書き取りのスピードが必用な聴音では、殆どの音楽大学でも、鉛筆は2B以上4Bまでと指定されています。
私達の教室でも、筆記用具に関して、再三、子供達に言い続けているにも関わらず、教室の聴音の時も、殆どの子供達が学校で使用しているシャープペンをそのまま使用しています。
HBでは、速度が必用な書き取りでは、芯が折れたり、音符(玉)が消えたりします。
つまり、或る程度の筆圧の柔らかさと、速度を出すための、芯の強さが必用だからです。
私は、楽譜用(五線紙用)には、には、三菱のhigh-uniの2Bから4Bを使用します。
これは、世界中の五線紙に音符を書く音楽家達の共通だと思います。
だから、教室ではシャープペンは使わないので、教室には置いていないはずなのですが、子供達が片っ端から忘れて買えるので、教室には山のようにシャープペンが貯まってしまい、半年に一回の割で処分しています。
教室の先生達が、シャープペンを使用する事はないからです。
しかし、lessonでは、楽譜を見て、一瞬で、読めないと(判断出来ないと)いけないので、もっと太い赤鉛筆や、トンボのデルマトグラフ(剥き鉛筆)を使用します。
昔のワープロでは、印刷を感熱紙にしていました。
しかし、感熱紙は、1,2年で印字が薄くなって読めなくなってしまいます。
ワープロの時代は、印刷もままならなかったので、当時の大切な資料は劣化して使用出来なくなってしまっています。
日本の学校教育ではmemoの取り方を指導しませんが、それは学校ではシャープペンを使用する事を推奨している・・という意味でもそのconceptが理解出来ます。
学校教育では、鉛筆の芯を研ぐ・・とか、替えの鉛筆を何本も準備する・・という事よりも、シャープペンならば、ノックをするだけで、芯が出て来るので、替えの鉛筆の準備は必要ないので、折れても即対応出来るという利便性がある・・という事だけなのです。
しかし、ノートを取るという事、所謂、notationとは、notice・・つまり、注意する、警告するという意味すらあるのです。
notationとは、後日、それを必要とするから、notationをするのです。
右側のmemo帳のコピーは、教室の生徒が、自分のシャープペンでメモをしたmemo帳を業務用のコピー機でコピーした例です。
これでは、何も読めないのだけど、元のシャープペンの文字自体が、私には読めないぐらい薄いので、業務用のコピー機で、コントラストを最大に強くしてコピーしたものですが、それでも読めません。
つまり、今の子供達は学校でメモを取ってもそのメモを読み返す・・・・という習慣が無いからなのですよ。
自分の書いたメモを、読んでごらん??
と言っても、自分が何を書いたのか分かりません。
薄くて、読めないからです。
ならば、何故メモを取るの??
つまり、先生に「書け!」と言われたから書いたに過ぎません。
私ならば、読み返さないメモならば、最初から書きません。
無駄だからです。
メモの本来の意味は、自分が忘れた時にパッと思い出せるようにするためのものです。
大人になって、社会人になると、そのメモは、自分だけのものではなく、人に読ませるためのものでもあります。
自分が或る程度、時間が経って、読み返したり、人に見せたり、コピーをしたり、Faxをしたり・・・するためには、ボールペンであったとしても、或る程度の芯の太さが要求されます。
私がボールペンを買う時には、コピーをした時や、人に読ませるために、読みやすいように、ボールペンの軸の太さも決めて、他の人達にもその芯の太さの軸を買うように勧めています。
日本では、学校教育が基本なので、0.7ミリが主流なのですが、美しくはあるのですが、文字が細すぎて、私のように目が弱い場合には、読む方としては、かなりストレスが多いので、仕事としてボールペンを使用するのなら、通常は中字の1ミリと太字1.2ミリ、超太字の1.6ミリをお勧めしています。
筆記用具には、色々な用途に応じた筆記用具があります。
その中でも不思議な鉛筆は、コピー機にかけても、コピー出来ないnon copy pencilの・ようなものもあります。
DVDやBlu-rayのdiscに直接文字を書く事は、通常のボールペンでは難しいのですが、写真やdiscに直接書くための写真ペンというのもあります。
(本来は写真用紙に書くためのペンですが)
物書きや漫画家等の『書く』という作業が仕事の人達は、それこそ筆記用具だけでも、何百本も机の上に置いて描き分けています。
道具を正しく使用出来るようになる事は、仕事の勉強の第一歩なのですよ。
道具の選び方は、「勉強をただの無意味な見せかけの勉強」にしないように、それが将来的に本当に役に立つ勉強になるようする事が必用なのです。
その一歩が筆記用具を正しく選ぶと言う事です。
でも、学校では、皆がシャープペンを使うから・・・・、と言って、いつまでも、本当の勉強の体勢に自分を持って行け無ければ、何も始まらないのは、自明の理でしょう???
