上記のメディアプレイヤーのスタートボタンを押すと、芦塚陽二によって改訂されたPachelbelのchaconneの最新version(2013年10月20日版)を聞くと事が、出来ます。
但し、パソコンの音源なので、音と演奏は参考程度の状態です。
と思ったのですが、実際には・・・・(・・;)
ウエブビデオスタジオでPachelbelの勤めていた教会や、organ等の映像を掲載しようと思ったのですが、何とメディアプレイヤーの容量に対して、演奏時間が長すぎるので、パソコンが重たくなって、音声がふらついて早くなったり、遅くなったりのbugを起こしてしまいました。という事で、折角、準備した映像ですが、メディアプレイヤーに映像をupする事は断念する事にしました。
映像を全て消して、ブラックアウトの状態で、upしてみたのですが、やはり、音のふらつきは治りませんでした。
という事で、メディアプレイヤーを諦めて、AVIの画像で送ったら、今度は音声はふらつかなくなったのですが、オートスタートを解除しても、音楽がPageを開く度に再生されます。
Pageを開いて、⇒ボタンを2回押せば、音声は切れるようですが、私のパソコンのホームページビルダー上では、正常に機能しているようなので、(オートスタートはしていないので、)設定自体は間違えてはいないと思われるので、dataを公開する時の操作か、プロバイダーの保存でbugが発生しているようなのですが、今の所原因が分かりません。
音声がふらついて、聞くに耐えられないのは困りますので、取り敢えず、この状態のAVIでupしておきます。
音楽がうるさかったら、すみませんがボタンを2回クリックして音楽を停止させてください。
この曲はまだ公開演奏の機会がないので、演奏会の生音の音源はありません。
↑・・芦塚先生のarrangeがやっと終わって、未だ練習を始めたばかりで、練習不足は否めない事実なのですが、しかも、楽しいo(^o^)oクリスマス会という事で、甚だ場違いなのですが、13年12月22日(日)の千葉市花園教室のクリスマス会で、この新しいversionのchaconneを、練習の中間発表としてお披露目(強行)しました。
あくまで教室のうちわのクリスマス会の演奏という事で、公開演奏と言えるのか否かは定かではありませんが、参考としてPachelbelのchaconneの演奏風景をlinkさせておきます。
Pachelbel chaconne Ashizukaversion
2013年12月22日千葉市花見川区花園自治会館、芦塚音楽教室のクリスマス会にて,芦塚先生の最新versionのchaconneです。
という事もあって、参考までに下のPageに13年の12月の練習風景をYou Tubeにupしておきます。
但し、linkしたYou Tubeのサイトは、練習風景なので、一般には非公開です。
このPageからのみアクセスが出来ます。
↑クリスマス会の演奏をupしましたので、上記の練習風景へのリンクは削除しました。
擬古典というジャンル(genre)について
擬古典の音楽というと、不思議な事に、殆どの曲がバロックの音楽をarrangeしたものです。
しかし、バロックの音楽をarrangeしたからといっても、それらの曲全てが擬古典の音楽になる分けではありません。
擬古典には、擬古典と呼ばれるだけの、条件があるのです。
また、何故、バロックの音楽なのか?・・というと、古典派やロマン派の音楽は、arrangeしても、様式が変わらないから・・という、これも歴然とした理由があります。
という事で、ここでは擬古典や古典等々の言葉の定義のお話をします。
originalのorgel曲からstringsorchestraへのtransposeについての問題点
Pachelbelのchaconne f mollは、パイプオルガンの曲です。パイプオルガンの名曲として大変有名な曲です。
その曲をstringsorchestraにtransposeした時に、arrangeをしたMueller-Hartmannは、幾つかの変更をしました。その変更の問題点を提起します。
Variation形式について
ありそうでないのが、このVariation形式です。
ないはずのVariation形式ですが、Vivaldi時代からBachやBeethoven、近現代の作曲家達に至る迄、大きなVariationを作曲する時には、このVariation形式を忠実に守ることによって、作曲をしています。
Variation形式とは楽典や音楽通論上は、存在しない形式なのですが、作曲家の間では常識として断固と存在している形式なのです。
パッヘルベル=芦塚版による練習風景と諸注意
2012年11月の23日の八千代の秋のコンサートに向けての練習風景のYou Tubeへのlinkは、13年の12月15日をもって、削除しました。
その代わりに芦塚陽二の改訂による新versionのPachelbelのchaconneの練習風景をYou Tubeにupしました。upは削除した日と同じ13年12月15日です。
