J・C・BachのCembaloconcertoは、未だviolaが入っていないtriosonateのようなviolinT、Uとcelloという楽器編成で作曲されていました。ですから、orchestraとしてではなく、完全な室内楽としての演奏でも、良かったのです。
baroque時代では、triosonate等は、作曲家の想定する楽器での演奏は、然程、厳しく指定されている分けではなく、その曲が弾ける楽器ならば、どの楽器を使用しても構わない・・・という曖昧さがありました。
その曖昧さは、J・C・Bachの活躍した時代や、Salzburg時代の様式で作曲されたMozartのkirchensontaと題された一連のCembaloにorgelを加えたkirchenconcerto等の作品は、violaが入っていない、所謂、violinTとU、cello(Kontrabass)だけの編成の曲が数多く見受けられます。
ひかりちゃんの今回の曲も、今日のPianoconcertoのgenreで見ると、そういった特殊な、楽器編成で作曲された曲の中の1曲です。
J・C・BachのCembalo(forte-piano)concertoのOp.7のNr.1から7迄の、completeに収録されたCDですが、室内楽として、soliで演奏されています。
Johann Christian Bach (1735-1782).
Piano Concertos.
Anthony Halstead, pianoforte
Members of The Hannover Band
Anthony Halstead
Concerto no.1 in C major, Op.7
Allegretto
Minuetto
Concerto no.2 in F major, Op.7
Allegretto con spirito
Tempo di Minuetto
Concerto no.3 in D major, Op.7
Allegro con spirito
Rondeau : Allegretto
Concerto no4 in B - flat major, Op.7
Allegro giusto
Allegro di molto
Concerto no5 in E - flat major, Op.7 今回の発表会の曲ですが、曲の開始が探し易いように、下のタイム・ラインの時間を書いておきます。
Allegro di molto T楽章は、42分18秒から始まります。
Andante U楽章は48分26秒です。
Allegretto V楽章の開始は54分10秒からです。
Concerto no.7 in G major, Op.7
Allegro
Andante
Allegretto
こういった特殊な楽器編成の曲では、当然、楽器の並び方(配列)も、色々と問題が起きてきます。
時代考証を活かして、Haydn並びと呼ばれる、baroque並びで並ぶか、現代の並び方で並ぶかの問題です。
それに、この編成までは、指揮者を立てないで演奏しています。
私的には、前回のひかりちゃんのMozartのkirchensontaの時から、古式豊かにbaroque並びで演奏をさせたかったのですが、この編成では、指揮者無しの演奏が普通なので、私達の場合も、指揮者を立てない事にしました。
しかし、そうすると、1stviolinと 2ndviolinが、舞台の両端に離れて並ぶと、ensembleが難しくなるので、1stと2ndが近くで演奏するensemble、し易い現代式の並び方になっています。
ensembleも大分、慣れて来て、timingを合わせる事も上手になって来たので、次回の発表会での、J・C・BachのconcertoのU、V楽章の演奏の時には、古い並びであるsymmetryの並びの、1stviolinと2ndviolinが両サイドに分かれて並ぶ、Vivaldi並びで演奏する事にします。
そうすると、子供達から、「指揮者が欲しい」注と言われてしまうのですが、それでは勉強にならないのでね・・・。
(注:この場合の指揮者というのは、私の事だそうで、上級生ではダメだそうです。)
ー弾いて教えるという事(口伝)ー
