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④4段目(16小節)のthemaがゆっくり(Dolce)になった場所であるが、これも前回説明したように、themaの部分と同じで、Haydnのこのソナタはauftaktで出来ているので、弱拍はmelodieの頭の音になるので強勢(forte、Pianoによる強勢ではなく、拍節法に伴う強勢である)が必要である。当然次の小節の頭の音はmelodie(モティーフ)の最後の音になるので当然収めが必要で弱拍になるのだが、それをaccent気味に弾いているのはいただけない。

 

2ページ目の4段目の最後の2小節(51小節目auftakt)に関してはHaydnはfとpを書いているのだが、それも全く同じ理由で、拍節法(Agogik)で推移節奏(verschobene Takt)を表すために書いているのに過ぎないので、もし fやpの記号が書かれていなかったとしても、全く同じように弾かれなければならないのだ。

しかし、それなのに、fとpを不自然に際立たせて弾いたり、f→pの後の2個の4分音符を、(staccatoが書いてあるので、)ことさら不自然にaccent気味に強く弾く人が多いのも困ったものである。

F→Pで弾かれた後、そのままP,Pとピアノのままに、(あたかもエコーのように)継続して弾かなければならない。(f→p、p、p、、f→p、p、p、のように)

 

 

補足説明:

当たり前のことではあるが、このpassageはthemaの変形に過ぎない。T20小節目からのpassageがそのまま、toriolenに変形されただけのことである。

 
譜例:





Toriolenの音の中から、themaの幹になる音を実音で、付け足された音を装飾音で示すと上記の楽譜になる。当然、このpassageのキャラクターは20小節目のimageと同じ要素(material)になる。

 

⑤芦塚メトードに拠る練習番号のつけ方⇒ビデオ等でcheckを入れる時も、レッスンの時に於いても、正しく小節を指摘する事は大切です。

芦塚メトードではただ単に利便性のための練習番号をもっと付加価値をつけて構造分析を指導するためのメトードにしています。

第一主題の提示部をA、第一主題の展開部がB

(本当は次のページの2段目からが第二主題なのでそこをBにしたいところですがね)

第二主題の提示部が仕方なくCになります。

繰り返しの前の6小節は前半部のコーダ(終止句)になりますので、短いけれどもDにします。

その中で、A-1,A-2と細分化していきます。この方法論は誰も考えた人がいないので、芦塚メトードとしての練習番号付けになるのです。

当たり前の事のように見えますが、その当たり前の事を思いつくか否かがコロンブスの卵になります。

 

「私の前に道はなく、私の後に道は出来る」  これは室生犀星の言葉だったかな??

 

この方法論の利点は、通常、練習番号を付ける場合は、感覚的に付けるか、さもなくば練習の都合でつけるかですから、練習番号を付ける人によって、その場所が変わってしまいます。室内楽やオケの譜面では、最初から練習番号がついているわけなのですが、その練習番号が、必要欠くべからざる位置についている場合の方が少なく、結局、練習をしながら、新たに練習番号を付け直さなければなりません。

市販の楽譜についている練習番号は役に立った事はないのです。

しかし、私のメトードでは、誰でもある程度、楽曲の分析が出来るようになると、(小学生ぐらいでも)練習番号をつけられるようになるし、また、誰が付けても同じ場所、同じ番号になるので、先生がそのために時間を使う必要がないので、レッスン時間の配分においても楽です。

但し、小、中学生の場合には、ある程度は大項目をどのlevelにするのかを、あらかじめ先生が指示しておく必要があります。

それが決まればどの生徒が練習番号を付けたとしても、練習番号の位置は必ず同じ場所になります。

 

200*/**月/**(水)

M君のlesson3回目(I先生のビデオtapeのメモ)

後半音の確認

和音の型に合った指使いの説明

 

200*/**月/**(木) 14:29(指導講師の先生へ)

I先生のビデオtapeについて

昨日、I先生のM君の3回目のレッスンのvideotapeを受け取ったときに、指導講師の先生が私に話をしていたI先生のコメントですが、I先生が今回のレッスンについて弁解していたのは、口頭で言っていたのか、先生の携帯にメールで入ってきたのか?

その内容を私のパソコンにメールしてください。

 

200*/**月/**(木) 14:44

Re: I先生のビデオtapeについて

I先生のコメントは、口頭で言っていました。

内容は、

「先生から曲の構造の分析をしたり等の課題をいただいたのに、用意していた通りにはことが進まず、え~!と思うようなとんでもないことが発覚したり、そっちに時間をとられてしまい、結局指示いただいたことはなにもできなかったので、このビデオを見たら先生のご指導メールを読んでないのと勘違いされてしまうかも。」

ということでした。

 

200*/**月/**日

M君の4回目のlesson(I先生のビデオtapeのメモ)

Haydn C

2/2拍子、auftaktを含む表現の仕方、和音の種類による型の認識

 

