この文章は、随分前に書きかけられたものなのですが、忙しさにかまけて、放ったらかしになってしまっていました。
純正調のお話は、結構、あちらこちらに書いているので、それを纏める必要に迫られて、このPageを書き始めたのですが、純正調については、未だに、しっかりとしたお話が書かれていなくって、・・・・純正調についてのhomepageは結構、色々な人達が書いていて、それなりに、優れた論文もあるのですが、しかし、立場としては、理論として書かれていて、私のような、実際の演奏の立場で、書いている人は、皆無なような状態だったので、積極的におしゃべりをしなければならない、とは思っているのですが、baroqueの演奏の度に、古典調律の話をするのですが、中々一般論として、そのお話をする事が出来ないので、心苦しく思っています。
折に触れて、なのですが、少しずつでも、書き進めて行きたいと思っています。
純正調というものが、既にmaniacなので、結構、pureに考える人達が多いのですが、私のような演奏をする立場だと、平均律だの、純正調だの、結構いい加減になります。
そのいい加減さのお話です。
通常の純正律でtuningしたとして、canonの和声進行は次のようになります。
このCembalopartを標準の純正律で調律をした場合には、1小節目の4拍目のV度の和音は、とんでもない汚い響きがしてしまいます。
baroque時代の基本的なcanoncodeですら、副三和音に至っては、純正の美しい響きはしないのです。
そこで、純正律と平均律のhybridである、副次的な純正律にtuningします。
教室での調律の場合には、他の曲との兼ね合いもあるので、Cembaloは基本、平均律でtuningします。
orchestraが純正で演奏したとしても、Cembaloのpartはそのまま平均律で調律するのです。
つぎの例は彼の有名な名曲中の名曲であるVitaliのchaconneのorchestraversionです。
この冒頭のviolinのpartも、純正と平均律の狭間で困ってしまう1曲なのです。
冒頭に出て来るF#ですが、g mollなので、属音はDになるので、Dの3和音の中のF#の音(純正のF#の音)は、気持ちが悪く感じる程、かなり低めのpitchになります。
そこで、最初の小節では、和音がg上の3和音になるので、F#の音を、「導音のF#」の音として、かなり高めに演奏するのですが、後半には、orchestraが一緒にF#を演奏する箇所も出てきます。
私の場合には、仕方がないので、orchestraのF#はそのまま純正のF#で演奏して、soloのF#だけを、導音のF#としてかなり高めに取らせています。
こう言ったorchestraの音よりも、高めにsoloのpitchを取る事を、そのまま「solopitch」と呼びます。
この場合、orchestraとsoloの音は、分離して聴こえるので、殆ど気にならなく演奏出来ます。
この問題は、常に弦楽orchestraの場合には、起こる問題なのですが、fullorchestraの場合には、最初から平均律なので、こういった問題は起こりません。
でも、日本の弦楽orchestraの場合には、純正調で演奏しているorchestraは少ないので、ここまで悩む事はないのかな??
単一種類の楽器の場合には、和音が非常に溶けやすいので、管楽器でも弦楽器でも、和音は純正の和音を使用する事が多いのですが、その場合には、melodieはそのまま純正の音を使うと奇妙(eccentric(エキセントリック)なmelodieになってしまいます。
という事で、melodieだけは、一番、自然に聴こえるPythagoraskommaの純正調を使用している人が多いようです。
調律法の色々
(1)平均律
(2)Pythagoras音律
(3)中全音律(アロンのmeantone)
(4)Kirnbergerの第3調律
(5)Werckmeisterの調律法
(6)Vallottiの古典調律
中全音律、所謂、meantoneの調律はとても美しく響くのですが、残念ながらAsやEsを含むchordに致命的なWolftone(ヴォルフ・トーン)が出てしまうので、調にかなりの制約を受けてしまいます。
Bachの弟子であるKirnbergerの調律法や、Bachと同時代のWerckmeisterの調律は、現代の平均律に近すぎて、和音の美しさが失われてしまっています。
・・そう言った理由から、Handel等の作曲家達は、開かれた調律に対応出来る、分割鍵盤の楽器を使用していました。
そういった特殊なCembaloは、教室は持ち合わせていないので、今は取り敢えずですが、Vallottiの調律法で調律しています。
古典調律のお話