「Professionalとamateur」
音楽家と一般の音楽愛好家、音楽の指導者達が考える、Proとamateurの違いを述べる程、難しい事はない。
歴代の著名な作曲家達は「芸術家である前に職人であれ」という事を、言っているのだが、先ず、その言葉の意味を理解する事は難しい。
以前、教室の講師募集に来た音楽大学の院の学生に、「音楽大学は職業学校だ」と言ったら、その学生が、「音楽が職業だと思った事も、職業として習った事もありません。」と、本当に驚いていた。
「子供の時の先生からも、音楽大学時代の先生からも、『音楽が職業である。』と指導して貰った事はない。」と、驚いて、少なからず「音楽が職業である」という私の話にcultureshockを受けていました。
私の師匠であるGenzmer先生も「その人が芸術家であるか否かを決めるのは、その人本人ではなく、100年後の歴史であり、後世の人達である。」と、作曲家としての姿勢を厳しく戒めていました。
「陶工の話」
焼き物の世界では、実用的な焼き物と芸術的焼き物はハッキリと分かれていて、しかも、実用的な食器や陶器を焼く職人と、芸術家は最初から分かれています。
芸術家はあくまでも芸術としての陶器を焼くのです。
演奏家も、大きなコンサートホールで演奏して、世界中を演奏旅行で飛び回っているような演奏家もいれば、街の色々なイベントで演奏をする演奏家もいます。
proオケはある程度は給与が出るのですが、semiproは、生活の足しになる金額はとても出ません。
勿論、日本のorchestraの場合には、proのorchestraといえども、それだけでは生活は立ちませんがね。
音楽家のproとしての寿命は極めて短いものです。
コンクール等で、若くして、デビューした天才達がその美貌と若さを失う30歳の壁を越す人達は殆どいません。(時代の進歩とでもいうのでしょうか・・・・、私達が言っていた30歳という年齢は、今の人達には、もう通用しません。
私達が意味する30歳の体年齢と同じ体年齢は、今では40歳ぐらいにもなって来ました。
驚くべき事です。
昔は60歳は、とてつもないおばあちゃんであったのですが、今は60歳でも70歳でも、若く美しく、20代30代の若さをキープしたままの人達が沢山居ます。
そういった意味でも、音楽の壁は40歳ぐらいになったのではないでしょうかね??)
そういった体の変調を昔の人達は「厄年」という事で言い表しました。
勿論、語呂合わせの部分も多いのですが、それ以上に言い得て妙です。
女の19歳、33歳、37歳を厄年だといっており 、女性の61歳の厄は宗派によっては、ない宗派も多いようです。
但し、この年齢は、数え年なので、満年齢にすれば、ちょっと無理があります。
この数字は、語呂合わせと体年齢と社会的な立場の変化によって導き出されているのですが、女性の体年齢は、医学や、文化の発達、社会的地位の向上等々で、だんだん改善されて、10歳も若返っているのに対して、男性の若さと体力は、昔から、余り変わりません。
殆どの演奏家の場合にも、男性達は、私達の時代の時の場合と全く同じで、33歳の体力の壁(本当は、基礎力や、基本の勉強の不足)で、勉強しなくても地位の安定する大学の先生に収まってしまいます。
私が、ここで言っている「33歳の壁」と言う言葉は、あくまでも実際に演奏活動をしているようなproの演奏家の話であって、そこまで自分の人生の全てを音楽に掛けていない人達には、所詮は無縁の言葉であるのです。
私は33歳の壁という言葉をよく口にします。
男性の本厄は25歳、42歳、61歳です。
