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必死になって子供を羽の下に入れようとしていると言うことです。

巣立ちに対して抵抗していると言うことでしょうか?(それが、本当の本音の所です。)

しかし、本来的にはM君やH君は、私が「I先生に回した」 という事ではなく、AママやM君が、「I先生をお名指しの(ご指名で)・・・」 教えているわけですよね。

ですから、I先生の「M君くんはまだ、固さがとれずヴァイオリンのレッスンのように打ち解けた感じになりません、いろいろ試行錯誤しております。」 と、いうお話は、ちょっとよく理解出来かねます。

 

男の子達は、(私でなく、指導講師の先生でもなく、主任の先生でもない)I先生に対してご指名だったのは、I先生にどういう事を期待したのでしょうかね?

私は、・・きっと、I先生ならば、子供達と理解しあえて、上手に導いてくれると感じたのでは、・・・と思います。

ですから、そこのところを、よく理解し、諸手を上げて共感して(symbthy)、子供や親とcommunicateするならば、もっと会話も上手く行くと思いますよ。

I先生の中に、そういった、「自分達の事を理解してくれるのではないか?」といった風なAファミリーとのとても良いsymbthyがあって、それをI先生に期待しているのではないでしょうかね。

 

ところで、ピアノが重たいと言うのは、本当に重たいと言うことなのでしょうかね?

これも、Oさんの話と同じで、言っている事と、言いたい事が極端にずれているのではないでしょうか?

多分、ピアノに関しては、M君が**先生のところでのピアノのレッスンをやめた時点で、頭に来て、ピアノを納戸のような所に、しまいこんでしまったのではと思います。

ですから、ピアノのコンディションが最悪になってしまい、また倉庫のようなところに入れてしまったので、お客様に(馬渕さんに)来て、調律をしてもらうことが出来ないのでは?

だから、M君が、ピアノの練習に対して、もうちょっと乗ってくれて、「ピアノを業者に頼んで別の部屋に移すための費用を出す事に、(或いは荷物を別の部屋に納める)という価値観がつけば、当然ピアノを弾きやすい所に移動させたり、調律を頼んだりするようになると思いますよ。

 

200*/**月/**(火) 19:42

M君のHaydnのsonate C Ⅰ楽章    

なかなかビデオを見る気力と時間が見出せなく、お返事を差し上げるのがいつも遅くなってしまって、ごめんなさい。

溜まってしまった、ビデオ・テープをハード・ディスクに保存しながら、今日は全部見ています。

 

子供へのPianoのlessonで一番大切な事は、基礎を如何に確実に身に付けさせるかという事です。

そういった意味では、教室として先生方に最低限指導する上で守って欲しい事はいつもの留意点です。

それを常に頭の中に意識してlessonをすると、指導が驚くほど楽になりますよ。

参考までに、表を作ったので、その表でもう一度確認をしておきます。

 

例:Piano指導上の留意点

姿勢は全ての音楽表現の原点である。折に触れて説明をしてきた正しい姿勢のあり方を表の形式で纏めて見た。

全ての注意事項の留意点が正しい時に、始めて美しい音が産まれる。下記の全ての注意事項は同じ全く無理のない、自然で美しい音を創り出すための留意点である。

それぞれの項目に対しての詳しい解説は、Beyer研究の1巻、Piano奏法に対する解説を参照の事。

 

Haydnのsonateについての諸注意を今まで、I先生にたくさん送ったように見えるかもしれませんが、全てはこの表に書かれている事についてだけなのです。ですから、私がたくさん指導してきたように見える指導案は課題の曲の中の問題点(checkpoint)のpassageで、どの箇所がどの注意事項に該当するかの判断を、私が指摘指導して来たに過ぎません。

ピアノ演奏上の姿勢の留意点

椅子の位置

椅子の高さ

お尻の位置

手首の位置

手の型

打鍵の位置

正しい姿勢

肘の位置

ピアノの鍵盤との距離

自然に肩を落とて鍵盤に手を乗せた時の肘の位置

出来るだけ浅く座る 椅子の高さを膝の位置で決める日本のピアノの先生(二つの理由)

