いや〜ぁ!!小さい!!
初期の古典派時代のorchestraでは、弦楽器は12名程度で、それに加えて、管楽器は2種類の管楽器で4名程度の演奏者なのだが、それは、その地方の財政によるオーケストラの常設の人数で決まるので、一律に言う事は出来ないし、その町の作曲家が、自分の住んでいる都市のorchestraの人数や編成に合わせて作曲をするのは当然である。
当時の作曲家は職人であり、注文で作曲をしたからなのだ。
という事で、余程の大きなeventでもなければ、現代のorchestraのような、多人数になることはないのだよ。
ちなみに、6選帝候の一人であり、大金持ちのハプスブルグ家でも、王室のorchestraの人数を減らすのに四苦八苦している。
つまり、orchestraやHaydn等の作曲家を擁立する事は、その王家のstatusとしての体面を保つのが目的であって、彼らにとっては、orchestraを維持するのは、決して楽なものではなかったのだよ。
また、こういったこのJ・C・Bachの曲のような曲は、orchestra以外でも演奏可能なように、violinT1名、violinU1名とcello1名の、室内楽のtrio伴奏の曲としても演奏出来るように書かれているのだが、それは「いずれの人数でも演奏出来る」という利便性を狙ったものである。
baroqueや古典派の時代では、楽器に対しての執着は然程ない。もし、更に弦楽器の奏者がいなければ、recorderとfagottoとCembaloで演奏したかもしれない。
triosonateには、同じ音域を持つ複数の楽器が指定されている。
ー実際の譜面での説明ー
さて、話は、「よもやま話」から、本題に戻って・・・・・
冒頭のEs Durの和音の響きはとても穏やかに響きます。
子供達は穏やかなEs の三和音は、実際のクリスチャン バッハの指定のtempoよりも、遅く演奏しようとしてしまいます。
実は、これが同じthemaであったとしても、D Durや他の調の三和音ならば、tempoが遅れてしまう・・といったような問題は起こりません。
Es Durの三和音だから、起こる問題なのです。
子供達の感性をそのまま活かして、テーマを序奏のように少し遅めに始めて、第二テーマを第一主題のように突然intempoで演奏する方法もあります。
今の人達には、多分、その方が自然な音楽に聞こえるかも知れません。
しかし、それでは、時代考証的には、(時代の演奏様式からは、)ほんの少しだけズレてしまいます。
・・・という事で今回は子供達に頑張って最初のテーマから、なるべくin・tempoで演奏して貰う事にしました。
最初のthema4 +4は大きな膨らましをしながら、階段状のcrescendo
⇒9小節目から11小節目は継なぎのpassageで1stとcelloが滑らかな旋律を演奏している時に、2ndの2拍目の入りの食いつき9小節目10小節目の(軽いaccent)がpointである。
12小節目は、subitoでforteなのだが、人数が少ないのでfortissimoでも良い13小節目と15小節目の2拍目でvorbereitをする。 これは次のb、とAsの音が揃わないからである。
16小節目の2拍目から4拍目はMozartbow、17小節目、19小節目のschleiferは、難しくって目下挑戦中なのだが、上半身だけの素早いmotion=こっくり、連獅子??を付けることによって少し出来た。
A=24の2ndの和音からBの柔らかいmezzostaccatoが瞬時に出来ないので勉強中
25小節目から28小節目の2ndの弾き止めの音が揃わない。25小節目後半26小節目の1stの弓は戻さない
29小節目の2ndとcelloの3度の音の響きに留意する。1stはピヨピヨの抜きが出来ないので、代わりにtrill(上からのtoriolenのtrillerである。)でそのimageを勉強させている。
30小節目から37小節目までは大幅なbowの変更をする。特に31小節目と34小節目の2拍目のMozartbowは今回は無しにして、ピヨ抜きでそのまま弱拍にする。
35小節目以降の1stのbowも同様の理由で変更する。
38小節目の1stの8beatのEsからBへの移動も出来ていない。
44小節目のPianoの右手のtrillはnachschlag(所謂、後打音)を持った長い2分音符の音を響かせる為のtrillである。音の持続を意味するtrillである。優美に滑らかにsachtに演奏しなければならない。
115小節目は少しゆっくり目で優しく演奏する。
118小節目は元のtempoで、また119小節目は優しめのtempoと繰り返して、122小節目からorchestraが入で、畳み掛ける。
122小節目からは、orchestraのあたかもpolyphonieの音楽の入り部のような、あるいはstrettaのような表現である。まず122小節目で、2ndのpartから入りが開始され、次の123小節で1st、その次の小節でcelloが入りを開始する。まるでoctaveのcanonの開始のようでもある。25小節目の4拍目で再び2ndから入りが開始され、同様に他のpartも続く。129小節目の4拍目も、同様である。
D=133小節目の1拍目は終止の音であるから、その次の2拍目から次の音型の入りが開始される。
2小節を単位として膨らましをするのだが、2ndは1小節遅れで、膨らましを開始するので、crescendo、decrescendoの交差が起こる。137小節目からは長いdecrescendoで140小節目で収める。
この曲でmasterしなければならない古典派の奏法は、事実上はここまでで、後は同じpassageの繰り返しになる。
2ndの181小節目からと、1stの184小節目からは、古典派の早いbowの所謂、syncopationのpassageが繰り返される。
syncopationという事で、新しいTechnikのように見えるが、しかし、実際には、基本的に古典派の早い弓とsyncopationの弓の弾き方は同じである。
ということで、以上で、この曲の諸注意を終わる。
(2014年8月7日長崎にて)
