教 材 研 究 論 文
Mozart sonate in F K.332 T楽章
前書き
[子供に演奏して聞かせるときに、わざと(或いは、無意識に)下手に奏く指導者]
演奏会等でピアノを演奏する場合には、その曲をちゃんとまともに弾いているのにもかかわらず、子供に指導する時には全く別物として指導する先生が多い事には辟易する。または模範演奏のときにはまともに弾いているのに、抜き出し箇所などを指導者が生徒に弾いて聞かせるときには、まるで子供が弾くようにめちゃめちゃに乱暴に弾く指導者が多いのには驚かされる。
子供を指導するということで、子供のlevelとシンクロするのかな?
[自分の誤った経験をそのまま踏襲させる先生]
私も三十路の手習いとして弦楽器を勉強するために、有名なチェロの先生に師事した。その先生は大学の研修授業として、ナバラ教授の下で勉強をしてその影響を強く受けていて、よくナバラ教授のメトードについて話をされていた。
しかし、私がcelloの初歩の教材を学ぶ時には、相変わらず、古き良き日本流の指導をされるのだよね。私が「しかし、先生はそのようには弾かれていませんが・・」と質問すると、「最初はそれでいいんだよ!君!」と叱られてしまった。後日、上手くなって、ナバラメトードに切り替えるのであれば、何故、最初からナバラメトードで教えないのだろうか?不思議に思ったものだ。
しかし、それが日本の音大のメトードである。
ヴァイオリンやチェロの人がプロのオケに就職するのには、一番基本的な3点支持では入団試験に合格する事はない。プロの弦楽奏者は殆どの曲を1点支持で演奏するからだ。
自分は一点支持でオケの中で演奏していながら、指導する時にはやはり3点支持から始める。
それは、どう考えても、不思議だ!?
間違えたメトードを経験して見て、初めて正しいメトードの有り難味が分かるとでも言いたいのであろうかね?
[わざと子供っぽく弾く先生]
ヴァイオリンの先生でも、子供に模範演奏を聞かせるときに、子供のヴァイオリンを取り上げて、あたかも子供が弾いているように可愛らしく(Kinderleiに子供っぽく)奏く先生が多い。私は先生達には、そういった演奏を厳しく諌めている!どんな小さい子供に対してであっても、ちゃんとした演奏会で演奏する時のように、或いはCDを録音する時のように丁寧に真摯に弾かなければならない。
これは音楽を指導する者の鉄則である。(なめたらあかんぜよ!)
[子供のための音楽教室では何で子供用のつまらない曲を弾くの?]
プロの音楽家が子供達を対象として演奏する事を、一般には子供のための音楽教室という言い方をする。私達が小学校や幼稚園に頼まれて、何度か演奏に行ったときでも、定番のお子様プログラムをやった事はなかったね。あまり長い曲は短めにカットする事はあったが、基本はクラシックの名曲を持っていった。ヴァイオリンで言えばビタリーのシャコンヌやクライスラーの作品などだよ。小学校の先生達は曲が難しすぎて子供には分からないと言っていたが、子供達はとても喜んで集中して聞いていたよ。子供でも本当に良い音楽は分かるのだよ。後は演奏の問題!子供相手だからと言って、下手に弾かれると子供達はすぐに飽きてしまう。大人を乗せるよりも、子供を乗せる方が難しいのだよ。
という事で、前ぶりはここまでにして、以下、
本文
[materialとしての整合性]
最初の1小節目から5小節目までの、左手の動きには、あたかもmelodieのようにpedalを使用しないで(finger pedalも使用しないで)旋律的に奏する方法と、最初のFの音を少し長めに(あたかも4分音符のように)弾いて、保続音として表現するためにfinger pedalで強調して演奏する方法がある。
勿論、この話を引き合いに出すのには理由がある。
それは、同様の8beatのpassageである、23小節〜24小節、27〜28小節、或いは31小節〜38小節目、さらに、53小節目から54小節目の拍頭の音に対して、最初のthemaの5小節と整合性を持って弾く演奏者が非常に少ないからである。
ましてやpedalを踏み込んでロマン派の左手の和音のように、奏く演奏者にいたっては、論外である。
古典派の演奏スタイルでは、同じ音型のarticulationは常に整合性を持って演奏されなければならないのである。
これを逆の論点から言うと、左手、22小節3拍目から23小節目の拍頭の書かれたペダル(多くの日本版や外国の版にも書かれているpedalingではあるが、勿論、校訂者によって書かれたものでMozart自身はあずかり知らぬことではある。)や、25小節目の1拍目2拍目のpedalをそのまま使用するのであれば、当然冒頭の1小節目から5小節目の左手は上記の譜例:の保続音を強調するスタイルでなければならない。
もし、冒頭の1〜4小節目までの左手を、あたかもmelodieのように、senzapedalでクリアーに演奏するのであれば、22,23小節や、25小節の1,2拍にpedalを使用する事は、当然許されない。
譜例:pedalの使いすぎ(日本版の楽譜の書かれたpedaling)
ここに書かれたpedalingであったとしても、古典派のsonateの場合にはペダルの響きがうるさいのに、日本の先生達は生徒が23小節目、25小節目、26小節目の左手のpedalを(2拍目の裏で取らないで、)3拍目の頭ぐらいまで踏みっぱなしにして、右手のscaleの音の粒の濁りに全く無頓着である。実に音が濁ってしまって汚らしい。(同様に、29小節目、30小節目でも同じである。)
以上、左手の8beatのpassageについての奏法に述べてきたが、次に主題の提示部を正しく演奏するための、演奏上の難しさについて述べる。
[1小節目から12小節目のthemaのphraseの設定の難しさ]
譜例:1小節目から12小節目第一主題の提示
この曲の難しさは、1小節目から4小節目の長いmelodieに対して、後半のthemaが2小節+1拍がソプラノとバスであたかもfugaの入りのように、畳み掛けがなされていて、最後に滑らかな纏めの旋律が出てくる事です。この表情の目まぐるしい変化が、この曲を殊更、難しくしているのです。
Mozartがこの曲の旋律を、如何に多声的に考えていたのかを、分かりやすくするために、多声部書法で書いて見ました。
譜例:
最初の4小節は簡単な和音を従えた、1声部のmelodieであるのに対して、5小節目からは、3声のポリフォニーの書法で書かれています。
5小節目から始まる、themaは7小節目でそのままアルトの声部となり、Aのソプラノのpartに出てくる「ソ」の付点2分音符から始まるMotivは、してこの複雑な第一主題の提示を纏めるためのMotivの3が始まります。
このAのpassageでは、よく下記の譜例:のようなmissを犯す生徒がいるのですが、それを訂正できる先生は少ないようです。
譜例:7,8小節目の間違えた弾き方
譜例:もっと酷い間違えた弾き方