記憶について


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まえがき

人間はどうして忘れるのか?

忘れるためのmethode

記憶のメカニズムについては一般的には次のようなことが言われています。

子供達へのお話・・・「うる覚え」

「映像記憶」

「ケンプ先生の記憶法」

芦塚メトードの記憶法

ビットによらない一般の記憶法

子供達へのお話・・・勉強の仕方@

勉強の仕方A

外国語の覚え方

勉強は机に向かってしてはいけない

まとめ

あとがき

記憶について :追加

記憶法について2、(記憶とは、思い出す訓練)

陸軍中野学校のお話し

記憶(暗譜)とは、習慣である





まえがき

よく「年をとると物忘れが激しくなる」と言われます。

まず固有名詞が思い出せなくなり、次に普通名詞、そして副詞・・・・。
一般的には、年をとれば記憶力が失われていくのが当たり前のように思われています。

・・・・ですが本当にそうでしょうか?

いいえ、それは違います。

記憶力とは加齢によって失われるものではありません。
むしろ、失われていくのは、人生に対しての興味、人や物に対しての興味なのです。
だから、いつまでも仕事で忙しくしている人達には、記憶の減退や、ボケはありません。
物忘れや、人の名前が覚えられないのは、私の場合には高校生の時からですから、その頃から、加齢が始まっていたという事なのかな??アハッ???


よく私が子供たちにいう言葉があります。
それは
「物は使えば使うほど消耗して行くンだけど、使えば使うほど良くなっていくものが唯一つだけある。それは君の脳なのだよ。」ということです。

地方には「あまり幼いときに脳を使いすぎると、大人になってから、逆に馬鹿になってしまう。」という馬鹿げた迷信がある地方もあるようですが、それには何の根拠もありません。
子供は適当に馬鹿な方が可愛い・・(つまり、子供はいつまでも子供らしく・・・)という、大人社会のエゴでしょうかね。
昔のことわざに、「三つ子の魂百まで」ということわざがあるように、3歳、4歳で学んだ事がその人間の人生を決めるのは事実です。


また、子供の内から勉強をし過ぎると、脳を過剰に使用し過ぎて、使用出来る脳が無くなって、馬鹿になってしまう・・とかいうお話は、全く、お笑いで、根拠のない話です。
それは、脳の構造や発達段階を全く知らない人の言うことです。

もし仮に(人間が全く睡眠を必要としないと仮定して)人間が24時間寝ずに勉強を続け、脳をフル活動させ続け一生を過ごしたとしても、脳全体の1/4しか使いきれないのです。
殆んどの人は自分の脳の3/4は全く使わないまま死んでしまいます。

年をとって物忘れがひどくなるというのは、老化に伴って脳細胞が死滅することによって起こります。ですから、死滅しそうになった脳細胞に記憶された情報を未使用の脳細胞に写し替える(記憶しなおす)作業をすれば物忘れはなくなります。

アルツハイマー症のような起因性の病気でない限り記憶力の低下はむしろ人生や物事に対しての新な興味や感動が失われ、記憶をしようという意欲が削がれることによって起こるのです。
言い方を変えれば、新鮮な興味や感動を持ち続けている人は、80、90歳になっても記憶力が低下することはありません。
ある国会議員のように、・・・意識的に自分に都合が悪いことを忘れようとする人は別ですが。

「それは、記憶にはありません!」
それ以外の事は、完璧に覚えているのにね。
いや、不思議だ・・・!!!アハッ!
都合の悪いことは、忘れるようになったら、本当に人生は楽なのにね。



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人間はどうして忘れるのか。      

人間は1/4しか使いきれないほどのキャパシティーをもった脳を持っていたとしても、「忘れる」ということがなされずに、例えば日常の全てのことを記憶していったとすれば、その記憶量は膨大なものになり、あっという間に記憶の量が脳の持つ容量をオーバーしてしまい、パンクしてしまいます。
その為に人間の脳は、自分にとって必要な記憶と、必要でない記憶の「識別」を行います。
自分が見た物、聞いたもの、触ったもの、匂ったもの、味わったもの・・・全ての情報に対して自分にとって大切だと思うものだけをチョイスして記憶しているのです。
「じゃあ、どうして一生懸命覚えようとしているのに、学校の勉強は覚えられないの??」
それは、当たり前のお話です。
一生懸命の意味が違うのよね!!
学校の勉強が好きではなくて、成績を上げるという必要に迫られて覚えようとしているのに過ぎないので、潜在意識的には、本当は覚えたくはないからですよ。