男の42歳と女の33歳は大厄ですが、42歳は「死に」で、33歳は「散々」です。33歳の9月の6日で、「散々苦労」となります。
「音楽とgenre」
音楽には、不思議な@@@があります。
文学なら、小説や哲学と週刊誌を比較する事はありません。
小説も文学と呼ばれるものと、大衆文学や子供を対象にした文学があり、それぞれがそれぞれの立場で存在しているのです。
大衆文学もクライムやスリラーのようなものから、恋愛小説のようなものまで各種存在しています。
音楽に憧れる人達は、その華やかさに憧れる。
私が日本に帰って来て、最初に行った演奏会で、会場に集まってきた若い女性達の華やかな世界に、作曲家である事を絶望してしまった。
俺はお前達のような人種のために命を削って曲を作る分けではない。
前書き
「江古田詣」と「お手伝い」の違い
「仕事」と「バイト」の違い
「江古田詣」のparadox
先生の仕事のお手伝いについて
再び「江古田詣」のお話に戻って
教育としての「江古田詣」
「江古田詣」の効能
江古田の事務所を子供が手伝うという事
学校教育と「江古田詣」の違い
「江古田詣」のメリット
生徒の勉強のための「江古田詣」
仕事と責任
「江古田詣」の生徒とアシスタント・インストラクターの違い
誰でも出来る仕事と技術職
技術を持つと言うことの勘違い
キャッチボールと推敲の重要性
年齢とNiveau
methodeという意味
蛇足
脚注
[前書き]
この「江古田詣」の論文・・・というか、冊子を書くようになったのは、もう、既に10年くらい前の話になるのですが(2008年頃のお話です)、千葉教室のお母様達の間に、「子供がヴァイオリンやピアノがうまくなって、子供達の間でリーダー的存在になってきたら、東京の事務所まで駆り出されて、教室の仕事のお手伝いをさせられる。」・・・というような噂が流れている・・・と言う話を、同じ千葉教室の保護者の方から、教えて貰った事があります。
それで、その当時の千葉教室の保護者のどなたかが、冗談で「江古田に先生達のお手伝いに行く」・・という事を「江古田詣」と言っていましたが、その「江古田詣」という言葉が教室でも先生方に、とても「馬鹿受け」していたので、取り敢えず、最初の間は、「子供達が江古田教室の事務所にお手伝いや、先生達の仕事やlessonの見学に通う事」を「江古田詣」という言葉に一括して、定義しました。 注[1]
ちょうどその頃は、教室の生徒数も多く、若い先生達が、教室の雑用を熟すのに、未だ仕事に慣れないで、てんてこ舞をしていたので、教室のリーダー的な中学生の生徒のお母様から、「先生達、お忙しそうなので、教室の仕事のお手伝いに、子供を江古田に行かせます。」という有難い「お申し出」を、保護者の方達から、いただいた事があります。
このお話のリーダー的な中学生の生徒は、将来の進路を音楽にしている生徒ではなく、音楽は趣味で、大学進学を目指している生徒ですから、教室の先生達の仕事の「お手伝いをする」と、いう言い方、考え方は、「お手伝いをする」という事で、別に問題はありません。
勿論、生徒が暇な時に事務所に来て貰って、先生達の仕事の「お手伝い」をして貰うのは、先生達としても、大変助かります。
有難い事で、大歓迎です。
しかし、教室の先生が、教室の周りで流布しているように、「生徒の技術が向上して、教室のリーダー的な存在になると、教室のお手伝いをさせられる」という事を、生徒に頼む・・という事は、絶対にありませんし、その流布しているお話は、事実ではありません。
先ほどの「お手伝い」に来た生徒のお話を、教室本来の「江古田詣」の趣旨と勘違いしてしまったのでしょうかね??
