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もし、このAnimatoというtempo指定とMazurkaの指定がChopinの指定だとしたら、この中間部は大変難しい事になります。
いづれにしても、Chopinは、ピアニストとしてもrubatoの天才であったという事が知られています。
rubatoを、「感情の赴くままに好き勝手に揺らして演奏する事だ。」、と思っている輩が居て、時々、演奏の説明をしている時に、話が通じなくって困ってしまう事があります。
rubatoには、歴然とした、法則があります。
Chopinが何時も言っていた、「rubatoは盗む・・という意味です。盗んだ物はちゃんと返さなければなりません。」という言葉です。
tenutoをしたければ、その前のpassageをaccelerandoをしなければなりません。
accelerandoした分だけ、rubatoすることが、出来るのです。
rubatoには、そういった、曲のcrescendoやaccelerandoのための音楽的なrubatoと、伝統芸能的な民族舞踊から来るrubatoがあります。
当然、PolonaiseやMazurkaは、独得の民族舞踊のstepから来るrubatoがあります。
Valseの前身であった、ドイツのLandlerですが、(Valseも同じですが)軸足の2,3拍目がskipするので、2拍子に近くなります。
one(↓)、トット(↑)で、トットはかなりハショル(端折る)ので、聞き様によっては2拍子に聞こえるかもしれません。
古い所では、sarabandやchaconne、la folia等も2、3拍目が詰まります。
そういった、詰められたtempoやrhythm(rubato)に関するChopinを取り巻く人達の感想を書いてある手紙を掲載しておきます。
詳しい内容は、音楽の友社から下記のtitleで出版されているので、そちらの方を読んでください。
参考文献
ショパンの演奏の際立った特色は, リズムをまったく思いのままに扱う点にある。それがあまりに自然なものだから, わたしは長年の間, べつに驚きもし なかった。
あれは確か, 1845年か6年のことだったはずだ。
ある日わたしは恐る恐るシ ョパンに聞いてみた。あなたがマズルカを演奏なさるとき, 小節の1拍目をわざと遅らせてお弾きになるので 4分の3 拍子ではなく 4分の4 拍子のように聞こえますが,と。すると先生は大きくかぶりを振って,それではひとつマズルカを弾いてみましようとおっしゃるので,わたしは声を出して数えてみた。やはりきっかり4 拍子ではないか。
ショパンは笑みを浮かべて,こんな特殊な奏法は,もともとこのダンスがポーランドの国民性を反映したものだからなのです,と説明してくれた。
彼の演奏で最も注目すべきは,ほんとうは2拍子のリズムを聞いているのに,4 分の3拍子のような気がしてくるところである。
もちろんマズルカすべてにというわけにはいかないが,これはほとんどの作品にあてはまる。
後になってよく考えてみると, あんなさしでがましい口をきいても,気を悪くしないで親切に答えてくれたショパンは,よほどわたしに好意的なのだということに気がついて,冷汗をかいてしまった。
マイヤベーアも同じようなことを尋ねたのだが,恐らく刺のある言い方だったので、あろう。そのときは深刻な言い争いになってしまった。ショパンはマイヤベーアをけっして許そうとしなかったと思う。
チャールズ・ハレ卿ピアニスト・作曲家・オーケストラ指揮者・教育者
[出典:弟子から見たショパン・そのピアノ教育法と演奏美学 ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル米谷治郎・中島弘二訳音楽の友社]

モシェレスの話によると、嫁いだ娘 ( エミリー・ロッシュ ) がショパンのレッスンを受けていて、彼(モシェレス)にショパンのマズルカの新曲を弾いてくれたこともあったそうだ。ルバートをつけて弾くので、この曲全体が 4分の3拍子ではなく4分の2 拍子に聞こえたと言う。
モシェレス / ビューロー ( I, 133)

[出典:弟子から見たショパン・そのピアノ教育法と演奏美学 ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル米谷治郎・中島弘二訳音楽の友社]

Chopinのrubatoに関する、この手の話には、事欠かない!
また、 Mazurkaに入る前の中間部の長調に変わった所のpassageですが、Chopinはこの右手のpassageを、左手とは全く別の拍子で弾いていたそうです。
複数の人達の証言があり、その事に言及しています。
しかし、Chopin自身は、その事を指摘されると、烈火の如く怒り出して、部屋に引き篭もって出てこなかったそうです。

参考までに
ある日、わたしがショパンの家でレッスンを受けているところへ , マイヤベーアが顔を出した。
もちろん勝手に部屋まで、つかっかとあがりこんで来たのである。
彼は王様気取りだった。
わたしたちはそのとき,マズルカ作品 33(の3)ハ長調を弾いていた。
マイヤベーアが椅子に腰かけたが、わたしはなおも続けた。
「4 分の2 拍子ですね」とマイヤベーア。  
わたしはもう一度くり返さねばならなかった。
ショパンは鉛筆を持って、ピアノの上で拍子を叩き、目をらんらんと輝かせている。
 
「4 分の 2 です J と、マイヤベーアはすましたものだ。
ショパンの我を忘れるほどの激昂を目にしたのは、後にも先にもこのときだけだ。
怒りにふるえる顔も、驚くほど美しかった。青白い頬にはうっすらと赤みがさしているではないか。
「これは4分の3 拍子なんです」と、彼は声を荒げた。
「じゃ、これをわたしのオペラのバレエのところに使いますよ。4分の2 だっ てことを証明してあげますからね」とマイヤベーアが答えた ( 彼はその頃「アフリカの女」というオペラを極秘のうちに作曲していたのである ) 。
「4分の3だって言うのに!」
いつもはぼそぼそ噴くように話すこの人も、大声で怒鳴りかねない剣幕だ。
わたしを椅子からどかせると、自らピアノに向かった。そして声を出して数え、足で拍子をとりながら、この曲を3度も弾いたのである。
マイヤベーアも頑として自説を曲げず、結局は物別れとなってしまった。
その場に居合わせたわたしも、なんともばつの悪い思いがした。
ショパンはわたしには挨拶もせずに、書斎に引きこもってしまった。
ウイルフェルム フォン レンツ  ロシア皇帝の国政参事官
[出典:弟子から見たショパン・そのピアノ教育法と演奏美学 ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル米谷治郎・中島弘二訳音楽の友社]


また、わざと、そういう風にrhythmを変えて、演奏しているCDも、結構、出ているそうです。

ピアノ協奏曲第2番 第3楽章 冒頭

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