高位置と低位置の間に手首が来る事

二つの弧

親指と小指の位置、黒鍵を弾く時の鍵盤上の打鍵の位置

ニュートラルの姿勢を正しく作る、①前傾姿勢②おへその位置(腰が入ると言うこと)

椅子の位置が近いと肘の位置は下がり、遠いと高くなる

 

ですから、この一覧表を完全にマスターすると、誰でも自信を持って子供達のlessonの技術的な指導が出来るようになります。

というわけで、今までに送ったmailをよく読み返して、そのpassage、passageについて、確実にM君に指導をするようにしてください。

 

今回のビデオについても、注意点(若しくは留意点)は、前回と全く同じなのですが、少し補足説明をしておきます。

 

本文

[装飾音について]

Brahmsについても、Haydnについても、I先生自身も装飾音が鋭すぎるようですが、このお話は以前しましたように、日本の音楽家達には装飾音は鋭いaccentを表す音しかないから子供の内からそう習ってきた結果なのです。

でも、装飾(ornament)というのは飾りという意味であり、実際上の装飾音は、鋭いaccentで演奏する装飾音の場合の方が、極めて少ないのです。

拍頭に装飾音の音を合わせてvibratoaccentで実音のほうは抜きの音になると言う、古典派の美しい上品なvibratoをロマン派の巨匠であるChopinですら、(Chopinの尊敬する作曲家はMozartですから、・・)好んで使用していたのですからね。

私自身が、学生時代Beethovenのsonateなどを習う時に、パリのコンセルバトワールのイブ・ナット門下生である先生に「Beethovenは田舎もんだから、sforzandoはもっと乱暴に弾くのよ!」といわれて、困っていたお話をしましたよね。

イブ・ナット先生が、実際に生徒達にそういう風に指導したのかどうかは、私のピアノの先生ではないので、分かりかねますが、Beethovenのsforzandoを汚く鋭く弾くのは、私の青年時代には世界の常識だったみたいですよね。

しかし、よく調べて見ると、驚く事にはBeethovenもウイーン式のforte-pianoの愛用者で、無理やりに贈られたイギリス式のforte-pianoについて、「こんなに弾きにくいピアノだったら、俺はPiano曲なんか二度と作曲しない。」と憤慨していました。

しかし、よくBeethovenの住まいを紹介する写真等に登場する素晴らしく豪華なPianoですが、そのイギリス式のダブルアクションのPianoは、Beethovenは殆ど弾かなかったようです。結論的に言うと古典派の時代にaccentの装飾音は殆ど出てこなかったのですよ。

同じ事はモルデントや短いトリラー、プラルトリラーについても同じ事を言えますがね。

私が子供達にBachのinvention等を指導する時には、強拍を表すモルデント、弱拍を表すモルデントを、子供自身に探させ、色分けさせて、演奏で表現させています。

Bachの時代にはCembaloなどの楽器はtouchでは強弱がつかなかったので、拍節法vibratoaccentと抜きのslurで表される強弱をモルデント等の装飾音で表したからです。

そのslurの強弱を、初めてヨーロッパで音楽を勉強してきた音楽事始時代の日本人の先生が間違えて、後世に指導してしまったのです。

本当の書かれた意味が分からないままで、音楽を表現しようとしたので、そんなエキセントリックな表現になってしまったのでしょうね。

 

しかし、そういった誤った奏法は、音楽事始時代の (所謂、明治時代の話ですが、)日本人のPianoの指導者の責任だけでもなく、ヨーロッパの音楽界でも、Pianoの機能がsingle actionからdouble actionに代わるに従って、(double actionに代わったのはロマン派の時代ですが、いつもお話するように、Chopinは生涯、single actionのPianoを愛用していました。) 急速に、古いバロック時代の演奏スタイルや古典派の演奏スタイルが失われてしまいました。19世紀の後半にはもう、Cembaloと楽器は存在しなくなってしまったのです。