音楽のlessonでは、そのlectureとしての伝達法(伝授法)は、口伝がほとんどであろう。(口伝というのは、甚だ日本的な言い方だが、三味線や小唄等も「口移し」という言葉を使うので、あながち間違えているとも言えないだろう。)
口伝に於ける長所は、その伝達内容が細かい細部にまで正確に伝達出来ることである。
その反面、コピーにしか過ぎないので、才能のない人間にとっては、水準をkeep出来るという利点がある反面、それを越える事は出来ない・・という欠点を持っている。
「道に至るは易く、道より出でるは難し」と言われる所以である。
つまり、才能のある人間や芸術そのものの向上には、口伝は逆に、甚だ害になる。
口伝の欠点の一番大きなものは、曲が変わる度に、その伝達の内容をまた最初から伝達しなければならないということである。
つまり、同じ作曲家の同じgenreの曲であったとしても、その曲を作り上げるためには、最初から学習していかなければならないのですよ。
技術や能力を「積み上げる」という力が弱いのだ。
その無駄を省いて「時短」をするためには、methode化が必要となる。
一事が万事・・・、一を聞いて十を知る・・というタイプの人は、総合力を持つ、methode化の出来るタイプの人達になる。
一つのTechnikをmethode化して、普遍性を持たせるためには、その奏法に名前を付けてキチンと定義付けをしなければならない。
一般の音楽家の人達が、音楽を勉強する上で困った事は、一つの技術(Technik)・・でも、国(言語)やその先生の属している流派によって、その技術の呼び方が全く違う・・・ということである。
逆の言い方からすると、ある一つの技術を定義する言葉でも、流派によって、全く別の奏法で演奏する場合が、良くあるので、イタズラに混乱を招いてしまうのだ。
学生が、先生を変えて勉強をする場合にも、或いは、proの演奏家やオケマンが、orchestraを演奏する場合においても、指揮者が変わる事によって、その指揮者が要求するTechnikを意味する言葉が違って来て、orchestra全体に混乱を来す事がざらにあるからである。
それでも、ちゃんと指揮者の要求を聞いて、叶える事が出来るのは、そこも、長年の経験なのだろうがね。
世界の演奏法と呼び方の対照表の一覧はガラミアンの教本に詳しく書かれているのでそれを参考に掲載しておこうと思ったのだが、著作権の関係で「それはまずいだろう!」という事で、その本を買ってください。
以下の文章である「オケ練習の覚書」は、lecturelessonのvideoを撮影するための覚書として書かれた文章である。
・・・という事で、その内容は、動画の中で、お話をしている事ではあるのだが、人には、言葉ではなく、文字として書かれている方が、分かりやすい・・・という人もいるので、参考までに、この「覚書」の文章も、ついでに掲載しておく事にします。
以下のURLは、You Tubeにlinkされた芦塚先生の夏合宿のlectureの補足説明です。
J・C・Bach(古典派)の弦楽器の奏法に関する説明で、夏の合宿だけでは理解が難しいと思いましたので、同じ話ではありますが、説明し直しておきました。
J・C・Bach Cembalo(forte-piano)concerto Es Op.ZNr.5 T楽章
参考までに:
Sent: Wednesday, August 6, 2014 9:04 PM
Subject: オケ練習の覚書
ー古典派の時代の色々な奏法についてー
☆この曲は一見する(譜面上は・・)と簡単に見えるのだが、実際に演奏してみると、意外に難しい。
単純で簡単明瞭なものこそ、難しい・・という原則論であろうか??
否、そういった情緒的な理由ではなく、簡単明瞭に見えるpassageでも、当時の慣習的に「このように演奏しなければならない。」という約束事が、それなりに、多いからである。
そういった当時の慣習上の演奏法には、音符の1個に掛かるものさえある。
たった、1個の音を出すのに、意識が必要なのだよ。
勿論、時代の慣習上の奏法の話なので、一度、覚えてしまえば、「以下同文・・」で収める事が出来るので、取っ掛りは難しいのだが、一度古典派の奏法のスペシャリストになってしまえば、簡単・・というよりも、当たり前になってしまうのだがね・・・???
