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一人鍋用の土鍋がどうしても見つかりません。
つい、過日、使用して、何処かに仕舞ったのですが、歳は取りたくないもので、どうしても思い出せないのです。
多分、奥のガス台の下か、天袋の中ではないか??とは、思うのですが、もう、屈み込んだり、脚立に乗ったり・・するのは、億劫なのでね。



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grandpianoの買い替え

超昔々、私が未だ音楽大学に在学していた頃に、私が指導していた最初の生徒の一人で、proのpianistとして活動していた生徒がいます。
その人は、自分のgrandPianoを2年ぐらいのintervalで、新しいgrandに定期的に買い換えていました。
ヤマハの業者の人のadviceで、
「proの練習量だと、2年ぐらいで、Pianoのactionにガタが出るし、下取りの査定も、それぐらいの年月以降になると、価格に大きな差が出るから・・」という話でした。
その話を聞いて、まるで
「新車の下取りの話」みたいで、チョッと笑っちゃいましたがね。

時々、生徒から、
「Pianoが古くなって、音がキンキンして来たので、新しいPianoに買い替えたいのだけど??」と、相談される事があります。

つい先日も、
「買った時から、Pianoの音が気に入らないので、新しいPianoを探したいのだけど・・?」と、相談を受けました。
私が
「どういう音が好みなの??」と聴いて、「調律師の人を紹介するから、音の事、タッチの重さの事等を相談してご覧??それでも、音やタッチが気に入らなかったら、Pianoを探しに行こう!!」とアドバイスしました。
紹介する前に、予め、ある程度、その生徒の好みの音のsuggestを調律師の人にしておきました。
生徒の説明が上手く伝わらない可能性もあるからです。
いずれの例でも、
「Pianoが全く新しい楽器のように、見違えてしまった。」と、とても気に入ってくれました。

violinでもPianoでも、同じなのですが、楽器の性能は、maintenanceの善し悪しで、決まるのです。
私が調律師の人を決める時の、最低条件は、Pianoを製作出来る技術を持った人である・・という事です。
殆どの楽器店の調律師は、pitchを取る時や、弦を巻き直す時には、機械を使います。
確かに仕事としては、その方が早いし、見た目は綺麗なのかもしれませんが、楽器にとっては余り良いものではありません。

弦楽器の場合でも、しっかりとしたお店に行かないと、楽器をダメにされる事があります。
弓の張替えでも、violinの場合には、(celloは逆面になるので)弓の外側の張りを強くするviolin工房の人達がいます。
私の弦の友人に進められて、その工房で弓の張替えをして貰いました。
「僕が張り替えると音に張りが出るんだよ!」と自慢げに話をしていて、確かに、弓の音が強くなるので、結構、音大生で、その人のフアンの人が多いようです。
音大生ならば、それでも良いのでしょうが、私の弓や、先生達の弓は、少し高価な弓(Frenchbow )なので、私は次の日に慌てて行きつけの楽器店に行って、毛替えをし直して貰いました。
そういった、毛の張り方をすると、大切な弓がねじれてしまって、折角の、健康な弓が病気になってしまうからです。

江古田教室のPianoは、音大生が自宅のサンルームのような場所に置いていたPianoで、殆ど弾いていないだけでなく、日差しの強い場所に置いていたので、塗装にみっともなく傷のようなヒビが無数に入っていて、買い替えの時に、ヤマハの人が
「余りにも状態が酷いので、ヤマハとしては下取りが出来ないのですが、芦塚先生、申し訳ないのですが、運送費だけでも良いから・・引き取って貰えませんか?」と、相談を受けました。

丁度、留学から帰って、1年程、郷里の長崎で休養をして、再び東京に上京して、一人暮らしを始める頃の話で、借り入れた江古田の部屋には、grandPianoが無かったので、
「じゃあ、1万、2万じゃあ、悪いので、16万円で引き取りましょう。」と言って、2階上げも入れて、15万で引き取りました。
ヤマハの人が
「それでは申し訳ないので・・」と言って、気は心で、1万を引いてくれたのです。

確かに、やって来たPianoは、素人さんが見ると、音もじゃらんじゃらんしているし、塗装も傷だらけで、とても酷いもので、売れたものではありません。
下取りをしたとしても、ちゃんとした修理をしようとすると、それこそ修理代で、ヤマハとしては損をしてしまうでしょうね。

しかし、傷だらけの塗装のcheckして見ると、一度も塗装に磨きをかけた事がないものでした。
Pianoの塗装は、コンパウンドならば、3回までならば処理が可能です。でも、一度もコンパウンドを使用した形跡がないので、
「それならば・・」という事で、よく調律師が、汚れた塗装に使用するピカールという研磨剤を使って時間を掛けて丁寧に磨きました。

actionの方は、Bosendorferの調律師のライセンスを持った人を呼んで来て、丁寧に二日に分けて、maintenanceをして貰いました。
後は、Pianoをよく弾き込んで、キンキンした音が、まろやかな優美な音になるまで、音のtraining(整音)をしました。
見違えるように、綺麗になって、美しい音を出すgrandPianoを見て、皆さん、
「このPianoを15万で買った!」と言うと、誰も信じられない・・という顔をしていましたよ。
かかった費用も、調律代だけの微々たるものです。
たった、それだけで、状態の良いgrandPianoに代わってしまうのですからね。

人間の場合
しかし、人間の場合には、そうは行きません。
他所の先生に変に教育された生徒が教室に逃げて来ても、そう簡単には、良い状態になる事はありません。
教室のメトードで上手になろうと思っても、一度身に付いた癖はそうそう治るものではありません。
という事で、私は
「その先生に師事していたと同じ期間は覚悟しなさい!」といつも言っています。
しかも、私への信頼が崩れると、一瞬で元の木阿弥で、元に戻ってしまうのですから・・・ね。

産まれて子供の内から私に生徒であった子がいます。
しかし、その生徒が、他所の教室(先生に師事している)友達の発表会に行くと、日本流の演奏になってしまって、まるで他の先生のlessonを受けたかのような状態になります。
「他の先生からlessonして貰った??」「いえ、そんな事はありません。」てな具合の繰り返しです。
チョッとでも、指導の手を緩めると、直ぐに日本流の演奏になってしまいます。
日本型の学業を中心に勉強をして来た生徒なので、致し方ありません。
困ったものだ!!


