前ページ

l                 手の甲はちゃんと丸くなっているのか?

l                 手首は高位置と低位置の間にちゃんと収まっているのか?

それがBeyerの60番までの課題でしたよね。

そういった基本的な事の延長線上に、Haydnの古典派の奏法が来なければならないのです。正しい美しい姿勢がなくて、正しい演奏はありえません。

本当はそういったcheckの一覧表を作って毎回lessonの度に、checkすれば完璧なのですがね。

そういった、必ず毎回checkしなければならないもののcheck表を作った人は(私を除いては)いないのです。

Check表:(後ろのPageに掲載しています。)

 

人間はなんと無精なんでしょうね?!

 

Clmentiの演奏法

[またまたsforzandoについて]

この曲でマスターしなければならないCheckpoint(注意事項)の多くは、前々回のメールに書いて言う先生に送った話ですが、内容的に分かりにくいかもしれないので今回前のメールに譜例をつけておきました。参考にprint outしてみてください。

特にsforzandoがビックリするように強くなるのは、日本人の欠点です。

HaydnやHaydn門下生であるMozartやBeethovenなども、不用意にsforzandoを強く弾く事は避けなければなりません。古典派の音楽はとても上品で優雅な音楽なのです。私が音楽大学時代でピアノを学んでいた時代は、私の先生などもlessonのときに「Beethovenは粗野だから、sforzandoは乱暴なぐらいでいいのよ!」なんて事を平気で言っていて、「もっと強く!」とか要求されて、困ってしまいました。

古典派の時代の装飾音は例えそれが前打音であったとしても、古典派の奏法としては上品に拍頭に前打音の頭の音を合わせてやさしく弾かなければなりません。前打音にビブラートのaccentをつけて本来の音符を抜きで柔らかく演奏する事が、古典派の装飾音の正しい奏法です。

                                               譜例:

前打音の装飾音をビックリするように強く弾くのは日本人だけだと言うことをM君にも注意しておいてください。
装飾音は拍に合わせてヴァイオリンのvibratoをするような感じで弾きます。

参考までにと、模範となるCDを探して見たのですが、Haydnのsonateに関しては、リヒテルやホロビッツ等のピアニストの演奏しかありませんでした。
つまり、Haydnの演奏家(forte-pianoの演奏家)ではないのです。他には、エッシェンバッハの下手な教育教材用に収録された演奏しかありませんでした。困った事にエッシェンバッハも日本人の下手な演奏家と同じようにシャックリ型のaccentの前打音で演奏していました。

そういった、悪い演奏のもっと極端な例では、装飾音の音が次の幹音のCに重なってしまい音が濁ってしまっている例を良く聞く事があります。

譜例:

それにも増して、装飾音の事ばかりに意識が言ってしまって、themaのスキップがあたかも3連音のように弾いている例さえ見受けられます。







譜例:

Skipを3連音で演奏する事自体は、baroqueや古典派の時代には当然あった奏法です。ですから、それが演奏者の意図で、そのrhythmで、全曲が統一されていれば「そういう演奏もあるのかな?」という事で、問題はないのです。



しかし、困った事に左手がtoriolenになった途端に、左手の3連音のrhythmからskipをずらすために、逆にskipが鋭くなってしまって、スキップがあたかも32分音符のようになってしまっている例も数多く見受けられるのです。

残念ながら、一般的にはHaydnのPianoの演奏に関しては、良いレコーディングはありません。

私が持っているレコードの中でも、唯一のお勧めの録音は古い録音で、ランドフスカがCembaloとPianoでレコーディングしています。とても素晴らしい演奏なのですが、残念ながら、まだ古い解釈の時代の演奏であり、Haydn時代の様式に従ったforte-pianoの演奏ではありません。あくまで19世紀から20世紀のモダンピアノとしての解釈の演奏です。またレコードなので当然絶版で、今のところCDに焼きなおした再販はされていないようです。時代の様式に従った、Haydnの時代の演奏のレコーディングはまだされていないようです。

