芦塚音楽研究所教材研究

 

I先生のdouble teachers system lesson

指導講師担当 芦塚陽二先生

 

M君の初レッスンより

[lessonの引継ぎ方と教材研究]

 

Haydn Pianosonate 

C Dur ⅠSatz

 

 

M君第一回目の引継ぎのレッスン

 

200*/**月/**日 (水) 4:58

①ディアベルリの初見と指導者のcheck事項 

[初lessonのconcept] 

レッスンを他の先生から引き継ぐ時には、(特に他の教室の先生、他のmethodeから引き継ぐ時には) 「生徒が今まで 何を どう習ってきたのか」 を知ることがもっとも大切な要素である。

「どのように指導されてきたのか?」 「何を教わってきたのか?」

演奏させる事だけではなく、生徒や父兄に直接言葉で知ることや、前の先生に色々な問題点や課題、或いは良い部分なども合わせて聴き取り、checkをする事で、指導上のカリキュラムを決めていかなければならない。但し、その場合においても、その言葉はあくまで、補助的な要素にしか過ぎない。基本は、生徒の観察に尽きるのである。そして問題点を見つけ出したら、即教室のメトードに移行するのではなく、ヴァイオリンの才能教室を持ち出すまでもなく、或いはピアノの大手の音楽教室からの生徒を指導する時でも、生徒が負担にならないように、少しずつ、何から移行させるか、移行する技術項目を決め手、順次日にちをかけて移行するようにしなければならない。移行する期間は、生徒の条件によるが、最短でも1年単位という事を留意すればよい。

 

[椅子の位置と高さ]
レッスンの順に指摘していくと、M君の場合には、椅子の位置を自分で決めさせたのはとても良いのだが、M君が椅子の位置を決めるときに「発表会では印がして合って・・」といっていて適当に椅子を置いていた。その言葉をそのままにしていたが、それはM君が本当の意味では(理論的に)椅子の位置は理解していないと言うことだ。

だから本来はそこで、ちゃんと椅子の高さの理論的な説明がなされなければならない。

(M君は中学生であり、性格的にも理屈を好む性格であるからである。

一度、ちゃんと理論を説明しておくと、後は本人に任せる事が出来たにもかかわらず、そのchanceを失くした。勿体ない!)

 

[lessonの引継ぎに関するcheckの仕方]

Diabelliの教材に関しては、lessonの目的は、曲を弾く事ではない。弾けるようにすることでもない。そこまでは正解である。

しかし、curriculumは前の先生がどのようなconceptで指導してきたかで、次に何を指導しなければならないのかが自動的に決まる。

あくまで、レッスンは子供にとっては引継ぎであって、初めから習うわけではないからである。

まず、第一点として、今回のDiabelliの連弾の曲は、前の先生の所で一度習った曲という事で、M君としては「大体の譜読みは出来ている。」 と思い込んでいるのだが、観察していると、本当に譜読みが出来ているわけではない。

Diabelliの初見の時に、melodieをいつも違えたままで、弾いているのに (M君自身が「その音だ!」と思い込んで弾いているのに) それに対しての先生の指摘がない。

M君は記憶で楽譜を弾いているのであって、実際に楽譜を読んでいるわけではないのに、先生がDiabelliの曲を予習していないし、譜面を見ていないので、生徒が誤った音を弾いているのに、それに対して気づいていない。一度、予習をすれば(譜読みをしておけば)そういうmissはしなくなる。

生徒を指導し始めの時は、勉強しなければならない課題が非常に沢山ある。しかし、その努力を積み重ねていけば、予習しなければならない教材の数は減っていく。何事も最初が肝心なのだ。

当たり前の話だが・・。

 

 

[M君のtouchの問題点]

touchが腕全体で押し込むtouchになっているので、それでは将来的に曲のspeedが上がらなくなってしまう。touchの問題は時間が掛かるので、今直ぐには出来なくとも良いのではあるが、しかし、正しいtouchの指導は、弾けなくとも理論的には、直ぐにでも始めるべきである。

「腕全体の力を抜いて、指先を敏捷にして・・云々」 ぐらいの内容だったら、もう当然、指導してよい。

 

②ソナチネ・アルバム第1巻 No.13 Haydnの解説

[Haydn sonate C Dur Ⅰ楽章]

 

[指導者の事前の教材研究の重要性と副科ピアノの生徒の指導上のNiveauを何処にするのか?という問題に関して]

 

Haydnの奏法は古典音楽の基本であり、それを指導者がちゃんと理解しておく事は必須である。古典派の奏法に関しては、その技術を生徒に指導するか否かはともかくとして、指導者が一曲一曲のsonateについても、丁寧に必要最低限の教材研究をするべきである。