確かに、今現在でも、教室で生徒達がパソコンの入力をしたり、進行表を作ったりしています。
しかし、一見すると、先生達の仕事の「お手伝い」と思われるかもしれない進行表の作業も、実は、教室の生徒の自主性やリーダーシップを育てるための、教室の独自のcurriculumであって、教室の生徒指導の一貫として芦塚メトードにcurriculumされた、指導法なのです。
オケ練習や発表会の自分達の進行を理解し、自主的に行動出来るようになるためのは、一つのsimulationとして、発表会全体の総合的な動きを学ばなければなりません。後輩に対しての、動きの指示も、自分が「そう思った!」ではなく、全体の動きを理解し、その流れを把握して、始めて、先生の指示無しに、自分で、指示を出す事が出来るのです。
しかし、発表会の当日に、漫然とその場の場当たりで、そういった指示を出すと、通常の単一楽器の発表会なら、いざ知らずとしても、私達の教室のように、オーケストラや室内楽、子供の会、大人の会まであって、進行している発表会では、場当たりの指示をする事は、発表会全体の流れを壊すことになって、進行企画としては、最悪のものになってしまうのです。
子供達にもいつも注意しているように、一人たった10秒の遅れでも、最終的には30分とか、一時間の遅れになってしまうのです。
今現在は、10時間のprogramでも、その遅れは、1、2分の遅れで済んでいるのですが、これはproのorchestraでも、なかなか出来ない事なのです。
そういった、本当の意味での指示が出せるようになる事が、その生徒の将来、社会人になった時に、人の上に立てる人材になってくれると確信して、多くの卒業生達からも、感謝の言葉を貰っているのです。
発表会のprojectは、何度も発表会を体験したとしても、出来るものではありません。
生徒達だけではなく、教室に見えられる講師の先生でも、事務所で、発表会の進行企画に携わらなかった先生では、幾ら、大人でも、教室の先生でも、発表会で、子供達に指示を出す事は不可能なのです。
一番よくある事は、ハプニングが起こった時に動ける生徒は限られています。しかし、動ける生徒には、それなりの役割分担が割り当てられていて、その先生の指示に従ってしまうと、その生徒の責務が果たせなくなってしまうからです。
生徒達は事前に、paper上で、発表会での生徒達の一連の動きを把握します。
その生徒がその時間に役割がないからといっても、その生徒が暇である・・とは限らないのです。次の出番の準備時間だったのかもしれません。
そういったうっかりミスで進行表を作ってしまった時、完全に不可能な事は先生がcheckをしますけれども、或程度は無理をすると、可能な場合には、先生が無視をする場合もあります。
それは、何処までもcheckを入れてしまうと、結果的に、先生に依存してしまうようになってしまうからです。
という事で、そういったミスは反省会でその役割をした人から、厳しい指摘をされて、しまいます。
そういった、反省点を活かしながら、発表会が近づくと、進行企画の打ち合わせを友達と先生を交えてして、lessonの合間に、少し早めに教室にやって来て、出来上がった分から、どんどん進行をパソコンに入力します。
また、Pianoの上級生になると、芦塚先生からヴィヴァルディのorchestraのチェンバロの通奏低音のpartを、作るように宿題にされたり、それをfinaleに入力したりする事もあります。別に音楽大学に進学する訳でも、演奏家を志望している分けでもないのですが、あくまで、教室の楽典の授業の一貫としてのcurriculumなのですよ。
だから、そういった生徒達の活動は、「お手伝い」でも「江古田詣」でもなく、発表会やオケ練習のprojectの一貫であったり、楽典の授業の一貫であったりの、通常の作業なのですよ。
「仕事とバイトの違い」
教室のlessonの延長線上にある勉強と、先程の、「お手伝い」と「江古田詣」の違いを、分かり易く一般的な例で、説明すると、一般社会では「会社の仕事」と、「バイトで働く事」の違い・・・と思って頂ければ、少し近いのでは??・・・・と、思います。
しかし、「バイト」と若者が言っている言葉は、私達の時代迄は存在しませんでした。
バイトという言葉は、和製ドイツ語で、ドイツ語の「arbeit」の簡略化された言葉ですが、ドイツ語の「arbeit」という単語の意味は、(job)仕事という意味であって、日本語で言われているような、「バイト」という意味は全くありません。
私は学生達が普通に口にする「バイト」という言葉が、学生の人への無責任さを感じてしまって、非常に嫌いです。
以前、教室から音楽大学に行って、大学で学んでいる生徒がお友達とおしゃべりをしている時に、音楽教室に指導に行く事を、無意識に「バイトに行ってくる・・」と言っていたので、私が厳しく叱責した事があります。
「あなたにとっては、学業の合間のバイト・・という意識かもしれないけれど、保護者の人達にとっては、学生であるあなたに月謝を払っている分けではないと思いますよ!」 と・・・。
無意識に口をついて出てくる「バイト」という言葉が、音大生の「子供を指導する」という事に対しての価値観、所謂、潜在意識の表れなのですよ。
逆に、その音楽教室の生徒や保護者の人達が、音楽教育になんの関心も抱かなくて、何の価値観も持たなかったとしても、その生徒を指導する立場の人間が、相手が無関心だからと言って、自分がlectureする音楽教育に対して、不真面目であれば、それは自分自身を貶める事になるのです。
ドイツ語のarbeitは、あくまで仕事をするという意味なのです。
無責任な、その時にその場所に居れば誰でも努まるという、時間仕事、賃仕事という意味ではないのですよ。
本来的には、今皆さんが言っている、アルバイトは、本来的な日本語では、「日雇い」というのでしょうが、日雇いでは、季節労務者の意味が強く、学生達の求めるスマートな仕事(賃職)のimageがないので、ドイツ語で代用したのでしょう??
