私も教室の先生から「気分直しに、食事に行こう。」と誘われると、そそくさと(この言葉は本当はこういう使い方はしません。
あわただしくと言う意味の他に少しマイナーな意味が含まれるからです。
「嫌々ながら・・」とかいった意味も少しは含まれるかもね?
でも「いそいそと・・」では全然違うしね!)
原稿やノートパソコンを準備して出かけます。
食事をしながら、お茶をしながら、今日の作業をまとめたり、普通の人がする雑談の代わりに、生徒の指導の話などの先生の仕事の打ち合わせや反省をします。
食事をしながら、仕事の話をするということは、忙しい1日の時短をするという意味でも有意義です。
よく「食事の時まで仕事の話をしたら、ストレスが溜まりませんか?」と言う質問を受けます。
実は、仕事の話が「ストレス」になってしまう原因は、次の仕事の時まで持ち越さなければならないようなマイナーな話(仕事上の問題点)が、会議などで、いくら話し合っても進展しなくて、いつまでもマイナーなままにその日を持ち越して、次の日に引き継がれていくからなのです。
例えば、今問題になっている生徒の指導の問題だとしても、「その問題を解くにはこういった方法や、こういったやり方があるんだよ。」と言うadviceを貰う事は、その先生が前回のlessonで問題を抱えていて、本当ならば次の週のlessonまで持ち越さなければならなかったストレスが、食事中の雑談の中で解決してしまうことになりますよね。そうすれば、抱えていたストレスが、「じゃぁ、次のlessonではその方法を試してみよう!」と言う前向きの気持ちに変わっていきます。つまり、ストレスが、ポジチーフに変わったのです。
一般的には、「食事のときまで仕事の話をするのは嫌だ。」と考えがちなのですが、本人がその時に頭の中に考えていなかった、或いは意識していなかったとしても、実は心の奥底(潜在意識的)では解決しない問題は、ストレスとして持続し続けているのですからね。
「体に過剰なストレスを与えない。」と言う一番良い方法は、如何に早くそのストレスの根を断ち切れるかにかかっているのです。
仕事が上手く行かない最も大きな理由も、その仕事をしている世界の中から抜け出せなくなっているからです。
中からしか見れなくなってしまっていて、外からの見方が出来なくなっているのです。
気分転換に場所を変えて、外食をしているときには、仕事そのものの束縛から離れて、外から物事を考える事が比較的に容易になります。
ですから、そう言う風に考えて、環境を変えて行動すると、食事の時間に、食事をしながら、仕事の話をするのは、非常に効率がよくって、有効な事なのです。
決して、人が思うほど嫌な事にはならないのですよ。
勿論、人を批判し、責めるタイプの上司とは食事を一緒にしない事がコツですよ。
世の中には、仕事が好きだから仕事をする人と、お金のために嫌々ながら仕事をする人達がいます。
今、私がしたお話(advice)は、お金の為に仕事をする人には、勿論、無意味です。
お金のために仕事をする人は、仕事が所詮は好きではないからです。
ですから、問題が解決して、ストレスの原因がなくなったからと言っても、だからと言って、リラックスできるわけではないのです。
私たちは、当然後者の「仕事が好きだから、仕事をする」人に該当します。
仕事=ライフワークであり、趣味でもあるという証なのです。
一般人にとっては、食事やお茶の時間は、仕事を離れたプライベートな時間であって欲しいわけでしょうが、我々にはそんな時間はありません。
そうすると、「先生達は忙しくてかわいそう!」という風に思うようですが、私たちは逆に、「暇と言う事は、それだけ社会に必要とされていないこと。」「暇だったら仕事をすれば?」としか思えません。
「今日は暇なの?かわいそうに。」としか思えないのです。
本当に音楽が好きだから、私だって、留学をしてまで勉強を続けたのです。
(殆どの人達はステータスのために留学をします。留学は自分の箔付けに過ぎないのです。)
もしも、音楽を好きで、ずっと学び続けてきたのならば、子供達や大人達に、好きな音楽の素晴らしさを伝達(指導)する事は、指導する側にとっては、一番楽しい時間であるはずではないでしょうか?
