バロック音楽の有名な曲の大半は、近現代の校訂者の手によって、かなりarrangeされていると言って良いだろう。
我々が通常、耳にしたり、演奏をしたりしているTommaso VitaliのchaconneはviolinとPianoの伴奏の譜面であったとしても、かなり擬古典の要素が強い。
Vitaliのchaconneをorchestraにarrangeした版が出版されているのだが、その様式は、baroqueの様式を取りながら、かなり近代的である。
Tommaso Vitaliのoriginalの楽譜は残念ながら出版されてはいない。
corelliのla foliaの原典版は色々な出版社から出版されているので、そこは大分違う。
Tommaso Vitaliのchaconneの出典は、俗説ではFedinand Davidという人がドレスデンの国立図書館にある筆写譜から、arrangeをした、という説が一番有力であります。
しかし、Davidの全くの偽作である、・・所謂、偽古典である・・・という説も結構流布しています。
左(上記)の譜面はドレスデンの国立図書館にあるTommaso Vitaliのchaconneのoriginalの譜面であります。
それを底本にした、Fedinand Davidの版から多くの演奏家や作曲家達が改訂版を作っています。
orchestraversionは、Guido Guerriniという人が、Davidの作品を元にして、新たにVitali=Guerrini版というべき版を作り上げています。
色々な人達の手によって、今日我々が耳にしているorchestra版のVitaliのchaconneが出来上がっているのです。
それこそ、これぞ擬古典の典型的なスタイル・・・と呼ぶことが出来るでしょう。
擬古典と呼ぶには、ちょっとどうかな??・・というarrangeは、Pachelbelのcanonを紹介したKurt Redelのpizzicatoのarrangeがある。擬古典というには、arrangeが控えめ過ぎるし、baroqueというには、近現代的過ぎる。
寧ろ、easylistening musicとしてのgenreの方が合っているようにも見えるのだが、それにしてはClassic過ぎる。
まあ、Kurt Redelは、いつもの事なのだが・・・・。
余談 「古典という言葉に対してのこだわり」2
次に、「古典とは何か?」という定義の問題であるが、古典という言葉には狭義の意味と広義の意味がある。
余談 「古典という言葉に対してのこだわり」・・・終わり
・・・・ご清聴様でした。
originalのorgel曲からstringsorchestraへのtransposeについての問題点
まあ、それはこのchaconneの話からは蛇足に過ぎないので、本題の擬古典の話に戻って、話を進めると、当然このPachelbelのchaconne e(!) も音楽のgenreとしては、擬古典の部類に入る事になる。
今回演奏して、You Tubeにupしている(2012年11月23日八千代の冬のコンサート)の私達の演奏の底本となる版は、Robert Müller-Hartmannの比較的、原曲に忠実なtranscript版である。
表現が紛らわしいので、補足説明をしておきます。
原曲に忠実なのは、Mueller-Hartmannのarrangeのお話です。organのpartをそのまま、弦に持って来ただけなので、時々不自然になる事があります。原曲のOrganでは、不自然に響かないpassageが、orchestraになると不自然に響くのです。
そういった響き上の問題よりも、大きな問題があります。
幾ら原曲をそのままコピーしたように、原曲に忠実にarrangeしたからとは言っても、幾つか問題点が出てきます。
その、よく問題となる最大の変更点は、調が元調のf mollから、e mollへ移調されている点です。
Müller-Harptmannは、その移調の理由を明らかにしていないが、彼の代わりに代弁するとして、その理由は、推測して二つ考えられる。
その一つ目は、弦楽器はフラット系の調はあまり得意ではない(響きがよくないから)という演奏上の理由と、baroque音楽を演奏する時に、現代の演奏会では、低いbaroquepitchに対応させるために、慣習的に(利便的に)半音下げて演奏する事がよくあるから、(baroquepitchにtuningし直すよりも、半音低いキーで演奏する方が簡単だから・・というそれだけのeasyな理由なのだが・・・)という二つの理由である。
通常はbaroquepitchは、A=435ぐらいが多いのだが、オーケストラの場合には、全ての楽器の演奏家がbaroque楽器を持っているわけではないし、楽器をスライドさせて、tuningしたとしても、Aのpitchを、演奏会pitchの443から、baroquepitchの430辺りまで低くtuningする事が難しいので、baroquetuningの簡易versionという意味で、Aの音をAsにtransposeする事で、baroquepitchとする事がよくあります。
これは、あくまで便宜上の、単なる利便性の意味で、学術的には何の根拠もないのだ。
日本のあるbaroqueの演奏団体が、baroque演奏を専門としているのにも関わらず、Cembaloをbaroquepitchにtuningするのではなく、スライド鍵盤によって、半音低く415で演奏していたのは、全くlacherlich(馬鹿馬鹿しい)である。
その話は日本の演奏団体がbaroque専門の団体であるからで、イージーなスライド鍵盤によるbaroquepitchではなく、本来のbaroquepitchで演奏しても不都合は起こり得ない。だから、スライド鍵盤によるA=415のbaroquepitchは有り得ない、proとしてはあるまじき事である。
しかし、通常の現代の音楽を演奏している一般のorchestraでは、半音の半分ぐらい低くなる、baroquepitchで演奏するのは、楽器の特性上無理である。
また、orchestraの全ての団員がbaroque楽器を買い揃える事も無理な話であろう。(弦楽器のみの場合なら、それでも可能性はあるかも知れないが、管楽器を含めた全ての楽器をbaroqueで揃えるのは、かなり無理難題である。日本にはそういったorchestraは一団体もないと思うのだがね。)
だから、orchestraの場合には、この利便性のみのAをAsに移調して演奏するのはヤムを得ない。
それで、Müller-HartmannのPachelbelのchaconneを原曲のf mollからe mollに、transposeしたという推測である。
・・・・それとも考え過ぎかな????
しかし、Müller-Harptmannがこのchaconneをe調に移調したことでは、致命的な問題が生じる。
左の譜例のように、冒頭の和音で、2nd violinは最低音の解放弦のGの音を弾かなければならないが、basso continuoのcelloやKontrabassのEの音からは、純正の響きが取れない。
弦楽器では、開放弦のkonsonanz上に基音を作る。
だから、violinはEの音が基音で動かせない音になる。
つまり、KontrabassやcelloのEの音も、violinのEの開放弦上に作られるのである。
それに対して、2nd violinやviolaがGの音で開始するのであるが、violinの場合には、Gの音は最低音なので、その音を微妙に調整する事は出来ない。
その為に楽器本来のEとGの音で演奏しなければならなくなるのだが、Themaの音が繰り返されるたびに、純正ではない不協和な響きが聞こえて来るから、困ったものである。
ならば、tuningのAを変えればと思われるかもしれないが、それは現実的ではない。
Aのtuning音を変えると、自動的にGも変わるからである。
「Gだけを狂わせれば・・?」そうするとG線上の全ての音が狂って来る事になって、話はそんな簡単なことではない。つまり、tuningで純正の音を出す事は不可能なのだ。
いずれにしても、これはまずい!!
曰く、弦楽器にとっては、e mollに移調された事は、純正の美しい響きを作る上では、すこぶる都合が悪い。