指導manual

F・Couperin

修道尼モニカについて

 

1.  芦塚メトードによる終了(卒業)曲に関しての説明

F・Couperinの修道尼モニカは、芦塚メトードではBeyer教則本とBurgmullerの25の練習曲を終わった生徒の終了(卒業)課題曲です。

芦塚メトードではBeyer教則本やCzerny30番等の練習曲や小品等の指導教材の曲を、細かく各々のgradeに分けて分類して指導しています。

各gradeには、そのgradeで必ず習得しなければならないpoint(技術)があります。

次のstepのより難易度の高い曲を弾きこなすためには、その前段階のgradeの技術を確実に身につけることが、最も上達の早道です。

ですから、それまでに勉強してきたgradeのpointとなる技術を確実にマスター出来たのかを指導者の先生だけではなく、他の先生達も含めて皆で判断します。(都合が合わないときには、私が判断指導する事もあります。)

それぞれのgradeには、卒業課題曲といわれる曲が数曲必ず設定されており、それまでの技術を確実に身につける事が出来たかどうかを判断します。(とは言っても、生徒がその課題曲の数曲を全部弾かなければならないわけではありません。技術が身についているのかどうかを判断するのには、1曲を演奏すれば充分だからです。課題曲の1曲を合格すると、そのgradeは合格になります。

何らかの技術が劣っていて、(或いは身についていなくって)上手く合格できなかった場合には、同じ曲を復習する必要はありません。そのstepの課題を勉強するために幾つかの曲が準備されているからです。)

何故、それぞれのgradeに卒業課題曲を置くのかというと、各gradeのpointとなる技術課題がクリヤー出来ていないままに、次のgradeの曲を勉強しても、上手に演奏出来る事がないからです。無理をしてより高度な曲を与えてしまうと、生徒にとっても、父兄にとっても、或いは先生自身にとっても不本意な結果を生み出してしまいます。

そういった結果は一般の教室では、よく見受けることが出来ます。発表会等で担当の先生が生徒を他の生徒よりも上手く見せたいと言う願望からか、その生徒の持つlevelよりも遥かに高度な曲を選曲してしまって、lessonの時に、先生も生徒も途方にくれていたり、発表会等で大失敗をしている姿を見受けることがよくあります。

そういった先生の個人的な願望とは別に、生徒の方が高望みをして、「**の曲を弾きたい。」と言ってくることもよくあります。

その曲が如何に高度な曲であったとしても、生徒が「弾きたい曲」という夢を持つ事は、とても素晴らしい事です。だからと言って、その曲を発表会の曲に決めたりして、無理をして練習をさせたり、演奏をさせて、結果、発表会等で満足の行かない結果を生み出したとしたら、それはまた不幸な事です。それが原因でピアノを止めたりする事にもなりかねません。

では、どうしたらよいのでしょうか?

私達は「この曲とこの曲を弾けるようになったら、その次には*ちゃんの好きなその曲が弾けるようになるよ。」と明確に、後、幾つのgradeをこなせば弾けるようになるのか、その過程を教えてあげます。子供達は自分の演奏したい曲が後何曲で演奏出来るかが明確であれば、ちゃんと待つ事も出来るし、明確な目標が出来るので、努力する事も厭わなくなります。自分の好きな曲を目標にする事は、日常のとても良い励みになるのです。

 

ここで例に挙げているF・Couperinの修道尼モニカは、Burgmullerの25の練習曲を卒業したlevelの卒業の課題曲の一つです。

同様のCouperinの作品では小さな風車や時計等です。ダカンのカッコウや他のロココ時代の作品も卒業課題曲にしています。

その曲を合格するとほぼ同levelのKabalevskyの子供のためのピアノ曲集 Op.27やKhachaturianの少年時代の画集に進みます。ソナチネ・アルバムに進ませる事もあります。

併用のEtudeはCzerny30番か、少し無理があれば、Czernyの小さな手のための25のEtudeに進みます。私自身は生徒にCzerny100番や110番を勉強させる事は殆どありません。正しく指導するならば、Burgmullerの25の練習曲やヘラーのEtudeとほぼ同levelのEtudeになりますので、100番や110番に進ませる必要が無いからです。