 

[pedalについて]

Pedalの踏み替えは、古典派の奏法であろうと、現代のピアノの奏法であろうと時代や楽器とは関係なく、pedalの踏み替えのたびにピアノがガタゴトと音がするようでは正しいpedal操作とはいえません。すばやく踏み替える事は大切な事ですが、それ以上に音を出さないように丁寧にすばやく踏み替えなければなりません。

ましてや、Haydn時代、(所謂forte-pianoの時代)には和音をつなげるためのpedalingはありませんでした。

ひざの下にpedalが付いていたので、pedalを踏むためにはかかとを上げなければならなかったから、そういった微妙なpedalの操作は無理だったのです。

写真:Haydnのforte-piano
(1796年、ウィーン・メカニック、膝で操作するダンパーペダル63鍵)

そのために古典派のpedal操作の基本はアクセントpedalです。

また古典派の音楽はpedalを必要以上には使わないですむように、finger pedalで間に合うように、開離体(Weite Lage)ではなく密集体(Enge Lage)で書かれています。

古典派の音楽で和音を繋げる為に・・や、legatoを表すためにpedalを使用する事は、古典派の美しい和音の響きを阻害してしまう事になります。そういった濁った音に対しての意識の低さは、日本人の雑音に対しての不感症の表れです。

音大生がよくChopinなどを弾く時にpedalを踏みっぱなしにして、和音が濁って聞くに堪えなくなるのは私達にとっては許せない事で、とても聞くに堪えられませんが、日本人の音大の先生にはそれが分からないのです。

何故、そう言った音の濁りが汚く聞こえないのかは、世界で唯一左脳型の国民である日本人の独特の音の聞き方にあります。
ホームページ参照:

 

中学生や高校生の学生コンクールでBachの試験があったときにlegato奏法が出来ない生徒が(pedalを半分踏んだ状態にするというエキセントリックな)ハーフpedal(本当のハーフpedalではなく)でlegatissimoを弾いていたのですが、その生徒ごまかしpedalを弾いていた生徒がコンクールに合格してしまいました。それが気にならないのも日本人独自の感性で、私には理解出来ません。

Pedalの事に関してもホームページに書いておきましたので、そちらも参考にしてください。

日本人のpedalで音が濁っていても聴こうとしない、そういった音楽性(感覚)は理解できませんね。

M君の場合には音がpedalで濁るのではなく、逆にpedalの切るタイミングのずれで、和音と和音の間が、ぶちぶち切れていましたがね。

和音のpedalを指導するにはまず、カデンツ(Ⅰ⇒Ⅳ⇒Ⅴ⇒Ⅰ)でちゃんとpedalingが出来るか(和音が繋がるか、濁らないか)どうかを練習させます。そういった予備練習をしないままに、実際の曲でいきなりpedalの指導するのは無謀です。

 

[型として音型を捉えているのか?]

今回、その他に特に注意する事は例えば1小節目のソ、ソ、ソ、ドでM君が不用意に手を高く上げるのは型を理解していないからで、そのためにmisstouchを誘発しています。

そういった手の型が理解出来ていないので、間違えてしまう箇所、或いはmisstouchをする箇所が4-5小節目、7小節目その他の小節にも多数見受けられます。

 

[正しい指使いは・・?]

また指使いが原因で弾けないところも多数あります。7小節目、24小節目の4拍目,28小節目のⅠ拍目、これは左手のベース上に音が構成されなければならないと言うことが、M君に分かっていないのです。ヴァイオリンの場合にはoctaveを弾く時にはまず低音の1の指でしっかりベース音を作ります。ベース音が取れない限りoctaveが弾けるようになる事はないのです。

