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音楽の勉強も充分子供にとっては、厳しく辛い、たいへんな勉強なんだけれどね。
先生が一つ一つの技術に工夫を凝らして、楽しく教えているだけなのですよ。
楽しく教えられるようになるためには、先生はとても大変なのですよ。
他所の教室では、泣き喚いている子供を強引に引っ張って教室に連れて行く、なんていうのは当たり前なんでしょう?

それを芦塚メトードでは親の子供に対して与える「選択権のない条件」と呼んでいます。

 

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日本の音楽教育

 これによく似た有無を言わせない指導法の例は、一流演奏家のレッスンなどによく見られます。

生徒に指導するときに、「こう弾くのよ!」と言って、ただ猛然と弾きまくります。
生徒はその迫力に圧倒されて、
「さすがは私の先生だ。」と感心して、何を指導されたかも全く分からないままに、それでレッスンを受けた気になって満足して帰ります。

そこに次のような、潜在的命令が存在していることに気付きません。

Step1.私は一流の先生について勉強している。 

Step2.一流の先生を乗り越えると、先生は一流でなくなる。

           (先生は乗り越えてはいけない存在である) 

Step3.先生の教えはよく分からない。 

Step4.でも一流だから(分からないから)素晴らしいに決まっている。

Step5.分からないから出来なくても当たり前 

            (一流がそんな簡単に出来る分けが無い)

出来ないと言う事を前提に勉強していて、出来るようになるわけはないのですがね。 



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曲を弾いて指導する先生

曲を生徒に弾いて聴かせるという指導方法には、大きなリスクが付きまといます。 

何故ならば 

1.雰囲気だけで、何となく真似をしたり、

2.悪い癖もいっしょについてしまって、逆に癖を取ることに時間がかかってしまったり 

3.パールマンなど超一流の演奏家と呼ばれる人でも不得意の技術があって、他の演奏法(テクニック)で代用して弾いたりすることがあります。ましてやそこいらの・・・etc.です。

別のページにリンク(ホームページ:曲を弾いて教える先生) 

 

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日本流の日本でしか通用しないメトード

日本のバイオリンを学ぶ生徒達が、外国の一流演奏家達に公開講座を受ける度に、必ず注意される弾き方があります。一体どの先生が病原体なのか、**大学の生徒も****コンクールの生徒も、あまりにたくさんの生徒達が同じ様な弾き方をして、その都度日本に来るたびにその奏法の誤りを指摘しているのにもかかわらず、20年経っても30年経っても治らないので、ベルリン・フィルのシュバルベ教授などは、とうとう癇癪を起こされて、「BowのAIDSだ。」と諦めがちにおっしゃられていました。 

アメリカの国民的バイオリンニストであるアーロン・ローザント氏に到っては「そんな弾き方をしていて、あなたは気持ち悪くないのですか。」と講座に出演している生徒にバイオリンを弾かせず、音を出す基礎のお話ばかりされていました。 

「そういった弾き方は日本人だけの悪い癖だ。」と・・・・。

そういう話が出たからといって、シュバルベ先生やローザンド氏の公開レッスンを受講した人はレベルの低い普通の音楽大学生ではありません。有名音楽大学を一番で卒業したり、日本のコンクールで一位入賞した人達の集団であるから、問題は深刻なのです。

つまり、日本が音楽教育に望む事と、世界のトップの音楽家の人達が望むものとは、音楽に求めるものが違うのです。それを、日本人は明治時代の音楽事始の時代から今日まで、全く認めようとしないのです。 

 しかし、不思議なことに、主催者側の*****協会の会報には、シュバルベ先生達がいつもおっしゃられている、日本の教育の矛盾点、その事だけには少しも触れられていません。 そして現在もなお、たくさんの音楽大学生が何の疑問も抱かずにそういった弾き方をしています。

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夢をかなえるには

 話がちょっと横道にそれてしまいましたが、いろいろな意味で人間が常に潜在意識によって左右されていることは周知の事実でありましょう。 

潜在意識に人間が打ち勝つためには、自己を正しく見つめることが必要なのです。 

 

 まして子供は愛を体に感じて成長していく生き物なのです。 

 

 その大切な『愛』を、『信用』という言葉とすり替えてはいけません。長い人生の中で、何度失敗しても良いではないですか?小さな子供の内から100%失敗しないで大きく育ってきた大人は、逆に人間として恐ろしいと思いませんか?挫折を知らない人に思いやりの心が育つわけはありませんよね。偉大な発明や仕事は、みんな失敗から学んできたものなのです。失敗を如何に生かすかそれが大切です。(ホームページ参照) 