200*/**月/**(金) 11:31        

[不用意な発言]
I先生が先日私に質問された「M君の手首」についてですが、まず、気をつけなければならない事は、「ヴァイオリンを学んでいるから、手首が反ってしまう・・」或いは、「そういった癖が・・」云々と言う事は絶対に言ってはいけません。

勿論、ヴァイオリンの構えででも、手首が反ってしまうのは大変悪い弾き方で、ヴァイオリンの先生の前でそれを言ってしまうと、烈火のごとく怒られます。

 

ちなみにM君のヴァイオリンは、ピアノとのlevelの差から、或いは、ピアノが副科だから、という意味でも、ヴァイオリンの方が遥かに早くから始めているように思われがちなのですが、実はM君はそのピアノの先生からの紹介ですから、ピアノ歴の方がヴァイオリン歴よりも数倍も長いのです。

それでもヴァイオリンの方が早く上達すると言う事は、一般的には生徒とヴァイオリンという楽器との相性が合ったのだ、思われがちですが、私はそうは思いません。

相性が合ったとすれば楽器ではなくmethode(指導法)がM君にあっていただけだと思います。

ですから、ピアノも同じメトードで指導すれば、同じように自然に伸びるはずです。

 

ちなみついでに、ヴァイオリンと手首の話ですが、小さな成長途中の子供の場合にはまだ顎や首の力でヴァイオリンを支える事ができないので、手で楽器を持たせることもあるので、不自然に反りかえる事がありますが、それは年齢的なもので、子供の体の成長と共に自然にヴァイオリンを構える事が出来るようになってくるので、体が出来上がってくるにしたがって、その都度先生が訂正し矯正していけばよいことなのです。

 

同様な不自然な奏法の例は、一般の場合にも見られます。

ピアノの指導のときに、子供の指先の力が弱いので、不自然に腕に力を込めて弾かせると言うことをしている指導者が多く見受けられます。

しかし、そういった指導をしている先生が、全て間違えてそう指導しているわけではありません。年齢が上がってきて、指先の自然な力がついてくれば、そのときに指導しなおせばよいことなのです。

しかし、子供の腕や指先に力を込めて演奏させるという事は、基本的には間違えた指導法なので、もう一つの指導法は、子供の自然な体の力に合わせて、正しい力配分で演奏させる事を優先し、音が貧弱になるのを先生達が辛抱して指導していけば、それの方が子供が間違えた癖がつく事はないので、良いのですが、そういった演奏法は幾ら一般の先生達に説明したとしても、「貧弱な音に我慢をすると言う必要悪」を、一般の全ての先生がたは辛抱できないようです。

(ホームページ:鍵盤の重さと子供のtouchに関する項参照のこと)

 

もう一つの、M君の演奏のスタイルで、(間違えた奏法の例としてではなく)5の指のほうに手首と重心を持って行く弾き方は、(日本では)井口先生のメトードとして一般的にしられています。4.5の指が弱いということと、melodieのクライマックスの音は常に5の指で弾かれる分けなので、弱い4,5の指を補強すると言う意味と、更にもう一つ、ピアノの鍵盤の外に手が離れて行くと、4,5、の指が鍵盤から離れてしまうので、それを鍵盤に近づけて演奏しやすくコントロールをするため、という意味もあります。

 

しかし、そういった利点の反面、指が伸びすぎるので指が鋭い突いた音になりやすい、という欠点があります。

しかし、近現代の音楽はピアノを打楽器として、捉える事が多いし、またジャズやpopularの音は意図して金属的な鋭い音を好みます。

フランスの有名なピアノの教授であるイブ・ナットも手の構えはそれに近い奏法ですが、彼の門下生のジャック・ルーシェはそれこそ世界的なジャズの奏者です。

 

音楽が近代から現代になるにしたがって、フィッシャーやコルトーのようなロマン派の美しい音を求める弾き方から、ピアノを打楽器として捕らえて作曲すると言うバルトークやプロコフィエフのような作曲家たちの影響下で、現代的な打楽器的な音が好まれるようになって、当然、奏法スタイルもそういった鋭い音が好まれるように変わってきました。

そういった影響で、日本の音楽大学の先生達も、現代的なtouchをされる先生が増えてきました。

勿論、M君の場合は、単に基礎が出来ていないだけで、そういった近現代の奏法とは関係はないのですが、一概にはそういった奏法自体が無いわけではないので、老婆心ながらあえて書いておきました。

 

[生徒への指導案の一例]

Lessonの内容に関しては、pointは何を理解していて、何を理解できていないかを常に判断する事です。

これは一例にしか過ぎませんが、私がM君に指摘するとすれば、

 

例1:46auftaktから48小節と51小節auftaktから56小節までは後半が2回ずつ繰り返されるだけで、全く同じであると言う説明

 
譜例: 46小節auftaktから50小節目まで

例2:20~22小節4拍目のシの音と、62小節4拍目から65小節目のレの音はimageが全く変わると言うことを指導します。

後半のドミナンテは結構印象的でまるでホルン5度のように前半部分の終わりを強く印象付けています。

何気ないpassageのように思われるかもしれない部分ですが、Haydnの作曲技法のしたたかさを感じる事ができます。





何せ、3連音で基本形のⅤ度の和音を取るのはここだけなのですから・・・!!