ですから、正しい、古典派の音楽様式やbaroqueの演奏は、日本人の間にという意味ではなく、世界中の20世紀に生きて来た総ての演奏家達に忘れ去られてしまったのです。

という事で、当然、今日の日本のorchestra奏者とか、弦楽器奏者が、プロの演奏家だからといっても、ちゃんと正しく演奏出来ているのではないのです。

しかし、往年の名演奏家は兎も角として、今日では、超一流と名の付く演奏家は既に、誤った奏法を正しく矯正して演奏しています。

 

しかしながら、残念ながら、旧態然としたアカデミズムの塊の音楽の教育界を引き合いに出さなくとも、一度間違えた奏法が世間に定着してしまうと、幾ら「どういう奏法が正しいのか?」と言う事が、一般にも普通に理解できるようになってきた今日でも、それが「一般的になる」 と言う事は難しい事なのです。

 

再び本題に戻って、BrahmsにしてもHaydnにしても優美で優しい情緒表現としてのnuanceをあらわすための前打音でなければなりません。

甘えるような、コケティッシュな感じです。

決して、乱暴な、横っ面をひっぱたくような・・、鋭いaccentを表す前打音ではいけないのです。

 

[touchについて]

M君の場合は、touchの形はとてもきれいです。

指が丸く鍵盤に対してまっすぐに打鍵しています。

しかし、手が装飾音を弾こうとしたり、accentしたり、といった無駄な動きをするために高く離れてしまっていて、せっかくの手の型が崩れる寸前です。

そのまま放置しておくと、せっかく身についた手の型も打鍵の方向も崩れてしまいます。

指導の時に、よく気をつけて観察してください。

そういった打鍵の方向は生徒の傍にいては、見えません。

(相当慣れれば別ですが)ビデオの撮影位置のように、真横から見れば一目瞭然です。

 

 [打鍵の位置]

今回のlessonの左手と右手のtoriolenところでM君が音をはずして、めろめろになってしまっていましたが、その理由はI先生の指導とは、全く違います。

左手のtoriolenの所は、左手の和音感がないからです。指が回らないから、びっこを引いているわけではないのです。

つまり、左手がshiftした状態で移動できなくって、(勿論、vorbereitが間に合っていないせいもありますが・・。) 弾けなくなってしまっているのです。

例えば、I先生が右手を弾いてあげて、それに合わせて、M君が和音で移動できるかをcheckすればよいのです。

それで、間に合わなければ、両手を一緒に弾かせるのは無意味です。

一つ前の段階(step)に戻って練習しなければなりません。

 

右手のtoriolenの注意はもっと深刻です。I先生はM君が音の粒が抜けるのは指のせいと思っているのかもしれませんが、そこも和音としての、shiftが出来ていないせいなのです。手の型をちゃんと安定させるためには次の問題が出てきます。

そういった、vorbereitのshiftの問題の他に、打鍵の位置の問題があります。

つまり、白鍵をshiftする時の手の位置と、黒鍵が混じってきた和音のtoriolenの時に、手の前後動が起こってしまうのです。

そのために鍵盤をtouchする事が不安定になってしまうのです。

シールを貼った鍵盤の絵で説明したはずですが、黒鍵を弾く時と白鍵を弾く時の打鍵の位置(手の型の位置)が1センチ以内ぐらいしか動いていけないのです。

一流のピアニストの演奏では、鍵盤に対して手の前後動は殆ど起こりません。

プロのピアニストに限らず、子供達がmisstouchを引き起こす最も多く見受けられる原因が手の前後動によって引き起こされています。

それが打鍵の位置の問題です。

 

 [pedal]

pedalingに関しては、前回踏み替えpedalにして、絶対に踏みっぱなしはさせないようにという事をお願いしましたが、相変わらず踏みっぱなしでした。

Videotape:(15分28秒時点)(71小節目から83小節目まで)

 