 ましてや、「自分の子供だから、そんな事が出来るようになるわけがない。」などと、自分の子供を否定してしまうような、情け無い・・・親失格の言葉は絶対に言ってはいけません。
あなたがそれを今出来ないのは、あなたの子供時代の成長期に、そういった環境が周りに無かったからだけなのですから。 

 

「目的を達成する。」ということは、比較的簡単な事なのです。 

っまり、条件さえ揃えばよいのです。 

1.「夢」の正しい把握 ・・・・・・・・・⇒より具体的に! 

2.目的までの正しいシナリオを書く。・・・⇒無理のないように! 

3.正しい方法で・・・・・・・・・・・・⇒回りに惑わされないように! 

4.諦めないで・・・・・・・・・・⇒諦めたらただの挫折に成ってしまいます。 

 それぞれのページにリンク

「目的を達成する。」ということは、上記の注意事項を正しく認識出来たか否かにあります。 

 一番の「夢」の正しい把握と言うことは、殆どの人達が抱く夢は、「在りもしない事を目的にする。」と言うことが、よく在るからです。 

 例えば、女の子の「将来なりたい職業」という調査をすると、必ずと言っていいほど、夢の中に入ってくるのが『花嫁さん』です。
こういう風に答えるのが、幼稚園児であるなら可愛らしくって、なんの問題はないのですが、なんと女子大生達の中でも、こう答える生徒がいますから問題です。
「では主婦になりたいと言うことなのですか?」と聞き返すと、小学生から大学生まで一様に「主婦にはなりたくない。」という答えが返ってきます。
ちなみにアメリカやヨーロッパの子供たちに同じ質問をしても、
『花嫁さん』と言う答えはあまり返ってきません。(主婦という答えはごく稀に返って釆ますが。) 

 

 同様にピアニストやバイオリンニストという職業や、作曲家という職業も誤解されて受け取られている事が多いようです。 

 音楽を学ぶ人達にとって、「音楽での職業は何か?何になりたいのか?」と聞くと、殆どの音楽大学生が「ソリスト!」と答えます。
しかし、ソリストで飯を食っている人は世界中でも10指に過ぎないでしょう。
日本人の中でソリストとして世界に認められている人と言えば、小澤征爾さんだけでしょう。

自分でコンサートホールを借り切って、1年に1,2回の演奏会をしたからといって、ソリストに名を連ねられるわけではありません。
所詮はアマチュアに過ぎないのです。
このこともホームページに詳しくくどくどと書いていますので、そちらの方を読んでください。

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夢の正しい把握

作曲家という職業は、ポピュラーや流行歌の世界では、億万長者がいます。日本の古賀正夫や外国のフランシス・レイや等々の作曲家の人達です。しかしクラッシックの世界では、かの有名なストラビンスキーやメシアン、ジョリベという歴史に名を残すメージャーな作曲家ですら作品のみでは食べて行く事は出来なかったのです。オーケストラで棒を振って指揮をしたり、評論を書いたり、マスコミで働くか、大学に勤めるかで収入の大半を得なければなりません。 

 それはピアニストやバイオリンニストにとっても、大差無いところです。普段は練習の合間に生徒を指導したり、(私も教室を作る前はよくやりましたが)地方の先生方の生徒を集めて、公開講座などを開いたりします。どんな有名な演奏家でも、地方回りでは、本当に小さな(個人の家みたいな)所で弾かされます。いま『どんな有名な演奏家でも』と言いましたが話は逆で、コンクールなどで少し有名になったような人達は、プライドが高くてそういう所では演奏することがなく、次第に忘れ去られていきます。日本のピアニストの中でリーダー的な存在である、中村弘子さんや神谷育代さん、清水和音さんなど、地方のどんな小都市でも、(ピアノがアップライトしかなかったとしても)演奏したり、指導したりして回っています。『有名になる』ということは、そういった地道な努力の結果であるということができます。 

 

 

また地道な努力ということで、プロを目指している音楽家の卵達に、特にいつも繰り返し話していることがあります。
それは、コンクールなどで一端有名になった人達の話です。 