正規雇用とは違って、アルバイトは、学生に取っては、自由に時間や仕事を選べたので、最初の間は、学生の生活の足しになって、雇用者側では、必要な時に必要な人材を確保するという意味で、急速に色々な業種に広がって行きました。
しかし、お互いに利害が一致しているように、見えたその「バイト感覚」が、学生自身にも、或いは雇用者サイドに於いても、しわ寄せが来てしまったのです。
会社の雇用では、それなりの技術が必要な仕事と、コンビニのバイトのように、その場で覚えられて、学習する必要のない、(誰でも良い)作業があります。
その、誰でも良い作業を、アルバイトの人達がしてくれれば、会社としては、非常に安い賃金で人を雇う事が出来るので、とても良いメリットがあります。
勿論、学生も、自分の都合に合わせて、時間だけその場所にいれば、それなりの現金収入が得られるので、バイトという、職種は急速に日本全体に広がって行きました。
雇われるバイトの学生も、仕事は自由に自分の都合で動けるし、会社としてもバイトの学生に、何の責任も持つ必要はなかったので、学生の仕事への意識は急速に低下して行く事になります。
そういった、無責任時代に、人への奉仕が、仕事の意義である・・という事を口にしても、「それはかったるい考え方だ!」という風にしか、思われなくなってしまいました。
塾に於いても、高校、大学の教育に於いても、そのclientは学生であります。
自分が与えられた事をちゃんと果たせば、それだけで、認められ、褒められて来ました。
バイトにしても、その時間、その場所に居ればそれで、給料が貰えたのです。
しかし、一旦、会社に就職した途端に、自分が上司に言われた事をちゃんとやっても、認められない、・・認めて貰えない・・と言う事が起こって来ます。
それは、当たり前です。
だって、自分が精一杯頑張ったとしても、clientの求めるものでなければ、認められる事はないのよね。
水準というものは、自分で作るものではなく、今ある水準に自分を合わせなければならないのだよ。
幾ら頑張っても、そのラインに達しなければ、憧れの音楽大学に入学する事は出来ないでしょう。
そこで、自分なりに・・・という話はなりたたないのだよ。
どうして、そんな、当たり前の事が自分の娘の事になると分からないのかね???
不思議だ・・・・!!!!
学生の側の意識も、正規の雇用を「かったるい」「めんどくさい」と、忌み嫌うようになって来ました。
「幾ら努力しても、認めて貰えなければ、会社なんか行かなければいいや!」という学生がどんどん増えてきました。所謂、ニートの始まりです。(ニートのお話)
日本の学生が働く気がなければ、日本人の学生ではなくって、他の国の学生を雇えば、もっと熱心で、真面目で、一生懸命に仕事をしてくれるから、・・と、日本の企業でありながら、日本人は採用しない・・・という大手企業まで表れてしまって、学生が大学を卒業しても、日本の企業には就職出来ないというdilemmaが起こってってしまいました。
それよりも、もっと問題なのは、それは都心の大手の企業の話で、地方の中小の企業は、未だに、求人難なのですよ。
超絶な矛盾です。
そして、時代と伴に、「お手伝い」と「江古田詣」の違いも分からない、人達が増えて来ました。
実は、それまでの、・・・所謂「江古田詣」をした経験のある生徒達は、全員、「音楽大学の受験生達」か、「将来、音楽を職業としたい」、或いは、「教室の先生になりたい」、という目的で、教室で音楽の勉強をしている生徒だけだったのです。
いつの頃からか、「江古田詣」が「先生のお手伝い」という事から、職業訓練、職人としての音楽教育と様変わりをして来た時に、「江古田詣」という事が、複雑な様相を呈して来て、その趣旨が込み入って来たのです。
そもそも、「江古田詣」自体が、音楽を専門にする生徒だけであったら、後日、「お手伝い」と、「江古田詣」のconceptの違いを、誤解する保護者もいなかった、と思いますが、先ほどの生徒のように、音楽の世界に進む生徒でなかったとしても、教室はその生徒達を受け入れて、お仕事のお手伝いをさせていたので、保護者の方達に、誤解を抱かせる原因となったのは、致し方のない事ではありますが、また、紛らわしい事実を引き起こしてしまった事も事実です。
