メモの取り方

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  「まえがき」

まえがきの蛇足:鉛筆とシャープペンシルとボールペンと万年筆

1 [メモの役割]
2 [メモ取りの工夫]
3 [filingの重要性]
4 [メモの速度を上げる方法:芦塚メトードの速記方]
5 [思い出し方]
6 [要約と箇条書き]
メモのまとめ方
7 [整理の仕方のお話]
8 [精神的な状態:filing]
9 [ミスをしないための手順]
ハインリッヒの法則

  [余談]
10[まとめるタイミング:体のバランスを上手に使う事]
11[道具を有効に使う:@録音]
12[道具を有効に:Aoutlookの自動仕分け] (2015年7月25日にmemoの取り方の悪い例を追記しました。)
13[道具を有効に使う方法:B音声認識のソフトについて]  (2015年5月21日に補足しました。)

応用編
14[長い文章(論文)の書き方]
15[本を書くと言う事は]
  まとめ



 

[前書き]

[初めてのmemo]
子供達にとっての始めてのメモとのかかわりは、まだ子供が学校に行く年齢になる前の親から何気なく手渡されたメモでしょうかね。
それはお約束事かもしれませんし、あるいは始めてのお買い物のメモかもしれません。

そういったメモはあくまで大人が書いたメモを子供が読んでいるのに過ぎませんが、そこで初めて、子供達は、まず箇条書きの書き方を知ることになります。

 

子供達が、親や他の人達から手渡されるメモではなくて、自分自身でメモを取るようになるのは、学校に行くようになってから・・・、つまり「学校の授業の中で・・・」で、でしょう。

まだ長い文章がメモをとれなかったとしても、まずは先生の授業に持ってくる物のメモや、父兄への伝達事項などを、手短に自分のノートに書き取って、家に持って帰らなければなりません。

それが出来る学年(年齢)に達すると、今度は、先生が黒板に書いたものを自分のノートに移すということをさせられます。

本当は、学校の授業の中でも先生がお話をする事や、説明をする事などを、確実に学んでいくためには、その前に「メモを取る」と言う技術が身についていないと、いけないはずであるのですが、それなのに不思議な事に学校の授業の中では「メモの取り方」を学ぶ事はないのです。

 

先ほども言ったように、学校の授業の中では、先生が黒板にメモを書いて、それを生徒が丸写しをする、ということをします。

しかし、逆にそのことが、学校の先生達や父兄達にとっても、メモのとり方(要約の仕方)を学んだような(或いは、習ったような)気にしてしまっているのではないでしょうかね。

 

まず授業が始まると先生が凄い勢いで黒板に重要事項を書きます。
それを必死で子供達がノートに写している時に、先に黒板に書き終わってしまった先生は、その重要な注意事項の説明を始めるのですが、(大人でもそうでしょうが、)特に子供達の場合には、一生懸命ノートをとっている最中には、先生が何を話していても、先生の話は何も聞こえてきません!

鉛筆を動かしながら話を聞く、(同時に二つのことをこなす)と言う作業は、年齢が行って大学生になっても難しい事なのではないでしょうか?否、それは社会人になっても、難しい事なのです。

今だったら、コピー機や印刷機(輪転機)等で結構安くコピーすることが出来るので、「生徒達にノートをとらせる」という作業は、教育的には私はあまり必要性を感じません。

教室も以前は通常の業務用のコピー機と、理想科学という会社の印刷機(輪転機)を使っていました。10枚、20枚ならともかく、100枚とかだったらコピー機よりも1枚あたりの単価がかなり安くなったからです。
しかし、その後、コピー機自体のランニング・コストが下がってきたので、100枚印刷したとしても、枚数あたりのメリットがなくなってしまって、またおく場所もコピー機と同じスペースが必要だったので、処分してしまいました。
(リース代も1枚あたりのランニング・コストに反映されるから、1枚あたりのコストが安かったとしても、ランニング・コストではコピー機と変わらなくなってしまうのです。)

今のご時勢だったら、私が学校で指導される立場なら、「じゃぁ、最初から、コピーして、製本して配ってよ!」と言うかもね。いやな生徒だったからね!

だけど、今のようにコピー機がなかった時代、私がまだ幼かった頃だって、私はよくガリ版を削っていたよ。

今の子供達はガリ版と言っても分かりませんよね。

(小学生)

「あっ!おすしのつまみでしょう?」   

・・・う〜ん、ちょっと違うかな??

(大学生)

「あ〜、トレーシング・ペーパーでしょう?」

・・・うん、よく似ているけれど、それとも違うんだよな?!

 

教員養成の大学のように、教員採用試験や国家試験等でそれ相応に必要なノルマがあるときには、メモを書くためだけに費やす授業時間は、教師にとっても学生にとっても、少ない授業時間の(年間、22単位ぐらいだったからね!)貴重な時間を浪費する、とてももったいない無駄な時間だったのですよ。(ちゃんと受験までに、そのlevelに達しておかなければ、受験すること自体が無駄になってしまいます。)

私が大学で授業を担当していた時にも、私自身が黒板に書いたとすると、授業時間をフルに使ったとしても、黒板に全部の内容をメモ書きする時間はとてもなくて、何人かの学生に頼んで、休み時間にあらかじめ書いておいてもらったりしました。

それでは、学生達はわずか10分間の授業と授業の間の休憩や、教室の移動のための時間、あるいはトイレタイムが取れなくなってしまうので、かわいそうになって、大切な重要なメモをB4の紙、数枚にプリントして学生に配ったら、今度は「紙代や事務員の手間が大変だから!」と、大学の事務局にすっかり怒られてしまいました。