実際に、私達が長いこと音楽の世界にいて、分かってくる事があります。それは、コンクールに入賞した人の大半が、そのままproになる事もなく、忘れ去られて行くということです。
これは、日本のコンクールだけではなく、驚くことに、ショパン・コンクールやチャイコフスキー・コンクールなど世界一級と呼ばれるコンクールにおいてもしかりなのです。
ショパン・コンクールやチャイコフスキー・コンクール等の合格者の名簿を見てみてください。
どれだけの人を知っていますか?
合格者の殆どの人を、誰も知らないはずです。 

 

ピアニストやバイオリンニストの一人一人を見つめていると、面白い事に気付きます。

アイドルチックなスターになるには、「若い」と「美人」であるという条件が必要です。
コンクールやプロモーションによってスターダムに一気に駆け上がって、有名になってテレビやイヴェント等でなど活躍します。
美人というよりも、女性(feminine)という、所謂、お色気を売り物にする音楽家もいます。
それはそれで、ある程度は人気もあるのですが、私にはあまりそういった関心はありません。
お色気なら、もっと別のgenreで鑑賞した方がいいからです。
しかし、不思議な事に、その人達が、その「若い」と「美人」という条件を満たさなくなった頃、(30~33才位の頃)から、別の人達が名前を出し始めます。
若くもなく、別に美しくもない?(こりゃ失礼!?)
要するに、そういう若さと女性を売る必要のない実力派の人達という意味です。
そういう人達は、テレビでアイドルの真似事などもしませんし、お色気を売りにする事もありません。。
所謂、実力派なのです。 

それを、私は「33歳の壁」と呼んでいます。 

勿論、33歳の壁というのは、あくまでもproを目指している人達の話であって、少女の思春期症候群のように、女の子が初潮の後で、成績やPiano等の技術が衰える思春期の時の話と同じで、普段から、普通に遊んで塾に行って、まあまあPianoの練習もしているような、人達には、その思春期症候群は起こらないのです。
ダイエットなら、50kgの人が、55kgになってその体重を戻すのは大変でしょうが、100kgの人が90kgに戻すのは、それほどでもありません。

それと同じなのか、反対なのか知りませんが、常時100%で勉強している人が、思春期症候群になって80%になると大変ですが、70%が50%になっても、殆どの人は分からないでしょうね。

たくさんの人達を感動させる演奏を、たかが20歳ぐらいの小娘が、本当の意味で表現出来るとは、思いませんし、やはり鬱々コンサートには、ある程度のsymbthyを感じるだけの、年齢と心の豊かさが必要なのですよ。
技術だけを、磨いて、心の豊かさを求める事がないと、音楽はcheapなものにしかなりませんよね。


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夢までの正しい道

二番目の『目的までの正しいシナリオを書く。』と言う事は、現実を正しく見つめるという事から導き出されます。
誤った認識や、世間の言葉に惑わされていては『正しいシナリオ』は書けません。
世間の一般的な常識ほど、誤った考えに基づいたものはありません。(子供へのadviceより「夢の正しい持ち方」:ホームページへ)
そこのところを正しく認識できる事が本当の正しいシナリオを書けることになります。
そこから、一般大学へ進むコース(音楽を趣味として)と、音楽大学などに進学するコースと、所謂演奏家になる道が別れていきます。 

 

ずっと以前、私がまだ一般の受験高校に在学していた頃の話を書いたことがありました。 

学年主任の先生が「例え、音楽大学であったとしても、高校までの授業を真面目に受けたなら、ちゃんと合格するはずだ。大学というところは、小学校から高校までのカリキュラム以外の問題は出題する事は出来ないのだから。」と非現実的な事を、平気でおっしゃられて、音楽大学を受験しようとしている私としては、とても困ったと言う事がありました。

高校の音楽の先生と、クラス担任の先生が、結構、音楽に造詣(ぞうけい)が深かったので、その先生方が、いろいろと骨をおって学年主任の先生に掛け合って頂いて、一応は、事なきを得たのですが・・・、先生達の無理解は大変でしたよ。 

 この受験高校の学年主任の先生は、きっと一度も文部省の指導要録を読まれたことがなかったのでしょう。現実の学校教育とは、懸け離れた、非現実的な、夢物語の話が書かれているのですよ。
実例を上げると:現在のカリキュラムは、
小学四年生で、和声学に対する理解と知識: 