「江古田詣」のparadox
教室の「江古田詣」の形態を、理解するには、「江古田詣」の意味自体が、「誤解を招く」、という事があるからです。
そこの所を、もう少し詳しく説明すると、「江古田詣」の生徒達と、同じように音楽を専門に勉強していて、将来を音楽の世界で生きて行こうとする生徒達全員が、「江古田詣」を体験しているわけでもない・・・という、事があるのです。
「江古田詣」は、音楽家としての意識を育てる事という意味であるのならば、音楽を職業とする目的を持っている総ての生徒達が、経験をしなければならないcurriculumのように思えるのですが、実際には、、同じ音楽を専門的に勉強している生徒達の中でも、コンクール組と留学組の生徒達で、「江古田詣」をした生徒は、一人もいないのです。
コンクールや留学は、proになるための登竜門と思われているので、そういった生徒達が「江古田詣」を経験した事がない・・・というのは、paradoxになってしまいますよね。
でも、教室でコンクール組の生徒や、留学をする生徒に「江古田詣」をさせないのは、それは、その人達が勉強をするその内容が、音楽のproを目指す人達と、コンクールや留学を目指す人達では、全く異なるからなのです。
コンクールを目標とする生徒に、必要な技術は、音楽大学の受験と全く同様に「重箱の隅を楊枝でほじる」ような、lessonです。
楽譜に忠実に演奏をする・・といっても、音楽大学の勉強では、fはfで弾く事を要求されます。
しかし、proversionのlessonでは、そのfの本来の意味までも追求します。
その結果、作曲家の意図で、Pの中のforteや、forteの中のpianissimoという可能性も出て来るのです。
しかし、そういった演奏は音大型の解釈では、穿った解釈とみなされてしまいます。
ChopinのMazurkaを演奏する時でさえも、tempoをrubatoして、あたかもMazurkaのように演奏する事は、音楽大学では、情緒的感情的な演奏として忌み嫌われてしまうのです。
コンクールでも、予選の段階では、音大型の指導をします。
本選は兎も角としても(審査員の水準で練習の目的やNiveauが変わります)、全国大会のlevelになると、pro型の解釈で演奏させます。
審査員の水準が違うから、その審査員のlevelに合わせて、曲を完成させていくのです。
これも、clientに合わせて曲を仕上げて行くという技のの一つです。
そういった、条件設定の上で、徹底的に、間違う箇所や、不安材料を楽譜上から潰して、より完璧な姿にして行く。
その内容と、練習法を指導するのは、いとも簡単な事なので、コンクールを受けたとしても、客観的にしか、自分の評価を見ないので、生徒達はコンクールに対して、夢を見る事はありません。
つまり、checkpointの%が足りなければ、コンクールに合格する事はないからです。
コンクールで演奏して、審査員の評価を受ける以前に、その審査員の評価の結果は、checkpointが幾つ、クリヤー出来たかで、合格したか否かは、生徒自身にも、コンクールで演奏が終わった時点で、分かっているからです。
まかり間違っても、pointが足りなければ、コンクールに合格するという事はないからです。
でも、その生徒の演奏から、楽譜上のcheckpointを作り出し、どの様に練習すれば、必要最小限の努力で、そのpointを克服出来るのか、という事を指導するのは、あくまで、指導者の技術であり、生徒の実力ではありません。
指導者の特別なNiveauが必要になるのです。
しかも、それはproになるための教育ではありません。
日本の音楽社会では、音楽大学に入学してコンクールに入賞して、海外に留学する事が、音楽家としてproになる事のように考えられている分けなので、私の言い方は、まるでparadoxであって、不思議に思われるかもしれませんが、コンクールは自己完結型の勉強であり、その勉強の延長線上には、clientであるaudienceはいないからです。
proというgenreにも、色々なランクがあります。
※色々なeventに呼ばれて、演奏をする・・というのも、proの仕事です。
※ブライダル専門のproもいます。
※お金を稼ぐという意味では、スタジオ・ミュージシャンという人達もいます。