日本に帰国して
「初めて教えた子供」なのですが、コンクールの審査員をする先生が、私が「生徒を探している」という事を聞いて、自分の生徒で、4年生、5年生のviolinの姉妹二人を、私に放出してくれました。
学生コンクールに出場するためにその先生の元に通っていたのですが、どんな頑張っても、予選も通過出来ません。
・・という事で、審査員でもある、その先生に見放されてしまったのです。

私は、
「proの伴奏者を雇うのなら、1位、お母様が伴奏するのなら、2位にしかならないのだけど、どうしますか?」というと、「もう、子供の伴奏をする機会もないだろうから、伴奏したいです。」と、言われたので、お母様の伴奏で学生コンクールに出しました。

当然、お姉ちゃんが2位、で妹が3位になりました。
審査をしていたその先生は、
「この子達、こんなに上手に演奏出来るのなら、・・・コンクールに入賞出来るのなら、放出しなければよかった!」と、残念がっていました。
当時は、未だ子供達を教えていなかったので、コンクールが終わった後で、その先生に返してあげました。
先生も生徒も、結構喜んでいたので、よしとします。
「何故、私がそのまま指導しなかったのか??」って??
それは、親も子供達もコンクールに入るのが目的で、私の指導を受けたからです。
だから、コンクールに入ったら、元の先生が自分達を認めてくれたので、それで良かったのですよ。
コンクールに入賞して、その先生に対してのメンツも立ったので、元の先生の所に大手を振って戻る事が出来たのですよ。

元の先生は、私とは違って、ネームバリューもあって、ステータスもあるからね。
人との縁(えにし)は、そんなもんですよ。


ホロウィッツやミケランジェリのような大pianistは、自分の古ぼけた何十年も使用したPianoを、どこのコンサート会場にも持って行きます。
新しいPiano等には、見向きもしません。
気に入ったbaseとなるPianoさえあれば、それを元にして、自分専用のカスタムメイドのPianoに仕上げて行くのですよ。

violin等の弦楽器に至っては、新作よりも、ボロボロで傷だらけの古ぼけたviolinの方が、目玉が飛び出る程、超、高価です。
うん千万クラスなら、安い方で、高いviolinは、億が単位です。
私が触った事のある一番高いviolinは、27億円のStradivariです。

でも、古ぼけた楽器だから、値段が高くなる分けではありません。

Stradivariが制作されたその当初から、良い楽器は高価だったのです。
それに多くのviolin工房の楽器をmaintenanceする人の手が掛かっています。
でも、そのStradivariの生涯の中で、たった一人の下手な技術の腕の悪い職人がいたとしたら、その数十億の楽器も数百万迄、いやさ、真面目に数十万円まで、値段が下がってしまうのですよ。

それは、楽器が(使用をするという・・)機能性を持っているから・・という意味ではありません。

絵画でも同じ事なのです。
数億もする名画でも、ヘボ修復師の手を経てしまうと、二束三文のペンキ絵になってしまうのです。

楽器はPianoでもviolinでも、(勿論、celloでも)優れたmaintenanceが出来る工房があって、始めての話です。
自称演奏家を気取っていても、優れた調律師を持たなければ、ちゃんとした演奏が出来る分けはありません。
尤も、幾ら優れた技術を持っていたとしても、悪い先生に付いてしまうと、今まで10年、20年掛かって積み上げて来た技術でも、一瞬で無に帰してしまいます。

もし、音楽を目指す人が自分の恋人を選ぶのならば、その恋人は、尊敬出来て、常にその人から学ぶ事の出来る・・恋人でなければ、なりません。
何故ならば、人は、自分が付き合っている友人や恋人のNiveauで、その人自身のNiveauが決まるからなのです。
その人の事が分からなければ、その人の友人を見れば、その人が分かります。
人間は、属している水準で、その人の意識が分かるのです。

教室は今は受験のシーズンです。
受験のシーズンともなると、音楽の専科生だとしても、平気で、勉強に専念して1月ぐらいは平気で親も本人も休みます。
勘違いの最たるものは、水準を上げるという事は、時間を掛けて努力をする・・という事です。
しかし、私の考え方は違います。
歴代の受験生が勉強に専念したために、受験に失敗して、浪人の時には、内緒で教室でオケに参加したり、lessonを受けたりして、試験当日でも、休む事はありませんでした。勿論、合格したのですよ。

受験生にとって、一番大切な事はその生徒のNiveau(水準)なのです。
音楽は趣味でやっていたとしても、その水準は(専科生であれば)中学生の時点で、既に、音大生と同じ水準になっています。
それを、捨てて、学業に専念するという事は、自分で、学業の水準まで落とす事になるのです。
でも、音楽の水準を受験の時でもキープするのならば、勉強の時間を音楽の練習のために奪われたとしても、音楽の水準に近い学業の水準を保つ事が出来るのです。
でも、それは一般的にはとても信じて貰えません。
芦塚メトードは、一般の人達には理解不能なメトードなのですよ。




どのように、素晴らしい楽器であったとしても

実は、このたび、生徒さんの結婚式に行って来ました。

   

Facebookからの転載です。

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