「私は演奏する事は好きだけれど、教える事はねぇ?」なんていっている人がいたら、その人は音楽で仕事をするのは諦めた方が良いのです。
なぜなら、音楽は伝達です。
人に伝える事ができないのでは、音楽家は無理です。
もしあなたがMozartの良さをワインを飲みながら語る事が出来ないのなら、ピアノを弾いて演奏しても相手には伝わる事はありません。
ましてや、BurgmullerやCzernyの音楽の美しさを子供に伝達することが出来なければ、Mozartやchopinの音楽の美しさを一般の人達に伝達するのは不可能でしょうね。
好きな事、楽しい事をして、それで生活が立つのなら、これほど幸せなことはありません。
そう言う話を音大生にすると、「音楽は楽しいものではありません。厳しいものなのです。厳しさに耐え抜いたものだけが、音楽の素晴らしさを知っているのです。」と返されてしまいました。
ひたすら厳しさに耐え、しかられ怒鳴られながら音楽を学んで来た人達が、音楽を嫌いなのはいた仕方がないことです。
そういった人達が、ほかに職業がないので仕方なく子供を指導する場合、自分のトラウマで当然子供に対しても厳しくなることはいた仕方がありません。
なぜならば、「楽しい音楽の学び方」が存在するということが、理解出来ないからです。
その人達にとっては、愉しい・・という事は、一般大衆に迎合するという事なのです。
自分を貶める事になるのです。
でも、音楽を好きでもない所にあるstoicは有り得ません。stoicは好きが孤高の地位に行ってしまったからです。
人を嫌いで鬱に徹していたとしても、過去の偉大な作曲家達を尊敬する気持ちまで失われる事は絶対に有り得ないし、音楽そのものを嫌いになる事もないのですよ。音楽が宗教になってしまっただけの事なのです。
しかし、残念ながら音楽大学の学生の大半が音楽を好きであるとは思いません。
好きで、音楽を心の拠り所にしている分けではないので、好きな男性が出来た途端に、音楽の事は、二の次、当然、子供が出来ると三の次になってしまうのは、やむを得ないことでしょうね??
しかし、私はそういった先生には、音楽は習いたくはありません。
音楽を好きにさせてくれる先生、音楽のすばらしさを教えてくれる先生に付いて、習って行きたいと思います。
大変長くなってしまいましたが、この話のまとめは、「片付けられない女」が片付けられないのは、部屋を片付けなければならないと思うからだと言う事なのです。
同様に、音楽も厳しく辛く学ぶものではなく、楽しく、本当に音楽を聴いて音楽の美しさに涙を流すように感動をする事なのです。
私はこの年になってもまだ演奏もされていない、CDすらない曲に出会う事が出来ます。
そして、その曲を先生達や子供達に演奏させて、曲の素晴らしさを教えています。
そしていつも言います。「下手でもいいから感動させる音楽を・・」 と!
でも、一般の音楽大学の学生に取っては、「下手なのに感動させて来れる音楽」っていう前提すら理解出来ないでしょうね。
音楽は、技術的に完璧に演奏出来て、初めて人を感動させる事が出来るのだ・・と信じて疑わないからです。
そんな事ないのにね??
第3点は、まとめの作業です。
いろいろな資料や、書き散らかしや反古などが溜まってきたら、どのタイミングでその作業をすればよいのでしょうか?