 

 

2.  間違えた日本の装飾音の指導

CouperinやRameau、Daquin等のロココの作曲家達の作品を演奏するためには、正しい装飾音の知識が必要です。

しかし、日本のピアノの指導者達が拠り所にしている装飾音は、Bachが「インベンション」などに書いている装飾音の奏法です。これはあくまで、基本でありサンプルとしての型にしか過ぎません。

Bach自身ですら、自分の子供達にはもっと多様な装飾音を指導しています。その例を「Wilhelm Friedemann Bachのクラヴィーア小曲集」などに見ることが出来ます。「インベンションとシンフォニア」としては全音版でHans Bishopff版が出ています。Bachが実際に自分の弟子や子供にCembaloを指導する時に、どのように指導したのか、を推し量る事が出来ます。

ドイツのbaroque時代の作曲家達に比べて、フランスのCembalo奏者達は装飾音をもっと柔軟に音楽的に表情豊かに演奏しました。しかし残念ながら、そういった表情豊かな演奏スタイルは楽譜に記譜出来るものではありません。

現に私がいろいろな曲を子供に指導する時にも、付点8分音符と16分音符のスキップですら、音符に書き表す事は出来ないのです。ですからlessonで「ここはもっと柔らかいスキップで!」とか、「ここのところは複付点のスキップのように鋭く!」とか、口伝で伝えていくしかないのです。

演奏で伝達すれば、小さな子供でも理解できる単純な表現ですら、音符に書いて表すと大変難しい細かなリズムの音符になってしまいます。

(今回はそれを承知で、話を進めていきます。)

 

また、日本で普通に演奏されている装飾音の弾き方ですが、唯単に素早いだけならまだ許せないわけでもないのですが、多くの人達がPianoを演奏する時には鍵盤の底まで打ち抜いてしまうように力強く叩いて、カタカタ鍵盤の音をさせるようなtouchを好みます。そういったtouchのままで、装飾音のすばやい音を弾くとどうしても、装飾音に不自然なaccentがついてしまいます。

何故そういったカタカタとしたtouchが好きなのかは、教室のホームページから「芦塚先生のお部屋⇒インストマニュアル⇒touchについて、あるいはfortePianoについて」を参考にしてください。

 

 

最初のモルデントの装飾音にかまけてmelodieがぶち切れになってしまっている例があります。


装飾音を一生懸命に鋭く弾こうとして、音が切れてmelodieが繋がらなくなってしまっている例です。

モルデントの音を一生懸命に弾こうとするために、melodieが切れてしまうわけなのですが、ここのpassageでは、その他にも原因を見る事が出来ます。前の小節の最後の音のFaと次の装飾音の頭の音が同じFaであるために弾き直しをしようとして、切れてしまうと言う原因もあるのです。ここのFaとMiのmelodieが繋がりにくいのはそういった複数の要因のためです。

こうなると美しいmelodieを歌っていく事は出来ませんよね。

 

 

3.  正しい装飾音(Ornament)

装飾音には主に二つの意味(役割)があります。

その一つ目は言葉通り 「飾り立てる(装飾Ornamentする)」という意味です。baroque音楽では即興的に色々と飾りを入れて演奏します。それはもう殆どバリエーションの技術で作曲の技術ですよね。私達の教室では、教室の先生達はbaroqueやrococo時代の装飾法、即興演奏の方法を私の指導の元に勉強して、Fiori musicali baroque ensembleという名前のアンサンブルで演奏活動をしています。しかし、それはとても専門的な知識と演奏の技術が必要ですから、普通にピアノを学ぶ人達にはそこまでの勉強は必要ではないでしょう。

基本的なbaroque時代やrococo時代の演奏を勉強するための第一歩は、まず装飾音の記号の演奏に慣れることです。

記号自体はBachがサンプルに書いたものが殆どであり、その数はさほど多くありません。

基本的な装飾音の記号は、Cembaloではその機械的な特性から表現できないビブラートや accent、強拍や 弱拍を表したりするための意味があります。crescendoやグリッサンド(ポルタート)を表す装飾音等もあるのです。