以前も説明したように、この8小節目からの左手(或いは20小節目から)のtoriolenはAlberti-bassです。ですからtoriolenの拍頭の音がベース音になります。つまり、その音がチェロの役目をするのです。特に34小節目の4拍目のF#は繰り返しのCodaでは(Ⅰ⇒Ⅴ)の繰り返しで印象的に代わるので、その変化を子供に意識させなければなりません。こんなシンプルな変化(kleinigkeit)で印象的なpassageを表現できると言う事は、Haydnが如何に優れた作曲の技術を持ったマイスターであるかの面目躍如とするところです。

 

ピアノの場合にはあまりにも跳躍する距離が広い場合には、逆に近場の音を先にとってからその音(キー)を拠り所にして、逆に下の5の指を取らせる事が良くあります。

Misstouchを防ぐためです。6小節目の3度のミソの和音の後でミとソの間のファに1の指をshiftします。それからoctaveを作れば音を探す必要は無くなるのです。ですから7小節目でmisstouchをする事はないはずです。その次のソレの和音はM君はそのまま51の指で弾いていましたね。しかし、低音のファが5の指なので、楽譜の41の指使いは(珍しく)正しいはずです。そうすると5の指は空いているので、次のtk8の5の指は楽に取れるはずです。

41-45、48-50、等々です。

 

[同じmisstouchを毎回繰り返す]

58のF#は先週も同じように間違えてF♮で弾いていましたが、どうして直らなかったのか分かりますか?

M君がもう一度弾きなおすと、正しく弾けるから、ただのケアレスミスとしてそれ以上の追求をしなかったでしょう?

でも本当には、M君はそのmisstouchの原因や対処の仕方が分かっていないのですよ。ですから、当然発表会の本番でも、同じように間違います。

当日思い出せれば、正しく弾けるかも・・・と言う漠然とした仕上がりです。

音楽ではそういった曖昧さは、絶対にタブーな事ですよね。

子供の勉強では、絶対に曖昧を残させてはいけません。

その原因の元凶はrepriseの128小節目にあります。本来ならばM君は絶対音があるので、音型として捕らえるはずなので、そういった間違いはしないはずです。

テキスト ボックス: 譜例:


しかし、なまじいい加減に型として音型を理解してしまっていて、調性と言うものよりも、F♮と言う音の印象だけが先行するのも、絶対音を持つ人達の困った傾向でもあるのです。

(絶対音感を持つ生徒は、逆に調の把握(scale的な理解)が弱いのです。)

 

[音符の長さ]

M君がピアノしか学んでないのだったら、リピートの前の最後の音や、曲の最後の音だけを無意味に引き伸ばして弾くのは仕方がないことかもしれません。

しかし、最後の音に関しての演奏、つまり67-68の和音の伸ばしは、アンサンブルやオケの色々な曲で「音の長さを揃えなさい」と常に私から厳しく注意されている所です。それがオケや室内楽だけで、ピアノに応用が効いていないという所が問題なのです。つまりヴァイオリンとピアノが別物と思っている。古典派の演奏スタイルは作曲家が変わろうと演奏形態が変わろうと関係ありません。常に同じスタイルでなければならないのです。

音楽は積み上げです。つみあげを学ばずして、音楽の上達はありえないのです。

 

音符の長さとは直接的には関係はありませんが、ついでに、35小節目と36小節目でM君が2度も音を外したのはどういう理由か分かりますか?彼は体を下へ持っていかなかったので、鍵盤に対して指(と言うよりも腕全体が斜めにtouchしたから、体勢が崩れてしまい、音をはずしてしまったのです。

その理由はI先生と体がぶつかってしまうからです。両手がヘ音記号になる場合の体勢の作り方があります。状態はまっすぐなまま、上半身を左に寄せて行きます。当然、右お尻が椅子から浮き上がり、左お尻だけで体を支える型になります。

 

正しい体の移動の姿勢              間違えた体の移動

        

この理屈は分かると思います。右お尻を浮かして状態をまっすぐにして演奏すると、touch等には殆ど影響はありませんが、間違えた体の移動の場合左手は鍵盤に近く右手は鍵盤に対して遠く、しかも斜めになるので、右手と左手のバランスが最悪になります。演奏も不自然で難しくなります。