芦塚メトードでは、「人間が必要とするのなら、それは100%完璧に覚えられる」という法則に従っていますが、芦塚メトードの必要絶対条件は、「それを潜在意識的に100%望むのならば・・・」とか、「それをDurst(渇望)するのならば」、という条件を満たす事が出来れば、それは100%叶えられるのですよ。

人間は自己の「無意識」に支配されています。
幾ら必要であったとしても、無意識がそれを
「嫌だ!」と判断するのなら、その記憶は嫌な、不必要な記憶として処理されるのですよ。
但し、コンピューターと同じで、記憶から消去される事はありません。脳の奥にしまい込まれるだけなのです。つまり、無意識の潜在意識となって行くのです。

だから、学校の勉強を全然覚える事が出来ない女の子が、テレビのアイドルの少年達の名前を驚く程、パーフェクトに記憶していますし、また、彼氏の事になると、滅茶苦茶、詳しいのですよ。

私は、可愛い、少女アイドルやスターは、顔は比較的に正確に思い出せるのですが、何度、聞いてもその名前を絶対に覚えられないのですよね。
いや、不思議だ!!

学校の成績では、ビリの生徒が、家庭教師等で、素晴らしい先生に巡り合って、その教科の面白さが分かって来ると、何の努力もなく、アッと言う間に、学校の成績がトップになってしまうのですよ。
勉強が出来るようになるには、なんの努力もいらないのですよ。
ひょっとしたら、その家庭教師の先生の教え方が上手かったのではなく、イケメンだっただけかもしれません。

それでも、女子力で、その先生に認められるために、成績が一気に上がったりする。
中、高生なんて、そんなもんですよ。
学力を上げるのには、勉強なんて必要ない。
しかし、それが一般の人達には分からない。
「勉強は努力の結果だ」と、思い込んでいる。
阿呆らしい・・・!!



この人間のselectのお話をもう少し、根源的にしましょう。

例えば人間の聴覚ですが、人間の耳は聞こえてくる色々な音の中から自分の興味のあるものだけを無意識に選別して聞き出しているのです。

もしそこに「識別」が行われず、全ての音が同じように聞こえるとどのようになるか。
それに近い状態を、私達は機械で作り出す事が出来ます。
それは、録音機器を使用して、360度の無指向牲マイクで周りの音を録音する事です。

時計の針が動く音や、ページをめくるときの紙の音、布ずれの音その時には気づかなかった遠くの子供の泣き声や、車の音等々、私達が、普段、聞こえていなかった音や、意識もしなかった意味の無い音が、思いのほか、やたらと大きく聞えていることが分かります。
無指向性のマイクがない場合には、マイクを天井に向けて周りから音が入らないように、マイクの周りを囲むとインスタントの無指向性のマイクが出来ます。
実際に、自分が注意して聞いていて、その後で、録音の音を聞くと、余りの違いに驚いてしまいます。

でも、この事は、本当は別に、機械や高性能のマイクを使用しなくても、肉体の訓練で、ある程度は体感する事は出来ます。

私が体感したおもしろい例があります。
若い頃は、ある時期には、座禅の道場に通っていました。
座禅をして、ぼんやりと何にもとらわれず、何も考えていないという状態になったときのことです。
周りの音が無指向牲マイクと同じように聞こえて来たのです。
普段は、絶対に聞こえるはずのないようなお線香の灰がおちる音が、「ボタッ」と非常に大きな音に聞こえて来たりするのです。  

こういった感覚は、非日常的な感覚で、非常に不思議な感覚です。
人間は、普段、無意識に、そのような、音の洪水の中から、自分に興味のある音や、その人が気になる情報だけを常に選択して取り出しています。
その束縛を離れた時、本当に日常の周りに溢れている音を聴く事が出来ます。

これは、音に限ったお話ではないのです。
つまり、匂いや、味、触覚等の五感の全てを、常に自分の必要な情報だけを、無意識にselectして、感知しているのです。


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