 

M君の場合はヴァイオリン選科であるので、ピアノの演奏がそのlevelでなかったとしても、ヴァイオリンの技術上では、古典派の奏法に関しては知識としても、ヴァイオリンの技術としても知っていて当然である。

例え、ピアノで表現するための技術が劣っていたとしても、「知識としては、当然知っている。」と言う前提の元で指導をしなければならない。

また、ピアノの技術的にも、例え副科といえども、芦塚メトードで指導を受けている事には代わらないので、ピアノで弾けるか否かはともかくとして、論理的にはfingeringや指使いのshiftに関する論理的な指導は徹底してやらなければならない。

 

 

テキスト ボックス: 譜例:8小節目からのtoriolen


また8小節目からのToriolen(3連音)もAlberti-bassなので、その弦的な響きとrhythmを意識して弾かなければならない。

 

 

[日本人の弾く誤った前打音への意識]

また、日本人のピアニストが抱く悪い癖、1小節目の4拍目のaccent(②の注意)をびっくり(しゃっくり)するように、際立たせて強く弾いたり、前打音をsforzandoで弾いたりする事は絶対にしてはいけない。

この時代のsforzandoの意味は拍の頭を表すだけだからである。

この曲のthemaはauftaktで始まっているから、①と同じように②の4拍目が、常に1拍目のような強勢が出来る。

この時代のsforzandoやaccentは、Haydnに限らず、BeethovenやMozartなども、そういったmelodieの頭(強拍)を示すために書いている事が多い。

勿論、他の古典派の作曲家達も、同じように演奏されなければならない。

 

[Pianoの指導者が知らない古典派の作曲家の弦楽器的な書法]

 

③の左手の4分音符は、弦の伴奏の響きと同じである。弦楽器特有の余韻がとても大切である。弦楽器の「ふあ~」とした音ではなく、右手のmelodieに対して不自然に押さえ込んだような長い音や、この4分音符の長さがその都度バラバラになってはいけない。

 

[お終いの音を表すための、省略されたstaccato]

例えば、同じ③ではあるが、4小節目の四分音符は右手左手ともにstaccatoの記号がついていない。これは書き忘れたわけでも、間違えたわけでもない。

古典派の時代の特有な書き方である。

それはこの四分音符が他の4分音符と違って、melodieの終わりの「閉めの音」であるからで、当然前の小節のstaccatoは軽やかに演奏されるのであるが、4小節目の4分音符だけは「終わりの音」として、丁寧に演奏されなければならないからである。

全く同じ理由で8小節目の頭の音も「melodieの終わりの音」として、staccatoがついていないので、「収めの音」として丁寧に弾かれるべきである。

Pianoの奏法としては、この場合には手首を上げる(抜く)事によってこのpassageの柔らかな音色を表現する。

 

[日本人が弾き分けることができない2分の2拍子と4分の4拍子]

譜例上の①は拍子記号の問題である。
Haydnのこの曲が2分の2拍子であると言うことを知識としては知っていたとしても、実際に2分の2拍子で演奏している人は殆どいない。

音楽を学んでいる日本人でアラブレーベ(2分の2拍子)と4分の4拍子を弾き分ける事が出来る人(そう言った意識のなる人)は殆どいないといってよいだろう。

もしこの曲が4分の4拍子で弾かれるのならば、この曲は唯単に長ったらしい(冗長で)、実につまらない曲になってしまう。

しかし、この曲が正しく2分の2拍子で演奏される時には、いかにもHaydnらしい壮大で勇壮な曲になる。
その拍子の違いによって表される表現の落差はあまりにも大きい。

この日本人特有の問題は8分の3拍子と8分の6拍子の奏き分けでも同様に見受けられる。(Beyerの解説参照:)

 

[練習番号について]

こういった膨大な曲を解説(lesson)するには練習番号か小節番号が必ず必要なのだが、それは生徒と先生が楽譜・・・、所謂、出版社、版などを統一する必要がある。

参考までに、だが・・・、[小節番号をつけるとき、余白のauftaktを小節番号に数える出版社もある] ことを知っておくとよい。

Auftaktを数えないと言う、音楽上の常識は、イタリア辺りの出版社には、結構通用しない。

 

「練習番号の付け方」についての解説はホームページ上の解説に譲る。

練習番号については、ありとあらゆる練習の指導の要になるので、色々な論文でその事に、触れている。その中の一つを紹介する。

ホームページ:「楽典のお話」から「暗譜のお話」

 

[和声について]