こういった姿勢を正しく把握する事は、生徒の傍に座っていては、客観的に見ることが出来ません。

 

以前M先生に対して、姿勢や演奏が見えていないと言うことを厳しく注意した事があります。それはM先生が数人の生徒の何時間かのlessonの間中、全く最初から最後までピアノの左側に座ったままで子供の姿勢が客席からどう見えるかのcheckをしていなかったからです。

私の場合には一人のlessonの間に色々な場所に移動してlessonをします。また生徒の曲が出来上がると、なるべく遠くのほうで子供のlessonをするようにしています。近場ではなく、お客さんの目線でどう見えるかを確認するためにです。

白ピアノの部屋は狭くて自由に行き来が出来ませんが、少しでも場所を変えて観察するようには勤めなければなりません。

 

 テキスト ボックス: 譜例:octaveの4-5の指使い[再び指使いの注意]



41~45までのoctaveの指使いです。

和音やoctaveをlegatoでつながって聞こえるようにするためには、必ずしも全部の音を繋げる必要はありません。上行形ならば上の音、下降形ならば原則として下の音をつなげて演奏すれば音は繋がって聞こえるのです。41~43小節までの指使いはそのための大切な指使いです。左手44小節目の52の指使いも5をshiftしたままで、2-1-2と弾くための指使いなのでキチンと守らせて弾かなければなりません。右手44小節の13の指使いも同様に大切です。

このlevelで、しっかりと指使いを守らないと、sonate等の上級levelの曲を弾きこなす事は出来なくなります。

44小節左手3拍目の指使いが3の指にあっている理由は分かりますか?

他の同音型の場所は全て2の指になっていますよね。45小節4拍目から2⇒13、3⇒24、2⇒13となっています。

これにもちゃんとした理由があります。親指は基本的に白鍵の真ん中に位置していなければなりません。手の形が不自然に崩れると音が、汚くなるので、昔は黒鍵を親指で弾く事はなかったのです。48小節目3拍目の左手のソシは13になっていますが、これは24でもかまいません。しかし、49小節目の3拍目の52は必ず守らせてください。これも基本です。それで、ソシが無事13で終れるからです。



[staccatoの意味の勘違い]




譜例:
リピートの後、48小節目以降の50小節目までのstaccatoについてですが、右手のmelodieに付いたstaccatoは意味はありません。
この拍頭の音はthema同様にphraseの終わりの音でmelodieの抜きの音なので当然短く抜きで演奏します。
では何故ここだけstaccatoが付いているのでしょうか?それは5小節目同様に左手を軽く右手の抜きと一緒にとりたいからなのです。
themaの入り、Ⅰ,2小節目には左手の和音にはstaccatoが付いていない事を意識して下さい。
そのMotivはそのまま、66,67小節と148、~150小節の右手に使われています。
終わりのための無意味な3度の和音ではなく、ちゃんと第一主題の中に含まれているMotivなのです。

 

[pedalの追記]

発表会等で演奏効果を狙って、和音のpedalを使用したければ、指定箇所の71小節目からpedalを使用してもかまいません。しかし、それは1拍ずつの踏み代えpedalでなければなりません。踏みっぱなしはやったとして、79小節目だけでフェルマータの80小節目の2分音符は踏み代えて入らなければなりません。

 

今回のお話はこれぐらいにしましょう。Lessonと違って、メールで打つのは手間がかかって非常に大変なので、次回は日曜日にピアノで説明する事にしましょう。

 

200*/**月/** (土) 12:33

メール拝見しております。        

忙しい中、沢山のアドバイスいただけてありがとうございます。まだ全部をしっかり読みきってなく、順を追って読み進めてる段階です、とりあえず拝見させて頂いてることをご報告まで。

お会いしたときに直接教えてもいただけるそうで、よろしくお願いします。

 

200*/**月/**日(水)

[Lessonvideoのmemo]