 

譜例: Ⅴ度の基本形の例









200*/**月/**(土) 0:07

メール拝見いたしました。

とっさに、彼のヴァイオリンの弓を持つ肘というか腕の形が浮かんでしまって安直に言ってしまったようです・・・以後気をつけます。

お母様が毎回のようにレッスンの後「うちのとても思いピアノで、頑張って練習してます、よしやは重くて和音が弾けないのを頑張って・・云々」と言うのが非常に気にかかってしまい、こちらがそれとなく話しても、「ショパンが綺麗に弾けるようになったら考えようかな?」など、軽くみられてしまいます。

ひいては私の指導を含めピアノ自体を軽くお考えのように感じます(M君は非常によく練習してきてると思うのですが、教室のピアノでも力でガツガツ弾くような部分が見られます)。M君母様とは大抵毎回話をするのでこういった場合の対処方としてはどうすべきでしょうか。よろしくお願いします。

 

200*/**月/**(土) 12:23

RE: メール拝見いたしました。   

ご質問の内容を整理して見ると、問題点は一つではなく二つあるように思われます。

その第1点はお母様の・・・、

「うちのとても思いピアノで、頑張って練習してます、よしやは重くて和音が弾けないのを頑張って・・云々」

と言う内容です。

 

このお話を答える前に、指導講師の先生から同様の質問をされたことがあります。

M君の弟のY君のお話なのですが、前回のオケ練習でY君が周りと協調性が取れず、断固として自分のtempoで弾いていったので、回りから一人だけずれてしまったのに、ママが「Yはアンサンブルには向いていない。」とか「周りが併せてくれない」とか言い出して、指導講師の先生が「オケや室内楽は、芦塚先生が今の子供達は集団で何かをすると言う経験がないから、協調性を育むための教育なのです。」と言うことを説明したのに、全く自分の子供の事だけで、聞く耳を持たない・・・聞こうとしない、という事で、指導講師の先生がすっかり癇癪を起こしていました。

(勿論、癇癪を起こしたのは、Y君の母親の前ではなく、私達先生達のうちわの中での話・・ですがね。)・・・と言うか、先生から、親やY君をどのように指導して行ったらよいのかと言う相談を受けました。

 

此処で、I先生に、指導講師の先生の質問を引き合いに出したのは、両方の問題点が、根深い部分では同じところにあるからです。

 

問題点はAママも、Hママも子離れが出来ない、子供に依存しているのだと言う事です。

****症候群という心因性の病気がありますが、それに近い状態なのですよ。

そういった、親から子供を奪ってしまうのはよくありません。

先程のママの言葉も「私の子供はそんなに困難に立ち向かってえらいのよ!」と自讃しているに過ぎません。

だから、正しい対応は、親と一緒に、子供の事を誉めそやしてあげればよいのです。私は男性だから、そういう対応は苦手です。一緒に親ばかになるのは、あほらしいから!です。

ちなみに付け加えるのならば、以前I先生から相談を受けた趣味のOさんとも共通するものがあります。・・・と言うと、「何処が、同じなの?」と、驚かれるのかな? 

それとも、「あぁ、そうか?」と何か感じるものがあって、納得されるのかな?

 

Oさんも大手の音楽教室の先生だったと言う話ですし、HママもAママも学校の先生です。ですから、働く女性であった、と言うことには変わらないのです。

しかし、女性は結婚すると、取り巻く世界が夫と子供だけになってしまいます。

家族を守る・・(と言うか、子供の事だけを考えて日毎の人生を送っているのです。)

子供の社会が母親の社会の全てなのです。そこで、子供を守る事以外には何も受け入れられなくなってくるのです。ママ達に取っては、H君やM君に関しては、現在進行中の状況で、Oさんに関しては、子育てが終わった「その後」のアフター・ケアーなのです。

私があなたに、「出来うる限り、辛抱して努力をしてみてください。」とお話していたのは、Oさんのケースは、一見すると、非常に特殊な、彼女だけの例で「それを辛抱して努力して見る事が何の勉強になるの?」と思われるかもしれないのですが、大局的に見てみると、極々普通の何処にでも居る一般女性の、陥りやすい実に多くの問題を孕んでいるのですよ。 

 

Aママが毎回のようにレッスンの後に話をしてくるのが非常に気にかかってしまい、こちらがそれとなく話しても、「ショパンが綺麗に弾けるようになったら考えようかな」など、軽くみられてしまいます。