長い論文などの文章を書く上で、最も大切な事は、構成です。
書きたい内容を書き散らかしや反故の紙を纏めて、起承転結などの形式に当て嵌めて集めなおします。そうすると、同じ内容の文章がいたるところに出てきます。同じ内容のメモが沢山出てくると言う事は、そこが書き手にとって最も重要なポイントなのです。(潜在的に言いたい事なのです。)場所を決めて、そのポイントだけを集約していきます。
そうすると、今度は逆にメモが殆ど集まっていない所も出てきます。
そこは逆にあなたの弱い部分になるのです。
そこをしっかり補強しなければなりません。
それぞれのパートが大体同じ比重でなければならないのです。
そういったアイディアは机の上に座っていてはなかなかでないものなのです。(心理学的にも、頭に血を巡らせるには適度な運動をしながらのほうが良いと言う事が証明されています。)
但し、それぞれ行動と思考法は密接な関係があります。
それを上手に利用する事がより楽しく楽に思考をめぐらせることが出来るのです。
例えば、歴代の作曲家達は作曲のアイデアを練るのに、散歩をしました。
フロックコートに五線紙を突っ込んで、アイディアを練ったのです。
散歩はそう言う風にアイディアを練ったり、構成を練ったりという作業が適しています。
デスクの上で(私は作曲は殆ど机の上でします。今は直接パソコンで五線紙に入力します。)考えが行き詰まったり、頭が混乱して来た時には、掃除や洗濯が良い結果をもたらします。
部屋を綺麗にするという動作が、同時に頭の中をすっきりとさせるという働きをするのです。
ヴァイオリンの生徒がチューニングの狂ったヴァイオリンで美しい音を出せるわけがありません。
ピアノの生徒でもそうです。
調律の狂ったピアノで練習していては、美しい良い音楽を勉強出来るわけはないでしょう?
頭がパニックになってしまって、仕事をやる気が全くなくなったとき、そして、お掃除すらやる気がなくなるときもあります。
そういう時には、私は頭を全く使わなくて良い、単純作業をします。
反故の紙をあらかじめ定められた所に寄せる作業や、原稿のprint outなどの単純作業や、参考資料にする写真や楽譜などを探したりもします。
本当はそれはすごくハッピイな事なのですが、資料が溜まり過ぎて、書こうとする文章に納まりきらない場合、その時には、文章を二つに(或いは三つに)分けると良いのです。
文章を書くときに、話が色々な方向に行ってしまうと、文章の全体の纏まりに欠けたり、説得力が弱くなってしまいます。
言いたいことが沢山あると、ついついあれもこれもと書きたくなってしまいます。
この文章も「余談」が多いようですね。ハッ、ハッ、ハッ!
思いついた事を、瞬間的にメモをするという「メモ書き」の癖は比較的簡単に身につけることが出来るようになります。
さて、ある程度文章を書く事に慣れて来ると、それ相応の長い文章を一気に書けるようになってきます。
そういった長い文章を、正確にすばやく「メモる」ということは不可能に近いので、本当に(一言半句違わないで)正確な文章が必要ならば、録音機器の出番になります。
テープレコーダが一般に普及するようになって、エグゼクティブや、小説家、大学教授などの、常時必要なことを書き留めておかなければならない職業の人たちが、マイクに向かって話をするという光景が映画等でよく見受けられるようになりました。
しかしながら、自分で録音したものを自分でワープロにおこすという作業、所謂、テープ起こしの作業は作家にとっては不愉快極まりない時間の掛かる大変な作業の一つであると言えます。
と言うわけで、アメリカなどでは、そういったテープ起こしの専門職があります。
つまりそういったテープ起こしの作業は職業としても充分に成り立ったということなのでした。
私自身も、以前は車で大学に通っている時間がもったいないので(高速を使って1時間位掛かっていました)、車の中で出来る作業ということで、論文をテープに録音しながら車を走らせたのですが、30年以上経った今日も、その(100本以上の)テープは保存されたままで、いまだにテープ起こしがなされていません。
(2015年5月21日の補足説明)時間を置いて、改めて文章を読んで見ると、舌足らずで意味の分からないところが多いので、補足説明を入れておきます。(この補足は2015年5月21日の補足です。)
(これは便利だ!)