Haydn C一回通し

Check:出来ていない指

抜き出し:収めのニュアンスの指示

(撮影時間15分29秒)

                                               

200*/**月/**(木) 0:55

M君のトリル    

M君のお母さまから、主任の先生が聞いた話の又聞きですが、M君の家のピアノの鍵盤が重たいということでしたが、I先生から「トリルを弾く時に鍵盤の奥を弾く様にと注意された」と言うことで、家でそのように練習してみたのだが、「全くピアノの音が出ない(重すぎて鍵盤を押せない)ので、もう練習をしたくない」ということを言っていたので、お母様から「明日、花園教室の白ピアノで練習をさせて欲しい」と申し出が合った、と言う連絡が主任の先生からありました。

状況は聞き伝えなので、よく分からないのですが、もしI先生が「トリルは鍵盤の奥を弾く様に」という言うアドバイスをM君にしていたとしたら、M君の重たいピアノでなかったとしても、鍵盤の一番奥を演奏する事は小さな子供だけではなく、女性にとっても鍵盤が重過ぎてコントロールが出来ないと思うのですがいかがでしょうか?

 

私のメトードでは打鍵の位置は音の粒を(強さや歯切れ)揃えるために、黒鍵は一番手前の1センチ以内をtouchします。同様に親指と5の指を黒鍵の縁から白鍵の真ん中までの場所をtouchさせるようにします。これはforte-pianoの時代のleggiero奏法のようにtouchが非常に微妙でちょっとした打鍵の位置やtouchの差が音に表れる場合、打鍵の位置を一定にする事によって同じ音の粒を出す事ができるようにするためです。鍵盤を親指が白鍵の端、中指が鍵盤の一番奥で演奏する事はよほど指(手)が大きいか力強いtouchをしているかの場合だけなのです。

ですから、日本女性のように華奢な手をしている演奏家の場合には手を平べったく伸ばして、演奏する演奏家は音の粒が安定していません。まして、音の粒を揃えたり、安定したtouchなどのピアノの奏法の基本を学ばなければならない子供の場合には鍵盤の奥を弾かせる事はやってはいけません。

 

日本ではChopinが指を伸ばして、弾いていたように、思い込んでいるピアノの先生が多いようですが、その誤解はChopinの指導法を書き写した(纏めた)本を読めば、その誤りがすぐに分かります。Chopinはsingle actionのforte-pianoを生涯愛用していたわけですし、Mozart奏法の基本であるleggierotouchを生徒に厳しく要求していました。「Staccatoで練習しなさい。」というのがChopinの口癖だったのです。Leggierotouchで一番大切な事は打鍵の位置で可能な限り同じ位置でtouchしなければならなかったのです。ピアノが今日のようにdouble actionに変わってから、ピアノに音量は出たのですが、そういったtouchの微妙さはすっかり失われて、感情的な感覚的なtouchがまかり通るようになってしまいました。しかし、子供や女性のように本来の指の力が弱い場合には鍵盤の打鍵の位置によっても音が出ないと言う事が起こってしまうのです。

 

I先生の言っていた(鍵盤の奥をtouchする)という意味が違っていたのなら、M君に間違えて伝わってしまったようですから、それは次回のレッスンで訂正して置いてください。

 

200*/**月/**(木) 11:17

RE: M君のトリル

おはようございます、今でがけにメールを拝見いたしております、トリルを奥でという話ですが、正直言って思い当たることふしがありません。

何かの間違いだと思いますが、いずれにせよ、本人がそのように思い込むように導いてしまったことは事実ですので、その点は改めたいと思います。

ピアノが重いことは承知してるので、そのせいで弾けない部分は今は保留としてるのですが・・すみませんでした。

 

200*/**月/**(木) 23:42

今朝のトリルの件で

おつかれさまです、6日午後14時オケ教室でH君レッスン予定です、よろしいでしょうか。

 