一般では音楽大学に入ってから学ぶ和声学の知識であるが、正しく和声学を勉強するためには、早い初心者の時期にそういった知識を身につけることがMzましい。出来ればBeyerの4,50番辺りでは、和声に対しての基礎知識を指導し始めることがMzましい。勿論、lessonとして、和声の時間を作るのではなく、Pianoのlessonの解説の中に折に触れて指導氏テクノである。私達はピアノを学び始める比較的に初期の段階から、ピアノのレッスンの一環として、楽曲に使用されている和声や形式論、そのほかのいろいろな理論をその課題に基づいてlectureする。

 

Haydnのこの有名なsonateをとって言えば、例えば和声的なアプローチとして65小節から80小節の間だけをとっても、5度サークル、Orgelpunkt、ナポリの6のコード、減7の和音等の和音が、きわめて短い小節の間に使用されていることを説明しなければならない。

参考譜例:

















a moll     Ⅴ⇒Ⅵ⁷ ⇒Ⅱ⁷ ⇒Ⅴ⁷⇒Ⅰ⁷⇒ Ⅳ⁷⇒Ⅶ⁷⇒Ⅲ⁷⇒Ⅵ⁵
------------------------------------F Dur Ⅴ⁷⇒Ⅰ

                       
 

 

蛇足のお話:

よその教室の発表会を見に行った時に、3、4年生ぐらいの女の子が曲の途中の半終止の部分の左手の和音を忘れてしまって、何度も弾きなおしていた。教室の本来のメトードではBeyerの中間部分ぐらいを指導するときに、楽典の時間としてではなく、普通の普段のlessonとして、調に対する概念と基本的な和音を指導する。(難しくいってしまったが、1octaveや2octaveのscaleとkadenzの話です。その時に完全終止や半終止、不完全終止とか言う言葉を教えるのだよね。「そこは、不完全終止だから・・・」と言った風に・・・。) だから音を忘れたとしても、半終止であると言う事を記憶していれば、躓くことなく演奏する事が出来た筈であるのだよね。

 

200*/**月/**(水) 5:01

M君のレッスンのビデオ拝見しました     

前回のM君の初レッスンのビデオを、昨夜もらいました。

という事で、取り急いぎcheckしましたので、I先生のパソコンにアドバイスを送っておきました。

時間が間に合ったら今日のレッスンの参考にしてください。

 

 

200*/**月/**(水) 9:27

M君くんレッスンメールについて 

アドヴァイス拝見いたしました、ありがとうございます。前の先生で「どう教わってきたのか」という点、本人の言葉や様子等気をつけて観察するようにいたします。

お母様の話では、「一曲をミスなく暗譜してきちんと弾けないと合格にならなかった、ブルグミュラー一曲が3ヶ月くらい続いた」と言ってました。指導講師の先生も『**先生はとても厳しそうに見える」と話していまして、音楽というよりは、「ピアノを傷なく綺麗に弾く」というようなレッスンという印象を受けました。

ハイドンは彼にとっては新曲で譜読みの量や質、テンポはある程度予想はしてますが、今日初めて見るので、正確なレベル設定といいましょうか、やはりどのようなレッスンをしてきたのかという点、ご指摘いただいたように大切だと思うので、注意してみていきたいと思います。メールにありました基本的な拍のとり方、3連音の4拍目には気をつけて見てるようにします。本日もビデオ撮りしますので、またよろしくお願いします。

 

200*/**月/**(水) 15:43

RE: M君くんレッスンメールについて

[親の評価について]
「課題を完璧に弾けるようにならないと合格しなかった。」というM君ママからのお話を先生は鵜呑みにされたようですが、実際にビデオを見る限りでは、M君はDiabelliの連弾を間違えたまま覚えて弾いていたようですよね。

ですから、お母様が「完璧に弾けないと・・・」とおっしゃられていると言うことですが、今のM君の現状とは少し違うようですね。

I先生は、お母様のお話でM君のlevelを判断しようとしたようですが、そこのところは、先生の立場でM君を見て指導してきた**先生のほうにも直接感想を伺って見たいものですね。

**先生の感想として、M君の問題点は、どういうところがあったのかアドバイスをもらっても良いのでは?

(それが、I先生のM君に対しての感想で、正しいと感じるか否かは別問題としても) 前の先生がどう判断していたのかを聞いてみるも、或いは親の感想と比較して見るのも、lessonをしていく上では大変参考になるし、また面白い事ではないかなと思いますが。

 

 

200*/**月/**(土) 17:17

初回と第2回目のレッスンの留意点

M君 第2回目のI先生のレッスン

Haydn sonate C 一楽章

[2回目のlessonのconcept]

ビデオを見て、Haydnは、初レッスンから1週間しか経っていないのに、M君はとてもよく練習してきていると思います。

最初のレッスンは前回のメールで指摘したように、今までM君がどのようなレッスンを受けてきて、どう言った所に弱点があるのか、指導上の留意点pointなどを探る必要があります。