蛇足Ⅱです:
Pachelbelのよもやま話について、幾つかを掲載しておきます。
PachelbelとBachの関係や、色々な作曲家達とのつながり等のお話です。
下のページは2013年の10月に新たに追記されたページです。
Pachelbelのchaconneの改訂に付いてのお話
13年の10月20日前後に新たに追記したページです。10月の20日というと、千葉教室の秋のコンサート(発表会)の当日でのお話ですが、その2日、3日前から、一年前の12年の11月の23日の八千代の秋のコンサートで演奏をした、Mueller-HartmannのarrangeのPachelbelのchaconneをどうしても改訂したいという欲望に取りつかれてしまって、発表会当日の10月の20日の午前中まで掛かって、原作の殆どのページを改訂してしまいました。
その改訂に至ったkritikと、改訂内容についてのブログと説明のページになります。
余談のお話「パイプオルガンについて」
パイプオルガンというと、大きな教会のオルガンや、大コンサートホールの大オルガンを連想してしまいますが、実際には大きく(乱暴に)分けて、三つのタイプのオルガンがあります。
勿論、その一つは先程の大オルガンですが、その他に、だいぷ小型ですが、据え置き式のポジティーフ・オルガン(Positiv organ)とポルタティーフ・オルガン(Portativ
organ)と呼ばれるオルガンがあります。
昔は、コンサート・ホールでパイプオルガンがある所はなかったので、音楽大学でBachやHandelのミサ曲等を演奏する時には、大学の普段のレッスンや練習に使用するPositivorganを運搬していました。ポジティーフ・オルガンは足鍵盤を持っていない場合が多いのですが、勿論、音楽大学のオルガン科の生徒のためのレッスン用、学生の練習用として設置されていたので、当然、運搬可として作られていたとしても、一番小型のタイプではあるのですが、2octave半の足鍵盤(16feet)と2段鍵盤で、木管系と金管系(8、8、4、2feet)の音色を持っているために、500キロを越す重量があります。
ポルタティーフ・オルガンは、とても可愛らしい携帯用のオルガンなのですが、用途が限られていてとても特殊なオルガンなので、その楽器を一般に見られることは殆どありません。しかし、バロック時代の絵画の中にはよく登場します。
「本文」
Pachelbelのchaconneの原曲はorgelの曲で、原調はf mollである。
左側の譜面は、原曲の冒頭部分の4小節です。曲はパイプオルガンの為に書かれています。
Variationの配列はoriginalとMueller-Hartmannのarrangeでは、微妙に違います。
また、左の譜例でもお分かりのように、themaは3声の声部で作曲されています。
これをMueller-Hartmannはorchestraにtransposeする時に、弦5部を、無理矢理に3声にするために、2ndviolinとviolaを重ねて、中声部のpartを演奏させています。
後、調をf mollから、e mollにtransposeしていますが、そこにも問題が発生しています。(後述)
擬古典というgenre(ジャンル・分野??)について
Pachelbelのorgelのために書かれた原曲を、何のarrangeもしないままに、弦楽オーケストラにただtransposeしたとしても、その時点でもう既に、baroqueの音楽である・・・というgenreは失われてしまい、「音楽上の分類」・・・としては、baroqueの音楽ではなく、「擬古典」というgenreに属するに事になる。
その理由は、オーケストラにtransposeした段階で、現代の作曲技法が入ってくるからであり、バロックの時代に作曲された曲とは言えなくなるからである。
そこまでは良いとしても、それから話が込み入って来るのは、一般の人達が「バロック音楽」と呼んでいるばジャンル(genre)では、・・・・バロックの音楽を現代の大オーケストラ等で現代のヴァイオリンの演奏技法で演奏したりする場合や、バロック時代に作曲されたviolinのsoloの曲をPiano伴奏で演奏する場合にも、その時点で、もう、本当は既にバロック音楽としての要素は失われてしまい、本当のバロック音楽とは言えないのだよ。
日本の雅楽のように天平の時代からそのままの形で、音楽が伝承されてくるなんていう事は、歴史的に見ても奇跡であるとしか言い様がない。
今日、我々がバロック音楽と呼んでいるのは、現代的にarrangeされたバロックの音楽に過ぎない。
本来の楽譜に少々arrangeの加えられた、Kurt RedelのPachelbelのcanonの事を引き合いに出さなくても、結構、originalの楽譜に忠実なKarajanのBachのAraですら、本来のバロック音楽とは、かけ離れているのだ。
