ここでは、ピアノを学習する初心者(・・・というか、それはピアノを指導する指導者のせいだとはおもいますが、・・・)から、音楽大学学生、ピアニストと自称している人、音楽大学でピアノを指導している教授達に至るまでのピアノに携わる多くの人達が陥っているピアノのpedalに対する感性、音のにごりに対する無神経さに対してお話を進めたいと思います。

日本人が西洋の音楽を勉強する時に大きなネックになることは、日本人の持つ日本独自の音に対する感性であります。

よく「楽器は声の延長である。」と言われます。
発声技術や楽器の発達の目標は、人の声を如何により高いまで(或いは、低い音まで)出せるか、または遠くの方へ、より多くの人々に届かせるかということにあります。

そして、楽器の原点は自分の声の代わりに、器具を使う事によって、より多くの人に自分のmessageを聞かせる(届かせる)事にあるのです。
そしてまた、その技術や楽器の発達は、その楽器の存在する地方の空気の乾燥度合いに密接に関係しています。

ヨーロッパの1年中乾燥した気候と石造りの家は、音をいかに共鳴させるかで、より大きく音を響かせることが出来るのです。

またアルプス地方に流行している独特の発声法であるヨーデルも、乾燥したヨーロッパアルプスの山々に突き出した岩山に、効率よくエコーさせるための歌い方です。
そういった発声をする事により、より遠くの山々へ自分の声を到達させて、エコー(響かせる)事ができるのです。アルプスの麓の道を歩きながら、ヨーデルを歌うと、山々にその歌声が木霊して、とてもすばらしい響きがしてきます。

そういった風に、ヨーロッパの音楽は声楽であれ、器楽であれ、音を上手に共鳴させる事によって、より大きな響きと、遠音(とおね)の利く音(遠くまで音を届かせる事が出来るように、より大きく響かせる)かという事が、音楽の発達の中心となっていました。

しかし高温多湿である日本の山々では、ヨーデルの発声法で歌っても、そう響く分けではありません。日本のアルプスの麓でヨーデルを歌っても、あまり響かないのです。それは湿度の関係です。

 

日本の国に限らず、湿度の高い東南アジアの国々では、よく響かせた音よりも、絞り込んだ鋭い険のある音が遠くまで良く響きます。
そういった鋭い絞り込んだ音を出すために、日本の笛には、喉という(空気の通り道を縮めて、空気の速度を早めて鋭い音にする装置が入っているものもあります。

そういった日本の独特の気候から、日本人に好まれる音はのどを閉めた鋭い声です。

その中でも、特に外国人からみると我慢のできない日本独自の歌唱法が誕生しました。
その最たるものが浪花節であります。
声を圧しつぶして唸るように発声する浪花節特有の発声をするために、ウソかホントか知らないが言い伝えでは、昔の浪曲師はわざと毒を飲んで喉をつぶすことさえあった、と言われています。

私がドイツに留学中に私の師匠、Genzmer先生に「私は日本の伝統芸術を尊敬していて、能や歌舞伎も勉強しようと思っているのだが、あの浪花節の独特の発声だけは我慢が出来ない!」と、言っていました。

今日、多くの人が耳にしている演歌の中の「こぶし」と呼ばれる独特の発声も、浪花節の発声法の影響だと思います。

こういった気候の違いによる発声法の違い、発弦の違いは、私達日本人が演歌を歌ったり、民謡を歌ったりする時には、勿論、何の問題もありませんが、ひとたび、ヨーロッパの音楽を学ぶとなると、その日本人特有の感性はヨーロッパの音楽を学ぶ上でとても困った結果を生み出してしまう元凶となってしまいます。

イタリア人の非常に有名なボイストレーナーに見いだされた一昔前の早稲田の学生は、そのままイタリアに残って演奏活動を続けるのなら、フィッシャー・ディスカウの再来になれるだろうと言われていましたが、日本に帰ってきて、1,2年後には日本の独自のイタリアの発声(!)になってしまいました。
同じように、ミュンヘンでカール・リヒターに見いだされて、カンタータのソロ歌手として活躍していた女性も、ヨーロッパに在住していた時には、非常に優れた演奏活動をしていたにもかかわらず、日本に帰って2年も経つと、すっかりと日本独自の発声になってしまいました。(実名は本人の名誉の為に出しません。)

日本の独自の歌の発声法は、日本人にとっては、不自然には聞こえません。寧ろ、日本人にとってはヨーロッパの本物の発声法よりも、耳に心地よく響くのです。
もっとも、明治16年生まれの私の祖母は、日本人が歌うヨーロッパのオペラの歌声(発声法)を、「鶏の絞め殺された時の声」と笑っていましたがね。

「喉を絞り込んで、力んで声を出す」という日本独自の発声法は、ヨーロッパ人の「自分の体中の共鳴音を聞く」という自分の体を最大限に利用するという事だけでなく、自分の周りのホールや部屋の残響をも利用して声を響かせて行く、と言う発声法に対して、国民性であろうか、日本人の音の共鳴を聞き取るという事に対しての感性は非常に鈍感であります。

日本人が日本の音楽を演奏している限りでは、何の問題もないことであるのですが、問題は私達が演奏しているのは、ヨーロッパの音楽なのです。
ヨーロッパの音楽を日本の発声法で・・・という事は、やはり少しちがうのではないでしょうかね??

