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11.練習番号の意味

私達の教室では、まず曲に練習番号をつけます。市販の曲でも、orchestraの楽譜や室内楽、ヴァイオリンの伴奏譜等には練習番号のついた楽譜が多いのですが、残念ながらその練習番号には整合性がありません。ただ校訂者の主観で練習番号が付けられる事の方が多いのです。

私は、まず四角つきAとか、(子供の場合には四角つき「あ」だったり)で一番大きなグループ分けをします。ソナタ形式などでは、提示部をAにして、展開部をBにして、再現部をCにして、コーダをDにすると言う具合です。提示部のAの中で、更に第一主題とその展開をA-1とし、第二主題をA-2とします。提示部の終結部がA-3になります。以下展開部や再現部も同様にグループ分けをします。次には、A-1の中をthemaの提示とその転回でまたグループ分けします。

A-1-あ、A-1-い、と言う風に、後は何処まで必要かというlesson上の都合になるので、更に細かく分けたければ、①とかⓐとかいう風にしていけば良いのです。再現部は全く提示部と同じ部分は新しく練習番号をつける必要はありません。またA-1で良いのです。で、全く同じで調が違ったりするものはA‘-1と言う風に[’]などで表せばよいでしょう。

この練習番号のつけ方は楽曲の形式から来るものなので、練習番号に必然性があります。ですから先生が感情的につけている練習番号と違って、誰がつけても同じ練習番号になりますので、レッスンの中で、折に触れてかんたんな曲から、練習番号の付け方の指導をしている生徒は、自然に正しく練習番号をつけられるようになります。練習番号をつける勉強をしているようで、音楽形式の勉強をしているのです。此処にも「一つの勉強で幾つかの成果を」という芦塚メトードの方法が働いています。

 

12.練習の順序

暗譜のお話とはちょっと違うように思われるかもしれませんが、抜き出し練習のことなので、暗譜にも直接関わってくるので敢えて、ここでも書いておきます。一般的には譜読みは楽譜の最初から順番にさせているようですが、普通どのような曲でも一番の盛り上がった難しい箇所は、曲のちょうど真ん中あたりと、終盤のコーダやその前あたりだと思います。ですから、曲はページ順に練習していくと最後の一番難しいところが、一番練習量が少なくなってしまうのです。私は発表会が近づいて子供達が譜読みの曲がなくなってきた頃、曲が弾けるようになって仕上げに入った頃に、次の課題曲の一番難しい部分だけの譜面をコピーして渡します。そして曲としてではなく、phrase的にばらばらにして、分析的な練習をさせます。その課題にしたがって、スキップ練習がよければスキップを30種類ぐらい作ります。指使いが難しいようだったら、通常5,6種類の指使いを練習させます。所謂、変え指です。ヴァイオリンの場合などは数種類の異なったbowingの練習や、異なったpositionの移動、等を徹底的にします。発表会が終わって、大体、そういった機械的な抜き出し練習が終わった頃には、難しいところは難なく弾けるようになってます。(難しいところには、それ以外の箇所の要素が全て入っているので、当然簡単に弾けるようになっているはずなのです。後は、技術的にはもう簡単になってしまっているので、直ぐに暗譜で表現のlessonに入る事が出来るのです。

 

13.暗譜の確実性

暗譜は反射なので間髪をいれて思い出せなければ、記憶しているとはいえません。時間をかけて「よく思い出して御覧なさい。」とか言ってしまうと、アナログ式の記憶法に変わってしまいます。

また、教育論文にも書いたように、単語を20回書いても50回書いても無意味です。(それこそ儒教的な日本型の無意味な記憶法です。)

物事を覚えるのは1秒しかかりません。目に思い浮かべてぱっと写真を撮るように目の中に焼き付けて、それを焼き増しした写真のようにはっきりと思い出せれば、記憶としては完璧です。もしも思い出して記憶がぼけていたら、何処がぼけていたのかを把握させる事が大事です。日本の教育のように「思い出せなかったら、よく思い出してごらんなさい!」よく考えなければ思い出せないような記憶では、社会では役に立ちません。社会で必要な記憶とは正確で迅速な記憶だけです。

子供が思い出せなかったときに、楽譜を見せて良い時間は1秒~3秒以内です。それ以上見せたとしても、時間の無駄です。それで視覚的に記憶できなければ、その前のstageの段階です。

 

 

14、まとめ

何気なく指導しているように見える、私達のレッスンですが、暗譜一つにしてもそれだけのメトードの上に立ってレッスンをしているわけです。ですから生徒は暗譜が苦手にはならないし、忘れるという事に対しても、不安感はありません。しかし逆に言うとそれだけのメトードを覚えて理解しなければならない先生にとっては並大抵のことではありません。音楽を最初から私達の教室で学んで育ってきた先生ならば、「出来ない。」ということ自体が分からないくらいに当たり前の事なのですが、音楽大学を卒業して教室に来た先生にとっては、教室で学ぶ全てが、カルチャーショックとなってしまいます。