そのために楽譜には書き表す事の出来ない微妙な演奏上のニュアンスを要求されます。それが装飾音を勉強する上での、ネックになっているのです。

しかし、比較的に幼いうちから、そういった微妙な表現方法になじんで、音楽を学んでいるのならば、baroqueの装飾音の持つそういった微妙なニュアンスの奏き分けは決して難しいものではありません。そういった意味でも子供達にはbaroqueやrococoの装飾音と古典派、ロマン派の装飾音の奏き分けなども、早い時期に折に触れて説明し学習させています。

 

では、修道尼モニカの解説を始めましょう。

まず最初にテーマを弾いてみましょう。

修道尼モニカを弾くときにいちばん大切な注意は、装飾音がいっぱい入っているので、装飾音のところで音が強くならないように気をつけることです。私がよその教室の発表会などを聞きに行くと、殆どの子供達が装飾音を強く弾いていました。

一般に日本の音楽教育では、装飾音というのは一種類しかなく、常に“すばやく弾く”だけなのです。

日本の音楽教育をリードする音楽大学ですら、baroque時代の装飾音の弾き方を正しく古式豊かに、楽典的に捉えて指導している先生には、まだお会いした事がないので、音楽大学の学生達もそういったOrnamentの勉強をしないままにみんな音楽大学を卒業してしまいます。

ですから、私が、音大生等に「本当は、装飾音の弾き方というのは、速い装飾音からゆっくりした装飾音まで、いろいろあるんですよね。」と言って弾いてみせると皆驚いてしまいます。

速い装飾音というのは、アクセントとか、フォルテとか、音の(音符の)強勢を表します。

それに対して、ゆっくりした装飾音というのは、弱い、柔らかい音を表現します。

だから、装飾音はたとえ小さい音符で書いてあるからと言っても、常に素早く鋭く弾いてはだめなのです。

ハッ、ハッ、ハッ!

 

トリラーやモルデントはそれ自体に不自然なaccentがつきやすいので演奏するには細心の注意が必要です。

どうしてaccentがついてしまうかというと、装飾音のときに指を速く動かさなければならないので、指に力が入ってしまうからです。

装飾音というのは、手の型さえきれいに整える事が出来れば、指の力を抜いて、ころころと転がすような感じで弾くと、上品に美しく聞こえます。

 

まず、修道尼モニカのメロディーがどうなっているのかということを自分でよく理解するためには、一度装飾音をとってmelodieだけにして、練習してみましょう。

 

譜例:(装飾音をつけずに)

装飾をつけずにピアノで弾いて見ると、こんな風にmelodieのラインが見えてきます。

小さな膨らましが2回、その後に大きな膨らましがあって、「↓」の「B♭」の音が頂点で、収めのdecrescendoに続きます。

余談ですが、こういったFormの事をbogen formといいます。a(1小節)+a(1小節)+b(切れない大きな2小節)というFormです。

装飾音というのは、チェンバロやピアノはヴィブラートが出来ないからヴィブラートのつもりなのよね。だからそういう音を「きれいにきかせたいなぁ!?」と思うときに装飾音を入れます。
弦楽器には、accentを表す、所謂、vibratoaccentもあります。強く弾く事だけが、accentを表現する事ではないのですよ。

チェンバロなどの楽器では、ピアノと違ってアクセントが出来ないので、強拍を表すために弾く装飾音があります。
しかし、反対に、全く同じ記号で表すので、困りものなのですが、音を弱くきかせるための装飾音も(弱拍の装飾音の)あります。
それを弱拍を表す装飾音と言いますが、今さきほども書いたように、装飾音記号も強拍を表す装飾音記号も同じなのです。

上記の譜例は装飾音を省いて書きました。

注1はドの音であり、しかもトニカの裏拍で当然弱拍になります。下記の譜例では3連音になっていますが、3連音に近いぐらいの柔らかな優しい感じで演奏すると言う意味です。