ーJ・C・BachのLebenslauf(生涯)ー
所謂、ヨハン・クリスティアン・バッハ(Johann Christian Bach 1735年9月5日 - 1782年1月1日) は 1762年に渡英した末、最終的にロンドンに定着して余生を送りHandelの後継者(す、す、凄い!!)として、有名になったので、ロンドンのバッハと呼ばれて、絶大な人気を博しました。
1782年の元日にロンドンで、突然、世を去りました。
(死因は今、調べ中です。)
Mozartに多くの影響を与えた事でも知られています。
1750年に父親の死後は、異母兄弟のC.P.E.Bachに引き取られました。
しかし、4年後(19歳?)には、密かにイタリア留学をして著名なマルティーニの下で研鑽を積み、1760年(25歳??)から1762年までミラノ大聖堂オルガニストを務め、ミサ曲やレクイエム、テ・デウムなどの宗教曲を作曲してイタリアでも大成功を収めました。
19世紀に入り、J.S.Bachの作品と生涯の研究が始まると、Bachの息子達をBachを祭り上げるスケープ・ゴードとして低く評価する傾向が見受けられるようになって、Bachの息子達は、その正当な評価を受ける事がなくなってしまいました。
しかし、生前は、Carl Philipp Emanuelも、Johann Christianも、父であるJ.S.Bachよりも、大きな評価を受けていた作曲家です。
よく、評論では、Johann Christianの作曲の傾向は、Mozartの作風に似ている・・・と書かれていますが、そりゃ、有り得ないよね??時代が逆さまで、Wolfgang Amadeus MozartがJohann Christian Bachに似ていた・・・つまり、影響を受けていたのですよ。
アハッ!・・・です。
Mozartの天才性の信奉者は、同時にMozartの独自性、originalityを主張します。
Mozartが偉大な作曲家である事を否定する人はいないでしょうが、もう一つの価値観の違いは、当時の作曲家にとっては、作曲、作品のoriginalityにその価値観はなかったのですよ。Haydn等やBachですら、他人の作品を自分の作品と勘違いしていたりしますからね。
Mozartも、当時の様式で作曲したに過ぎません。
つまり、J・C・BachとMozartがよく似ているのは、時代様式によるものだと言えます。
Mozartは1756年の産まれですから、年の差は、21歳になります。
Mozartの父親のLeopoldは、1719年の産まれですから、16歳違いで、Leopoldの方がJohann Christianに年が近いのかな??
ー奏法と時代様式ー
勿論、様式的に似ているという事は、その奏法も同じだ・・という意味なのです。
ですから、このJ・C・BachのCembaloconcertoを使用して、当時の時代様式の演奏styleを勉強する事も出来ます。
参考までに:J・C・BachのCembaloconcerto Op.7Nr.5 Es Dur T楽章の演奏法のlecture You Tubeの動画での解説です。
夏休みの宿題としての自主練習のために解説ビデオを作ったのですが、帰省先の家では、Wi-fiが入らなかったので、uploadをする事が出来ませんでしたので、東京に帰ってから、(夏休みが終わってから)・・・改めて、uploadしました。
どういうこっちゃ??
まあ、夏休みが終わったのは教室の夏休みで、学校の夏休みはまだ続いているからね!!
だから、練習は出来る・・って事だよ!!
このCembaloconcerto Es Durという曲は、J・C・BachがPianoQuartett伴奏付きのCembaloの曲、若しくは、orchestraのconcertoとして作曲した一連の曲集の中の1曲です。
という事で、Cembaloを含む4重奏曲として、室内楽の曲としても、よく演奏されます。
しかし、どちらかというと、この曲の作曲styleは、作曲技法的にはorchestraの方が、より効果的な感じがします。
今回、ひかりちゃんのconcerto・seriesとしてselectしました。
(ひかりちゃんのconcerto・seriesとして、・・・という意味は、ピアノのcurriculumの場合には、ensemble・programとしては、violinやcelloのように、orchestraのcurriculumではなく、先ず、室内楽のPianotrioで、私の子供の唄trio集から始まって、次にKlengel、その次はMozartやHaydn、或いは、HummelのPianotrioに進み、いきなりMozartのPianoconcertoの大曲に進みます。このcourseは、とても難しいので、比較的に初歩の段階から実際のPianoconcertoでcurriculumが出来るように、再度研究編集し直しています。
誰も試みた事の無い事にchallengeするのは楽しいけれど難しいし、お金も掛かります。
scoreが手に入ればluckyですが、手に入ったとしても、それは1冊辺り、最低でも、万の単位です。
それを数冊、注文して楽譜のcheckすれば、それで数十万は吹っ飛びます。
そんなお金は教室にはありませんし、もしあったとしても、それを税務署が認める分けはないのです。
教室は大学ではないのですからね。
だから、その経費は芦塚先生の個人負担なのですよ。
趣味なのですよ!!趣味!!
研究は、音楽教室でも、音楽大学でも、基本的に出来ないのよね!
何故??って??
誰もやっていない事を、研究したって、それを国の教育機関や研究機関が認める分けはないでしょう??
誰も、やっていない事には、価値観はないのですからね???
誰も理解出来ないから、誰もやっていないのよね。
そういう事については、理解も出来ないのよね。
堂々巡り???? アハッ!
kadenzについて
また、本来の楽譜に書かれているkadenzは、本来、pro用に書かれた楽譜なので、ひかりちゃんにはとても、難しいという事で、牧野先生から、kadenzを書くようにお願いされました。
下の楽譜は、Peters版のkadenzの入りのPageです。