但し、そこの場所はI先生も模範演奏で同じようにpedalingをしていらしたので、たぶん、同一和音上のpedalなので、濁らないから許されると言うように、勘違いをされたのだと思います。

ですから、前回お話をしたforte-pianoの時代のpedalingのお話とは別に、作曲学的な見地からのお話をしておきます。

HaydnやMozart等の古典派の作曲家の話として、(・・・だけではなく、現代の音楽にも同様の事がいえるのですが、) 和音(或いは音の)質量感とでも言いましょうか、音楽は一つ一つの音に比重があります。

私の師事していたGenzmer先生の師匠で大作曲家で世界的なviola奏者でもあったヒンデミット教授の著書である近現代ハーモニーの和声学教則本というのがあります。

我々作曲家にとっては当たり前の事なのですが、3和音の中に長7度の音程を伴うような4和音が混じってくると、和声進行上和音の質量感が際立ってしまいます。

ですから、7の和音を使う時には、強勢の拍に使用するか、さもなくば4和音(7の和音)の連鎖を行うかでなければならないのです。

特に、その7の和音が長7度の和音であった場合には、その和音が際立ってしまう事を注意深く防がなければならないのです。

それを和音の質量感と私達、作曲家は呼んでいます。

 

同様な音楽の質量感は、原則としてピュアー・サウンドで作曲されている古典派の作品に対してpedalを踏みっぱなしにする事は、そこの場所だけが、異常に音の重量感が出てしまってエキセントリックな表現になってしまうのです。

ですから、古典派のmelodieが、ころころ動くようなpassageを持つ曲では、その重量感を壊さないように、pedalは殆ど気づかれないようなaccentpedalがpedal操作の基本になってしまうのです。

ですから、先日もmailで注意したように、踏みっぱなしのpedalは、Ⅱ楽章などの緩徐楽章を除いては、原則として使用してはいけません。

しかし、octaveの動きで音がぶつぶつ切れるのを防ぐために、一音符ずつ、legatoを作るために、踏み替えして、octaveのlegatoをするためのpedalならば、質量的に音楽を破壊する事はありません。

古典派の音楽はくれぐれも、絶対に音が濁ってはいけません。

同様に同じ和音内の音であったとしても、pedalの誤った操作によって、その音楽の質量を壊す事があってはいけないのです。

 

 [octaveの指使い]
譜例:


小節目4拍目から43小節目までのoctaveの指使いの注意ですが、前回のビデオのcheckでも確認して私が出した課題は、octaveの指使いです。

 

 

これは基本的なoctaveをlegatoで弾く上での大切な指使いなので、絶対に守らせて弾かせなければなりません。

M君はlegatoで弾く事を最初から諦めて、指使いも守っていないし、legatoで弾こうとする意識もありません。

というか、それがoctaveになったというだけで、melodieだ!という事すら忘れているのではないかな?

もしoctaveの指使いがM君にとって非常に難しい課題だとしたら、私ならば、下の1の指を弾かないで、上の音だけを指使いを守って、legatoで、phraseをキチンと守らせて弾かせます。

Phraseを守ってlegatoをさせるための、指使いで基本的な指使いなので、その意識を育ててやる事が、M君の練習に対する、意識を育てることになるのです。

 

 

 


追伸:

octaveに関しての、注意ですが、これはM君の話ではなく、I先生へのお話ですが、70小節目左手のラの音から、octaveのファの音に飛ぶ時、(移動を確実にvorbereitするためだとは思いますが、)melodieの最後の73小節目3拍目のラの音をペッ!と吐き捨てるように短く弾いてしまっています。

 譜例:左手の矢印箇所

こういった演奏を指導者がする事は、子供に印象が移ってしまって、そう言った演奏が子供の癖になりやすいので、オケ練習などでは、特に厳しく注意しています。

ですから、最後の音の余韻をちゃんと意識させるようにしてください。

そのために次のoctaveのファの音を取るのが一呼吸遅れたとしても、音楽の演奏では、不自然にはなりません。

丁寧に弾いたとしかお客様は思わないのですから。

ここで、あえてI先生にこの注意をするのは、octaveをlegatoで弾こうとする時に、多くの日本人のPianoを学ぶ人達がpedalでlegatoを誤魔化して弾こうとするからです。