※コンサート・ホールで演奏する事がメインの演奏家もいます。
全てが一応proと呼ばれる演奏家達です。
※そういった、表舞台で活躍する演奏家とは別に、baroque演奏のproもいます。
非常に限られたgenreで活躍するより専門的な演奏家です。
また、もう一つのtheoryで、ヨージーの法則では、「人と同じ事をやっていては、proにはなれない」・・という法則があります。
つまり、ある特定の専門的な分野に関しては、同じgenreの中では、proは一人しか必要はないからです。
或程度の上手なviolinistは沢山いますし、そのフアンも沢山います。
しかし、その分野のauthorityとなると、一人しか、必要はないのです。
しかし、その勉強はかなりstoicな勉強になります。https://www.facebook.com/JordiSavallOfficialPage?ref=profile
下のurlは、Marin Maraisのla foliaのImprovisationです。
viola da gambaの名演奏というか、こんな事も出来るんだ!!という事です。
https://www.youtube.com/watch?v=hin1nhhDR5M
そういった演奏家の代表選手がJordi Savallです。
古楽器の名手で、Marin Maraisのla foliaやGreensleevesのla folia等々の演奏では、神様の領域の演奏家です。
でも、そのgenreはかなりstoicなものなのです。
本当の本物の世界にはこういった世界もある・・という事を知っておいて欲しいのです。
themaを決めて、一生を真摯に研究し、音楽を追求する、・・・それは大切な事です。
音楽を、より深く追求する事、それが芸術家に取って一番大切な事なのです。
職人型の勉強は、常に、聴衆、所謂、audienceに取っての音楽を追求していくからです。
学校型の勉強では、演奏家の人達は、演奏会の日にちが決まって、それに合わせて、練習を開始します。
しかし、職人型の人達は、常に、themaとする音楽の勉強をします。
そして、その曲が、audienceの批判に耐え得る水準に達した時に、始めて演奏会のscheduleを立てます。
しかも、それから、もう一度、演奏会の当日まで、音楽のNiveauを上げて行くのです。
その目的は、どう演奏すれば、より完璧に演奏出来るか?という事ではなく、どういう風に演奏したら、audienceの心に届く音楽表現が出来るのか?・・・という目的と技術なのです。
目標が違えば、音楽の完成形も全く違ってくるのです。
本来的には、音楽大学の受験生も、コンクール組と全く同じ、曲の演奏を完璧にする事に研究と勉強をするのです。
「重箱の隅を楊枝でほじる」ような、勉強をします。
ですから、単純に音楽大学の受験という事のみを、考えるとしたら、コンクール組の「重箱の隅を楊枝でほじる」教育と同じ教育で、充分なのです。
それに対して、職人型の音楽の追求は少し違います。
audienceのタイプが違う場合には、演奏の形態を変えて演奏する事すらあるのです。
音楽のproの演奏ではありませんが、曲の解釈という意味で言えば、八千代でのPachelbelのcanonの演奏の時にも、audienceが若くて、元気な一部の演奏の時には、canonのtempoを、少し早めのtempoで演奏しましたが、その時の演奏をYou Tubeにはuploadしていなかったので、この演奏は、二部での演奏ですが、高年齢の方達のために、少し遅めのtempoで、しっとりと演奏しています。
canonも、少しtempoを変えるだけで、随分、音楽の意味合いが代わってしまいます。
音楽大学の教育は、基本、私の目から見たら、無責任にしか見えません。
就職を斡旋してくれる分けでもないし、そのための授業があるわけでもありません。
だから、音楽大学の生徒や、大学の院生達に、私が「あなたは将来、音楽大学を卒業したら、音楽を職業として、音楽で生活をして行くのですか??」と質問すると、「え〜??音楽って職業なのですか?」「音楽大学って、職業学校なのですか??」と、いとも真面目に驚いてしまうのです。
私は、「音楽を職業として考えない学生」