五~六年生で弦楽器を弾けるようになること:
中学では和楽器に堪能になること:
などなど書いてあります。

確かにその通り勉強出来れば音楽大学など問題ないでしょう。 
でも音楽大学はあくまで専門学校なのです。
音楽は子供の時からの積み上げを要する専門職なのです。
そんな簡単に学校教育と並行して、音楽大学に進学出来る程の、勉強やcurriculumがこなせる分けはないのですよ。
その先生が学年主任という役職を担当するのならば、その知識は非常識極まりない・・と言わざるを得ません。

 
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音楽大学と高校受験

親は子供に音楽を勉強させながら、「もしも子供が音楽の勉強で挫折したら、つぶしが利かないのではないか?」と考えて、リスクの対策として塾に通わせたりします。
しかし、通常音楽大学に幾人もの生徒を送り込む実力のある教授達は、生徒を音楽大学に進学させる条件として、生徒がいくら《ピアノやヴァイオリンなどの音楽上の技術が優れていたとしても》生徒の親が子供を塾に通わせたその時点で、その生徒の音楽大学への進学は無いもの(趣味)として扱います。

それが音楽進学の、一般常識であり、それこそ、当たり前の話なのです。

音楽大学進学は親が考えているほど、(一般の勉強と平行できるほど)楽なものではありません。

通常(あくまで一般論としてですが)は東大を受験するよりも、芸大を受験する事の方が数倍難しいといわれています。

音楽大学受験のための教科も、一般の父兄の人が多分ご存じないようないろいろな科目があって、主科の他に、プライベートで先生について、何年もいろいろな教科の勉強しなければなりません。しかも、各音楽大学で、受験に必要な教科がそれぞれ違っているために、最初からある程度は進学する大学の傾向にあわせて勉強をしていかなければならないのです。(音楽大学進学についてホームページ:リンク:)

 

私達の教室も、生徒や親の希望で音楽大学受験が決まると、教室も受験体制でピアノ(実技)の他に理論やソルフェージュなどの勉強を指導します。その段階でその生徒が傾向としてはどの音楽大学に向いているのか、或いは技術レベルは充分に受験までに間に合うのか、と言った話を父兄や生徒さんと直接説明しますが、その段階で父親が担当の先生に相談に見えられるケースは少ないようです。

それどころか、素人の一般的な風評で「音楽大学を受けるのなら、大学の先生につかなければならない。」とか言う、所謂、赤提灯・レベルの話で、勝手に音楽大学の先生に先生を変更したりする人もいます。

今の今まで、子供の音楽に対する勉強を見守ってきたわけでもないのに、今までついていた先生に一言の相談もなく、受験と言う事だけで、先生を変えてしまう、と言う暴挙に出られる人もいます。それで、結果が出れば良いのですがね。


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留学したいのなら音楽大学に進学するのは無駄!

私達の教室では、音楽大学に進学するか、留学したいのか、それともプロになりたいのかで、勉強の仕方が変わります。コンクールを受けたり音楽大学に進学したりするには、そういった、日本型の教育をしなければなりません。重箱の隅を突っつく勉強方法です。大学受験もコンクールも所詮は減点法だからなのです。ミスが少なければ合格します。それに対して、海外に留学したい人には音楽大学には進学させません。日本の音楽大学の勉強とヨーロッパの勉強のスタイルは全く違うからです。最初からヨーロッパのスタイルで勉強していなければ、ヨーロッパの音楽大学に入学する事は出来ないし、授業についていくことも出来ません。

プロになるためにも音楽が好きで愛していて、人に聞かせるという姿勢や謙虚さが必要です。
レパートリーを作ったり、プロになるための勉強は音楽大学では教えてくれません。(ホームページ:「プロになるには」参照)



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あとがきに代えて(愚痴タイム・・・・!)

私がまだ若い頃、20代から30代頃までの話ですが、その頃は私はまだ大学の先生をしていました。勿論その頃は小さな子供は教えていなかったし、所謂、教えると言う事自体があまり好きでなくって、自分からは積極的には生徒を取るという事はなかったのですが、それでも、何処で私の事を聞いたのか、受験生やプロを目指す*大の生徒達や、**音楽大学の生徒達などが大学の教授の所を逃げ出してきて、私の友人の紹介などを介して、私の元に習いに来ていました。