ですから、ここのモルデントは弱拍を表すモルデントでなければなりません。

注2はドミナンテの和音であり(トニカに対してドミナンテは強になります。)拍頭でもあるので、このミの音は軽い強拍を表すためのトリルでなければなりません。(但し、前の拍からmelodieラインが繋がっているので、accent気味のトリロよりも、melodieの滑らかさを生かして、より柔らかい感じのするプラルトリルの方が良いかもしれません。でも強拍である事は変わりありませんので、前の拍の16分音符に対して32分音符に限りなく近い音符でなければなりません。その速度差のコントラストはとても大切です。

 

注3のシ♭の音はmelodieの頂点の音になるので、すばやいダブルのモルデントでaccent気味に強調します。(すばやいダブルのモルデントの装飾音を弾き終わった後のB♭の音が、不思議な事にピアノのポルタートのようにaccent気味に美しく響くはずです。)

注4のプラルトリラーはdecrescendoしたphraseのおしまいの収めの音ですから、丁寧に演奏されなければなりません。ですから、3連音に近い、ゆっくりとした優しい柔らかなプラルトリラーとなります。

とは言っても完全に3連音になってしまっては、装飾音の感じがなくなってしまいます。

そこはしっかりと奏き分けをしなければなりません。

弱拍の装飾音を弾く時には、melodieラインの膨らましを邪魔しないように、滑らかに装飾音が演奏されなければならないのです。

今回この論文では、Couperinのモルデントとトリルの話に限ってのみ、書いてみたのですが、モルデントとトリルの二つの装飾音を取り上げるだけでも、これだけの細やかなニュアンスの違いを弾き分ける事が出来るのです。

それが装飾音の持つ本来の力です。

 

繰り返しになりますが、「装飾音というのは、唯、単に『速く』弾けばいい。」というものではなくて、ヴァイオリンのヴィブラートのように、綺麗に美しく聴かせたいと言う、その音に対して、装飾音をかけるのです。ですから、もし装飾音を弾こうと思ったときに、指使い等の何らかの理由で不自然なアクセントがついてしまうようだったら、逆に装飾音をいれないで演奏する方がまだ音楽的に美しく表現する事が出来ます。装飾音にはあくまで本来の意味があるのですから・・・。

 

4.  Finger pedalの弾き方と意味

Cembaloという楽器には(ピアノのように)音を残すためのpedalというものはありません。

(時々、pedalがたくさんついているCembaloを見かけますが、それはレジスター(音色)を操作するためのpedalで、所謂、音を伸ばすためのpedalではありません。ちなみに、pedalCembaloというのはオルガンのように足鍵盤のついたCembaloを指します。pedalつきのCembaloは5本pedalのCembaloというような言い方をします。)

では、pedalがないと言う事は、Cembaloという楽器は余韻の響きの少ないシンプルな音がするのでしょうか?

いえ、そんな事はありません。私達がCembaloを弾いた時には、ピアノと同じようにpedal効果を出す事が出来ます。

昔の人達は指でpedal効果を作っていきました。それをfinger pedalと言います。

修道尼モニカの最初の小節の左手のパートを見てください。

   

現代風に書くとしたら、下記の譜例でもよいはずです。

baroque時代やrococoの時代も、実際には下記の現代的な譜面のように書かれる事が殆どでした。

むしろ、この曲のようにfinger pedalが書いてある譜面のほうが珍しいのです。

(理由はfinger pedalをちゃんと書こうと思ったら、とてもめんどくさいのでネ。)

しかし、どのように書かれようと、慣習的にはCouperinの譜面のように、あたかもpedalがあるように演奏されました。こういった演奏法の事をfinger pedalと言います。

finger pedalを指導するときには、実際に生徒の前で演奏して見せると、別に何等 難しい問題はありません。

しかし、finger pedalを譜面にするととんでもなく難しい事になってしまいます。

よく考えて見るとすこぶる単純な頭の体操なのですがね。

次の例を見て、考えて見てください。

平均律1巻1番プレリュード

見ても咄嗟には何の事か分からないと思います。でも、演奏すると極めて単純です。

ですから、ffinger pedalが書かれる事は極まれだったのです。


参考までに、装飾音を実音で書いた譜面とその演奏を掲載しておきます。


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