ですから、pedalを必要最小限にすると、そう言ったボロが表面化してくるのです。

それを正しく演奏するためにはoctaveのlegatoのための指使いやmelodieを繋げる為の細やかな演奏スタイルが大切になってくるのです。

 

200*/**月/**(火) 21:12

M君のメール

日曜に頂いたAママに関するメール、今回のメールを含め今現在、よくよく読ませて頂いてる状況です。

今回頂いた基礎に関する表がとてもポイントが分かりやすく勉強になります。

 

M君くんのピアノに関しては気になる点は沢山あるのですが、私がいつも悩んでしまうところは、いわゆる「ピアノの先生」が「曲を弾かせる」為に指導することに陥ることはよくないと思ってるのですが、その時点で何を指摘し、何に目をつぶっておくかの線引きが自分で判断で出来ないことに苦しんでおります。

弾く腕の構えが悪いこと(力がはいってる為手首が硬直してること、鍵盤に近いこと)や、親指が反り返る、打鍵する位置が悪い事など、ゆくゆくはと思っていたことが実は大事だったと思いました。

 

頂いたメールの質、量が多いのでまだ全ての返答ができませんが、「M君くんの固さが取れない」との私のメールが理解できないと頂いたことですが、説明不足だったかもしれませんが、以前Hくんの時も「表情が硬く、愛想笑いしてるけど笑ってない」点を注意という指摘を頂いたこともあって、やはりバイオリンの時間ほど思ったことをしゃべってくれない(こわい、聞いてくれない?)と思われてしまってるのかなと、自分自身がむしろ不安に感じてしまって、あのように書きました。

そんなことはないのでしょうか・・・内容が楽しくないとか、別の原因なのでしょうか。

 

200*/**月/** (土) 19:24

M君の曲決めについての質問   

明日のオケ練習は指導講師の先生が四日市教室に出張lessonなので、代わりに生徒のRちゃんとRsちゃんとに練習内容の伝達をしたのですが、M君はlesson時間のタイミングの関係で、伝達が出来なくなってしまい、そこが不安だと嘆いていました。

仕方がないので、体(体調)が許せば、朝の10時頃を目指して、オケ練習のcheckに行きたいと思っています。

しかし、この所、延々と微熱が続いているので、明日の体調もよく分かりません。

体調が悪ければいつもの定型で3時に花園に行く事になりますので、よろしくお願いします。

 

今回の曲決めのMozartのsonateのお話ですが、来年の発表会を目標にして、という事だと思いますが、どういういきさつで、曲を決める事になったのでしょうか?

私自身は「M君がクリスマス会までに間に合う簡単な曲でソロを弾くのかな?」と思っていましたが、指導講師の先生からは、「来年の発表会を目標に、新しい曲を選曲している。」と聞いて、ちょっと驚いています。

 

という事で、指導講師の先生に質問したのですが、何故今曲決めなのかは指導講師の先生も把握していないそうなので、そこのところのいきさつ等を教えてください。

 

前回のmailのお返事は、もう少し時間をください。

 

200*/**月/**(月) 18:10

昨日頂いたメール返信

昨日はおつかれさまでした、頂いたメールは昨日の時点ではまだ拝見してませんでした、ご返信が遅くなってもうしわけありません。

数週間前に指導講師の先生にメールで「M君くんは東京のおさらいかいにも参加しますか?」と尋ねたことがあります。「もし参加ならそこでハイドンを弾かせ、発表会には別の曲を予定してる。」ということはお伝えし、「その場合ハイドンと並行して新しい曲をやる予定をしてる。」とお伝えしたのですが、お忙しいようで現時点でまだその返事は頂いてないので、(もう少し様子をみてからなのか、予定が未定なのかと推測し)発表会の曲だけは年内に渡した方がよいと思い、モーツァルトを渡すことを考えました。