携帯電話が、発明されて、まもなくは、バッテリーをショルダーにして、一緒に持ち歩かなければならないように、不便なものであったのだが、やがて、携帯電話のサイズが、普段に持ち歩けるようなサイズに代わってからは、いち早く携帯を購入しました。
ただ、最初の頃は、基本の料金が2万円ぐらいだったので、費用対効果はなかったのだが、1万円以下になった時に、いち早く、購入したのだが、殆ど通じない、相手もいない・・という、無用の長物であった。
しかし、50歳を過ぎたあたりからは、携帯電話が一般的に身近になって、常時、携帯電話を持ち歩くようになった。
初期の携帯とは違って、住所録や予定、アラームやメモ等も、携帯で出来るようになったので、メモを持ち歩く習慣のなかった私も、携帯は常に持ち歩く事を要求されるので、(携帯が未だなかった時代にも、ポケベル等で、プライベートを拘束されていたので、携帯電話は嫌いで、無意識に忘れます。)携帯に依存するようになってきました。
その後、本来的には体調不良が原因なのだが・・・・
・・・・・これも、楽屋内の話で、分かりませんよね!
未だ、江古田に住んでいた頃は、2階の階の部屋全部を借り切っていたので、仕事でパソコンを使用する時には、2号室の事務所の部屋に行けば良かっただけですし、豊玉に当時は住んでいたのですが、体力的に仕事場に通う事は、全く問題はなかったのです。
ワープロからパソコンに移行するにあたって、教室の先生達のために、パソコンを指導してくれる業者を雇って、教室の作業も全部の進行表や、入会申し込み等の書類が連動出来るように、私の考えたソフトをprogramして貰うようにお願いしていたのですが、1年以上掛かっても、全く先生達のパソコンの腕が上達しなくて、ワープロからパソコンへの移行が全く出来ませんでした。
・・という事で、私がテレビ通販のジャパネットで、放送用に使っていたノート・パソコンを安く・・・(とは言っても25万ぐらいしたのですが)、ノート・パソコンとしては、当時の値段では極めて安かったので、・・・それを半額ぐらいの値段で、購入して、私が先ずパソコンの使い方を覚えて、先生達にパソコンの使い方を伝授しました。
つまり、パソコンの業者の人達は、教室のソフトも作ってくれなかったし、パソコンの指導も出来なかったし、で、お金だけをフンダクッて逃げてしまいました。
次にもう一人、雇って同じ事をしたのですが、やはり、結果は同じで、同じだけ100万単位のお金をフンダクッて逃げて行きました。
どうして、そんな人を・・って??
父兄と当時の講師の人の紹介で、断れなかったのですよ。
という事で、私はパソコンは誰にも教えて貰ってはいないのですが、パソコンの基本は芦塚メトードのsystemと同じなので、知能レベルを下げて、「機械で道具」である・・という事すら忘れなければ、簡単に操作する事が出来ます。
パソコンは動き(操作)の決まった部分を覚えれば、難しい事はありません。その一つはshortcut・keyの幾つかを覚えれば良いのです。全部ではなく、10個ぐらいかな??
芦塚メトードのKeyboardのblind・touchの覚え方があって、勉強しなくても自然にblind・touchが出来るようになるmethodeもあります。
これも芦塚メトードの単語登録と合わせて使用すると、全く勉強しなくても、仕事をしている状態だけで、音声入力と同じぐらいにスピディに入力する事が出来るようになります。
また、私自身が、体調不良になって、江古田の事務所でパソコンに向かうのが億劫になってしまったので、この二つの理由で、)自宅にパソコンを買って、プロバイダーを開いたので、携帯電話とパソコンを連携して、outlookの自動仕分けの設定を利用して、論文のメモ書きや、後日必要になるメモ等は、携帯電話の件名の欄にあらかじめ単語登録しておいた、「買い物メモ」「論文メモ」「仕事メモ」等のキーワードを打ち込んで、自宅のパソコンに送り、自宅のパソコンのoutlook上で自動仕分けによって、項目がfile別に分類されて保存されるようにしました。
わざわざ携帯電話の単語登録を使用するのは、件名を間違えて入力した場合には、自動で分類されないからである。(例えば、「買い物メモ」と打ったつもりで、間違えて「買物メモ」と打った場合などはもう、分類仕分けをしてくれない。パソコンはそういったところは逆に融通は利かないので。)
そういった、パソコンの使い方は、「芦塚先生のパソコン教室」を参考にしてください。
私のパソコンの理想像は、私自身がパソコンと簡単な会話が出来るようになることです。
声で、パソコンに話かければ、それなりに答えてくれるようになると良いな?