下の鉛筆はコピーが出来ないトンボのnon copy pencilです。
ボールペンの芯のサイズは、普段は、基本的に、1ミリから、1.6ミリのサイズのボールペンを使用しています。
しかし、会社の契約書類のように極端に小さな文字を書く事が必用とされる場合には、5ミリの持ち手(軸)の太いボールペンをその為だけに、鉛筆立てに入れています。
契約書類は読むことを必用とはしないので、それだけ文字が細かいのだそうです。
文字が大きくなると、それだけ真似がし易いのだそうです。このcomputerの時代に、契約書だけは、信じられない事に、未だにアナログです。
人が生活をしていく上で、必要不可欠なメモではあるのですが、当然学校等で決まった定型のメモの取り方などを習った人はいないので、人によってメモの取り方はまちまちです。
項目だけを@・・・、A・・・・、と書きあらわす人や、あたかも文章を書くように、緻密に書いている人等もいます。
一般に、メモを取った経験がない人達にメモを取る事をお願いすると、言った通りに細かく書こうとして、言われた内容を書く事が追いつかず、結局、メモを取る事が出来ない人が殆どです。
メモとは、買い物メモのように、物忘れを防止するための覚書のためのメモ・・・というだけではなく、仕事メモのように実利的なメモの他に、、論文等の長い文章を書くときにも、「どういった事を、どこに書くか、」といったようなラフなレイアウトを作る時にも、非常に重要な役割をします。論文や長い文章を書かなければならない時のメモ等、あらゆる用途に必要な重要なアイテム(item)なのですが、不思議な事に、学校教育等で、メモの取り方のhow-toを学ぶ事はありません。
その大きな理由は、メモという言葉のimageから、単に覚書としての、意味しか、考えていないからなのです。
私達、音楽家にとっては、Beethovenの時代から、Richard StrausやIgor Stravinskyに至るまで、緻密に音符の断片をメモをして、大曲を作って行くので、音楽のメモ書きは、作曲に取っての重要な要素になります。
一つのthema、所謂、メモを展開して行く技術でもあるのです。
日常のメモ書きとは違って、作曲技法のメモ書きの手法なのです。
そういうふうに、メモを正しく取れる・・という事と、正しくそのメモを活かして、使って行ける・・という事は、一般の人達が思っている以上に、仕事をする人達にとっては、仕事が出来る人と出来ない人の分かれ目になってしまうのです。
つまり、正しいメモの取り方を学ぶ事は、人生の分かれ目になるのかも知れません。
歴史に名を残す偉人達もメモ魔であった事については、とても有名なことなので語るまでもないでしょう。
有名なダ・ビンチの鏡文字や、そこいらにある紙に何でも書き散らかしたBeethovenやSchubertのメモは、今でも出版されていて、誰でも読むことが出来ます。
勿論、Beethovenの書き散らかしを集めた「卵をメイドに投げつけた」とかという「文庫本の話」はさておいて、ノッテボームと言う人の作品の反故を集めた上、下2巻の研究書もあります。
(ひょっとしたら日本語訳の本は絶版かな?私は日本語版で、上下、2冊とも持っているけれどね。)
そのほか、新しいものでは、ストラビンスキーが「春の祭典」を作曲するにあたっての、スケッチ集のファクシミリ(手書き草稿の写真版)は、私が最も大切にしている書物(facsimile)の中の一冊です。
また、Schumannの子供のためのPiano曲集の手書きのsketch(勿論、facsimile版)も、持っています。
私も、若い頃は(青年時代の殆どは)まだパソコンはおろかワープロさえない時代でしたので、メモはBeethoven同様にそこらにある紙に書き散らかしていました。
私が日本に帰ってきて、再び東京に住み始めた当時は、コピー機も業務用しかなく、(コピーをするのにコピー屋さん迄、いちいち出かけて頼んでコピーしてもらわなければなりませんでした。江古田にも、当時は沢山のコピー屋さんがあって、仕事をするには、とても便利な町だったのですよ。)
コピー専用の厚紙もそれこそ売ってすらありませんでした。コピーもお粗末なもので、指でこするとガリガリと粉になって落ちてしまう代物でした。文字が盛り上がって紙にくっついていただけなのだよ。
しかし、私が再び日本に帰って来て、東京に住み始めるようになる時よりも、6,7年前の音楽大学の学生時代はそういったコピー機すらなくて、設計用の青写真のように青い専用の紙に焼いていたのです。
ページあたりの単価も非常に高く、お粗末で使用に耐えなかったので、今では、その頃の紙は資料としても1枚も残っていませんがね。
と言う訳で、厚紙の代わりに、画用紙に楽譜をコピーする事を業者にお願いしていました。
それで菊倍判の楽譜と画用紙のサイズでは大きさがだいぶ違うので、端切れが大量に出ます。それを「A4、30穴」に穴を開けて、分類をして、そこにホッチキスで端切れを止めてfileしていました。
勿論、市販のビニール袋のfileも活用しましたが、file自体が高かったと言うことと、仕事が終わったら、そのままポイと破って捨てられると言う事もあってビニール袋型のfileや、当時の情報の処理の草分けであった京大型のシンクボックスのtypeよりも、機能性と言う面で厚紙の端切れの方が私に取っては情報処理の仕方としては、使いやすかったのです。
捨てる端切れという事で、お金もかからなかったしね。