和音のアルベルティーバスのシフトがやはり大事なポイント(というか、音符をひとつひとつバラバラに読んでることが問題)だと思い、古典派のどれかを選びたいということはハイドンを見たときから思ってました。

因みに他の候補としては先日もお話しました、ベートーベンの悲愴3楽章、バッハイタリアコンチェルト3楽章、モーツァルトの変ロ長調K570の1楽章も考えましたが、今回は見合わせました。

昨日、先生からアドヴァイス頂いたように、いくつか候補を渡して、本人に選ばせようと今は思います。

次回メンデルスゾーンのベニスのゴンドラも候補として与えてみようかと思います。

またご報告させていただきます。

 

200*/**月/**(木) 8:01(純子へ)

videocheck12月9日分

後半に、I先生へのお説教が入っているのだが、かなり厳しいので、出さない方が良いのかな?

それとも、厳しいところだけを割愛して送ったほうが良いのかな?

 

Videoのcheckについて

子供とのcommunicationの理解(子供がlesson中に雑談をし始めた)

I先生が起承転結について説明しようとした時に、M君が浦島太郎の話をしだした。

M君の話を無視して、話を進めたのはたぶん集中を切らさないようにという事だと思うけれども、何故M君がそこで雑談をし始めたと思うのか?

浦島太郎のお話は起承転結の話からは外れていないので、雑談にはならないのでは?せっかく、lessonに自分の方から参加しようとしているM君のやる気をつぶす結果になるのでは?

 

phraseとphraseのつなぎの音のpassageでM君がmisstouchをした事に関しては、M君が「・・の音を間違えた!」 と、言った音と、実際に間違えた音は違っています。

I先生はM君が答えを言っただけで「分かっていれば、いいよ!」と、結論付けてしまって、彼が言った事が合っているのか否かは、(実際には間違えた音を)確認していません。それは勘違いです。

だから次回も当然同じところで躓くはずです。

(クリスマス会までに、次回のlessonがあったのかな?)

子供達がよく犯すmisstouchについては、私も「どうだったのかな?」と、その原因がcareless mistakeかどうかが、よく分からなかったり、或いはどの音をmissったのかを、聞き漏らしてしまう事があります。

そこのあいまいな所の対処をどうするかという対処の仕方が生徒から信頼されるのか?・・或いは反発されていくのか?・・・自分の先生としての指導力を問われるpointになるのです。

 

私の場合には、そういう場合には、決して自分を正当化しようとか、誤魔化そうか?・・・とかしないで、素直に「よく分からなかったので、もう一度弾いて見てくれない?」と生徒に頼みます。

そうすると生徒は「自分の演奏をちゃんと聴いてくれている!」という事で、すごく信頼してくれるのですよ。

私のRsちゃんのピアノのlessonのvideoをご覧になられたことがあるか?・・・と思いますが、1度のlessonで、2,3回は、Rsちゃんに「よく分からなかった!もう一度弾いてくれる?」と弾き直しを、しかも何度もさせている所があります。

そのうちに、私よりも先に、「あ~、この音が違ったのだ!」と間違いを見つけ出す事があります。

(もっとも、意識的にそうする事もあります。自主的に自分でcheck出来るようにするためです。)

 

Haydnのsonate

toriolenのmisstouchの注意も何の音から何の音への移り変わりで躓いているのかがcheckされていません。
(57小節~58小節)

ある音の型から次の音の型への移り変わりでM君が躓いているのだ、というアドバイスをしましたが。

左手の和音を間違えたまま気づかずに弾いているのに、指摘していません。

141小節目からのターンはどうなっているのかな?
ターンの弾き方が全く理解できていない、と思うのだが!・・・そこの指摘はなかったのですが。

 

追伸:

この曲に関してはM君がちゃんと弾けるようになるまで、もう少し煮詰めたかったのですが、I先生が、lessonでは、この曲を「終わりにした。」という事なので、はなはだ尻切れトンボなのですが、Haydnのsonateのlectureは今回で終わりになります。