ですから、音声認識ソフトが、私のしゃべった声をそのまま、文字にしてくれると言う事は、私にとっては、夢でもなんでもない現実の事なのです。むしろ、私の大学生の時には、外国の人がタイプをすごい速さでうつのを見て、「日本語でも出来ないのかな?」と考えていました。当時は、夢の話だったのですよ。当時世界初の音楽タイプライターと言うのも出来ました。見る事は見たけれど、それはそれはお粗末なもので、今では考えられないものでした。
ですから、Via Voiceが発売された時には、喜んで飛びついたものです。しかし、なかなか思うようには文字変換をしてくれません。Versionを上げて9から10へとグレードアップしたのですが、それでも、やっぱり駄目でした。そこで、ViaVoiceからドラゴンスピーチという音声認識ソフトに思い切って移行してみました。ドラゴンスピーチは使用しない単語をどんどん消去して、音楽用語など単語帳に入っていない単語を追加するなど、教育する事が出来て、だんだん認識精度もアップして行ってとても満足していました。完全ではないまでも、時短にはなったからです。
(手入力で打つと大変だよね!いや〜、ドラゴンスピーチはいいなあ!大分、僕の声に対しての認識精度も上がって来たよ。)
と思っていたのは、早計でありました!
高いお金を出して最新versionのドラゴンスピーチを買ったのに、ドラゴンスピーチがだんだんと壊れてきてしまって、インスツールのし直しはおろか、アンインスツールさえ出来なくなってしまったのです。
と言う事で、メーカーに問い合わせた所、「ドラゴンスピーチは、マイクロソフトとはサービスパック2までしか、対応出来ていない」と言う事で、「アンインスツールのためのソフトを添付するか、サービスパック3をアンインスツールしてくれ!」と言うことであった。
泣く泣く、ドラゴンスピーチをアンインスツールして、前に使っていた音声認識ソフトのVia Voiceを最新版で入れなおしてみたのだが、やはり、全然ヘボくって、結局そのソフトも諦めて、唯一、サービスパック3に対応しているアミ・ボイス2008と言う音声認識ソフトを入れなおした。
これがまた、ヘボいんだな!?
ただ単に、故障しないので、不満なままに、そのまま使っているのだが、音声認識のソフトが利用可能になるにはまだまだ時間がかかるようですね。
その後、やはりアミ・ボイスは使い物にならない、ということで、おっかなびっくりXPにドラゴン・スピーチを入れ直して、使用しています。
windows7に付いている音声認識ソフトも試してみたのですが、やはりまだ、まだの段階です。
この段階であれば、使用している専門の単語や用語を自由に設定出来るドラゴン・スピーチの方が良いようです。
しかし、ドラゴン・スピーチはwindows7にはインスツール出来ません。
対応していないのです。
メーカーに問い合わせても、今のところその予定はないそうです。
そんなもんかね??
