで、同じPianoでも「これが同じPiano!?」というほどに、弾き手のtouchによって、Pianoの音色が全く変わってしまいます。
私がドイツ留学から帰国して、再び東京に住むようになった頃の、今からもう既に40年近くも以前のお話です。
私はそれまでは積極的に生徒をとって指導していた音楽大学の学生時代も含めて、子供を指導した事はありませんでした。
ですから、私が初めて指導した子供達の中の一人である小学校に入ったばかりの女の子は、私の個人的な音楽の指導の研究という意味もあって、最初から(Beyerの段階から)leggierotouchのMozart奏法で指導しました。
その生徒が小学3年生頃になって、Czernyの30番やインベンションなども終了した頃になると、とても柔らかな優しい美しい音でMozartやBachなどの演奏が出来るようなっていました。
その生徒がコンクールに参加したときには、審査員から「もっと力強い音で弾きましょう。」との評価を貰いました。
つまり、あまり良い印象は与えなかったようです。
しかし、実はその日は、私はミキシング・ルームで、NHKの録音技師の人や楽器製作者の人達と一緒に聞いていたのですが、コンクールの審査員が模範演奏として弾いていたピアノの音は録音機器のメーターが半分も上がらず、ホールの関係の人が「ホールの真ん中までも音が届いていない。」とぼやいていました。
私の弟子の小学生の生徒が演奏した時には、会場では耳には、とても音が優しく、弱く聞こえたのですが、実はミキシングルームのメーターはMaxを振り切っていたのです。
音楽大学を卒業して、オーディションに通ったピアニストでもメーターを振り切れる事はめったにないのです。
ですから、会場の録音技師の人も「会場の隅々までしっかり音が届いています。」とその子のtouchと音を絶賛していました。
(それは先日の大崎の教室のオーケストラや室内楽の演奏でも、同様の評価をPAの人や、会場のプロデューサーからもいただきました。)
日本人初のforte-pianoのtouchが出来るMozart奏者になれたかもしれないと周りの人達から期待され、絶賛されていた生徒ですが、家庭の事情でピアノを中学生になるときにやめてしまいました。「どういう、家庭の事情??」 つまり、家庭の事情ですよ!
その後は、Mozart-touchの生徒は一人も育てていません。
Mozart奏法のforte-pianoのtouchはあまりにも専門的過ぎて、録音技師や古典専門の研究者や楽器製作者達等の専門家の人達から以外には、つまり、音楽家の人達からは正当に評価されることがないからです。
つまり、音楽の専門家であっても、遠音の聞く音と唯単に弱い音を聞き分けられる人達はいないのです。
自分でそう言う音を出せない限りね!!
さて、「ピアノ・コンチェルトの場合には・・・」 というご質問には、まだお答えしていませんでしたね。
さてさて、困りました。きっと、指揮者の人達も頭を抱え込むでしょうね。
実はオーケストラの演奏会場では、先程も言ったように、本当はピアノも演奏中は、少しづつpitchが上がっているのです。
ですが、管楽器や弦楽器ほどに、極端に上がるわけではありません。
ですから、そこはプロ、実際に管楽器や弦楽器が本来上がるはずのpitchよりも少し低めにpitchを戻してピアノに合わせて、ばれない程度にpitchを調整しているのですよ。
勿論、最初の弾き始めのpitchよりは高くなってはいるのですがね。
(しかし、先程も言ったように、orchestraでは自然に上がっていくはずのpitchをあえてそのままのpitchにする事は、(お客様が興ざめになるので)通常はする事はありません。
そう言った上げる幅の微調整が必要なのはピアノ・コンチェルトの場合だけなのですよ。
これはお客様には内緒の話です。)
とりあえずは、ここらまでにします。
参考までに:調性と音階について
調性と基準音の話です。
2009/12/06 (日) 12:10
昨夜はありがとうございました。
昨夜は遅い時間にメールしたにもかかわらず、早速にお返事を下さってありがとうございました。ピッチというんですね。
こんなに広い幅がピッチにはあるんですね。添付されていたリンクのお話などは難しくてわからないことだらけでしたが、管楽器が温まるとピッチが上がって弦楽器がそれに合わせて上げていくなどおもしろいオケ内の事情をきけておもしろいなぁと思うと同時に、そんなことをしているなんてすごいなぁと思いました。
それからなぜ教育関係は440なんでしょう?
443にしてしまえばいいのにと素人としては思うのですが、理由があるのでしょうか?
昔々はいろんなピッチがあったのは仕方ないとわかりますが。
ピアノ協奏曲では先生のお話ですと、上がっていく管楽器に合わせて弦楽器も上げていき、主役のピアノはほとんど最初のピッチのまま他からおいてきぼりになるということですよね。
曲が進むにつれ他に比べ沈んでいくということですか・・・?
ピッチのお話は不思議なことが多いですね。
(このメールを書いている間に、ご父兄からお返事をいただきました。そのお返事に対しての回答です。)
先程、頂いたmailのお返事の最後のお話には、少し誤解があるようですから、もう一度確認のために説明をしておきます。
管楽器や弦楽器は自分達の楽器のpitchが上がっていくのを、少ししかpitchが上がらないピアノに合わせて、上げ幅を少なめにして演奏すると言うことなのです。
ピアノが「曲が進んで行くにつれて沈んでいく」という事は「ピアノのpitchを無視して、それぞれの楽器がpitchを上げていく」と言う事をおっしゃっているのだと思いますが、オーケストラは学校ではないのですから、そういった置いてけ堀にするという事は絶対にありません!
プロのオーケストラの演奏は、全員で一つの音楽なのです。
一人でも落ちこぼれていては、全体の演奏が「下手だ!」といわれてしまいます。
ですから、「置いてけ堀!」は、絶対にないのです。
その代わりに、プロの世界では出来なきゃ「首」なだけです!
あるのは、「出来るのか?」「出来ないのか?」 と言う話だけで、陰湿な虐めなんか、ないんですよ!
すっきりしたものですよ。「出来なきゃ、 首よ!!」、 「首!!」、 「首!!」
ましてやPianoconcertoでは、Pianoがsoloなのですからね。
ソロというのは、オーケストラにとっては、お客様という意味ですよ!
お客様を立てるのが、営業ですからね。
しかし、人生、色々あるもので、極稀に、ピアノが沈んでしまっているCDがないわけではありません。しかし、それは、唯、下手なだけの、「ヘボ・オケ」です。
そう言ったCDは買わないこと!
・・・という事で、今回、クララ ハスキルのMozartの23番のPianoconcertoをネットで見つけて、購入しました。