多分それだけで、初回の1回目のレッスンがそれだけで終わってしまうかもしれません。

ですから、レッスンが2回目になって初めて、本当のI先生の1回目のレッスンになると言うことが出来ます。

 

[自分が望むlessonの演出]

また2回目のレッスンには、2回目という独自性があります。

最初の1回目のレッスンと2回目のレッスンの先生の子供に対しての接し方や音楽のアプローチなどで、後のレッスンの雰囲気が決まるので、ある程度どのようなlevelでどのようなレッスンをやりたいのかを生徒や父兄に印象づける必要性があります。

子供や親が先生に対してどのように接してくるのかは、殆ど、この1,2回のレッスンで決まるのです。極端な場合には着てくる衣装までも、この2回のレッスンの雰囲気で決まってしまうのです。

先生がラフな格好をしてくれば、生徒や父兄はジーンズで教室に来る事になって、先生との会話も、ため口でしゃべるようになります。父兄についても然りです。

ですから、先生がそういったレッスンをMzむのならば、先生がそういう格好をしてくれば良いのです。

これはファッションの話ですが、レッスンの雰囲気の演出は、先生の生徒父兄に接する態度も当然ですが、先生のファッションのセンスでも、生徒や父兄達に対して強い影響を与えlesson場の雰囲気を作ることが出来ます。

 

[checkpointについて]

①椅子の位置と座り方⇒M君は肩(A)、肘()B、お尻(C)の位置が、左からCABにならなければならないのに、BACの真逆の位置になっている。

       写真:

そこを折角 I先生が「椅子の位置はいいのかな?」と、M君に対して突っ込んだ迄は良かったのだが、M君が「そんな事はない」と応えると、その話がそこでそのままで終わってしまったのはすこぶる残念であるし、後日のレッスンの運営を考えると、問題を残してしまう結果になってしまう。

M君が「そんな事はない。」と答えたのは、彼の家の普段のピアノの椅子の位置がそうなっていたのに過ぎず、唯の日頃の慣れに過ぎない。

決して、彼が細心の注意を払ってピアノの椅子の位置決めをした結果ではない。

ピアノの演奏は正しい椅子の位置で決まる。どのように練習をしようと、間違えた椅子の位置では正しいピアノの音は作れない。

この場合のレッスンの指導に関して、正しくは、M君に対して椅子の座り方 「位置決め」についてのlecture(価値付け)が必要であった。

 

[Pianoの椅子の位置を間違える他の原因]

また、子供達が間違えた椅子の位置で練習をするケースは必ずしも本人のせいとだけではない場合が往々にしてある。

その姿勢を悪くしてしまう、一番よく見受けられる原因(椅子の位置が近すぎる原因)は、目が見えてなくて楽譜がよく読めない場合と、譜読みが苦手でその不安さの表れにある場合が多い⇒私は子供が譜読みがまだ完璧でない時には譜面台をぎりぎりまで近づける事をよくする。(子供が蓋を倒して指を怪我しないように・・・という意味もあるが)

指先に体重を感じるとか、指先の神経を育てると言うことや、座り方への価値付け等の色々なお話はホームページに詳しく書いてありますので、そちらを参考にしてください。

 

②譜読み⇒譜読みについて気になる点であるが、同じ音が繰り返される時に、その回数がすこぶる不安定であると言う点である。

何度かtoriolenでつまづいて弾き直しをする時に、拍子を見失ってしまって、1小節の中の拍を多く繰り返して弾いていたのだが、(4回でなければならないところを5回繰り返すとか・・・) それに対しての先生の指摘がなかった。

それは、単にM君が「toriolenを間違えて弾きなおして、うっかり拍を多く弾いた。」 として、単純なmissとして見過ごしてしまっているからである。しかし、この問題は大きい。

実際上の問題としては、それは「生徒が曲の拍(拍子)を感じていない」と言う重大な欠点の表れであるから、そこは、無視してよい場所ではなく、根本的な根深いmissで、ちゃんと指導しなければならない場所でもある。

 

譜例:toriolenで拍を見失う。

 テキスト ボックス: 譜例:


③リピート記号の前、2小節目の頭の音、をとっても拍頭は前の小節から来るmelodieの最後の音であるし、その次の3拍目の音は最後の小節の拍頭の音は納めの音であるので、それよりも少し強めの音でなければならない。

しかし、だからと言って4分音符の長さがばらばらになってしまうのはよくない。

 (特に、よく見受けられる、最後の音だけを長く伸ばして演奏する人達が多いのはいただけない)

 

テキスト ボックス: 譜例:

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