それは私達が現代社会に住んでいて、通常耳にする音楽が現代の楽器と、現代の演奏styleによるものであるからで、現代の慣習的なものであるので、致し方ない。
私達が耳にするバロック音楽とは、現代の楽器で現代の解釈で、現代の演奏styleで演奏されたものを、バロック音楽と信じて疑わないのだから、仕方がない。
それが、現代人にとっては、バロック音楽であって、普通の音楽(常識)なので、致し方がない。
この話は、今我々の社会に流れているバロック音楽についての説明で、その善し悪しを云々するものではない。
私が今themaにして話をしているのは、擬古典というgenreの分類の定義のお話なのだから。
そういう通常我々が耳にするバロックの音楽は、一般人にとっての普通のバロック音楽という理解であって、それを、擬古典とは呼ばないからである。
通常、一般的には、そういった現代の楽器による現代的な解釈に伴った、現代的なstyleによる演奏をも含めても、バロック音楽というgenreで統括、統一する。
寧ろ、baroque音楽を、baroque楽器でbaroqueの様式でbaroqueの演奏技法を用いて演奏する場合を、寧ろ、例外的に、「originalbaroque楽器による演奏」と呼んだり、「baroque楽器によるbaroqueの演奏」と呼んだりする。
baroque音楽を、baroqueの様式で演奏する事の方が、日本では(まだ、日本だけではなく、ヨーロッパやアメリカなどの場合に於いても・・・)特殊な演奏のstyleなのだからである。
ちなみに、J S BachがVivaldiの調和の霊感の中の作品を、オルガンにtranspose(編曲ではなく、あくまでtransposeなのだが・・・)しているのだが、全くVivaldiの作曲したままの曲なのだが、そういったgenreの分類が全く無いので、Bachの作品目録に加えられている。BachやHaydn等も、作曲が間に合わない時に、他の作曲家の作品を自分の作品として演奏していた事があるのだが、それが現代には作曲家の作品目録でよく問題になってしまう。
いづれにしても、同時代の作曲家のtransposeの作品なので、arrange(編曲)にもならないし、ましてや擬古典にはならない。作曲上のこういったgenreの分類はないのだよ。
困った!困った! (+o+)
余談 「古典という言葉に対してのこだわり」
これは単なる言葉尻のお話であって、「擬古典」という言葉についての、余談なのだが、「baroque音楽を現代の作曲法でarrangeする場合には、genreとしては、普通は擬古典と呼ぶのだが、本当は古典派の音楽ではないので、擬バロックとでもいうべきなのだろうが、一般的には、擬古典という。
つまり、ここで話題にしている言葉尻は「古典」という単語のお話である。
このお話は、以前、論文の中で、余談として、冗談で触れたのだが、読んだ人が冗談の話・・と解釈してくれなかったので、もう一度敢えて、触れ直しておく。
「擬古典」という言葉は、本来は、音楽の世界の用語ではなく、文学の用語になる。
現代に比較的に近い作家が、古典の作家の様式を真似て書いた文学を指す。
日本で言うところの所謂、現代の作家が文語体で文章を書く場合に相当する。
という事で、本文に戻って
そういう事になると、Corelli=Geminianiのla foliaのGeminiani版というのがあるとすれば、その曲は擬古典には当たらない事になる。
Geminiani自身がbaroqueの作曲家であるからである
つまり、ただのarrangeや編曲、transcriptionになるからである。
ところが、困った事に、一般的にGeminiani版として流布している楽譜は、実際にはGeminianiがcorelliのviolinとCembaloとbasso
continuoの楽譜をConcerto Grossoにarrangeしたのは本当だが、今日我々が耳にしているcorelliのla foliaは、Geminianiがorchestra用にarrangeしたla foliaの楽譜を、Virgilio Mortariという人が、更に現代風の作曲法によって、arrangeをした版なのだ。
その版が、Corelli=Geminianiのla foliaとして定番になっているのだ。
通常は、擬古典の作品では、arrangeをした人の名前は、言われる事はない。Corelli=Geminianiのla foliaでGeminianiの名前が上がってしるのは、それがbaroque時代の作曲家であるからに過ぎないのだ。つまり、くどいようだが、今我々が聞いているCorelli=Geminianiのla
foliaは、近現代にarrangeし直されたものであるのだよ。
そうなると、Geminianiのarrangeとは言えないのだから、マジに擬古典というgenreになる。
つまり、Tartini等の同時代の作曲家が幾ら、arrangeをしても、それは擬古典とは呼ばないのだよ。