ひいては私の指導を含めピアノ自体を軽くお考えのように感じます

⇒第2点の「親や子供がピアノの練習を軽く見る、先生に対しても、軽く扱っている。」と言うお話は、いつも・・・と言うか、若い先生方からも頻繁に一番多く相談を受ける話でもあるのです。

教室でも、C先生やH先生からも、不思議な事に何年アドバイスをしてきても、またぞろ同じ質問をして来ます。

・・・と言う事は、それだけ難しい問題だと言うことなのでしょうね。

 

その質問に対しての回答は、まず、二つあります。

「二種類の回答」と言う意味ではなく、「二段階の回答が有る」 、と言う意味です。

 

まず「第一段階」は親や子供のピアノに対しての価値付けの話です。

よく引き合いに出す話は、昔、C先生が「千葉の教室の父兄は水準(意識)が高い。東京の(C先生の教室の)父兄は音楽に対しての意識が低い。」とこぼしていました。

 

それに対して、主任の先生や指導講師の先生が「千葉教室の父兄達よりも、東京の教室の生徒達の方が教育に対しての、意識水準はとても高い。」と反論していたのですが、C先生はあまり分からないようでした。

実際の例としてご説明すると、千葉の教室に、初めて入会してくる生徒、父兄は、鈴木のヴァイオリンですら、「高い!」と文句を言って来て、ネットや怪しげな楽器店などで、中国製や分けの分からないヴァイオリンを、それこそ1万、2万で買って、得意げに持ってきたりします。

つまり、15,6万の鈴木の導入のヴァイオリンセットですら、子供の教育には高いと感じているのです。

「安けりゃよいだろう!教室で高い楽器を買わされなくって、儲けた!!」・・・それぐらいの感覚なのですよ。

C先生やH先生達が、千葉教室の生徒と接するのは、オケ練習や室内楽の練習の時ですから、ある程度生徒や父兄の意識が育って来て、音楽や教育に対しての理解が出来てからになります。

つまり、本来千葉教室に入会して来たばかりの、一般の、まだ教室色に染まっていない、つまり、オケ練習や室内楽の練習にまだ参加できない、或いは、まだcommunicationが出来ていなくって、オケや室内楽の価値が分からなくって参加していない、教室の多くの生徒達の事をご存じないのです。

今現在、オケで活躍している生徒達でも、教室に入会したての最初の頃は、その程度の意識だったのですよ。

そういった生徒達を主任の先生や指導講師の先生達が、lessonのたびに、本当に気長に、折に触れて、教室のメトードを説明し、教育に対する価値付けをしていきます。

そうして、その次の次ぐらいのstepで、やっと子供達がオケや室内楽に参加するようになってくるのに、1年、2年掛かって父兄や生徒を説得して行くのです。

 

C先生やH先生達が見ているのは、そういった努力の結果なのです。

つまり、まだ教室の価値やオケ練習の意義、室内楽の意味すら分からない父兄達・・・そう言った教室に入会したての一般の生徒達や父兄達は見た事がないのです。

 

というよりも、普段のlessonの見学に来ない限り、見る機会(チャンス)がないのかな?

だから千葉の教室の父兄達のlevelを、オケ練習や室内楽に参加するぐらいの生徒達の意識のlevelと勘違いしているのです。

しかし、生徒達がオケ練習や室内楽に参加するぐらいのlevelになると、もう既に父兄達は、すっかり教室のメトードに洗脳されているからなのです。

ですから、「音楽に幾らお金を出してもかまわない。」そういった教育熱心な親に既に変わってしまっているのですよ。

 

繰り返し言う事になりますが、父兄がそういった子供達の教育に熱心な父兄になるには、普段から先生達が生徒や父兄に対して意識付けを常に心がけてしておく必要があるのですよ。

先程引き合いにしたお話で、「父兄がネットやそこいらの楽器店で安い楽器を買ってくる」というお話なのですが、私達の教室では「楽器は教室で買わなければならない。」と言う約束はありません。

むしろ、教室の厚意として、教室の決めている楽器店に楽器の注文を以来しているのです。

ですから、何処で楽器を買って来ようと、教室としては、別にそれに対して何も文句を言う事はありません。

しかし、弦楽器はピアノ以上に、常にメンテナンスが必要なので、メーカーの保障と楽器店で働いている工房の技術者達の腕はとても大切になります。

そこが安物買いの悲しさ・・結局のところ、2,3ヶ月も経たないで、楽器に色々なトラブルが起ってしまい、ちゃんとしたメーカーから、もう一度ちゃんとした楽器を買いなおさなければならなくなってしまいます。

その理由は、ネットで買ったヴァイオリンなどは何処のお店でも、メンテナンスはしてくれないし、だからと言って、下取りしてくれるところもないので、結局の所、ゴミになってしまいます。