ところが、不思議な事に30代の後半で大学を辞めて、音楽教室を作ったとたん、私のところで習っていた優秀な生徒は音楽大学の先生のところに逃げ出していきました。

勿論生徒達が逃げ出したわけではなく、親が他の有名音楽大学の教授につけたのです。

不思議な話だよね。

もっとも、それからは私の教室で育った生徒がたくさん留学したり、音楽大学に入学したりし手、今はもうプロとしてヨーロッパや日本で活躍しているので、優秀な生徒に不自由したわけではありませんがね。

しかし、優秀な生徒と言っても、私の教えた生徒は最初からはそんな特別な生徒ではありません。千葉や江古田の小さなボロッチい教室に習いに来る生徒は、決して特殊な生徒ではなく、極普通の教室の近所の一般の子供です。しかし、不思議な事に私が指導した殆どの生徒が、どういうわけか音楽の方に進んでいます。

巷のなんでもない小さな音楽教室から、たくさんのプロが輩出される・・・、それは大変な出来事ですよね。しかし、もっと不思議な事は、その子供達の誰もが、私に習ったからプロになったと思ってはいないという点です。自分にそれだけの才能があったか、それとももっと後で、怒鳴られ叱咤された音楽大学の先生のおかげかと思っています。

それでも、私が20代の後半から30代の半ばまで指導していた(有名教授達から逃げ出してきていた)生徒達は、それなりに私の事を高く評価していたようですが、それもやはり40代を過ぎたあたりから、彼らの演奏会プログラムの音楽履歴から私の名前がだんだん消えていって、またぞろ有名教授の名前が復活してきます。私について習っているときには「神様、仏様、芦塚先生!」なのにね。私の元を離れた途端に、人は変わってしまうのだから・・・。ほんと日本人とはつまらない人種ですよね。こんな論文を幾ら書いたところで、世の中が何か変わるわけはないのにね。 

単なる、思い出話にしか過ぎないのですが、昔、私の養父が生きていた頃、私の叔母(母の妹ですが)が、
「音楽大学の費用も出してくれたし、留学の費用も出してくれたから、あんたは、先生(養父の事ですが)には、ちゃんと恩を感じて感謝しなければ・・」と口うるさく言うので、ついつい、よせばいいのに、若気の至りで、「感謝はしているけれど、音楽大学の費用を出したのも、留学の費用を出してくれたのも、先生ではないよ!」というと、叔母が烈火の如く怒り出して、「あんたは人非人だ!」と、言い出しました。
だから、
「先生には感謝するけど、音楽大学の入学金を出してくれたのも、留学の渡航費用を出してくれたのも伯母なのだから、伯母にはちゃんと感謝しなければならないし・・・」と言うと、「お金を出したのは、先生だろうが!!」と、取り付く島もないのですよ。
母にその話をすると、
「あの人はそういう所(思い込み)があるし・・・。何時か言っておくわ!」とは、言ってくれたのですが、本当に、言ったかは、どうだかね??

私は、その事から、叔母には、二度と会いませんでした。
勿論、葬式にも行きませんでした。
私は感謝をするには、正しい認識をして、正しく感謝すべき・・と、考えているからです。
お袋が再婚したのは、何時の事か、よくは知りませんし、養父と一緒に暮らした記憶はありません。
音大時代に夏休みや、冬休みに帰省した時に、居候をしただけです。
それも、毎年ではありません。
私とは、あまり相性が良くなかったので。
まあ、今は昔の愚痴ですがね。


鬱状態の時に原稿を書いてしまうと、文章がついつい愚痴っぽくなってしまって、(いやあ~、愚痴そのものでしょう!!) 書かなくっていいことを書いてしまい、周りの先生達に怒られてしまいます。

実際には私が生徒を教え始めたときからの生徒もそれ以降の弟子も今もちゃんと教室や教室の周りにいて後進の指導に当たっています。

それに対して、オーケストラなどに籍を置いて、仕事として演奏活動を続けている生徒達は、どうしてもプロフィールには有名人や権威的な人を網羅しないと自分のアピールにならないと思っているようです。
音楽履歴の自分の周りを著名人で固めると、自分自身がそれ相応に評価をして貰える・・・、
それが日本人の有名人嗜好と権威主義の風潮と言えます。

事なかれ主義の権威主義は、歴史に名を成した昔の作曲家が一番、忌み嫌って抵抗したり、戦ったりしたのですが、家元制度をとっている儒教社会の日本の音楽社会では、親方日の丸は、それも致し方のないことです。

 
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拝 一静庵 寂鬱  

07年8月某日改訂