応用編
論文を書くだけのメモが集まったら、その論文の形式を決めます。
私は、長い文章を書くときには、基本的に起承転結か、起転結の3段論法かのいずれかの形式で書きます。
まず、メモを準備したら、それを論文の課題に基づいて、そのどちらかの分類でメモを仕分けします。この段階で何処が弱いのかが分かります。起が弱ければ文章は唐突なものになりますし、結が弱ければ尻切れトンボの感じがします。転が弱ければ説得力のないものになりますし、承が弱ければ舌足らずの独断的な文章になってしまうでしょう。
ですから、起承転結に分けた時に、どのメモが少ないかで、その文章のある程度の出来上がりが想定できるのです。
私の学生時代、あるいは30代から40代の中頃までの時代では、まだ一般の家庭にはパソコンはおろかワープロでさえ、まだない時代でした。そのために、すべての原稿は手書きだったのです。ということは一つの論文を書き上げるのに、何度となく原稿描き直さなければならなかったのですよ。大変な手間と時間がたった一つの原稿を書き上げるのに必要でした。
まず、いきなり高価な原稿用紙に原稿を書くのではなく、大本の原稿の草案は藁半紙に丸付き数字で箇条書きをしました。
それから藁半紙の状態で箇条書きされたそれぞれの原案の細かい部分を修正したり描き加えたりしました。
その次の最も大切な作業は、起承転結などの構造式を決めて、その分類に従って箇条書きされたメモ書きを配列して行く作業である。
起承転結のそれぞれの部分で、さらに脈絡を作って行く作業をするのだ。そして一応形ができあがると最後に文脈の際の部分が不自然にならないように、文章を修正して行く。それが終わってやっと原稿用紙に清書をして行くのだ。
今ではそういった手間ひまのかかる作業はパソコンで一瞬で出来る。
ワープロやパソコンのおかげで、文章を書くという作業がそんなに根性の要る大変な作業ではなくなったのである。
でも、私達の場合、文章のタイトルが決まってから、メモをとるわけではありません。常日頃メモを残しておいて、そのメモが幾つ使えるかという話なのです。メモが100枚あって、そのうちの3枚が使えたらよい方かな?
作曲にしても、ものを書くことにしてもそんなものなのですよ。
私がドイツに留学した時に、私の師匠から言われた事があります。
「良い曲を作りたかったら、まず100曲書いて、その中から3曲を抜粋すれば良い。」そう師匠は言って、私に100曲の課題を出しました。
毎週、30曲程書いて持っていったものです。
でも、その作品が、国際コンクールで一位の入賞をしたのですがね。
それから、日本に帰ってきて、ちょうど、(というか、やっとと言うか)江古田に居を構えた頃、音楽大学の図書館から雑誌の仕事の依頼を受けた事があります。
科学技術庁の雑誌で図書館や学校に配布される楽しい雑誌です。お題は「笛の科学」なのですが、勿論、そんな学術的な(物理的な)話を書ける人は音大の先生にはいませんので、私に話が回ってきたわけです。
実際に今までに出版された本を見てみると投稿している人は一般有名大学の皆、名誉教授クラスの人達だったね。(東大とか、東工大とかの・・!)だから30歳ぐらいの人は一人もいなかったよ。
と言う分けで、20万円ぐらいかけて本や資料を買い込んできたけれど、そのうちで原稿を書くための参考になったのは、たった2,3冊で、それも数百ページもある中の1ページか2ページぐらいだったよね。
勿論、だからその仕事が私に回ってきたのだけどね。
(そうでなければ、誰か音楽大学の先生が書いていただろうよ。)
その原稿の報酬として(原稿料として)例外的に5万円貰った。
「例外的に」と言うのは、普通は一人一文章で、1万円も貰えない。
名誉教授といえども、こういった本は「書かせて貰う」という世界なのだよ。
だから本来なら、私も1万かせいぜい2万円貰うところだったのだが、特別に、書く人がいなかったので、2文章も書かせて貰ったから、特別報酬と言うわけだ。
官公庁の仕事としては思いっきり奮発してくれたんだな。
(当時はNHKなども、日本放送協会だったので、出演しても基本的には無給なのだよ。
NHKのロゴ入りの置時計を二つも、三つも貰って処分に困って兄貴の家に行って、「いらない?」と聞いたら、兄貴も押入れから、時計から、バスマットから、タオルから、出して見せてくれたのだが、それには全部NHKのロゴが入っていた!二人で大笑いをしたね!)
母にその話をしたら、「何故そんなお金にならない無駄な仕事をするの!?」と怒っていた。
最も、母はその後、広島大学の医学部の学長さんに「一冊の本を書くのにそれぐらいの投資をするのは当たり前です。それよりも本を出版すると言う事が大切なのですよ。」と反対に怒られてしまったのだけれどね。
2万部ぐらい印刷して、それを一般の本屋に売るわけではなく、官公庁や学校、図書館、病院等に(勿論、ただで)配られるんだよ。すごいよね!