結果的には、古い諺通り 「安物買いの、銭失い」 になってしまいます。

そういった苦い経験だけではなく、父兄は子供が上手になると、そのlevelに応じて、教育の価値観があがっていきます。

そして子供のlevel(水準)にふさわしいヴァイオリンを買う事が苦痛でなくなってくるのです。

音楽大学の場合には、担当の先生が「幾らのヴァイオリンを買いなさい。」と生徒や父兄に否応無しに命令するのですが、これも教室の先生は音楽大学の先生ではないので、教室側から父兄に「幾らのヴァイオリンを買いなさい。」と言う事は絶対にありません。

教室には、そういった権力はないからね。

しかし、不思議な事に皆それ相応のヴァイオリンを買います。

上級クラスならば500万から、800万ぐらいが相場でしょう。

生徒が、今現在でも(もし、子供でも働く事が許されれば)それぐらいの稼ぎは出来るからです。

 

此処では、ピアノの例ではなく、ヴァイオリンの話をしましたが、弦楽器の方がピアノよりも楽器の価格差が広いので、説明が分かりやすいから・・・と言う理由でヴァイオリンの話にたとえてお話をしました。

 

ピアノの金額は、メーカの違いを除けば、楽器本来の価値で金額が決まるのではなく、むしろピアノの大きさだけで決められている、と言うところがありますからね。

というわけでピアノの話に戻って、Steinwayのグランドを買うか、大手の音楽教室のアップライトで終わるかは、生徒の(或いは親の)音楽に対する価値観の問題なのです。

生徒が普段のlessonでラフマニノフやリストのÉtude等を弾きこなすようになると、当然ですが、もうアップライトで練習する生徒はいなくなります。

当たり前の話です。

しかし、BeyerやBurgmüllerを練習している子供に「steinwayのグランドを買いなさい。」と言うこともないでしょうし、父兄がBeyerを練習している子供のためにグランドを買い与える事もないでしょう。

それも当たり前の話ですよね。

 

(M君は非常によく練習してきてると思うのですが、教室のピアノでも力でガツガツ弾くような部分が見られます)。

 

[指導のconceptについて]

⇒世間では日本の音楽界だけではなくに、ピアノの指導に関しては、「曲を如何に上手く弾かせるか!」と言う事だけを目標にして指導する先生が多いようです。

C先生のMちゃんに関しても、芦塚メトードをC先生に覚えてもらおうと思ってそういったconceptでlessonを指導していったのですが、やはり曲が弾けるようになると、技術が身につく前にどんどん曲をあげていくので、いつまで経っても最初のメトードがマスター出来なくて堂々巡りをしています。

H先生の場合も、他の先生と、どんぐりのようなもので、コンクールと言う身近な目標があるので、曲数をこなすのが精一杯で、生徒に対して技術をマスターさせると言うことが出来なくて、目下double teachers systemはストップしたままです。

小学校の1年生辺りで、まだコンクールの課題が技術の領域ではなく、曲が弾ければ何かしら、賞がもらえると言うlevelならばいいのですが、生徒がだんだん年齢が上がってきて、小学校の中学年、高学年になると、要求される、技術levelも上がってきます。ですから、それまでにちゃんとそれなりの技術を習得しておかないと、高学年になってくると、コンクールを受ける事すら、無理になってしまうのです。

私の場合にはピアノの指導とその技術は積み上げと解釈しています。

Beyerの50番代までの技術がキチンと習得できていないと、その次の60番代の課題に進む事は出来ないのです。

ですから、次の課題に進む時には、必ず前の技術の土壌の上に、曲を練習していかなければなりません。

「Mozartのピアノ曲を1曲完全にマスターすれば、その時代のピアノの演奏のTechnikは、どの作曲家であっても同じTechnikを使用するので、ちゃんと解釈し、演奏する事ができる。」 と言う意味ですよね。

これが、私のメトードの独自性なのです。

しかし、先生達は同じBeyerの曲でも、1曲、番号が上がる度に、全く同じ事を聞いてきます。その度に、「曲が違うから。」という理由で、私は全く同じlessonをしなければならないのです。

相変わらず、「これは基本の型だから・・」とか、「椅子の位置はここで、お尻の位置はここなので・・」とか最初の 最初のlessonで言った事と、全く同じ事をまた説明しなおさなければならないのです。

驚く事に、その説明をする度に、先生達はまるで初めて聞いた事のように、新鮮に話を聞いてくれます。 私にとっては、「耳たこ」ではなくって「口たこ」なのですがね。

それとも、私がいつも同じ注意をしているから、「芦塚先生にはそれ以上のメトードはないのだから!(教える事は持ち合わせていないのだから!)」と同情的に、生真面目に話を聞いてくれているのかな??