ある日、ある時に、テレビで活躍しているイナバウアー・モドキの美人のヴァイオリニストの後押し(あとおし)の音楽を聞いていて、ハタと気がついた。
「これは何と、胡弓の音、或いは馬頭琴の音ではないか?」
つまり、高温多湿の東洋人のヴァイオリンの音はそのまま、東洋の弦楽器の音であったのだ。モンゴルの大平原で演奏される馬頭琴!いやぁ~、それで納得!
「そうか!?だから音を響かせて演奏する事がないのか!?」

そういった、気候風土から、共鳴した響く音を聞けないというのは音楽を学ぶ日本人の、声楽であれ、弦楽器であれ、或いはピアノの生徒であれ、共通した欠点であるという事が出来ます。。

ピアノを例にとってお話すると、ピアノを学ぶ学生達は、ピアノのハンマーで打ち出された瞬間の打撃音は聞き取れるのだが、その後に響く余韻の音は聞こうとしないのです。
pedalのお話をする前に、それ以前に自分の弾いた音が4分音符であるか、付点4分音符であるか、それともいっそう2分音符であるかという事を意識して演奏している人は少ないのです。
音符本来の長さの音、その音の最後の響きまで聞き取っているピアニストはすくないのです。
つまり、キーを押した瞬間の衝撃音は聞いているのだが、その後の伸びていく音やその音に加わっていく倍音の音を聞き取ろうとはしないのです。

当然、原音の余韻を聞き取っていないのだから、pedalを踏んだ後の音が、濁っていたとしても気にならないのです。


日本人が雑音を雑音として意識しない事にはもう一つの原因があります。
それは日本人が、世界でも稀な左脳型の人間であるということであります。
左脳型の人間は音を左脳(言語野)で聞くために、雑音を意味のある心地よい音や或いは言葉としてかんじてしまうのです。
つまり、木の葉ずれの音、小川のせせらぎの音、等を日本人は、情緒の表象として、或いは言葉として捉えるのです。
しかし、西洋人のとっては、木の葉ずれの音はただのホワイト・ノイズであり、小川のせせらぎは水のピチャピとなる雑音にしか過ぎないのです。

しかし、日本人なその自然の音を言葉として把握する。
そこから俳句という独自の文化が誕生したのです。
俳句は、当然自然の音(ノイズ)を心象の象徴として捉えます。
しかし、ヨーロッパ型の右脳型の人間はそういった音を心象として捉える事は出来ない。
ただのノイズとしてしか、捉える事が出来ないのです。

だから、そういった事は日本人の持つ非常に優れた能力という事が出来ます。
しかし、そういった非常に優れた日本人の能力は、逆にピアノのチョッとした濁りやノイズに対して、不快に感じない、と言う欠点を生み出してしまうのです。

日本人とは反対に、右脳型で音の濁りを雑音として捉えてしまうヨーロッパ人方の人達は、pedalのタイミングの遅れで生じた、その「ちょっとした濁り」に対しても、それをノイズ(雑音)と判断して、敏感に反応してしまいます。
そういった国民性による感覚の違いが、音の濁りを美しい心象の表れと判断してしまう日本人とヨーロッパ人の「pedal感覚」のズレを生み出しているのです。

そのためにペダルを踏みすぎて、音が濁ったとしても、それを汚い音だとは感じない。もう一つの原因には、日本人が世界でも特有の左脳型の人間であるということである。左脳型の人間は雑音を意味のある心地良い音やあるいは言葉として感じてしまう。木の葉ずれの音、小川のせせらぎなどである。そこから俳句という独自の文化が誕生した。自然の音(ノイズ)を心象として捉えるのである。

感性の問題としては、ヨーロッパの芸術家が東洋人の持つ自然の音を心象の表れとして捉える事に対して、理解し共感するようになるまでには、マネやモネ、Debussy達や印象派の芸術家達の登場を待たねばならなかった。
しかしながら、逆の立場で言えば、アメリカ人やヨーロッパ人達が作り出した俳句は、私達にとっては即物的で、幼稚でとても俳句と呼べるものではない。
寧ろ、ヨーロッパに古くからある詩の型で、「短詩」と呼んだ方が(分類した方が)良いのかもしれません。