 

子供が一番最初に出会う事と言う意味で、学校の話を先にしてしまったのですが、勿論、「メモを取る」と言う事は学校の勉強のみで必要なものではありません。

むしろ、日常の生活の中にこそ、その重要性があるのです。

メモとは一生のうちで、色々な所でつき合っていかなければならないものなのです。

 

私自身は30歳を過ぎる頃までは物忘れをする事は絶対にありませんでしたので、メモを取るという事自体をした事がありませんでした。
・・・ですから当然、メモのための手帳すら持ち歩く事は決してありませんでした。

しかし、寄る歳波には勝てず、30代の後半ぐらいからは、チョコチョコ物忘れをするようになって、60歳を過ぎた今ではちょっとした、たった一つの何かを買いに出かけるときですら、メモを書いておかなければ、何を買うか、忘れてしまうだけではなく、買う事自体を忘れてしまう事もあるようになってしまいました。

私は昔、教室で特別lessonの中学生、高校生の生徒達の指導をしていたときに、「芦塚メトードにおける楽典」を指導する・・いうことで、必然的に「メモのとり方」のlectureもよくやりました。
生徒達が余りにも、メモを取るのが下手で、「書く」という習性すら無かったからです。

しかし、それを指導している張本人の私が、「メモを持ち歩く」という習性がないのですよ。

いや〜、困った!困った!

書いたメモを持ち歩かないのでは、メモを取るという本来の意味すらないからね!




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蛇足:鉛筆とシャープペンシルとボールペンと万年筆
このメモにかんする論文の中で、所謂、筆記用具についてのお話が全く書かれていなかったのは、チョッと問題なので、新たに追記する事にしました。

筆記用具には、鉛筆とシャープペンとボールペンと万年筆があります。
勿論、日本の筆や、マジックや、ポスターカラーとか、製図用のカリグラフィーペン等もあって、教室でも音符を書く時に生徒達に指導して来たのですが、それを言い出せば限がないので、今回は、学校教育用の延長という事で鉛筆とシャープペン、ボールペンに限定してお話を進めて行くことにします。


日本の学校教育では、筆記用具は原則として鉛筆か、シャープペンシルのみで、ボールペンや万年筆では、消す事が出来ないので、逆に、先生に怒られてしまいます。
つまり、日本の学校教育では「消す」という事を前提に指導するのですよね?

ちなみに、シャープペンシルと言うのは、日本のシャープという(今では超一流の大手の)会社が開発したボールペンと鉛筆のハイブリットであり、ヨーロッパやアメリカではこの筆記用具はお店では売られている事が非情に稀だし、ヨーロッパの風土には馴染みません。

そのために、日本では不思議な事に、
「消せるボールペン」と言うのさえ、売られているようで、私は、理解に苦しみます・・というか、それってブラック・ユーモアなのかな??
消せないからボールペンの意味がある分けなので、消せるのならばボールペンである必用すらないからですよ。

間違いを残す・・という事は、研究する人間に取っても、勉強する子供達に取っても、とても大切な事です。
人間は、間違いから多くの事を学ぶのですからね??

日本の常識は、世界の非常識・・という言葉はここにも歴然とあって、ヨーロッパやアメリカの小学校では、3年生ぐらいからは、ボールペン、若しくは万年筆しか認められないのです。
それは、ヨーロッパやアメリカでは、子供が何をどう間違えたのか??を非情に大切にするからで、間違えて書いた場合には、取り消し線か、斜線(スラッシュ)で間違えた文字(文章)を消して、正しい答えを書くようにします。
ノーベル賞なみの研究でも、失敗から産まれたものだ多いのです。
エジソンの弟子が「また、失敗した!」と言った時に、エジソンは、「この方法では出来ない・・という事が分かったのだから、失敗ではない」と、弟子をたしなめた、という話があります。それは全く正しいのです。
また、同じ事をして、3回、失敗して、4回目に成功したとすると、その成功と3回の失敗は何が違ったのかを探すのは難しいのですよ。


しかし、日本ではそういった慣習が全く無いので、楽典やlessonは、教室では
「消しゴム禁止、ボールペン禁止」と教室開設以来言い続けて居るのに、殆どの子供達が、未だに、シャープペンで書いているのは困ったものです。

楽典のlessonの後で、小学生の生徒が一生懸命に間違いを消しゴムで消して、正しい答えを書いて赤鉛筆で、丸を付けていたので、
「消しちゃあ、ダメだよ!」と、注意をしたら、「全問正解でないと、お母さんに思いっ切り怒られてしまうし、ご飯も食べさせて貰えない!」と言っていたので驚いてしまいました。
確かに、その生徒のお母様は、それぐらいに怖いお母様なのですョ!!
その子供の幸せのために、その生徒が消しゴムで書き直しているのは、黙認する事にしてしまいました。

親が子供に完璧を望む気持ちは分かりますが、勉強途上の子供が完璧にミスなく育って行くはずはありません。
もし、そうなら、親は常に小さな子供の頃から、100点満点で育って来たのですかね??

常に全問正解なんて、そんな教育は嘘です。
子供達は間違えて育つのですがネ。
教室では、生徒が間違えても、叱ることは絶対にありません。
それよりも、間違いには、良い間違いと悪い間違いがあります。
だから、子供が間違えたとしても、その間違いを褒める事すらあるのですよ。

そこの所が分かっていないと、子供達の指導は出来ません。

Pianoやviolinのlessonでも、鉛筆は或る程度柔らかい2Bや3Bでないと、書くのは難しいのですが、特に、

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