先ほど帰宅してから改めてメールの内容を理解しました。

M君くんはまだ、固さがとれずヴァイオリンのレッスンのように打ち解けた感じになりません、いろいろ試行錯誤しております、失敗や反省も自分なりに感じております。

まずお母様のいう「トリル」というのがどこなのか、今やってる曲でトリルをやる部分はないのでしばらく考えてしまいました。

ターンのことかとも思いましたが、白鍵のターンを「奥で」弾くというのはありえないことでナンセンスだし、私が弾くのが奥で弾いてるように見えただけなのか・・本当にわかりません。

 

この前のレッスンでの話ではついに、ただでさせえ重い上、さらに押しても戻って来ない鍵盤が出てきたが、なぜか安藤ママは調律はしたくない、という状況で教室のピアノで練習依頼というようになったと推測してますがどうでしょうか。

あんなに良く理解し、練習熱心なので出来ることなら私が調律してあげたいところですが、当のAママがまったくその重要性に感心がないことがことさら残念でなりません。

 

話によると椅子の両側はもので挟まれ動かすことができないということなので、連弾曲でも、ソロ曲でも常に固定された位置で練習しなければならないということも問題です。

ピアノがリビングにあり、長年調律してない上、湿気を吸ってついに鍵盤が上がらなくなってしまったという状況。そんな中で頑張ってここまで弾いたということを言い訳してるように感じてしまい、お母様が子供の頑張りを伝える話の過程で今回のような誤解にとられてしまったように感じてますがいかがでしょうか。

もちろん私の指導が問題ないというわけではありませんが、今のところ一部の雑談や切れてしまった部分もありますが、全てのレッスンを撮影しており、その中でそのような「奥で弾く」といった指示をした記憶はないように思います。

いずれにせよ、本人がどう感じてしまってるのかということが重要ですので、これからは本人の様子、話を注意して観察するよう気をつけたいと思います。

 

200*/**月/**(月) 3:12

RE: M君のトリル 

[勘違いのメカニズム]      

トリルの話が「勘違い」ということですので、その「勘違い」のメカニズムについて説明します。

 

大人の場合の勘違いはその殆どが「思い込み」によるものです。

大人の「思い込み」による「勘違い」は、殆どの場合には「潜在的な願望」が隠されている場合が多いのです。

ですから、その相手の願望を正しく理解する事が、父兄とのcommunicationの一番大切な条件です。もし、その『願望』が「不可能な願望」であったとしても、知っていることと、知らないのでは、全く相手の対応(信頼度)が変わってきます。

大人の場合には、先生サイドが幾ら本音を尋ねても、それを明らかにしない場合が多いのです。それで、私達はよく当たり障りのないところで、探りのために無関係なバルーンを飛ばすことがよくあります。

私達が子供の教育について話ている最中に、無関係な話を突然始めたりするケ-スの場合には、そういった探りのためのバルーンであることが多いのです。

「勘違い」の理由が明らかになれば、対処はすこぶる簡単になります。当然ですよね。

 

子供の場合の「勘違い」はむしろ思い込みは少なく、実際には言葉よりも視覚的なもので勘違いをしたり、こちらがジョークのつもりでいった事を真に受けたりすることが原因の場合も多くあります。

子供の場合には、子供の持つ語彙に合わせて、その「勘違い方」が一人ひとり違いますので、M君の場合にはどのような受け取り方をしているのかを見ると、普段の指導がずいぶん楽になります。

「この子にはこういった語法のほうが通じやすい」とかです。

いずれにしても、何故そういった勘違いが起こったのかを詳しく知る事は、後の指導のために有益な事です。

 

200*/**月/**(月) 3:24

RE: 今朝のトリルの件で

今日、お会いしてお話をしたので、大分前から書き始めていたこのmailは当然、同じ話を繰り返す事になってしまい、新しい話はありません。しかし、まあ、参考までに送っておきます。

主任の先生に確認したところ、トリルの話が出たのは今週ではなく、先週の話だそうです。

いずれにしても、AママはHママと同じ状態になってしまっているようですね。

次ページ