 

同じMozartのsonateであったとしても、曲が変われば全く新しく指導するのが普通である、と言うこと・・・が、日本の通念ですかね。

まあ、それが日本の伝統的な指導方法であるといってしまえば、それまでなのですがね。

 

M君ママとは大抵毎回話をするのでこういった場合の対処方としてはどうすべきでしょうか。

⇒M君は教室で音楽を学んでいるわけなので、かなり詳しく説明しても年と共にキチンと理解できるようになります。

しかし、M君ママに対しては、先程のOさんの例で説明をしたように、世界が非常に狭い社会の中でしか理解が出来ないのです。

「Oさんを指導の実験台にすればよいよ!」といったのは、そういった意味です。

M君ママに対しては実験台には出来ませんからね。

ですから、自分の子供の事しか見えない、それだけの世界に閉じこもっている父兄として捕らえていけばよいのです。その中での語法です。

フランスのアテネ・フランセではなく、ドイツにも(民間の)ゲーテ・インストチュートと言う語学学校があります。

ゲーテ・インスティチュートの先生達は、vorschule(予備講座)の場合には、そこで使用する教材の中だけではなく、生徒さん達との日常の会話ででも、教材の中で選択された(100の)単語で会話しなければならないのです。

Grade(グレード)があがるごとにその基本の単語の上に使用できる新しい単語が上乗せされていきます。

そういったあらかじめ限定され決められた単語の中で会話が出来るようになること、これが語学指導者になるための必須条件になるのです。

それはBeyerや、Burgmüller等のピアノの基礎教材も同じなのですがね。

それが、情緒的感情的な日本人には分からない。

 

200*/**月/**(水) 11:44

ありがとうござます

おつかれさまです、メールありがとう御座いました。

大変興味深く、勉強させていただきました。
ママ達がOさんへ向かって現在進行中という、****症候群の指摘等々言われてみて納得いたしました。
そういえば、Oさんは子供が社会人となり、旦那にも相手にされず(と思いますが)ひたすらペットの犬の写真をだれかれかまわず送るので、少々困っていましたが、「狭い世界で、子離れ出来ずにいるとこうなってしまうんだな」というのがよく分かりました。

200*/**月/**(木) 15:41

M君の**月**日のHaydnのCと譜面渡し

[ビデオをcheckして]    

総括: M君が話をしたそうだったのを、聞かないで、いきなりlessonに入ろうとした。

ダウンのジャケットを着たままピアノに座ろうとしていたのだが、ジャケットは部屋の中では着てはいけない。

ドイツやフランスでは、背広のジャケットも玄関で脱がされる。

それがマナーである。

生徒がジャケットを脱いで入ってきて、それに対して先生が「寒いからジャケットを着ようか?」 或いは、「寒いからジャケットを着ていいよ」と指示しなければならない。

 

Lessonの構成

①Lessonに入る前に(ピアノの椅子に座る前、lessonの儀礼の挨拶前に)個人的な雑談を済ませる。

解説:M君が、I先生にため口でしゃべっているのは、「自分の話をもっと身近な年上の先輩として聞いて欲しい。」 と言う、気持ちの表れです。

ですから、M君は今はI先生に「もっと僕の事を聞いてよ!」とおねだりしているのです。

それがため口になって表れるのです。

それは生徒と信頼関係を築く上でとても大切なことなので、そのために少しlessonの進度が遅れる事があったとしても、後半の建て直しで挽回する事が出来ます。

先生と生徒の信頼関係があれば基本的にはlessonは上手く行きます。

後は、先生の教材研究に掛かっているだけですから。

ですから生徒側からのそういった呼びかけを先生が無視するのはとてももったいない事なのです。

信頼関係は、生徒と向かい合った最初の時期に樹立できなければ、後で改めて樹立する事は、とても難しい事になります。

 

私は生徒に対して敬語を要求した事はありませんし、尊敬の念を要求した事もありません。それについては私は昔から父兄に「先生はもっと威張らないとだめですよ!」と言う注意を受けていたし、年齢が幼い子供達が、私に対して、ため口で私にしゃべるのもぜんぜん注意はしませんでした。

親が気にするよりも、子供が先生の価値(本当の意味での怖さかな?) を分かってくると、必然的に言葉は敬語に変わります。

それでよいのです。

子供が自発的に敬語になる事は、子供が先生に対して尊敬の念を抱いた、と言うことで、とてもありがたいことですが、反面、子供が自分の心の内を開いてくれる事はなくなってしまうのです。

つまり、先生に対していつも緊張状態を保ったままで接する、と言うことになるのです。

 

ですから、私はため口でしゃべっている大人(先生に対して)いつも責任を求めます。

MK先生がまだ教室で生徒を教えていた頃、ため口でMK先生にしゃべっていた生徒が「他の先生達には内緒ね」 と言って自分の悩みを話たことがあります。

MK先生は律儀にもその約束を守って子供はのっぴきならないことになってしまいました。

MK先生は子供の話を良く聞く事は聞くのですが、アドバイスをする事はないからです。

で、2,3ヵ月後に、逆にその子から相談を受けたその子のお友達が、あわてて教室の先生にメールをしてきました。

しかし、その本人の生徒にアドバイスしようにも、もうすっかり時期を逃してしまい、子供は人生の行く道をはずしてしまいました。

子供がMK先生に話をした本当の意味は、「私や主任の先生には怖くって自分からは話せないので、MK先生に先生達に上手に取り次いで欲しい、・・・伝えて欲しい!!」と言う意味だったのですがね。