それと同じような事が、ヨーロッパ人から見た日本人のピアノの演奏にも言える事なのです。私達が学んでいるのは、あくまでヨーロッパの古典音楽であるのです。バロックはもとより、古典派やロマン派の音楽には、近現代の特殊なペダル操作はありません。
accentpedalのような、基本的なpedal操作だけなのです。
日本人がヨーロッパ音楽を演奏(勉強)する時は、音そのものや音の響きに対して、もっと敏感に細心の注意を持って接し演奏しない限り、日本人の持つ間違えたペダル操作の問題は、改善される事はありません。

ペダルの濁りの問題が深刻なのは、その問題がピアノの初心者だけでなく、ピアノを指導している側にも言えるからです。
音楽大学で指導している教授クラスの先生ですら、音の濁りに対して無神経な人が多いのです。
ペダルの操作がいい加減なのは、感性の問題だけではありません。
本当の事を言うと、もっと低次元の理由である事の方がより多く見受けられるのです。

一般に、指導力のない(勉強不足な)駄目なピアノの先生ほどペダルを多用する、と言えます。
自分の技術のなさをペダルでごまかすのです。
濁った音(音の響き)に対しての無神経なのです。
ペダルを最小限にすると、曲の完成度を誤魔化しようがなくなってしまうからなのです。

追記:

(この後の「Eine Kleine・・」についての文章はtouchについての所にも、全く同じ文章が載っています。せめて譜例だけでも変えればよかったのかな?内容的には全く同じになるので、例題をスキャニングするのが、めんどくさかったのです。ごめんなさい。その内、また訂正しておきます。)


[古典派の作曲家のmelodieの終わりの音符の長さに対する確固とした意識]


テキスト ボックス: 譜例:partによって終わりの音の長さが異なる例










古典派の作曲家達の作品を見ていると、フレーズの最後の音の伸ばしに対して、神経質なまでに、配慮しているのが分かる。

弦楽四重奏等のスコアーを見ると、ファーストヴァイオリンやセカンドヴァイオリンは8分音符で終わっているのに、チェロとヴィオラだけが4分音符になっているとかである。

オーケストラの楽譜の例でもMozart等のconcertoでは、前に8分音符が続いて、最後の音だけが4分音符で書かれているときには、8分音符との整合性を取るために、4分音符を短めに引く事がある。それに対して、melodicなpassageや低音でオーケストラを支えるpassageの時などは、4分音符を長めに演奏する。

私はそういった同じ4分音符であるのにかかわらず、長さが変わってしまうという「音の長さの違い」を「短い4分音符」、「長い4分音符」と呼んで、4分音符の長さを区別して呼んでいる。勿論、2分音符や、8分音符でも、同様に「短い・・・、長い・・・」といいますが。

 

ピアノの先生達はtouchをする瞬間に関しては結構うるさく注意をするのだが、音を放す(releaseする)事に対しては、無頓着な人が多いようです。

しかし、古典派の大作曲家達は最後の音符、「収めの音符」の『声部別の長さ』に対してまで、緻密に神経を注ぎました。

次の譜例は、そういった譜例の一例なのです。

次のMozartの有名な「Eine Kleine・・・」の譜例では、celloとviolaのパートは、4分音符で終わりの「収めの音」を表しているのに対して、次に直ぐmelodieが出てくるviolinのパートは、最後まで弓先で軽やかに弾かなければならないmelodieなので、終わりの音も4分音符ではなく、8分音符になっています。

しかし、celloとviolaは譜例の1小節目同様に、フレーズの「収め」を表す4分音符を弾いています。

当然、弦楽器の演奏表現上、そういった奏き分けをMozartは要求しているのである。

 

しかし、困った事にMozartに限らず(Haydnなどの作曲家でも)実に頻繁にそういった弦楽器や管楽器独特の細やかな演奏法をピアノに、(ごく普通に)要求しているのだが、(当時としては、極々当たり前の事なのだが)現在のピアノの指導者達は、MozartやHaydnのような古典派達の作曲家のそういった弦楽器特有の演奏スタイルによって表現された音符の違いを、音楽大学の先生達は、「この古典派の時代の作曲家は結構いい加減に譜面を書いていたのよ!」等と、自分の無知を棚に上げて、平気でのたまう。

作曲家に対して、ずいぶん失礼な話である。

 

演奏表現上のお話であるから、この話を説明するにはそれぞれの楽譜による表現の違いをヴァイオリン奏法と比較対照しながら説明しなければならないので、膨大なページが必要になる。勿論、それだけで、立派な博士課程の論文が出来る。