話が大変長くなってきたので、読むのも大変でしょうから、今日のお話はここら辺までにしましょう。
と言う事で、「総括」ですが、文章を書くという事は、本来的には慣れです。
ですから、子供の内から、日記や覚書などを書く癖を付けることが出来たらと思います。
しかし、ラジオの子供電話相談室で、「夏休みの宿題で、夏休みの日記が出たのだけれど、書くことが見つからない。」と言う子供からの相談に対して、高名なお坊さんの先生が「今日一日、嫌な事、腹の立つ事3回ぐらいはあったでしょう?それを書けば良いのですよ。」と言っていた。
それだけは、私達の教室の中では絶対にやってはいけない方法だけどね。
(マイナーな言葉や、嫌な事は教室では口にしてはいけないことになっています。)
年をとって昔を思い出す時でも、楽しかった事を思い出す方が、よりいいに決まっているし、それでも駄目なら嫌な事を思い出すよりは、何も思い出せない方が良いのです。
後日、自分の日記を懐かしく見たときに、子供時代の嫌な事しか書いてなかったとしたら、捨ててしまいたくなるでしょう。そしたらその人の子供時代自体がなくなってしまうでしょう?
楽しかった事だから一生覚えていたいのですよ。
子供は、文字を覚えて、何か書けるようになったら、お手紙でも良いのですが、日記の方が、継続性があって良いのです。しかし、日記を子供に書かせるときには、子供達が書き方を覚えるまでは、親が見ても良いのですが、子供が嫌がったり、年齢的に小学校の高学年になったら、「うちの子供は親が日記を見ても、嫌がらないのですよ!」なんて事は言わないで、子供のプライバシーはちゃんと守ってやる事です。
そうしないと、子供は日記に嘘ばっかり書くようになります。
信じない大人が多いようですが、子供はとても嘘が上手なのですよ。子供は、大人が思うほどきれいごとではないのです。あなたの子供のときの自分を思い起こせば分ると思いますがね。
子供が、日記を書けるようになるのも、まずはメモ書きからですよ。
楽しいことを書けるようになったら、子供は自分から喜んで文章を書くようになります。
今一番欠けているのは、そういった教育なのです。
[1] 例えば、論文と言うTitleで集められていた論文は、ある程度数が纏まれば音楽関係論文と教育関係論文に分けることが出来ます。音楽関係はそれぞれ父兄に対する啓蒙のための論文と先生達に対しての指導関係の論文、教材研究等に関する論文に細かく分けることが出来ます。そういう風に最初から細かく分けるのではなく、反故が纏まってくるに従って、分ければよいのです。そして、ある程度纏まったら、1冊の論文にまとめることが出来ます。
[2] 当時はまだテープ・レコーダーも発売されていなく、新聞記者や国会などで活躍している速記者が高収入の大人気の職業であった。私も勉学上の必要に迫られて、速記法に興味を持ったのだが、学ぶための費用の高価さ、2年3年にわたって学習しなければならないその技術習得の難しさ、等々既成の方法は自分にはとても無理だとあきらめました。それなら、自分で簡単に覚える必要がない速記法を作ろうと思い立ったわけです。
[3] 私の場合には自分の携帯の定型文に「池袋の買い物memo」と登録しておいて、気がついた(思いついた)時に、その買い物のmemoを携帯で自宅のパソコンに送る。その時に件名に「池袋の買い物memo」と打ち込んで、パソコン側のoutlookの自動仕分けルールで仕事の中に作った池袋の買い物memoに自動的に仕分けされるようにしてある。勿論、池袋だけではなく、近所の買い物等も自動仕分けをする。勿論、ついでに言うと、買い物だけではなく、論文の原稿のmemo書きから仕事の予定にいたるまで全部「件名」で仕分けして携帯でメールする。