ーbaroqueから古典派の時代のorchestraの編成(人数)についてー
☆私が古典派のorchestraの人数について、homepageやプログラム等の解説上で「本来はこのように演奏されるべきであるが、今回は少人数なので・・」という言い方をよくしています。
しかし、baroqueorchestra(或いは、古典派のorchestra)についての編成は、既に何度も説明しているように、基本的には比較的に大規模なorchestraであったとしても、2Pult編成、1st、2ndいずれも2〜3名(1Pult半)、viola、cello1Pult(2名)Kontrabass1名+Cembalo1名にsolisteが加わった13名編成ぐらいの人数のorchestraでも、当時の時代的には、もう既に大きなorchestraとしての、扱いであったのですよ。
という事で、今回の発表会での人数であるが、1st 3名、2nd 2名、cello 2名+Kb.1名という編成は、古典派の時代の地方の小都市のorchestraの標準的な編成なのです。
古典派の時代の楽器・・・Cembaloやforte-piano等の音量では、これ以上の編成では、soloの楽器の音を消してしまう。
つまり、古典派の時代の楽器にとっては、これぐらいの人数の編成の方が、solo楽器に対してのorchestraのbalanceがとても良く響きます。
寧ろ、室内楽としての演奏も、考えられていたのですからね。
You Tube等のJ・C・Bachのconcertoの演奏は、古典派時代の編成ではなく、現代のorchestraの編成なので、少人数であったとしても、古典派の2管編成で、弦楽五部として、人数は「12型」で6-5-4-3-2プルト(Pultは譜面台の事で、1台の譜面台を2人で見るので、その倍の人数になる。)程度であり、弦楽器だけで、40名の編成になります。
録音でCembaloやforte-pianoにマイクを仕込んで、そこからorchestraの音量とのbalanceを採っているので、時代考証的には、有り得ない編成なのですよ。
baroqueviolinの音では小さ過ぎて、modernviolinでも、満足出来なくて、エレキviolinにしている現代の若者達と同じですよね。
右側の写真はヤマハのエレクトリック・ヴァイオリンです。
私達の場合には、全く使用する事はないので、教室には一台もありません。
popularの世界では、普通のviolinの事を、acousticsviolinと言うようですが、教室には一台もelectric・violinはないので、violinの事をacousticsviolinと呼ぶ事もありません。
electric・violinは、最初はsilent・violinとして、夜遅くの練習用に発売されました。
実は、acousticsviolinというのは、「骸骨violin」という蔑称ですが、正式名称はsilent・violinという名前で売られていました。
しかし、骨だけのviolinなのに、非常に高価で、当時16万ぐらいもしていたのです。
しかし、深夜にviolinの練習が出来る・・という事は、ある意味、非常に魅力的である・・・という事で、silent・violinを早速checkしてみました。
音大生や趣味の人達から、「練習する時間が中々取れないので、silent・violinはどうですか?」という質問をよく受けていたからです。
silent・violinの「ミ〜、ミ〜」という情けない音を別としても、silent・violinには致命的な欠点がある事に気づきました。
教室のviolinやcelloの生徒達が、正確な音程を取れるのは、実は、violinのkonsonanzを育てる事で、正確なpitchを、violinが教えてくれるからなのです。
violinには、ギターのような、fretはありませんが、konsonanzによるfretが、歴然と存在し、少しでもpitchが低かったりすると、音が出なくなってしまうからです。
しかし、silent・violinやelectric・violinには、その肝心要のkonsonanzがないのです。
violinの勉強とは、正確なpitchをとる事ではありません。豊かな音を作り出す事に、本当のviolinの追求があるのです。
silent・violinはacousticな楽器なので、「ミ〜、ミ〜」した音は致し仕方ありません。
そのacousticsviolinの弱点を、電気的にviolinの音を合成して、好みの音を出す事が出来るようにしたのが、electric・violinなのです。
電気的に作られた音なので、konsonanzに寄るものではないので、当然、pitchのpointはありません。微妙に音が狂っていても分からないのです。
ついでに、ですが、19世紀になると、ダンス等を指導する時に、ダンスのインストラクターがフロックコートのポケットからviolinを出して、演奏しながらダンスの指導をしました。
その時に使用されたviolinの事を、フロックコートのポケットに入れていたviolinという事で、ポシェットヴァイオリンと言います。
共鳴させる胴が貧弱なので、音的には、殆どsilent・violinのような音がします。
形状はまちまちで定形の形はありません。
この写真では、大きさが分かりませんよね。
もう一枚の写真ですが、横のviolinは普通サイズです。