それを、MK先生は子供の言葉通りに取ってしまったのです。

 

②挨拶をしてピアノに座ってからは、(全ての曲について)1週間の練習の状態などを聞く

これは以前にも同じ事をお話した事がありますが、子供は年齢が低くなればなるほど、雑談とlessonの報告の区別が付きません。

教室に来たばかりの子供は、子供達の中でも、学校の話やお友達の話を喜んでします。本人にとっては一番興味の中心の話なのですが、その生徒のお友達の事を知らない回りの仲間達はちっとも興味のない会話になります。

そういった事を、年長の生徒達が指導していきます。

そこで勿論、先生達も上手にアドバイス出来るようにする事です。

教室の話になれば必然的に勉強の方に話が向いていきますが、学校の話ならばゲームの話や友達の悪口などに話が向いてしまいます。

そうならないように、注意が必要です。

おしゃべりのでもlessonに関することを細かく分けるように出来るようにするためです。

自分の1週間の練習をちゃんと纏める事ができるようになれば、とても練習が上手く行くようになっているはずです。

 

③練習の状態を確認するために必ず、1週間やってきたことを確認する。

②と同じ事を言っているように思われるかもしれませんが、②は言葉で(おしゃべりで)確認をする事で、③は実際に生徒のピアノを聞いて確認すると言うことです。

子供達は言葉で言った話がそのまま演奏に表れているとは限らないのです。

言葉は子供達にとっては、願望であり、子供は自分では「ちゃんと出来ている」と思い込んでいる場合が非常に多いのです。

ですから、「何処まで出来れば、出来たといえるか!」 と言うNiveauを作ってあげる事が子供の上達の手がかりとなります。

 

④課題を指摘しlessonに入る

弾けない場所などを指摘し、その理由は何故か?どういう練習すればよいか?等を確認させる。

これは本文でお話します。

 

⑤指導した内容がちゃんと本人に理解できたか?一人で家庭で練習出来るかを再確認する。

これも本文でお話します。

 

⑥終わりのけじめの挨拶が終わったら(父兄が入る場合)lessonの内容の説明とconcept、目標などを父兄に話す事。

lessonが終わったらそのまま「さよなら」と言うのは最悪である。

父兄がlessonを見に来なくなる理由は2つある。

一つは見ていても分からないから、つまらないから、である。或いは見ていても親がやることがないからと言うのもある。

親が、lessonの内容を理解して、子供が今何に苦労しているのか、そしてそのlevelはどの程度のlevelなのか?親は何が子供に対して協力できるのか?そういったことが常に先生のサイドから説明されれば、毎週でも親は通ってくる。

子離れできない親や、親掛かりの子供には特にこのことが生命線になる。

それを外すと子供や親はやめてしまう。

Lesson内容(本文)についてはlessonのビデオに従って、次のmailで説明をします。

 

200*/**月/**(木) 17:03

M君   

追記:ビデオの録画されている前後の話

私が隣の部屋に入ったときに、M君がジャケットを来たままレッスンが始まっていたので、「レッスン中はジャケット来てちゃだめでしょ!」と言ったら、I先生が「寒いから着てていいよって言ったんです。」と言ってました。

確かにジャケットの下は薄着で少し寒そうだったけれど、礼儀の方が大事だと思った(只でさえダラダラした雰囲気だった)ので、「ちゃんと暖房つけて、入り口をしめて、ヴァイオリンのケースは端によせて。入り口閉めれば寒くないから、レッスンのときはジャケットぬぎなさい。」と言ってぬがせました。

(そのときに既にヴィデオ録画始めていたと思ったけど・・・入ってませんでした?)

I先生の場合には、「雑談やダラダラ」と、「レッスンの開始の挨拶」との境目のけじめが、いまいちできていないように感じました。

さっき、I先生に送っていただいた文章だと、先生の意図が 「学校の友達のことなどの勉強と関係ない話を徐々にさせないようにしていかなきゃいけない。」 と勘違いしてしまうかも・・・。

上手になってきてどんなに上級になっても、音楽の勉強とは関係ない友達関係の悩みなどを先生に言えるような関係が理想なわけなので、そこんとこを突き放してしまうようだと困ります。 

身の周りのけじめは厳しく、信頼関係につながる部分はやさしく、・・というのが、大切なのですが、・・・・わかんないか?

・・・・わかんないだろうなあ???