と言う事で、そこ説明を飛ばして話を進めることにします。

 

この時代のピアノのarticulationは、弦楽器の棒スラーによる演奏表現が殆んどでした。だから、Haydnの初期、中期のピアノ(本来はCembalo)ソナタの大半は、当時のシンフォニーで使用されている音楽表現と同じ表現方法を使用して作曲している。

Haydnの1790年以前のピアノソナタの作品では、シンフォニックに演奏するか、チェンバロチックに演奏するかのいずれかで、その演奏表現、つまり演奏のスタイルが違ってくる。

しかし、1790年頃にはピアノの性能が革新的に良くなってくる。

だから1790年代から以降のHaydnのピアノの作品は、そういったほかの楽器(ヴァイオリンや管楽器等)との共通の演奏法ではなく、ピアニスティックなピアノ独自の表現法に変わってくる。

Haydn自身も、1790年以降は愛用の楽器はCembaloからピアノに変わって、もう殆んどCembaloを演奏する事はなくなったといわれている。

それ以降のHaydnのピアノの作品にも、ピアノ独自の(ピアニスティックな)表現が目立ってくる。

その頃を境に、一般の家庭(但し、あくまで、この場合の一般家庭という定義は、あくまで王侯貴族や大富豪の・・という事に限った話だ。)にも、ピアノが入ってくる。(非常に高価なものであったとしても、貴族や富豪であれば、ある程度のクラスの人々であれば「買うことが出来ようになった。」と言う事である。

本当にピアノが庶民の生活にも入ってくるのは、第二次産業革命以降の19世紀後半のビーダー・マイヤー時代まで待たなければならない。)


[フォルテピアノ時代のペダル操作の種類]

バロック時代には、音を響かせるためのペダル自体がまだ発明されていなかったし、モーツァルト時代フォルテ・ピアノ、まだペダルを足操作するわけなく膝を持ちあげて操作するために、細かい動きには非常に対応しにくいペダルあった

そのため微妙繊細なペダル操作難しかったまた当時音楽のスタイルも和声的に透明でピュアーな響きが求められていて、ペダル和音濁ってしまうこと、当時の人達にはとても耐え難いことあった。

ホームページ:forte-piano参照


 

[pedalを多用しすぎる傾向]

ペダルが今日のように、足先で踏むことによって、すばやく操作出来るようになったのは、いちばん早い時期としても、ロココの後半からで、一般的にはベートーヴェンの後期時代の以降、というよりもむしろロマン派に入ってからと考えた方がよい。エマニエル バッハなどは、作曲家の立場から、早い時期からペダルチェンバロやペダル付きのフォルテピアノを推奨していたようではあるが、楽器制作上、技術的に難しかったようである。

ピアノの初心者が勉強するソナチネなどの数多くの曲は、ほとんどモーツァルトの時代かそれ以前のまだピアノフォルテの時代である。

そういった時代考証や学問的な理由以外にも、教育的な理由においても、ペダルの多用は教育上好ましくない。(正しいペダルの使い方が分かっていないのにも関わらず、ペダルを多用するのは、やたらと砂糖や調味料を使わせる料理教室の先生のようなものだ。生徒が肥満や糖尿病になってしまう。)

 

いろいろな音楽教室を訪ねてみると、ソナチネアルバムのソナチネの音量が弱いからといって、アルベルティ・バスにペダルを多用して、まるでオルガンのようにがんがん響かせている。

アルベルティ・バスの本来の意味は、弦楽器のきざみを表わしているのだ。

ソナチネなどが書かれた時代には、まだ楽器の分化が出来ていなかった。(古典派のピアノ曲に使用されていたスラーなどは、ほとんどの場合弦楽器の弓使いを示すためのボウ・スラーと呼ばれるものであった。ソナチネに多用されるアルベルティ・バスも、実際には弦楽器の奏法である。)

次の譜例は、有名なMozartの『アイネ クライネ ナハト ムジーク』の3小節目のヴァイオリンとチェロのパートであります。

譜例1.

左手のチェロのパートは弦楽器では当たり前の動きで、弦楽器的にはとても簡単な動きですが、それをそのままピアノで弾くとすれば、同音連打になり、とても難しくなりますね。

それをピアノ用に簡単な動きに変えてみると、下の譜例のようになります。

譜例2.

この左手の動きをイタリアの作曲家アルベルティが多用したところから、アルベルティ・バスと呼ばれました。弦楽器特有の軽やかなスピッカートなleggieroの響きを真似したものです。

次の例は、逆にMozartのピアノの曲の例です。

譜例3.

この左手のパートも実はアルベルティ・バスなのです。このpassageを逆に弦楽アンサンブルに直すと、次のようになります。

譜例4.

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