Muzio Clementi sonatine Op.36Nr.6 D Dur


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まえがきにかえて ClementiとMozart

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まえがきにかえて
ClementiとMozart
Muzio Clementiは、こんにち、sonatine の作曲家として、或いは、MozartとPianoの共演をして惨敗したpianistとして知られているぐらいでしょうかね??

1781年の12月24日、皇帝Joseph II世は、王宮で、MozartとClementiを引き合わせました。
MozartがまだWienに出てきたばかりの25歳の頃でした。
Mozart自身の手紙から伺える事は、Clementi(29歳)はsonateを1曲弾き、Mozartは何か変奏曲を弾き、その後、幾つかの曲を弾いたりしたようです。


詳細には、 先ず、Clementiが即興の前奏曲、自作のPianosonate Op.47-2、3度やその他の重音の連発するtoccataを演奏。
続いてMozartがやはり即興で前奏曲を、続いてその前奏曲を下敷きに、変奏を重ねた。
そして今度は指定されたパイジェルロのPianosonateの第1楽章をMozartが、第2、3楽章をClementiがそれぞれ初見で演奏した。

次にそれらの中から主題を1つ選び、2台ピアノで展開するように指示がおりた。
二人は期待に応え、ありとあらゆる旋律の断片が互いに入り組むうちに、2台ピアノの大音響となってこの勝負の幕は閉じる。
Clementiがこのときひいたsonateは、 作品47の2 でしたが、Mozartはこの曲の第1楽章のthemaを拝借し、オペラ魔笛の序曲を作曲したのでした。

この引用について、Clementiを嘲り、皮肉ったのだという見方もあります


という事で、
「Clementiは、惨敗して、逃げ帰った」という風に書かれている伝記もあります。(勿論、Mozartの伝記なのですがね。)

しかし、この話は、かなり眉唾で、25歳のMozartのヤッカミもあって、実際とはかなり、歪曲されて後世に伝えられているようです。

競演の時を振り返って、Clementi自身のMozartの演奏への感想は、
「私は、あのときまであれほど魂のこもった優美な演奏を聴いたことがなかった」と、述べています。
それに対して、Mozartの感想は、父親への手紙に書かれていますが、
「クレメンティは、素晴らしいチェンバロ弾きだが、単なるいかさま師で、趣味や感情のひとかけらも持っていません。要するに彼は単なる機械的演奏家なのです。」と手厳しく批判しました。

Mozarts Briefe
An den Vater  Wien、den 16.Januar 1782

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