 

200*/**月/** (金) 18:34

M君の**月/**日のHaydnのCと譜面渡し(2) lessonの本文

 

**月/**のlessonHaydnのメールの続き:2通目

A:まず、生徒とのおしゃべりの組み立ては、最初M君がI先生に話しかけてきたときに、そのタイミングを逃さないで、M君が一番話たかった[ピアノを始めた時の感想で・・・それで彼が何を言いたかったのか?] その裏の意味を確認する事です。

それで本人が先生に言いたい事を確認できたら、それからやっと、次のstepです。

クリスマス会についての話や曲決めは、まずクリスマス会でピアノを演奏するかどうかを本人に確認します。先生が勝手に、「出演する」と思い込んではいけません。

M君の場合はヴァイオリン専科であり、ピアノは副科なので「必ず出なければならない。」と言う約束も縛りもありません。

その時に本人が自発的にクリスマス会に出たくなるように先生がトークやピアノを演奏する事で 「こういう素晴らしい曲があるんだよ!」と価値付けをします。

価値付けは弾いたり、言葉で言ったり、それこそ色々あの手この手を尽くします。

 

(私はメールを打つ時は、仕事の合間を縫って打っていきます。そのために返信が数日も遅れる事があります。今日は大雨の中を椎名町に通うために急遽買ったバイクの点検のために練馬までバイクを走らせて来ました。上から下までびしょ濡れです。帰ってきて、服を乾かしながら、すぐ返信メールに取り掛かって、すぐに次の予約時間が来たので、予約の歯医者に行って、帰りに食料の買い物をして帰ってきました。その間に指導講師の先生からパソコンに私が送ったI先生へのメールに対してのご意見が入っていました。私のメールはいつも必ず指導講師の先生にkritikをお願いしているので。指導講師の先生のkritikをそのまま転記してI先生に送るわけではありません。それを更に、分かりやすく咀嚼して指導講師の先生の文章として載せるわけです。)

 

Haydnのsonate C 1楽章

③前前回のメールでもお話したように、まずM君の指導上のpointを先に決める事です。M君が通し弾きをやっているときにlessonをするためのcheckのpointをあらかじめ覚えておきます。

 

追記:[楽譜について]

Beyerのように毎週定期的に卒業していく曲はともかくとして、発表会などを目的とするある程度長い曲は私の場合には必ずコピーを取ります。

よその先生達も「どうして楽譜に直接書いてはだめなの?」「いちいちコピーしなければならないの?」と不思議がりますが、それは同じ曲であったとしても、生徒によって間違えるpointが代わってくるからなのです。

ですから、私の自宅で必ずM君用に楽譜をコピーし、M君の間違えた所のcheck、練習番号はどうするか?等々lessonビデオを見ながら、コピーに書き込んでいきます。

H先生の生徒のMZちゃんのコンクール用の楽譜やRちゃんのlessonの楽譜など、書き込みがなされた楽譜が私の自宅には人別分類され保存されています。

という事で、前々回のM君の初lessonからのcheckの楽譜がコピーには残っています。

勿論、色々な生徒がこの曲を弾きますが、その都度コピーを取り直して、人別にfilingするのです。

それがそのままM君の成長記録になります。

 

[技術の積み上げについて(1)]

H先生の場合にはMzちゃんが1年生のときから、3年になるまでに亘ってコンクールを受けたので、膨大な資料(file)が出来ました。もっとも、その膨大なfileは私が書いたものです。何故そういうめんどくさい事をするのかと言うと、コンクールと言うものは結局のところ積み上げなのだからです。

ですから、1年生の時の技術や2年生の時の技術が完全に身に着いていないと3年次、4年次のコンクールを受ける事は出来ません。

まず、やる事は1年次、2年次に私から指導された技術的なlectureが完全にMzちゃんの身に付いているか否かのcheckがなされていなければなりません。

それを曲が変わるたびに、また同じ質問を私にするのではなく、今まで、ためてきたfileを参考にして指導すれば、そこの段階まではH先生自身で持って行けるのです。そうすれば、Mzちゃんが昨年指導してきた事が何処まで身についているのかを、H先生自身で理解出来るはずなのです。要するに年齢が上がれば、当然新しい技術で演奏しなければならないのです。それを、私が1年生の時の技術から、もう一度指導しなおさなければならないとしたら、新しい技術はいつまで経ってもMzちゃんに指導することが出来なくなってしまいます。そうなると、もうMzちゃんをコンクールに出す事は出来なくなってしまいます。

 

[技術の積み上げについて(2)]

C先生のMhちゃんにしても、Beyerの60番までの段階で、身についているはずの、技術の上に70番、80番代の技術を習得しなければならないのです。

要するに、楽譜がちゃんと残してあれば、いつでも前年度や前々年度のlessonでさえ、フィードバック出来るのです。

Beyerの60番代までの指導上の留意点のもっとも基本的なものは、

l                 椅子の座り方:ピアノと椅子の位置、

l                 椅子の高さ、腰掛けたときとピアノの位置、(肩、肘、お尻)の位置は正しいか?

l                 打鍵の位置は(親指と5の指はちゃんと白鍵のセンターの同じ位置にいるのか?)

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